終章
終章
香織は無事救出された。
昏々と眠る香織を見て、詩織はこのまま目覚めないかと心配したが翌朝には何事も無かったかのように起きた。
「おはようございます。姉さま」
妹の、第一声に詩織は力が抜けたように、脱力した。そんな詩織に香織は不思議そうな表情をしていた。
結果としては、香織を救えたが鉄本部に知らせず達也と詩織が暴走した件については、時坂弦から搾られた。
「新郷君、確かに君の行動は無謀とも言えるが、奇を突いて果断に攻めた手法は見事だ」
この時、時坂弦が浮かべた表情は感嘆。
「誉められたものではない。・・・・・・だが、君の力は今後とも我々鉄にとって極めて重要なものになるだろう。君とは長い付き合いになりそうだ。娘共々、よろしく頼むよ」
時坂弦は一転して、朗らかな笑みを浮かべた。
今日は快晴だった。
地上を祝福するかのように燦々と陽光が降り注ぐ。
この天気で、日曜日の動物園は多くの見物客で賑わっていた。ほとんどが小さな子供を連れての家族、後はカップルが大半。
その中で、周りとはいささか浮いた一行。若い三人の男女がいた。達也、詩織、香織だ。
元気一杯の香織が先頭に立って、姉の手を引いて歩いている。少し遅れて達也がその後を歩く。
色々な動物を指差して、香織がはしゃいだ。詩織は、最初は渋々といった感だったが今は穏やかな表情で、動物を見ている。
一通り周り、三人は休憩する。
パラソルを立ててあるテーブルに座ると、香織が立ち上がって、
「私がジュースを買ってくるわ」
「香織、疲れたでしょう。私が行くわ」
香織は姉を制するように、頭を振った。
「いいの。姉さまは座っていて」
香織は達也に向かって、にっこりと笑った。
「じゃ、姉さまの事はよろしくね達也さん」
意味ありげな流し目をくれて、香織が歩き出す。途中振り返って、
「十分くらい、戻ってこないからゆっくりしてね」
「香織!」
詩織が妹を睨むと、大きく手を振った香織は、その場から遠ざかる。
残された二人。
何とも、妙な空気が流れる。が、詩織が口を開いて沈黙を破る。
「そういえば、あの時の礼を言ってなかったわね」
「あの時?」
「シェリーと名乗る女の相手をしている時に、いきなり私を昏倒させた事」
平坦な口調で、詩織は達也をじっと睨んだ。
「ああ、あれね」
達也は、悪びれた様子もなく、足を組んで詩織の視線を真っ向から受け止める。
「あれが、最良の手段だった。結果を見ても明らかだ」
見る見る内に、詩織の表情が不機嫌になっていく。
「だが、味方であるお前をいきなり殴ったのは悪かった。この通りだ、許してくれ」
達也は深々と頭を下げた。
「駄目ね・・・・・・」
詩織は冷たく言った。達也は怪訝そうな表情を作る。詩織は陰湿な性格では無い筈だ。
「鉄でこき使ってやるわ」
達也は一瞬驚いた顔をするも、微苦笑を浮かべた。
「素直じゃない奴だ」
詩織は、むっ、と表情を変えるが何も言わず空を見上げる。
「あの女とは何れ決着を付ける時が来る。その時は、貴方にも手伝ってもらう」
「香織は帰ってきた。それでも、シェリーに拘る必要があるのか?」
達也の言葉に、詩織は冷ややかな目を向けてきた。
「もう、ファーストネームで呼び合う仲?」
「・・・・・・呼び名など、関係無い。もう、終わったんだ。過去の事に拘る必要など・・・・・・」
「終わってない」
達也の言葉を詩織が遮る。
「終わってなどいない。奴らは、またくるわ・・・・・・」
鋭い目で詩織はこちらを見据える。まるで、達也が親の仇であるかのように。
「今の内に選ぶといいわ。私か、それとも奴らに付くか。・・・・・・あるいは日和見を決め込むか」
詩織は冷ややかな笑みを浮かべて、挑発するように言った。
「香織の事はどうするつもりだ?」
「そうね・・・・・・」
ふと、詩織の顔が横に逸れる。視線の先には、香織がトレイを持ってこっちに向かってくる。
「本人しだい。でも、奴ら・・・・・・アルメキアに捕らえられた際に行われた、実験らしきもので、香織の潜在能力が引き出された。・・・・・・大幅に、ね」
詩織の目が、憂いの色が過る。だが、それは一瞬だった。
「本人の意思はどうあれ、鬼狩りの道に引きずり込まれるでしょうね」
達也は、詩織の様子を窺うがその真意は見えない。
「お前が、盾になってやればいいではないか」
「無理ね」
あっさりと詩織は言い切る。
「どうしてだ?」
詩織は、冷笑と自嘲が混じった笑みを浮かべた。
「私が、香織を鬼狩りの道に引きずり込むから」
「・・・・・・・・・・・・」
達也は能面のように無表情のまま、詩織を見る。
「それが、お前の選ぶ道か」
「そうよ」
詩織の表情には躊躇いや、罪悪感など微塵も無い。ただ、覚悟を決めた表情。
「私は、私自身と鉄の為に香織を、戦いへと引きずり込む。それを、貴方は非難する?」
達也はそれに答えなかった。
香織の足音が耳に入ってくる。
「お待たせしました」
香織が来ると、詩織は先とは別人のように華やいだ笑みを浮かべた。
「あら、もっとゆっくりしてきても良かったわよ。ねぇ?」
そう言って詩織は意味ありげな視線を、達也にくれた。
「えーー? 本当ですか、達也さん?」
覗きこむように、香織は達也のほうを見てくる。
「いや・・・・・・」
咄嗟に、反応もできず曖昧な返事を零す。
達也は、頭上を見上げる。
青い空が、広がっている。
全ての人間が幸せな、ハッピーエンドとは、言えない結末。果たして、自分がした事とは何だったのか?
それは・・・・・・分からない。
だが、
「どうしたの、達也さん?」
不思議そうな目で、こちらを見ている香織。
亡き妹に似た、瑞々しい生命に満ち溢れたこの少女を目に止めていたい。笑顔を、見せて欲しい。
「いや・・・・・・何でもない」
護るべきもの。それは、とても儚げで、砂上の楼閣のように崩れやすい。だからこそ、見守っていきたい。それが、例え自分の身勝手な思いだとしても・・・・・・
香織の後ろで、詩織はそんな達也を嘲うかのように、冷たい笑みを浮かべていた。