第七話 ありきたり、それが一番
第七話です。一日目が終わり、日常が訪れる。
A「あなたが一番影響を受けた本は何ですか」
B「銀行の預金通帳だよ」
バーナード・ショウ(劇作家)
「はぁ…」
もうすっかり夜も明け、輝く朝日が差し込む部屋の、ベッドの上。寝るでも起きるでもなく、胡座をかいている男が一人。黒い短髪に情けなく垂れた眉は、言うまでもなく北見祐輔である。
「もう…ほんとになんだってんだよ…」
急激な眠りに落ちたあの後、目が覚めたのは慣れ親しんだ自分のベッドの上だった。今までのことがすべて嘘だったのかと疑うほど、いつも通りの風景がそこにあった。
「夢…?」
あそこで起こった全ての出来事が、嘘であったらいい、と考えつつ視線をベッド脇の鏡へと向ける。するとそこには、自分の考えのすべてを否定する存在が映りこんでいた。
「これ、は…」
短髪に埋もれることなく不気味に首筋に存在する、タトゥーのようなもの。精密にデザインされた時計。どう考えても、あの場で祐輔の体に現れたものだった。恐る恐る、首筋に触る。
「夢じゃない…嘘だろ…」
もう動いてはいないものの、そこにあるだけで不気味である。不安だらけの祐輔にとって、その模様は恐怖の対象でしかない。小さく息を吐いて視線を反らし、頭を抱える。
「どうすりゃいいんだ…」
もはや自分ではどうしようもないと、暫くの間そうしていた祐輔だったが、不意に勢いよく頭をあげた。
「そうだ、あのとき…鳴海くんが言ってた」
『目が覚めて落ち着いたら、またここに来て』
「…とにかく行った方がいい、よな?」
まだ落ち着いてはいないけれど、行かないことにはなにも始まりそうにない。もうすっかり目が覚めてしまった頭で考え、ベッドから飛び降りるが、突然、足に鈍い痛みが走り思わず呻く。
「うぇっ!?…なんで筋肉痛…?夢の中だけじゃないのかよ」
久しく感じていなかった感覚に苦々しい顔をして、太ももをさする。痛いのに気持ちいいような感じが懐かしい。鈍く痛む足をさすりながら寝室を出て、リビング兼キッチンへ向かう。シン、と静まり返った部屋の中が物悲しく、寂しさがまた大きくなる気がした。もうすぐ冬になろうとするこの季節。特有のピリッとするような冷えた空気に身震いしながら、奥にある冷蔵庫を開け、そして愕然とした。
「なにも、ない…」
思い返せばそうだ。昨日事務所で鳴海と会ったあと、のろのろと眠りについたために食事はしていない。一人暮らしの、しかも借金まみれである祐輔だ。そんなところまで頭がまわるわけがなかったのだ。
「腹へったし…なんか買うか。お金はまだあるだろうし…」
ため息をついて、また寝室へと向かい、クローゼットを開ける。さほど多くの服があるわけでもないが、まだ生活に余裕があった頃に買ったものがある。薄いTシャツに黒のパーカ、ジーパンといったラフな格好を選び出し身につける。もとよりファッションに興味がある方ではないので、適当だ。
「首…湿布、まだあるかな」
外へと出るのなら、首の模様は目立ってしまう。近くの引き出しを漁り湿布を見つけると、それをうまく見えないよう首に張り付けた。これならば目立たないだろう。
履き古した靴を履き、祐輔は寒々しい家から外へ出た。
古ぼけた、怪しい気配を窺わすビルの三階。さらに怪しい雰囲気のその事務所の一部屋に、たった一人の男。何部屋かあるはずのその事務所には他に人の気配はなく、ただ頭を抱えた男がいるのみだ。
「うぅん…どないしよかなぁ…」
その男というのは、サラサラの金髪に黒スーツといった出で立ち。どこからどう見ても小松鳴海である。普段笑みを絶やさないその顔は今は困ったように歪み、手は髪の毛をグシャグシャにする勢いだ。
「祐輔さん助ける言うたって、俺は…」
そう呟いた声はどこか悲しそうで、しかし誰も聞くものは…
「悩みごとかい?」
「!!!」
聞くものは、いないはずだった。少なくとも、鳴海はそう思っていた。今、どこからか現れたその声を聞くまでは。
「っどこや!」
素早く部屋の中を見回すと、いつのまにか開いていた出入口に寄りかかる男の姿。それを認めた鳴海は、悔しげに、焦りを秘めた表情で、ぐっと唇を噛み締めた。
「勘が鈍くなったね、鳴海?」
にっこりと、壁に寄りかかる男が笑う。綺麗だが恐怖をも感じさせる笑みが、鳴海を突き刺したようだった。
「優也…なにしに来たんや」
「…別に?」
黒くうねった髪をかきあげ、笑みを絶やすことなく男…優也が告げる。鳴海は身動きひとつとれずに黙ってその言葉を聞くしかなかった。
「あの人…北見祐輔、だっけ?ずいぶん世話焼いてるみたいだね」
「それがどうした」
「まぁ…お前がすることに口出しする気は無いんだけどさ」
「だったら…」
言いかけた鳴海の言葉を人差し指を立てることで遮り、優也はゆっくりと近づいてくる。その顔に、もはや笑顔はなかった。
「ある程度の線引きはしとかないと…最後に苦しむのはお前だよ?だってお前は…」
なにも言い返せずに黙り混む鳴海の髪を掴み、上を向かせる。鳴海は一瞬痛みに顔を歪めるも、何も抵抗などしなかった。
「番人、なんだからさ」
口元だけ、目は少しも笑っていないような表情。見る人すべてに恐怖を与える笑顔で、ゆっくりと口にした言葉が鳴海に向けられた。ぐっと先程よりも強く噛み締めた鳴海の唇は血が滲みそうだ。
「…ま、いいや。俺は帰るよ、鳴海」
不意に鳴海の頭から手を離すと、優也は今度は優しげな笑顔でそう告げる。一瞬にして変わる表情に半ば呆れつつ、鳴海は大きくため息を吐いた。
「ほんっまに…なにしに来たんかわからんわ」
「あっはは!特に無いんだ、実は」
「わかったから帰り。邪魔やから」
祐輔たちにはほとんど見せない、本気で迷惑そうな表情でしっしっ、と手を振る鳴海に、一瞬不満そうな顔をするものの、優也はすぐに笑顔に戻り出口へと向かう。
「あ、そうそう」
ドアに手をかけると同時に突然振り返ると、思いついたように一言。
「あの双子ちゃんたちも可愛がってあげなよ?祐輔さんだけじゃなくてさ。…ロリコン」
「誰がロリコンや!!…っておい!優也!まだ話は…」
鳴海の怒りを最後まで聞くことすらせず、また来るよー、などと軽い受け答えで、優也は外へと消えていった。慌てて追いかけるも、出口から見えるのは誰もいない廊下だけ。鳴海は部屋から出ようとはせず、また深くため息をつく。
「あんの糞野郎…言いたいことだけ言って帰りよって」
ふたたびソファーの上へと腰を下ろし、今の今までそこにいた男のことを思い返す。腹立たしさもあるけれど、それ以上に…
「調子狂うわ…あの」
ボソボソと呟いた最後の言葉を聞いたものは、今度こそ誰もいなかった。
昼間の街中というものは、実に騒がしく明るい雰囲気がある。休日ということもあってか、その騒がしさは平日の比ではなかった。
そんな街の大通りを、やや俯きつつ歩いているのは祐輔。人前に出ることが得意ではない祐輔にとって、街中を歩くことは苦手だ。腹の減り具合も限界で、近くにある人気ファストフード店…マクドナルドに入る。近くに来ると香る美味しそうな香りに、ついつい足が向いてしまったのだ。
それなりに混んだ店の中、適当に一番安いものを選び出し注文する。財布の中身が減るのを少しでも抑えたいと考えた結果だ。
「…あれ?」
なかなか混んでいる店内、空いている席はないかと目をあちこちに飛ばしていると、どこからか声が聞こえてきた。人の多い場所だ、自分ではないだろうと気にせず行こうとした、その時。クイッ、と服を引っ張られる感覚が。
「へっ?…っおわぁ!!!」
軽く引っ張られた、と思ったのもほんの数瞬。次はものすごい力で隣にあったボックス席へと引っ張られた。思わず間抜けな叫びが飛び出し、トレーを持っていない手で口を覆う。
「なんだ!??!」
訳もわからず座り込んだイスの先、ニヤニヤと笑うその姿は…
「え…セイアちゃん??」
無造作にはね上がった緑の髪と目、大きく弧を描いた口元。整った顔は、あのゲームの中で出会った、セイアその人であった。セイアはイスに座ったまま、腕組みをしてイタズラが成功した子供のように笑って見せた。
「おぉ!やっぱり祐輔じゃねぇか!」
「な、え?なんで」
「ほらほらセイア…もし祐輔さんじゃなかったらどうしてたの」
ふと向かいからも声が聞こえ、声の方へと顔を向ければ、そこにいるのはチトセ。柔らかな笑顔は見る人を暖かい気持ちにさせてくれそうだ。思わず見つけた天使のような笑顔に釘付けになっていると、突如耳に走った激痛で祐輔は盛大に叫び声をあげる。
「いぃだだだだだだっ!!!!」
「…こっち無視してんじゃねえよ」
「ごめんっ!いだ、いたいから離して…」
涙目で懇願してようやく、セイアの拷問から解放される。ほんの数秒の出来事なのに、祐輔はすでに息も絶え絶えになってしまった。
「ほんとに…なんで君たちがここに?」
落ち着いたところで、気になっていたことを聞いてみる。
「なんでってそりゃ、学校帰りなんで」
「ああ、そっか学校……って、え?学校?」
たった今セイアから聞こえた言葉を思わず聞き返す。それに対しセイアは不満げで、なんか文句あんの?とにらみ返してきた。
「学校って…高校生だったんだ、やっぱり」
見た目的には大人びている二人だが、大学生、というには多少幼いような気がしていたので、納得がいった。
「そうなんですよー、借金酷いのに、頑張ってます」
温厚なチトセから重苦しい単語が出てきたものの、笑顔で言っているために突っ込めない。それに、突っ込む前にも気になることがひとつあった。
「今日って、土曜だよね?学校あったの?」
休日に学校に用事と言ったら、部活か、それとも…
「補習だよ」
「ですよね」
納得、といった様子で祐輔がセイアを見つめると、セイアは迷惑そうな表情で祐輔の足を踏んづけた。
「あいった!!」
「ち、違います祐輔さん!セイアのじゃなくて…私の補習なんです!」
慌てて止めに入ったチトセの意外な言葉。祐輔はこれでもかと言うように目を丸くしチトセを凝視した。
「チトセちゃんの?」
「そうだよ。俺はそれについてきただけだっつの」
チトセが申し訳なさそうにセイアに謝ると、セイアは別に、と自然と微笑みかけているのが見えた。
(ほんとに仲いいんだな…)
見ていて微笑ましい光景に笑ってから、祐輔は視線を二人の服装に向けた。
「それ、制服?」
二人が着ているのは紺のブレザーに灰色のスカート、それからチトセは白のカーディガン、セイアは濃いブルーのパーカといった、どこから見ても高校生の姿だった。真面目さはチトセの方が勝っているように見える。現に、セイアはチトセと違い、赤いリボンはつけていない。
「そうだよ。俺は動き憎いから嫌いだ」
セイアが大袈裟に肩を竦めて見せる。その仕草も言動もセイアらしくて、祐輔は思わず声を出して笑った。それにセイアは驚いた顔をしたが、すぐに照れ臭そうに目をそらして鼻を啜る。そしてまた、チトセがにこにこと微笑む…なんとも穏やかで、昨夜の出来事がまるで嘘のようだった。
しばらく三人で、各々買ってきたものを食べながら談笑し、ゆっくりと過ごした。粗方トレーの中身も減ってきて、祐輔がふとあることに気づいた。
「あれ…そういえば、鳴海くんは一緒じゃないの?」
「は?なんで俺たちの学校に鳴海がついてくる必要があるんだ?」
そう言われて、納得と言えば納得だったのだが、何となく一緒にいないと不自然な感じがする。
「私たち、これから行くんですよ、鳴海さんのとこ。お手伝いしないとなので!」
チトセが人目も気にせず手を大きくあげ、それをセイアがなだめる。祐輔はというと、チトセの言葉の真意がわからずに首をかしげていた。
「お手伝い?」
「はい!鳴海さんから聞いてないですか?」
「え?…そういやぁ」
初めて会ったとき、鳴海が似たようなことを言っていたような…
『他にもあんたみたいな理由でうちで働いとるやつおるし』
「君たちだったの?!」
自分のような理由で、ということだったから、もっと大人、最低でも二十歳は越えるであろうと考えていたのに、まさか高校生、しかも少女たちだったとは思いもしなかった。
「そーだよ…なにびっくりしてんの?」
セイアが呆れたように言葉を紡ぐ。当たり前だとでも言いたげなその姿は祐輔をさらに驚かせただけだった。
「びっくりするよ…。手伝いって、一体なにを?」
高校生でもできるような仕事なんてあるのだろうか。
「えーとですね、鳴海さんに言われた通りの住所に荷物を届けるだけですよ?」
チトセはひとつひとつ言葉を確かめるようにして話すのが癖のようで、とてもスピードがゆっくりだ。それにしても、今の話からすると仕事というよりもバイトに近いのではないかと思ってしまう。何より、高校生がそれを行っている以上は。
「それだけ?それだけでお金がもらえるの?配達、みたいな…」
「そーそー。しかもふつーの仕事よりも金いーの。鳴海太っ腹だからね」
「太っ腹とかの問題なのかよ…」
普通の仕事より稼げる、と最初に鳴海が言っていた言葉は嘘ではないようだ。
「まぁ、相手が相手だからな、高くて当たり前だろ?」
「相手って…もしかして、さ」
「「世間的にやばい人!!!」」
「ですよねぇぇえええ!!」
さっきの補習だなんだと言う時よりも大きく叫び声が出た。予想はしていた、していたのだが…
「なに!?なんでそんな余裕なの!?」
「そりゃ初めはビビったけどよ…慣れ?」
慣れの問題であろうか、今の流れは。あのヘラヘラした金髪京男は、高校生に一体なにをやらせているのやら。
「だ、大丈夫ですよぉ!渡すだけだから!」
必死に宥めようとするチトセに押され、半ば無理矢理ながらも自分を納得させ、落ち着いてイスに座り直す。いつのまにか立ち上がってしまっていたようだ。
「ま、まぁわかったけどさ…そんな用なら鳴海くんが自分で届ければいいじゃん」
ふと気になった疑問を口にすると、二人もそうなんだよなぁ、と首をかしげていた。
「そういや…俺ら鳴海があそこから出たの見たことねぇんだよな」
「あーそうだねぇ。ゲームのときはフラフラ出歩いてるけど」
(現実ではニートなのか、あいつ…)
心の中で毒づいたのは勝手だが、出たところを見たことがない、というのはいささか不自然な気がしてくる。
「見たことないって…君らはいつからあそこに?」
「んー、ゲーム始めた頃からだから、二年くらいか?」
「そんなにか…」
二年も一緒にいて、それは少し…
「あ!時間!時間です!早く行かないと遅くなります!」
「え?あ、事務所行くのか」
そういえば自分も来いと言われていたからここに来たんだった、と納得し席を立つ。セイア、チトセの二人も立ち上がり、それぞれのトレーを片付け始めた。
「あんたも行くんだろ?聞きたいことあんだったら直接聞けよ」
「ん、そうするよ」
どうせ聞きたいことだらけなのだ。ひとつふたつ増えたところで変わらない、ど半ば開き直って店を出て、空を眺める。今日は快晴、自分の心とは裏腹だ。少しして二人も店から出てきて、祐輔の姿をとらえ近づく。
「なぁにしてんだよ。さっさと行くぞ」
セイアが鳴海の事務所がある方へと指を向け、祐輔の服を引っ張って歩き出す。チトセは笑いながら後ろをついてくる。端から見ればきっと…
「はぁーい!!みなさんよう来てくれはったなぁ」
事務所にたどり着いてその部屋の中、相変わらずの明るい声に京言葉の鳴海がお出迎えだった。それに対し祐輔は曖昧に笑い、セイアはおう、と軽く返事を返す。チトセは同じように明るい声で元気に挨拶をした。
「なんや祐輔さんテンションひっくいなぁ!…セイアちゃんはいつも通りな」
ぶうっ、と効果音がつきそうなくらい大袈裟に口を膨らませる鳴海はまるでリス。存外に可愛く思えて、笑ってしまった。
「おっ、笑ったなぁ!よしよし、祐輔さんが笑ったところで、座ろか!」
鳴海がすぐ後ろにあるソファーを指差し、座るように促す。祐輔、セイアの二人はそのまま腰を下ろしたが、チトセはお茶を入れてくるとまた奥にある部屋へと入っていった。
チトセがお茶を淹れ終えて座り、鳴海と向かい合う形で座ったところで鳴海が話し始める。
「祐輔さんに今日来てもろたんはな、これを見てほしかったからなんや。…ほら」
そう言って鳴海が取り出したのは一枚の紙だった。それを受け取り目を通す。
「なにこれ…借金返済ゲーム、賞金のお知らせ…?」
そこに書かれた内容は、たったひとつだけだった。
《北見祐輔様
この度は、借金返済ゲーム【TIME IS MONEY】の一日目クリア、おめでとうございます。つきまして、賞金1008000円をお送りいたします。
賞金は北見様の借金返済に当てられることとなりますので、ご了承ください。
これからも【TIME IS MONEY】をよろしくお願いいたします》
「これって…」
書かれていた内容に驚きを隠せずに目を見開いていると、前から鳴海が落ち着いた声で話し出した。
「生き残った賞金は、もう祐輔さんの借金から引かれとる。…残りは8992000円や」
「生き残った…そっか、だから賞金が」
これであのゲームが嘘でも夢でもなく、現実に起こったことだと確定した。もう逃げられない、そんな気持ちにさせられて、少しだけ落ち込む。借金は減ったというのに。
「でもなんで君がこれを持ってるの…?」
「え?…あー、なんでやろな…」
「誤魔化さないでくれ」
曖昧に言葉を濁して逃げようとする鳴海を逃がさないよう、やや言葉を荒くして詰め寄ると、鳴海が降参と言うかのように手をあげ、笑う。
「…ごめん。責めるつもりはないんだ。ただ、さ。変じゃないか…君がこの紙を持っていることも、取り立て屋なのにあのゲームに参加していることも」
今思えば不自然なことを、鳴海の目をはっきりと見て聞く。人付き合いが苦手な祐輔にとっての勇気をもって。セイアとチトセも、二人を止めることもなく見守っている。
「教えてくれ…」
「…そやな、不安にも、なるか」
困ったように眉尻を下げて、鳴海が腕を組む。
「まぁ、俺はゲームの参加者やない。それはわかるやろ?チトセちゃんもセイアちゃんも」
肯定、というように二人が頷く。
「俺は管理人なんや」
「管理人…?それってどういうこと?」
ゲームの中での管理人がなにを指すのか、わからない。
「…すまん。これ以上は言えんのや」
「な、なんでだよ!」
突然のことにセイアが声を荒げる。それをまた困ったように笑って鳴海が答える。
「ほんとにすまん。…そういう風に決まっとるんや。言えん」
「言わないんじゃなくて…言えない?」
チトセが何かを悟ったように、悲しげに聞いた。それを肯定するように、鳴海も悲しげに微笑んだ。
「君たちのゲームクリアをサポートする言うたんは嘘やない」
不意に、鳴海が祐輔の肩を掴んだ。それなりの力で掴まれ、顔が歪む。
「頼むから…俺を信じて」
懇願。その一言がぴったりの言葉だった。こんなにも悲しげで儚い鳴海は見たことがない。たった二日しか一緒にいないのに、その姿を見るのはとても辛かった。
「嘘つきでヘラヘラしてて最悪かも知れんけど、でも」
(やめろ。そんな風に笑うな…)
泣きそうとも楽しそうとも言える、悲しげな笑顔はやめてくれ、と言いたくて、でも言えなくて。自分まで泣きそうになるのはおかしいと必死に涙をこらえる。
「信じるさ」
今まで黙っていたセイアが、祐輔の肩を掴む鳴海の手を優しく包む。その表情は笑顔。辛さも悲しみも吹っ飛ぶような最高の笑顔だった。
「俺が笑えんのアンタのおかげだぜ?俺はもうアンタのこと信じきってんの。な、チトセ?」
振られたチトセが思い切り立ち上がり、手を上につきだした。
「イエッサ!地獄まで一緒に行きますよ!」
「地獄行きは決定かいな…」
こりゃ困った、と笑う鳴海はそれでも嬉しそうで。祐輔も何かを言わないとと思うのに、言うべき言葉が見つからない。
「えっと、その…ははっ、どうしよ、ありきたりな言葉しか出てこないや」
「いーじゃねえの、それでさ」
セイアがビシッと祐輔を指差し言う。
「綺麗事言うのが嫌いだとか言ってるやつもいるけどさ。そんな風にカッコつけて文句垂れ流してるやつよりもずっと、綺麗事言ってるヘタレの方がいい」
どや顔ではっきりと言い張るその姿はキラキラしていて、自分なんかよりもずっとカッコよく見える。
「ははっ、君ほんとに高校生?……でも、ありがと。平凡でありきたりな僕には、ありきたりな言葉が一番だね」
鳴海を慰めようとしているのに、逆に自分が慰められた気分だ。改めて鳴海の顔を見つめ、自分なりの言葉を紡ぐ。
「僕はヘタレで情けなくて、すぐ泣くし人見知りだ。勇気も出なくて残念なやつだけど」
「君を信じることに、僕のなけなしの勇気を使わせてもらうよ」
鳴海の瞳が大きく見開かれ、祐輔を見つめた。しばらく放心したように黙っていたけれど、不意に祐輔の肩から手を離す。
「…おおきにな、祐輔さん。二人も。その言葉があったらもう…嬉しいわ」
はにかむように笑う鳴海は本当に嬉しそうで楽しそうで、祐輔たちも安心して笑えた。たまには青春みたいに、綺麗事を言って突っ走るのも悪くない気がする。大人になれば忘れてしまう、熱くて強い感情が今は恋しい。絶望の中で見つけたこの暖かな感情を、きっと忘れてはいけないのだろう。
「…にしても、ありきたり、か」
鳴海がふと思い出したようにそう言うのを、祐輔は聞いていた。
「そやな、それが一番大事やな」
「ありきたりが、大事?」
「おん。…ありきたりがないなら、特別もないからな」
ありきたりから生まれる特別が、人の心を大きく動かす。それは絶望でも希望でもあり、楽しくて苦しい。人はありきたりを嫌い、特別な何かを求めるようだけれど、特別も慣れればありきたりになる。そしてまた新しい特別な何かを求めて人はもがく。ありきたりの良さなどきっと忘れてしまうのだろう。
「特別を探して迷うよりも、ありきたりな日常の中で笑ってる方が、俺は好きやな」
「鳴海くん…」
その言葉が重くて、悲しくて。祐輔はただ鳴海の名前を呼ぶことしかできなかった。
「祐輔さん、セイアちゃん、チトセちゃん」
呼ばれた三人は各々、彼ららしい言葉で返事をする。
「君らのありきたり、取り戻すために全力で戦うわ。…これからもよろしくな」
白い歯を見せてニカっと笑う鳴海には、もう悲しげな様子は微塵もなかった。
「「「ありがとう」」」
言えないことも嘘もきっとたくさんあるんだろう。良いことばかりの人間なんていない。汚いところも綺麗なところもあるのが人間で、それらすべてを信じるのは難しい。だったら答えよう。嘘の中で見えた真実の決意に、ありきたりな言葉で。最近なかったありきたりな一日にも、感謝を込めて。
「ありきたりが一番大事、か。それをお前が言うんだね、鳴海」
明るい声が響く室内から離れて、影の中。黒髪が影の中に溶け込み、青白い顔が微笑みを浮かべる。
「お前が彼らの隣にいる限り、彼らにありきたりは訪れないのに」
誰にも届かない言葉はそのまま闇に小さく消えていく。
「いつか訪れる絶望の時を待ち続けるなんて悲しいね、僕の大事な…」
いつの間にか、影はいなくなっていた。
「なぁチトセ」
「なぁにセイア」
「俺らは信じるだけだよな。アイツのこと」
「…うん。あの人は命の恩人だもん」
「俺は嘘つきでヘラヘラしてるアイツが大好きだ」
「あたしだって」
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