新たな生活
合格発表の日。
大聖堂前に巨大な掲示板が置かれ、合格者の受験番号が張り出されていた。
受験生の一人であるライトも見に来ているのだが、受験生の人垣で通る隙間が無い。
「これは人が減るまで待った方がいいですかね」
慌てる必要もないとライトは一旦、この場を離れようとしたのだが、それを遮る者が現れる。
「何かと縁があるようですね、ライト様」
ライトの後ろに立っていたのは黒髪の美少女ファイリ。
彼女も同様に合格発表の結果を確認に来ていたのだが、その背の低さからどう足掻いても見ることは叶わないと諦めていたところだった。
「おや、ファイリさん。あの試合ではお世話になりました」
「いえいえ、こちらこそチームメンバーがご迷惑おかけして申し訳ありません」
あの模擬戦でライトが二人を倒した後、ファイリはあっさりと負けを認め試合は終了となった。
会場に見学に来ていたフォルデンの親が、試合終了後に審判や周りの試験官に噛みついていたが、あれだけの見物人がいる状況で判定を覆すことは叶わなかった。
ライトは試験結果も優秀で、模擬戦でも圧倒的な勝利を見せつけた。これで、不合格なわけがないのだが、ライト自身、合格は怪しいのではないかと疑っている。
どう見ても規定を超えた武具の使用を許すような腐った組織が、あの結果を素直に認めるとは思えなかった。
「イナドナミカイ教はもう少し、まともな宗教団体かと思っていましたよ」
「ライト様、そういうことは、あまり大きな声で言わない方が良いですよ……私も正直、少し幻滅しましたが」
最後の部分はライトにしか聞こえないように耳元で囁く。
美少女に顔を寄せられ、吐息が届く距離で囁かれる。その光景にちらちらと二人の様子を窺っていた受験生たちから声が漏れた。特に男性陣から。
ファイリとしては相手が意識するように狙ってやっているのだが、ライトは少し耳がくすぐったかっただけのようだ。
「ご忠告、痛み入ります。おっ、そろそろ掲示板の前も空いてきたようです。見に行きませんか」
「はい、行きましょう」
二人が並んで進むと、受験生たちは一斉に左右に割れ、そこに道ができる。
ファイリの影響も少しはあるが、それよりもライトである。あの模擬戦の戦いを目撃した生徒たちにとって、ライトは恐怖の代名詞となっていた。
大司教の息子である二人相手に畏縮することも容赦することもなく、その人外の怪力で完膚なきまでに叩き潰した男。
ライトの名は一夜にして学園中に知れ渡っていた。
そんなことは露知らず、ライトは人が消え失せた掲示板の前に立ち、合否の確認を始める。
「ええと、427番は……427」
少ない数字から順番に目を通していき、400番台に差し掛かってくると、ライトもさすがに緊張してきたようだ。
無意識の内に拳を握りしめ、そこからは慎重に番号を確認していく。
「418、423、426、42……7、ありましたか。一安心ですよ」
胸を抑え安堵の息を吐くライトは、ファイリの結果が気になり隣に視線を移した。
「おめでとうございます。私も合格していますよ。それに、あの二人も合格のようです……」
あの二人が誰の事を指しているのか、聞くまでもなかった。
ライト一人に醜態を晒したロイマス、フォルデン両名の受験番号も掲示板に書かれている。
「ファイリさんも、おめでとうございます。ところで、受験番号の横の数字は何なのですか?」
受験番号の隣に()が追加され、その中に1から6までの数字が記入されている。
ファイリは1でライトは6となっている。ちなみに、無様に負けた二人は両方とも1のようだ。
「あれは……クラス分けです。各クラス30から40名程度で、1組から6組まであるのですよ。私は1組でライト様は6組ですね」
「なるほど」
「ですが、このクラス分けには意味がありまして」
そこで口を閉ざしたファイリは、ライトを見つめていた視線を地面へと向ける。
何か言い辛いようで口をもごもご動かしていたが、意を決して口を開く。
「実は、数字の少ない方が優秀とされていまして、1組から優れた者が順番に入っていく仕組みになっています」
「つまり、私は優秀ではないと判断されたわけですね」
「それだけではありません。6組は爪弾き者といいますか、扱い辛い生徒を集めたクラスと言われていまして……別名、クズのたまり場と呼ばれているそうです」
ライトの身体能力の高さ、模擬戦での成績を考慮すれば1組は確実の筈なのだが、結果はこうである。負けた側に与していたファイリとあの二人が1組でライトが6組。納得いくべき組分けではないのだが、ライトは平然とその結果を受け止めていた。
ライトとしてみれば権力者に喧嘩を売って合格できたのだから、それだけで充分だと考えている。
「上があんな人たちでは、この宗派も未来がなさそうですね」
「だ、だから、そういうことを口にするのは」
ファイリが周囲に視線を走らせ、今の発言を聞かれてないか探っている。
周りの受験生も思うところがあるようで、聞こえてはいたが何も言わず、ライトを咎めるような者もいない――ように思えたのだが、一人の男がライトに歩み寄ってきた。
上背はライトとほぼ同じで、飾り気は無いが質の良いシャツを着こんでいる。上半身が筋肉の鎧で纏われていて、逆三角形の体格をしている。
金髪碧眼で短く刈りそろえられた髪形が男には良く似合っていた。
「お主がライトアンロックか! 自分はセイルクロス! あの馬鹿共を叩きのめしたそうだな! 奴らはイナドナミカイ教の崇高なる教えを守らぬ、不心得者だからな! よくぞ、やってくれた!」
セイルクロスと名乗った男の大声に、ファイリは顔をしかめ、周りの生徒たちは耳を押さえて後退りを始めている。ライトだけは相も変わらず、いつもの薄い笑みを貼りつけた顔を崩すことがない。
「貴方も受験生なのでしょうか」
「ああ、そうだ! 自分も無事合格し、6組となる! お主とは同級生だ! よろしく頼む!」
バンバンと力任せに背中を叩かれているライトの姿に、周囲の者は痛そうだなと同情して眉根を寄せていた。
「だが、ライトアンロック。今の発言はいただけないぞ。一部の者が地位を利用し馬鹿な真似をしているようだが、立派な方々も大勢いる。それに、愚かな信徒がいたとしても、我々がそれを正し、模範となればいいだけのことだとは思わんか!」
熱く語るセイルクロスに「そうですね」と上辺だけは同意する振りをしているライトだった。ここで本音を語るのは得策ではないなと計算しながら。
「では、入学式で会おう!」
何が楽しいのか、大口を開け笑いながらセイルクロスが去っていく。
ライトを除く人々が呆気にとられ、その背を無言で見送っていた。
その中で、いち早く気を取り直したファイリが「こほんっ」と小さく咳き込むと、他の受験生も我を取り戻し、雑談を始めている。
「今の方はセイルクロス様ですね。豪快ではありますが、人の好い方ですよ。代々、聖騎士を生み出してきた家系で、三代前の当主が確か聖騎士団のトップだった筈ですわ」
中々の事情通であるファイリが頭を捻りながら、彼について情報を引き出し、ライトに説明をしてくれている。
「そうなのですか。ところで、聖騎士団とは何なのでしょうか」
ライトの常識外れの質問にそろそろ慣れてきたファイリは、笑顔を保ちながら小さく息を吐くと、口を開いた。
「我々、助祭を目指す者の職位は下から、助祭、司祭、司教、大司教、枢機卿、教皇の順に位が上がるのは、流石にご存知ですよね」
「……はい」
何だ今の間は! とツッコミを入れたいファイリだったが、表の顔を崩すわけにもいかず、ぐっと堪える。
「そして、神官戦士なのですが、こちらは神官戦士、聖騎士、聖騎士団長とまあ、大まかにはこんな感じです。組織としてはもっと細かい階級がありますが、ここでそれはいいでしょう。つまり、聖騎士というのは神官戦士の上の位……私たちに当てはめるなら、司祭の立場といったところでしょうか」
「そういうことなのですね。なるほど、得心がいきました」
大きく何度も頷くライトに呆れながらも、その豪胆さに頼もしさを感じてしまいそうになり、頬が緩みそうになるのを引き締め直すファイリだった。
「さて、この後は確か合格した者は中で書類の書き込みがあるのでしたか」
「そうですね。入園手続きと、寮に入る方はその申し出も」
「寮ですか。確か、寮に入った場合、家賃もないのですよね。これは、迷う必要がありませんね。ファイリさんはどうするのですか?」
「私は実家から通います。家が学び舎から近いので。ここの寮はかなり良い設備だと姉が申しておりましたよ」
「これは期待できますね。では手続きに参りましょうか」
こうして、ライトアンロックは無事、聖イナドナミカイ学園に入園を果たすこととなる。これから先の学園生活に期待を寄せながら。
「これは酷い」
イナドナミカイ教団が管理する大霊場――つまり墓場の脇に立つあばら家を眺め、発したライトの一言である。
入園を承諾された次の日、寮を希望するライトに紹介された新たな住居。それがここである。
教団の敷地内の北に面する場所には、多くの死者が眠る墓地がある。墓地内でも南側に面する敷地は清掃も行き届き、磨かれた墓石が並んでいるので陰惨なイメージは殆どない。
だが北側となると身元不明の遺体や、処刑された犯罪者が葬られているので、墓参りに来る者もおらず、整備も行き届いていないので、雑草は生え放題のただの荒れ地に墓らしき石や棒が突き刺さっているだけの風景。
そんな敷地内に提供された家があった。
元々は墓場の管理人が住んでいたらしいのだが、もう50年近く使われていない。窓はおろか扉もなく、屋根も至る所に穴が開き。雨風も碌に防げない仕様となっている。
「何と言うか、露骨な嫌がらせですね」
本来なら扉があるべき場所を潜り抜け、屋内へ足を踏み入れる。
ライトが一歩踏み出すたびに、床板がみしっみしっと悲鳴を上げた。
ぐるっと見回すが、まさに何もないただの空間で、ある物と言えば床に積もった分厚い埃と砂ぐらいだろう。
大きさとして問題は無い。男の一人暮らしとして充分な広さを確保している。玄関、広間があり、右手に寝室、左手にはトイレ風呂といった水回りが纏められている。
寝室にはベッドも物置もなく、トイレは穴が開いているだけで、お風呂に至っては浴槽が存在していない。
「ここに住めと?」
ライトはここまで道案内をしてくれた職員へ振り返り、確認を取る。
「あ、ええと、書類上ではそう……なっています」
教団の助祭以上が着ることを許されている法衣を着こんだ小柄な女性が、しどろもどろになりながら、ライトに説明している。
ここで問い詰めたところで、この人は命令されているだけなのだろうとライトは諦め、苦笑いを浮かべた。
「この家の補修はやってくれ……るわけないですよね」
「す、すみません! 全て自らの手で行うようにとの、上からの指示がありまして」
「やはり、そうですよね。ええと、つまりこの家……敷地を好き勝手にしていいのでしょうか」
「はい。もう住む者もいませんので、好きなようにしていただいて構いません」
そこを確認すると、ライトは何かを思いついたらしく口元に笑みを浮かべる。
「まあ、住めば都と申しますし、静かな環境ですからね。わざわざ案内していただき、ありがとうございます」
頭を下げるライトの行動が意外だったようで、女助祭は恐縮しながら頭を下げ、あばら家を見上げているライトを何度も振り返りながら、立ち去っていった。
取り残されたライトは絶望――もせず、強がりではなく本心からの笑顔を浮かべる。
「これは改装や補修するよりも……」
背負い袋の中から、母が持たしてくれた資金とアイテムの確認をして、足早にその場を立ち去った。
次の日の夜、イナドナミカイ教団の敷地内に住宅の幽霊が現れたと噂になる。
深夜、警備を担当していた信徒や、トイレの為に起きた寮の者たちが、住宅が一棟ふわふわと揺れながら低空で宙に浮かび、墓場の方へと飛んでいったという目撃情報が幾つも上がり、イナドナミカイ学園の七不思議の一つとして、長きに渡り語られることとなる。
余談ではあるが教団の敷地内にあった今は使われていない警備員用の一軒家が、跡形もなく丸ごと消滅しているという話も同時に広まっていた。