第十一話「忍び寄る影」
卸商トルベンさんのお店の倉庫でひとしきり過ごしてから、私達は商業区を抜けて繁華街へと向かった。……もちろん、ローレンツ様の手は引いたままだ。
「お昼前ですが、休憩にしましょうか。ローレンツ様のお口に合うかどうかは……正直なところ田舎町のカフェなので微妙ですが、他にお店がないのでごめんなさい」
「リディ、大丈夫ですよ。行軍中なら堅焼きパンに川の水なんて食事が三日も続く、なんてこともありますから」
「は、はあ。ローレンツ様がそう仰るなら……」
どこかずれた返事に、まあいいかと内心でため息をつきながら、街で唯一のカフェ、その実、宿屋兼酒場兼食堂という『草原の一本杉』亭へと案内する。
先日、ギルベルタさんに連れられてお茶をしているので、多少はどういうお店か知っていた。お茶が出て来るからには、カフェに違いない。
「でも、今日は混んでるかな……。あまりにもお客さんが多いようなら、一度お屋敷に戻る方がいいかもしれませんね」
「いや、待ちましょう。街中での食事なんて、滅多に出来ませんから」
「そう、なのですか?」
「え!? ええ、まあ……」
言葉を濁したローレンツ様が、あちらを向いてしまった。
王都なら、アールブルクなんて比べ物にならないぐらい色んなお店がありそうだけど、身分が高すぎて外食や買い食いをする機会がないのかな。もちろん、憶測だけどね。
五つある爵位、上から順に公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵とある中では最も格の低い男爵家でも、雲の上には違いない。それこそ、うちのような田舎領主の家とは比べるべくもないだろう。
案の定、『草原の一本杉』亭は混んでいた。
ただまあ、想像で思い描く、学院通いの女学生が優雅にお茶をしていそうな王都のカフェとは違い、商談の合間に休憩するおじさん達がお客の大半だ。
市の立つ日だから、『草原の一本杉』亭としてもかき込み時なんだろう。
「あ、空きました」
「うん」
それでもお客さんの回転は速いのか、さほど待つこともなく席を確保できた。
「お姉さん、お願いします!」
「はい、毎度! あ、オルフのお嬢様、ごきげんよう!」
「こんにちは、アニカさん。この間はどうも」
前回、このお姉さんと顔見知りらしいギルベルタさんが一緒だったせいか、顔まで覚えられていたようだ。……制服代わりの腕章付きメイド服だから、余計に目立つのかな。
「お茶と、肉と野菜のガレットを、それぞれ二つお願いします」
「毎度!」
私が勝手にメニューを決めてしまったように見えるけど、そういうわけじゃない。
おやっ、という顔のローレンツ様に弁解しておく。
「ごめんなさい。このお店、昼間はその二つとお酒しか注文できないんです。あ、おかわりは出来ますけど……」
「いえ、メニューも出てこないうちに注文を取りに来たから、少し驚いていただけです」
「アールブルクでは下町にしかお店がありません。……と言いますか、私にとっては、お店があるってだけでもすごいんですけれどね」
私の知っている都会は、日本の町並みになってしまうけれど、こちらの王都はどうなんだろう。
今考えれば、日本はすごい。人口数万人の街なんて小さい方で、電車もバスも車もあって、子供だって数十キロメートル先まで安全に日帰りで買い物行けてもそれが普通、そんな夢みたいな世界なんだよ。
それが当たり前で……当たり前すぎて、こっちに生まれ変わってからは、驚きの連続だった。
「はい、お待たせしました! 二人で六ペニヒです」
「はーい」
メニューがシンプルな分、お品が出てくるのも早い。ファーストフードそのまんまだ。
ペニヒ銅貨を『七』枚数えて、アニカさんに手渡す。
「ひのふのみ……っと、毎度あり! ごゆっくり、お二人さん!」
「もう、アニカさん!」
騎士様なんだから、からかっちゃだめだよ。
そういえば、チップなんて習慣も、知識としては知っていても日本じゃなかったね。
「さあ、どうぞ。熱いうちの方が美味しいですよ」
「……ええ、ありがとう」
ちらっと私の背後、お店の外を見てから、ローレンツ様はガレットを眺め、テーブルに目をやった。
ああ、フォークとナイフを探してたのかと気づく。
「もしかして、ガレットは初めてでした? これは巻いて食べるんです。……手で」
「巻く……ああ、なるほど」
「お手軽なんですよ。実家にいた頃は、焼いた生地と具の入ったバスケットを、父の仕事先まで届けたりしてました」
くるっと巻いてから、先にかぶりつくと、ローレンツ様も頷いてくれた。
ガレットは、お皿に乗ってるときは平たい。でも、くるっと巻いちゃえば片手で食べられる。
生地は小麦粉だけでも作れるけれど、大概はそば粉かそば粉主体の雑穀が混ぜてあってお安く済むし、具だけ変えれば毎日でも飽きない。
「へえ、少し濃い味だけど、これはなかなか美味しい」
「このお店、味付けがいいから夜の酒場も繁盛してるんです」
えー、つまりは庶民の軽食であって、貴族様の口に入ることは、たぶんないわけだ。……私はアールブルクとうちの村しか世間を知らないので、地方食の可能性もあるけどね。
「……もう一個、お召し上がりになられますか?」
「いえ、十分ですよ。見かけよりもお腹が膨れますね」
「ええ、まあ……」
同じだけ食べてしまったけど、私は……育ち盛りってことにしておこう。脇腹のお肉のことは、横に置いておく。
それにしても、よ。
私はローレンツ様が、朝から周囲を気にしてるのがちょっと気にかかっていた。
私が気づくほどあからさま、なのかどうかは分からないけれど、直接聞いてみるほうがいいのかどうかも迷いどころだ。
ほら、今だって窓の外を気にしてるし。
一応、案内役ってことになってるから、失礼には当たらない、とは思うけど……。
いいや、聞いちゃえ。
「あの、ローレンツ様。……気になることでもあるのですか?」
「ん? ああ、申し訳ない。つい癖で……」
「癖?」
「あ、いや、仕事の方で……ああっと、その、尾行の訓練などもあるのです。騎士の訓練ではね」
慌てた様子で言い訳っぽいものを口にするローレンツ様に、あらっと見とれてしまう私だった。
素のお顔、初めて見せてくれたよ。
見かけは二十歳前、いかにも名家のお坊ちゃんって雰囲気なのに、騎士っぽい態度は様になっていたりでどこかちぐはぐだなあ、なんて思っていたけれど、もしかして、中身は年相応なのに無理して格好つけてたのかな?
そう思い至ったところで、気が付いたこともあった。
私達には迷惑な箔付けの地方行脚も、王都でぬくぬくと育った貴族のお坊ちゃんには、将来必要なものがいっぱい詰まった重要なイベントなんだ。
お目付け役の部下を付けられていても、リーダーとして全部一人で判断しなきゃ、少人数でも動けなくなってしまう。
経験が人を作る、なんて格言もあったっけ。
……いるかどうか知らないけど、実は弟と後継者争いしてて暗殺を警戒してるなんてことはない、ってことにしておこう。
流石にここまで行くと、私の想像力がファンタジー過ぎるだろう。
いくら剣と魔法の異世界だからって、そんなもんがそうそうあってはたまらない。
そりゃあ、現役時代のうちのお爺ちゃんのように、護衛を受けるのも仕事の内なら、自分から危ないものに近づいてるんだから行き会う確率だって高いはずだ。
それに比べて私は単に、親元を離れて庁舎で本の修理をしているだけのただの少女だ。今だって、お気楽旅のお坊ちゃんを案内してるだけで、街の外にすら出ていない。
だから、確率は低いはずなんだけど、うーん……。
「どうか、しましたか?」
「いいえ、大丈夫です。なんでもありません」
うん、きっとそうだ。何でもないに違いない。そういうことに、しておこう。
「じゃあ次は、工房街の方に行きましょうか。うちの村の革職人が修行してた工房があって、今も仲良くしてもらってるんです」
「はい、お願いします」
お互いに、なんでもないですよって顔で、席を立つ。
……ただねえ。
困ったことに、私も辻の影に誰かがいると、気が付いてしまっていた。
これ見よがしにそちらに視線を向け、手出しするならしてみなさいという気持ちで右手の指輪を意識する。
私だってまだこの街に来てひと月ほどで、路地や裏道に慣れてるってわけじゃない。
それでも、このひと月の内に挨拶回りした場所を、もう忘れてるってこともなかった。
まあ、ここは……安全第一だよね。
幾ら魔法が得意でも、私は魔法で『戦う』のが得意なわけじゃない。
未だにお爺ちゃんからは笑顔のままあしらわれる程度で、上手だとは褒めて貰えるけれどなかなか複雑だ。
「……」
「……」
ローレンツ様は、相変わらず後ろを気にしていた。
遠回りを知りながら、人通りの多い大きな通りをゆっくりと――ローレンツ様と手を繋いだまま歩き、工房街へと入る。
辻を曲がって三軒目、盾の意匠の鉄看板が目印だったはず……。
「ゲオルグ親方、こんにちは!」
「おう!? おお、クラウスの大旦那んとこの……」
ゲオルグ親方はお爺ちゃんの昔なじみで、鎧や盾のような武具を作る職人さんだ。もういいお年だから、半ば引退されてるけどね。
「リヒャルディーネです」
「おお、そうだったそうだった」
ぽんと手を打った親方は、鉄の引っ張り具を置いて作りかけの小盾を裏返した。
「親方、ちょっとだけ、お邪魔してもいいですか? 出来れば、帰りは裏口から出して貰えると嬉しいんですが……」
「……愛の逃避行ってやつか? ははは、血は争えねえなあ!」
「違います!」
そう言えば、手を繋いだままだった。
……お爺ちゃんも似たようなこと、やらかしたんだろうか。
すごく気になるけど、また暇な時に聞きに来よう。
「裏口はいつでも開いてらあ。好きに使いな!」
「ありがとうございます! さあローレンツ様、はやく!」
「あ、ああ……」
私は微妙な顔つきのローレンツ様を、さあさあと引っ張った。
「もう大丈夫、とまでは言いませんけれど、とりあえず、お屋敷に帰りましょう」
「そう、だね……」
追っ手が一人なら、これで撒けたはず。
二人以上でも、最低一人は脱落してることになる。
あとはとっとと、帰るだけだ。
ローレンツ様は相変わらず後ろを気にしていたけれど、私は気にせず手を引いて、一路代官屋敷を目指した。
「あと少しです。戻ったら、お茶でも淹れて貰いましょうか」
「……ああ、リディの言うとおり、それがいいですね」
「気疲れ、なさいました?」
「まあ、そんなところです」
やれやれ顔……というには、多少苦笑いの度合いが過ぎる表情で、ローレンツ様は頷いた。




