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物理特化の回復職  作者: 昼熊
二学期編
23/42

格闘 か

「貴様がライトアンロックか」


「はい、そうですが」


 黒頭巾に名を問われ、素直に認めるライトをじっと睨むように見つめてくる。

 顔が布でぐるぐる巻きにされているので、表情すら伝わってこないが、視線は十二分な殺気を孕んでいた。


「そうか……」


 それ以上何も追求しない相手を不審に思いながらも、戦いには関係ないだろうと気にすることを止める。


「両者、話し合いはもう終わりか? 賭けも締め切ったみたいだな。んじゃ、始めやがるぜ、短小野郎にビッチども! 第二試合開始だあああっ!」


 鐘が鳴り響き、ライトが左足を一歩前に踏み込み、腕を肩口まで上げる。

 相手はその場で軽く何度も跳躍し、体の身軽さを見せつけていた。一定の感覚で跳ねていた黒頭巾は十度目の着地と同時に姿がぶれる。

 驚くべき速度だった。視界の隅に何かが映り、右へ視線を向けた時には既に姿は無く、黒い残像が残るのみだ。その姿を目で追うのは不可能だと切り捨てると、耳に意識を集中する。


 リングを駆ける足音、風を切り裂く音が耳に届く。足音が止んだ途端に右斜め後ろへ、裏拳を放つ。

 ごうと風が鳴り、拳の風圧により風景が歪む。黒頭巾を捉えたかのように見えた一撃は、相手の残像を打ち砕いたのみだった。


「甘い」


 拳とは逆方向から声が聞こえたことを認識すると同時に、脇の下、脇腹へ手刀が二発打ち込まれる。

 ライトはその攻撃を無視して左腕を振り下ろすが、さっきと同様に風を巻き起こしただけだった。


「これは厄介ですね」


「何故平然としている……」


 リングを所狭しと駆けまわっていた足を止め、姿を現した黒頭巾の隙間から見える目が、大きく見開かれている。

 黒頭巾としては渾身の一撃を放ったつもりだった。それも神経が集まり激痛を与える人の急所である脇腹を狙ったにもかかわらず、相手は倒れるどころか痛む素振りすら見せない。

 むしろ、突き出した黒頭巾の指が痛みを訴えている始末だ。まるで、巨大な大木に全力で突きを入れたかのような衝撃に、戸惑いを隠せないでいた。

 ライトとしても相手の尋常ではない速度に驚いてはいるのだが、笑顔の仮面で感情は覆い隠されている。


「この一ヶ月の成果を試すつもりで、現状を受け入れたのですが……なかなか、どうして」


 ギルドマスターとの戦いの日々で鍛え上げられた実力を測ることも視野に入れていたのだが、そんな余裕はなさそうだと考えを改める。

 相手はフェイントや駆け引きではなく純粋な速度。フェイントを入れる必要もないレベルの速さ。今の自分の実力では偶然ヒットさせることも難しいだろうと、現状を受け入れた。


「一撃で倒れないのであれば、何発も打ちこめばいい話だ」


 再び、黒頭巾がリングを駆ける。ライトは後方へ軽く飛ぶと、リングの隅に陣取った。背中を金網に密着しそうな程近づけ、後方や側面に回り込めないようにする。


「浅はか」


 黒い影が見えたかと思えば、喉、鼻の下、こめかみに打撃を受ける。

 急所を的確に狙った攻撃が降り注ぐ中、ライトは一切反撃をせずに、リングの隅で固まっている。


「おいおい! てめえに賭けたんだぞ!」


「そのまま、なぶり殺しにしちまえ!」


 身勝手な応援と罵倒が飛び交うが、ライトは雑音を遮断した状態で相手の動きに集中する。四発か、五発、体に攻撃を加えたのちに離脱しているのは体感できた。

 そのタイミングを計り、打撃が降り注ぐ瞬間、ライトは正面を全力で蹴り上げる。脚に何の感触もないが、空振りした蹴りにより巻き起こった風が唸りを上げた。


「そんな博打が――」


 ライトの動きを読んでいたのか、それとも見てから避けたのかは不明だが、黒頭巾は少し距離を取った場所で腕を組み、見据えていた。

 だが、それはライトも考慮済みだった。天井へ足裏を掲げた状態から、リングに足を振り下ろす。

 叩きつけられた足の衝撃により、リングが大きく縦に揺れる。黒頭巾は足元の縦揺れにより、脚がリングから離れ、ほんの少しだが宙に浮く。


「空中は走れませんよね?」


 その声に致命的な隙を晒したことを理解した黒頭巾の眼前には、唸りを上げる拳が迫っていた。腕を交差し、その拳を受け止めた――ところで黒頭巾の意識はもぎ取られる。

 突き上げ気味に放たれた右拳は、ガードごと黒頭巾を撃ち抜き、吹き飛ばされた黒頭巾が轟音を上げ金網にめり込んでいた。


「一応手加減はしましたが……司会者さん」


「はひっ! な、なんでしょうか!」


 何が起こったのか会場の殆どが理解できず、沈黙が支配する場でライトは硬直していた司会へ話しかけた。

 背筋をびしっと伸ばし、陽気なノリのいい雰囲気が完全に消え失せている司会者が、引きつった表情でライトへ伺いを立てる。


「これは、私の勝利で良いのでしょうか。それと、負けた相手に治癒を施して構いませんか?」


「あ、はい、勝利で間違いないです。治癒もどうぞ、どうぞ、お好きになさってください!」


 委縮している司会者が勝利を認め、治癒の許可も得たので、徐々に現状を理解し始めた観客が騒ぐ中、黒頭巾を金網から剥ぎ取る。

 意識は失っているが呼吸も確かなことを確かめ、次に攻撃を受け止めた腕に触れる。黒装束から折れた骨が飛び出ていることを確認すると、ライトは小さな声で「すみません」と謝り、『治癒』を発動させた。

 同時にこそっと自分へ『治癒』を掛けておくことも忘れない。

 その腕が完全に元通りになったことを確かめ、背中と膝裏に腕を通してリング下まで運び、治療係らしき者へ受け渡す。


「傷は治っていると思いますが、慎重にお願いしますね」


 穏やかに微笑み扱いに釘を刺すライトへ、怯えた表情を向け何度も首を縦に振っている。これなら大丈夫だろうとリングに戻り、定位置へ立つと小さく息を吐いた。

 会場は未だに騒然としているが、伊達に司会者はしていないようで、いち早く我を取り戻すと拡声機能付きの魔道具へ声を張り上げる。


「まさかまさかの快進撃! 格闘場始まって以来の超大物新人の登場だぜ! てめえら、いつまでも呆気にとられてねえで、喝采しやがれ!」


 司会に煽られ客から大歓声が沸き起こる。

 興奮が最高潮に達した客が足を踏み鳴らし、会場に地鳴りが発生する。


「てめえら、盛り上がってきたようだな! くうううっ、鳥肌びんびんで、正直俺様も痺れちまっているぜ! さあ、まさかまさかの三試合目に突入だ! 対戦相手は……って、何だ? 盛り上がっているところで……え、オーナー? 対戦相手の変更? 少々お待ちください!」


 司会に駆け寄ってきたのは控室でライトたちへ説明をしていた黒装束のオーナーだった。ライトは金網越しに不審な動きを見せる男を見据える。

 視線を感じ振り向いた黒装束のオーナーが、口元を歪めて笑顔を見せた。


「碌でもない展開が待っていそうですね」


 嘆息をもらし、面倒そうに頭を掻く。そして、ふとあることに思い当たり、顔を二階観客席に向けた。肥え太った大司教が脂ぎった顔に醜悪な笑みを浮かべ、弛んだ頬を揺らしながら愉悦に浸っている。


「確定ですねこれは」


 慌てるだけ無駄だと判断したらしく、ライトは金網に背を預け、時の流れに身を任せるつもりのようだ。


「三回戦の相手は急遽予定を変更して、最強最悪の挑戦者の乱入だっ! 目を合わせたモノは全て獲物! 狂気が支配する、人外の化け物! おい、お前ら死にたくなければ通路を開けろ! 地獄の番犬、ケルベロスの入場だ!」


 会場の扉が開け放たれ、巨大な体躯の犬が姿を現した。体と頭には一切体毛がなく、真黒な地肌がむき出しになっている。馬に匹敵する巨大さよりも人の目につくのは三つの頭だろう。

 血走った目に、鋭い牙が生えそろった口からは唾液が溢れている。床に唾液が零れる度に、何かが焼けるような音と異臭が漂う。

 ケルベロスが入場した付近にいた客は絶叫を上げ、その場から少しでも離れようと他の客を押しのけ、恐慌状態に陥っている。

 唾液が地面に接触すると煙が上がるのだが、その煙を吸い込んだ客が次々と倒れ、白目を剥きながら小刻みに震えていた。


「確か、唾液には毒性があった筈でしたね」


 ケルベロスは闇属性の魔物なので、母に叩き込まれた魔物の知識で既に把握している。ランクはBからA。成体になると小山に匹敵する大きさと噂される程の巨体になるのだが、この大きさはまだ幼子のようだ。

 三つの首に付けられている首輪を見て、ライトはあることを思い出した。


(服従の首輪ですか。確か、幼少の折から育成すれば魔物も操れるようになる魔道具だとか。戦いを知らぬ飼いならされた魔物の可能性も残されていますね)


「だとしたら、CかDランクと言うことも……司会者さん。あれ、格闘家には当てはまらないと思うのですが」


「あ、いや、まあ、そうなんだが、一応素手で武器持ってないからな……」


 この展開は司会者も予想外らしく、ライトの質問に言い淀んでいる。


「普通はこういう展開あるものなのですか?」


「ま、まあ、たまにサプライズとして魔物との戦いはあるぜ。気を付けなよ、こいつ以前対戦相手を食い殺して、人の味を知っているからな」


 魔道具から口を離して、ライトにだけ届くように説明をする司会者が、不器用に片目を瞑った。どうやら、司会者としてはライトの活躍を期待しているようだ。

 ケルベロスがゆっくりと獲物を追い詰めるように、リングへと歩み寄ってくる。ケルベロスとの戦いを想定して脳内で模擬戦を始めてみるが、碌な未来が待っていない。

 相手の噛み突きを腕で塞ぎ、一本腕を犠牲にしたところで、頭はまだ二つある。こちらの頭をかじられれば、そこで話が終わる。

 一撃を加える前に美味しく頂かれる展開しか頭に思い浮かばない。

 ならば、開き直って策を講じるのではなく全力で迎え撃つか。まだ幼いケルベロスなら意外と正面からやれる可能性も残されている。


「やってみますか」


 手を打ち鳴らし、気合を入れなおすと、大きく息を吸い相手を見据えた。

 最後に魔物の知識から弱点は何だったかを必死になって思い出している。確か、ケルベロスの弱点は音楽を聞くと眠る。甘いものが好きでお菓子を上げると喜ぶだったような。

 収納袋はこの場に無いのでお菓子でどうにかすることは不可能。眠らせるような音楽を奏でる道具も技能も持ち合わせていない。やはり、物理攻撃に訴えるしかないと判断した。


「さあ、ケルベロスが間もなくリングに乱入だ! 上ったところからバトルスタートだぜっ!」


 金網の一部が片開きの扉になっていたのだが、ケルベロスは別の入り口を用意しているようで、金網の一部が両開きの扉となり開け放たれる。

 血走った目に異臭を垂れ流す唾液。リングには唾液の跡が穿たれている。

 ライトは口元を押さえ、極力、異臭を吸い込まないようにしているが、リング付近の客で煙を吸い込んだ者が続出しているようで、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 司会者とオーナーはとっくに退避していて、金網周辺には痙攣している客のみとなっている。ライトはシャツを脱ぐと口元に巻きつけ、煙を吸わないように簡易のマスクとした。


「グルアアアアアアアアアッ!」


 遠吠えが三つ重なり、鼓膜を激しく揺さぶる。

 リングの上に飛び乗ったケルベロスの口から溢れる唾液がますます増えている。どうやら、ライトを極上の肉として捉えているようだ。


「では、足掻いてみますか」


 無造作に間合いを詰めるケルベロスを見据えながら、ライトの口元が嬉しそうに歪む。


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