第九十二話「豪商の残した爪跡」
第九十二話「豪商の残した爪跡」
メルヒオル様の発言に、フレールスハイムの人々は微妙な表情で顔を見合わせた。
私も、ちょっとぶっちゃけすぎだなあと、思わなくもない。
「宰相閣下、よろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
商工組合の代表イルムヒルデさんが、やはり困り顔で手を挙げた。
「先ほど、王国の現状についてお伺いいたしましたが、一体どうやって、その予算で国を維持されてこられたのです? とてもまともな経営ができるとは思えないのですが……」
「まとも、ではないな。……削れるところは、全て削った。その上で、王政府の諸官には給金の遅配を求め、民にも苦しい暮らしをさせている」
「それは……」
「ふむ、これでも上を向いてきたのだがね」
これにはフレールスハイム側も、困惑した様子を隠さなくなった。
あちこちから、大きなため息が聞こえる。
レシュフェルト側はもちろん知っていたけれど……改めて考えなくても、その差は歴然としていた。
「王国は、税金が安いと聞いておりましたが……」
「その通り。でなければ、民の首が絞まる。……いや、税を上げた途端、私の首が絞まる方が先かな。」
レシュフェルトの王政府では、割り引いた人頭税を税収の根幹にしていて、それ以外の税収はほぼない。
フレールスハイムでは一般的な税制度が施行されており、商工税や地税なども徴収されていた。
都市の増収増益とその発展は税制度によるものではなく、単純明快に、豪商を呼び込んでその資金力を使い、生産力そのものを増大させてきたことによる。
もちろんそれは、グロスハイム南大陸東部の経済圏と結びついていることが前提であり、本国が遠すぎるレシュフェルトとは状況が違いすぎた。
「だが、同じ国内でこの税の差、フレールスハイムの民には納得が行かぬだろうと、税の割引について、数日来話し合っていたのだが……」
「宰相閣下!?」
「なんですと!?」
「当然だろう。フレールスハイムも、収入の半減が見込まれるほどの大混乱へと突き進んでいる真っ最中なのだ。それは捨て置けぬ」
この状況で減税を口にしたメルヒオル様に、フレールスハイム側の全員が驚き、そして黙り込んだ。
もちろん、その税率差によって不満がたまり、暴動や叛乱に発展するのを避けるため、とは言えないけどね。
「無論、あちらを立てればこちらが立たずでな。税種や割引率について議論を重ねていたが、結論は出なかった」
「その国庫の状況で、フレールスハイムの税を減らすと仰るのですか……?」
「理由はある。……このままフレールスハイムに衰退されて困るのは、諸君だけではないのだ」
少し休憩でも入れようと、メルヒオル様がアリーセに頷かれた。
皆が肩の力を抜き、緊張していた空気が緩む。
「クリストフ、グレーテにアリーセのお手伝いするように頼んで。あと、持ち込んだリフィッシュ!」
「了解!」
クリストフを送り出して、ローレンツ様と目を見交わす。
あちこちで雑談が始まっているから、今なら目立たないかな。
「どうでし……どうだった?」
「悪くありませんでしたよ。フレールスハイム側が、次に何を言い出すか次第ですが」
「そうだよねえ……」
人目があるので言葉を選びつつ、軽食の到着を待つことしばし。
アリーセ、ギルベルタさん、グレーテが、からからと台車を押しながら入ってきた。
「失礼致します」
運ばれてきたのは、スライスした大振りのパンに揚げた白身魚の切り身と野菜の炒め物をのせたもので、リフィッシュとチーズが盛られた小皿がついている。
「あの、小皿のこれは……」
「そちらはリフィッシュと申します。チーズとの相性がとてもよいんですよ」
グレーテが試食コーナーのお姉さんばりの笑顔で、リフィッシュを配膳していった。
ホヴァルツ号で輸出してるけど、専売の上に北大陸の母港一直線で、フレールスハイムは素通りだから、初お目見えとなる。
「乾物でしょうか? 初めて食します」
「魚肉のようですが、これは一体……?」
「不思議な味だ。ふむ、酒肴によさそうですな」
初めての試食の時と同じような評価かな、総じて悪くない。
チーズと蒲鉾の組み合わせだし、普通に美味しくて当たり前だけどね。
「このリフィッシュは、レシュフェルトの切り札でな」
「ほう?」
「フレールスハイムでの生産も考えたが……やはり、砂糖とミラス酒の生産体制を先に見直さねばならぬと、結論した」
「……理由をお伺いしても?」
「リフィッシュは、砂糖ほど儲からないからだ」
メルヒオル様からちらりと向けられた視線に、私は小さく頷いた。
残念ながら、高級品の砂糖と比べれば、その利益も需要も知名度も、比べ物にならないのだ。
軽食を終えて仕切りなおし、今度はフレールスハイム側からの意見や訴えを聞く。
「サトウキビ生産に関する法律は、グロスハイム時代と変わらぬものと考えてよろしいのでしょうか?」
「いや、少し変えたい。国外への持ち出し禁止についてはこれまで通りだが、サトウキビについては都市内への持ち込みを許可しようと思う。具体的には、製糖工場への集約を考えている」
「それはまた、大胆な変更ですな」
「諸君も聞き及んでいるだろうが、バウムガルテンにサトウキビが渡り、ミラス酒が流通に乗り始めているそうだ。つまり、これまでほど防諜に気を使わなくてよくなったわけだ」
生産して醸造して蒸留して寝かせて……蒸留酒の生産が出来るということは、少なくとも数年前にはサトウキビが流出しているということになる。
「シュテルンベルクがサトウキビを手にするのも、おそらくは時間の問題だろう。バウムガルテンにとっては、単に砂糖で利益を得るよりも、グロスハイムの砂糖権益の価値を落とした方が余程うま味がある」
結んだとしたら、サトウキビ生産が出来そうな南王国かなと、メルヒオル様は書類を指で弾いた。
「作業の集約については、もう一つ理由があってな。フロイデンシュタット伯爵、説明を」
「はい!」
勢いよく立ち上がって、一礼する。
皆さんの注目はともかく、この説明は視察の報告からの派生なので、私の仕事になる。
「製糖工場での集約作業は、単に効率が上がるからそうして欲しい、というだけじゃないんです。とても大事なことですが、サトウキビを生産している農村に余力が必要だと、視察を通して考えました」
食いつきがいいのは、製糖工場のヨアヒムさんと醸造所のバルナバスさん、そして東西の農村代表お二人だ。
「これまでは、豪商達がサトウキビ生産を奨励し、全てを買い上げていたと思うのですが、どうですか?」
「はい、大体は」
ヨアヒムさんが、ちらりとアドルフ元総督に目をやった。
「総督閣下が、後年になって総督府直営の製糖工場と醸造所を建設される以前は、まったくその通りでした」
「……あれだけ儲かるのなら、艦隊を揃えるのに丁度いいから一枚噛ませてくれと、組合にねじ込んだのです」
アドルフ元総督は、腕を組んで目を閉じた。
……そのお陰で、一ヶ所とはいえ製糖工場と蒸留所の設備が今も残されているんだから、ほんと、都市総督としては優秀だったんだと思う。
「補足をありがとうございます、アドルフ殿。……さて、今度は農村のお二方にお聞きしますが、サトウキビ以外の作物は、どの程度作られていますか?」
「僅かな野菜程度です」
「どこも似たり寄ったりですな」
「麦はやはり、領外からの輸入でしたか?」
「はい」
「でしょうねえ」
うんうんと頷いてから、もう一度、皆さんを見回す。
輸入、という言葉に反応したのか、組合のイルムヒルデさんが、興味深そうな視線を投げてきた。
「えー、つまり、豪商達はですねえ。麦や野菜、肉を他所から運んできて、そこからも利益を取ってきたわけです」
「……あ!!」
農村代表の二人が、驚きの声を上げた。
……まあ、気付けって方が無理だけどね。
私がすぐに気付いたのは、前世の高度な教育と、雑貨屋として流通に携わっていたお陰であって、地方領主の娘だったからじゃない。
誰に何を買わせるかを売る側が『選べる』って、あり得ないレベルでずるいなあと思うけど、一都市の流通を握るということは、そういうことなのだ。
「これからは、麦や野菜も作って貰いたいと思います。わざわざ国外に利益を垂れ流すなんてもったいないですし、飢饉にも強くなりますよ。あ、ヤギなんかの家畜もいいですね。育てやすくて病気にも強いので、お勧めです」
「あの……本当に、よろしいので?」
「え!?」
「伯爵閣下」
「はい、アドルフ殿?」
アドルフ元総督が、大きなため息をついた。
「領内の農村は豪商との専売契約で縛られ、村外へ自由に作物を売ることが禁止されていたのですよ」
「……なるほど、そういうことでしたか」
「そのお陰でフレールスハイムが隆盛したことも、決して否定できないがね。まあ、今後は自由にしてくれ」
と、これはメルヒオル様だ。
豪商は利益を取りすぎと私も思うけど、その財力が投入されなかったら、フレールスハイムが南辺境でも有数の都市に発展することはなかっただろう。
投ずることが出来る資金力という一点では、レシュフェルトとフレールスハイムが束になっても適いっこなかった。
「……あの、フロイデンシュタット伯爵閣下」
「はい、イルムヒルデ殿?」
ところがそのやり取りを聞いていたイルムヒルデさんが、真剣な眼つきで私を睨みつけた。
急に態度が変わって、なんだか恐い。
「ではわたくし達は、何を売ればいいのです? わたくし達は、豪商たちが見向きもしないような、利益が薄い野菜や雑貨を買い付け、それを売ることで長年耐えて参りました。それを奪われては、わたくし達は生きていけません!」
「え、豪商がいなくなったんですから、砂糖とかミラス酒を扱って貰えれば――」
「へ!?」
先ほど打合せした時に、貿易の方針は決まっていた。
総督府や王政府が自前で船を運用しなきゃならないレシュフェルトとは、下地が違うのだ。
ついでに言えば、グロスハイムだって砂糖税や砂糖酒税を課していただけで、砂糖とミラス酒は専売にしていなかった。
「あ、ああ! ああああ!!」
「イルムヒルデ殿!?」
叫んだかと思うと、腰を抜かして椅子に座り込んだイルムヒルデ殿である。
せっかくの美人が台無しだ。……って、泣いてる!?
「あの、だ、大丈夫ですか!?」
「は、あひ、はい、その、取り乱して申し訳ありません! あのいけずな連中は、もうここにはいないのですね……」
「……」
うーん。
話し合いを急いだことは、よかったとは思うものの。
アドルフ元総督が豪商を引き込んだ成果にばかり目を向けていたけれど、これはちょっと、爪跡が大きすぎるかな?
とにかく、少しづつでも問題を埋めていかなきゃね。
後ろを振り返ると、ローレンツ様が小さく頷いてくださった。




