酒場での一夜
「推薦状と入学試験時のお礼も兼ねて、今日の夜にでも夕食をご一緒にいかがでしょうか?」
姉からの推薦状を渡したその日の放課後、教室内にはまだ帰っていない生徒が数名。雑談に花を咲かせる者もいれば、読書をする者もちらほら見かけるが、大半の生徒はもう帰宅したようだ。
夕日の射し込む教室で、ライトは帰り支度を始めているファイリに話しかけた。
ファイリはじっとライトを見つめる。いつもの笑顔を見る限り、下心は無いように思える――というより、ライトの異性として全く見ていない態度に若干イラつくぐらいだ。
本当に深い意味など全くなく、純粋にお礼をしたいだけなのだろう。だというのに、気分が高揚している自分。それを素直に認めたくないので、ついついもったいぶった対応をしてしまう。
「今日ですか……急なお誘いなので、時間が空けられるかどうか……」
小首を傾げ、如何にも悩んでいる風を装う。頬に手を当てているのは、にやけているのを誤魔化す為なのだが、ライトがそれに気づくことは無い。
教室に残っている生徒たちの驚いた視線が二人に注がれているのだが、ライトは相変わらず意にも介していない。
「お忙しいのでしたら、また今度で――」
「あっ! 大丈夫ですわ! そういえば、今日は暇だったのを思い出しました」
パンと手の平を打ち合わせて、今思い出したかのように装うファイリ。
「それは良かったですよ。では、夕食にはまだ早いので、三時間後に大聖堂の前の公園で待ち合わせというのはどうでしょうか?」
「わ、わかりました。では、楽しみしていますので」
「はい、私も友人と一緒に夕食を共にするという経験が無いので、凄く楽しみです」
屈託なく笑うライトの顔が子供のようで、ファイリは思わず見入ってしまう。
あ、こんな顔もできるんだ……と、素の姿に初めて触れた気がして嬉しくなり、ファイリも目尻が下がり、柔和な笑みを返す。
いい雰囲気の二人に対しての嫉妬を含んだ視線と、何かに期待する黄色い声が教室内を飛び交っていた。
待ち合わせの時刻より少し早いが、ファイリは既に公園に到着していた。
いつもの白の法衣ではなく、肩が露出した淡い青のワンピースを着込み、何度も自分の髪を指で弄っている。
肩から掛けた小さな鞄から手鏡を取り出し、前髪と服装のチェック回数は10を軽く超えていた。
「べ、別に、期待しているわけじゃないぞ。俺は、そんな軽い女じゃないからな」
誰に言い訳しているのか、この台詞も何度目かわからない。
右に左に行ったり来たり、忙しなく公園内をうろつきながら、今や遅しとライトの到着を待ち構えていた。
「すみません、お待たせしましたか」
記念すべき20回目の服装チェックを終えた瞬間、背後から声を掛けられる。
ファイリは直ぐには振り向かず、顔がにやけるのを強い意思で抑え込むと、いつもの少し澄ましたような顔を作り上げ、勢いよく振り向いた。
「いえ、私も今きた――いえ、かなり待ちましたわ」
弾んだ声が一気に沈み、声から抑揚が消える。目からも光が消え、泥の様に濁った瞳がライトの顔と両脇に注がれている
「それはすまなかったな! 今日は思う存分、食って飲んで騒ごうではないか!」
簡素ではあるが仕立ての良さが窺える白の半袖と、シックな色のズボンが結構似合っているセイルクロスが、白い歯を剥き出し豪快に笑っている。
「今宵の宴により、我と親友の絆は更に深まることになるだろうっ」
マギナマギナが胸を張り、恥ずかしげもなく大声を張り上げる。
胸と肩の一部だけを覆う光沢のある革製の胸当て。足を大胆に露出しているローライズ過ぎる短パン。頭にはいつものつばの広い緑の帽子。いつもの格好から法衣を脱いだだけなのだが、へそも太股も剥き出しの格好に、ファイリは思わず唾を飲み込んだ。
自分の胸元に視線を落とし、もう一度マギナマギナに目を向け、暗い笑みをこぼす。
「では、皆さんと一緒に食事に参りましょうか。事前に予約しておきましたので、安心してください」
「ほう、手際がいいな!」
「うむ、気が利くではないか!」
テンションの上がっている三人をぼーっと見つめ、ファイリは大きくため息を吐いた。
「わかっていた……ああ、わかっていた。こいつはこういう奴だってな……」
ファイリの諦め交じりの呟きは、誰の耳にも届いていない。
「どうしたのですか、ファイリさん。行きますよ?」
心底楽しみにしているライトの無邪気な笑みを見ていると、どうでも良くなってきたファイリは自分の頬を挟み込むようにして叩く。
「はい、行きましょうか」
穏やかに目を細め笑っているだけだというのにライトはその笑みに凄みを感じ、額から汗が流れ落ちた。
「お、ふ、た、り、とも、今宵は楽しく過ごしましょうね」
その言葉に棘がある気がするのだが、その理由がわからずライトの笑みが凍り付く。
セイルクロス、マギナマギナもそういった心情は全く理解できないので、言葉通りに受け取り、満面の笑みを返していた。
大聖堂から南に下り、目的地に着くとライトは後方に控えている三人に振り返る。
ライトの背後には二階建ての木造建築物があり、首都に点在している宿泊施設と兼用した一階が食堂という一般的な宿屋のように見えた。
「ええと、ここになります」
「あ、ここって最近噂の銀の語り部亭!」
急に大声を上げたファイリに全員の視線が向けられる。
「あ、ごめんなさい。クラスメイトから聞いた話なのだけど、最近凄腕の吟遊詩人を雇って、その歌を目当てに常時満員だって話ですよ」
「ほう、それは楽しみだな!」
「もしや、我が愛してやまぬ、あの物語が聞けるやもっ!」
期待が高まる三人を眺めながらライトは首を傾げている。
初めて首都に来た時にお世話になった宿屋で、お勧めの食事処を聞いただけなのだが、今更そんなことは言えないなと、内心の動揺を読まれないように笑顔を顔に貼り付けておくライトだった。
宿屋の扉を開けると店内から溢れ出した騒音がライトたちを呑み込む。
自慢話を繰り返しては仲間からうんざりされている冒険者。
家族で食事に来たのだろう。壁際で口いっぱいに料理を頬張り、母親から注意されている子供。
友人関係らしき二人連れなど、老若男女を問わず店は賑わっている。
ライトは繁盛している店内の様子を観察していた。
厳つい冒険者が多めでありながら、こういう場所としては珍しく女性の姿も結構見受けられる。ライトが宿泊していた宿屋兼食堂は男女比率が9対1ぐらいだったのだがと、訝しんでいる。
「黒のコートってことは昨日予約に来たライト君だね。ええと、扉脇の隅になるけどそこで勘弁しておくれよ。カウンター付近の席は激戦区で、予約がなかなか取れない状況なのよ」
ライトに話しかけてきた女性はこの店の看板娘らしく、エプロンと三角巾が様になっている明るい栗色の短髪の女性だった。
「かなり繁盛していますね」
指定の席に腰を下ろし、ライトは感嘆の声を上げる。
その言葉を聞いて店員は自慢げに顔を緩めると、店の奥を指さす。ライトたちが釣られてその方向を覗き見るのだが、団体が占拠していて客の背中しか見えない。
「お客さんで見えないだろうけどさ、うちで雇った吟遊詩人が演奏してくれるおかげよ。お蔭様で大繁盛さ! メニューはそこにあるから、注文が決まったら呼んでおくれ!」
店員はそれだけ伝えると急いで別のテーブルへと移動する。
「では、適当に頼みましょうか。皆さん嫌いなものや食べたいものがあったら言ってくださいね」
ライトの注文に応じて、次々と運ばれてきた大量の料理が机を占領していく。
こういった場所では酒も嗜むのが常識なのだが、ライトたちは未成年であり、尚且つ聖職者見習いである。必然的に飲み物は果汁の搾り汁となった。
「では、料理も飲み物も行き届いたようですね。今日は私の奢りですので、遠慮せずに。それでは、乾杯!」
「かんぱーい!」
果汁が並々と注がれた杯を掲げ、食事会が始まる。
店の自慢の一つである料理に舌鼓を打ちながら、皆が食事を楽しんでいた。ある程度、腹も膨れてくると、ファイリが手を休め仲間の顔を見渡しながら口を開く。
「しかし、今更ですが妙な面子ですよね。マギナマギナさんとはまともに会話したこともありませんし」
「うむ。自分は全員と接点があるので違和感がなかったが、そういえばファイリ殿はマギナマギナ殿と親しくはなかったな」
「我は孤高のダークウルフだからな。群れることを好まん」
「そう言えば、そうでしたね。では、改めて軽く自己紹介でもしましょうか」
ライトの提案に全員が頷き、まず口火を切ったのはセイルクロスだった。
「まずは自分からいこう。ただ、自己紹介するのも芸がない。お互いの事をもっと知る為に……そうだな、聖職者を目指す理由も追加で話すというのはどうだ!」
その意見に誰も反論がないようなので、自己紹介にプラスして聖職者に成りたい動機も話すという流れが成立した。
「では、自分はセイルクロスという! 代々、聖騎士を輩出している家系だ! 二つ下に可愛い弟がいる。いずれは自分も聖騎士になり、ゆくゆくは聖騎士長を目指しておる! 聖職者になるというのは息を吸うのと同等ぐらい当たり前の事であり、イナドナミカイ教の御旗のもとで、正義を執行する為にこの学園に入学した!」
その説明を聞き、ライトは彼らしいなと納得している。
信仰心も本物なのだろう。神を信じ、正義を疑わない。純粋で強い想いを堂々と叫ぶセイルクロスがライトには眩しく見えていた。
「次は我か……我の名はマギナマギナ! 全ての魔法を極めんが為に、唯一神聖魔法を学ぶことが可能なこの学園に入学した」
椅子に片足を置き両手を大きく広げることに、何の意味があるのかライトには理解が及ばなかったが、言いたいことはわかった。
噂で属性魔法を全て行使できる天才魔法使いだとは聞いていたが、それが本人の口から伝えられたことで確信を得た。神聖魔法の初期魔法しか発動できないライトとしては羨ましい話だが、僻む心は無い。
これも母からの教えの一つなのだが
「自分にできないことを出来る人は尊敬して見習いなさい。決して僻まないように。ちょっと、羨ましがるのはありよ人間だもの。あ、でも悪いことは別だからね? そして、自分が当たり前の様に出来ることを他人ができなくても見下さないこと。自分の常識が皆の常識なんて自惚れたりしないで。貴方は優しい子だから大丈夫だと思うけど」
そうやって、優しく諭す母をふと思い出していた。
破天荒で無茶苦茶な事を言うこともある母だったが、時折、心に響く一言があり、ライトは愚直にその言葉を守り続けている。そうすることが、母への孝行だと考えていた。
「じゃあ、次は私ですね」
ライトが過去に想いを馳せている間にファイリの順番が来たようだ。
「ファイリと申します。皆様ご存知だとは思いますが、聖女ミミカは私のお姉様です。セイルクロス様と同じく代々聖職者の家系ですので、物心ついた頃にはイナドナミカイ教を信仰しておりました。神に仕える為に学び邁進する日々です」
胸に手を当て語る姿が様になっていて、そのまま絵画として壁に飾りたいぐらいだった。題名は神に仕えし聖女見習いというのはどうか。と、関係ないことをライトは考えている。
「最後は私ですね。皆様ご存知だとは思いますが、ライトアンロックです。司祭である母のような聖職者に成りたいと思い、はるばる北方の名もなき村からやってきました。私の怪力を恐れていた村人とは触れ合う機会もなく、村八分の環境でしたが、こうやって皆様と出会えて、本当に嬉しく思います」
全員の自己紹介の成果はあったようで、暫くすると食事を始める前よりだいぶ打ち解け始めていた。人の適応能力とは大したもので、マギナマギナの痛々しい発言も、テンションが上がり過ぎているセイルクロスの鼓膜を揺るがす大声も、ファイリはもう気にならなくなっていた。
今まで自分の将来を見据え媚を売る者や、仲良くなろうと必死な男ばかりを目にしてきたので、企みを全く感じない態度に好感を抱き始めている。
ファイリは表の顔と裏の顔を使い分け自分を偽って生きている。そんな彼女にとってマギナマギナとセイルクロスの偽ることなく、本心をさらけ出す生き方が少し羨ましかった。
「私も皆さんの前では本と――」
意を決した告白を口にしようとした、その時。弦を一度弾いた音が店内に響き渡った。そんなに大きな音ではないというのに、騒いでいた客が一斉に黙り込み、店内が静寂に包まれる。
客、店員を含めた、店中の人が一点に集中している。
全員の視線の先にいるのは、全身を土色で固めた服装の吟遊詩人だった。ライトたちの位置からは見ることは叶わないが、音の源へ全員が顔を向けていた。
再び楽器の弦が弾かれる。初めは静かなスローテンポな曲で、人々は手を休め心地よい音色に身を任している。
そのまま流れる曲を永遠に聞いていたい。誰もがそう思っていたのだが、その考えは一瞬にして覆される。
吟遊詩人の歌声が朗々と流れ、口から物語が紡ぎ出されると、聞き手の脳内に鮮明に映像が浮かび上がってきた。
自分が物語の主人公になったかのような錯覚に陥った人々は、主人公が死闘を繰り広げている場面に差し掛かると歯を食いしばり、慕う相手との別れに涙を流す。物語の世界に没頭していた人々は、主人公の行動に一喜一憂していた。
演奏が終わると、邪悪な神の使いが支配する島から離れた主人公と、彼や仲間を信じ続けたヒロインの想いに心を揺さぶられ、店内に嗚咽が充満する。
ひとしきり涙を流し終えると、今度は拍手と歓声が乱れ飛ぶ。
「今日も、最高だったぞ!」
「くうううっ、土塊の冒険、贄の島編はたまらんな、やっぱ」
「あの美声……体が内側からとろけそう……」
歌声と演奏の技量、物語の内容、その全てに満足がいった観客から称賛の言葉が降り注いでいる。ライトたちも姿が見えないが、惜しみのない拍手を吟遊詩人へ送っている。
「お姉様に連れられて王宮でお抱えの吟遊詩人の歌を聞いたことがあるけど、それを遥かに上回っているわ……圧巻ね」
呼吸をすることすら忘れていたファイリが大きく息を吐き出すと、その妙技に舌を巻いている。
「うおおおおおっ、土塊ぇぇぇ!」
内容に感動したセイルクロスは嗚咽を漏らしながら、物語の主人公の名を叫んでいる。
「久々に聞いたけど、やっぱり最高……我の憧れである黒い風を纏いし少女はっ!」
マギナマギナはどうやら、物語に登場した主人公の仲間の一人に思い入れがあるらしい。
ライトはというと初めて聞く土塊という名の吟遊詩人の物語に聞き惚れ、静かに感動していた。
「こんな物語があったのですね。初めて知りましたよ……」
「土塊の吟遊詩人を知らないなんて人生の九割を損しているわよ! いい、そこに座って聞きなさい」
「既に座っているのですが」
興奮しすぎて口調がまともになったマギナマギナに捲し立てられ、ライトは背筋を伸ばす。
「簡単なあらすじ程度だけど……まず、土塊というのは邪悪な神の僕の企みにより贄の島に送り込まれた人々の一人でね。その島では送り込まれた人同士で殺し合いが始まるの。だけど、土塊は戦闘に向いたスキルが殆どなかったので罠や策略を駆使して死闘を繰り広げながら、同じ境遇の仲間を集め生き残るお話よ」
「そこは、さっきの弾き語りでも触れてい――」
熱く語るマギナマギナの息継ぎのタイミングに合わせて言葉を挟み、長くなりそうな話を遮ろうとライトは企んでいた。
「でねでね、土塊も素敵なのだけど、途中で仲間になる黒い風を纏いし少女が本当にカッコいいのよ! 無口でありながら鋭い指摘と独特の台詞にもう痺れて痺れて、あの生き様もいいわよね。懇意にしている相手がいるのだけど素直になれなくてついつい、憎まれ口を叩いてしまう女心の複雑さを学びたい男性にもお勧めよ」
ファイリの肩が小さく上下に揺れる。今の言葉に何か思うところがあったようだ。
「闇魔法に長け、身体能力も高く、敵陣を掻きまわす姿は疾風の如く。戦闘シーンも素晴らしいのだけれど、それよりも一途な想いと仲間の為に命を捨てる覚悟を見せたあの――」
「すみません。それ以上はネタバレになるので。お話を伺い興味を持ったので、今度、関連した書籍でも集めてみますよ」
これ以上会話に付き合うと、明日の朝まで語りそうな勢いだったので、取り敢えず興味がある振りをして、お茶を濁すつもりだった。
だが、マギナマギナはそれを聞いた途端、目の色が変わる。さっきまでも、かなり興奮気味だったのだが、更にテンションが上がり鼻息も荒い。
「だったら、私の本を貸してあげるわよ! 土塊の吟遊詩人についての本はかなり集めているし、おすすめは、黒い風を纏いし少女を主役として取り扱った外伝よ!」
「い、いえ。そんな大切なモノをお借りするのは……」
「大丈夫! 保存用二冊に布教用三冊あるから!」
「そ、そうですか。それでは遠慮なく」
これから暫くライトが寝る前の日課に、土塊の吟遊詩人関連の書籍を読むという項目が追加されることとなる。
もう諦めた表情で愛想笑いを浮かべ、適当に返事をするだけの作業を繰り返すライト。ファイリは二人を見つめ頬を微かに膨らまし、セイルクロスは我関せずとばかりに、料理を胃袋に納めている。
そんなライトたちを見つめる視線が有った。
会話の邪魔にならない程度の音量で曲だけを奏でていた吟遊詩人は、伸びすぎた前髪の切れ目からじっとライトたちがいる場所を見つめている。
店内は酔っぱらった客の大声が飛び交い、忙しなく働いている店員が縦横無尽に駆け回っている。吟遊詩人の位置からはライトたちが見えない筈なのだが、その目は何もかも見透かしているかのように、ライトの位置を正確に捉えていた。