人の力
「一体何をっ……そうかっ!」
空中で体を捻り仰向けの状態になると、背中から地面へ落下する。このままではライトの体と地面に挟まれることを理解したギルドマスターは、背を蹴りつけるようにして離れた場所へ着地する。
受け身も取れない状態で地面に叩きつけられたライトだったが、何もなかったかのように体を起こす。
ここで『治癒』を使われたとしても関節が外れた状態が元に戻ることは無い。骨を折ったわけでもなく、外れているだけなのだ。ギルドマスターは経験としてそれを知っている。関節をはめなければ治癒の効果は無い。
それを理解しているのかそれとも、初めから使う気が無いのか、ライトは『治癒』を発動することなく、両腕をぶら下げた状態で愚直に歩を進める。
膨大な力を永遠に持続させることは不可能だろうとギルドマスターは踏んでいる。おそらく体にもかなりの負荷がかかっているのではないかと。痛覚のない体だからこそ、動くことも可能だが、本来なら限界を超えた体の動きに、筋繊維や骨が耐えられるわけがない。
「もって、二、三分ってとこか。だが、逃げ回るのは性に合わないね。それに、受けに回れば待つのは死」
油断なく構えを取るギルドマスター。
ライトは大きく脚を振り上げると、地面を踏みしめる。荒野の硬い岩盤はその一撃で破壊され、無数に砕け散った岩盤が粉塵と共に浮かび上がる。
その破片をライトは次々と蹴飛ばしていく。無数の破片が横殴りの雨の様にギルドマスターへと降り注ぐ。
その速度は目で追えるレベルを超えていたが、軌道が直線であればギルドマスターにとって避けることは容易であった。
一つ、二つ、三つと華麗な脚捌きで踊るように躱している。そのまま全ての破片を問題なく避けきるかと思えたのだが、最後の一つをライトは全力で蹴り込んだ。
普通に蹴れば破片は怪力により砕け散るだけなのだが、ライトは足の甲に破片を乗せ、その場で一回転をすると脚を使って破片を投擲した。
その破片は事前に放った破片たちを幾つか追い抜くが、ギルドマスターの近くまで迫ると一つの破片とぶつかった。それにより、ぶつけられた方の破片が軌道を変える。
間近で方向を変えた破片を避けきれずに、上腕を掠る。それだけだというのに、その威力に体が押されてしまう。
普通、これ程の威力を秘めた破片同士がぶつかれば、お互いに粉砕されそうなものなのだが、ライトは蹴り込む際に破片へ気を流し込み強化していた。
『気』でも同様に物体へ気を通し、ただの木の棒を鉄の棒並の強度へ一時的に変化させることが可能だ。それを格上の『神気』でおこなったのだ。ただの破片は今、鋼よりも硬い物質へと変化している。
体が揺らいでいるところに、破片の豪雨。更に、掠めた破片以外にも衝突された破片が幾つも軌道を変えていた。躱しきる事は不可能だと、頭を切り替え。出来るだけ被弾する面積を減らそうと、右脚を後ろに引き半身になる。
致命傷や体の動きに支障が出る箇所の破片を優先的に弾き、受け流していく。
神気でコーティングされた礫は鏃を弾くより危険で、触れる度に皮膚と肉が削げ、骨が軋むが気にしている場合ではない。
髪が千切れ飛び、衣服は切り裂かれ、決して軽傷とは言えない傷が無数に刻まれていくが、その程度で怯む女ではなかった。
「魂が削られ、精神が研ぎ澄まされていく感覚……やっぱ、たまらないね!」
ギルドのトップに居座ってからは何かと事務仕事が増え、ストレスが溜まる日々だった。今こうして命を懸けて戦っている、この瞬間。ギルドマスターは生きている実感を噛みしめている。
一つでも弾くのをミスすれば、その瞬間に死が訪れる。だというのに、口元に浮かぶのは笑み。まるで子供のように目を輝かせている姿は、命を懸けた戦いだというのに無邪気に遊んでいるかのようだ。
左半身を血で濡らしながらも攻撃を耐えきったギルドマスターが目にしたのは、目の前に迫るライトの姿だった。
素早く無事な方の右半身を前に出し、ライトの足の動きに細心の注意を払う。
両腕が使えない今、攻撃手段は足技のみ。攻撃手段が限られていて、フェイントを織り交ぜない攻撃など、どれだけ威力があろうが喰らうことは無い。
迎え撃つギルドマスターの守りきった右拳には、溜めこんだ気が限界まで練られている。
相手の攻撃を躱し、この拳を打ちこむ。気の大半を拳に集約したので、これを外せば終わりだ。それを理解した上でギルドマスターは勝負を挑む。
(右か左脚か……頭突きという手もあるが、この間合いでは届かない。さあ、どっちだ!)
筋肉の脈動、関節の曲がり具合、その全てを考慮して事前に相手の予備動作を見切る為に、全神経を眼に集中していた。
ライトの右脚が僅かに動いたのを素早く察知し、来るべき攻撃に構える。
回し蹴り、正面への蹴り、足元を払うような下段の蹴り、予想すべき攻撃の軌道が瞬時頭に浮かび、必要最低限の動きで避けられる最短のコースを選び出す。
ライトの攻撃は爪先を大地にこすり、砂を巻き上げながらの蹴りだった。
目潰しも兼ねた砂は全て無視をして、ライトの蹴りだけに集中する。眼球に薄らと気を纏わせることにより砂を弾き、瞬きもせずに迫りくるライトの足だけを注視する。
顎を狙いすました足先に対し、上体を少し仰け反らせることにより躱してみせた。そして、攻撃の終わった瞬間を狙い、必殺の一撃を叩き込む――つもりだった。
「えっ」
あとはこの右拳を突き出すだけ、たったそれだけのことだというのに全身の力が抜け、ギルドマスターは膝を大地に突いてしまう。
ギリギリだが完全に避けきった筈の蹴り。だが、実はその一撃は顎をかすめていた。
超一流の格闘家であるギルドマスターは相手の見た目から骨格を予想し、実際に何度か打ち合うだけで、攻撃のリーチを完全に見切ることができる。
それ故にライトの蹴りをギリギリで躱すことができたと、そう思っていた。だが、ライトの蹴りはギルドマスターの予想より、ほんの少しだけリーチが伸びていた。
「まさか、自分で関節をっ」
高く掲げられた脚の膝から先が力なく垂れ下がっていくのが目に入る。ライトが地面を蹴ったのは目潰し目的ではなく、強引に自らの関節を外し、攻撃範囲を伸ばす為だった。
理解してやったのか偶然の産物なのか、ギルドマスターには判断できなかったが、理由はどうであれ、ライトの一撃は顎をかすめることにより、衝撃が頭蓋骨に伝わり、脳水に浮いた脳を激しく揺さぶった。
その結果、軽い脳震盪を起こしたギルドマスターは、視界がぼやけ脚に力が入らなくなる。
致命的な隙を晒した相手を見逃すわけもなく、ライトは肘の抜けた腕を鞭のようにしならせ、脳天に叩き込もうと振り下ろす。
風を切り裂き迫るライトの腕を見つめ、ギルドマスターはこの状況で笑ってみせた。倒すことは叶わなかったが、ここまで傷を負わして時間を稼げば、何とかなるだろうと考えた上での笑み。
「すまないね」
目を閉じ、静かに謝罪の言葉を吐く。
破壊の鞭が頭をカチ割ろうとしていたその時、直前でライトの腕がぴたりと止まる。
いつまで経っても訪れない死を訝しみ、瞼を開けたギルドマスターの目に跳び込んできたのは、黒い髪の毛の様な糸で雁字搦めになったライトの姿だった。
状況が把握できないギルドマスターだったが、ライトの遥か後方に地味な色合いの服を着込んだ男の姿を目にする。
その男の手から黒い糸が伸びている。それがライトの動きを抑え込んでいるのだろうと、瞬時に理解した。
本部のギルドで登録した冒険者は全て把握しているギルドマスターだったが、その男に見覚えが全くない。かなり距離があるので顔は確認できないが、土色の服に、頭には同色の帽子。肩口から少し見えているのは弦楽器か。それに糸を使うスキル。
そんな特徴的な相手であれば印象に残っている筈なのだが、ギルドに登録されている上位の冒険者で、その特徴に当てはまる者をギルドマスターは思い当たらない。
彼が何者であれ、自分を助けてくれたことは事実であり、今が絶好のチャンスであることには変わらない。何故だかは不明だが都合のいいことに、ライトの全身から溢れ出していた白銀の光がかなり弱まっている。
「くっ、うおおおおおおおおおおっ!」
体内に気を巡らせ強引に状態異常を回復させると、雄々しく立ち上がり、全身全霊を込めた正拳を黒い糸を引き千切ろうとして暴れているライトの腹へ、めり込ませた。
衝撃に大気が震え、二人を中心として砂が放射状に飛び散っていく。
拳に伝わる確かな手ごたえに口角を吊り上げたギルドマスターだったが、肉体が限界を超えていたようで、拳を突き出したポーズのまま大地へと崩れ落ちた。
ライトの体からは光が消え、全身から力が失われた状態でその場に立っている。正確には糸により固定されている為、倒れることが許されない。
そんなライトの体がゆっくり後ろへ倒れていく。まるで誰かがライトの背中に手を当て、寝かしつけるかのように。
大地へ仰向けに寝かされたライトは完全に気を失っているようで微動だにしない。
死闘を終え、瀕死の重傷のまま気を失った二人の元に、一人の男が歩み寄る。
その男の手からは黒い糸が伸びている。その糸を辿るとライトの全身を包む糸へ着く。
男は大地に膝を突き、ギルドマスターとライトの脈、呼吸を測り、小さく頷くと腰に装着している小さな袋から、二つのガラスの小瓶を取り出した。
蓋を開け、二人の全身に中身の液体を注ぐ。すると驚くことに、ギルドマスターの半身に刻み込まれた無数の傷が見る見るうちに塞がっていく。
ライトの関節は男の操作する糸の動きによりはめ込まれると、関節が外れ赤く腫れていた部位も色が薄れ、元の状態へ戻っていく。
男は二人がまだ気を失っていることを確認すると、ライトの隣に跪き耳元に口を寄せた。
『今日、神力開放を発動したことを忘れるんだ』
囁くと、仰向けの状態のままライトの全身が一度大きく揺れる。
そして、今度はギルドマスターの元へと歩み寄るが、見下ろした状態のまま何かを思案し始めた。
暫くそうしていたのだが、ライトと同様に耳元へ口を寄せる。
『起きていますよね。ライトは神に選ばれし子です。成長するまで見守ってやってください』
それだけを伝えると、ギルドマスターへは何もせずに背を向ける。
そして、そのまま歩き去っていった。
男の姿が見えなくなると、その場に上半身を起こす者がいた――ギルドマスターである。
「気を操作して、気絶している振りがバレていたのかい。しかし、意味深な言葉を残していってくれたもんだ」
『気』を極めつつあるギルドマスターにとって、気絶の振りなど朝飯前なのだが、あの得体の知れない男には見抜かれていたことに、内心驚いていた。
それにあの声と言葉。あれには力が、強制力が宿っている。何とか抵抗ができたが、ある程度の段階を超え精神力が高くなければ、抗えないだろう。洗脳系のスキルだろうと憶測は立てられるが――ならば何故、自分の記憶を消そうと思わなかったのか。
ライトと同様に記憶を消すか捏造しておけば済んだ話なのだが。もしや、抵抗されることを考慮済みで私に頼んだのか。
「しかし、何者かねあの男は。この怪我を一瞬で治す傷薬なんてお目にかかったことがないぞ。それに、土色の服に弦楽器。おまけに糸使いか。まるで、5、600年前に存在したと伝えられている、伝説の吟遊詩人、土塊だな。偉大な魔法使いが200年近く生きたという話を伝え聞いたことはあるが……」
見た目はどう高く見積もっても二十代から三十代半ば。歳を取らない種族で真っ先に思いつくのが魔族だが、あの男からは魔族特有の闇属性の魔力を感じなかった。
「面倒事がてんこ盛りだねぇ。ライトの暴走した力に、それを抑え込んだ糸使い。選ばれし子。やれやれ、頭使うのは苦手なんだが」
静かに眠るライトの寝顔を眺めながら、ため息を吐く。
「神力開放か」
その言葉に思い当たる節はある。神力、神の力。
ギフトとは神から与えられた贈り物である。これは一般にも知られていることなのだが、実はギフトには人々に知られていない希少なギフト――特別な贈り物と呼ばれるものがある。
スペシャルギフトは唯一無二の能力であり、それ故にギフトと比べてかなり強力な能力を有する。そんな、スペシャルギフトの頭には神の文字が与えられる。
ライトが口にした神力開放。そこから導き出される答えは、スペシャルギフトの所有者であるということだ。
「スペシャルギフト、神力。他のスペシャルギフト所有者は何人か知っているが、神力は初めて聞くな。この情報は取り敢えず私の胸にしまっておくとするか」
ライトの力が危険だということは充分すぎるぐらいに理解できた。だからと言って、ここで息の根を止める気は消え失せていた。
特別な贈り物を所有する者は神から使命を与えられた者だという逸話が、特定の人物にのみ伝えられている。イナドナミカイ教の枢機卿以上の位を持つ聖職者や、冒険者を纏める存在であるギルドマスター。そして、一部の王族。
ギルドマスターとしては、そんな確証もない噂話で縛りつける気は毛頭なく、スペシャルギフトを所有する者には、こちらから伝えはするが、その後の判断は当人に任せることにしていた。一度たりとも教団や王へ伝えたことが無い。
「まずは制御できるように鍛え上げるとするか」
今後の方針を頭でまとめると、大地に体を投げ出す。
傷口が塞がったとはいえ、失った血が戻るわけではない。帰りが遅すぎる場合は、様子を見に来るように伝えておいたので、職員の誰かが迎えに来るだろうと楽観して眠りにつくことにした。