入学試験 前篇
「ここが大聖堂ですか……無駄に立派な建物ですね」
穏やかに微笑む青年が、天を貫く勢いで伸びている、大聖堂の円錐状に尖った屋根の先端を見上げ感心している。
その青年は僅かに幼さを残しているが、少年と呼ぶには何処か達観した雰囲気があった。
灰色がかった黒髪に、整った目鼻立ち。歳は15になったばかりだというのに、その身長は成人男性と比べても高い方で、一目見て未成年だと思う者は少ないだろう。
闇を塗り固めたような漆黒のコートを着込み、背には如何にも頑丈そうな大きな背負い袋。
大聖堂の前には相応しくない格好に、不審者を見るような視線が通りすがりの人々から注がれているが、当人は全く気にしていない。
「ええと、確か、ここは側面ですから、正面に回るのでしたか」
この大陸随一の大都市である、聖イナドナミカイ教国の首都に青年が足を踏み入れてから一週間。今日、この日の為にわざわざ辺境の村から旅をしてきた青年は、はやる心を抑えている。
微笑を浮かべたままで表情に変化が無く、余裕があるように見えるが、当人は少し緊張気味だった。
宿屋で書いてもらった地図に視線を落とし、大きく息を吐く。深呼吸を繰り返し、平常心に戻ったのを確認すると、再び歩き始める。
大聖堂の周囲に張り巡らしてある鉄製の塀に沿って移動を続け、5分程度歩いた後に、ようやく大聖堂の正面へと辿り着いた。
「都会ともなると宗教は儲かるのですね。母さんから聞いてはいましたが」
人口が百人程度の辺境の村出身である青年にとって、下手したら村の民家が全て収まる規模の大聖堂は驚きを通り越し、侮蔑の対象に近い。
彼の育ての母は常日頃から神を否定し、宗教を馬鹿にする発言を繰り返す――司祭だった。彼は昔から母の存在に疑問と矛盾を感じていたので、ある日、母に質問をした。
「何で、神様を否定しているのに、聖職者になったの?」
「決まっているでしょ。聖職者は収入が安定しているのよ。それに、聖職者であるだけで、何処に行っても周囲の対応が親切だし、何かと便利なのよ。就職するなら、聖職者はお勧めよ!」
そんな母に育てられた少年はすくすくと順調? に育ち、こうして今、この世界の最大宗派である聖イナドナミカイ教団の総本山である大聖堂を目指している。
彼が何故ここを目指したのか。その答えは彼の前に広がる光景だ。
「大勢いますね。大盛況ですよ」
大聖堂の扉の前に長机が置かれ、何人もの聖職者が机の前に座っている。
そして、机を挟んだ反対側には多くの人々が列を成していた。
三列で真っ直ぐに並ぶ人々は、緊張により顔をこわばらせている者も多く、忙しなく周囲を見回し、並んでいる人を観察している者も少なくない。
「想像以上にライバルが多いですね」
黒いコートの青年は三列の内、一番人の少ない真ん中の列の最後尾へと並ぶ。
その列だけ左右の列と比べ半分ぐらいの人しか並んでおらず、青年は運がいいな程度にしか考えていない。
彼の前に並んでいるのは黒く艶のある長い髪を背中へ流している、少女だった。
青年は同世代と比べて異様に背が高く、目の前の少女は逆に同世代の女性と比べてもかなり小柄だ。真後ろから見れば、青年の陰にその少女はすっぽり隠れてしまっている。
少女は青年の影に入り、急にあたりが暗くなったことを不審に思ったようで、後方へと振り返った。
そして、後ろに並ぶ青年の大きさに驚き、口をポカーンと開けて見上げている。
「初めまして。右も左もわからない田舎者なのですが、ここが聖イナドナミカイ学園入学試験の受付で間違いないでしょうか?」
青年は相手を安心させるように、優しく語り掛ける。
その声に我を取り戻した少女は小さく咳払いすると、表情を整えた。
さっきまでの動揺していた顔は完全に消え失せ、落ち着いた気品すら感じさせる、柔らかい笑みを浮かべた美少女がいる。
大きな目が印象的な美しい少女。まるで高名な画家が描いた絵画から飛び出てきたかのような整い過ぎた容貌に、普通ならば目を奪われ緊張してしまうことだろう。
それが青年の年頃なら、過剰に意識してしまうのが当たり前だ。
「はい、そうですよ。貴方も受験生なのですか。お互い頑張りましょう」
少女も自分の容姿を自覚しているので、この青年も緊張してしまうのではないかと、少しの心配と悪戯心による期待を寄せ、上目づかいで青年を覗き見た。
「お互い合格するといいですね。僕……いえ、私は都会に全く慣れていないので、わからないことばかりで困っていまして。受験についても詳しくは知らず……もしよろしければ、幾つか教えてもらえませんか?」
少年は全く動揺をしていないどころか、少女を意識すらしていない。
産まれてから今まで、美少女と周囲の人々にもてはやされてきた少女にとって、青年の反応は信じ難く、思わず目を見開いてしまう。
この時、少しの対抗心と興味が少女の中に産まれた。待つまでの時間潰しも兼ねて、青年に付き合うことにするようだ。
「もちろん構いませんよ。あ、自己紹介がまだでしたね。私の名はファイリといいます」
ファイリが名乗った途端、列に並んでいた周囲の受験生がざわつく。
「やっぱり、あの子が」
「聖女ミミカの妹だよな。新聞で見たことあるよ」
「姉と同じく、才能の塊らしいぞ」
周囲の反応を肌で感じ、どうやら、彼女は有名人らしいと青年は理解したのだが、特に気にしている様子はない。
少しだけ胸を張り自慢げなファイリだったが、青年の動じない態度に一瞬だけ眉根が寄る。
この列だけ人が少なかった理由がファイリという少女の存在である。
彼女の近寄りがたい美貌も要因の一つなのだが、それ以上に彼女の姉が大きな影響を与えている。
聖女ミミカ――それが彼女の姉である。
まだ十代の若さでありながら世界各地で活躍を続ける伝説の聖職者。その活躍を知らぬ者はこの首都では誰もいない。最近では同年代の英雄と呼ばれる二人の若者と同等に扱われ、三英雄と呼ぶ声もでてきている。
先日も魔境を支配していた死霊の王を封印して帰還したばかりの写真が、堂々と新聞に掲載されたばかりだ。
聖女ミミカが記事で取り上げられる度に、隣で頻繁に写っているのが妹のファイリ。
その影響で美女姉妹の存在は大きく知れ渡り、聖女の妹である彼女が芋づる式に有名になるのも当然の流れだった。
「ファイリさんですか。私はライトアンロックと申します。以後お見知りおきを」
胸に手を当て礼儀正しく頭を下げるライトの態度に、むすっと頬を膨らますファイリだったが、ライトの視線が彼女の顔へと向いた時には、静かに微笑む顔へと巻き戻っていた。
「それで聞きたいこととは?」
「ええとですね。ここでの試験というのは何をするのでしょうか?」
ライトの問いかけが予想外だったのだろう。表情を作った状態のファイリのこめかみに、汗が流れ落ちる。
「……知らないで受験に?」
「はい。全く」
「そ、そうなのですね。ええとですね、まずここでは名前と出身地、年齢を確認されます。そして、試験表を貰い、明日もう一度この場に来て試験を受けることになります」
「なるほど、なるほど」
コートの前を開け、腰に装着した小さな鞄からメモ帳とペンを取り出したライトは、熱心にメモを取っている。
「そこで、まず、自分が助祭を目指すのか、神官戦士を目指すのか、進路を決めてから試験が開始されます」
「助祭? 神官戦士?」
小首を傾げるライトを見て、ファイリが頭を左右に振ると大きく息を吐く。
「基本中の基本ですよ。戦士でありながら簡単な神聖魔法も操れる、神官戦士。治癒、補助魔法に長け、チームの回復役として必須とも言われている後衛の要、助祭。このどちらかの技能を習得するのが、この学園です。受験時に、どちらに進むかを決めておかないと、試験も受けられませんよ」
受験以前に信徒であるならば常識なのだが、そのことをライトは冗談ではなく微塵も知らなかったようで、感心しながら大きく頷いている。
「貴方はその体躯ですから、もちろん――」
「はい、助祭を目指します」
断言するライトの顔を、まじまじとファイリが覗き込んでいる。
「え、ええと、そのコートの下の体、かなり鍛えていますわよね。正直な話、神官戦士が向いている……というより天職に思えるのですが」
大きめのコートを着込んでいるのでライトの体形はわからない筈なのだが、ファイリは躊躇うことなくそう判断した。
「少々人より頑丈で力もあると自負していますが、私が目指すのは母のような聖職者ですので」
ライトは少し照れたように笑うと、頬を指で掻いている。
ファイリも姉に憧れ、姉のようになりたいと願いこの場にいる。ライトの想いを否定できるわけもなく「頑張ってくださいね」とだけ言葉を返した。
「今日は受け付けのみですから、緊張しなくても大丈夫ですわ。明日からが本番ですので」
「そうなのですね。親切にありがとうございます。あ、そうです。もしよろしければ、この後、お礼にお食事でもどうですか。もちろん、私が出しますので」
下心が一切感じられないライトの自然な発言に、ファイリは思わず承諾しそうになるが、慌てて気を引き締め直す。
今まで異性から食事に誘われた回数は数知れず、その全てを無難な対応で躱してきたファイリにとって初対面でナンパしてくる男は嫌悪する対象でしかない。
ファイリとしては少し興味を抱いていた相手だけに、この男も下心を隠し通していただけで他の男達と同じなのかと、ほんの少しだけ残念に思ってしまう。
「お心遣い感謝いたします。ですが、この後、少し用事がありまして」
少しだけ困った振りをして様子を窺う。定番の切り返しに、この男はどう対応してくるのか。普通なら、自分のような美少女との繋がりを絶たれてたまるかと、ここからしつこく食い下がるのだが。
「それは残念です。色々教えてもらったお礼にと考えたのですが、では、またの機会に」
「えっ」
あっさりと諦めたライトの対応に、ファイリの口から驚きの声が漏れてしまう。
目の前の青年は一切抵抗することなく引いた。いや、今までそういう相手もいるにはいたが、そういった場合、連絡先を訊ねてくるか、次にいつ会えるかといったアプローチが必ずあった。
ライトの素っ気なさすぎる態度に、ファイリの心に今までにない感情がこみ上げて来ていた。
(気に食わない……この男、気に食わないぞ! 俺への興味が全くないってのか! くそっ、しつこい相手も鬱陶しいが、この男、ライトの態度はもっとイラつくっ! 俺の魅力になびかないなんて、同性愛者じゃねえだろうな)
表面上は穏やかに対応しながら、心の中で罵倒を吐き続けるファイリ。
彼女は昔から二面性があった。表の顔は誰にも優しくて、礼儀正しく、大人しい少女。それが、周囲の認識である。
だが、本来の彼女は口も態度も素行も褒められたものではない。素の彼女を見たら、俗に言う不良と呼ばれる人をイメージするかもしれない。もっとも、性格がひねくれているだけで、根は優しいのだが。
肉親の前ですら本性を見せず、理想の娘の仮面をかぶり続けている彼女だったが、心の中で悪態を吐くのは日常茶飯事で、その本性を知る者は本人とごく一部の人間のみである。
本心を押し殺して笑みを浮かべ、傍から見れば穏やかに会話を交わしている間に列は進み、ファイリの順番となった。
「では、また明日、試験場でお会いしましょう」
「はい。お互い合格できることを祈っていますよ」
それが、ライトアンロックとファイリの初めての出会い。
この後、この二人は数奇な運命に翻弄されていくのだが、まだ学生ですらない二人には想像もつかない未来の出来事である。