第二話 転機、さあ頑張りまひょ
タイムイズマネー、第二話です。まだバトル要素は出てきません。次からは出す予定ですので、おつきあいくださると嬉しいです。
財布が軽ければ、心は重い。
ゲーテ(詩人/ドイツ)
北見祐輔の財布は今、軽い。その代わり心はひどく、まるで鉛のように重い。目の前にあるたった1枚の紙が、さらに祐輔の心を重くしている原因だった。広い部屋の中は、シンプルだがどこかお洒落だ。現実逃避のように辺りを見回すが、目の前にいる男によってそれは遮られた。
「あれ?北見さーん、聞いてはりますー?」
祐輔の心情になんとも似合わない、間延びして柔らかい言葉。祐輔はため息をついてその声の主、小松鳴海を見つめた。
「…聞いてるよ。これからの話、するんだろ」
「そうそう、よかった聞いとって」
心底安堵したように、にかっと笑って見せる鳴海。その姿に思わず笑みが漏れたが、すぐに笑っている場合ではないと気づいて引っ込める。それからまたすぐに暗い気持ちが押し寄せてきて、ため息が漏れる。
「そないにため息ばっかついとると、幸せ逃げてきますよ」
「もう逃げてるよ…。これからのことと言ったって、お先真っ暗じゃないか…」
先にある未来のことよりも、祐輔にとっては今この状況をどう切り抜けるかで手一杯なのだ。考えるどころではない。そんなことを知ってか知らずか、鳴海は相変わらずの笑顔で話続ける。
「そないなことありまへんって。北見さん」
そう言葉を切ってから、鳴海は押し黙った。それからすぐに、鳴海の顔から笑みが消え、祐輔はその威圧感に身を竦ませた。
「お金稼ぐ方法なんて…よーけあるんですから」
鳴海がニヤリと笑ってみせる。それに心底怯えながら、祐輔は先程の言葉を反芻する。そして少し、気になったところがあることに気づく。
「あの、さ」
「はいはい?」
「よーけ、って、なにかな」
沈黙。鳴海は一度目を丸くしたかと思えば、すぐに片手で額を覆った。祐輔は何か悪いことをしただろうかと、やはり体を震わせるだけである。
「あ、あー…そこ聞いちゃいます?それ、たくさん、っちゅう意味ですわ。なんやのん、今思いっきりカッコつけて決めたんに…」
祐輔の想像以上に、ショックだったらしく、鳴海は少し口を尖らせる。
「なに、なにか?やっぱ標準語喋らんとあかんのかなぁ…」
思いの外傷つけてしまったようなので、祐輔は慌てて空気を変えようとする。
「あああ、あのさ、話戻そうか!」
「うぅ…はいはい。だから、俺が言いたかったんは、お金なんてやり方次第でなんぼでも稼げるゆーこと」
いくらでも稼げる。そんなことあるわけがない。人間どうあがいたって無理なものは無理だ。
「無理だろ…。特に俺なんかこんな性格で愛想だってよくないし…」
「あーあーあーあー!そうやってネガティブに考えんでええって!方法なんて簡単やろ」
「な、なんだよ」
これはあれだろうか、ドラマなんかでよく見る…
「働く!それ一番やろ!」
「…はぁ?」
思わず素っ頓狂な声が出たことは許してほしい。それくらい、鳴海の言葉は意外も意外だったのだ。
「なんやの、その反応」
「だって…僕はてっきり、その、体を売れ!とかなんとか言われると…」
「それこそはぁ?やろ。確かに、そないなこと言うとこもあるやろうけど…。一応うちは、健全な金貸しとして売っとるし…」
健全な金貸しってなんだ。喉まで出かかった言葉を飲み込み、鳴海を睨む。
「いや、だってなんかサインしろー、みたいなこと言われたし、それ使って脅されたりすんのかなって」
「そらあんたが逃げたらそうしますよ?でも逃げへんのやったらそないなことせぇへん。それは約束します」
笑みを浮かべながらも真剣なその様子に、祐輔は驚く。自分はもう駄目なのかと考えていたために、鳴海のその言葉は少し安心感をもたらしている。
「もう、話進まんやん。とりあえず座りましょ」
いつの間にか二人とも立ち上がっていたようだ。その言葉に素直に従って、ソファーに腰を下ろした。
「まあ、さっきはあないな風に言うたけど。ただの会社やと払いきれんような額なんやろ?」
祐輔について載っているらしい書類を読みながら、鳴海は言った。それにまた意気消沈した祐輔はうつむきつつ答える。
「い、1000万だったと思う」
「1000万か…確かに、大変やな」
「うぅ…」
改めて金額を想像して、祐輔は身震いした。指先が冷たくなるのを感じる。前に働いていた会社でだって、ギリギリ家族を養えていたのだから、そんな額は到底無理だと思える。いい会社に就こうとも、学歴だってあまりない祐輔には難しい。
「それやったら方法は…二つある」
「!なんだよ、方法って!」
それなりに信用できそうな鳴海の台詞に、思わず食いついてしまった。それに対し鳴海はさっきの勢いはどこへやら、歯切れが悪そうに答える。
「いやぁ、二つあるとは言うけども…。結局おすすめできんのは一つやな」
「さっき稼ぐ方法なんていっぱいあるって言ってただろ」
「それは働くということに関して、や。俺がおすすめするんは、まあ、言ってしもたら堅気の仕事やないかもしれん」
堅気の仕事ではない。ある程度は予測できたことではあるが、改まって聞くとやはり危険な感じがする。でも、それでも。
「普通の仕事と比べたら、仰山稼げるし、危険な仕事はやらせんけど…北見さん」
「は、はい?」
思わず敬語になるが、そんなことはどうでもいい。
「俺んとこで働きます?」
「はい!って…ええ?」
「いやだからな?俺んとこで働きますかー?って」
もう本当にどこまで自分の想像の上を行くのかと、心のなかで呟く。
「あんたの下って、あれだろ、やくざみたいな」
「ああー違う違う。俺が言うとるんは、俺の副業の方や」
「ふ、副業?」
「そうそう。やくざ相手にせえへんって訳やないけど、普通の人の相手もするからな」
――――やっぱりやくざの相手もするのかよ…。
やはり言葉が喉まで出かかるが、こらえる。
「それってあんたがまずくないか?あんたんとこで借りた金なのに、あんたの仕事手伝うって」
「だーかーらー、副業やって言うとるやろ。この事務所とほ関係あらへんし、問題ないない。他にもあんたみたいな理由でうちで働いとるやつおるし」
「そ、それなら…」
これほどまでに追い詰められた状況だ。本当に猫の手も借りたい。目の前の男が大丈夫だと言っているのだから、信じていいだろうか…。
「よっしゃ、ほんならここにサインしとくれやす」
鳴海が先程から置いてある紙を祐輔へと押し出してくる。それもにこにこと笑みを浮かべて。
「信じて、いいんだよな」
「はいな!信じよし!」
もう、どうにでもなれ。祐輔の手はペンを持ち、多少迷いながらも紙面へとペンを滑らせた。
「そういえば、さっき言ってた二つ目の方法って、なんなんだ?」
帰り支度をしながら、祐輔はそう問いかけた。鳴海には許可を得ている。書類にサインをしたあとすぐに、鳴海がそれを確認した。それから、仕事については後から電話する、と言われ、今に至るのだ。祐輔のその姿に、鳴海は一瞬強ばった表情を見せたが、すぐに元の笑顔に戻った。
「ああー…。それは、危険やから」
「そうなのか?」
「あんさんは知らんでもええことや。安心して帰りよし」
「そ、そうか。じゃあ…ありがとうな」
それ以上は答えてくれそうにないので、話を打ち切る。それから、先程から言わなければと思っていた感謝の言葉を告げた。一度は身の危険を感じたが、最終的には助けられたのだから、当然だ。
「いーえー。これからよろしゅう、祐輔さん?」
「いきなり名前…。まあいいや。とりあえず、よろしくお願いします。…じゃあ、帰る」
「はいなー」
鳴海がやさしく手を振っているのを見てから、祐輔はゆっくりと事務所のドアを閉めた。
「…二つ目の方法は、あんさんには進められへんわ。こっちの世界には、入らん方がええに決まっとる。…気を付けや、祐輔さん」
その言葉を聞いた人間は、どこにもいない。
ここまで読んでくださってありがとうございました。次も早めに投稿したいと思うので、よろしくお願いします。