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うたタン可愛いようたタン

作者: タムラム

 ここはソドムだと、カズヒロは思った。

 立ち並ぶ雑居ビルの前面には、ことごとく、瞳の大きな少女たちが描かれた巨大看板が掲げられている。あるものはなぜか猫の耳を生やし、あるものは異様に露出度の高いセーラー服の切れ端のようなものを身に着けていた。さらにあるものは、裸にエプロンという実に破廉恥な格好でまるで娼婦のように痴れた笑みを浮かべている。

 清廉潔白な日本男児たるカズヒロには絵に描かれた人物の年齢などわからないが、どれも成人前の少女のように見える。それなのに、ああなんという背徳の都、ここアキバ共和国の若者たちは皆が皆その少女たちに劣情の視線を向けているのだ。


「ともかく、早く目標を見つけなければ」目眩がするのを堪えながら、カズヒロは自らの任務を思い出した。「この地を日本国の下へ取り戻し、清浄な精神世界へと返らしめなくては」

 

 彼は使命に忠実で健全な精神を持つ日本国の特殊軍人である。むせ返るようなアキバの空気を深く吸い込まないように気をつけながら、懐のサイレンサーつき拳銃を確かめて、人ごみの中を進んでいく。


 


 西暦2030年、世界はHENTAIの炎に包まれた。

 それまで長きにわたって虐げられてきたHENTAIたち、すなわち二次元ポルノの愛好者たちが一斉に決起したのである。行過ぎたポルノ規制にがんじがらめに縛られた秋葉原の書店経営者、18禁ゲーム販売店店員たちは、自らの商っている規制対応商品が毒にも薬にもオカズにもならない屋根瓦以下の産業廃棄物であるとついに気付いた。街頭にそれら商品が山と並べられ、客も店員も野次馬もみなして破壊活動にいそしんだ。下半身を丸ごと覆う黒枠め、死ね、消えろ、失せろ。劇画調の熟女OL御局様エロゲ、お前なんてエロゲじゃない、現実の軍門に下った政府の走狗、滅却されるべし。そのうちに誰かが火を放った。火は瞬く間に燃え広がり、目抜き通りを疾走する業火となった。興奮した何人かのオタクたちはみずから炎へ飛び込んで即身仏となった。色即是空、空即是色。彼らは新世界への狼煙となったのだ。ロリコン、万歳! 学園モノ、万歳! 陵辱、万歳! 近親相姦、万歳! 体制下では口にするだけで罪とされた多くの言葉が、まるで太古から伝わる呪詛のように街中で唱えられ、それを聞く者すべてにHENTAIは再生するのだという福音を授けたのだった。

 騒ぎが一応の収束を見せたあとも、官憲がどれだけ押し寄せようと、一丸となったオタクたちは自らの血と肉でもって淫らなアニメ絵の少女を必死で守った。そして騒動から一ヵ月後、東京都の秋葉原地域はアキバ共和国として独立を宣言した。




 情報どおりの場所に、その人物はいた。

 ソフマップ本店ビル6階ゲーム買取フロア1番カウンター担当右近京介。年の頃50代中肉中背にして白髪交じり脂の浮いた顔と肥満体のその男には、どうみても威厳というものが欠片もない。オタク趣味に傾倒したあげく現実との接点を失い、いい年こいてショップ店員をやっているみじめな半社会不適合者というのが、日本人の視点から見たその男の評価として妥当だろう。

 しかし奴こそは、ぺんぺん草も残らないほど苛烈な法規制の陰でHENTAI文化を維持し続けたエロテロリストにして、現在のアキバ共和国の元首その人だった。

 あまりの無防備さに罠ではないかと疑う。男の情報をもたらした同僚の工作員はそれきり連絡を絶って帰って来ていない。カズヒロは緊張して思わず手の中の番号札を握り締めた。


「118番の方どうぞー」

 

 やけに高いキンキン声でカズヒロの番号が呼ばれた。右近京介だけではない。フロアスタッフ全員がうわずったような妙に高い声色でしかも早口なのだ。ここではそういうものらしかった。


「どんな品を買い取り希望ですか?」右近京介が言った。


「あの、ゲームを……」


「PCですかコンシューマーですか」


「は? こんしゅ……ま……はい?」


 しまった。疑われてしまったかもしれない。そもそも健全な日本国民として育ったカズヒロにオタク知識など皆無なのだ。もっと事前調査に力を注ぐべきだった。

 見せていただけますか、と右近が言うのでカズヒロは鞄からゲームの箱を二つ取り出した。「ファンタジア学園園長ご乱心」と「うた☆かた」どちらも潜入工作用に用意した没収品の美少女ゲームである。断じてカズヒロの持ち物ではない。それでもカズヒロは顔から火が出る思いだった。もしこんな光景を知り合いや家族に見られでもしたら、自分は首をくくって死ぬだろう。それにしてもなんでこの箱こんなに馬鹿でかいんだディスクが入ってるだけなのに。

 右近は二つのゲームを箱から取り出し、ディスクの面をチェックしながら感嘆したように


「お客さん、これはいいものですよ。10年前の焚書で焼かれて世間に出回らなかった幻の名作だ。データがネットの片隅で流れている以外に現物は私でも見たことが無い」


「はあそうですか」


「これ、どこで手に入れたんです?」口の端でニヤリと笑っていた。


 心臓を握りつぶされたような心地だった。またしてもうかつ。だが仕方なかったのだ。忠実屈強頭の中まで筋肉でできている日本軍人にとって美少女ゲームなど鼻くそ同然である。まさか穴空き円盤と紙箱に価値があるなどと思い至る人間はいなかったのだ。

 もはやカズヒロが潜入工作員であると右近には知れているに違いなかった。

 買取終了間際にサイレンサー付き拳銃の密着射撃で目標を射殺、衆人が気付く前にそそくさと現場を立ちるという暗殺計画はもろくも崩れ去ってしまったのだ。


「貴様、いったいいつから」


「ひと目みたときからさ」


「馬鹿な、俺のカモフラージュは完璧なはずだ」


 右近はため息をついた。


「あんた完璧すぎるのさ。脂ぎった髪に、裾の長いラウンド・テイルのネルシャツ、ケミカルウォッシュジーンズとゴテゴテのハイテクシューズ、おまけにアディダスのリュックサックと来ればこれは完璧すぎる、完璧なジャスコファッションだ。オタクだって大概は、ひとつくらいユニクロかしまむらが混じっているものなのさ」


 ちくしょう! とカズヒロは毒づいた。頑張ってこんなにダサダサな格好をしてきたというのに、まさか裏目に出るとは。


「それにあんたは順番待ち中の態度もおかしかった。初めてエロゲを売りに来てびびってる奴なんてのは珍しくも無いが、あんたはそもそもこの場の空気自体初めてという感じでおどおどしていた。フィギュアも食玩も見るだけでも汚らわしいといった様子でな。いかにも日本人らしい態度だ。あれで気付かないほうがおかしい」


 万事休す。


「俺をどうする気だ」


「さあ? ところであんたこいつをどう思う?」右近が言った。指差しているのは「うた☆かた」だ。箱にはピンク髪の少女と緑髪の少女が描かれ晴れやかに微笑んでいる。


「汚らしく惨めな妄想の産物だ」カズヒロは吐き捨てるように言った。


 たしかにそうだ、と右近は笑った。


「しかし実際にここに存在しているものだ。存在しているということは求められているということだ。誰かが描いた妄想を、他の誰かが望んで共有する。本来文化というのはそういうものじゃないのかな」


「馬鹿が! 文化とは崇高なものだ。人類が長い年月をかけて磨き上げてきた普遍的価値だ。嫉妬や欲望が生み出した醜い妄想など、文化の名に値しない!」


「醜いだって?」右近は笑った。「この娘はこんなにも可愛いのに!」


「そういうことを言ってるんじゃない!」


「いやそういうことさ。この娘は、うたタンはすばらしく可愛い。ピンクの髪がキュートだし八重歯がこっそり覗いているのもポイントが高い。それになんといってもこの娘は妹キャラなんだ。人見知りだけど兄である主人公だけには甲斐甲斐しく世話を焼きたがる。男冥利に尽きるってものじゃないか」


「妄想だ! 全部都合のいい妄想だ!」


 ちっちっちっと右近は指を振って見せる。


「君は概念に囚われるあまり、表現自体を見失っているんだ。イラストを、文章を、声優の演技を、見ようとしていない。よく見て、聴いて、味わうことができればそこから美少女という歓びを見出すことができるのに、君はわざと目を逸らしている。怖いんだろう?」


「怖い?」カズヒロは虚を突かれた。


「そうだ。彼女たちの魅力に気付くのが怖いんだ。自分の現実が色あせて見えてしまうから。でも本当のことは空想の中にこそある。そこは空虚かもしれないが、人の想いというものが確かに存在している」


「違う、俺は怖くなんて……」


 カズヒロはカウンターの前で頭を抱えてうずくまってしまった。彼のこれまでの女性経験が頭の中を巡っていた。あの夏の日関係をもった女性は実は上官の情婦だった。裏切られた気分で過ごした夏の日々。だがもし、決して彼を裏切らない、いつも支えてくれる少女たちがいるとしたらどうだろう。

 右近はカウンターから出てきてカズヒロの肩に手を置き、やさしく語りかける。


「このエロゲーは買い取れない。今の君にこそ必要なものだからね。ほらよく見るんだ。うたタンの澄んだ瞳を」


 カズヒロは視線を上げて「うた☆かた」のパッケージを凝視した。確かにいままで、絵に描かれた美少女をよく見たことは無かった。ふと彼は、うたタンのほっぺ柔らかそうだな、と思った。思ってしまった。3次元から2次元へのワームホールをくぐる資格にはそれだけで十分だというのに。


「さあ、奥に部屋がある。いまからプレイしてきなさい。仲間たちが待ってる」


 カズヒロは導かれるままにカウンターの奥へと入っていった。そして彼は見た。

 壁中に所狭しと淫靡なポスターが貼られた部屋の中で抱き枕を抱えてパソコンの画面を凝視する男たち。その中の何人かは見覚えがあった。


「よおカズヒロ。遅かったな」


 目が合ったのは先日失踪した同僚の工作員だ。

 そしてカズヒロも、そんな男たちの中に――、入っていった――




 うたタン可愛いようたタン。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  なんだこれは! と少しだけ思うような作品でしたが作りは良かったです。 [一言]  思わず、クスッとしました。
[良い点] 全く異なる二つの見解をもって、一つのものについて言い争うシーンを書けるのはすごいと思います。作者さんが物事を多面的に見ることができる証拠ですね。 [一言] しまった…電車の中でにやけてしま…
2015/06/09 13:47 退会済み
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