階層越え
ライトとマギナマギナが並走している通路は1階層と違い、床、壁、天井が岩肌剥き出しではなく、加工された石が埋め込まれ整備されている。
天井には等間隔で灯りとなる光岩が埋め込まれていて、屋外の昼間並とまではいかないが、本を読むにも差支えない光量だ。
一本道の通路上に階層越えがいる可能性も考慮し、全速力ではなく咄嗟に動ける程度には速度を落としていたのだが、生徒たちが戦ったと話していた場所に辿り着くまで、一体の魔物も現れなかった。
警戒しながら、分岐点のある場所へ飛び出したが、そこには階層越えはおろかファイリ、セイルクロスの姿もない。
「さて通路が三つ。どれが正解でしょうか」
一番右は通路が明るく床や壁の造りがしっかりしている。
中央は岩肌がむき出しで灯りも少なく薄暗いが、道幅が一番広い。
左は真っ暗で奥を見通すことができない。
ライトは考える。セイルクロスは兎も角、ファイリは知識もあり頭もいい。一番左を選ぶことはありえない。闇属性の魔物は光を嫌う習性があるので、わざわざ相手の得意とするフィールドを選ぶ必要が無い。
となると、中央か右となるわけだが。
「おそらく、右か中央に二人は逃げ込んだと思われます。私は右に行きますので、マギナマギナさんは中央の通路を頼めますか?」
ライトは瞬時に頭を巡らせる。さっき確認した地図だと中央はかなり長いが一本道で分岐がない。お世辞にも逃げ込むのに適しているとは言えない。ファイリならそれぐらいは理解している。ならば、右で間違いない。マギナマギナを中央に進ませれば、危険な魔物から遠ざけることができる。
「確率論とは効率が悪い。我に任せろ、風と土魔法を併用すれば、あ奴らの向かった場所を探ることなど、造作もない」
ライトを観察する為に有効利用されていた魔法を使い、空気の流れ、石畳に残る対象の形跡を探り、マギナマギナは右側の通路を指さす。
「こっちで間違いない」
「頼りになりますね」
「うむ。我は万能だからなっ!」
褒められて悪い気はしないのだろう、マギナマギナは鼻の下を擦りながら自慢げに笑う。
本心としては独りで行動した方が気兼ね無いのだが、彼女ほどの実力があるなら戦力として期待できると考えを改めることにした。
ライトより少し前を走り、的確な指示で先導するマギナマギナ。
かなりの距離を走り続けているのだが、ライトは息切れ一つせずに後ろに着いている。
(風を纏い、全身強化で身体能力を向上させている我と同じ速度で走り、体力の消耗も見受けられない。ライトアンロック、貴様何処までの力を有しているのだ)
表面上は平静を装っているマギナマギナだったが、ライトの底知れぬ実力の片鱗に触れ、高まる鼓動を抑えるのに必死だった。
「マギナマギナさん。妙な気配をこの先に感じます。魔法の反応はどうでしょうか」
「へっ、あ、ああ! こ、この先に二人と、闇の波動を感じる」
考え込んでいる内に横並びになったライトの顔が、至近距離まで近づいていることに気づき、マギナマギナは柄にもなく慌ててしまった。
「わかりました。急ぎましょう『上半身強化』『下半身強化』」
ここで初めてライトは強化魔法を発動させる。使用できる数少ない神聖魔法のうち補助魔法である二種。
体が薄く金色に輝くと、ライトの走る速度が一気に跳ね上がった。踏み込むたびに地面を陥没させながら飛ぶように走る。
マギナマギナを後方に置き去りにして、ライトの背があっという間に小さくなる。
「あれでまだ、本気ではなかったのか」
取り残されたマギナマギナは呆然としていたが、はっと、我に返ると慌てて後を追った。
先行するライトが急な曲がり角を抜け、飛び出した先はここまでの通路の倍以上は天井の高い、円形の空間だった。試験で戦った場所を二回りほど大きくした規模があり、頭上からは仄かに明かりが降り注いでいる。
ライトは通路との接続部から最も遠い位置に二人の生徒を確認した。
その二人に襲い掛かる魔物の攻撃が、薄い光の壁に妨げられている。それが何であるかライトは即座に理解し、魔物の注意を引きつける為に行動する。
掘削に使い折れ曲がったメイスを背負い袋から取り出すと、背を向けている魔物へ投げつけた。人並み外れた怪力のライトが放つ投擲は極悪な威力で、これが決まれば格上の相手でもただでは済まないだろう。
二人に集中していた魔物の背中は無防備に見え、命中したかのように見えたその時、魔物は振り向きざまに体内に埋没していた剣を引き抜き、メイスを弾いた。
振り向いた魔物の姿は――所々破れ泥にまみれたズボンを穿き、上半身には衣類を一切纏わず異様なまでに膨張した筋肉の鎧がある。
そして、筋肉の塊の上に顔があるのだが目鼻耳が存在せず、まるで黒の頭巾を被ったかのように黒く染まっている。ただ、口だけは違う。闇の中に浮かぶ赤い三日月を傾けたかのような、口角が吊り上がった血の様に真っ赤な口があった。
「よりにもよって、ブラッドマウスですか」
ライトは幼少から母により闇属性の魔物の知識を叩き込まれていたので、その魔物を知っている。体に無数の武器が突き刺さった半裸の男。特徴的な部位である赤い口からブラッドマウスと呼ばれていることを。
魔物の注意がライトに向いたことにより、ファイリは限界に近かった魔法の発動を止めた。
(援軍がやっときやがったぜ……って、ライト一人か!?)
助けがきたことに安堵のため息を吐きかけたファイリだったが、ライト一人しかいないことを知り、焦りの表情を浮かべる。
「何故きやがった! お前の敵う相手じゃねえ、逃げろ!」
咄嗟に叫んだファイリはライトの視線を受け、息を呑んだ。
いつもは胡散臭いとファイリは感じている薄ら笑いは消え、真剣な表情のライトが放つ視線に射すくめられている。
「これは異な事を仰りますね。聖職者とは救いを求める者に手を差し伸べ、導く者。ここで助けに入らなくて、何が聖職者ですか」
そう言い放ち、一歩も引く様子が無いライトにファイリは言葉を失っていた。
ブラッドマウスの凶悪さは知識としても、経験としても充分すぎる程に理解している。司祭の位に上がって初めて使用許可が下りる『聖域』を既に覚えていたファイリは、その力で何とか格上の相手の攻撃に耐えていた。
だが、もうそれも限界に達し、崩壊寸前だった。セイルクロスはファイリを庇い相手の攻撃を受け、酷い傷を負い動けない状態だ。『治癒』で傷口は塞いでいるが、戦うどころか立ち上がることも不可能。
意識はあるらしく、歯を食いしばり何とか体を動かそうと懸命にもがいている。
ファイリはライトの馬鹿げた力を把握している。だとしても、勝てない。そこに、希望や願望、贔屓目を加えたとしても、勝てない。そう判断した。
だというのに、あの目を見てファイリは何も言えなくなった。
「さて、ブラッドマウスさん。私と戦ってもらえますか?」
無手のまま腕を突き出し、相手を挑発して自分の元に向かってくるように、指をくいくいっと動かす。
その動きを理解しているのかは不明だが、ブラッドマウスは腹部に突き刺さっている得物の柄を掴み、一気に引き抜く。
腹に埋没していたのは刃がノコギリの様になっている片刃の大剣だった。
ブラッドマウスは大量殺人者の魂が魔物となったものだ。体に突き刺さっている刃物は生前、殺害する時に使った武器や道具。もしくは、殺した相手が愛用していた武器と言われている。武器の数が多ければ多いほど強いとされており、10以上の刃物が突き刺さっているブラッドマウスは冒険者ギルドではAランク相当とされている。
魔物や冒険者の強さにはランクがありSS S A B C D E F Gとなっている。イナドナミカイの生徒は冒険者初心者と同じくGランクから始まる。
ライトに対するブラッドマウスの刃物は残り3つ。単純計算するなら、CからBランク相当と仮定される。本来なら敵うどころか戦うべき相手ではない。
だというのに、ライトは武器も持たずに間合いを詰めていく。
「『上半身強化』『下半身強化』」
ライトは魔法を掛け直し、更に歩みを進める。
唱えた魔法を聞き、ファイリの顔が苦渋に歪む。
(初期魔法か。俺なら全身強化を掛けるが、ライトには使えないのだったな)
『全身強化』という魔法は『上半身強化』『下半身強化』の上位版に当たる魔法だ。ライトが唱えた方は自分にしか効果が無く、尚且つ、両方発動させて初めて全身が強化される魔法である。
ところが、『全身強化』は単独で全身の身体能力を向上させられる。それに加え、自分だけではなく他者にも掛けることが可能となっていて、全身強化を覚えた術者は二度と『上半身強化』『下半身強化』を使うことが無いと言われている。
更にいうなら、上半身、下半身強化は放出系と呼ばれる魔法で、維持するには魔力の放出を続けなければならない。その為、他の魔法を扱うことが困難になり、役立たずの魔法として聖職者の間では有名である。
(の筈なのだが、あの魔力は何だ……光が目視できるだと……)
ライトの周囲を薄らとではあるが光が包み込んでいる。強化魔法は筋肉に作用する魔法だ。魔力の光が漏れ出るなんてことはありえない。だというのに、ファイリの目は魔力の光を捉えている。
ブラッドマウスはその異変に気づいてはいないが、ライトが無防備に間合いを詰めることに警戒しているようで、ノコギリのような武器を両手で構えたまま、様子を窺っているように見えた。
もう一歩、大きく踏み出せば相手の武器の間合いに入る。
ここで武器を取り出すか、他の魔法を発動させるかフェイントを織り交ぜてくると、ファイリは思いこんでいた。
だが、そんな考えを嘲笑うかのように、ライトは無造作に一歩踏み込む。
ブラッドマウスは肩に担ぐようにして構えていた武器を、一気に振り下ろした。使い慣れていた武器なのだろう、無駄のないそれでいて精錬された一撃。
あれ程巨大な武器だというのに、その剣速はファイリの予想の遥か上をいく。
ライトはその動きを目で追いながら避ける為に右へ跳ぶが、完全には避けきれなかった。
何かが潰れ引き裂かれる耳触りな音が響き、赤い鮮血が噴き出す。
どさりと何か重い物が落ちた音がして、恐る恐るそれが何かを確かめたファイリの目に飛び込んできたのは、断面がズタズタに引き裂かれたライトの腕だった。
「ひぃうっ」
驚きと恐怖に横隔膜が痙攣を起こし、ファイリの口から空気が漏れる。その凄惨な光景に気を取られていたファイリだったが、何とか勇気を振り絞りライトの姿を確認する。
ライトは左腕を犠牲にして、ブラッドマウスと密着する距離まで一気に詰め寄っている。
その間合いでは大剣は振れない。ライトの身を挺した行動に称賛の声を上げそうになったが、ブラッドマウスの行動を見て血の気が一瞬にして引く。
振り下ろした大剣を手放し、脇腹に突き刺さっていたナイフと包丁を引き抜き、ライトの背中に突き刺したのだ。
「ぐふっ」
ファイリの位置からは見えないが、ライトは口から吐血している。内臓をやられ血が逆流してきたのだろう。
ブラッドマウスはライトの反応を楽しむかのように、刃物を引き抜くともう一度ライトの背に突き刺す。嬉しそうに口角を吊り上げ、真っ赤に染まった口が弧を描――けなかった。その口は今、三日月が横たわった形ではなく、満月に変化している。
ライトの残っている右手がブラッドマウスの口にねじ込まれ、強引に顎を引き裂こうとしていた。
ランクの違いすぎる相手と唯一まともに渡り合える力。それは怪力のみである。
当てる技能もなく、避ける体捌きも未熟。ならば、攻撃を喰らいながら接近し、力を振るえばいい。単純でわかりやすい発想だが、それを行動に移せる者は殆どいないだろう。
ブラッドマウスもただで引き裂かれるのを待っているわけではない、その口を閉じ、ライトの指を噛み千切ろうとする。
「そうきますよね『聖属性付与』」
ライトの右手が聖属性の光を放ち、閉じかけた口から煙が上る。
相手がひるんだすきを見逃さずに、ライトはブラッドマウスの足の甲を踏みつけ体を固定すると、全身全霊の力を込めて拳を突き上げるように、右腕を限界まで伸ばす。
ミシリと何かが軋んだ音がしたかと思うと、ブラッドマウスの上顎から上の顔が、強引に引き千切られる。
頭の半分を失ったブラッドマウスはよろよろと後退り、仰向けに地面へと倒れた。
ライトは背中、半身を自らの血で赤く染め、手を突き上げた格好のまま暫くそうしていた。
壮絶な戦いを終えたライトの目を見たファイリは全身に鳥肌が立つ。
生気が感じられない光が失われた瞳。何かを達観したかのような同年代とは思えない、落ち着いた――いや、落ち着き過ぎた態度。
これ程の大怪我であれば痛みの余り、気を失ってもおかしくはない。だというのに、平然と立っていられるものなのか。
「死が怖くないのか……恐怖を感じないのか」
ファイリはあの目に見覚えがあった。父の働く姿を見学しようと黙って跡をつけ、墓場で死者の群れを浄化していた父の――敵であった死者を操る死霊の目だ。
感情を失った者の瞳。そう感じたファイリは自分の体が小刻みに震えていることに気づいた。
「俺は、ブラッドマウスよりライトに恐怖を覚えているのか」
怖い。ブラッドマウスと戦っている時は恐怖よりも生き延びることに必死で、恐怖を感じる余裕すらなかった。今は、戦いを終え血塗れで自分の腕を拾うライトが、怖くて怖くて仕方がない。
血に濡れたその体は戦いの勲章だ。尊敬することはあっても怯えることはない。だが、あの自分の怪我を恐れぬ戦いと、重傷だというのに痛がりもせず、まるで他人事のように感情の欠片も感じさせない態度。
それがあまりに人間離れしすぎていて、ファイリは畏怖を覚えた。
「血を止めないと、これは結構危ないですね『治癒』」
ライトは左腕の切断面を体に押し付け『治癒』を発動させる。手から溢れ出る癒しの光が体中を包み込み、背中と腕の切断部を瞬く間に修復していく。
ライトの『治癒』は幼少から使いこまれることにより、治癒力が初期魔法とは思えない程に上がっている。千切れ飛んだ手足を繋ぎ合わせ、動けるようにするには『治癒』の上位である『再生』が必要とされている。だが、ライトの『治癒』はその力に匹敵しているようで、問題なく腕を繋ぎ合わせた。
繋がった腕が動くか確認していたが、違和感もなかったようで、ライトは手を握り締め満足している。そして、壁際で呆けたように座り込んでいるファイリへ歩み寄った。
「二人とも大丈夫ですか。立てますか?」
そう言って、繋がったばかりの左手を差し出す。
「ち、近寄るなっ!」
ファイリは叫ぶと、ライトの手を振り払い、逃げるようにして壁に背を預ける。
怯えた表情で震えるファイリを見て、ライトは寂しそうに微笑む。
「元気はあるようですね……良かったですよ」
それだけ口にすると二人に背を向け、部屋の片隅に腰を下ろした。