第九十六話「生キャラメルと包み紙」
第九十六話「生キャラメルと包み紙」
「アリーセ、本当に久しぶりね! 元気そうで安心したわ!」
「あの、ジークリンデ様は何故ここに……!?」
ジークリンデさんからぎゅっと抱きしめられて困惑気味のアリーセが、視線をうろうろとさせている。
……普段がきりっとしてる分、その様子がかわいい。
「さあ、どうしてかしらね?」
「え!?」
くすくすと笑うジークリンデさんだけど、この場で話すことじゃないって雰囲気も感じ取ったので、フレールスハイム総督府改め『ズッカークーヘン』離宮――糖菓宮へと、場所を移すことにした。
砂糖菓子の離宮なんて、なんだかかわいすぎるけど……。
『私があまり、政治の表に出ないのと同じ理由だよ。うまく誤解してくれるといいんだけどね』
名付けたローレンツ様曰く、国外、特にグロスハイムや南北シュテルンベルクに対する欺瞞であると同時に、砂糖産業への期待を示しているそうだ。
……第三王子であられた頃、功績を挙げすぎても失敗してもよくないという微妙なお立場だったローレンツ様である。
現在のレシュフェルト王国も似たような位置にあり、フレールスハイムの獲得は、少々やりすぎの部類に入ってしまっていた。
イルムヒルデさんにお礼を言って商工組合を辞し、そのままぞろぞろと、糖菓宮へ向かう。
船への連絡には一行から人を出して貰い、申し訳ないけれど、離宮にはもう一度クリストフに走って貰った。
「暖かいわね、こちらは」
「はい。冬着は出番がありませんわ」
ジークリンデさんとアリーセが、言葉少なに会話を交わす。
このご一行が間諜じゃないのは、間違いないだろう。
ジークリンデさんがアリーセに向けた笑顔を見て、ものすごく安心した様子に変わっていた。
ただ、アリーセを頼ってこちらに来たというのとも、少し違う感じがする。
もちろん、人払いがされた糖菓宮の会議室で、すぐに種明かしされたけどね。
「アリーセに会いたかったのも本当だけど、本題はこれよ」
「失礼します。……あっ! すぐにお知らせして参ります!」
「ええ、お願いね」
ジークリンデさんから書状を渡されたアリーセが、慌ててローレンツ様とメルヒオル様を呼びに行く。
書状の自著には『ゼラフィーネ・クリスティン・フォン・ゾレンベルク』と、行方不明中の元シュテルンベルク王国第一王女殿下の御名が記してあった。
……言うまでもなく、うちの執事ヨハンさんの孫娘『クリスタ』さんのことである。
つまり、ジークリンデさんはアリーセの知り合いであることも間違いないけれど、ゾレンベルク王室公爵領を切り盛りしていた王女殿下の元家臣でもあるってことで……。
王都でローレンツ様へのお手紙をお預かりした時、うちの子達のことをよろしくねとも頼まれていた。
そこから話はとんとん拍子と言うか、疑うこと自体が不必要になり、すぐにローレンツ様への謁見が許された。
最初からこっちに来るって分かってる人達だし、人口数万を誇る巨大な公爵領を切り盛りしていた文官を中心とした一団で、レシュフェルトにやってきた理由がこれ以上もなく明白だったからね。
紹介状だけで信頼するってどうかなあと思わなくもないけれど、拠り所になる情報や根拠って、現代社会でも履歴書とか身分証とか……あんまり変わらないような気もしている私だった。
「なるほど、ゾレンベルク領を去るのも仕掛けの内であったと?」
「はい、正に。領内で要職にあった者は大公の家臣に席を奪われましたゆえ、上手く去ることが出来たのですが……。中堅以下の官吏やゾレンベルク出身者を匿いつつ逃げるのは、大変でございました」
ちなみにジークリンデさんは第一陣なのだそうで、王女殿下の元部下達は、『数年掛けて』少しづつやってくるらしい。
うちにも来て欲しいけど、もう一度、ヨハンさんとクリスタさんの意見を聞いてからかな。
「ふむ。……小国ゆえな、希望の全てを叶えるとは行かないが、手厚くさせて貰おう」
「感謝いたします、陛下」
もちろんこの場じゃ、王女殿下がノイエフレーリヒにいらっしゃいますよなんて言えない。
とりあえず、王政府の文官不足は多少なりとも解消されそうで、それだけは朗報だった。
数日掛けて希望の聞き取りなどが行われ、ジークリンデさん達はレシュフェルトに寄る辺を得ていった。
半数はフレールスハイムに、残りは王政府に勤め先を得ていて、政務官に書記官、侍従侍女、騎士団員など、元のお仕事に近い職場が選ばれている。
数人は、元の身分とまでは行かなかったけれど、貴族籍を与えられていた。
もちろんジークリンデさん――ジークリンデ・カミラ・フォン・ラウエンシュタインさんもその一人だ。
「でもジークリンデさん。いきなり総督府の主席政務官に指名されて、これから大変なんじゃ……」
「宰相閣下のご推薦とアリーセの口添えで、国王陛下がお認め下さったのだもの。全力で頑張るわ。こう見えてわたくし、ゾレンベルクでは商務担当政務官だったのよ」
「わ、すごいです!」
ジークリンデさんは、メルヒオル様がこちらにいらっしゃる間は待命中ってことになるのかな、総督職は置かれないことになっていたから、実質的にフレールスハイムの総責任者になる。
アリーセの魔法女学院時代の先輩だと紹介されてから、仲良くさせて貰っていた。
書類仕事の合間に、お茶をご一緒することも多い。……というか、生キャラメルを振舞ったらものすごく懐かれた。
「んー、美味しいわ!」
「……くれぐれも、レシピは総督府内で管理して下さいね」
「もちろんよ!」
大都市、すごいね。
総督府が管理する牧場で、馬に混じって牛が飼われてた。上客の歓待に欠かせない料理や菓子に必要とのことで、これは完全に盲点だったよ。
思わず伯爵閣下の『権力』を使いそうになったけど、今はそれどころじゃないと、我慢……じゃなくて、自重している。
ちょっと厨房にお願いして、ローレンツ様の為の茶菓子を作るって名目で砂糖と牛乳とバターを手に入れ、生キャラメルの試作品をアリーセやギルベルタさん、ジークリンデさん達に振舞ったら、ものの見事に食いつかれていた。
「はい、グレーテとクリストフも」
「ありがとうございます」
「いっただっきまーす!」
ギルベルタさんがものすごく驚いてたけど、まさか、キャラメルが北大陸にある某老舗菓子店の秘伝だとは思わなかったよ。……お陰でお外に出せなくなってしまった。
温度管理がちょっと大変だけど、煮詰める途中の泡の出具合でお鍋の温度を覚えるって裏技を知ってからは、私の中じゃ、それほど難しいレシピじゃなくなっているんだけどね。
「そうだわ、リディ」
「はい、なんでしょう?」
ちらっと周囲を見回したジークリンデさんが、私に耳を寄せてくる。
その手が私に伸びてきて、小さな紙片――生キャラメルに使った包み紙を握らせていった。
「アリーセと宰相閣下、何処まで進んでいるのかしら?」
その質問と表情に落差がありすぎて、体がびくんと緊張した。
縋るような、それでいて射抜くような目で見つめられる。
「えーっと……」
「そう、ご存じないなら仕方ないわね」
「あはは、ごめんなさい。最近はお仕事の話ばかりで……」
強引に話を打ち切られたことで、何かの厄介ごとなんだと、直感した。
ノイエフレーリヒでの戦いに端を発した騒動も、これでようやく一段落したところだし、領地のことも気になるのに……。
もちろん、放置も出来ない。
午後のお茶を終えて寮の自室に戻ってから包み紙に目を通した私は、大きくため息をつくことになった。
「……【浮遊】、【小炎】」
これはお外に出せないなあと、紙片を宙に浮かべて灰にする。
ほんとに放っておくわけに行かなくなっちゃったっていうか、私も無関係じゃいられない内容だ。
「あーあ……」
私の口からは、もう一度、大きなため息が漏れた。
▽▽▽
お願い、助けて!
わたくし達の一行に、公国の間諜が複数紛れています。
一人は元書記官の『インゴルフ』と特定しましたが、一行の誰かと連絡を取っている様子で、そのもう一人が分かりませんでした。
アリーセには話してありますが、わたくしも監視されていて、この件ではわたくしと旧知で接触機会の多い彼女も動けません。
また、第二陣以降にも間諜が含まれている可能性があります。
こちらにいらっしゃるヨハン殿とその周囲には、何があっても近づけたくありません。
どうか、どうか、よろしくお願い致します!




