対戦
頭上からは眩い魔法の光が降り注いでいる。
その場で一度足踏みしてマットの感触を確かめてみたが、弾力性も少なく硬い材質で出来ていることが理解できた。
周囲は鉄製の網で囲われ、さながら檻の中の珍獣だ。
そして、リングを取り囲むように無数の人、人、人。未成年はいないようだが、20代から70近くの老人まで見受けられる。誰もが興奮状態で息が荒く、目が血走っている。全員が握りしめている物は賭けの札なのだろう。
「こいつが新たな生贄かっ、まだガキじゃねえか!」
「たっぱはあるようだが、ガキじゃ勝敗は見えたなっ」
「大穴を期待するか……いや、金を捨てるだけか」
好き勝手なことをほざいている観客を見下ろしていたライトだったが、視線を上へと向ける。そこには、壁に沿って作られた二階席があり、そこにいる人々は落ち着いた様子で目元を隠す仮面を着用していた。
身なりもリング脇の人々とは違い、かなり上質な衣類を着込んでいる。趣味の悪い金持ちの道楽といったところかとライトは顔をしかめている。
そのまま、視線をぐるっと一周させると、途中気になる人物を発見した。
金の縁取りが目に優しくない紫色がベースの趣味の悪い服を着込んだ、肥えた人物に見覚えがある。目元は仮面で隠れているが、隠しようのない醜悪な脂肪の塊が、以前見た記憶と一致した。
「偶然にしては出来過ぎですね」
ライトの視線が自分に向いていることに気づいた男は、見る物を不快にさせる下卑た笑みを浮かべ、嘲るように口を歪める。
その瞬間、不審が確信へと変わった。その男は入学試験でライトが叩きのめした、二人の生徒の内の一人――フォルデンの父親でありイナドナミカイ教の大司教だということを。
「仕組まれた罠だったわけですか」
ライトの予想は的中していた。フォルデンの父親は息子の屈辱を晴らす為、そしてあの場にいた自分に恥をかかせたことを根に持ち、復讐の機会を探っていた。
寮から追い出し、墓地近くのあばら家に住むように手を回したのも、今回、闘技場のオーナーに依頼を出したのも、この男である。
「オーナーは上手くやってくれたようだな。クズにはクズの生き方があることを、骨の髄、魂にまで染み込ませてくれる。高貴なる我が一族に歯向かった愚かさを悔やみながら、絶望の中で死に絶えるがいい」
定番悪役のような発言をしてほくそ笑む大司祭の周りに、イナドナミカイ教に属する聖職者が何人もいるのだが、誰もその発言を咎めようともせず、気分を害しないように同意するだけの取り巻きのようだ。
そんな一団をじっと見つめていたライトは、相手がこちらに注目しているのを理解した上で、満面の笑みを返し呑気に手を振っている。
ふてぶてしい態度に大司祭の頭に血が上り、何かをがなり立てているが客の喧騒に埋もれライトの耳に届くことが無い。
大体の事情が呑み込めたところでライトとしては特にすることもなくなったので、金網にもたれかかり、事態が進展するのを待っている。
金網に備え付けられている扉が開き、一人の男がリングに上がってきた。
痩せこけた骨と皮だけで作られたような身体つきで、目だけが異様に大きく骸骨を連想させる男だった。服装は黒のタキシードを着込み、手には小さい筒状の魔道具を手にしていた。
「紳士淑女の皆様方、ようこそこの薄汚れた世界へ」
タキシードの男は大袈裟に手を振り上げ、二階席の客へアピールしている。パラパラと乾いた拍手が降る程度だが、如何にも感謝している素振りで深々と頭を下げている。
「底辺を這いずる糞虫ども! 儲かってるか? それとも、明日首括るのが確定しやがったか!」
今度は口調を豹変させ、金網の周辺に群がる客を罵倒し、煽る。
興奮した客が金網を掴み、目を充血させ、激しく揺らす姿が不死系の魔物に似ているなと、ライトは憐みの視線を向けていた。
「僻むな僻むな糞共。だがな、お前らのそんな鬱憤を晴らすには最適な生贄……じゃねえ、ゲストが彼だ!」
司会とタイミングを合わせ、リング全体を照らしていた魔法の光がライトに集中する。
暗闇にライトの姿が浮かび上がり、観客がどよめく。
「こいつはイナドナミカイ教で噂の新入生、ライトアンロックだ! 何とっ、こいつは借金まみれの同級生の可愛い子ちゃんを助ける為に、この闘技場へと乗り込んできた猛者だ! こいつが三人抜きを達成すれば、彼女も彼も無事、お家へ帰ることができる。ハッピーエンドってやつだ!」
「おいおい、無茶いうなよ」
「可哀想になぁー」
客からの嘲笑と冷笑が飛び交い、憐みを帯びた同情の視線がライトに注がれている。
そんな罵詈雑言など慣れきってしまっているライトは、雑音を無視してリングの上で柔軟を始めていた。
「おまけに、連続四人抜きを達成すれば、可愛い子ちゃんが貯めに貯めまくった借金帳消しのプレゼント付きだ! 何て優しいんだろうな、うちのオーナーは!」
それがどれだけ無謀なことか客は理解しているのだろう。会場が爆発したような笑いで満たされる。
笑い声がある程度収まるまで待っていた司会が、タイミングを見計らい言葉を続ける。
「さーて、お待ちかねの対戦としゃれこもうか! 勇敢なる聖職者のお相手は、初心者キラーの呼び声高いこの男、冒険者崩れドーンだ!」
ライトの身長の数倍はある金網をよじ登り跳び込んできたのは、上半身が異様に発達した男だった。手入れを全くしていない伸びっぱなしの髪がもみあげ、髭と繋がり顔の大半を毛が覆っている。
上半身に衣類を着込まず剥き出しで、下半身は質素な黒いズボンだけ。人間らしいが、亜人と言われた方が納得のいきそうな容貌をしていた。
「ここは武器や防具が禁止だからな。格闘家どうしの熱いバトルを期待しているわけだ。お前さんの荷物や上着預からせてもらうぜ。もちろん、無事生き残れば返すから安心してくれ……生き延びられたならな」
意味深な含み笑いをする司会にライトは黒の法衣を手渡し、腰に装着していた小さな袋も外しておく。
法衣の下から現れたライトの体躯を目撃した観客、司会の口から感嘆の声が漏れる。
体に貼り付く薄手のシャツ一枚。肥大した上腕二頭筋に胸筋、八つに割れた腹筋がシャツに浮かび上がっている。ただ単に筋肉の塊ではなく、それは無駄を削ぎ落とした機能美を兼ね備えていた。
黒の法衣が大きめのサイズだった為、その下にこれ程見事な肉体美が隠れているとは露知らず、思わず見惚れる者が続出している。客も司会も数多くの肉体を見てきた。それ故に、ライトの身体がどれ程異様なものなのか理解してしまう。
細すぎず太すぎない、贅肉が一切見当たらない理想的な筋肉。見惚れてしまうのも無理はない。
「おっと、失礼しました。で、では気を取り直して、賭けを開始するぞ野郎ども! オッズはリングの上の掲示板に表示されているぜ! さあ、はったはった!」
売り子に現金を手渡し、代わりに引換券を手に入れる仕組みのようで、何人もの客が売り子に群がっている。
二階席は優雅なもので、落ち着いた様子で係りの者に現金を手渡している。ただ、扱われる金額は一階とは比べ物にならないのだが。
「そろそろ、締め切るぜ。てめえら、現金を思う存分吐き出したか? なら、とっとと始めようじゃないかっ! じゃあ、いくぜっ! 試合開始だああああっ!」
リング脇に備え付けられている鐘を司会が鳴らし、扉から金網の外へと飛び出す。
ドーンと呼ばれた冒険者崩れは、両手を掲げライトを逃がすまいとにじり寄ってくる。じっと見つめるだけで、これといって構えを取ろうとしないライトを訝しげに思いながらも、距離を徐々に縮めていく。
「残念だったな小僧。初戦で俺と当たるとは。だが、安心しろ。俺は人を殺し慣れている。出来るだけ痛みを覚えずに、あの世に送ってやろう」
「これはこれはご親切にどうも。ところで、そちらの金網の向こうでオーナーらしき方が、呼んでいる様ですが」
「おいおい、そんな嘘に騙されるわけがないだろ。注意を逸らしたいなら、もう少しうまく嘘をつくんだな」
それで視線をライトから外せば、その隙に殴りかかるつもりだったのだが、セイルクロスと違い簡単には騙されてくれないようだ。
「流石、歴戦の格闘家ですね。この程度の駆け引きでは動じませんか。では正面から力勝負としゃれこみましょうか」
相手に合わせて両腕を広げ掲げる。向こうはライトより頭一つ大きく、力もかなりあるように見える。実際、当人も己の力には自信があるようで、力比べに応じるようだ。
「はっ、俺様と力比べしようなんて無謀にも程があるぜ」
ライトの伸ばされた手に自らの手を合わせ、指を絡ませた瞬間、腹の奥に浸透する重低音が響き、ドーンが白目をむき崩れ落ちた。
「……はっ?」
会場中の人々がその行動が理解できず、妙な声が口から漏れる。
リングの上で蹲るドーンの両手は――股間を押さえている。その姿を見た男性の大半が血の気を失う。
「おや、ルール無用の戦いと訊いていたのですが、急所攻撃は反則なのでしょうか?」
ライトが小首を傾げ、金網の向こうで呆然としている司会へ質問する。
その言葉に我を取り戻した司会は、拡声機能のある魔導具を胸元へ持ち上げた。
「い、いや、全く問題ないぜ。聖職者様がまさかの金的とは……んっ、あー、第一試合の勝者はライトアンロックだあああっ!」
勝利宣言が静まり返った会場内に響き渡る。
呆然自失を絵に描いたような客たちだったが、その言葉が浸透するにつれ徐々に驚きの声が上がり始め、それは一つの大きな渦となる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
大穴に賭けていた者の常軌を逸した奇声や、安定の本命だと思いこみ全財産を注ぎ全てを失った者の嗚咽。それらが入り混じり会場は興奮のるつぼと化していた。
ライトの勝ち方はイナドナミカイ教での試合でおこなえば非難の対象だが、この場では当たり前の行為であり、対戦相手が間抜けだっただけの話である。
もっとも、相手が油断する様に、一度わかりやすい嘘をつき見抜かれたうえで、正々堂々と挑む振りをするという下準備はしておいたが。
「てめえら、落ち着きやがれ! まだ、一回戦が終わったところだ。このままじゃ、次の対戦が始められねえだろうが!」
司会が恫喝するが、興奮冷めやらぬ状態の客は未だにざわついている。
そんな観客を眺めながら、ライトは冷静に頭を働かせていた。
不意を突いての金的により、自分の実力を測り損ねている。向こう側としても、次の対戦相手に迷う筈。力を下に見て弱い相手を出してくれれば御の字なのですが。ライトは笑顔の仮面を貼りつけたまま、生き延びる為の策を練っている。
「そろそろ落ち着きやがったか糞まみれの汚物共! 一回戦は卑怯な勝利を収めたライトアンロックだが……っと、この世界で卑怯は褒め言葉だぜ? そんな聖職者見習いの次なる相手は、新進気鋭の格闘家。年齢、出身地全てが不明。格闘スタイルは暗殺術! 謎多きこの男、グレン!」
司会が声を張り上げ、大げさに両手を広げたのが合図だったようで、魔法の照明が一斉に金網に設置された扉に集まる。
煌々と照らし出された扉には誰も存在せず、盛り上がり最高潮に達した空気が一気にしぼんでいく。
「へっ、あれ、グレンー出番だぞ! 何処行ったあああっ」
「ここにいる」
慌てて周辺を見回している司会の叫びに答えたのは、対照的に静かな声だった。
その声の発生源は扉付近ではなくリングからのようで、照明が元の位置に戻り、ライトは再び眩い光に包まれる。
ライトとは真逆の位置であるリングの片隅に一人の怪しげな人物が佇んでいた。
首元から足首まで一体化している装束は黒で染められ、顔には目元だけ空いた頭巾を被っている。体に密着する格好なので体形が丸わかりで、手足が長く少しやせ気味の身体つきをしているようだ。
「えっ!? いつ、リングに上がったんだ。全く気付かなかったぜ……ご覧の通り、存在を消し素早い動きで相手を追い詰め、どんな相手でもその暗殺術で抹殺してきた、期待の新人だ!」
「まだ……誰も殺しては無いがな」
司会に対して小さくツッコミを入れる声は頭巾の布越しということもあり、くぐもって聞こえ相手が若いのか年上なのかも判断が付かない。
身長はライトの肩に届くかどうか程度なので、結構若い人ではないかと勝手な憶測を立てている。凹凸の少ない均整の取れた身体つき。リングにいつ上がったのかも察知できなかった。
油断すべき相手ではないと、表面上は変わらず気を引き締め、相手を注視した。




