第百二話「王国の現状」
第百二話「王国の現状」
定刻にローレンツ様が御出座されて、会議はつつがなく開始された。
今日の会議は御前会議ではなく王政府の主催で、基本的には国家宰相のメルヒオル様が主務者として一切を預かる。
「本日の議題だが、南海辺境戦役全般についての王政府見解、転換せざるを得なくなった王国の今後とその展望の共有、そしてフレールスハイムの現状報告としている」
戦役の大まかな流れやその結果は、出席者のほとんどが理解している。
でもこの場でメルヒオル様が口にされるそれは、王政府の公式見解となった。
「失礼致します」
六人いる諸侯と代官、そしてフレールスハイムから呼ばれたジークリンデさんには、持ち帰り用の資料が一部づつ配られた。
これも王政府の充実、になるのかな。
たったの七部と言うなかれ。
コピー機なんてない中、これら資料をまとめ、書式に従って書き写す労力を考えれば、王政府の事務処理能力は大躍進したと言える。
ふむふむと流し読めば、基本的には私が知っている南海辺境戦役と変わりない内容だけど、なかったはずの『宣戦布告』はあったことになっていたし、当初は認めていなかった『総督の独断』による戦役の勃発も認める内容となっていた。
もちろん、情報を関係者で共有することの大事さは良く知っている。
それに新たな内容、たとえば、南シュテルンベルク王国から非公式の使者が来て、戦役の事実確認をしたという報告もあった。
「以上のように、この度の戦役によって、王国はあらゆる面で変革せざるを得ない状況となっている。確かに、戦いに勝ちはした。しかしながら、経済的には後退し、国内も混乱に陥っている。そのことは、皆も感じていただろう。……だが!!」
一連の報告の後、メルヒオル様が声を大きくされた。
「だが同時に! 大きな躍進、その足がかりも手に入れている。……この機会を逃すなどあり得ぬと心得て、次の議題を聞いて貰いたいが……ふむ、先に紹介しておこう」
メルヒオル様に促され、新たに王政府へと配属された数人が立ち上がる。
「彼らは戦役の直後、レシュフェルトに到着した新たな同胞達だ。陛下の姉君、旧王国ゾレンベルク王室公爵であられた第一王女ゼラフィーネ殿下の元家臣団の皆である」
「姉上からは旧王都出立の直前、家臣の亡命について相談を受けていた。故に我が国への到着こそ不思議ではないが……この状況下であってもなお、当地に来た全員が一人も欠けることなくレシュフェルト王国を選んでくれたことを感謝すると同時に、頼もしく思う」
長旅も長旅、バウムガルテン経由での長距離逃避行の末、貧乏暮らし確定のレシュフェルト行きを選んでくれた皆さんである。
間諜の一件はともかく、その他の皆さんには幾ら感謝しても足りない。
「フレールスハイム総督府、主席政務官を拝命いたしました、ジークリンデ・カミラ・フォン・ラウエンシュタインでございます」
「内務府、都市計画担当政務官を拝命いたしました、オスヴィンであります」
この場に呼ばれていた王政府配属の政務官、書記官らが自己紹介していく。
間諜確定のインゴルフ氏をはじめ、到着したうちの半分はフレールスハイム総督府への配属で、ここにいるのは代表して呼ばれたジークリンデさんだけだった。
また、残念ながら騎士や侍女は会議と無関係で、騎士ベルントとその妹さんも、この場にはいなかった。
是非、お顔ぐらいは見てみたかったんだけどね。
ちらりと背後に控えたヨハンさんに目をやれば、正に品定め……という雰囲気は隠し、穏やかに各々を見ては頷いていた。
私は……うん、目が合ったら微笑むとか、そんな感じに留めておこう。
これなら目立つ行動じゃないし、言い訳とか考えなくていい。
「皆の活躍には、真実、期待している。さて次に、今後の展望だが――」
戦役の報告は極短くまとめられ、休憩を挟まずに議題は二つ目、王国の展望と施策についてへと移った。
こちらも大まかな内容は既に出席者の知るところで、部分的には実行されている。
「まずはファルケンディーク周辺の堤防工事を完遂、農地の開拓を奨励する」
旧南大陸新領土管区より引き継いだ大事業だけど、ようやく完成が見えてきたところで、独立によって旧本国の支援が打ち切られ、危うく頓挫しかけたのがつい最近のことだった。
王政府にとって、赤字体質脱却と食料自給率の改善は喫緊の課題であり、民には農地を得る機会である。
「この資金については、フロイデンシュタット伯爵より献納された軍艦の売却益を当てている。伯爵には改めて感謝したい」
メルヒオル様の言葉に、小さく一礼する。
話の流れ的には、特に触れなくてもよかった気もするんだけど、この場で口にされたということは、何か意図があるのかもしれない。
皆さんの注目に、もう一度頭を下げておいた。
「予定では来年中に堤防を完成させ、その後の開拓も王政府にて補強する、としている。これらの施策により、レシュフェルト周辺の経済を活性化、発展の第一歩としたい。一朝一夕とは行かぬだろうが、各領地もこの流れに乗って貰いたい」
税については当面現状を維持、売却益の残余で民力の充実を図ることも、同時に発表された。
言うまでもなく、フレールスハイムとレシュフェルト周辺の格差はあまりにも大きい。
この差を少しでも埋め、同時に国力の充実を図りたいと、メルヒオル様は締めくくられた。
もちろん、反対意見は出なかった。
本当にこの工事とその後の農地開拓は、旧王国時代より変わらぬ悲願であり、現王国にとっては生命線なのである。
領主層への影響も大きいかな。
牽引役はファルケンディークだけど、近隣でお金が回り出して、影響を受けないはずがなかった。
「最後にフレールスハイムの状況だが、これはラウエンシュタイン主席政務官より報告して貰おう」
「はい、畏まりました」
にこやかに微笑んだジークリンデさんが、立ち上がって一礼する。
現在、フレールスハイムの人口は八千人弱、併合の混乱は最小限に抑えられたものの、緩やかな衰退は始まっていた。
「まずは現状ですが、本年度の総督府税収および諸収入の合計は、一万六千グルデン前後まで落ち込むと予想されます。砂糖税と砂糖酒税の大幅な減少は、流石に政策だけで補える限度を超えておりました。またこの試算には、フレールスハイムの衰退を食い止め、領民の生活を維持する為に行われる商税と地税の割引も含めてあります」
旧グロスハイム時代の二ヶ月と占領から併合までの二ヶ月、合計四ヶ月分の税収を抜くと、農村部の増収や商工組合の努力を考慮してなお、この数字が限界だったそうだ。
以前メルヒオル様が口にしておられたけれど、税収の半減は避けられなかった。
「続きまして、本年度の支出ですが、総督府の運営に二千、海軍ならびに衛兵隊の維持に一万一千、予備費に三千、合計一万六千グルデンを予定しております」
フレールスハイムの衰退を食い止める政策の基本方針は、支出の極端な圧縮だ。
軍隊は往時の五分の一、総督府も規模を縮小させる。
メルヒオル様達の予定していた試案を、ジークリンデさんがまとめたって感じかな。
「また、総督府の施策としての経済振興は、基本的に商税と地税の割引に集約されております」
「ご苦労だった。ラウエンシュタイン主席政務官らの手腕に、心より期待する」
「ありがとうございます、宰相閣下」
「うむ。本日の議題は以上となるが、王国は未だ国難の最中にあるとの意識を持っていただきたい。……陛下からは、何かございますか?」
「諸君の努力と精励、改めて嬉しく思う」
「はっ! 陛下のお言葉に恥じぬよう、一同これまでと変わりなき忠勤をお誓いいたします」
ローレンツ様の退出を見届け、本日の会議は解散となった。
但し、少しばかり疑問も残った私である。
「……」
ジークリンデさんの報告が余りにも簡単だった上に、メルヒオル様もそれをごく普通に受けてらっしゃったからだ。
何かの思惑があったのかもしれないし、口に出すのは憚るけどね。
「フロイデンシュタット伯爵閣下、陛下がお召しでございます」
「はい、すぐに参ります。ヨハン、後を頼みます」
「畏まりました」
会議の終了後、ほどなくギルベルタさんが現れた。
小さく目配せを受け、これは間諜絡みのお話だろうなと、姿勢を正す。
かたや経済危機、かたや間諜。
どちらも捨て置けないけれど。
ローレンツ様の負担が少しでも減るよう、気合を入れたいところだった。




