第十六話「守られた家訓」
ほどなく、ギルベルタさんに手を引かれたお爺ちゃんが姿を現した。
私の内心はもう、冷や汗まみれだ。
「失礼、致す」
久しぶりに見るお爺ちゃんは、いつも通りの表情だった。
ゆっくりとローレンツ様の少し手前まで歩き、ギルベルタさんの手を借りて跪く。
……男爵閣下の逮捕を聞いて、夜通し駆けてきたんだろうなあ、お爺ちゃん。
親友、なんだもんね。
「オルフ前領主、アロイス・フォン・オルフでございます」
「善き哉。立たれよ、アロイス殿。ギルベルタ、アロイス殿に椅子を」
「はい、殿下。失礼致します、アロイス様」
「お心遣い、感謝致します」
……そう言えば、食事をしながらの挨拶で、私は殿下としてのローレンツ様には跪いていなかった。ものすごく今更だけど。
お爺ちゃんが席に着くと、ローレンツ様が早速切り出した。
まとう空気が、王子様のそれになっている。
「アロイス殿。既に聞き及んでいるかもしれないが、ベーレンブルッフ男爵の逮捕は当人と謀っての偽装だ。その名誉にもその身体にも、傷は一つたりともつけていない」
「はい、殿下の侍女殿より伺っております」
これに男爵閣下が頷いて、こちらの話題は一件落着だ。
問題は、ここからだった。
「さて、アロイス殿」
「はい、殿下?」
「単刀直入に申し上げる。貴殿の孫娘、リヒャルディーネ嬢を預からせて貰えないか?」
「なんと……?」
お爺ちゃんが、ちらりと私の方を見る。
私は小さく頷くしか、出来なかった。
沈黙が、重い。
お爺ちゃんはほんの少しだけ考え込んでから、ローレンツ様に視線を合わせた。
「殿下、失礼を承知で一つ、言上させて戴きたく思いますが……」
「許す」
「この娘は、我が孫のうちで、いや、一族の中でもとびきりの大馬鹿者ですが、それでも宜しいのですか?」
「ほう?」
周囲も驚く中、お爺ちゃんはもう私のことなど眼中にない様子で、ローレンツ様と相対していた。
まあね、これだけの騒ぎに半ば自分から突っ込んでいったんだから、馬鹿呼ばわりは仕方ない。……断れないと知って、最後の手向けに叱ってくれているのかなって、少し思う。
「リヒャルディーネは……そうですな、算術は人並み以上、魔法もそこそこ、それでいて気だても悪くなく、家事仕事なども無難にこなします」
「ふむ」
「このように表看板は良くできた娘、そのままでありますな」
全然、褒められてる気がしない。
ううん、大馬鹿者って前置きがあるんだから、当たり前か。
なんかどんどん、逃げ出したくなってきたよ……。
「彼女が示してくれたものを考えるに、アロイス殿の言には大いに頷いてよいと私にも思えるが……裏があるのか?」
「はい。この娘の大馬鹿者たるところはただ一点、『変革』にございます」
「ほう?」
「幼少の折には村の子供を巻き込み、新しい遊びを考えることに夢中になっておりました。今では大人達をその気にさせ、産物に新しい発想を持ち込んで利益すら出しております。……アールブルクにて何をやらかしたかまでは聞いておりませぬが、さて、周囲の皆様の内心が平穏無事で済んだとも思えませぬ」
うわ……。
よく見られてるというか、よく把握されてるというか、流石はお爺ちゃんだ。
それに対し、ローレンツ様は笑顔で首肯した。
「アロイス殿、貴殿の言わんとすることは理解できた。試みに問うが、貴殿は彼女に手綱をつけられるか?」
「つけるだけなら、可能でありましょう。……しばらくもすれば、手綱の外し方どころか、手綱の新しい使い道でも思いついて笑っておるでしょうが」
くっくっくと、ローレンツ様の口から笑いがもれた。
「では……そうだな、私の新しい使い道とやらも、是非見つけて貰うとしよう。……宜しいか、アロイス殿?」
「殿下のお心のままに」
一礼したお爺ちゃんは、ようやく私の方に視線を合わせてくれた。
「リディ。……リヒャルディーネ」
「は、はい、『お爺様』?」
いつになく引き締まった表情に、小さく息を呑んで言葉を待つ。
「お前はもうすぐ十四だが、まだ世の中の道理を知る歳とは言い難い」
「そう、だね」
「念のため、先に言っておくが……」
「う、うん……」
「本当に殿下の使い道とやらを思いついても、絶対に実行するんじゃないぞ。お前、あれはご冗談で仰られたのだから、間違っても――」
「しないってば!!」
楽しそうな表情でお爺ちゃんは天井を見上げ、私を無視して大きく伸びをした。
ローレンツ様どころか、メルヒオル様まで笑顔になって。
アンスヘルム様は後ろを向いてしまったけれど、その肩が小刻みに震えている。
……皇帝家とか宰相の血筋とか成り上がりとか、どうでも良くなってきたよ。
なんか色々と台無しすぎて疲れ切った私は……殿下の御前であることを一時的に棚上げして、誠に不敬ながら机に突っ伏した。
▽▽▽
もう数日はローレンツ様一行もこちらに滞在して後始末に奔走されるとのことで、私はご許可を頂戴して、お爺ちゃんと一緒に一度、実家へと戻ることにした。
みんなにも挨拶したいし、次はいつ戻れるか、本当に分からないもんね。
「ねえ、お爺ちゃん」
「なんだい?」
出発が遅くなったので、今日は途中の村で一泊の予定だった。
なので私はのんびりと、借りた馬を走らせている。
「ローレンツ様と何のお話してたの?」
「そりゃあ、お前のことに決まってるだろう。この子は大馬鹿者ですが、道理を知らない子ではないからと、先に頭を下げておいたんだ」
「……」
私が実家に戻る為の荷造りをしてる間、お爺ちゃんはローレンツ様一行とお茶を飲んでいた。
別れ際、楽しそうな笑顔で握手していたから、ちょっと気になってたんだよね。
「いいんだよね、私」
「うむ?」
「家を出ちゃうこと」
「……前に教えた家訓は、覚えてるかい?」
「えっと、『帝家は再興せず、また、させず。徒に世を乱すことなかれ。だが、矜持と信義まで捨てるなかれ』……でよかったよね?」
「うむ、合ってるな」
帝家はこの際、関係ない。黙っていれば済むことだ。
別に、世の中を乱したわけでもなかった。税金を横領していた政務官の逮捕に協力したのは、悪い事じゃないと思う。
矜持と信義は……どうだろう? お仕事は真面目にやってたし、そのお陰でローレンツ様にお声を掛けて貰うことが出来た。
……うん、大丈夫じゃないかな。
「まあ、本当のところは……ちょいと早いが、嫁に出すのと変わらんからな」
「え?」
「お前、あの王子様に恋しとるんだろう?」
「ちょ、お、お爺ちゃん!?」
「家訓をしっかり守りつつ、成り上がりついでにあわよくば次の代で国をもぎ取ってやろうというその心意気、お爺ちゃんは感心したぞ!」
しゃがれた高笑いが、丘と丘の合間に響く。
お爺ちゃんなりの心遣いなのか、それとも元からこういう性格なのか。
正直なところ、お爺ちゃんがよくわからなくなってきた私だった。




