第二十一話「試験前のあれこれ……?」
エルゼ夫人の授業は、厳しいけどちょっと変わっていた。
まずは挨拶を十回ほど繰り返した後、お茶をいただきながら行儀作法の練習、次に部屋の中をうろうろして歩き方を修正され、合間に書類の書式を覚えながら美しい字でないと怒られる書き取り十回があって、ダンスの練習が最後にやってくる。
まるで、王宮のとある一日を短縮したような、不思議な構成だ。
「これでも随分ましなのですよ。リヒャルディーネには、算術を全く教えなくても済むのですから」
「ありがとうございます、エルゼ夫人」
「それに、魔法もね」
エルゼ夫人にとって、私はとても楽な生徒らしかった。
他の生徒と一緒で、王宮での約束事を知らないのは仕方がないけれど、合格の為に寝食を切り詰めて必死にならなければいけないほど切羽詰まった生徒ではないと、お褒め言葉を貰っている。
というか、魔法だけで合格できるわと、太鼓判を押されていた。
逆に一番の難点は、ダンスだった。……村じゃ、輪になって踊るのがせいぜいだし、教わろうにも踊れる人なんていなかった。
今のところは簡単な一つのステップだけを教わっているのでまだいいけど、今後が少し、心配だ。
もちろんね、まともにダンスが出来るなら、ダンス教師としてそれだけで食べていけるぐらいだし、王都に於いて、夜会はとても重要な社交場となっているから、疎かには出来ない。
エルゼ夫人のお話を総合すると、夜会は情報交換だけでなく、政治の場としても重要、というのはよく分かった。
まあね、こっちじゃテレビもインターネットもないから、夜は時間がたっぷりとあるのだ。
でも、表舞台に立つ予定がほとんどないローレンツ様の女官に、ダンスは必要なのかという疑問も浮かんでいる私だった。
▽▽▽
さて、問題の女官登用試験は、文章、知識、算術、礼法など、仕事に必要な基本が出来ているかを見る試験と、ダンス、魔術、剣術、馬術、外国語などの技能審査に別れていた。
成績上位者はもちろん、優秀な技術を持っていれば、そこを評価して合格にしてくれる。
でも、大学の一芸入試みたいで、随分と先進的なシステムだなあと思っていたけれど、何のことはない。
ダンスや語学が優れていれば外交に、魔術や剣術が得意なら貴人の護衛にと、特技持ちの女官は、あちらこちらからの引きが多いのだ。
『××侯爵家の娘、○○と申します』
『合格です』
……血筋でもいいけどね。
高貴な血筋も相対した相手への圧力になるので、ある意味で一芸に含めても間違ってないらしい。
エルゼ夫人からそう聞かされ、何だかなあと思うと同時に、納得もできてしまった私だった。
そのエルゼ夫人は週に三回、月光宮に来て下さったけど、合計九回で授業が終わってしまった。
試験日が週末に控えていて、これを逃すと半年待たなきゃならなくなるので仕方がない。
付け焼き刃は今更だし、魔法があれだけ使えればなんとかなるとの夫人の言葉を信じよう。
▽▽▽
試験の前日、珍しく早いお帰りだったローレンツ様が、たまには一緒に食事をしようと誘って下さった。
「リディ、いよいよ明日だけど、どうだい?」
「はい、殿下。感触は悪くない、と思います」
「うん。楽しみにしているよ」
試験間近だから、気遣ってくださったのかもしれない。
でもちょっとだけ、いつもより機嫌が良さそうな王子様に、首を傾げる。
ここのところは、少し困り顔か、不自然な笑顔で、夜遅くに帰宅されることが多かったローレンツ様だった。
……。
いいや、聞いちゃえ。
「あの……殿下の方も、何か、おありだったのではないですか?」
「うん? ああ、まあ、あったと言えば、あったのかな」
ローレンツ様はふうと大きく息をはいて、酒杯のワインを飲み干した。
「先日の、リディの故郷の事件、あれがようやく片づいてね」
「お、お疲れさまです……」
捕まったゾマーフェルト政務官には、王都にもよくない繋がりを持っていたお仲間が居たそうで、そちらの調査が長引いていたらしい。
「お陰で僕にも、ようやく新たな勅が下った。来週からは、レシュフェルト王室公爵になる」
「おめでとうございます!」
王室公爵の位は、成人と認められた王族に与えられる位で、同時に領地からの収入が生活費になる……だったかな。
「うん、ありがとう。……でも、リディには、苦労を掛けることになると思う」
「え!?」
聞けばレシュフェルト領、うちの実家のオルフ領よりは大きいけれど、小さな街一つに村二つの、男爵領にも怪しい小さな領地らしい。
ちなみに第一王子レーブレヒト殿下、第二王子マンフレート殿下、第一王女のゼラフィーネ殿下に与えられたご領地はそれぞれが人口数万を誇る大領地で、格差も何もあったものじゃなかった。
ゼラフィーネ殿下のご領地はご結婚の後、王家に返還されるけど、レシュフェルト領地はそうじゃない、ってところがミソかなあ。
それでもローレンツ様が多少なりとも笑顔を見せているのには、もちろん理由があった。
「収入は期待できない。だが、王室公爵の権利は剥奪されない限り有効だからね。……ふふ、これでようやく、メルヒオルとアンスヘルムを手元に呼び寄せられる!」
ちらっと聞こえた税収だと、お兄様方のように私兵を揃えることまでは出来ない。
けれど、家臣を集める名目も立てば、お二人の給金ぐらいは十分支払える。
私はもう一度、おめでとうございますと口にして、内心でため息をついた。
……知のメルヒオル様と、武のアンスヘルム様が手元にいらっしゃれば、ローレンツ様にとってはお命が安全に近づいたように思え、そのお心が平穏に傾くということに、他ならないのだ。
▽▽▽
翌日早朝、私は唯一のお出掛け着を身につけ、ギルベルタさんとアマルベルガさんに見送られていた。
登城するローレンツ様が、私も馬車に乗せて下さるらしい。
「……ふふ、『御武運を』、リヒャルディーネ様」
「ありがとうございます、行って参ります!」
忘れ物……は、ないね。
右手の指輪は寝る時も外さないし、小さめの肩掛け鞄に身だしなみを調える櫛や手鏡は入ってるけど、座学の方は筆記具不要の口頭試験と聞いていた。
「リディ」
「はい、ありがとうございます」
もう一度礼をして、ローレンツ様のエスコートで馬車に乗り込み、向かい合わせに座る。
余程混んでいる時でもないと、ローレンツ様との隣り合わせは基本的にあり得なかった。
「リディ、随分と落ち着いているね?」
「はい。何のために王都に来たのか、わからなくなりますから」
「ふふ、それもそうだね」
無論、今からじゃ逃げようもないので、前向いてぶつかって行くしかない。
それに昨日、万が一試験に落ちた場合は、月光宮でお仕事しながらもう半年学べばいいってお言葉を、他ならぬローレンツ様から貰っている。
お陰で私は追い込まれた気分もなく、試験に臨むことが出来るのだ。
幾ら貴族街の端っこにある月光宮でも、王城へは一刻とかからない。
ローレンツ様の紋章――交差した剣と盾をあしらったヴィッダーをつけた馬車は正面の大門を誰何もされずに通り抜け、内城前庭手前の車寄せに止まった。
同じように馬車から降りる若い女性達が多いことから、試験日なのは間違いないなあと、少しだけ安心する。
「こっちだよ、リディ」
「はい、お願いします」
流石はシュテルンベルク王国の本拠地、本気でどうなってるんだと思うぐらい、王城は大きかった。
おっかなびっくりで手を取られるまま馬車を降り、ローレンツ様の後ろを大人しく着いていく。
試験その物は別に心配してないけど、この雰囲気がどうにも……。
権力のにおい、とでも言えばいいのかな、建物に入れば、更に強くなった。
堅苦しい上にミスは見逃さないぞって雰囲気が、あんまり嬉しくない。
そりゃあ大国の中枢だし、お花畑でも困るんだろうけど、なんだかなあ。
「ああ、あそこだな」
「うわ……」
控え室だろう大部屋は、大混雑していた。
十二、三に見える子から、二十歳ぐらいまでの受験者だろう年頃の娘さんと、お父様あるいはお母様、または侍女付きって組み合わせが殆どだ。
「まだ来ていないかな?」
「あの、ローレンツ様、どなたかお探しですか?」
「リディの他にもう一人、来てくれる予定の女官がいるんだ」
「え!?」
表情を見れば、私を驚かそうと思って、黙ってらしたわけではないらしい。
しばらく部屋を見渡していたローレンツ様が、手を挙げられた。
「ああ、いた。……アリーセ!」
「ローレンツ様!」
「へ!?」
ちょっとお待ち下さい、殿下。
こちらへと小走りに駆けてくるどこかのお姫様みたいな美人は、どこのどなたです?
おお、縦ロールがバネのようにびよよんと揺れるとか、初めて見たよ。
ついでに大きなお胸も、豪快にぷるるんと……。
……じゃなくて!
「ご無沙汰しております、ローレンツ様! わたくし、何年も待ちくたびれましたわよ!」
「すまない、アリーセ。ようやく君を迎える用意が調ったよ」
「あら、お上手ですこと!」
何年も待たせるほど仲がいい美人とか、聞いてないんですけど!?
この状況、どうすればいいんだと焦る私を余所に、美人さんはローレンツ様ににっこりと微笑んでから、勝ち気な目をこちらに向けてきた。




