第九十三話「サトウキビ畑のある村」
第九十三話「サトウキビ畑のある村」
「ふぁあ、眠っ……」
「だね」
急遽行われた会談は、深夜にまで及んだ。
しかしながらその価値はあったと、ローレンツ様からお褒めの言葉をいただいている。
『こちらも手詰まりで、懐柔策を小出しにするか、それとも……と、悩んでいたところだったんだ。いきなりの申し出には驚いたけど、リディはいい提案をしてくれた。それに私は……生の声というものを、軽視していたかもしれないね』
昨日の話し合いでは、具体的な施策も討論され、幾つかは決定していた。
サトウキビの『国内』移動の自由化、レシュフェルト本国でのサトウキビ作付け試験、砂糖とミラス酒の公営取引所設立、商工税の期間限定割り引きの公布……。
なし崩しに近かったけれど、皆が皆、真剣だった。
その他にも、商工組合は巡航艦一隻の購入を決定し……って、痩せても枯れても大都市の商人、仲間に一声掛ければ『その位のお金』はすぐに集まるそうだ
もしかしなくても、併合時以上の大騒ぎになるかもね。
それから、アドルフ元総督。
『よくぞ、ご無事で……』
『ああ、まさか首が繋がったままこの総督府に戻るとは、私自身想像すらしなかった。……皆にも迷惑を掛けたな』
一言二言だけど、声を掛ける人は多かった。
私怨が発端ながら勝手に戦争を引き起こし、都市領を小国に奪われた総督であり……同時に、都市を発展させ、市民生活を向上させた総督でもあると、思い至る。
豪商の引き込みは、功罪相半ばって感じなのかな。
イルムヒルデさんや村長さん達の様子を見る限り、暮らし振りは良くなったかもしれないけれど、支配の圧力は相当強かったようだし……。
でも、考えて見れば、今のレシュフェルトが経済的に立て直せるなら、豪商の引き込みはかなり『あり』だった。
二十年前のフレールスハイムは、そんな状況だったんじゃないかなと、想像がついてしまう。
丁度いい時期に追い出せたのかもしれないけれど、私にフォローが入れられるかどうかは別にして、こっちにいる間だけでも、気にかけておくべきかもね。
▽▽▽
さて、それはそれとして、視察は今日も続く。
「おはようございます、ゴットリープさん」
「あ、お、おう!? っと、おはようございます、伯爵閣下!」
総督府の入り口で、西部の農村連合の代表ゴットリープさんと落ち合う。
昨日は会談の終了が遅くなりすぎて、総督府の寮に泊まっていかざるを得なかった村長さん達である。
街灯なんてないし、市街の外ならなおさらだ。
伝令や夜警などを除けば、夜には出歩かないのが普通だった。
「では、出発!」
「はいや!」
がたがた、ごとごと。
今日は西部で明日は東部、護衛の皆さんの分も含めて、荷馬車を用意して貰っていた。
聞いた限りだと、割に近いけどね。
街を出ると、ぱらぱらと潅木が茂る中、一本道が続いている。
ノイエフレーリヒから王都へ続く道よりも、幅が広かった。
最初は水路と小船での移動も考えたんだけど、若干遠回りになるので人が移動するだけなら道の方が早いそうだ。
「まあ、あんまり面白い村じゃあないと思いますが……」
「自分のところと違う村なら、それだけで勉強になりますよ」
ノイエフレーリヒは基本的に漁村だけど、ミレの畑も拡張しているし、流通に出していなかった野菜などを見せて貰うだけでも、参考になるかなと思う。
それに昨夜の内に即決された幾つかの方針転換に関連して、現地を見ておきたいという気持ちもあった。
さて、やって来ましたサトウキビ畑、もとい、リッペ村。
「すっげー広い!」
「う、羨ましいです!」
「……ほんとにねえ」
これだけの面積を持つ青々とした『畑』を見るのは、アールブルク以来かもしれない。
一昨日から収穫時期に入ったそうで、秋までは忙しさが続くという。
少し遠くでは、鎌を振るう人の姿も見えていた。
「こっちは休閑地ですか?」
「はい。二年はサトウキビ、その後は適当に野菜などを植えて、二年休ませます」
サトウキビは輪作と休耕が基本だと教えて貰う。
まずは一年目、収穫時に切り取った先端を植え、これが育ったものを収穫する。
二年目は株から伸びてくるものを収穫し、その後は畑を二、三年休ませた。
「株出しのサトウキビを毎年収穫する地方もあるそうですが、こちらじゃ肥やしを大量に仕入れるのは難しいのです」
肥料はとても大事で収穫量に大きく影響するけれど、輸入しようにも船賃で足が出てしまうことが確実で、採算が取れないそうだ。
そのぐらいなら作付面積を増やすほうが、増収に繋がった。
「まあ、今後は考えを改めてもいいかもしれませんがね」
「ですねえ」
豪商は去り、サトウキビだけを作って売れという専売契約は既になくなった。
もちろんサトウキビは、今後も村を支える重要な産物に位置づけられるだろうけど、麦や野菜、家畜を育てて売ることで、都市領から流出していた代金が領内で還流される。
農村が利益を得ることも大事だけど、それだけじゃない。
船賃がない分食料品の値は下がって、市民も生活が楽になる。
総督府……というか王政府は、関税が減収になってしまうけれど、農村からの増収で多少は補えるし、領内に余力が出来ることの方が余程重要だった。
村に入る前、僅かな畑が目に入る。
見慣れたミレや褪せチシャ、豆、あとは私の知らないネギっぽいお野菜が育てられていた。
「そいつはラウホです。肉の臭み消しにもいいんですが、煮込むと美味いんですよ」
美味しいのは冬らしいけど、一年を通して育つので、輪作にも加えられているそうだ。
これは是非、持ち帰りたいけど……種を売ってもらえるか、後で交渉しよう。
ノイエフレーリヒでも育つかどうか、試してみないと分からないけど、成功すれば料理の幅が確実に広がる。
「あの、鶏とかはいないのですか?」
「昔、持ち込もうとしたそうですが、商工組合から反対されまして……」
イルムヒルデさんが代表になる前の商工組合は、豪商が牛耳っていたからね。
過ぎたこと……ってしてしまうにはちょっと重いけど、気持ちを切り替えよう。
馬車が止まったのは、村の中心から外れた大きな建物の前だった。
「こちらは集荷場と作業所です」
「ここも大きいですね」
リッペ村の人口は三百人ほどと聞いているけれど、港の倉庫に引けを取らない大きさの作業場がでーんと建っている。
そこかしこから、甘い香りが漂っていた。
「あれ!? 親父、戻ってたのか! そっちのガキはどうしたんだ? 新しい下働きか?」
「な、ば、ばば……馬鹿者がああああああ!!!!」
「ちょ、ゴットリープさん!?」
作業場から、手拭を鉢巻にした大柄な青年が出てきたけれど、止める間もなかった。
格闘ゲーム思い出すぐらいの速さでゴットリープさんがダッシュ、パンチ一発で息子さんだろう青年が通りの端っこまで飛んでいく。
「大変なご無礼を、伯爵閣下!!」
「あ、いえ……」
……護衛付きではあるけれど、私は昨日と同じく村娘姿であり、伯爵だと見抜けという方が無理だ。
もちろん、態度は不問とすぐに宣言したけれど、ちょっと申し訳なかった。
しばらくして復活した息子さんにも、視察の説明をしてからごめんなさいと口にして、作業場を見学させて貰う。
「こいつで、こう、ぎゅぎゅっと搾ります!」
「おー」
大きな梃子のついた搾汁器から、じゅわっと液が滴り落ちる。
早速、サトウキビジュースをご馳走になったけど、やっぱり搾りたての方が美味しいなあと再確認することになった。
気分の問題ってわけじゃなくて、香りもこっちの方がいいかな。
「姉ちゃん、ノイエフレーリヒにもサトウキビを植えようよ!」
「あんたは本当にもう……。でも、気軽に飲めると嬉しいですね、お嬢様?」
「うーん、ちょっと本気で考えそうになるよね。……【微力】【氷結】」
「あ、俺も!」
「お嬢様、お願いします」
「はいはい」
……悪い癖つけちゃったかもと思いながら、クリストフとグレーテのコップにも、ぽんぽんと氷を浮かべる。
私が冷たいジュースを飲みたいからって、自分だけ氷を浮かべるのはずるいかなと、子供の頃から二人にも同じものを飲ませてたからね。
グレーテもこのぐらいの魔法なら余裕で出来るけど、まあ、甘えられて悪い気はしない。
「よろしければどうぞー」
「は、ありがとうございます!」
護衛の皆さんと、ついでにゴットリープさん親子のそれにも氷を放り込む。
「伯爵閣下、どうですかな、この村は?」
「正直に申し上げると、羨ましいです」
「は……?」
大きく広がるサトウキビ畑をちらりと見てから、ため息混じりに口を開く。
個別の収入を聞いて回るわけには行かないけれど、村の収入は総督府に残る取引の記録から、計算で求めることが出来た。
その金額は、ノイエフレーリヒの十倍近い。
人口の違いを考慮しても、六から七倍ってところかな。
どれだけ今のレシュフェルトが貧乏なのか、改めて考えさせられる。
……視察は私にこそ、必要だったものなのかもしれない。
「宰相閣下のお言葉じゃないですが、うちの領地は人口二百、収入もリッペ村と比べるにも恥ずかしいほどながら、これでも上を向いてきたところなんですよ。……それはともかく、このリッペ村を新たに開発するとすれば、えっと、サトウキビ畑を主軸にするのは変わらないとして、すぐに思いつくのは輪作の改良でしょうか?」
「ほう、それはどのような?」
「まずは、輪作作物の選定ですね。今後はサトウキビ以外の作物も、村の収入になりますから。でも、どんなに優れた農法があったとしても、土、風、水……土地に合うか合わないかって、試さないと絶対に分からないはずなんです。だから、新しい農法を導入する場合は必ず少しの面積で試し、失敗した時に取り返しがつかないことがないように気を配らないといけないそうですよ」
これは前世の知識じゃなくて、実家の書庫にあった農書の受け売りだ。
生活が掛かってるんだから当たり前なんだけど、初年度は持っている畑の十分の一以下、次年度は十分の二以下って具合で、失敗しても大丈夫な範囲で試すように書かれていた。
「休閑地の利用を前提に、サトウキビ以外の作物を増やしましょう。麦はいきなりじゃ難しいと思いますが、家畜にしても、野菜にしても、一旦はお試し。この約束事が村を守ることになると思います」
農業は、とにかく時間が掛かる。
効率が悪くても、もどかしくても、地道な努力が暮らしを守るのだ。
もちろん今後は、豪商の顔色なんて気にしなくていい。
「それで……ごめんなさい、寒い北大陸の山手で育てやすい野菜なら良く知っているんですが、暑い南大陸じゃ合わないって事ぐらいしか分かりません。でも家畜なら……」
とりあえず、牛や馬、豚に比べれば初期投資が安くて済み、比較的人の手もかからない鶏やウズラ、山羊をお勧めしておいた。




