大学生活2年目①
~2003年4月(春休み)からGW迄~
地元から居城に戻ってきた。
心機一転学校に真面目に通おう!!と思っていたはずだが、ネトゲだけではなく、スロットにもどっぷりと浸かっていたこの頃。
最低限の食費、光熱費を残し、あとは全てスロットに費やしていた。
学校へ行くための定期代ですら、スロット台へ回していた・・・・。
学校に行かなければまずいという思いと、「別に今日じゃなくても明日もある。その次もある。」という甘い誘惑もあり、ネトゲとスロットの事で頭がいっぱいだった一留は再び葛藤しながらも廃人生活を続行。
2年の初日から講義をボイコットし、前日夜中までやっていたネトゲが災いして惰眠をむさぼることになる。
しばらく学校へ行っていなかった一留は、重要な事に気づいていなかった。
履修届を申請しなければならなかったのだが、すっかりその事すら忘れていた。
本当にどうかしていたのである。
まあ、履修届に関しては締め切り直後に気づき、学生課に相談する事で事なきを得たのだが・・・。
その頃、UOは大きく仕様変更してしまった事もあり、Xギルドの面子はほとんどプレイをしていなかった。
が、ある日メンバーの一人(TJ君だったかな?)が興味をそそる情報を持ってきた。
その情報とは、昔のUOを再現した、エミュレーターサーバー(日本)がオープンするとの事だった。
仕様はT2A時代でZDありの、そんな時代を再現したエミュサーバーのオープンに興奮した。
Xギルドの面子はそのサーバーに移住し、他サーバーから同じように引っ越してきたギルドの人たちと日夜PvP漬けになった。
UOの本家はというと、その頃完全に飽きており、スロットする金もなかったことから、16x16の土地をRMTにて販売した。金額は確か3万円になったはず。
この頃は夕方起床⇒スロット⇒ネトゲ⇒朝寝るをループしていた為外部の誰とも接触する事なく、日の光を浴びることも稀であった。
出前のにーちゃん、おばちゃんと金の受け渡しをするときだけが一留が声を発する場になっていた。
臨時収入+仕送りを握り締め、この頃登場した「海一番」のハイエナにいそしむことになるのだが、これが本当においしかった。600~700は待っている台を見つけては(下手すりゃ500台でも・・)即すわり、当たるまでぶん回す・・という行為のみで勝率は飛躍的に上昇・・のはずがハイエナ成功しては勝った金を猛獣王や旋風の用心棒、猪木になどの爆裂気ぶちこみまくり、収支としてはそこまで大幅なプラスにはなっていなかった。
ある日いつものように学校をさぼり、新台の賞金首を打つためにB店(ビンゴを打った店)に到着。
わけわからずも4500枚をたたき出した。
一度大勝するとなぜか次の日も大勝をする事が多く、これらの時期をエンペラータイムと呼んでいたが続くのは2日。
その翌日打ちに行くと大負けするというジンクスがあった。
一留の1日での人生最高負け額は14万だが、この負けはエンペラータイム終了後翌日に起きた。
この時期何故かSWTR君がばかの一つ覚えで旋風の用心棒を打っており、最高におもしろい!最高におもしろい!と言っていた。少し興味が湧いたため、攻略サイトを読み漁り、絶対に負けたくないという思いから、自分の住んでいる場所周辺で優良店を探した。
素人調査では、コンサートホール志村という店が優良だと判断し、電車に乗り、向かう。
店の前には、開店2時間前についたが、目の前に喫茶店があったため、そこでホットドッグとコーヒーを飲みながら、携帯攻略サイトで旋風の用心棒のお勉強。
どうやら、周りの話を聞いていると、コンサートホールの常連が多いらしい。
常連もこの喫茶店で時間を潰しているようだった。
平日、学校へも行かず、コーヒーを飲みながら待ったりするこの時間は至福のものだった。
今思うとよくこんな生活しててうつ病にならなかったなと思う。
そして、開店30分前くらいにこの店から一気に人がはける。
一留もこの時間から並ぶのかと思い、店を出て、行列へ並ぶことにした。
朝一から旋風を打っているのは一留だけ(うまみもないから当然だろう。)
ともかく、初当たりを引かなければ話にならないという事で、初当たりBIGからの旋風チャンスをひたすらまった。そこで事件はおこった。なんと昼過ぎに引いた旋風チャンが25連以上し、カウンターが9999枚を振り切ったのだ。
薄いところを引いて、上乗せも順調にされたというのが普通の見方だろうが、
ばかな一留は何を思ったか高設定だと核心し、連荘が終わった後も、そのまま打ち続けた。
結果天井まではまり、換金するときには7300枚ほど。
初万枚を逃す事になった。
馬鹿な事をしたものである。
とはいえ、10万以上の大勝を収めたたので、ご機嫌で居城へ帰宅。
その数日後、軽く種銭を減らした状態で、地元の友人KH君から連絡があり、遊ぼうという連絡が入った。
久しぶりに会話し、食事を摂りながら先日大勝した事を告げると、KH君は「風俗奢ってくれ」と言い出した。
当時童貞で風俗に興味など全く無かった(わけではないが・・)どうしても行く気にならず拒み続けるもしつこいので奢ってやることに。
KH君の家は新宿(というかほぼ代々木)の為、風俗天国歌舞伎町へ参上。
おそらく一留は1年東京に住んでいたが、この日が歌舞伎町、新宿初デビューだったはず。
そしてさらには「重役室」というマットヘルスに連れて行かれ、風俗デビューをはたす。。
風俗という遊びを経験したことのなかった一留はKH君と待合室でその時が来るのをまった。
「呼ばれたらどうすりゃいいん?」という問いかけに「元気良く返事をしなさい」といわれ、番号を呼ばれたときに大きな声で返事をしたのだがゲラゲラ笑われてやたらはずかしかった。
番号を呼ばれた一留は男性についていったのか女性についていったのか最早覚えていないが、その後をちょこちょこ歩いていき、個室に通された。
部屋に入ると小奇麗・・だが少し太めでかわいいというよりは綺麗な感じのおねーさまが。
よろしくお願いしますと頭を下げ、「服を脱げ」という命令の元に服を脱ぐ。
パンツをどのタイミングで脱ぐか迷いつつも「全部脱いで~」といわれ、
被っている状態の息子を見られるのは今後の人生に響くと思い、
火星人の一留はぱんつを脱ぐ瞬間に皮をむくという早業を習得した。
全部脱いだ後に連れて行かれたのはシャワー室。
「初めてなんです・・照」とかわいく口ずさむ一留の息子をボディソープか何かで、丁寧に洗い上げるが、これが最強に気持ちよかった。
シャワー後、色々なマットも含めたプレイも含めて体験させていただき、フィニッシュは素股だった。
小奇麗で、しかし小太りなその体をみだらに揺らしながら、「気持ちいいね!」というなぜかスポーツでもやっているかのようなその物言いは気持ちをなえさせたが、体は正直でフィニッシュを迎えた。
初めて見る女性の裸体と触り心地は一留の脳みそを溶かし、その先の行為により、虜になりかけた。
終わったあとKH君と反省会。この日だけで5万円吹っ飛んでいったのだった。
シャワー以外そこまで気持ちいいとは思わなかったが、女性の体のすばらしさを知り、風俗というものに対しての垣根がなくなった事を感じた。
翌日、使った金を取り戻そうと学校へいかずにスロットに出向いた一留はさらに傷口を広げる事になるのであった。
お金が底を尽きたのでまた極貧生活を送り、ネトゲに集中するのであった。
ネトゲでは当時仲の良かったNGY君とよくつるみ、UOエミュ鯖以外でも面白いネトゲを探すという事で、毎夜毎朝までネトゲをして楽しんでいた。
この頃、Xギルド初のオフ会というものがあり、遠くから東京にくる仲間がいるという事で、そのタイミングに合わせて開催。
ネットの中でもリアルでもキャラの変わらない毒舌野郎や、思っていたのとキャラが違う人や、いろいろだった。が、まあ悪い人はいなかった。Xギルドの初オフという事で、知っているのはXギルドマスターのSTS君のみ、他メンツは初対面でとても緊張した。
ただ、問題が発生。RR君というメンバー(ニート)が金が無くて2次会にいけないという事だったので、旋風で大勝した残りがまだ少しあったので、3千円ほど奢ってやることになるのだがこれが後の一留に大きな影響を及ぼす事となった。
ちなみにRR君は当時一留が20歳になったころ、27,8であった。
初のオフ会は新宿で開催。
歌舞伎町だったと思うが、その頃のXギルドには女性メンバーはおらず、飲み会してゲーセン行って、カラオケして解散となった。
カラオケでは誰かの吐いたゲロの上に自分のバッグを置いてしまうという失態を犯し、最悪な気分になった。
スロットでは、一留と同じように状況していた、AKTK君とTTM君から連絡があり、
花火百景のイベントがあるという事で、グリンピース吉祥寺店に向かった。
簡単に仕様を教えてもらい、大花火の後継機種だという事で楽しみにして朝早くからグリピーに並び、3人並びで台をゲッツ。
AKTK君が台パンしだして、AKTK君離脱、TTM君も続いて離脱。
一留の台は推定設定4だろうという事で、粘ったほうが良いとの話だったため、一人で続行。
一人で黙々と打っていると寂しくなるため、2,3時間後に二人を探した。
TTM君は不二子2を「さいっこぉ~~wwwwWw」と言いながら打っており、AKTK君はアステカをやはり殴りながら打っていた。CTへの入りが2分の1以下で悪いらしかった。
その日初めて、天下一品に食事をしに入るも、あまりにも濃すぎて3人とも一口でギブ。
かっぺの舌には合わなかったようだった。
しかたないので、そのまま残した状態で、あっさりラーメンを注文。
これを昼食としたのを覚えている。
※一留はその後現在に至るまで一度も天下一品に入っていない。
スロットは金のある限り打っていたものの、ビタ押しなどの腕がいいわけでは無い、一留。
20時ごろまで打ち、1箱半ほどでた為、換金。確か2000枚程度だった気がする。
AKTK君の家に泊まることになり、今度は麻雀をする事になった。
麻雀など人生で一度もやったことのなかった一留AKTK君の学校の友人のKMR君を呼び、4人で開始。
教えてもらいながらだったが、条件は周りと変わらず、一晩で1万円ほどかもられた。
麻雀つまらねーと思いながら朝帰宅したのだった。
その頃のソロスロット事情としては
ようやく買い始めたスロット雑誌を見ながら、面白そうな台を吟味。
猛獣王というAT機に憧れていた事もあり、野獣という台に興味を抱く。も、打つことは1回程度しかなかった。
マジックモンスターというストック機も野獣然り、雑誌では興味を抱くも実践で打つことはほぼなかった。
実際に興味を持って少し打った台といえば、ギャルズマジックと陸奥一番星である。
陸奥一番星はチェリー15枚、シングル15枚という最強の破壊力を引っ提げていたため、AT好きの一留に刺さった。
ギャルズマジックは女の子がかわいいのと、QCというATとストック機ならではのボーナス連荘を実現させたというところが刺さった。
しかし、そこまで打ち込まなかった。というか、打ち込めなかった。
中途半端な知識で店の癖を読むことも技術を磨くでもなく、適当な店に適当な時間に打ちたい台に座って打つ、歌舞伎町での一件から、勝っても負けても、抜きたくなったら風俗へ行ってしまう。
という行為のせいで、スロットに使えるお金がほぼ無かったのだ。
まあ、お金がなく、スロットができないという事であれば、UOエミュサーバーを仲間達と楽しむ為、特に暇を持て余すという事はなかった。
ただ、その頃、日本発のT2A仕様であるエミュサーバーが突如閉鎖。
別のエミュサーバーを探したところ、海外のエミュサーバーでものすごく流行っているサーバーを発見。
それがUOG:Hybridだった。
日本エミュサーバーで新たに仲間になった、HYT君、NHLT君、JR君と共に、このサーバーに引っ越しをする事になった。
1からのスタートとなり、キャラ育成から各自始める事となった。
UOGの仕様はたぶん、P15くらいの仕様だったはず。
ZDなし、スタンやパラブロウ、コンカッション、クラッシングブロウありのそんな感じだったと思う。
インビジリングやテレポリングはなかった気がする。
アルケミでBom攻撃力アップはあったかな。
自分はまずは、金を稼がなければという事でバード(扇動)キャラを育成。
ある程度のお金を稼ぎ、Xギルドメンバー共通で使用するギルドハウスを購入。
戦闘キャラを作るやつ、生産キャラを作るやつ、狩りキャラを作るやつでバラバラだったが、
戦闘キャラを作った奴は狩りキャラを護衛するという形で全員で狩りをし、PKが来たときも全員で対処していた。
ギルドハウスを手に入れると、今度は共通の消耗品を定期的に補給しなければならないのだが、
全員PvPerである為、飛躍、POTの消耗が本当に激しい。
金がいくらあっても足りない状態であった。
バードでは稼ぎに限界を感じ、テイマーキャラを育てる事にした。
時には危険なダンジョンにテイミングトレーニングに行かなくてはならず、仲間に護衛をお願いしながらテイムキャラを育成。
育成完了し、ナイトメアとドラゴンを今度は育成しながら、うまい狩場にこもる。
めちゃめちゃ効率よく金を稼ぐことはできたが、PKがしょっちゅう来るため護衛は何人か置くようにしていた。
新天地を見つけ、またUOを気の合う仲間と楽しむ事になった。
そして、2003年のGWが始まった。