第九十四話「商人達の話し合い」
第九十四話「商人達の話し合い」
「なあ姉ちゃん。なんで輪作の改良を提案したの?」
「サトウキビの生産量は村の人も落としたくないだろうし、いきなりこれまでと違うことをするのって、本当に大変だと思うのよ。でも輪作そのものは、これまでも行われてきたでしょ?」
「うん」
東部の視察でも西部の村と同じようなことを口にして、輪作の奨励をすると、一旦視察を終えた私だった。
「うちの村のミレ増産と一緒で、今までは小規模でも行われてきたことなら、少なくとも何が悪いか何がいいかが多少なりとも分かってるから、失敗は減らせるよね。……それに今後は野菜を外に売れるようになるし、家畜も育てられるようになる。もちろん、サトウキビはこれまで通りだから、安定して村の生産力を増やせるでしょ」
「なるほどね」
おかしな提案をしたわけじゃないし、農村側にも推奨した理由と目指す結果が明白で、そして何より、やるべきことが分かりやすい。
だからこそ、特に反論もなく受け入れられたんだろうと思う。
もちろん、今後のフレールスハイムの輸出入状況を考慮した内容であることは、村長さん達も十分理解していた。
「……あの、お嬢様」
「どうしたの、グレーテ?」
「こちらの村々は、ノイエフレーリヒやオルフよりもずっと恵まれているのに、困っているというのが、少し……。王政府の大事なご指示であることも、今が国難に見舞われている最中であることも分かっておりますが、お嬢様のお知恵は、先にノイエフレーリヒ村の為に使っていただきたいとも思うのです」
「まあ、そうだよね……」
グレーテの嘆きは、分からなくもない。
私達のノイエフレーリヒ村は、リッペ村と比べても明らかに田舎で、貧乏で……税は安いけどそれだってぎりぎりである。
そんな村の領主が、国の命令で他所の裕福な村に知恵を与えて回るのは、家人や村人にとって、あんまり面白いものじゃないだろう。
「ごめんね。でも、しばらくは王国優先かな」
「……はい。わたしも、ごめんなさい」
「いいよ。心配してくれてるのは、よく分かってるから。ふふ、ラウホの種も分けてもらったし、いいこともあるって」
王国を大樹にたとえるなら、領地は枝や葉になる。
大本の幹が倒れては、元も子もないのだ。
一応、最初に予定していた視察は終えたんだけど、急遽希望された漁村の視察も追加してリフィッシュ生産の要望をメルヒオル様にお伝えし、簡単に所見をまとめておこうかな、なんて考えていたら、お呼び出しが掛かった。
ホヴァルツ号とヘニング船長の到着である。
メルヒオル様との打合せはもう済んだそうで、応接室へと案内された。
「ヘニング船長、お久しぶりです!」
「ご無沙汰しております、リヒャルディーネ様! 陞爵おめでとうございます」
ヘニング船長は、レシュフェルトで戦争が起きたという話を聞き、落ち着くまで北大陸で近距離の交易をしていたそうだ。
商売は命あっての物種とは言いつつも、目の前にある千載一遇の機会を逃すのも惜しいもので……戦場に直接絡む商売は博打ってほどじゃなくても、身の安全と得られる利益を天秤に掛けた上での判断を求められる。
ヘニング船長は安全策をとったけど、当然の選択だろう。
航路の大半はグロスハイムの沿岸で、交戦相手国を目指すのは無謀すぎる。目的地を誤魔化してもいいんだろうけど、無理に危ない橋を渡る必要はなかった。
「リフィッシュは『南海の珍味』として、程よく売れております」
「……南海の珍味?」
「ははは、売り口上でございますよ。商品に一言を添えるのは、商人の癖のようなもの。よき口上は、即ちよき売り上げにつながります」
商人たちが先を争って、リフィッシュを奪い合う! ……なんてことはないようだけど、ヘニング船長が笑顔になるぐらいには捌けているようで一安心だ。
「しかし、驚きました。無傷での勝利もそうですが、フレールスハイムを併合してしまわれるなど、誰も想像しておりませんでしたぞ」
「……でしょうねえ」
私達も絶賛混乱中であり、ヘニング船長には申し訳ないけれど、リフィッシュの増産どころじゃなかった。
「ともかく、ホヴァルツ号はリフィッシュを引き取りに、レシュフェルトの港へ向かいます。便乗などがあれば、明日の朝までにお願いします」
「とても助かります、ありがとうございます!」
ヘニング船長はこの後、フレールスハイムの商工組合に顔を出し、リフィッシュ専売の件について話を通しておくそうで、丁度いいかなと私も便乗することにした。
実は、お時間があれば是非ご訪問をお待ちしておりますと、イルムヒルデさんからも誘われている。
商工組合が買い上げてくれた巡航艦は、未だノイエフレーリヒにあった。
もちろん、修理が続けられているけれど、その完了にはもう数日掛かる予定だ。
リンテレンの職人さんは王政府の指示もあってまだ手伝ってくれているはずだけど、頼りになる船匠班が捕虜帰還便で帰ってしまったので、これは仕方がない。
そのあたりは簡単に伝えてあるけれど、挨拶もしておくべきかなと思う。
ついでに、何か面白いものが扱われていないか、話をしてみたかった。
商工組合の本部は、倉庫が並ぶ南街区、港のすぐ近くに建っていた。
街の中心にある総督府からは、歩いても四半刻は掛からない。
護衛の人に頼んで先触れに出て貰ったけれど、いつでもどうぞと返事が来たので、グレーテとクリストフを連れて早速伺う。
「お待ちしておりましたわ、フロイデンシュタット伯爵閣下!」
「お招きありがとうございます、イルムヒルデ殿。こちらはホヴァルツ号のヘニング船長、リフィッシュ専売の許可状を持つ商人殿です」
「お初にお目に掛かります、イルムヒルデ殿。北大陸クルーゼン港の商人、『白の海風』商会のヘニングと申します」
「遠路ようこそ、ヘニング殿。クルーゼン商人の手広さは聞き及んでおりますわ」
組合本部はそれなりに立派な建物だったけど、何故か閑散として見えた。
巻き階段を上がって、二階の応接室に案内される。
調度品は、私が気付く程度に少ないかもしれない。豪商が帰る時、一緒に持っていってしまったのかな?
……もちろん、フロイデンシュタット家の領主の館を思い浮かべると、調度品について何かを言えたものじゃなかった。
「まだ組合の役職さえ、押し付けあっている最中なのです。おもてなしは期待なさらないで下さいましね」
それでもお茶には甘い砂糖菓子がついていたし、茶器もここしばらくは見ていないぐらい上等だ。
……レシュフェルトの王宮より充実してるなあと、いらない感想を抱く。
もちろん、数ヶ月の努力で埋まる差じゃないことは分かっているし、最上の客として扱われているんだろうけど、落差も感じてしまう私だった。
「私はヘニング船長のご訪問に便乗してご挨拶にと伺っただけですので、お二人はどうぞお仕事のお話をされてくださいな。……あ、お邪魔なら私は廊下で待ってますから」
「リヒャルディーネ様を追い出すなんて、とんでもない!」
「そうですわ! どうぞ、ご臨席を!」
私がいたら商売の話がしにくいかなあと思って遠慮したけれど、是非とも立ち会って欲しいと言われる。
伯爵閣下の前で虚偽を並べる商人など普通はおらず、その御威光が双方にとって信用の担保になるらしい。
「ほほう、二割の上乗せですか……」
「ええ、そうです。レシュフェルト本国とフレールスハイムの経済格差をご考慮いただけませんこと? その金額ですとこちらの漁村は苦しむでしょうし、レシュフェルト本国が潤うならば、ヘニング殿にもその方がおよろしいのでは?」
「否定はしませぬ。しかしですな、イルムヒルデ殿。リフィッシュはレシュフェルト本国の特産品、下手に卸値を動かすのは得策ではありませんぞ。既に売値は、商人仲間にも周知されておりますからな」
「そこは供給量で補わせてくださらないかしら? もちろん、ヘニング殿がお持ちの特権について、フレールスハイム商業組合が不必要な横槍を入れることはないとお約束いたしますわ」
「ふむ。しかし、二割は厳しいかと」
というわけで、私の前で生々しい数字が飛び交っていく。
あれよあれよという間に、リフィッシュの卸価格はレシュフェルト本国生産分も含めて今後は『一割増し』の一プフントあたり三十三ペニヒ、同時に商工組合がリフィッシュ加工場を都市領内の漁村二ヶ所に用意することが決まった。
メルヒオル様に報告して御裁可を仰ぐのはお二方だけど、私も立会いを求められている。
でも……卸値が上がることで、商人は損をする『だけじゃない』っていうのがすごい。
ヘニング船長は支払う金額が多くなるけれど、レシュフェルト本国が潤えば自然と購買力が高まり、売り先としてのうま味が増す。
イルムヒルデさんは卸値を上げることで漁村への影響力を強め、同時にフレールスハイムに落とされる金額まで増やしてしまった。
これをほんの半刻もかからない間に話し合えてしまうのだから、ここを支配していた豪商達はもっとすごかったんだろうなあ……。
ついでに、まだ売り先が決まっていなかったもう一隻の巡航艦をヘニング船長が購入希望と、本当に私じゃなくてメルヒオル様を引っ張ってきた方が良かったんじゃないかって話になってしまった。
「伯爵閣下、申し訳ありませんが、宰相閣下にお伝え願えますかな」
「はい、もちろん。グレーテ、この書付をメルヒオル様に。護衛の誰かに走って貰って」
「畏まりました、お嬢様」
ちなみに巡航艦の売却価格は一隻あたり一万二千グルデン、同じぐらいの大きさを持つ商船の四から五倍にもなった。
戦争の気配が濃厚で相場が高騰しているとは言え、中古の修理品でさえこの金額、ノイエフレーリヒ領が四つ、あるいは南大陸割引なら八つも買えてしまう。
もしくは、レシュフェルト王政府の歳入三年分、とも言い換えられるかな。
そんな大金を、イルムヒルデさんは一声でかき集め、ヘニング船長は本店にあるから次の航海で運んでくる、という。
あるところには、あるんだねえ……。
私はなんだか理不尽なような、それでいて、こんなものなのかなと、空しい気分になった。
それはそれとして、軍艦のお値段が異常に高くなるのには、きちんと理由はあった。
まず戦うのがお仕事の軍艦は、普通の商船に比べ、良い材料を使いとても頑丈に造られている。お陰で材料費も人件費も、大層余計に掛かった。
当然ながら、同じぐらいの大きさの商船に比べて、性能も高く設計されている。
元巡航艦なら並みの商船じゃ太刀打ちできない船足が長所で、元戦列艦なら嵐や時化に強いから少々の荒天じゃびくともしなかった。
軍艦本来の任務として、港や航路、船団を海賊から守ることで、経済的な損失を防ぐ使い方もあるけれど、積み荷を載せて交易に使ってもいい。
航路と積み荷次第じゃ、ノイエフレーリヒ領十個分どころじゃない利益を上げられるだろう。
そんな代物が、フロイデンシュタット家にも一隻あるんだけどね。
修理も後回しになってしまってるけど、そろそろ動かすことも考えておかないと……。
商人のお二人がこの金額をぽんと出す状況、出来れば乗ってしまいたいところだった。
「そろそろホヴァルツ号を、息子に譲りたいと思っていたのですよ」
一度本店に戻り乗組員を揃えて参りますと、笑みを見せたヘニング船長だった。




