第九十五話「西から来た移民者」
第九十五話「西から来た移民者」
視察は半月を予定していたけれど、あっと言う間に半分が過ぎた。
うちの村を含むレシュフェルト本国の各地から山羊を取り寄せる手配をしたり、こちらに残すリフィッシュのレシピを書き起こしたり……。
商業組合には、二日に一回顔を出している。
……決して、イルムヒルデさんが砂糖たっぷりのお茶菓子を出してくれるからじゃない。
修理が出来た二隻目の巡航艦にちょっとした問題が発生して、頭を抱える羽目になっていた。
「ではお戻りになる時、うちの船員候補達も同道させていただくようお願いいたしますわね」
「はい、もちろん」
船台から海への移動が、どうやっても出来なかったのである。
レシュフェルトで船を動かせるほどの魔力を持っているのは、フレールスハイムにいる私とアリーセだけだった。
修繕費圧縮最優先の魔力全開で船台を作ったから、これは仕方がない。
幸い、商業組合の方も船員の募集を掛けたばかりだったので、タイミングを合せて貰うことにした。
「邪魔するぜ、イルムヒルデ。……っと、伯爵閣下もこちらでしたか、丁度いいや!」
「どうしたの、ルーカス?」
入ってきたのは、つい先日港の責任者に指名されたルーカスさんだ。
本業は荷運び人足のお頭で、余計な仕事が増えるって随分とごねていた。
「さっき港に入った船だが、目的地はレシュフェルトらしい」
「へえ? 総督府からは何も聞いてないよ」
私に視線が向いたけれど、首を横に振る。
現状、王国の船以外じゃホヴァルツ号だけしか王国を目指さないはずだし、私もそんな話は聞いていない。
「あの、どこの船ですか?」
「船籍は南バウムガルテン、移民を乗せてるそうですぜ」
「バウムガルテンから、移民……?」
「たぶん、最低でも一人は貴族が乗ってるはずです」
バウムガルテンは四つの国に分割され、二国対二国で内戦中だった。
長い名前だったり同じ名前の国が二つあったりで、便宜上、首都の位置から東西南北をつけて区別されている。
そのうちの南バウムガルテンは、内海に面した国で勢力は三番目、前王の長女を旗頭にする二番目に大きな西バウムガルテンと同盟を結んでいた。
でもねえ。
なんでまた、わざわざバウムガルテンからレシュフェルトに来たんだろう?
あからさまに怪しいようにも思うものの、戦争で難民が流れてくる可能性とその取り込みについては、以前の会議で聞いた覚えがある。
貴族かどうかは、少し横に置こう。
バウムガルテンとは経済的にも政治的にも関係がないけど、柵もない上に距離も遠いから、逃げるなら丁度いいのかもしれない。
でもねえ……。
「行ってみますかい?」
面白そうな表情でにやっと笑ったルーカスさんに、それもそうだなあと頷く。
移民は私の担当じゃないけれど、話を聞いてみたくもあった。
興味をそそられたのか、ついてくるというイルムヒルデさんも連れ、倉庫が立ち並ぶ大通りをぐるっと回り込んで近道を歩き、桟橋の並ぶ港へ向かう。
「なあグレーテ。俺達も移民なのに、あんまり移民って感じじゃないよな?」
「そうね、お嬢様に会いに来たってだけだものね」
私も、ローレンツ様の『転勤先』がこっちだった、ってだけで、あまり感慨はない。
北大陸の端から南大陸の端への移動になったけど、これはこれで、楽しかった……と思えるのは、幸運に恵まれていたからかもね。
「ああ、あの船でさぁ」
ルーカスさんが指で示した先で、一枚帆の小型商船が荷役中だった。
フラウエンロープ号と同じぐらいかな、最近で見慣れた軍艦に比べれば、随分と小さく感じてしまう。
「あれ、大将?」
「どうかしやした?」
「いや、お客さんの案内だ」
貨物の到着待ちなのか、荷運び組と船員達が混じりあい、地べたに座り込んで古びたカードを囲んでいた。
のんびりとしたものだけど、あくせくしていないところは、現代社会より素敵だなと思うことも多い。
「移民と聞いたからな。貴族様が乗ってるなら、挨拶ぐらいはいるだろ?」
「……ああ、そりゃあ」
「確かに」
「おい、誰か姫さんにお知らせしてこい!」
「へい!」
イルムヒルデさんが同行している意味に気付いたのか、二人ほどが渡り板を駆けていった。
まあ、貴族相手だからってただの移民者には商工組合の代表が一々挨拶しないはずだし、何らかの情報収集か、間諜を警戒して組合が動いた、って感じに見えるのかもね。
まだ混乱から抜けきれたとは言えないレシュフェルト王国への『移民』は、やっぱり奇異に思えるだろうし……。
しばらくして、屈強な青年を連れた二十歳ぐらいのお嬢様が、渡り板の向こうに現れた。
いや、お衣装は庶民の娘風なんだけどね。なんというか……アリーセに私の服を着せたような、酷い違和感に満ちている。
「どうかなさいまして?」
「お初にお目にかかります。わたくしはフレールスハイム商工組合の代表、イルムヒルデと申します。遠路バウムガルテンからの移民とお聞き致しまして、少しお話でもお伺いできればと。もちろんお困りごとがございましたら、ご相談も承っておりますわ」
「あら、嬉しい! わたくしも、こちらのお話を伺いたいと思っておりましたのよ。……失礼、イルムヒルデ殿。わたくしはジークリンデ、家名を捨てた元貴族ですので、お気遣いは不要ですわ」
初対面のお手本のようなやり取りの後、ジークリンデさんとその一行は、商工組合でお茶をすることになった。
元侍女とか元家臣と名乗る数人が、追加で呼ばれる。
ちなみに私は、イルムヒルデさんを隠れ蓑にして、下働きの娘ポジションで目立たないようにしていた。
『伯爵閣下には、万が一の切り札としてお控えいただけると助かります』
権力を笠に着て……って感じではなかったので、どうぞと頷いている。
私は移民に来た人達の様子を見たかっただけだし、クリストフとグレーテにも大人しくしているよう言い含めておいた。
「それにしても、驚かされましたわ。戦争が起きたかと思うと、すぐに条約が結ばれて……」
「ええ。わたくし達も、十分驚かされましたわ」
人数が少し多くなったので、応接室ではなく小さめの会議室が宛がわれた。
もちろん私は、イルムヒルデさんの後ろに立っている。
「ですが、バウムガルテンも内戦の真っ最中と耳にしております。さぞ、苦労されたのでは?」
「わたくしの居た南バウムガルテンは戦の気配も薄く、命の心配はあまりありませんでしたの。……物の値段は大層上がって困りましたが、北部に比べれば、まだましでしたわ」
皆さんはそれぞれの表情でイルムヒルデさんの様子を見ていたけれど、時折、私の方にも視線がやってきた。
睨まれたり顔を顰められることがない代わりに、腰の魔法杖へと目をやられることが多い。
……護衛って誤解して貰えると、多少気楽かな。
軽く北大陸と南大陸の近況が交わされ、しばらくして茶杯が新しいものに替えられた。
ここからが本題かな。
少しだけ、場に緊張が走った。
「わたくし達は、旅を途中で切り上げるわけにはいかなかったんですの。目的地は、当初よりレシュフェルトの王都でしたので」
バウムガルテンからの貴族の移民なのに、レシュフェルトが目的地って、どういうことだろう?
いや、絶対にないとはいわないけれど、そこだけ聞くと、明らかにおかしな話に思えてしまう。
ここは是非とも、ジークリンデさんに理由を語って貰わないと……。
「それはまた……」
「ええ。国王陛下に付き従ってこちらに来ているはずの、アリーセという者に連絡を取れるといいのですが……。どうあっても王都レシュフェルトに向かい、彼女に会わねばなりません」
ふうとため息をついたジークリンデさんだけど、アリーセの名前が出たことで、逆にイルムヒルデさんや私には、緊張が走った。
「……そのアリーセ様とは、もしや、王国女官長のアリーセ・フォン・ヴォルフェンビュッテル様でらっしゃいますか?」
「ええ、アリーセ・フォン・ヴォルフェンビュッテルですわ! ご存知なの、イルムヒルデ殿!?」
「はい、存じ上げておりますが……」
イルムヒルデさんが、困った顔で私を見上げた。
これじゃあ間諜の疑いがどうのとか、移民の理由を聞き出してこうの、という想定は意味がない。
むしろ、この場面でアリーセの名を出したジークリンデさんには、手厚く便宜を図った方がいいはずだ。
もちろん、ジークリンデさんと顔を合せた時のアリーセの反応次第だけどね。
「……お願いしてもよろしゅうございます?」
「はい、もちろん」
イルムヒルデさんが苦笑気味に降参したので、私は長いソファの横に出た。
落ち着いて考える時間は十分にあったから、慌てたりはしない。
不思議そうな様子のジークリンデさん達に小さく一礼し、クリストフを手招きする。
「クリストフ」
「はい、お館様!」
「アリーセに伝言。『商工組合、客人、大至急!』」
「了解!」
その間にグレーテが私の斜め後ろ、控える場所に位置取りを変えた。
……切り替えの速さは、私こそ見習うべきかもしれない。
ちなみにジークリンデさんの名前は、わざと伝言に含めなかった。
保険、ってほどでもないけど、一応ね。
「あの、貴女は?」
「ご挨拶が遅れましたこと、お詫び申し上げます」
ジークリンデさんは元貴族と名乗っていたけれど、アリーセを呼び捨てに出来る立場だったことは間違いない。
そこは少し気をつけておいた方が、心象はよくなる……かなあ。
不意打ちには違いないし。
「わたくしは旧シュテルンベルク王国女官職三等官、レシュフェルト王国伯爵リヒャルディーネ・ケートヒェン・フォン・フロイデンシュタットと申します。アリーセ女官長は現在、フレールスハイムにおりますので、すぐに現れると思います」
「……伯爵閣下!?」
「はい」
いや、ほんとに伯爵ですよーと、懸命に胸を張る。
イルムヒルデさんが満面の笑みで頷いたことで居住まいを正し、慌てて立ち上がったジークリンデさん達であった。
「『シュテルンベルク王国』ラウエンシュタイン伯爵家次女、ジークリンデ・カミラ・フォン・ラウエンシュタインと申します、伯爵閣下! ……いえ、家名は捨てておりしたわね、重ねて失礼いたしました!」
「いえ、お気になさらず……」
他にも、男爵令嬢に下級貴族令嬢、元騎士、元政務官に元司法官……皆さん、シュテルンベルクの出身だった。
……元貴族令嬢とその家人って設定は何処に行ったのかな、と突っ込みを入れたくなるのを我慢する。
「それよりも、あの、ジークリンデ様。アリーセとは、どういうご関係でいらしたのですか?」
シュテルンベルク出身の伯爵令嬢なら、アリーセと知り合いでもそれほど不思議じゃないかと、私も肩の力を抜いた。
「アリーセとは――」
「失礼致します、女官長様をご案内いたしました!」
「グレーテ」
「はい」
グレーテが扉を開けると、一瞬見えたクリストフが一歩下がった。
慌てた様子のアリーセが駆け込んでくる。
「リディ、大至急のお客様って……へ?」
「アリーセ!」
「ジークリンデ様!? ど、どうして……?」
アリーセの様子から、別に疑わなくてもいい相手だということは分かったけれど。
その表情は、若干引き気味だった。




