とある教師の憂鬱
「くそおぉ、ライトアンロックめええええぇ!」
イナドナミカイ学園教員独身寮にて怨嗟の声を荒げる一人の男がいた。
木製の机にギリギリと爪を立て、呪いの言葉を吐き続けている痩せこけた男の名は――フォルドルという。学園で神聖魔法の教科を担当している、れっきとした教師である。
何故彼がライトを恨むのか、それを説明するにはまず、フォルドルという男について語らねばなるまい。
彼は大陸の東の果てにある平凡な漁村で生を受けた。
やや小柄ではあったが、健康で何も問題のない赤子だった。小さな村で司祭をしていた父は年老いてからできた初めての子に歓喜し、異常なまでの愛情を注ぐこととなる。
正直、フォルドルの容姿は人並より劣っていたのだが、父はそんな子に対し、
「お前は容姿が素晴らしい。こんな田舎村では、お前の良さがわからないのだよ。都会に出ればモテモテだぞ」
と嘘を並べ、フォルドルを慰める。
またある時、村で唯一勉学を学べる学び舎で、成績が良くなかった息子に対し、
「あの教師はお前の才能に嫉妬しているのだ。気にすることは無い。お前の実力は父さんが一番良く知っているからな」
と成績が悪くても決して叱ることなく、甘やかせ続けていた。
その結果、フォルドルは自分の実力を高く自己評価するようになり、他人を見下すようになっていく。
あまりの育児方針に意見する母親を父は家から追い出し、子への溺愛は悪化の一途を辿り、自分の実力を誤解したまま彼は首都へとやってきた。
そして、そこで現実を突きつけられ、産まれて初めて挫折を知ることとなる。
だが、彼の肥大したプライドは現実を受け入れられなかった。自分は人の上に立つべき人間だと思いこんでいた彼は、同級生で能力の高い相手にこびへつらい、同じチームにどうにか滑り込んだ。
足手まといになりながらも従順な振りをし続け、何とか卒業にこぎつけると、今度は学園の教員となった。
そう、彼は落ちこぼれの生徒を見下し、悦に浸る為だけに教師になったクズの見本のような男。
そんな彼は順風満帆な教師生活を楽しんでいた。
自分の過去を偽り、冒険者時代は冷静沈着で、強者に媚びず、魔物に対し一度も怯えたことすらない。チームの要だったと生徒に語るのが日々の楽しみ。
神聖魔法を教えるのは、習いたての生徒と自分の発動させた神聖魔法との格の違いを見せつけるイベントのような感覚だった。
神聖魔法の才能も人並ではあったが、何年も使いこなしている教師と生徒との間には大きな開きがある。生徒とは、彼の虚栄心を満たすには絶好のカモ。
だが、そんな優越感もある日、覆されることとなる。
基本的に彼は優秀な生徒ばかりが集まる1組から3組を担当することを避け、4組5組6組を受け持つことが多かった。だが、今年ばかりはそれが仇となった。
「ファイリ……初期魔法合格」
「やったー。ありがとうございます」
「マギナマギナ……合格」
「ふっ、当然の結果だ」
聖女ミミカの妹であり、神聖魔法の扱いに長けたファイリ。
魔法の申し子と呼ばれている天才、マギナマギナ。
この二人が何故6組にいるのか。生徒たちのこと等、知る気もなかったフォルドルは事前に調べることを一切していなかった。
6組でクズ相手に威張り散らし、自慢して見下す、という人生最大の楽しみを阻害されてしまっている。そして、それよりも厄介な存在が――ライトアンロック、この生徒だ。
権力者の息子である二人の生徒を入園試験で叩きのめした、あの戦い。それは生徒に興味が無い彼の耳にも届いていた。剛腕で全てを叩き潰した問題児。人とは思えぬ怪力。
まだ、怪力だけなら神聖魔法担当である自分には関係のない話だった。だが、この生徒は初期魔法を誰よりも早く覚え使いこなしたのだ。
「ライトアンロック、合格……だっ」
「上手く発動できてよかったです」
頭を掻いて謙遜しているようなライトの素振りを見て、フォルドルの苛立ちが蓄積されていく。顔も整っている方だというのに、他の追随を許さない筋力と魔法の才能まで得ている、恵まれすぎた男。
フォルドルが嫉妬する材料が揃い過ぎていた。
それから何かと、ライトに対し冷たい態度を取り、嫌味を言うようになったのだが、全くめげていないどころか笑みすら浮かべている。
ライトが初期魔法を覚えてから他の魔法が習得できないと知ると、ここぞとばかりに蔑み、小馬鹿にした態度を隠そうともせずに嘲る言葉を口にするのだが、
「未だに初期魔法以外、全く覚えられないとはな。才能が無いのではないか。そんな調子では聖職者に成ることなど夢のまた夢。さっさと田舎に帰ってはどうだ」
「叱咤激励の言葉ありがとうございます。先生の期待に応えられるように、神聖魔法の鍛錬に邁進します。これからもご指導ご鞭撻の程よろしくお願いします」
と返され言葉に詰まる。
ライトはフォルドルが嫌いではなかった。積極的に話しかけてくる大人が村には存在しないという環境で育った彼にしてみれば、それが遠回しな嫌がらせだったとしても、自分を気に掛けてくれるフォルドルに対して悪い印象は殆どない。
全くめげることなく僻みや怒りすら見せないライトの存在は、フォルドルにとって異質な存在だった。それ故に、どうしても受け入れられない生徒という認識が強まっていく。
そして、それが決定的になったのは聖者の迷宮で階層越えが現れた事件である。
あの日、迷宮に潜った生徒たちの前に階層越えが現れ、教師たちはパニック状態となった。日頃から冒険者時代の自慢をしていたフォルドルに、白羽の矢が立つのは当然のことなのだが、彼は虚栄心で作り上げた張りぼての元冒険者である。
そんな彼が助けに行けるわけもなく、教師たちの前で醜態を晒してしまう。プライドと命を天秤に掛けた場合、秤は命に大きく傾くのがフォルドルの限界なのだろう。
あの時の同僚たちが浮かべた表情。初めから彼の実力を疑っていた者ばかりだったらしく、今まで自分が他人に向け続けていた顔が並んでいた。見下し、嘲る、忌々しい顔、顔、顔。
屈辱に震え、砕け散る寸前のプライドをどうにか繋ぎ止めていたフォルドルだったが、その後伝えられた情報を知り、彼の心に嫉妬の炎が燃え盛った。
教師すら怖気づいた階層越えにたった一人で立ち向かい、生徒を救った生徒――ライトアンロック。彼のどす黒い心にその名が刻まれることとなる。
それからというもの彼はライトを嫌悪し、何とか恥をかかせようと間違った方向に努力に努力を重ねることとなる。
授業中に麻酔で眠らせた野良犬を連れて来て、その腕を切り落とし、この腕を元の状態にしろとライトへ命令する。
腕を切り落としたところで生徒たちから悲鳴が上がり、自分の格を下げていることにも気づかないフォルドル。彼の頭の中はライトの無様な姿が見たいという欲望のみで占められていた。
切断された部位を元に戻すには『治癒』では不可能とされている。回復魔法として『治癒』の上位魔法となる『再生』でなければならない。それを知った上で、ライトへ無理難題を押し付けたのだ。
「はい、わかりました」
ライトは席から立つと、教卓の前まで進み犬へ手をかざす。
ああ、こいつは『治癒』で治せると思っているのか。とにやける口元を押さえるフォルドルだったが、次の光景を目の当たりにして血の気が失せた。
「大丈夫、元に戻してあげますからね。治癒」
本来、仄かに光る程度の『治癒』とは比べ物にならない光量が犬の体を包み込み、切り落とされた腕の切断面が見る見るうちに塞がっていく。
「はっ、えっ、ど、どういうことだ……」
「骨も神経も元に戻っている筈ですが、これで宜しいでしょうか」
そう言っていつもの微笑に見えるライトの表情だったが、その視線は殺気を孕んでいた。
ライトは動物には優しい。村での生活で母を除いて唯一の話し相手が、野生の動物たちだった為、食料を得るため以外の目的で無暗に動物を傷つける相手には容赦をしない。
それに加え、母からの教えもあった。
「自分より弱い存在に優しくできない人間は生きる価値が無い。もちろん、敵意や害があったり、嫌いな相手は対象に含みません!」
ライトとしてもその考えには同意できるので、母からの守るべき教訓の一つとなっている。
「はひっ」
その気迫に呑み込まれ、フォルドルは情けない声を漏らしてしまう。
いつも威張り散らしている教師の醜態に、生徒たちから押し殺した笑い声が流れてくるが、それを咎める余裕すらなかった。
「もう、席に戻っても構いませんか?」
「あ、は、はい……あっ、ごほんっ。ああ、いいぞ」
何とか表面上は取り繕ってみたようだが、時すでに遅し。この日、フォルドルはライトだけではなく6組の生徒たちからの信頼も失うこととなる。
だが、それでめげる男ではなかった。
どうしても、ライトの醜態を大衆の面前で晒したい。そう考えたフォルドルはある計画を実行に移す。
毎日学食で食事を済ませるライトが何をメインに食べているのか観察を続け、毎週、水の日だけは欠かさず、魚の煮つけを食べていることを突き止めた。
そして、今日は水の日であり、午後から実技の試験があるという絶好の日より。
そこで、フォルドルは今日に限って急に体の不調を訴えた食堂で働く職員に、自分が代わって手伝いましょうかと持ち掛け、臨時として食堂で働くこととなった。
(万事順調だ。これで上手く滑り込めた。あとはこれを……)
エプロンのポケットに潜ませた粉薬を確かめ、フォルドルは邪悪な笑みを浮かべている。
彼は唯一得意とする学問があった。薬学である。それも、毒物の扱いに特化してだが。
学生時代もその知識と腕を生かし、気に食わない相手に痺れ薬や軽い毒を盛り、体の不調を誘発させていた。今回、食堂の職員が体調不良を訴えたのも、この男が盛った毒物のせいである。
フォルドルが用意したのは遅効性の毒。それを体内に取り込むと一時間後に体に異変が起こる。急激な腹痛が起こると同時に体の筋肉が緩むという、極悪な性質を持つ毒であった。
(これを奴が摂取すれば、試験の最中に苦しみ出し、生徒や教師の前で糞尿を垂れ流すはめになる。くふふふふっ、想像しただけで笑いが止まらんぞおおおっ)
調理場の片隅で不気味に笑う臨時の職員を見て、他の職員が関わり合いにならないよう遠巻きに作業を続けている。
「すみません、魚の煮つけをお願いします」
待ちに待ったライトの声が聞こえると、フォルドルはマスクと頭巾で顔を隠し、煮つけを渡そうと動いた職員を押しのけ、奪い取る。そして、粉薬を振りかけカウンター越しに待つライトへ魚の煮つけを手渡した。
「ありがとうございます」
疑うことなく受け取ったライトを見て、マスクの下で勝利を確信した笑みを浮かべた。
ライトは席に着くと、躊躇うことなくその魚を口にする。何度か咀嚼して呑み込んだのを確認すると、食堂の仕事が途中だというのにフォルドルは調理場から抜け出し、運動場の片隅に置かれたベンチに早々と陣取る。
「早く、早く、こい」
そのまま、午後の授業を待ち続けていた。
午後の授業が始まり。運動場では一斉に試験が開始された。
生徒が一対一で実戦形式の戦いをするようで、ライトの出番は直ぐにやって来る。相手は好都合なことに実技担当の教師カリマカである。
体育会系のカリマカを苦手としていたフォルドルは、戦いの最中にカリマカも糞尿に塗れればいいと密かに期待している。
ライトとカリマカの戦いは一進一退の攻防だが、やはり年の功と経験の差が物を言うようで、最終的には地面に叩きつけられたのはライトだった。高レベルな戦いに生徒たちと同様に思わず見入ってしまっていたフォルドルだったが、そこで当初の目的を思い出す。
「何故、何故、平然としている……まさか、配合を間違えたのか? かなり強力に作った筈なのだが。これを摂取すれば三日三晩腹痛に悩まされ、口にした食事は全て下から流れ出るという凶悪なものなのだが」
とっくに一時間は過ぎているというのに、ライトに変化はない。
至って平然と授業を受け、二時間が経過すると校舎へと戻っていった。薬の種類を間違えたのかと訝しむフォルドルは、放課後自分の席で毒薬の確認をしていた。
「いつもと変わらぬように見えるのだが、臭いも微かに鼻を突くような香りはいつも通り。おかしいぞ、配合率を間違えたのか」
小さい皿の上に毒薬の粉を盛り、視線の高さまで上げ光に透かしてみるが変わりない。もう一度匂いを確認する為に鼻へとその薬を近づけると――
「フォルドル先生、残業なのですか」
背後で大声が聞こえ、背中を強く叩かれた拍子に、その粉薬が少し口内に流れ込んでしまう。
「かはっ、ごほごほっ。し、しまった! 薬がっ」
「おや、すみません。服薬中でしたか。これは失礼しました」
慌てふためくフォルドルに対し、すまなそうに頭を掻いているライトだったが、それどころではないようなので、静かにその場を立ち去った。
ひとしきり取り乱した後、暫くすると少し冷静さを取り戻したようで、深呼吸を繰り返して息を整えている。
誰かが背後から声を掛けてきたが、それが誰だったのかもフォルドルは狼狽えていて覚えていない。
「よ、よくよく考えてみれば、薬の効果が無かったのだ。私が飲んだところで問題は無い」
気を取り直し、今度の嫌がらせをどうするか暗い決意を胸に秘め、フォルドルは帰宅した。
そして、次の日。
午前中の神聖魔法の授業時間だというのに担当のフォルドルが現れない。
ざわつく生徒たちだったが、職員室から戻ってきたファイリが教室に入ると、計ったかのようなタイミングで静かになった。
「皆さん、フォルドル先生は日頃の疲労がたたり、体調を崩されました。暫く休職されるそうです。今日は午後まで自習しておくようにと言伝を承ってきました」
急に授業が休みになりはしゃぐ生徒たちの中で、ライトだけはいつもと変わらなかった。窓から外を眺め、ぼそっと呟く。
「私のスキル『状態異常耐性』を知らないでしょう。もう少し、生徒へ興味を示した方がいいですよ」