神の力
犯行を認める発言。そうではないかと思ってはいたのだが、こんなにあっさりと認めるとは考えていなかった。ギルドマスターはライトの真意が掴めず、思わず見つめてしまう。
生気もなく表情の変化もなく、仮面でも被っているかのような顔。瞳に冷たい光を宿している姿は人形の様だ。魔法で仮初の命を与えられた土人形を彷彿とさせる。
「それで、貴方は私をどうするおつもりで」
「何故そんなことをしたのか聞いてから判断するかな」
「ただ……母を殺した村人が許せなかっただけです。ただ、それだけです」
ライトの言葉に嘘は無いだろうとギルドマスターは推測する。
自分の犯行を誤魔化すわけでもなく、淡々と語ったライトに怪しい素振りは一切ない。ギルドマスターをやっていると、嘘の得意な冒険者や情報屋の相手なんて腐る程経験してきた。相手の嘘を見抜く自信はかなりのものだ。ましてやライトアンロックはまだ15歳。自分を駆け引きで騙すには若すぎる。
だとすれば、ライトは本当に独りで村人の全てを殺したということになるのか。100人近い村人をライト一人の腕で倒せるものなのだろうか。人を超えた力を有しているとはいえ……それに、あの村には特殊な噂があった。
村人の殆どが独自の武術に通じ、腕に覚えのある者ばかりだという眉唾な噂。体を鍛えることを村の掟とし、日夜鍛錬にいそしむ。あの村を訪れたことのある冒険者からの情報では、Bランクを超える猛者が何人もいたとかどうとか。
よそ者を受け付けない閉鎖的な村でありながら、イナドナミカイ教の司祭だけは受け入れる、謎多き村。
(これ以上の追及はやめておくべきか……いや、組織の為に汚れ役を買って出るのは上の人間の役目だ。どんな非道な手段であれ、ライトアンロックの引き出しを全て引き抜き、中身をぶちまけさせないとな)
ギルドマスターは上唇を一舐めすると、頭の中で組み立てた台詞を口にする。
「仇討か。それが本当なら情状酌量の余地はある。だが、お前の母が殺されるに値する人物だったとしたらどうだ?」
「母を……愚弄するのですか」
殺気が更に膨れ上がる。だが、それだけではない。ライトは額に脂汗を滲ませながら、何かに耐えるように歯を食いしばっていた。
その姿は内包されたナニかが体内で暴れ、溢れ出そうとしているのを懸命に堪えているかのように、ギルドマスターの目に映っている。
(やはり、母親が逆鱗のようだね。さっきまでの丁寧な口調も、常に笑顔を浮かべ内心を覆い隠しているのも、そのナニかを悟られないようにする為かも知れないね。怒りを面に出さないように日頃から予防線を張っていた……もう一押しか)
村壊滅の謎を解くためにはどうしても知らなければならない事実。それを得る為にギルドマスターは心を揺さぶり煽る。
「聖職者でありながら裏で村中の男に股を開き、金を得ていたのかもしれんぞ。そして、金銭絡みの揉め事で殺された。何て展開も考えられるだろ」
「訂正しろ……今すぐ、訂正しろ……」
この程度の挑発に乗ってくるのか。まあ、所詮15の若造。精神の鍛錬はまだまだ未熟って事かい。ライトの鍛えるべきポイントは内面かも知れんな。ギルドマスターは冷静に頭を働かせながら、ライトの一挙手一投足から目を離さない。
「はっ、何故、訂正しなければならない。腹が立つって事は心当たりがあるんじゃないのか? 辺境の村で、女手一つでお前さんを育て続ける。その苦労は並大抵のものじゃないだろ。男の肌が恋しくなることもあるわな。大人になればわか――」
ギルドマスターの言葉を遮ったのは飛来する巨大な岩だった。
慌てることなく、その場でしゃがむことにより大岩を躱す。それを投げつけたのは確かめるまでもなくライトだ。ライトの脇に半分以上地面に埋没した岩があったのだが、その場所には代わりに大穴が開いている。
「黙れ。僕を侮辱するのも蔑むのも構わない。好きにすればいい。だが……母を貶める発言だけは許さない。訂正しろ……さもなくば」
「さもなくば、なんだい? ライト、お前さんと私との間には打ち砕くことのできない、巨大な壁がある。それは承知しているだろ。それにその右腕完全に壊れているよな。それを元に戻すには『治癒』ではなく『再生』が必要だろ。学び始めてまだ半年足らずのお前さんが使えるとは思えない」
勝ち目はない。わかりきっていることだ。だというのに、ライトは諦める様子が無い。
幽鬼のようにゆらゆらと揺れながら、緩慢な足取りでギルドマスターへ向かって行く。
「無駄だと言っているだろ。お前さんが怒ろうが悲しもうが、状況が変わることは」
「『治癒』」
ライトがボソッと呟くと、全身が白い光に包まれる。
それが聖属性の光であることは理解できたのだが、その光量がギルドマスターの知る『治癒』の輝きとは違っていた。
「それは、本当に治癒な――」
ギルドマスターの言葉は途中で力により遮られる。
一足飛びで懐に飛び込んできたライトの放つ拳は――壊れている筈の右手だった。
治癒では完治することがないと思いこんでいたギルドマスターは、その一撃に対して反応が遅れてしまう。
咄嗟に腕をクロスして、腕と腕が重なる位置で拳を受け止めたギルドマスターの体が、まるで強風に煽られた一枚の紙のように、軽々と宙を舞う。
「な、何て馬鹿力だいっ!」
激突の瞬間、ギルドマスターが所有するスキル『気』を発動させ、腕を『硬気』で覆い強化していたというのに、受け止めた腕の骨にヒビが入っている。
空中で体勢を整え、地面に着地するが勢いが止まらず、数メートル後方まで引きずられた二本の足跡が大地に刻み込まれた。
「色々驚かせてくれるね。尋常ではない治癒力に想像を軽く凌駕する怪力。だけど、まだ足りない。その程度で村一つを壊滅させられるとは」
「うるさい、黙れ」
着地後を狩る目的でライトは至近距離まで迫っていた。
無駄口を叩く口を閉じさせようと、ライトの拳が顎を狙うが、軽く首を傾げるような動作のみで躱されてしまう。
初めから一撃で倒せると思ってもいなかったライトは突きの連打を放つ。が、その全てを易々と避けられてしまった。
「威力、速度ともに申し分のない攻撃だが技ではないな。戦いで磨かれた独自の戦闘方法なのだろうが、あまりにも直線的過ぎる」
側面に回り込んだギルドマスターは、頭を刈るように回し蹴りを放つ。顔の側面を庇うように左腕を上げたライトの口から
「がはっ!」
大量の空気が漏れた。
わけのわからないライトが己の体を確認すると、上段に放たれた筈の蹴りが脇腹にめり込んでいた。
「お前さんは魔物ばかりと戦ってきたようだね。接近戦の駆け引きを教えてくれる人がいなかったのだろう。だから、こんな簡単なフェイントに引っかかる」
更に右の突きと見せかけて、左の拳がライトの頬を捉える。
右と思えば左。拳と見せかけて下段の蹴り。変幻自在の格闘術がライトの体を容赦なく打ちのめしていく。
「頑丈さも大したものだが、痛みを感じないというのは恐ろしいもんだ。普通なら激痛で動けない怪我を負わしているが、まだまだ余裕があるようだね」
両腕共に力なくぶら下がり、片足も本来曲がってはいけない方向へ曲がっている。
だが、ライトは微塵も諦めていない。冷たく光る瞳がギルドマスターを凝視している。
「そんなに謝らせたいかい? ならば、力尽くでやってみな。お前さんはそれができなかったから、母を……見殺しにしたんだろっ!」
話しかけながらも攻撃の手は緩まない。防御もできずに全身へ打撃が襲い掛かっている最中、ギルドマスターはライトと視線がかち合う。
ライトの目には怒りや哀しみといった感情が消え失せている。だからと言って無表情ではない。力のない者を憐れむような、悲しげな目がギルドマスターを射抜く。
もう、抵抗する力も気力も失っている……いや、失うべき状況でライトは小さく口を開き、その言葉を口にした。
「神 力 開 放」
その瞬間、ライトの存在が消えた。目の前に存在しているというのに、まるで絵か彫像を見ているかのような、希薄な存在感。
ライトが口にした言葉の意味を理解しようとするより早く、内部から圧倒的な力を秘めた白く輝く光が溢れ出す。
白銀に輝く光を目にしただけで、その神々しさと威圧感に体と魂が震える。
「こ、これは聖属性の光……いや、気か……違う、その二つとは異なりながらも等しい光。全てを包み込むような白銀に輝く光……白銀、いや、まさか、これは神気なのかっ!?」
ギルドマスターは唐突にあることを思い出した。自分がライトと同じ年代だった頃、師匠が口にしていた気の究極形。神のみが放つ神々しい光。それが、神気。
ライトアンロックは神の子、もしくは神の使いとでも言うのか。だとしたら、私は神を敵に回すような真似をしたということか。やばいどころの騒ぎじゃないな。
頭が現状を理解するより早く、修羅場を何度も潜ってきた体が反応する。ライトの前から跳び退ると距離を広げた。
「禁断の箱を開けちまったか。まさか、神気にお目にかかれるとはね。ライトアンロック。お前さんは本当に一体……」
その声に反応してなのかは定かではないが、伏せていたライトが顔を上げる。その顔を見てギルドマスターの頬が引きつる。
「気を……失っているのか」
瞳を除いた眼球が金色に輝いているが、目に力が感じられず虚ろだ。ライトはじっとギルドマスターを見据えているようで、その視線は固定されていない。眼球が微妙に上下左右へと暴れている。
「暴走した力に呑み込まれているってところかい。正直、どれ程の力なのか見当もつかないが、このまま放置して町にでもいかれたら大惨事どころの騒ぎじゃないね」
乾いた唇を潤す為に舐めると、静かに深呼吸を繰り返し体内で気を練る。
『気』というのは魔法の才能が無い者でも鍛錬次第で身に着けることが可能なスキル。格闘家や戦士といった前衛で戦うことが多い職業に好まれている。
気の効果としては身体能力の向上。一時的な体や物体の硬質化。魔法弾のように気を球状にして撃ち出す。全身から微量に気を放出して相手の気配を探る等、用途は多い。
ギルドマスターは『気』の熟練度が高く、最大まで高めることにより継続時間は短いが、身体能力を数倍にはね上げることが可能だ。ただし、時間が過ぎれば指一本動かすのも億劫に感じる程の倦怠感を覚えることになる。
「自分のしでかしたことだ。すまないな、ライト。私の命に懸けても元に戻してやるぞ」
金色の気が全身から湯気のように立ち上り、体中の筋肉が限界まで膨張して、ミシミシと軋む音がする。腰を落とし、両足に力を集め極限まで筋肉を圧縮した。
ライトは全身から神気を垂れ流し、一歩一歩大地を踏みしめるように距離を詰めてくる。あれ程までに痛めつけられた全身の怪我は、いつの間にか完治している。
立場が逆転したギルドマスターの顔に浮かぶ感情は喜び。この状況で未知の敵を目にし、怯えるよりも心が弾む自分に思わず苦笑してしまう。
「ったく、現役を退いても、血が滾るかっ」
鋭く呼気を吐き、溜めた力を一気に開放する。踏み込んだ大地には亀裂が走り、歩幅が広く跳ぶようにして地上を駆ける。
助走も付けずに一気に最高速まで加速したギルドマスターは、無駄のない動きで拳を放つ。左腕を引く力に腰の回転、更に全力で踏み込んだ脚を大地に叩き込む。基本中の基本でありながら、ギルドマスターが最も鍛錬を続けた、ただの正拳突き。
無駄を極限まで削ぎ落とし、相手を破壊することのみに重点をおいたその一撃は、ライトの腹を捉えた――かのように見えた。
その攻撃に対するライトの反応は、まるで小蝿を追い払うかのように手を振る。それだけだった。
研ぎ澄まされた打突と、やる気の感じられない動作。
パンと軽い音が鳴ると、ギルドマスターの拳が弾かれ大きく逸れる。力の余波で体が浮きそうになるのをどうにか堪えるが、無防備な上半身がライトの前にさらけ出された。
「ぐおっ、ここまでの差がっ」
ライトの右腕がギルドマスターの胸に伸びる。体勢が崩れ躱す余裕はない筈だったのだが、後方へ軽く跳びながら避けるのではなく、その腕に飛びかかった。
「関節技の経験はあるかいっ!」
腕にしがみ付き、右脚を相手の首、左足を胸元に伸ばし、全身の力を込め、関節を本来の可動域とは真逆の方向へ折り曲げる。
この世界において関節技に対する認識は殆どないと断言していいだろう。そもそも、魔物が跋扈する世界で関節技に価値を見いだせないからだ。関節のない魔物もいれば、人型であっても巨大過ぎて関節技をしかけようがない魔物も数多く存在する。
ならば人間相手には有効なのかと考えるが、全身鎧に身を固めている相手には無意味であり、通用する相手は軽装の者ぐらいだろう。だが、それなら殴るなり斬るなりした方が早い。
わざわざ関節を取り、折るという、二つの過程を経る動きは必要とされないのだ。スポーツや試合だけならまだしも、命懸けの戦いでその技は必要なのかと問われれば、誰もが首を横に振る。
しかし、ギルドマスターは関節技に長けていた。そもそも、武器を扱わずに素手で相手を倒そうとする格闘家という人種は異常だと当人たちも自覚している。
格闘家には矜持がある。人はその肉体のみで何処まで強くなれるのか。そして、強くなるためには何でも貪欲に吸収しなければならない。武器の代わりに多種多様な技を。頑強な防具の代わりに、人体に対する知識を。
そんな無謀な奴らがこの世界を生き抜き、今も格闘術を広めている。戦いと死が直結する世界で、死に絶えることなく二代以上続いている格闘術は全て常識では計ることができない――異常な存在なのだ。
生を受けてから15年しか経っていないライトにとって、その経験は未知の物であり、理解の及ぶ動きではなかった。
振り払おうと激しく腕を振るう度に、関節が更に逆方向へと曲げられていく。自分の怪力が逆に作用し、自らの関節に負担をかけていることをライトは気づかない。
ここで、『痛覚麻痺』が悪い方向へと働いた。痛みを感じていれば、これ以上動かせば自分の関節が破壊されることを予期できただろう。だが、ライトにはそれがわからないが故に、もがく。
その結果、関節が限界を超え外れた。
使い物にならなくなった右腕を離すと、ギルドマスターは距離を取るのではなく、今度はライトの背中へと取り付く。
背中におぶさるような格好のギルドマスターを捕まえようとライトが、無事な左腕を伸ばすが、それこそが求めている行動だった。
自分が誘導されていた事にも気づかず無造作に伸ばされた腕を、ギルドマスターは脇で抱え込み、肘と手首の関節を極める。
ここでライトが我を失っていなければ、同じ轍は踏むことはなかっただろう。だが今は本能のみで動いている状態である。再び力任せに振り払おうとして、両肘と肩の関節が外されてしまう。
「どんなに怪力でも両腕を封じられれば、威力は半減以下だよ」
両腕を破壊したギルドマスターは再び背に陣取り、今度はライトの首を絞めにかかる。相手を引き剥がすための腕は使い物にならず、抵抗手段を失ったかのように見えた。
だが、ライトは何を思ったのか、背にギルドマスターがおぶさったまま、大きく垂直に跳躍をした。