第五章 戦鬼達の饗宴
第五章 戦鬼達の饗宴
頬を叩く、乾いた音が時坂邸のリビングに響いた。
右の頬が、熱い。
達也は無表情に、怒りに震えた詩織を見やる。
「それで・・・・・・あなたは、見す見す香織が連れ去られるのを、黙って見ていたという訳ね」
詩織は押し殺した声で、言う。
「ああ。相手は完全武装していた」
達也は何ら、悪びれた様子も無く事実だけを淡々と告げる。
「落ち着くんだ、時坂。焦れば、自滅する。逆境に追い込まれた現在こそ、冷静に・・・・・・」
「黙れ!!」
達也の口上を、怒りに震える詩織の声でかき消される。その時、達也は表情を変えず詩織の髪を掴み、強引に引き寄せる。
「なっ・・・・・・!」
息も触れんばかりに、顔を近づける。
「いいか、よく聞け。連れ去られた、という事はまだ、香織は生きている。連れ去った奴らにとって、香織は利用価値があるからだ。何の利用価値かは、分からんが。今すべき事は、情報を集めて奴らのも目的、所在、理由を探る事だ。そして、対応策を練る。俺に激昂した所で、事態は進展を迎えない」
怒る訳でも無い。淡々と達也は詩織の目を間近くに、覗き込む。詩織は、驚いたように目を開き無言で達也を見上げる。
詩織の体から、手を離し達也はソファに腰を下ろす。
「香織を連れ去った奴らはプロだ。持っていた銃器にしても、そこらの暴力団が持つようなチャチなものじゃない」
達也は、思い出すかのように天井を見上げる。
「奴らの言葉が、断片的に聞こえた。それは、明らかに日本語じゃなかった。英語ぽかったが、はっきりとは分からん。何人かは、外人だった」
どうだ、と達也は顎をしゃくった。
「今、俺の分かっているのはこれくらいだ。・・・・・・その顔なら、心当たりがあるようだな」
何かを考え込んでいる詩織。
「話してみろ」
達也の言葉に、詩織は躊躇する素振りを見せる。
「香織を救う為だ。全部の情報を吐き出せ」
詩織は、じっと達也を見据える。達也が信じるに足るのか、見極めようとしているのか。
「香織を救うと言うの?」
「救えるか、どうか今保証できる筈も無い。今やる事は、情報を集めて判断する」
達也は、疲労の色が濃い詩織を見ながら告げる。
「・・・・・・一週間近く前になるわ・・・・・・」
詩織は重々しく、口を開き霊鬼との遭遇戦を語り始める。
「鬼を、支配下に置いているのか・・・・・・!」
達也は驚きの声を漏らす。
「爆弾の破片から米国のサイズ記号が刻印されていたわ」
「フム・・・・・・」
達也は、自身の顎を右手で掴み考える。
「奴らの目的・・・・・・時坂、お前を捕らえる事だった。だが、何らかの理由で霊鬼は撤収して、時坂を捕らえるという目的を逸した。そして、今度は香織を攫った。・・・・・・おそらくは、敵方にある理由が生じて、攫う対象を時坂から香織にシフトしたんだろう」
「どうして、私では無く香織を攫う? 奴らの目的は金・・・・・・?」
「攫う対象を時坂から、香織へシフトしたのは分からん。金目当ての誘拐は、九九パーセント無いだろう。あれだけの装備と人員を揃えるだけで、アシが出る」
「じゃあ、何が目的で香織を攫った!?」
達也に掴みかからんばかりに、詩織は詰め寄る。
「ウム・・・・・・」
達也はしばらく考え込んでから、口を開く。
「時坂と香織、お前たち姉妹には共通点がある。その共通点こそが、お前たちが狙われたのではないか・・・・・・と俺は考えている」
「どういう事?」
詩織は、訝しげに眉を寄せる。
「時坂姉妹に共通しているもの・・・・・・それは、霊力の高さだ。お前たちは、人並み外れた霊力を持っている。だが、それ以上にお前たちの付随能力だ」
「付随能力?」
達也は、テーブルに置いてある陶器製の茶碗を手に取る。
「この茶碗が、人の持つ霊力の限界だとする。だが、稀にこの茶碗よりも容量を上回る霊力を持つ人間がいる。すると、どうなるか?」
「・・・・・・茶碗から、零れる」
詩織は腕を組んで、達也を見下ろす。その目は真剣だ。
「そうだな。それが、単に茶碗に水を注ぐだけの話なら。だが、これが霊力となると話が違う。水なら、零れたら地面が濡れる。なら、霊力はどうなるか? 零れた霊力は地面には落ちない。零れた霊力」
手に持った茶碗を玩びながら、達也は告げる。
「それは、アストラル空間に流れる。この、流れを空流と呼ばれているんだが、空流を起こす者は、常にアストラル空間との間にパイプを保持している。すると、本来なら人が持ちうる筈の無い力を、膨張させる。キャパシティの増大だ。拡張に伴い、力を開花させ、それを付随能力と呼ぶ」
「そんな事、意識した事も無い」
「意識せずとも、潜在的に、自分の預かり知らぬ所で持っているのさ。付随能力を。・・・・・・以前、誇大妄想者がこうした付随能力を持つ者を利用して不老不死を、手に入れようとした事があったらしい」
達也は、冗談めかした口調で言う。だが、詩織の目は真剣だった。
「可能なの?」
苦笑を浮かべ、達也は頭を振った。
「無理だ。アストラル空間に点在する力は、理を捻じ曲げる力を持つがそれはあくまで、単純な力の流れに限ってだ。生命の輪廻を変えるのは、不可能。だが、常時アストラル空間との接触を持つ人間を発電機と例えて、そこから力を抽出すれば莫大な力だろう。アイデアは悪くないが、不老不死は突飛すぎた」
「理由はどうあれ、奴らの動機は私達の力が欲しい・・・・・・。奴らと交渉チャンネルを持って、香織と私の身柄を交換できないかしら?」
「無理だな」
達也はにべも無く言い切った。
「お前も捕らえられるのが、オチだ。今すべき事は奴らの情報を集める事だ。どのくらいの、人員と金、技術を持っているのか・・・・・・」
「今、鉄を総動員して情報を集めているわ」
「フム・・・・・・」
達也は、詩織を見上げる。弱気な素振りは見せていない。だが、ほとんど休んでいないのだろう。目元にはうっすらと隈ができている。気力だけが、今の詩織を支えているのだろう。
「時坂、今はとにかく休んでおけ。健康状態を維持せねば、正常な判断が下せないし能力が著しく減退する。・・・・・・香織の為にもな」
詩織がこちらを探るような目で見てくる。
「何だ?」
「貴方はどうするつもり?」
「俺か・・・・・・?」
達也は呟き、詩織が自分の動向を気にしているのを知る。もし、ここで自分が一人で香織の探索に向かうと言えば、何が何でも付いて来そうな雰囲気だ。
「果報は寝て待て。情報も無いのに、動いても仕方あるまい。今は体力温存だ」
詩織は呆れた表情を作る。
「よく言う・・・・・・人の家でそこまで寛げるなんて、神経を疑うわ」
「フン・・・・・・それだけの皮肉が言えれば十分だ。さっさと、寝ろ。ヒロインが、物々ニキビを付けていては絵になるまい?」
ふてぶてしく言い放つ達也に、香織は疲れたようにため息を吐く。もう、呆れて何も言えない、そんな感じだ。
「貴方の相手はしてられない」
詩織は言い残し、リビングを後にした。おそらく、自分の部屋に戻るのだろう。足音が遠ざかっていき、扉の開閉音と共に消えた。
「さて・・・・・・」
達也は立ち上がり、リビングを抜けて玄関に出る。
そのまま時坂邸を後にした。
「いきなり来たと思えば、弧鉄を返せとはな・・・・・・」
剛は、シニカルな笑みを浮かべながら言った。
「こんな夜更けに押しかけて、申し訳ありません」
「まったくだ」
そう言いながらも、剛には不機嫌な様子は無い。剛の家は、豪華さには程遠いが、小奇麗にしており、木造。古めかしいデザインだが、温かみのある家だ。
「玄関では何だ・・・・・・入って行け、と言いたい所だが急いでいるようだな。待っておれ、すぐに持ってきてやる」
「助かります」
剛は、家の中に消えた。が、しばらくすると右手には鞘に身を包んだ日本刀を持って現れる。
弧鉄――
かつて、達也が鬼を狩る際に愛用していた武具。業物では無い。だが幾多の、狩場を共に駆け巡り最も頼りになる存在。
決して、達也の期待を裏切らなかった。が、結果としては達也のほうが鬼狩りを降りた。主を失った弧鉄は、ひっそりと剛の家で眠っていた。
「手入れはしておらん。だが、そいつは霊力で反応する、生きた武具。貴様の肉体以上に、近い存在だ。お前の期待は決して裏切らん」
弧鉄を受け取り、達也は頭を下げる。
「ありがとうございます。それでは失礼します」
出て行こうとする達也。
「待て」
呼び止める剛に、達也は振り返る。
「良い目をしている」
剛は、凄みのある笑みを浮かべながら言った。
「かつて、鋼最強の鬼狩りと呼ばれていた頃の目だ」
「・・・・・・・・・・・・」
押し黙る達也に、剛は顎をしゃくった。
「行け。そして、その目を忘れるな。お前の中の鬼を、解き放て」
達也は、詩織たちが最初に霊鬼と遭遇した、廃校跡へと向かった。車のライトを点灯させたまま、車から降りて廃校跡を眺める。
爆発によって、廃校は影も形も無い。瓦礫が残っていた筈だが、鉄によって除去されたようだ。ここでの死闘が嘘のように、達也の目の前は綺麗な新地が広がっている。
新地を歩き、周りを見渡す。街灯など無い。闇が広がり、達也の乗ってきた車のライトだけが弱々しく、光っている。
達也は両手を広げて、目を閉じる。
意識を研ぎ澄ませ、気の触手を全周囲に走らせて鬼の残滓を探索。
「・・・・・・! こいつか」
気の触手の先端に、引っかかるモノ。
(確かにこいつは、今までの鬼じゃない)
気の残滓からは、全く異なる気の流れを感じ取る事ができる。更に、ここでの霊鬼らの殺戮劇が映像として達也の脳裏に飛び込んでくる。
鬼に潜む、破壊衝動、血への渇望、ドロドロした欲望が達也の中に入り込んでくる。
「ちっ・・・・・・! 久しぶりの“鬼探”に耐性が付いていないか」
鬼探――達也がかつて、鋼で鬼を狩った数が、他者とは比べ物にならないくらいに高かったのは、この能力に負う所が大だった。鬼が残す、気の残滓を元に、追跡する最強の鬼狩りとして達也は幾多の鬼を狩ってきた。
だが、この鬼探は鬼との同化によって、感覚をシンクロさせる諸刃の剣だった。鬼を狩る内に、自分自身が鬼であるかのような錯覚を覚えた事は一度や二度では無い。
鬼に近づいていく自分。自分の中に潜む闇の部分が、鬼探を使う事によって直視させられる。そして――自分の中にある鬼の部分に達也は心から恐怖した。
それから、弧鉄を捨てて戦いの場から足を洗う決意をした。
「妹に似た女の為に、狩りに戻るとはな・・・・・・俺もヤキが回ったか?」
達也は自嘲めいた笑いを浮かべ、ふらつく足取りで車へと戻る。
香織。
果たして、自分は何の為にあの少女を救おうとしているのか。かつて、失ったモノを香織という寄りしろに縋ろうとしているのか?
いや、それは違う。
あの笑顔・・・・・・かつて、自分を癒してくれた、居場所を与えてくれた存在。
「俺は、やらねばならん。女の為では無く、自分自身の為にも・・・・・・!」
達也は独白して、車に乗り込む。
(追跡するか)
達也は、厳しい表情で鬼気の残滓を辿り、車を発進させる。
二日後。
朝靄の明けぬ中、達也は時坂邸の別宅に戻った。洗面所の鏡に身を向かう。
鏡に映る自分は、無精髭が生えて疲労にやつれている。しかし、目付きだけは鋭利な刃物のように鋭く、手負いの獣さながらだ。
達也は服をその場で脱ぎ散らかして、風呂場に入り体を洗う。
風呂場を出ると、達也はそのままベッドに向かって疲労した体を回復する為に、睡眠。
目が覚めると、時刻は昼を回っている。
達也は素早く身支度を整えると、時坂邸に向かう。詩織の姿を探すが、どこにもいない。メイドの女性に聞いても、ここにはいないという。
携帯電話で、詩織の番号を呼び出す。数回のコール音で詩織が出る。
「今、どこにいる?」
『鉄の本部よ。貴方こそ、どこに行っていたの?』
詩織の質問には答えず、達也は急くように告げる。
「すぐに出てこい。本部の近くに喫茶店があった筈だ。そこで合流しよう」
『ちょっと・・・・・・』
達也は、詩織の返事も待たずに電話を切り、時坂邸を出て車に乗り込む。
喫茶店に到着すると、既に詩織が来ていた。
憂鬱な表情で時折時計に視線を落としては、手持ち無沙汰に窓の外を見ている。ぱっと見た目には、彼氏を待っている女だ。
「待ったか」
達也は悪びれた様子もなく、近くにいたウェイトレスに珈琲を注文して詩織の対面に腰を下ろす。
そんな達也を詩織は睨みつける。
「一体、どこに行っていたの!?」
鋭い、詰問口調だ。
「落ち着け。まるで、浮気を問い詰める女だ」
達也は苦笑しながら、運ばれてきた珈琲を口に含む。達也の言葉に、詩織は苦虫を噛んだ表情になる。そんな詩織を見て、達也は意外に思う。以前なら、このようなふざけた科白を吐けば、突っかかってくる筈だ。
「で、何の用かしら?」
詩織は醒めた表情で、トーンダウンして問う。
「香織の場所が分かった」
達也は、珈琲を啜りながら、淡々と告げる。
「・・・・・・!?」
詩織は驚愕の表情を浮かべ、
「どうやって・・・・・・!」
「鬼の道は鬼さ・・・・・・」
自嘲めいた笑みを達也は浮かべて、珈琲を喉に流し込む。
「どうする? 行くのか」
怪訝そうな表情をする詩織。達也の言葉の意味を理解しかねている様子だ。
「救出は、早いほうがいいだろう。お前は、手をこまねいて見ているのか?」
詩織の目が鋭くなる。
「勿論、行くわ。香織は私の妹よ」
「では、行く。先ずは、兎の支部だ。手駒を揃える」
達也は伝票を持って立ち上がる。
「今晩に出発できるよう、手筈を整えるんだ」
詩織は、呆れと驚きの混じった表情を浮かべ、
「こちらの都合を考えていないわね」
表情を変える事無く言い返す。
「敵は、こちらの都合の悪いときを狙ってくる。逆もまた然りだ」
「いい指揮官になれるわよ、貴方なら」
皮肉たっぷりの、詩織の言葉に達也は苦笑を浮かべる。
「光栄だ」
「様子はどう?」
アルメキアの日本支部。
シェリーの目の前には、厚さ一メートル近くある強化ガラスがあり、その先には無菌室が広がっている。無菌室には、ロボットアームが天井から伸びており、部屋の中央には直径4メートルはある、巨大な円柱の水槽があった。
水槽の中にいるのは、観賞用の魚等では無い。
人。
香織が生まれたままの姿で、その中にいた。目を閉じて、死んだように身じろぎしない。だが、赤みがかった液体の中にあっても詩織の体は、瑞々しく死者のように土煙色の肌では無い。
シェリーの問いに、無菌室の外から香織の体をモニタリングしている、若い女性オペレーターが心電図や、グラフから目を離さずに答える。
「安定しています。ブラックアウト現象や、インホール現象は起きる兆候は見られません。平均の、霊力の放出値は三十七ν。最高で、八十九νです。ほぼ十時間毎に、最高霊力値を更新しています」
香織の体は水槽の中にあっても、各種アームやベルトによって固定されていた。更に、無菌室は二重の厳重なガードがかかっており、最新のセキリュティシステムによって守られている。
例え、この中で獰猛な羆が暴れまわっても、この檻はびくともしない。
之ほどの厳重な、セキリュティを目の前の少女に必要とは思えないが、こうした慎重さがアルメキアの持ち味とも言える。
(格神者としての資質、佳織が予想以上に高かったのは嬉しい誤算ね)
既に佳織の中に眠る格神者としての、データはあらかた吸い出してある。この時既に、シェリーの目的はほぼ達成されたと言って良い。
(だけど・・・・・・)
問題が残っている。
火消しだ。
最後の撤収。佳織は、鉄という、日本の鬼狩りを生業とする集団の一族の血を引く娘。当然、盗人同然にかどわかした自分達に鉄は牙を剥いて来るだろう。
鉄とアルメキア。
組織の規模では、圧倒的にアルメキアが勝る。資金力や人員は、二桁は優に超える。だがここは日本。敵地にあっては、地の利が無い。
情報の隠匿にあたっては、厳重に注意するも針の穴からでも、情報が漏れればたちまちの内に、鉄に知られるだろう。シェリーは早期の内の撤収を考えていた。
(もう一つが、あの男)
リスキーの存在。傲慢な監察官。
リスキーについて、調べていた。元老院の内の一人、アルベル公爵の子飼いの部下である事が判明した。アルベル公爵は、シェリーの後ろ盾でもある元老院の一人とは犬猿の仲。
両者はシェリーが、現在進めているこの作戦の主導権を握ってはかなり揉めていた。
そのリスキーの真意が分からない。単なる嫌がらせか、それとも何か別の思惑があってか。
とにかく、最後まで気が抜けないのが、今の現状だ。
「何か異変が起きたら、すぐに知らせて」
オペレーターに、告げてシェリーは自室に戻る。
シェリーの割り当てられた、部屋は小パーティーを行える程広いものの、そのスペースを完全に使い切っていなかった。
デスク、ベッド、ハンガー、生活に必要な、最低限のものと、書籍がいくらか置いてあるだけ。整頓されているが女性が好むような、小物やマスコット等一切置いておらず、生活感の無い部屋だ。
シェリーはデスクの上に置いてある、ノートパソコンに向かい、起動させる。
最新スペックのノートパソコンは、ストレス無く各種アプリケーションを立ち上げる。
サーバーにアクセス。
パスワードの入力を求められる。シェリーの細い指が、キーボードの上を踊る。香織から、得られたデータをダウンロードする。
このデータは極秘で、例え指揮官であるシェリーとて私有する事はできない。もし、これが発覚すれば減給処分等では、到底済まされないだろう。
だが、発覚はまず無い。ダウンロードや、サーバーへのアクセスした形跡は一切残していない。
データに暗号化をかけて、圧縮。そのデータを、自分専用のサーバーへと転送。
「さて・・・・・・後は解析をするのみか」
解析は、専用のプラグラムを組んであるので、後はサーバーの中のプログラムが勝手にやってくれる。
シェリーは、ノートパソコンの電源を落とすとシャワー室へと向かう。
シャワーノズルから、勢いよくお湯が出てシェリーの白い、瑞々しい肌に流れ落ちる。
体を洗いながら、シェリーは香織の事を考える。
(予想以上に、香織の持つ降神者としての資源が高かった。そこから得られたデータも、かなりの成果を上げたが・・・・・・)
しかし、それはシェリーにとってはいささか困るものであった。何故なら、アルメキアに貢献して、同組織の躍進はシェリーの本意では無い。
何らかの功績を上げて、アルメキアでのし上る必要はあったが、それによってアルメキアが飛躍する事は拙い。特に、元老院に利する事をシェリーは恐れていた。
元老院も愚かでは無い。こちらが、姑息なサポタージュ等の策を弄すれば、忠誠を疑われて即座に切り捨てられる。
「いずれにしても、プラン“モンキー”の発動はリスキー次第か」
シェリーは呟き、鏡に映る自分の顔を見る。鏡に映る、女はこちらを鋭い目で睨みつけていた。
「雌狐の様子はどうだ?」
リスキーは、室内の様子を隠し撮りしているモニタを覗き込みながら、尋ねる。
モニタを見張っている東洋人の、白衣姿の若い男はリスキーを一度振り返り、モニタに目を戻して答える。
「先ほど、部屋に戻ってパソコンに向かっていました。それから、今はシャワーを浴びています」
「何をしていた?」
「画面のほうは、本人の隠れて見えませんでしたが、LANを通してこちらのサーバーにアクセスしていたようです」
リスキーの目が、獲物の弱点を見つけたように、酷薄な知性を浮かべて目を細める。
「何をしていた?」
白衣の男は、頭を振った。
「特に怪しい事は、何も。進捗状況の確認と、元老院への報告。後は、何の変哲も無いホームアドレスを回っていただけです」
男はそう言って、履歴の一覧を記した紙をリスキーに見せる。
「“アクセサリー専門店”“ネット通販女性下着専門店”・・・・・・何とも、女らしい事だ」
リスキーは鼻を鳴らして、紙をごみ箱に捨てる。
「ここは、怪しい所は無いんだな?」
「はい。数年前から、開設している有名なネット通販です。ま、仕事の合間に見ていたんでしょう」
男は、オホッ! と奇声を上げてモニタへ顔を寄せる。
「いい体しておりますなぁ。指揮官にするには惜しい、女だ」
モニタの中では、シャワーから出てきたシェリーの姿が全裸で映っている。どこか、物憂げな表情で、バスタオルで体を拭いていた。
隠しカメラで監視されている事など、夢にも思っていないだろう。
「ほう・・・・・・シルクの下着。高級指揮官ともなると、下着も高級か」
リスキーはにやにやと、嫌らしい笑みを浮かべる。モニタの中でシェリーは、下着を身に着け始めている。
「まったく・・・・・・こんな良い女が、魔女と呼ばれる程の、凄腕の“ストライク”とは想像できませんな」
男は、顎をさすりながら呟く。
「そうだな・・・・・・“ストライク”別次元の怪物を中に飼っている、化け物。あの小奇麗な顔の奥に、どんな怪物を飼っているのか見物だな」
リスキーは傲慢な笑みを口元に張り付かせて、モニタのシェリーに人差し指を向ける。
「今から、寝るようです」
男の言葉に、リスキーはモニタに注視する。
部屋の中が暗くなる。
残念ながら、隠しカメラには赤外線能力は無いので暗闇では見えない。
リスキーは男の肩を叩いた。
「俺の可愛いペット達を起こしてくれ」
男はギョッ、とした顔を作る。
「ファングを起動・・・・・・!? しかし、そんな事をしたら」
にぃっ、とリスキーは禍々しい笑みを浮かべる。
「当然、この研究所は大混乱。収拾がつかん。暴走したファングの群れは、誰も止められない」
「ファングを全て、切り捨てるのですか・・・・・・?」
驚愕の表情を浮かべる男を、リスキーは不思議な生き物を見るかのような目を向ける。
「当然だろう? 雌狐の言を借りれば、ファングは所詮、駒でしかなく手段だからな」
「虎の威を借りる狐、という言葉がありますが貴方は、その下の素顔はもっと危険で狡猾だ」
「例えば、何だ?」
「蛇ですね。執念深く、獲物の弱点を探って、弱った所を一気呵成に襲い掛かる」
リスキーは喉の奥で、笑う。
「フッ。光栄だ」
リスキーは、顎をしゃくった。
「さぁ、ファング達に目覚めのキッスを与えてやれ。覚醒時間は、二時間後にセットしろ。その間に、アレを運び出す準備をする」
「了解」
リスキーは酷薄な笑みを浮かべる。
(最後に笑うのはこの私だ。シェリー=ルクセンベルグ)
「あそこが、香織が捕らえられている場所?」
詩織は、半信半疑の表情だ。
深夜零時。
視線の先は、特に怪しい所など無い建物だ。高さ六十メートルはある、白いビル。敷地も広い。三十台は止められる駐車場を完備しており、門の所には守衛が寝ずの番をしている。夜勤もあるのか、所々の窓は明るい。
達也と詩織は、車の中でじっとその建物を窺っていた。
『メトリックス製薬カンパニー』という看板が門の所にかかっている。
見る所、真っ当な製薬会社の建物だ。しかも、メトリックス社は日本でも幅広く知られる製薬会社だ。胡乱な所は、全く見えない。
詩織が疑うのも無理は無い。
現在、ここにいるのは詩織と達也だけである。鉄の、人員達は誰もいない。詩織は、達也に言われるがままに、来たことを後悔し始めていた。
『人質の救出には、少人数で行く。気取られたら確率は絶望的に低くなる』
達也はそう押し切って、あくまで自分達だけで行くことを主張した。達也の積極性に、面食らう詩織だった。
未だ、詩織の表情から懐疑の色が消えていない。だが、達也を確信していた。ここに、香織がいることを。
メトリックス社について、短時間ながら色々調べた。メトリックス社は外資系の会社だ。ヨーロッパのある企業が、日本にある製薬会社を買収して、名前と人員をごっそりと変えた所から、メトリックス社の躍進が始まる。
元々は業界でのシェアは、三パーセントという数字だった。だが、ここ数年でシェアを拡大して超大手の企業へとのし上った。
薬だけでは無く、バイオテクノロジーにも触手を伸ばして人口心臓や、様々な治療方法を確立していた。その技術は、業界でも垂涎の的であった。
――その技術を持ってすれば、霊鬼という、鬼と現代の科学技術を融合させて自分らに都合の良い人形を作る事ができるのか?
しかし、達也にはバイオテクノロジーといった技術に関する知識等持ち合わせていないので、判断はできない。が、鬼については知り尽くしている。
「時坂。我々人間が、鬼を完全な支配化に治める事ができると思うか?」
達也の問いに、詩織は一瞬驚いたように、目を見開く。
「さぁ、どうかしら。でも、生き物を完全な支配下に置くことは無理だと思うわ」
「かつて、狩猟をする際に獲物の発見や回収に、人間は野犬を自分たちのテリトリーに引き入れた。その野犬に訓練を施し従順さを植え付け、品種改良を施して猟犬を作った」
「鬼が、第二の猟犬になるとでも?」
達也は、メトリックス社から目を離さずに答える。
「人間の力は恐ろしいものさ。だが・・・・・・自然の摂理には逆らえん。鬼という、次元の異なる生物。鬼の存在理由や、発生するメカニズムなどはまだ解明されていない。次元のことなる鬼を無理矢理ここに束縛して、自分達の意のままに操る。手痛い、しっぺ返しが無ければいいが」
「そんなものは関係無い。ただ、目の前に立ち塞がるなら、排除するだけ」
淡々とした詩織の言葉に達也は苦笑いを浮かべる。
「過激な奴だ」
ちらり、と詩織の横顔を見やる。
美しい女だ。しかし、男に媚びる気配は一切無く、その凛々しい顔は男装の麗人を思わせる。
詩織に抱くのは、恋慕の情か?
達也は自分自身に問い掛ける。
惚れている、というのは違う。憧れに近い。その美しさと、内に秘めた意思の力には憧憬の感を抱く。
「時坂――お前は」
達也が言いかけた瞬間、ガラスの割れる音が耳に飛び込んでくる。達也は詩織と一瞬、顔を合わせるとその音源地、メトリックス社の方を見やる。
窓の照明が、全て一斉に消えた。しばらくすると、また照明がつく。だが、その光は先ほどまでと比べて、弱々しかった。
「非常電源だな」
達也は、呟き後部座席に置いてある弧鉄を手元に引き寄せる。
「敵方に、何か異変が起きたようだ。突入時間を繰り上げる」
「繰り上げるって、何時」
「今すぐだ」
詩織は絶句したように、口をあんぐりと空ける。
「そんな、何の準備も無しに・・・・・・。泥縄以前の問題よ」
「大丈夫だ」
達也は自信たっぷりに言い切った。
「敵方の情報も知っている。そして、不意打ちによる奇襲。俺という、圧倒的な戦力。勝てる要素は全て揃っている」
「・・・・・・私は今悩んでいるわ。貴方を殴り倒して、鉄から増派を求めるか」
詩織は冗談では無く、深刻な表情で言った。
「そんな時間は無い。今こそ戦機だ」
達也は弧鉄を右手に持って、車から出る。
「行くぞ」
返事を待たず、達也は駆け出した。
詩織はちゃんと、達也の後ろに付いている。詩織も右手に、対鬼用の日本刀を持っている。腰にはホルスターを巻いて、普段使うことの無い拳銃も持ってきていた。
戦う相手が、人間に備えて。
建物内に、甲高いベルが鳴り響く。
非常警報に、シェリーは飛び起きる。時計を見ると、午前二時。
慌しく、スーツに着替えて部屋を飛び出す。
発令所に飛び込むと、騒然としていた。
オペレーターの一人が、シェリーの姿を認めると
「司令!」
一瞬、安堵にも似た空気が流れるも、すぐに張り詰めた表情で報告してくる。
「ファングが起動シークエンスを開始しています!」
シェリーは、眉を上げるも慌てず、司令官席に着く。
「中止命令は?」
「駄目です! 受け付けません」
「こちらからの強制コードがまったく、通りません!」
「グスタフ、アレックスが起動を始めました!!
女性オペレーターは金切り声を上げる。
シェリーは冷静さを崩さず、状況の把握を急ぐ。
「セキリュティシステムはどうなっている?」
「は、はい。・・・・・・コードが書き換えられている!? 無力化されています。しかも、新たなシステムを構築され、こちらからの命令を受け付けません!」
「直ちに、ハッキング。隔壁を遮断して、ファングを足止めして」
「了解」
「他のファングも、起動します!」
「グスタフ、アレックス。隔壁へと攻撃を開始しています!!」
シェリーは建物内に設置されている、カメラによって映し出されているファングをモノタ越しに見やる。
モニタ越しに、ファングがこちらを見る。ファングの目は、赤く染まっていた。
「“バーサクモード”に入ったか」
シェリーは苦々しく、他者には聞こえないように呟く。
もはや、ファングは忠実な僕足り得ない存在と化した。
――バーサクモード。原始への回帰。ファングは、本来の鬼へと戻った。殺戮へと走る怪物。
「自爆コードを発生させろ」
シェリーは命令を出すも、おそらくは無理である事を悟っていた。
「は、はい。自爆コード作動準備・・・・・・!」
シェリーは、手元にある端末の端にある赤いボタンへと手を伸ばす。その赤いボタンは小さなガラスに守られ、『厳重注意!!』という文字が刻印されている。シェリーは保護ガラスを、右手の拳で叩き割り、躊躇する事無くボタンを押す。
自爆コードは、衛星を介してファングの脳内に仕込まれたマイクロチップ程の、小さいが強力な爆弾に爆破させる。例え、地球上のどこにいようと、自爆コードは発動できる。
だが反応は、
「ファング、今なお活動中!」
オペレーターが悲鳴を上げる。
騒然とする司令室。
次々と悲報がもたらされる中、シェリーは腕を組んだまま冷静さを崩さない。
シェリーは傍にある、内線電話を手にとる。
「私よ、リスキー監察官はどうしている?」
密かに、シェリーは子飼いの部下にリスキーの監視を命じていた。
『申し訳ありません!』
電話越しに聞こえてくるのは、緊迫した声と銃声。
「どうした?」
『突然、こちらに発砲、降神者を連れて逃亡中です! 連絡しようと思ったのですが、ジャミングをかけられて、こちらからは繋がりませんでした!』
これは・・・・・・
シェリーにとって、予想できた展開の一つであった。だが、予想確率としては低かったので、少々意外であった。
何よりも、
シェリーは右手を口元に当てた。
よく、女性は狼狽したり恐怖すると、手を口元に持ってくる。が、シェリーの場合は違った。
それは、笑みを隠す為。
(これなら、失敗した所で私の責にはならない。そう・・・・・・私は元老院のパワーゲームに巻き込まれた哀れな駒だから)
リスキーの背後には、元老院の一人がいる筈だ。おそらく、降神者を独り占めする為にリスキーを動かした。
だが、問題となるのは今の状況だ。ファングが暴走し、リスキーが降神者を連れての逃亡。
今しなければならないのは、ファングの鎮圧と降神者をリスキーに渡さない事。一見、不可能にも思えるが、そんな事は無い。
別段、降神者をわざわざ奪い返す必要など無いから。
また、ファングの鎮圧は自分達でする必要など無い。
シェリーは受話器ごしに命令を伝える。
「そこに、サガルはいる?」
サガルは傭兵部隊の、指揮官だ。寡黙で、無愛想であるが有能な男で、任務を着実にこなす。
『・・・・・・サガルです』
「直ちに降神者を連れ戻して。無理なようなら、射殺を許可する。降神者を、リスキーに連れ去られるのは、避けて」
『リスキー監察官は?』
「射殺しろ」
シェリーは表情一つ変えず、言い切った。
『了解』
電話が切れた。
「さて、後はファングか・・・・・・」
予め、建物内には緊急用の通路やエレベーターを設けてある。それらを使って、所員を脱出させてファングの処理は、鉄にやらせる。
だが、全員脱出は不可能だろう。
最もそれはシェリーにとっては、折込み済みだ。
何人かが、ファングに喰われている内に残った所員を脱出させる。冷酷だが、確実な方法だ。
「プラン“モンキー”を発動するとはね・・・・・・」
シェリーは呟き、再び受話器に手を伸ばす。
「司令!」
オペレーターの一人が叫ぶ。
「外部から侵入者です!!」
「・・・・・・? 映像をこちらに回せるか」
「はい」
シェリーの手元の、端末のモニタにその侵入者の姿が映し出される。
「詩織・・・・・・!?」
モニタには、漆黒の戦闘服を着た佳織の走る姿があった。その傍らには、見知らぬ若い男の姿。
男の右手には、日本刀が握られている。
佳織がこちらを向く。正確には、モニタのほうか。佳織は腰元のホルスターから銃を抜いて、こちらに発砲。
映像が途切れ、モニタに砂嵐が走る。
いい腕だ。
ハンドガンで走りながら、小さな監視カメラを一発で打ち抜くのは、かなりの技量を要する。
「・・・・・・・・・・・・」
シェリーは眉を寄せて考え込む。
佳織の出現は驚きであったが、何故か始めて見る男の方が気になった。だが、熟考している余裕は無い。
今求められるのは、迅速な決断だ。
突発的な事故による対応にも、シェリーは今まで持ち前の柔軟な思考と知力、そして直観力でカバーしてきた。だが、それでも予想外の、イレギュラーな因子の介入は嫌った。
――先の男は、イレギュラーな存在。
シェリーはこの時確信していた。理論的な裏付けは無い。あるのは、今までシェリー自身を助けてきた直感。
だが、このイレギュラーな存在が自分にとって吉とでるか凶とでるかは、判断がつかなかった。
「先の侵入者をカメラで追って。建物内の所員を直ちに避難誘導」
シェリーは一度、自身の細腕には不似合いなごつい軍用の腕時計に視線を落として、続けて言った。
「五分後には、全員退避して。集合場所はA―四九―Cで」
(さて、どうなるかしら・・・・・・。結末を笑うのは誰?)
シェリーは、他人事のように内心で呟いた。
「これが、霊鬼か・・・・・・!!」
達也は、目の前に現れた、鎧を纏う鬼――霊鬼を見て驚嘆とも、畏怖とも付かぬ声で叫ぶ。
床と壁は白一色で統一された通路は、清潔感を感じさせる。だが、今は所々に血痕や肉片が飛び散り、白い風景はそれらをグロデスクに浮かび上がらせる。
「フシュュュュュュュゥゥゥ・・・・・・」
達也と詩織の前に現れた霊鬼は三体。前衛にいる霊鬼が、こちらに禍々しいまでに赤い目をこちらに向けて息を吐いた。
血の臭いがした。霊鬼が右手に持った何かを、こちらに投げつける。
それ(・・)は達也たちの足元に、叩きつけられる。
「・・・・・・挨拶に添えてくる粗品のつもりか」
達也は、冷笑を浮かべてそれ(・・)を、邪魔とばかりに横へ蹴った。
それ――恐怖に歪んだ、生首はコロコロとボールのように転がった。
血の臭い、鬼の姿――二つのキーによって、達也の中でスイッチが入った。
かつて、忘れていたモノ。
戦いに身を焦がした、情熱。戦いへの渇望。
何かが音を崩れていく。
自分を人為らしめる、理性のタガ。それは音を立てて崩れていく。神経が張り詰める。
鋭敏で、研ぎ澄まされる。達也の中にある、全ての能力が戦いへと振り分けられる。達也の体が震える。
それは、恐怖でも無ければ武者震いでも無い。人の身から、人為らざるモノへの変貌に伴う、体の収縮である。
達也は、息吹を行う。
深く息を吸い、緩やかに吐く。
体中、全ての細胞が息づいているのが分かる。自分を含めて、近くにいる詩織、敵意を剥き出しにいている霊鬼らの、鼓動や気の流れが感じ取れる。
「新郷・・・・・・?」
詩織はどこか、信じられないような、驚愕の目でこちらを見ている。
そこに居たのは、人の形をした人で無い者。
「行け」
達也は、右手にある非常階段の扉を指差した。
「香織を救え。屋上に向かっている筈だ。俺はこいつらの相手をする」
「・・・・・・! 一人で霊鬼の相手をするの!?」
「そうだ」
達也は反論を許さぬ、口調で言い放つ。
「・・・・・・・・・・・・!!」
強張った表情で何かを言いかける詩織。
達也は、そんな詩織には気にもかけず、弧鉄を鞘から抜き放つ。腰の位置を下げ、弧鉄を自身の右肩に乗せる。
戦闘態勢は整った。後は開始の号令。
先に動くのは、達也か、それとも霊鬼か。
「行くわ」
詩織は言い放つと同時に、非常階段への扉へと走った。
それが合図となった。前衛に位置する霊鬼の一体が、無防備な側面を晒した詩織へと襲い掛かる!
更に、後衛の霊鬼が連動して、壁伝いに飛んで達也へ向かってくる。
キィィィィィーーーン!!
達也は、詩織へと襲い掛かる霊鬼の前に立ち塞がり、その鋭い爪を弧鉄で受け止める。その隙に詩織は、扉を開けて中へと滑り込む。階段を駆け上がる音が、背中から聞こえる。
「さて・・・・・・邪魔者はいなくなった。共に愛を語ろうか」
達也は、涼しい表情で遥かに上背のある霊鬼と鍔迫り合いを、しながら嘯いた。
「キシャァァアアアア!!」
真正面のファングが甲高い声で叫ぶ。
見え見えの陽動だ。
達也は、瞬時に身を沈めてその場を離れる。一瞬前までいた、達也の空間をもう一体の霊鬼の牙が通り過ぎた。
「!!」
獰猛な殺気と、淀んだ風は後ろから来た。
サイドステップを踏み、首を下げる。
ヒュュュュュッッッ!!
風を凪ぐ音と共に、真空のカマイタチが達也の頭上を通り過ぎる。髪の毛の数本が、宙に散った。
鬼の特殊能力である、円空斬。カマイタチを発生させて遠距離からも攻撃できる。
息を付く間さえ与えず、正面にいる霊鬼二体が左右から襲い掛かってくる。
恐るべきスピードと、洗練されたコンビーネション攻撃。従来の鬼には無い戦い方だ。鉄の、戦闘部隊が壊滅したのも分かる。
達也は、三体の霊鬼らの攻撃を凌ぎ、避け、受け止める。
霊鬼らの攻撃は速く、そして重い。並みの武器なら、当に折れていただろう。だが、弧鉄はそれらの斬撃を受けても尚、余裕があった。そして、達也も。
変幻自在に、霊鬼は攻撃を仕掛けてくる。本来、歩兵科同士の戦闘は二次元の戦闘だ。地に足を付いての戦闘であるから、平面主体の戦闘。だが、霊鬼はその驚異的な脚力を持って、壁、天井へと跳躍して三次元の動きで互いに連動して、達也へと襲い掛かる。
縦の動きに目が慣れたと思えば、すぐさま横の動きに移行。
人間特有の、狡猾で嫌らしい動きを持って霊鬼は達也を追い詰める。いや、追い詰められていた。
完璧とも言える、三位一体の動き。だが、達也は攻撃時の僅かなズレを見逃さなかった。
そして、何より――
(ワンパターン化された動きだ)
いくら、パワーとスピードがあってもそれを活かす、駆け引きがまだまだ未熟だった。
既に、霊鬼の情報は引き出した。ここからが、反撃。
正面の霊鬼、右手の篭手から伸びるブレードをかわした瞬間、そのまま一呼吸置く間も無く追撃。達也の動きに他の、霊鬼はついてこれない。
後ろに下がる霊鬼だが、達也のほうが速い。弧鉄の切っ先が、霊鬼の右腕を捉えた。
弧鉄は、8.88ミリの銃弾をはじき返す鋼鉄の鎧をいとも簡単に、切り裂く。「キシャァァァァァーー!!!」
右腕を打ち落とされた、霊鬼が叫ぶ。痛みによる悲鳴か、それとも憎しみによる叫びか。
だが、そこから戦力のバランスは一気に達也へと傾いた。
達也と霊鬼の三体は踊る。
互いの生存権を賭けての、死のダンスを。
ダンスのパートナーを務める、三体の霊鬼は懸命に達也の相手をするも、一体、また一体と脱落していく。
最後のパートナー。
達也は、気を緩める事無く最後まで、踊りつづける。
「キュェェアアアアア!!」
耳障りな叫びと共に、最後の霊鬼が重々しい音と共に、地に伏した。
気を緩める間も無い。
ガガガガガガガガ!!
耳をつんざくような音と共に、銃弾が達也へと降り注ぐ。
達也は、体を投げ出して、転がりながら銃弾を避ける。振り返ると、仲間の叫びを聞きつけてか、もう一体の霊鬼がきていた。先の銃撃の主はこの霊鬼だ。
右腕の手首の部分には、凶悪なまでに太い銃口が添えつけられていた。
銃撃が止んだ。
が、霊鬼は右手にある銃口をこちらに向けて、油断無くこちらを見据えている。モーター音と同時に、銃弾が装填される音。どうやら、銃撃を止めたのは弾が切れたからだ。
そんな霊鬼を見て達也は失笑した。
「SFの世界だな。異界の生物に科学武装させる。アイデアは悪くないが・・・・・・」
ガガガガガガガガ!!
再び、銃撃。
達也は、右手に持った弧鉄を前へと突き出す。身動ぎもせず、目の前の霊鬼を見る。
秒間六十発をばら撒かれた、銃弾は達也を蜂の巣・・・・・・にはしなかった。
見えない壁に当たったかのように、弧鉄の剣先より銃弾は達也へと届かなかった。
「所詮、紛い物だ」
達也は吐き捨てるように言って、無造作に距離を詰める。霊鬼を、尚も銃撃を続けるも、弾切れと同時に左手の篭手から、ブレードを出現。
達也へと襲う、と見せかけて横に飛ぶ。
その後ろから、達也の死角となる部分からもう一体の霊鬼が現れて、不意を突くように襲い掛かってきた。
だが、その攻撃は達也の不意を突くものでは無く予想されたものだった。完全に間合いを取って、霊鬼の攻撃を掻い潜って弧鉄を一閃。
ズドン!!
鈍い音と同時に、霊鬼の首が宙に飛んだ。
(異界に存在し、物的な束縛を受けない事が鬼にとって利点。が、こいつらは科学武装をする事で、鬼としての優位を失った)
達也の存在を脅威として、捉えたのか続々と霊鬼が集結してくる。弧鉄を持った右手をダラリと下げたまま、達也は霊鬼らを見る。
「さぁ、来るがいい。最後までお前らの相手をしてやる」
人で無い者達、戦鬼達の饗宴は未だ終わらない。
「何て事・・・・・・!!」
シェリーはモニターに映る光景を、驚愕の表情で見つめる。
既に、発令所にはシェリーしかいない。他の所員は全て退避している。
「たった一人で、ファング十一体を殲滅・・・・・・!! こんな化け物が、日本にいたとはね」
シェリーはモニターに映る男の顔を凝視する。所々、傷を負っているが困憊している様子は無い。むしろ、その表情は手傷を負った獣さながらに殺気を漂わせ、見る者を慄かせる。
シェリーは自問する。
この男と戦って、勝てるか?
否。
答えは一瞬で返ってくる。
勝てない。
では、どうするか?
「愛しの王子様・・・・・・彼の者が望むのは、捕らえられし姫君」
モニターに移る、この男が損得勘定ができる頭を持っているか、今の所不明だ。だが、やるしかない。
シェリーは決断すると、早かった。
手元のノートパソコンを操作して、予めセットしてあったデリートプログラムを起動。
建物内にあるサーバーの、データを全て消去する。
「・・・・・・!」
シェリーは、はっとしたように頭上を見上げる。
「来たか・・・・・・」
ノートパソコンを、キャリーバッグに詰め込むとシェリーは、指揮所から降りる。右手にバッグを持って、シェリーは屋上のヘリポートへと向かった。
「そう、これが最終決戦」
シェリーは独白する。
イレギュラーを抱え込んだまま、決戦へともつれ込むのに一抹の不安を感じるも、物事すべて計画通りには行かないものだ。現場で、臨機応変に対処するしかない。
シェリーは進みながら、笑みを浮かべる。
「果たして、誰が生き残るかしら・・・・・・」
誰が生き残るか、それは当然自分も天国、あるいは地獄への道に落とされるリスクを秘めている。だが、それでもシェリーは醒めた目で自分を見ていた。
生への執着は余り無い。
だからこそ、アルメキアでこの若さで、幹部までのし上れた。
ふと、シェリーは頭の片隅で何かが引っかかった。
それは気になる点だ。
化け物じみた強さで、ファングを次々と葬った男。あの男が気になった。
シェリーは、笑った。
自分が他人に興味を持つなど、久しぶりだ。他人は、観察対象になっても興味の対象にはならなかったというのに。
だが、あの強さ。
人はあそこまで強くなれるのかと、驚嘆と戦慄を禁じえない。
シェリーは向かう。
日本での、最後の舞台になる場所へと。
全ての障害――霊鬼を排除して、達也は香織の気を辿るようにして、屋上へと向かう。
その途中、幾つもの死体が転がっていた。霊鬼にやられた者、あるいは詩織に殺害された者。
壁のあちこちが、ひび割れ弾痕がある。
バラバラバラバラバラッ!!
乾いたローター音が上から聞こえてきた。
(これは・・・・・・ヘリの音か)
屋上へと上がった瞬間、突風が達也の頬を走る。達也は目を細めて、辺りへ視線を走らせる。
ヘリが屋上近くでホバリングしている。そのヘリの真下に白人の男が、担架に乗せられた、意識の無い香織に小銃を突きつけている。
白人の男に対峙する詩織は、無言で刀を構えている。白人の男は、達也の方を見ると、銃口をしきりに香織へと突きつけて、何かを喚いている。
おそらく、英語だろうが語学の無い達也には何を言っているのか分からない。だが、何を意味するかは状況を見て理解していた。
(奴が親玉か?)
意外な気がした。
恐怖に顔が引き攣り、香織へと銃を突きつける様は、滑稽な三下に見える。とても、一連の事件を企てた人物には見えない。周到で、大胆な作戦。
詩織が一度、こちらを見た。
だが、何も言わず油断無く香織と男に視線を向けている。
詩織は諦めたように、日本刀を地面に放り投げる。男は次いで、達也に向かって何かを喚き立てる。おそらくは、達也にも武器を捨てるように言っているのだろう。
横目で詩織を見る。詩織は、ほんの僅かだが腰の位置を落とし、何時でも動けるように体勢を整えている。詩織は何かを訴えるように、強い視線をこちらに向けてくる。
(奴の目を引き付けろ――という事か)
が、達也が動作を起こす前に、事態は動いた。
それは一瞬だった。
パァン!
乾いた銃声が一発。
香織の担架が血に濡れる。
カラカラカラカラ・・・・・・
担架が動き、驚愕の表情で白人の男は、眉間に穴を開けて後ろへと倒れた。
更に、先と同じ銃声が一発。
屋上近くでホバリングしていたヘリコプターが突然、バランスを崩したように垂直に倒れ、後ろのローターが屋上の地面に衝突。
激しい火花を散らして、ヘリコプターは糸の切れた凧のように、錐揉み状態へと陥る。そのまま、屋上から消えて地面へと向かう。その数秒後、下から激しい爆音と共にへりは爆発炎上。
担架に乗せられている香織を見る。
と、何時の間にか担架の傍らに女がいた。将校の、軍服のスーツを着ていてる。
腰まで届くストレートの金髪に、切れ長の碧眼。モデル雑誌から抜け出たような美貌の女は、右手には細腕に不似合いなアサルトライフルを持っていた。
片腕で保持していても、苦ともしていない。女は銃口を地面に下げたまま、こちらを見ている。先の、ヘリの墜落、香織に銃を突きつけた男を射殺したのは、この女だろう。
見目麗しい外見とは裏腹に、その内には獰猛な力を秘めている。自然体である女の立ち姿からは、自分の力に裏打ちされた泰然とした余裕が感じられる。
新たな敵か、それとも味方なのか?
女が口を開いた。
「始めまして、私の名前はシェリー=ルクセンベルク」
流暢な、日本語だった。
言葉だけなら、日本人と全く変わらない綺麗な発音。
「貴方のお名前は?」
遠くで、爆音。地に伏している、死体。その中にあって、シェリーは小首を傾げて穏やかな笑みを浮かべて言った。華やいだ笑み。全く死や暴力の臭いを感じさせない。
だからこそ、達也は畏怖にも似た感情のざわめきが背中を走った。
「俺は新郷達也」
達也は、名乗り詩織のほうを顎でしゃくった。
「あの女の名前は・・・・・・分かっているな?」
シェリー、おそらくはこの一連の首謀者に達也は言った。
「ええ、分かっているわ」
シェリーはまるで、旧知に向けるような友好的な笑みを浮かべながら頷く。
会話の主導権を握られるのは面白くない。これは駆け引きだ。戦と同じ。主導権を握られたら戦局が不利になる。
「こちらとしては、貴公にご退場願いたい。願わくば、そこに御わす姫君を置いて行ってくれると助かる」
シェリーは妖艶な笑みを浮かべて、敵意が無いのを示すかのようにライフルを持ったまま、両手を上げた。
「私としても、蛮勇は好まない。が、その前にお願いがあるの」
「何か?」
「私の事はシェリーと呼んで。貴方の事は、達也と呼んでいいかしら?」
嗄れた老人さえも、ときめかせるような魅力的な笑みを浮かべるシェリー。そんなシェリーを達也は掴みかねた。
交渉や駆け引きは、この女は恐ろしく練磨している。
一見ほのぼのと会話をしている中、詩織が険しい表情で割り込んでくる。
「香織を放しなさい」
平坦な口調。
だが、冷え冷えとして温かみが欠片も無い。冷たい殺気に彩られた詩織の姿を見ても、シェリーは恐れた様子を見せない。むしろ、白けた目を詩織へと向けた。
「私が話しているのは、達也。後で相手をしてあげるから、すこし黙っていて」
達也へと向ける、媚態混じりの対応とはまったくの逆に、素っ気無く言い放つシェリー。そんなシェリーに、詩織はより殺気を深める。
(拙いな・・・・・・)
かなり苛立っている詩織を見て、達也は内心で呟く。互いが感情的になり、ヒステリックになれば状況は最悪の場面を迎える事になる。
「香織を直ぐに解放しろ」
「誰に向かってモノを言っているの? 躾のなっていないお嬢様には、お仕置きが必要かしら」
達也は動いた。
速くは無い。自然で、流れるような動作で詩織へと近寄る。
「済まんな、時坂」
手刀を詩織の首筋へと、当てた。
「なっ・・・・・・!?」
軽く叩くような動きだったが、その一撃で詩織は意識を失った。
力を失い、ぐったりとなった詩織の体を片手で抱きかかえる。そのまま、頭を打ち付けないように、ゆっくりと地面に下ろす。
一連の行動をシェリーが見て、驚きの表情を作る。
「随分と大胆な事をするわね」
「お前程では無い」
達也の言葉にシェリーはクスクスと笑った。
「これで話が進めやすいだろう。何がお望みだ? 俺はもう、疲れたから早く休みたい」
時間のかかる駆け引きは、もう終わりにしよう――達也のサインにシェリーは頷いて見せた。
「そうね。私も、早くベッドに入りたい。・・・・・・こちらの望みは、所員の撤収作業の見逃し。そして、機材の引き上げの時間が欲しい」
「どれくらいの時間だ」
達也の問いに、シェリーは腕時計に視線を落とす。
「一時間で完了するわ」
「速いな」
達也は即答した。
曖昧ともいえる言葉だがシェリーは、了承の意を汲んだ。
シェリーは携帯電話を取り出して早口で、英語らしきものを言った。部下に対する指示だろう。
達也は香織へと近づく。担架に乗せられた香織の表情は、安らかで外界での事など全く関係なさそうに見える。そっと、香織の首筋に右手を当てる。
呼吸、気の循環、共に乱れは無い。全くの健康体だ。
「体調には、神経質なまでに気を使ったわ。私たちがしたのは、香織から発散される、あるエネルギーを取り出しただけよ」
シェリーは、達也と共に香織を見下ろしながら言った。
達也をじっと、シェリーの美貌に目を向ける。
「何かしら?」
シェリーは妖艶な笑みを浮かべる。
「お前は・・・・・・何物だ?」
シェリーから放たれる気のオーラ。違うのだ。普通の人間とは異なる波長のオーラ。まるで、人間では無いかのような気の波長。
どうとでも取れる達也の言葉だが、シェリーは何を言わんとしているのか理解したような表情をした。
「そうね・・・・・・私は“作られたモノだから”」
その時シェリーが浮かべた表情は、仮面のように無機的で温かみが無かった。
バババババババ・・・・・・
その時、空の向こうからヘリのローター音が聞こえてくる。姿は全く見えない。無灯火で飛行しているのだろう。
一機ではない。複数ある。夜の闇から現れたのは、三機のヘリコプター。屋上から、下を覗き込むと十台のバンやトラックが止まり、数十人の作業服を来た男達がキビキビとした動きで書類や機材を建物から運び出している。
「どうやら・・・・・・ここに来たのは、貴方たちだけのようね。鉄は動いていない」
「どうして、分かる?」
「女の秘密よ」
謎めいた笑みを浮かべるシェリー。その一方で達也は、内心で舌を巻いた。
鉄内部に情報のネットワークを保持しているのだろう。だから、情報を得て先んじた手を打ってきた。恐るべきは、シェリーの深謀遠慮と、アルメキアと名乗る組織の力。
「達也。今貴方は私の力に驚いている」
シェリーは歌うように、言う。
「でも、私はそれ以上に貴方の力に畏怖を抱いているわ。本当の“鬼”を私は見た」
足音を立てずシェリーは達也へと近づく。
頬にヒヤリと冷たい手が当てられる。シェリーはまるで、恋人に寄り添うかのように身を寄せてきた。
「私たちが“鬼”と呼んでいるモノは、次元の揺らぎによって生まれた、破壊衝動の塊。ただ考えも無く暴力という力を放出するだけの存在。力の流れをコントールするだけで、傀儡と化す事ができる。そう、鬼と呼ぶには安っぽいモノ」
シェリーの吐息が、頬に当たる。白くほっそりとした指が、達也の首筋をなぞる。
何とも、むず痒い、感覚。
「本当の鬼は人の中に潜んでいる。そして、人が人である事を捨てた時に、本物の鬼になれる。・・・・・・貴方のように」
シェリーの青い瞳が、アップになり
チュッ
啄ばむように、シェリーは達也と唇を合わせた。
その瞬間、体中の神経が震えた。
「!」
達也とシェリーは互いに驚いたような表情を作り、同時に身を離した。
何とも言えぬ妙な表情。一見、初々しいカップルがキスをして、でも嬉恥かしで身を離した――に見えなくもないが、事実は違う。
「お前は一体――?」
直接肌に触れた事で、シェリーの気の流れが鮮明に分かった。何かが、根本的に違った。
「気の探査をしたのね? 悪い人」
シェリーは、恨めしい表情で、甘く達也を睨んだ。本気で怒っている様子は無い。
「ま、お互い様ね」
ヘリが真上まで来ていた。ヘリが巻き起こす風が、シェリーの金髪を煽る。ヘリから四人降りてきて、死体と化したリスキーを青いビニール袋に入れて、迅速な動きで昇降口へと消える。
「又、合いましょう。達也」
シェリーは、屋上にホバリングするヘリに軽やかな動きで乗り込んだ。
ババババババッ!
シェリーを乗せたヘリは、瞬く間に上空へと舞い上がり、急速にその場を離脱。
下を見ると、集結していたバンやトラックも四方へと走り去る。後に残されたのは達也と、気を失った二人の姉妹。
風が、吹いた。
戦いは一先ず終わった。
「だが・・・・・・奴らは再び来るか」
達也は香織を見下ろす。香織の表情は安らいだものだ。全ての争いとは無縁であるかのように。