絶望、そしてよろしゅう
初めてのSFです。ファンタジーかな、とも思ったけど…何だか違う気がします。最後まで頑張りますので、ぜひご一読ください。
どうして。俺は今、何をしている―――――?
「おおい、あんちゃん、聞いてんのかこらぁ!」
怒号にびくりと肩が揺れ、ペンを持つ手がガタガタと震え出す。先程から冷や汗は止まらないし、どんどん息が荒くなっていく。目の前に置いてある書類、それにサインすれば帰れるのだろうか…。
「さっさと書けば終わるんだよ!」
また怒号が飛ぶ。本当に、なんで、こんなことになってしまったのだろう。ついこの間まで、自分はただのサラリーマンだったはずだ――――。
北見祐輔、28歳。妻にも子にも恵まれた、ごくごく普通の、サラリーマン、だった男。なぜ、過去形なのか。それには、簡単なようで絶望的な理由があった。
「えっと…社長。それは一体、どういうことでしょうか…」
一月前、社長に呼び出された。どこか嫌な予感を抱えたまま、社長室へ向かうと、神妙な顔つきをした社長が目に入った。本当に、嫌な予感というものは当たるようで。
「すまない…本当に君はよく働いてくれていたのだが、こればっかりは…本当にすまないね…」
―――君には今月いっぱいで仕事をやめてもらいたいんだ――――ついさっき言われた言葉がよみがえる。それはいわゆる、クビというもので。祐輔はただ口をパクパクさせるだけで、言葉がでなかった。なんで、どうして。
「わかり、ました」
もう他に言うべき言葉が見つからない中で、祐輔はそれだけ呟くと独り社長室を後にした。
それから、一月。社長から与えられた猶予期間はあっという間に過ぎた。思い返すだけで頭が痛くなる。クビになるだけならまだしも、それ以上に最悪なことが何度も起こった一月だったのだ。
最悪なこと、とは何か。それは文字通り、祐輔の心を痛みつけるには、充分なことだった。
「…は?夜逃げ?」
クビから一週間。新たな仕事を探し始めた矢先のこと。知り合いからの電話で、それは発覚した。
『そうなんだよ!お前、大丈夫なのか?あいつの借金の連帯保証人なんだろ』
スマホを持つ手が震える。相手の言ったことが頭に入ってくるにつれて、体の芯から冷えていく気がする。
「あいつが逃げたって…じゃあ僕は?どうなるんだよ…」
夜逃げと言うことは、借金を踏み倒したということ。つまりそれは、連帯保証人である自分が払わなければならないということか。会社をクビになった今、そんなことができるわけがない。唇を噛み締めながら、受話器を静かに置いた。
それから妻と子には実家に帰られ、お金は無くなっていくわで、怒涛の一月だったとしか言いようがない。もうどうしようもなくなって、ただふらふらと町を歩いた。
「おお?ちょっと待てよ、お前」
見るからに普通でない男が数人。初めは自分だとは思っていなかったけれど、近づいて来るにつれて、彼らの目的が自分であると気づく。
「な、なんでしょうか」
「間違いねえな。これ、アンタだろ?」
そう言って見せてきたのは写真。よれよれのスーツに身を包み、疲れた様子で歩く、自分の姿が写っている。はっと息を飲んだことで確信を得たのか、男たちはにやにやと笑いながら話し始めた。
「北見祐輔、28歳。一月前に会社をクビになり、友人が借金を踏み倒して夜逃げ。連帯保証人だったことにより借金返済の責任を負う…おいおい、奥さんにも逃げられたのかい、災難だなぁ!」
大柄な男が書類を読み上げ、全く心の籠っていない言葉を吐く。祐輔はただ震えるだけだ。
「まあそういうわけだから?ついてきてもらうぜ、北見祐輔さんよ」
祐輔が何も言えず頷くまで、約10秒。男たちに車へ乗せられるまで、約40秒。
そして、今に至る。男たちに連れてこられたのは、ドラマでしか見たことのないような、事務所らしき所だった。明らかに堅気でない男たちが先程よりも多く、祐輔を睨むように見てくる。恐怖と緊張で祐輔は挙動不審だった。
「アンタは借金の連帯保証人!その責任は取ってもらわねぇとだよなぁ?この紙にサインして、金払えばいいだけだろうが!」
「そ、そんなお金持ってないですし…」
「うるっせえなどうにかすんだよどうにか!」
バンッと机を叩く大きな音が響く。祐輔はもう半泣き状態で、物事を上手く考えることが出来なくなっていた。―――もう、終わりだ…。サインさえすればもう、早く帰れるのかな…――――ペンが紙面に触れる。あと1ミリ…
「はぁーい、はいはい、ちょいまちぃ」
どこか間延びした声が急に聞こえてきて、祐輔は思わず固まる。声のした方をゆっくり振り向くと、周りの男たちの視線も動いた。
「鳴海さん!」
男たちが一斉に部屋の脇によけ、道のようなものが出来る。そのお陰で、鳴海と呼ばれた人物の姿を見ることができた。
「どうも、おばんどす」
男は、柔らかなイントネーションで挨拶をしてきた。京都、だろうか。綺麗に染められた金髪は少し長めで、癖がついている。皺一つない黒のスーツに、黒いネクタイ。少し着崩してはいるものの、不快感を与えない。美しい容姿の男に見惚れていると、その男が困ったように目尻を下げた。
「どうしました?ぐつ悪いんどすか?」
「ぐ、ぐつ?」
「ああ、具合でも悪いんですかーゆう意味ですわ」
けらけらと笑う男が周りの男たちの仲間だとはにわかには信じられず、祐輔は目を丸くするばかりだ。
「ほらお前ら、外に出よし。おにいさんビビっとるやん」
「し、しかし…」
「俺がちゃんとやる言うとるやろ。さっさっと出よし」
男が少し強く出ると、男たちはすごすごと部屋から出ていった。その様子は、先程までの彼らとは違いすぎて、目の前の男は何者なのかと驚きを隠せない。
「さあ…ええと、北見祐輔さん、やね?」
「は、はい」
突然名前を呼ばれたために、また肩が大きく跳ねる。
「ははっ、そないにビビらんでもええよ。さっきのやつらとはちゃうし」
やはり楽しそうに笑う男は、好青年にしか見えない。祐輔は少しだけ体の緊張をほぐし、視線を落とした。
「まあとりあえず、あんさんのプロフィール…えらいことになってますなぁ」
「…本当に」
うーん、と頭をかきながら、男は書類を見つめていたが、不意に顔を勢いよく上げて、祐輔を見た。
「あ!」
「っ!?はい!?」
思わず身構えると、苦笑された。
「忘れとったけど、自己紹介してへんかった」
ああなんだそんなことか、と息を吐く。またいらぬ緊張を味わってしまった。
「俺は小松鳴海。ここのまあ、職員どす。よろしゅう、北見さん」
「ぼ、僕はもう、知られてますから大丈夫ですよね…。あの、小松さん、色々お聞きしたいのですが…」
「そないにかしこまらんでも。俺北見さんより年下やし。敬語なんかいらん」
男…鳴海はそう言うとにっこりと笑った。そうすると幼く見えてかわいらしい。
「そ、そうかい?じゃあ…鳴海くん」
「はいな!」
「ここはその…金融会社的なやつだよね」
「そうどす。北見さん、借金の連帯保証人やからね、ここに呼ばれたんやろ」
呼ばれた、というよりは無理矢理…。
「僕はこれから、どうなるんだろうか」
自分で言ってて虚しく、悲しい。本当に自分はどうなるのかと、この一月考えて過ごしていたのだ。
「そうやねぇ…。それは、あんさん次第やろうな」
「僕?」
「そうそう。俺らは取り立て屋やから、催促するだけかも知らんけど…」
「けど?」
「まあ、つまりあれや、あんさんの努力次第、っちゅうこと」
「なんだよ、それ…」
努力でこの状況が変わるのならとっくに…。こっちの考えが届いたのか、鳴海の視線が痛い。
「世の中の出来事はそういうもんやろ。俺かて、こないな仕事続けるんには努力しとるしな」
鳴海は立ち上がると、大きく肩をすくめながらそう言った。そして、にこりと笑う。
「ほな本題や」
「これからの話、しまひょか」
ここまで読んでくださり、ありがとうございました。感想、レビュー等、書いてくださると嬉しいです。