第二十七話「登城」
第二十七話「登城」
「お帰りなさいませ、ローレンツ様」
「ただいま、アマルベルガ、リディ」
アリーセと買い物に行った次の日、王宮で一泊してからお戻りになられたローレンツ様は、随分とお疲れのご様子だった。
「……夕食まで、寝かせて貰うことにするよ」
「畏まりました。すぐにご用意を致します」
「それから明日、また登城することになった。そちらも頼むよ」
「はい、そのように」
憔悴って程じゃないけれど、額の汗に前髪が張り付いてる。
「ああ、リディ」
「はい、ローレンツ様?」
「明日は……リディも来て欲しい」
「え!? は、はい、畏まりました!」
何の用事だろうと一瞬考えるも、そちらは後回しだ。
先にローレンツ様に休んで戴いた方がいいだろう。
王宮に着いていったギルベルタさんにも、お疲れの中身のご相談は無かったようで、私はとりあえず……登城の用意を調えることにした。
開けて翌日。
私はローレンツ様、ギルベルタさんと一緒の馬車で、王宮に向かった。
もちろん、新領地への出発も余計に一日延びている。
メルヒオル様とアンスヘルム様も顔を見合わせてため息をついておられたけれど、口に出しては何も仰らなかった。
「リディ、君に会いたいって人がいるんだ」
「私に、ですか!?」
まだお疲れが抜けていないご様子のローレンツ様は、やれやれとため息をつかれた。
「うん。姉上がどこからか君のことを聞いたらしくて……。多分、シンメンタール老師だと思うけど、ごめんね」
「い、いえ……」
第一王女ゼラフィーネ殿下!
第三王子であるローレンツ様の姉上なら、考えるまでもなく王族なわけで……。
だめだ、予備知識がほぼなくて、展開の予想が不可能すぎる。
筆頭宮廷魔術師のお爺ちゃんなら、魔法さえ唱えておけばどうにでもなりそうだったけど……って、それも失礼だな。
「適当に話を合わせておいてくれればいいよ。多分、魔法談義になるだけだと思う」
「は、はあ……」
「大丈夫だよ。姉上とは、特に何もないから」
それなら、なんとかなる。……と思いたい。
でも、『特に何もない』、というのも、それはそれで寂しい気がした。
先日、アリーセと駆けずり回った王宮の中枢のもっと奥、明らかに王族のプライベートスペースっぽい主城の入り口で、ローレンツ様やギルベルタさんと引き離される。
「こちらの方が早く済むと思うから、終われば迎えに行くよ」
「ありがとうございます、ローレンツ様」
でも、向こうに着いていくのもちょっと――かなり、遠慮したかった。
ローレンツ様を呼び出した相手は国王陛下で、それこそ本気で何を話せばいいのか分からない。
お迎えの老執事さんが声を掛けてくれたので、ローレンツ様に頭を下げ、お見送りをする。
「案内役のヨハンでございます」
「はい、本日はよろしくお願いいたします」
ヨハン様は、うちのお爺ちゃんと同年輩ぐらいに見えた。物腰穏やかな感じの人で、ちょっと安心する。
でも、窓越しに見える尖塔や見張り塔を幾つも通り越すたびに、緊張が増していった。
まあ、今更か。今更だよね。
ローレンツ様に着いていくと決めた時、予想される状況の一つに入っていてもおかしくないシチュエーションだもん。
そこまで想像をつけられなかった、私が悪い。
階段を登りきった先の四階、王女殿下の私室の一つだという大きな両開き扉の前で、案内が終わった。
扉の傍らには、もちろん近衛の騎士が立っている。
「ヨハンでございます。お客様をご案内いたしました」
「伺っております、ヨハン殿」
小さく会釈して、騎士様の手で開かれた扉の奥へと進む。
エルゼ夫人の授業を思い出しつつ、ヨハンさんから三歩後ろ、定位置を確保して内扉の前へ。
次は、侍女の手で中から開けられるのを待って――。
「ヨハン、早かったわね!」
「!?」
王女殿下がご自分で扉を開かれるのは、流石に予想外だった。
ゼラフィーネ王女殿下は御歳二十歳、見かけはローレンツ様と私の中間ぐらいで、少し幼く見える。お顔立ちは細面の上品な感じだけど愛嬌もあって、親しみやすそうだ。
ちょっとだけローレンツ様に似ているところがあるとすれば、鼻の形と口元かな。うす茶色の髪をお持ちなので、黒髪のローレンツ様とは印象がかなり異なる。
但し、服装はちぐはぐだった。
貴族のお茶会に出られそうな略式のドレスの上から、私が実家の作業場で使っていたような革のエプロン、ついでに頭には手ぬぐいの鉢巻きという出で立ちである。
思わずじっくり眺めていたことに気付き、慌てて跪く。
「あなたがリヒャルディーネ?」
「し、失礼いたしました!」
「いいわよ別に。それよりも、こちらにいらして!」
そのまま手を引っ張られ、室内へと引きずり込まれた。挨拶も何も、あったもんじゃない……。
「え!?」
「ふふ、驚いたかしら。わたくし自慢の研究室よ」
「はい、とても……」
そのお召し物と同じく、室内も酷い違和感に満ちていた。
大きく取られた窓の際には、これまで見たこともないほど豪華な応接セットが見事に整えられ、如何にも王族のプライベートルームという風情だった。
でも、壁の八割は本棚で占められ、執務机は綺麗に片付けられこそしていたものの、私の知識じゃ追いつかない類の実験器具や魔導具が並べられている。
その豪華な応接セットに座らされると、すぐに侍女さんがやってきて、お茶の用意が調えられた。
「わたくしには、政治の才も軍事の才も傾城の美貌もなかったけれど、嫁ぐまでは好きにしていいと、お父様からお言葉を頂戴しているの」
「は、はあ……」
「ふふ、王族のわがままってね、理由が通れば認められやすいのよ。だって、最大のパトロンが、国王陛下たるお父様なんですもの」
ゼラフィーネ殿下は魔法がお得意で、広範囲の土石を細かくする土質変化の呪文や、魔力結晶の粉を使った焼き物の釉薬など、数々の魔法研究で国益に貢献、権利を国に買い上げて貰うことで、魔導具や魔術本の類を買い揃えているという。
……むう、すごく羨ましい。
ちなみに王室公爵としてのお仕事は、『有用な人材を育てる』なんて名目で国王陛下のご許可を得て、非主流派の若い貴族や才ある庶民を多く登用し、丸投げしているそうである。
そちらもほどほどに成果を上げていて、横槍も入れにくいらしい。
「さて、リヒャルディーネ」
「はい、殿下」
「表向きは魔法談義ということになっているから、そちらを先に済ませてしまいましょう。シンメンタール先生が、あなたのことを魔法の天才って口にしていたから、会いたかったのも本当よ」
お話の出所は、やっぱりあのお爺ちゃんだったか。
それに、表向きって……何?
なんか恐い。
「これなのだけど……」
身構える私の前に、上質の大きな紙が広げられる。
普段使っている藁紙と同じく植物紙のようだけど、厚みもあって手触りもよさそうだ。
書かれているのは、魔法の術式だった。
「ここに書かれている魔術式は、鉱石から高純度の鉄を取り出す呪文なのだけど、どうにも効率が悪いのよ。リヒャルディーネ、これを見て何か……改良点を思いつかないかしら?」
「失礼いたします。えっと……」
表向きっていうからには、『本題』じゃないんだろうけど、今気にしても仕方がない。
頭を切り換えて、術式に目を通す。
まずは空気の幕を作って鉄鉱石を封じ込める呪文、次に鉄鉱石を溶かす炎系の呪文があって、不純物をより分ける選別の術式が三つ……。
要は高熱を与えて鉱石を溶かし鉄を得るという、魔法だけで溶鉱炉を再現してるような呪文かな。
「あの……」
「ええ、何でも聞いて頂戴」
「ありがとうございます。私は鉄について詳しくありませんが、魔法を使わない方法も、あり……ますよね?」
「従来の方法だと、使う薪や炭も相当な量になるから、とても高い鉄材を作ることになってしまうのよ。バウムガルテンから買う方がまだましね」
製鉄に関しては仮想敵国にして三大国家の一つ、バウムガルテンに一日の長があり、貿易が止まるととても困ったことになるらしい。
「なるほど……」
「魔法使いを雇っても、やはり高価になるけれど……必要だから、ね」
そもそも製鉄は、大森林と鉄鉱山の両方が揃ってる地方以外だと、ほぼ行われないそうだ。鉄鉱石は重くて運賃も高くなるし、炭はどこでも作られているけれど、大量に使うとなると同じことになった。
だからと言って、魔法使いを雇って製鉄しても、お高いことには変わりない。
でもとにかく、貿易が止まっても国と民が困らないようにしたい。
早めにこの問題を打破したいのよと、ゼラフィーネ殿下はため息をつかれた。
ほとんど考えたことはなかったけど、剣や鎧はともかく、こちらでは鍋釜だってびっくりするような金額で売られていて、鉄も含めた金属製品は生活用品の中でも高価な品物だった。
もちろんね、生活用品だけならいいけど、製鉄の呪文が進歩しても、武器はあんまりたくさん作って欲しくないかなあ。
但しこの術式、幾度も改良されていそうだった。初手からかっちりと組まれていて、隙がない。
お陰で逆に、問題点もすぐに思いついたんだけど、さて、口に出すべきか、出さざるべきか。
……現代じゃ製鉄に欠かせない石炭の話は、こっちにあるかどうかも分からないし、やめておこう。
でも……ローレンツ様のためにも、点数を稼いでおきたい気持ちもあって、困るのだ。
とりあえず、疑問を口に出して誤魔化そう。
戦闘オンリーの魔法バカじゃないってところだけは、示しておきたい。
「あの、殿下」
「なあに?」
「この術式、使える人がすごく限られると思うんですが……」
「ええ。少なくとも、多重詠唱は必要ね。国軍の抱える魔術師でも、二十人に一人いればいい方かしら」
多重詠唱って、そんなに稀少価値だったんだ。
全然知らなかったよ……。
それはともかく、今のは小手調べ、もう一つ行ってみよう。
「あの、鉄鉱石から鉄が得られればいいんですよね? たとえば、魔法製鉄と従来の方法の、いいとこ取りをするとか……」
「いいとこ取り……?」
一瞬きょとんとしたゼラフィーネ殿下の顔が、みるみる気迫に満ちていく。
やばい。
私、地雷踏んだ!?
「殿下!?」
「そうよ! 一つの魔法に全てをまとめ上げる必要なんて、なかったのよ!」
ゼラフィーネ殿下は素っ頓狂な声を上げたかと思うと、ペンをインク壷に浸けるのももどかしそうに、一心不乱で術式を書き上げた。
って、術式だけじゃないや。
製鉄炉らしい絵と、棒人間も添えてある。
「ふふ、わたくしは魔法にこだわりすぎていたのね! リヒャルディーネ、検証と改良は必要だけど、あなたのお陰で何とかなりそうよ!」
「うわっぷ!?」
満面の笑みを浮かべたゼラフィーネ殿下が、ぎゅっと抱きついてきた。
……内心で、どうか点数稼ぎの範囲を超えていませんようにと、小さく祈った私である。




