第十九話「心の闇」
「リディ、大丈夫だから、恐い顔をしないで。
僕には今更だし、君まで命を狙われたりするほど深刻な内容じゃないからね」
「あ、はい。……ごめんなさい」
私は緊張が表情に出てたようで、ローレンツ様はにこりと微笑んで下さった。
「さて、僕は第三王子だけど、上に正腹の姉と王弟たる叔父が居るから王位継承権は第五位だ。妥当だと思うし、おかしな部分はない。
問題は……長兄次兄と、その後ろ盾でね。これがまあ、びっくりするほど仲が悪いんだ」
ローレンツ様は、ため息混じりで王家の現状とその周辺にまつわる諸々を話してくれた。
シュテルンベルク王家には、上から順に、第一王子レーブレヒト殿下、第二王子マンフレート殿下、第一王女のゼラフィーネ殿下、そして私の目の前にいる第三王子ローレンツ殿下と、三人の王子様と一人のお姫様がいる。
「このうち、問題となっている上のお二人は二十二歳と二十一歳で、歳が近かったのも良くなかったのだろうね、何かと影で比較されてきたのだから、お気の毒だと、僕も思うよ」
「そう、ですね……」
……もう少し何とかならかったのかなあとため息をつくお二方の弟、目の前のローレンツ殿下は十八歳になられたばかりで、聞いてる私の方が少々居たたまれないけれど、それはともかく。
今は国政の練習を兼ねてそれぞれが王室公爵として領地を与えられ、王政府の要職を任される傍ら、家臣団を組織して成果を上げているという。
それだけならば、至って普通? ……らしいけど、問題は派閥の構成比だった。
見事なまでに、王政府の中枢――文官からの支持を受けているレーブレヒト殿下。
それに対し、軍部は完全にマンフレート殿下が実権を握っているという。
但し、レーブレヒト殿下は弟に対して長幼の序を振りかざすような馬鹿ではなく、マンフレート殿下も単に兄憎しで王位を狙う愚か者ではなかった。
お陰で余計に拗れてるらしいけど……これは完全にあれだ、ワンマン社長の息子二人が専務派と常務派で跡目争いするドラマと一緒だよ。
「問題が表立ってきたのは、一昨年ぐらいかな。
リディは知ってるかな、シュテルンベルク王国は幾つか問題を抱えていて、その内の一番大きなものが、同じ三大王国の一つ、西のバウムガルテン王国との不和なんだけど……」
「いえ、存じませんでした」
……オルフのあるアールベルクは東の果てだから、新聞なんてあるわけないし、そもそも王都でも週に一回の発行だった。
だから余程大きな動きがないと、そんな大事そうな噂話さえ届かないし、日々の生活への影響は、『ない』。
衣食住にしても政治にしても、情報や噂話が届かなくてもほとんど影響がないほど、地方っていうのは自己完結してる。
例えば私の暮らしていたアールベルク管区だと、他の地方との交易が完全にストップしても、極端な話、数年ならば我慢できた。
北の銘酒が飲みたいとか南の織物が欲しいとか、不平は出るだろうけど、大きな農村も湖に面した漁村もある。
基本的な衣食住は確保できていた。
唯一のネックはアールベルク近郊じゃ産しない塩だけど、何か起きると一番最初に困りそうなのは皆知ってるからね。うちの実家も、岩塩の詰まった樽は蔵の奥にしっかり積み上げていた。
横道にそれちゃったけど、国の外交なんて、下々にとってそれぐらいには遠い世界のお話だったってこと。
……これまでは、だけど。
「国境紛争は何処の国にでも起きる問題だし、話し合いか戦争かは、もちろん状況による。
ただね、このバウムガルテンとの小競り合いについて、どちらかに天秤を傾けるには……状況も情報も出揃っていないから、まだ決め手に欠けるかな。
外交は向こうも強気だし、だからといきなり戦争を起こすのは悪手だ。
父上も決めかねておられるけれど、もちろん、即断すればいいってものじゃない。……三大国は、もう一つあるからね」
うーん……。
もう一つの大国、グロスハイム都市国家同盟は、この争いに噛んでも漁夫の利ってあるのかな?
あるんだろうなあ、大きな国だし。
まあともかく、この問題に対して、文官派は外交によるシュテルンベルクの勝利を目指し、武官派は小競り合いが長引くこの争いに武断で対処しようとしていて、それぞれの旗印が王子様なわけだ。
これで仲良くしなさいって方に無理があるとは思うけど……でも、肝心なところが聞けてない。
「あの、それで、ローレンツ様」
「なにかな?」
「ローレンツ様は現在、どのようなお立場であられるのでしょうか?
どちらの派閥にも属しておられないとお見受けいたしましたが、その……」
いいや、ぶっちゃけて聞いちゃえ。
私の遠慮なんて、たかが知れている。下手に言葉を飾っちゃ駄目だ。
「お兄様方と距離を置かれたことで、両方の派閥からご不興を買われたのですか?」
「ふふっ、結果は似たようなものだけど、それは想像の先走りすぎかな」
くすくすと笑うローレンツ様は絵になるなあと、大事なお話の最中なのに、余計なことに気を取られてしまうほど、目の前の王子様は見目麗しい。
「僕はね、リディ」
「はい」
「死にたくなかった」
「……え!?」
ローレンツ様から、表情が消えた。
「ただそれだけ、なんだ。
リディ、妾腹の王子ってさ、正腹の王子がそれぞれに力量を示しているなら、いらないんだよ。
下手な後ろ盾なんて、持とうとするだけで逆恨みを買うかもしれない。兄達と同じように、中央で仕事をこなせば……成功は嫉妬と猜疑心を呼んで、失敗すればこれ幸いと吊し上げられるだろうね。
だから、目立たず生きるのが、僕にとっての最善手になった」
……。
なんだかなあ。
宮廷陰謀でもありそうな気がしてきたけれど……っていうか、あったんだろうね。
でも、十八歳の少年が、死にたくないって理由で行動するのは、何か……とんでもなく哀しい気がする。
「……せめて姉上のように女性であったなら、ここまで気を使う必要はなかったかな。
国益に繋がる嫁ぎ先が用意されて、まあ、適当にあしらわれていたはずだ。代わりに命の心配もなくて、気楽でいられたと思う。
でも男子の場合、そうもいかない。適度な家格の家を見繕って養子や娘婿として押し込めるのは、悪手になることが多いんだ。
何と言っても王家直系の男子の血筋だからね、扱いが難しいらしいよ」
意味があるとは思えないけどねと、自嘲気味のローレンツ様。
「でも、このまま上手く行けば……そうだね、兄のどちらかが立太子するのにあわせて、王位継承権の返上と同時に適当な爵位と小さな地方領を与えられるなら万々歳だね。中央からは切り離されるだろうし、結婚や継嗣にも横槍が入るだろうと思うけど、僕にとってはそれこそ願ったり叶ったりだよ」
上手く行けば……って、ううん、覇気がなさ過ぎるというより、王都暮らしさえお嫌なのかな?
でも……。
「もう一つ、お伺いしてもよろしいですか?」
「うん、今更だ。何でもいいよ」
ちょっと勇気がいるけれど、うん、確かに今更だ。
私の今後にも大きく関わる大事な質問を、そっと唇に乗せる。
「ローレンツ様は、王様になりたいのですか?」
「……ふふっ、面と向かって僕にそれを聞いてきたのは、リディが初めてかも」
驚いた様子ながらも、ローレンツ様の表情には苦笑が浮かび、生気が戻っていた。
「もちろん、王位が欲しいと思ったことは一度もないよ。
ただ……」
「はい?」
「王子でなかったとしたら、僕はこの歳まで生きていられただろうかと思ったことは、あるね」
私は口から出そうになったため息を、すんでの所で飲み込んだ。
普段の明るい様子も、演技ではないんだろうけど。
生きることへの執着……じゃない、死への恐怖、かな?
それが普通じゃないほど、大きすぎる。
「あの、生きるって……」
「うん?」
「いえ、失礼しました。……アールブルクで暴漢に囲まれたときとか、恐くなかったんですか?」
「ああ、あの程度ならね。訓練された相手でないことはすぐに見て取れたし、明らかに敵だと分かっているなら、逆に安心するよ。
むしろ僕は、リディの落ち着き振りに驚いたね」
「……」
私の女官の試験や出世云々は、ちょっと横に置こう。
……もしかしなくても、ローレンツ様はカウンセリングが必要なほど、心の奥が病んでいらっしゃるのかもしれない。
それとも。
王族とはみんな、こんな考え方と心持ちが普通なのか。
答えが出せなくて、言葉に詰まる私だった。




