真相
鉛色の薄汚れた天井が視界に広がっている。自分の置かれた状況がわからずに、意味も無く手を伸ばしてみた。筋肉が発達しすぎた腕は間違いなく自分――ライトの腕だった。
「ここは」
どうやら仰向けでベッドに寝転んでいるのは理解できたようだが、何故こんな場所に居るのか頭が追い付かない。確か、試験と称したギルドマスターとの戦いがあり、あからさまな挑発に乗り、怒りで我を忘れて――そこから先が思い出せない。
戦いもある一定のところまでは思い出せるのだが、そこから先の記憶に靄がかり、記憶がおぼろげだ。ライトは何とか思い出そうと頭を捻るのだが、どうしても思い出すことができないでいる。
「いきなり唸り出して、頭が痛むのかい?」
直ぐ隣から聞こえてきた声に驚きライトが顔を向けると、そこには心配そうに覗き込むギルドマスターの姿があった。
「えっ?」
「おや、お前さんも驚いたりするんだね」
記憶の混濁もあり気が動転していたライトは珍しく笑顔の仮面を脱ぎ捨て、青年らしい表情を見せていた。
「あ、いえ、失礼しました」
すぐさまいつもの笑顔を顔に貼り付け、さっきの動揺をなかったかのように振舞っている。そんなライトを見て、ギルドマスターは年相応の可愛さもあるもんだ。と思いはしたが、それを口にすることはない。
「すまなかった。お前さんの秘密を探るためとはいえ、母親を蔑むようなことを口にしてしまった。本当にすまない。このとおりだ」
ベッドの縁に両手を置き、深々と頭を下げるギルドマスターをライトはぼーっと見つめている。年上で権力がある人間というのは自分の誤りを認めず、クズばかりだ。という実体験を踏まえた愚痴交じりの教育を母親から受けていたので、そういうものなのだとライトは思いこんでいた。
村ではライトを汚いものでも見るように蔑む大人と、怯える子供ばかりだった。学園では担任を除き、自分の過ちを認めない教師が多い。むしろ、生徒に対し謝る教師を見たことが無い。
だというのに、ギルドの頂点に立つこの女性は目の前で、冒険者に成ったばかりの自分に頭を下げている。それがその場しのぎで打算のある行動だったとしても、ライトは軽い感動を覚えていた。
「いえ、頭を上げてください。私が未熟だっただけのことですので。あの時は怒りに我を忘れてしまいましたが、考えがあってのことなのですよね」
頭に血が上り過ぎていて、戦いの最中には気が付かなかったが、冷静になった今ならわかる。大量殺人を犯した可能性のある自分が何者であるのか、調べる為に悪役を演じたのだろうと、ライトは推測する。
「ああ、そうだ。あの村の惨状についての情報を得ていてね。まるで、超級の凶悪な魔物に襲われたかのような、酷い有様だったという話じゃないか。粉砕され四肢が欠損した多くの死体。お前さんを疑い警戒するには充分すぎる材料だったからね……それで本当のところは聞かせてもらえるのかい?」
静かに問うギルドマスターの態度に、ライトは背筋を伸ばし淡々と事実だけを語り始めた。
「はい。戦いの最中に言ったことに間違いはないです。私が村人を殺しました。あの日、イナドナミカイ学園の受験に必要な買い出しを終え、村へ戻った私は家が荒らされていることに気づきました。村人から遠回しの嫌がらせを何度も受けていましたので、嫌な予感がした私は母の姿を探し、教会へ向かいました。その教会の中には……全身から血を流す母の死体がありました。私は我を忘れ、母を取り囲んでいた村人に襲い掛かり、この手にかけたのです」
「なるほど……承知した。確か、あの村の住民はかなり腕が立つとの噂を聞いたことがあるのだが、村人を一人で全員殺したのかい?」
「村人の大半は何かしらの訓練を受けていたようで、素人の動きではありませんでした。私と母は村人と殆ど接点がなかったので、あの日まで知りませんでしたが。私が手にかけた相手ですが、全員では……無い筈です。我を失ってはいましたが、私に襲い掛かってきた相手だけを倒した……と思います。老人や子供には手を出していません。覚えている限りですけど」
ライトの告白にギルドマスターの片眉がぴくりと揺れる。ライトが目を覚ますまでの間に、廃村と化したライトの村の情報は集めるだけ集めておいた。その資料に目を通したところによると、民家の中にあった死体には欠損箇所がなく、胸を鋭利な刃物で一突きと報告にはあった。
それも、殆どの家屋内に老人や幼い子供の死体が遺棄されていた。抵抗した形跡がなく、屋外に散らばる原形を留めていない死体とは死因も異なっていた。
殺害を認めたライトがそんなことで嘘を言うものなのか。おそらく、嘘は言っていないとギルドマスターは推察する。ただ、自分と戦った時の変貌ぶりを見る限りでは、我を失い無差別に殺人を繰り返したとも考えられる。だとしたら、余計に死体が刃物による刺殺だというのが納得できない。
「まああれだ。ライトを信用しよう」
「確証もないのに信じるのですか?」
「おうさ。私はごちゃごちゃ考えるより直感で動く方が向いていてな。勘が嘘を言ってないと判断した。そもそも、格闘家ってのは拳を交わせば相手とわかりあえる特殊な人種でな」
親指を立てライトに突き出し、ニヤリと笑う。
「何と言いますか、いい加減ですね……ですが、ありがとうございます」
大量殺人者である自分の言い分が通るなんてライトは微塵も思っていなかった。それだけに、ギルドマスターの判断と優しさが心に滲みる。
「一応訊いておくが、私との戦い何処まで覚えている?」
「ええと、殴る蹴るの暴行を散々加えられて、意識が朦朧としていたところに、今度は精神をいたぶられて頭に血が上って……そこまでですね。やはり、あの後、私は気を失ったのでしょうか」
神力開放を発動させたことが記憶から抜け落ちているライトは――惚けているようには見えない。額に手を当て必死になって思い出そうとしているようだが、そこから先は何も思い出せない。
「ああ、叫んだ後にばたりとな。ところで話は変わるが、焦げ茶色というか土色の服を着て楽器を背負った男に心当たりはないか?」
「いえ、これといって。村での生活では他人との接点が殆どありませんでしたし、首都に来てからも宿屋と武器屋ぐらいしか行っていませんから。土色の服装に楽器ですか、あれですね。大昔の英雄、土塊の吟遊詩人と似ているような」
「やっぱ、お前さんもそう思うかい。まあ、伝説の吟遊詩人だからね。その格好を真似る者も多いそうだが……んーーー」
顎に手を当て唸るギルドマスターをライトは眺めることしかできないでいる。何かぶつぶつと呟いているが、結局答えは出なかったようで、しかめ面のまま話を続けた。
「まあ、それはいいとして、ライト、学園の授業内容はどうなっている? 一週間の授業内容ってのは変わらないのかい」
「ええまあ。火、水、木、風、土、陰、陽のうち、火と水の日は学園内で魔法と戦闘技術の鍛錬に当てられています。木、風、土の日は迷宮へ潜る日です。私は組む相手がいなかったので、体を鍛えていることが多いです。陰、陽の日は授業がなく休みとなっています」
この世界の一週間は七日間で、火、水、木、風、土、陰、陽と呼ばれている。そして、曜日ごとに属性が強化される。火の曜日は火属性魔法の威力が上がり、火属性の魔物は凶悪になり身体能力や特殊能力が向上する。
ただし、陽の日だけは少し異なる。陽――つまり、光の神に与えられた力である神聖魔法の威力が増すのは、他の曜日と同じなのだが、陽の日だけは闇属性の魔物が弱体化するのだ。その為、闇属性の魔物退治を生業としている者は陽の日に行動を起こす。
学園でその日が休みとなっているのは、弱体化した相手に慣れてしまうと自分の実力を履き違えてしまい、本来の強さを発揮する魔物を相手にする時に油断が生じないようにする為の予防策らしい。
「なるほどね。うちのギルドに加入するって事は組む相手が見つかって許可が下りたって事かい?」
「はい、そうです。マギナマギナさんと組む予定になっていますよ」
「マギナマギナ!? お前さんは驚きが尽きないね。あの混色の魔法使いと組むのかい。そういや、イナドナミカイ学園に入学していたって話だったね。そうか、そうか」
冒険者ギルドもマギナマギナの才能に目を付けていたので事前に情報は得ている。全ての属性を操るあの子が神聖魔法にも手を出すというのかい。天才と異端児。この二人がコンビを組む。その事実に頬が緩むのを必死で堪えていた。
「くそぅ、私がお前らと同年代だったらな。一緒に冒険してみたかったぜ」
膝をバシバシと叩き、本当に悔しそうにぼやいている。
もういい年の大人でありながら時折見せる子供っぽさに、ライトは自分の中の警戒心が緩和されていくのを自覚する。母の破天荒さに通じる部分があるギルドマスターを見て、何か思うところがあったようだ。
「それで、授業内容がどうしたのですか?」
このままでは話が逸れたまま元に戻りそうにもなかったので、ライトは自分から問いかける。
「あ、すまんすまん。つまり、陰と陽の日はお前さん暇なんだな?」
「ええまあ、そうですが」
「よっし、決めた! ライト、私の弟子になれ!」
満面の笑みを浮かべ、堂々と言い放つギルドマスターの言葉の意味が理解できず、ライトはまじまじと相手の顔を見つめた。
「え?」
「折角恵まれた体なんだ。最大限に生かしたいだろ? ライトの怪力は格上の相手にも通じる力だ。私の元で鍛錬を積めば、もっともっと強くなれる。毎日来いなんてことは言わないが、陰と陽の日だけ私のところに来て修行しろ……あ、いやまて。木、風、土の日も追加だ。段階越えが出没した影響で、原因究明の為に暫く迷宮は立ち入り禁止だからな」
「折角、迷宮に潜れると思ったのですが……」
ライトは迷宮探索を楽しみにしていたらしく、その情報に軽く落ち込んでいる。
「私の弟子になるなら、誰にも負けない強さを与えてやる。どうだ?」
この申し出は破格の条件だ。入園一年目、何の後ろ盾もない一介の生徒に、SSランクである伝説の格闘家が鍛えてくれると申し出てくれたのだ。断る理由は何処にもない。
だが、ライトは迷っていた。相手の狙いと思惑がわからない。自分を弟子にして何の得があるのか。それに、村人殺害の罪を問われていない。
そこまで考えると、ライトは思考を止めた。
「今、色々と考えを巡らせたのですが、時間の無駄なので直接伺います。私は大量殺人者です。弟子以前に法で裁かれなければいけない存在の筈です。何故、そんな私を弟子に取ろうと思ったのですか」
ライトの真剣な眼差しに、ギルドマスターの表情も改まる。視線を受け止めた上で、肩に手を伸ばし力強く叩いた。
「お前さんに罪が全くないとは言わない。だがな、仇を討つことはこの国では認められた行為だ。内容が真実ではなく虚偽だったとしても、その証拠は何処にもない。村の生き残りであるお前さんの証言が、唯一無二の真実だ。誰かがいちゃもんつけてきたら、この拳でねじ伏せてやるさ。私がライトを信じると決めたんだ、それでいいじゃないか」
無茶苦茶な理論で断言するギルドマスターの迫力に圧倒され、ライトは大口を開けたまま黙り込んだが、すぐさま哄笑する。
「ぷっ、あはははは。ギルドマスターともあろうお方が、そんなことでいいのですか。はぁー。こんなに笑ったのは久しぶりですよ。弟子の件、喜んで受けさせてもらいます」
涙目の目元を指ですくい、大きく息を吐いて呼吸を整えると、もう一度正面から見据える。そして、ベッドの上に座り直すと頭を下げた。
「よし、これで決定だな。我が弟子ライトよ、これからよろしくな!」
茶目っ気のあるウインクを一つして、手を伸ばす。
「はい、師匠。これからよろしくお願いします」
ライトはその手を強く握り返した。
この日、最強の格闘家と異端の聖職者見習いが師弟関係となった。この情報は瞬く間に学園や権力者、冒険者たちへ広まり、ライトは益々注目を浴びることになる。
そして、噂は飛躍し、学園最強の新入生と皆が認識し始めた頃、それを良しとしない者たちが動き始める。そんなことをライトが知る由もなく、日々は表面上、平穏に過ぎ去っていく。
ライトがイナドナミカイ学園に入学して四ヶ月半が経過し、波乱万丈な一学期が終わりを告げ、熱い夏の日が訪れようとしていた。
これにて一章終了となります。
閑話を一話挟んだ後に、二章が開始します。
引き続きよろしくお願いします。