第九十七話「憂いを秘めた帰国」
第九十七話「憂いを秘めた帰国」
ほぼ丸々ひと月お留守にしていたノイエフレーリヒに戻れたのは、麦刈月も二十日を過ぎてからだった。
これでようやくのんびり……ってわけにも行かないけれど、ノイエフレーリヒでの戦いに端を発した南海辺境戦役と、それに付随する諸事は大体片付いている。
「領主様のお戻りだあ!」
「お帰りなさい!」
「伯爵様ばんざーい!」
王政府で荷馬車を二台借りて全員の荷物を積み、徒歩でぞろぞろと一刻弱。
戻ったのは漁に忙しいはずの昼過ぎだったのに、驚くほど大勢に出迎えられた。
領外からの応援も、まだ残ってくれている。
「よう、リディお嬢! 家、ありがとな!」
「お疲れさんだったねえ」
「ザムエルさん! オクタヴィアさん!」
王政府が仮に運用しているアドミラル・ハイドカンプ号に乗せて貰ったから、昨日は直接、王都に戻っていた。
昨日の内に連絡を入れて貰っていたし、こっちもフレールスハイム商工組合の船員さんや、うちの領民を同行していたから、領主の館周辺は、あり得ないぐらいの混雑振りになってしまっている。
「おう、お前らも無事だったか!」
「当たり前だろ!」
アドミラル・ハイドカンプ号には、ノイエフレーリヒからも船員を出していた。……お給金が出ているので、ある意味出稼ぎかな。
大きな船に乗れるのが嬉しいとか、カンを取り戻すからって、みんな喜んで応募してたらしい。
必ず漁で稼がなきゃいけないってこともないし、この大騒動の中じゃ、頼もしい限りだった。
「皆さん、ただいま戻りました! えっと……陞爵とか領地拝領の報告もしなきゃならないんですが、至急の案件を先に! こちらの皆さんは、修理が終わった『シュトッシュ』号に乗り組むフレールスハイム商工組合の船員さん達です! 申し訳ないんですが、シュトッシュ号は明日送り出しますので、協力をお願いします!」
「おう、任せな!」
「連絡は先に貰ってたからね、安心おし」
「ありがとうございます!」
ファルコさんとイゾルデさんの力強い言葉に、頷いて笑顔を返す。
荷物を一旦領主館に持っていこうとすれば、既にヨハンさんとクリスタさんが待ち構えていた。
「ただいま、ヨハン、クリスタ」
「お帰りなさいませ、お館様」
「お疲れ様でございました」
増えた領地のことも、留守中の我が家の状況確認も後回しだ。
……もちろん、『クリスタさん』に関わる謀略の事も。
とにかく、シュトッシュ号を無事に送り出さなきゃ、落ち着いて話も出来ない。
「シュトッシュ号を先に浮かべてしまいますから、その間に出航の準備とか皆さんのお昼とかお願いします!」
「マルガレーテ、頼んだよ」
「はいよ、婆ちゃん。あんた方、荷物はどっかに降ろして、うちの店でなんか食べてきな」
「お前ら、今日の漁はなしだ! 備品の点検と運び出しにかかれ!」
「おう!」
「じゃあ、行ってきますねー!」
今日明日は、これで潰れるかな。
船の修理と送り出しは三回目だし、うちには元々『海の男』が多い。
その点での不安はなかったけれど、どうにも謀略のことが頭の中をちらつく。
気分を切り替えなきゃ、と思うものの、これがなかかな上手く行かなかった。
▽▽▽
ジークリンデさんからの、『一行に間諜が混じっている』という手紙は、私をほとほと困らせていた。
もちろん、すぐにローレンツ様達に相談しようとしたんだけどね。
王女殿下派一行は、既に新しい人事へと組み入れられていて、こっそりと接触できない状況になっていた。
メルヒオル様のいる王政府には、元司法官で間諜確定のインゴルフ氏の他、八人が忙しく書類仕事を片付けている。とても雑談や人払いがお願い出来る雰囲気じゃなかった。
フレールスハイム総督府も、主席政務官ジークリンデさん以下、移民組の方が多くなっている。
昼はもちろん視察絡みの書類仕事や話し合いで忙しいし、時間ばかりが過ぎていく。
ようやくその機会が得られたのは、日程終了の直前、視察を労おうと、ローレンツ様からお茶に呼ばれた時だった。
『それは捨て置けないな。だが……』
『はい。動きようがなくて、困っていたんです』
『メルヒオルとアンスヘルムには、私から告げておくよ』
とりあえず報告は出来たけど、ローレンツ様も動けない。
一番困るのが、警戒されて尻尾を隠されてしまうことだった。
全員を疑うべきじゃないのは……頭じゃ理解出来てるけど、どうしたって気分が萎えてくる。
しかも一気に二十人、混乱するなと言う方が無理だ。
そして、あんまり考えたくはないし、疑い出せばきりがないけれど。
ジークリンデさんって、本当に信用していいのかな?
とも、少しだけ思っていた私だった。
『リディは……そうだね、今は領地のことに専念してくれればいい。それこそが隠れ蓑にもなる』
『畏まりました。……絶対に、守ってみせます』
『うん、頼んだよ』
領内の安全に気を配りつつ、ローレンツ様の指示を待つことに決まったけれど。
うーん……。
どうにもこうにも、もやもやが晴れない。
ヨハンさんやクリスタさんに話すのは気が重いけど、黙ってるわけにも行かないし。
でも、ここで逃げてちゃ人としても領主としても、駄目な気がしていた私だった。
▽▽▽
昼の内は作業に専念し、夜は報告と慰労を兼ねて『南の風』亭で夜遅くまで乾杯を繰り返し……。
翌日夕方、無事に出航するシュトッシュ号を見送って、ノイエフレーリヒは人が減った分だけ静かになった。
前は四隻並んでいた軍艦も残るは一隻、とてもよく目立つ。
戦列艦カローラは、レシュフェルト海軍の軍艦としてフレールスハイムに配属された。
巡航艦シュトッシュはつい先ほど出航、フレールスハイム商業組合の共同運航船になる。
アドミラル・ハイドカンプ号は、今は王政府が仮に運用しているけれど、ヘニング船長の『白の海風』へと売却が決まっていた。
そして我が家に残されたのが、マクシミリアン・リープクネヒト号である。
「さて、領主様よ。……執事殿とも相談したんだがよ、あれ、先に修理しちまわねえか?」
「お館様、わたくしめも賛成いたします。財政面から申しましても、今を逃せば機会を喪いますぞ」
「うーん……」
修理したいのは私も同じなんだけどね、残念ながら、フロイデンシュタット家に残る財貨は五百グルデンほどと聞かされていた。
一千グルテンは必要な修理代金には、ちょっと足りないかな。
でも、船に乗りたくてしょうがないファルコさんはともかく、ヨハンさんまで巡航艦の修理を優先したいというので、きちんと理由を聞くことにする。
「船があり、船乗りも揃っておるのです。これを遊ばせておくのは、財政厳しき我が家として、見過ごせるものではありませぬな」
「でも……」
「あんたが気にしてんのは修理代か? リンテレンから呼んでる職人連中の給金を削るわけにゃ行くめえが、領民の俺達なら後払いでもいいぜ。何なら自前で稼いでやるよ」
それもなんだか、情けないような……。
でも、ヨハンさんが言うように、財政の好転が見込めることも間違いない。
船は金食い虫だけど、まともに動かせばフロイデンシュタット領の税収どころじゃないお金を生んでくれる。
もちろん、早いに越した事はなかった。
「この間、フレールスハイムに行ったろ? あん時、港のルーカスと渡りはつけといた。しばらくは、メッセンハウゼンやミューリッツと往復する船が足りねえらしい。……豪商どもが、航路ごと消えやがったからな」
なるほど、今なら定期便として確実に仕事があるわけだ。
ついでに言えば、自前で交易品を売買するのと違って、荷主から船荷を集めるから、初期投資が限りなく少なく済むのもありがたい。
「現状のままでも、領地の開発展望は悪くございませぬ。当然の事ながら、一時的に当家の財政は苦しいものともなりましょうが、領民収入の飛躍が望める上に、投機的というほどの危険もなし。これでは流石のわたくしめも、お勧めしないわけにはいきませぬ」
「……」
「無論、イゾルデ殿にも、既に話を通してあります」
まったくもう、一体誰が領主なのやら。
それに、周囲で私達のやり取りを見守る漁師衆の目つきが、トロップフェンの酒杯を見た時のような期待に満ちている。
これじゃあ、断れるわけがない。
「じゃあ、船の事は、ファルコさんに任せます」
「よっしゃあ!!」
「やりましたね、おやっさん!」
「そうと決まりゃあ、修理を急ぐぞ!」
「おう!」
みんな、嬉しそうだ。
……はあ、子供みたいに喜んじゃって。
気持ちは分かるけど、盛り上がりすぎである。
「但し!!」
「おう……?」
申し訳ないけれど、釘だけは刺しておこう。
私にも譲れない部分はある。
船主は、私だ。
「航海日誌と、収支を書き入れた帳簿! これは絶対に、書いて貰いますからね!」
「お、おう……」
急にしおしおと肩を落としたファルコさんに、思わずふき出してしまった。
どうしても無理そうなら、誰か雇ってもいいだろう。……今は黙っとくけど。
しばらく難しい顔をしていたファルコさんが、冷や汗を掻きながら私の方を向いた。
「そ、そうだ、領主様よ」
「はい?」
「名前、考えといてくれや。マクシミリアン・リープクネヒトってのは、ちょっとなあ……」
「お館様、マクシミリアン・リープクネヒトはその昔、船持ち商人として名を馳せ、グロスハイム建国にも関わった人物でございます。流石にレシュフェルト船籍の船には、相応しくないかと存じます」
名前かあ……。
就航前には決めてしまわないといけないけれど、どんな名前がいいのか、よく分からない。
でも、今日のところはこれも後回しだ。
謀略への対応は今夜、ザムエルさん夫婦にも加わって貰い、じっくりと話し合う予定にしていた。




