第十七話「王都の月光宮」
「うわ、大きい……」
アールブルクの街を騒がせた、政務官の横領事件が無事に解決して半月。
実家への挨拶を済ませた私は、無事にローレンツ様の一行へと加えて貰い、王都ハインスベルクに到着していた。
……残念なことに、ローレンツ様の馬車は王都の市門をくぐるとそのまま王宮に向かってしまい、私とギルベルタさんは、居館になっているというモーントリヒト離宮――月光宮へと向かっている。
「賑やかで、驚かれましたか?」
「はい、びっくりしました」
ギルベルタさんの説明と視界に入ってきた情報を私なりにかみ砕くと、王都は真ん中に巨大な王宮と貴族街を置き、アールベルクの街をたくさん並べて周り全部を囲ったような印象だった。
とにかく、とても広くて人がいっぱいで、お金で買える大概の物は揃うようなイメージかな。本当のところは分からないけど。
でも……。
きらびやかな憧れの大都会ハインスベルク!
……って思えなかったのは、たぶん、どこかに自分でもよく分からない『何か』を予感したからなのかもしれない。
「さあ、到着しましたよ。あれが月光宮です」
「わ。……洒落た造りですね」
聞いて想像していたよりも、更に小さい。
貴族街の端っこ、一等地とはとても言えない内側の城壁に近い場所に、王子様の離宮とは思えないほどこぢんまりとした――それこそ、うちの実家と大差ない小さな離宮が、私を待っていた。
造りはいい。確かにいい。
ただ、この大国の『王子様のおうち』にしては、小さいってだけだ。
「では、失礼いたします」
「はい、ありがとうございました」
馬車の荷台から、旅の荷物を全て運び出して玄関の前に積み上げると、御者のグンナーさんは丁寧に挨拶をして帰ってしまった。
『専属の御者兼厩番は、エメリッヒだけです』
『は、はあ……』
エメリッヒさんは、ローレンツ様が王宮に乗って行かれた馬車の方の御者さんだ。
道中で予め、お屋敷は小さいし使用人も少ないと聞いていたけれど、主題じゃなかったからね。今更だけど、もうちょっと詳しく聞き込んでおいてもよかったかな……。
でも、ローレンツ様にお仕えするにあたって気を付けるべき事とか、私の今後とか、大事なお話はそれこそいっぱいあったからね。
うん、時間は有限だ。
「わ……っと」
ぎいと屋敷の表玄関が開き、私達と同じく、メイドのお仕着せを身につけた中年のご婦人が現れた。
「ギルベルタ」
「ただいま戻りました、アマルベルガ様」
私も慌てて姿勢を正し、ご挨拶する。
「お初にお目に掛かります、アマルベルガ様。アールベルク管区はオルフの領主、ランドルフ・バルド・フォン・オルフが三女、リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・オルフにございます」
「モーントリヒト離宮の侍女頭、アマルベルガ・フォン・グリースバッハと申します、リヒャルディーネ様」
「……え!?」
思わず、ギルベルタさんを振り返る。
グリースバッハの名は、ギルベルタさんの……。
「ええ、母です」
「リヒャルディーネ様のことは、娘より手紙で聞いておりますよ」
ほんの少しだけ微笑んでくれたお二人は、今は職務中ですからとすぐに表情を引き締められた。
「……私、頑張りますから!」
「ええ、お願いいたしますね」
早速屋敷内の案内を兼ね、荷物の片づけをお手伝いする。
私はローレンツ様預かりの女官候補でもあるけれど、今のところは年齢のせいもあって、表向きの立場は離宮の行儀見習いにすぎない。
当面の間は、離宮の雑事のお手伝いと女官になる為のお勉強が、私の仕事となっていた。
但し……。
「月光宮内では、リヒャルディーネ様はローレンツ様に次ぐ序列となります」
「えっと……」
迂闊な返事は出来ないと固まってしまった私に、アマルベルガ様が続ける。
「リヒャルディーネ様は女官候補であり、領主家のご出身とお伺いしております。それに対しグリースバッハ家は貴族家でこそありますが、家人専業の従属家ですから……」
基本的な貴族制度は、もちろん私も頭に入れている。
王族があって、その次に上級貴族とされる五爵、その下がオルフ家のような爵位のない領主家や騎士の家になった。
もちろん、大枠では正しいけれど、細かな差は確かに……ある。
田舎だと五爵より下なら領主かどうか、王都から来た貴族かぐらいで、ほぼ区別しない。従属家という区分は、私も聞いたことがなかった。
「同じような扱いだと思っていましたけれど、王都では厳格に適用されているのですね」
「ええ、王政府での出世競争や発言力の上下に繋がることが多いのです。リヒャルディーネ様もお気をつけ下さい」
「は、はい、ありがとうございます」
これは……私への教育が、もう始まってるのかな。
うん、ちょっとは気を引き締めておいた方がいいね。
ただ、今日のところはローレンツ様がお戻りになられた時のご挨拶だけが私のお仕事のようで、明日からの生活に備えて、旅荷を解き体を休めるように言われ、宛われた個室で荷物を広げることにした。
「おおー」
まあね、数少ない着替えと小物ぐらいしか持ち込んでいないから、すぐに終わっちゃったよ。
作りつけのクローゼットが結構な上物で見事な細工に驚いたけど、よく考えれば……いくら小さくても、ここは王子殿下の離宮だったね。
与えられた部屋は一階の隅でギルベルタさんのお隣、使用人の部屋にしてはかなり広く六畳間ぐらいあるのかな、家人が少ないので気にせず一部屋使うようにと、笑顔で押し切られた。
似合うからってアールブルクの代官様にそのまま貰った仕事着――メイド服のまま、ごろんとベッドに寝転がる。
「ふう……」
期待はずれ、とまでは言わないけれど、この月光宮の住人は主人のローレンツ様、侍女頭アマルベルガ様とギルベルタさんの親子、御者のエメリッヒさん、そして、私。……五人きりだ。
大国の第三王子様のお屋敷にしては、どう考えても寂しすぎる。でも、理由はまだ聞けていなかった。
察するに……ローレンツ様はものすごく微妙な立場なんだろうな、とは思う。
自分から人を遠ざけたのかなとも思ったけれど、せめて専属の護衛ぐらいは置くだろうから、たぶん、それはない。
仲もよさげで気心が知れた風なメルヒオル様やアンスヘルム様でさえ殿下直属の部下ではなく、一時的に借り受けるのが限度だそうで、ギルベルタさんでさえもその理由は口を噤んで教えてくれそうになかった。
やんわりと、その話題から遠ざけられたなっていうのは、すぐにわかったけどね。
これは私の想像過多かもしれないけれど、このお屋敷は貴族街でも端の方で、もしかすると……ローレンツ様のお立場を、そのまま現しているのかもしれなかった。
つまり、私の出世の足がかりは、うーん……。
いやいや、駄目で元々だし、袋小路に入っちゃったかもしれないけれど、地方庁舎の資料室よりはまだ望みがある……はず。
それよりも、気にするべきは女官の試験だ。
時間のあるうちに対策でも立てられればいいんだけど、ギルベルタさんの知り合いに、誰か試験に詳しい人いないかな?
こっちは私の実力次第なわけで、本気で頑張らないとね。
▽▽▽
夕日が完全に落ちた頃になって、ローレンツ様はようやく王宮からお戻りになられた。
アマルベルガ様、ギルベルタさんと私、三人並んでお出迎えする。
「おかえりなさいませ、殿下」
「うん、ただいま」
長旅の直後だし慰労のお席でもあるのかなと思えば、メルヒオル様は商務府の官舎、アンスヘルム様は騎士団の宿舎へとそれぞれお帰りになってしまわれたそうで、お一人でのお戻りだった。
「報告書の評価が言い渡されるまで、数日はのんびり出来そうだよ」
「それはようございました」
専属の官吏や秘書さえもいない王子様は、随分とお疲れ模様で……。
夕食もそこそこに、疲れた表情で自室へと入ってしまわれたローレンツ様は、お湯も使われずそのままお休みになられてしまった。




