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黒狐  作者: takaban19
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第三章 闇に生きるもの



第三章 闇に生きるもの




満月が出ていた。


時刻は午前一時。深夜の帳が下りて、当たりは闇の静けさに包まれていた。


樹木が生い茂る場所。


街灯といった、光がまったく無いここはまさに暗闇の領域だった。そして、暗闇よりも、闇の存在にさらに近いモノがここに存在していた。


『こちら、鹿。ニエは北西に移動中。このまま追走する』


『こちら、熊。了解。栗鼠と熊を向わせる。挟み込んで、動きを止めろ』


闇に近いものを、完全な闇に葬りさる為に狩人達が樹林の中を泳ぐようにして、移動していた。


狩人達が持つのは、弓の代わりに軍用のアサルトライフルを持ち、猟犬の役割を果たすのは、レーダーを搭載した四方に散らばる民間輸送車に偽装したトラック。狩人は複数いた。


彼らは、GPS内臓高性能の無線機によって常に連絡を取り、彼我の距離を把握していた。狩人達の格好は、闇に溶け込むかのように黒で統一され、暗視ゴーグルを身につけていた。


普通、狩人は身軽が身上である。その理由は、獲物に攻撃されない、という前提があっての事。そう、彼らが追うのはこちらを攻撃しない、獲物では無い。


極めて獰猛なモノ。闇に近く、理を逸したモノ。


詩織は、ヘッドセットから入ってくる交信を聞きながら、一直線に闇に近いモノへ走る。


は詩織の五十m先を走っていた。


両腕を振り上げ、二足で地面を走る。見た目は、ある種人間に近い。ただ、徹底的に違うのは額から伸びる、二本の角。剥き出しの体は異常なまでに、筋肉が発達していた。


そして、体の大きさ。全長は優に三メートルは超える巨体。


鬼――。


太古の昔より存在していた存在。架空の生き物とされている存在だが、詩織の目の前で確かに存在し、それは疾駆していた。


パパパパパパパパパッ!!


乾いた音が連続して、辺りに鳴り響く。詩織は首を巡らして音源を見る。


詩織と同じ“狼”の戸田が、先回りしてアサルトライフル、イギリス陸軍でも採用されているSA80で射撃。アサルトライフルの使用は高い練度と、まめな分解作業――クリーニングを要する、いうなれば扱いづらい兵器だ。


しかし、その威力と精度においては文句無しに高い。また、SA80は比較的コンパクトで躍進と待ち伏せに適しおり、狩人達の標準兵装として使われている。


仲間内で和製シュワルツネッガーと呼ばれる、大柄で筋肉質の戸田の射撃能力は、隊の中でもトップクラス。


戸田が放つ銃弾は正確に、詩織の前を走る鬼に集中した。


如何に巨大で筋肉に覆われた生き物であろうと、殺傷能力の高い銃弾を一発でも食らえば大きく戦力が減退する。当たり所が悪ければ、一撃で死ぬ事もある。


が、戸田がフルオートで毎秒数十発の銃弾を浴びせながらも、鬼は生きていた。鬼は、銃弾を浴びながらも血走った目で戸田を睨んでいる。


それを見て、詩織は驚かない。また、戸田も恐慌を来たす事無く、冷静で射撃を続けながら鬼と、自分、そして仲間との距離に気を配っている様子が見て取れた。


『こちら、鹿。射撃を開始、ニエは速度を落とした』


 戸田からの連絡。


 詩織は、ニエという符牒を与えられた鬼に向かって走る。詩織はアサルトライフルを構えない・・・・・・というよりも、持っていなかった。詩織が、兵装として持つのは一本の日本刀。


 前近代的な兵装だ。むしろ、兵装というのはおこがましい、代物。だが、対鬼戦の場合現代の工業技術を結集して作られたアサルトライフルS80よりも、詩織が持つ日本刀のほうが高い攻撃力を持つ。否、対鬼戦用の切り札でもあった。


『こちら、兎。攻撃を開始する。ニエへの射撃を中止して』


詩織は、腰元に差してある鞘から日本刀を引き抜く。


鬼は、現存する生物とは異なる生き物だ。果たして、鬼が生き物と呼べる物か。


鬼には、雄や雌という種別が無く繁殖行為によって数を増やすという事はしない。鬼が発生するのは、闇の狭間の中で誕生し、次元の歪みを伝ってこの世界にやってくる。


本来なら、鬼はこの世界には存在しては為らないモノなのだ。奴等は、そこに存在し、また一部存在しないモノでもある。


その実体の一部は、この世界に挟むようにして闇の空間に置いている。その為、現実物質の固まりである銃弾をいくら浴びた所で、暗黒空間に実体を置いてある以上生半可事では死なない。


曲がりなりとも、実体の一部はこの世界に存在する。現実物質の固まりである銃弾を浴びれば、ある程度のダメージを受けるし、ナパーム弾のように地上を焼き尽くすような強力な爆発を受ければ鬼も滅びる。


だが、鬼の存在は秘匿し、鬼を狩る者達自身も身を潜めなければならない。鬼出現の為に、人目を引く派手な火器の使用は避けなければならなかった。


何より、彼らには鬼を狩る特異能力を持っていた。銃が発明されていなかった頃は、詩織のように、刀や槍といった武器に加えて特異能力を持って鬼を狩っていた。


しかし、年々このような特異能力者は減ってきた。苦肉の策として、特異能力を保有しない者は近代的な武器で装備して、牽制、索敵を担当させて攻撃手を特異能力者に担当させる。様々なハイテク兵器、地雷、GPS、レーダー、無線機等を駆使する。


こうした特異能力者。昔は、狼の全てが特異能力者だったので、別名など存在しなかった。が、現在詩織のような存在を真狼と呼ばれた。


近代兵装と高い連度を持つ狼と、現代まで残る特異能力者、真狼の複合で鬼狩りを行う組織がとと呼ばれている。


ここにいる詩織達は鉄に属し、その中で兎と呼ばれるチームだ。あくまで、ここにいるのは鉄の一部に過ぎない。


詩織は鬼に向って走りながら、日本刀に意識を集中。力の流れの先を、刀の先へ。その瞬間目も鮮やかな蒼白い光が、刀身に灯る。


「シッ!!」


短く息を吐き、詩織は日本刀を両手に持って上段から振り下ろす。この時、


鬼は、両腕をクロスさせて防御。が、それは無意味だった。


紙を切り裂くように、詩織の持つ日本刀は鬼の両腕、肘から先を切り落した。


「グォォォォォォーーー!!」


大地を揺るがすような絶叫。しかし、詩織は怯まない。むしろ、何の反撃行動を取ろうとしない鬼に冷笑を浮かべた。返す刀で、心臓部を貫く。そして、すぐさま引いて距離を取る。


スパパパパパパパパ!!


他の狼達が合流し、弱った鬼に集中攻撃を加える。鬼に降り注ぐ鉛玉の雨。大きく損傷した鬼は、この攻撃に耐え切れず断末魔の咆哮を上げて地に伏した。


ひれ伏した鬼に、三十代半ばの色黒で小柄な男が近よる。チーム兎の隊長を務める、川岸だ。


『ニエ沈黙した』


『了解。次のニエに向かえ。方位は二-四-七』


 詩織は再び駆ける。


 闇を狩るのはまだ、終わっていない。




 現場にいた鬼は、五体。全てを完全な闇に葬ったのは、あれから十五分経っての事だ。


 こちらの損害は、軽負傷者が一人出ただけ。


 詩織達が、輸送車に戻ろうとした時、騒ぎが起きた。


「? どうしたんだ。まさか、鬼が残っていたなんてオチはないぜ」


 戸田は、冗談まじりに呟きながらも、状況を詳しく調べようと小走りに騒ぎの元へ向った。


 騒ぎの元は、ほどなく知れた。


「新郷?」


 詩織の前に、黒のトレンチコートを羽織った達也が、周りに注視されても気にした様子も無く立っていた。


「無事、終わったようだな」


 達也は詩織に気づくと、旧知の友に会うかのように、片手を上げた。が、詩織はそれには答えない。


「どうして、ここが分かった」


 達也は苦笑した。


「俺は、ここ(兎)の狐だろう? 場所は分かって当然だろう」


 それは有り得ない。何故なら、誰も達也にこの一件を教えていない筈だ。


 詩織は確認を取るように、指揮官の川岸と目を合わせる。川岸も、不審そうに頷く。


 どうして、鬼出現さえも知る筈も無い達也がここに来ているのか?


 ここは、時坂邸から三百キロメートル以上離れた場所だ。しかも、この夜中。


 詩織の疑念を他所に、達也はあっさりと背を向ける。


「無事終わったようだし、俺は帰るよ」


 そして、他の人間達に頭を下げる。


「邪魔をして、申し訳無かった」


 ある意味、惚けた発言だ。本来なら、達也はここにいるべきなのだ。兎をサポートする狐として。


 周りから敬遠されている事を十分に自覚していながら、それを表に出さず平然としている達也。そんな達也を信じられないような目で詩織は見ていた。


「そうだ」


 達也は何かを思い出すかのように、振り返る。


「車で来ているだが、乗っていくか?」


 その言葉は冗談まじりで、本気にはしていなかった。おそらく、詩織が断ると思っているのだろう。


 だが、


「いいわ。乗せていって」


 詩織が答えたとき、達也は驚いた表情を作る。


 詩織は振り返って、班長の川岸に告げる。


「先に、戻っていて下さい。私はこの男と帰還します」


 川岸が口を開く前に、戸田が口を挟む。


「おいおい、その格好でか?」


 詩織は無骨な黒一色のコンバットスーツを見下ろす。夜中、若い女が身に付けているには剣呑極まり無い。


「夜中で、人目も無い。それに、車中なら目立たない」


 詩織は川岸の目を、決意を込めて見やる。


「この男と行きます」


 川岸は、一瞬達也のほうを見て、


「・・・・・・いいだろう。検問に引っかかるな。無線機の電源は付けておけ」


 詩織は頷くと、達也の元に歩み寄る。


「車はどこに止めてあるの?」


 達也はアメリカ人のように、肩を竦めた。


「歩いて、十分くらいの所だ。・・・・・・本当に来るのか?」


 詩織は冷ややかな笑みを浮べる。


「私が居ては困るのかしら」


「困らん事はないさ。だが、意外と積極的なので、驚いただけさ」


 達也は、言葉ほどに驚いた表情を見せず答えた。


 この時、冷やかすように口笛が鳴った。音の主は戸田だった。


「ヒュー、お熱いね。これから、俺達はヤローどもだけのトラックに詰め込まれて運ばれるっていうのに、あんたはうちの紅一点を独り占めしてデートとはね」


 達也は戸田に向って、右手を上げる。


「済まんな。だが、ちゃんと無事に送り届けるさ」


 そう言い残して、達也は歩き出した。


「・・・・・・・・・・・・」


 詩織は、達也の背をしばらく見つめ、その後を小走りに追う。


「コンドーム忘れるなよ!」


 下品な言葉を投げかけてくる戸田を、睨みつけ詩織は達也の横に並んで一緒に歩き出す。




 達也の車は、白色のステップワゴンであった。キーロックを解除して、達也が運転席に乗り込むと、詩織も助手席に乗り込む。ドアの内側に、この車がレンタカーである事を示すシールが貼られていた。


 エンジンを始動させ、車を発進させる。


 車中の中は、無言であった。達也は、詩織のほうを見ようとはせず運転に集中している。


「佳織の事・・・・・・どう、思っているの?」


 最初に口を開いたのは詩織だった。


「可愛いと思う。が、勘違いするな。俺とて、高校生の女の子に手を出すほど無節操じゃない」


 達也は詩織のほうは見ず、前方に視線を向けながら答えた。


「つまり、佳織を女として見てはいない、と?」


 詩織は、達也の表情を油断無く窺う。


「まさか。佳織は、可愛い子じゃないか。ちゃんと女として見ているさ」


 佳織の事を語る達也の目は、優しい。まるで、愛しい娘を語るように。それが、詩織には不思議でならなかった。


「要するに、時坂は心配なのだろう? 俺が佳織に要らぬちょっかいをかけないかと」


 この時、始めて達也は不敵な笑みを浮かべる。


「安心しろ。あのような事は、お前にしかしていないさ」


 あの夜、達也に恥辱を与えられた事を鮮明に思い出し、詩織の体温が上昇した。怒りと興奮が沸き起こるが、それを意思の力で抑える。


「不思議に思っていた。貴方の、佳織を見る目。まるで、実の妹を見ているみたい」


 詩織は気を取り直して、言を続ける。


「私はそれが理解できない。まだ、会って数週間しか経っていないというのに」


 達也は、フッと笑う。


「年頃の可愛い年下の娘を見れば、誰でもそんな目をするさ。俺はロリコンでは無いし、女の好みで言えば時坂のようなタイプがいいさ」


 警戒の眼差しを向ける詩織を見て、面白そうに達也は笑った。


「俺とて、仕事仲間には手を出さんよ。そこは安心してくれ。お前とはちゃんと、女としてではなく仲間として付き合っていくつもりさ。・・・・・・例え、お前にその気がなくてもな」


 詩織は鼻を鳴らす。


「どうだか・・・・・・」


 達也は、面白いギャグを聞いたかのように、車内で笑い声を上げる。そんな達也を不審そうな目で見る詩織。


(何、こいつ・・・・・・?)


 最初出会った時は、陰気そうな男であった。


 だが、話をしていく度に男の正体が分かっていく。陰気そうに見えて、実は不敵で憎たらしいくらいにふてぶてしい。そして、若者らしい闊達さを見せる。自分と、佳織に見せる表情が余りにも違う。


 佳織に見せる表情は、まるで実の父親の如く愛情溢れ穏やかな表情を浮べている。だが、佳織のいない時と比べてどうであろうか。余裕に満ちた、不敵な笑みを浮べこちらの逆撫でする言動を繰り返す。


 ひどく、掴み所の無い男であった。だが、間違いないのは恐ろしく腕は立つ。屋敷の離れで演じた、達也との格闘劇。実際拳を交えて、達也の力を肌で思い知らされた。


 詩織は、特異能力者だ。鬼への対抗能力が優れている訳では無く、常人よりかけ離れた運動能力を有している。女という、ハンディキャップなど特異能力者にとってはまったく関係無いのだ。


 プロの格闘者と戦っても、詩織は遜色無く渡り合える力を持っているのだ。その詩織を打ち負かした達也。


(やはり、この男も特異能力者か)


 だが、あの時そんな素振りを微塵も見せなかった。だからこそ、この男の凄味を感じた。血が上っていた自分とは対照的に、冷静にこちらを観察し行動していた達也。


 見た目では、練磨の修羅にはまったく感じられない。ごくごく普通の男。しかし、一皮向けば想像もできない凄味、“闇”を秘めているのでは無いか。


 そんな達也の、内に秘めているだろう危うさと凶暴さに詩織は、


(認めたく無いけど・・・・・・この男に畏怖を感じている)


 だからこそ、警戒し恐怖するのだ。


 大事な妹をこの男に近づけたく無い。


「所で・・・・・・佳織はこの先どうするんだ。鬼狩りになるのか?」


 達也の問い。詩織は達也の横顔に、目を転じる。


「佳織から、何も聞いていないの?」


「いや、特に」


 意外な気がした。達也と佳織が、ここ最近話す場面を見てきた。てっきり、そこの所は話しているかと思っていた。


 それとも、将来についてまで話すまでに、達也を信頼していないのを、喜ぶべきか。


「保母の先生になりたいと言っているわ」


「ほう・・・・・・佳織なら、向いているかもな。子供に好かれるタイプだろう」


 達也は感心したように言った。


「時坂も、それには反対していないのか?」


「そうね・・・・・・鬼狩りよりも、いいかもしれないわ」


 数百年前までは、鬼狩りの子は絶対に、鬼狩りになるものだった。特異者は血で遺伝するものだからだ。だが、現代。職業の選択が憲法で保障されているのが、この鬼狩りでも普及している。


 最も、特異能力者の激変で子供にも、特異能力が遺伝する割合が減っている。また、近代兵器の進歩で特異能力者の戦力比重が減って来ているのもある。


 佳織は、特異能力を持っていた。今は、その能力を顕在化していないが、その潜在能力は高い。特異能力者、真狼でも高い力を持つ詩織をも上回る。


 真狼として、目覚めていない佳織。だが、ある意味そのほうが本人にとって幸せかもしれない。真狼――鬼狩りにとっては、羨まれ、名誉ある称号とされているが、それが幸せとは限らない。


 それは詩織本人が良く熟知している。


 鬼狩りの一員として、真狼の能力を秘めた佳織の加入は望むべきものかもしれない。だが、姉として血を分けた妹には、血に塗られた道は歩んで欲しく無い。


 果たして、これはエゴかそれとも愛なのか。


 ちらり、と詩織は達也の横顔を見る。整っているが、精悍は容貌。


 この男なら、何と答えるだろうか?


 詩織は頭を振る。


 ばかばかしい。この、男が何を考えようと自分達には関係無い筈だ。そう、それよりも気になることは他にある。


「何故、ここの居場所が分かった?」


「俺は、時坂と同じ兎だ。知っていて当然だろうが」


 ふざけた様子も無く、真顔で答える達也。


 誰も、達也にあの場所に鬼が出現したこと等教えていない。可能性として、考えられるのが、自分達が出動したのを達也が付けて来た。


今の達也の様子を見ると、いくら問い詰めた所で、真相を話す事は無いだろう。


「ならば、何故来た? 召集命令はかかっていない。下手をすれば、命令違反だ」


「見たかったのさ」


「?」


 訝しい表情を作る詩織に、達也は鋭い目を一瞬だけこちらへ向けた。


 その瞬間、ヒヤリと詩織に冷たい緊張が走った。


「お前がどのようにして、鬼を打ち倒すか。だが、着いて見れば事は終わった後だったが」


「何故、私の戦う様を見たかったの?」


「純粋な興味だ。時坂の事が知りたい、そう思ったからだ」


 この時、詩織は何とも言えぬ妙な感じがした。この男は、好意かどうか別にしても、自分に興味を抱いている。


 それは一種、思いにも繋がる。恋愛感情の深層には、異性への好奇心が潜んでいるものだ。この、食えない男が単純に自分へと、思いを寄せているとは考えられない。もっと、複雑な何かが絡んでいるような、そんな気がする。


 その一方で、この男が嘘を言っているとは感じられない。


「やめて、あなたにそんな事を言われると気持ち悪い」


 詩織は拒絶するように、冷たい声で言い放つ。


 その詩織を見て、達也は全てを見透かしたように不敵な笑みを浮べて答える。


「そうか」


このような、余裕ぶった達也を見ていると奇妙なまでに苛立ち、感情がざわめく。今までは、このような感情を感じた事は無かったというのに。


「それと、話には聞いていたが、実際に鉄の狼を見て驚いたよ」


「どういう事?」


「装備だ。減少していく、真狼の穴を埋める為に行っている、装備の近代化とそれに合わせた戦闘システムの構築。詳しくは知らんが、彼らが身に付けている装備、一人分でも数百万はするだろう。アメリカ陸軍の特殊隊員をモデルにしたと聞いているが、実物を目にすると驚きだ。あそこまで、進んでいるとはな」


詩織は意外であった。達也からこんな言葉を聞こうとは。


「鋼でも、同じではないの?」


達也は苦笑いを浮かべながら、頭を振った。


「狼への近代兵装は、鉄ほど進んではいない。銃を一つとっても、安価な旧ソ連製のマシンガン。暗視ゴーグルやレーダーなど持っていない」


「どうして?」


「金が無いからさ」


達也の、予想外の言葉に詩織は一瞬声を失った。


「それと、もう一つが戦力の要を真狼に置くのが、鋼のやり方だしそれが全体に浸透しているのもある。絶対的な比重はやはり真狼にある」


「古いわね」


呆れたように詩織は言った。


「だから、鬼の討伐数を鉄に抜かれたのよ」


達也は気分を害した様子は無かった。ただ、肯いた。


「かもしれん。鋼は古い。良くも悪くも、古の慣習を遵守している。近年、鉄は変わった。装備の近代化は元より、こうした莫大な資金の出所。我々が培ってきた、技術の一部を切り売りしてそれらを元に、新薬を作って錬金術師の如く莫大な金を作り出した。そして、それを推進したのがお前の父親、時坂弦」


詩織は目を細めて、達也を見る。


「気になる言い方ね。まるで、批判しているよう」


「俺は何とも思っていないさ。だが、鋼の幹部らは快く思っていない。むしろ、明確な悪感情を抱いている。良くも悪くも、時坂氏のやり方は慣習を無視した革新的な手法」


詩織は吐き捨てるように言う。


「所詮、それは嫉妬や妬みからくるものでしょう。なまじ、父様が行った事が多大な効果を上げているだけに」


「そうだな」


拍子抜けするほどに、あっさりと達也は認める。


「また情けない事に、その鉄、いや時坂氏から資金援助を受けてやっと鋼はそれなりの、近代化を狼に施せた。時坂氏の援助を受けていなければ、鋼の鬼狩り達は離反しているかもな」


達也は自嘲気味に笑う。


「現実の、悪を狩るヒーロー集団は結局の所資金繰りという、難所が付き纏う。ヒーローも、給料を貰わなければ食ってはいけん」


詩織は、窓の外の風景を眺める。


「貴方はリアリストね」


「……そうでもないさ」


「どうして、狼をやめたの?」


「色々だ……」


曖昧な達也の言葉。だが、そこにはそれ以上立ち入らせない、拒絶の意志があった。


もし、その理由を達也が話す時は自分は、この男をどう思っているのだろうか。


詩織は目を閉じた。


「少し休むわ」


「そうしろ。休息も、戦士の役割だ」


この時の達也の声音は、気のせいか優しい感じがした。




夢を見ていた。


佳織はよく、夢を見る。夢を見ている時、今自分が夢の世界にいる事を認識ができた。


自分は闇の中にいた。


ただの暗闇では無い。全てを説き込むような、深遠の虚無。


 ズルリ。


 闇の奥で何かが這う音がした。


 歪で、湿った、嫌悪感を抱かせる音。姿は見えない。だが、それは虚無の象徴。闇に最も近いモノ。この夢を見るのは初めてでは無い。


 今まで、何度か会った。特に子供の時。この夢を見たとき、夜中に飛び起きて泣きじゃくった。その頃は、まだ母親が生きていた時。真っ先に、母親が駆けつけてくれた。


 今はもう、母はいない。そして、父や姉に心配をかけさせたくない。


 だから、耐える。どんなに怖くとも、悲しくても、辛くても、笑顔を浮べる。周りの人間に安心を与える為に。


『おおぉぉぉぉぉーーー!!』


 耳をつんざくような、唸り声。それと同時に、腐臭交じりの風。


『我と同化ヲヲヲヲヲーーーー!! 我が・・・・・・ハ』


 暴力的な叫びは唐突に、途切れた。


 誰かが呼んでいた。こことは違う温かい、眩しい存在に。意識が浮遊。


 佳織の意識は覚醒した。


 目を開けると、詩織が心配そうな顔でこちらを見下ろしている。


「こんな所で寝ていると、風邪をひくわよ」


佳織は辺りを見渡す。


ここはリビングだ。詩織に帰りを待っている内にテーブルの上に、もたれて眠っていたようだ。


「おかえりなさい」


寝ぼけ眼のまま、微笑むとコートを着込んだ詩織は呆れたようにこちらを見ている。


「ああ、ただいまだ」


と、詩織の後ろに達也が立っていた。


「? 達也さん」


疑問符を浮かべる佳織に、達也は笑いながら答えた。


「仕事でね。時坂を連れて帰ってきたんだ。窓の外から流れる、夜景が奇麗だったな」


同意を求める達也に、詩織は冷たい一瞥を返した。


「二人だけずるいよ」


佳織は唇を尖らせて、拗ねたように言うと達也は苦笑する。


「すまんな。佳織を仲間はずれにするつもりは無かったんだが。だが、夜更かしは体に良い事は無い。今度は、昼間でどこかに行こう」


「本当?」


達也の言葉に、詩織は渋面を作る。反対に、佳織は笑顔を浮かべる。


「行きたい所はあるのか?」


優しい声音。達也の温かい心が伝わってくる。


まるで、本当の兄のように達也を感じていた。当初は、冷たく恐い雰囲気だったが、接する内に本当はとても優しい人だと分かった。


でも、時折見せる、遠くを見るような眼差しが気になった。もう一つが、姉との仲。もう少し、姉も達也に打ち解けてくれればいいのにと思う。


「じゃあ、動物園に行きたい」


本当はどこでも良かった。三人が一緒なら。


「姉様も行きますよね?」


佳織は詩織の右腕に、自分の両腕を絡ませる。


「…………」


詩織は不満気に黙して、渋々肯いた。


「動物園でいいの? どうせなら、もっと高い所にしたら」


詩織は嫌味っぽく、佳織にではなく達也に言った。


達也は、反論せずあっさりと肯く。


「別に構わんさ。動物園でもどこでもいい。行きたい所を決めておいてくれ。何なら、時坂、お前が行きたい所があったら二人で一緒に行ってやるぞ」


「行くわけ無いでしょう!」


 強い語気で反論する詩織。


 険悪な詩織と、あくまで余裕の構えを崩さない達也。以前は、二人の掛け合いにハラハラしていたものだが、今は無い。ある意味、これはコミュニケーションかもしれないと思い始めていた。


 それに、感情を剥き出しにする姉の姿を見られるのは案外、楽しかった。


「じゃ、俺はもう寝るよ」


 達也はあくびをかみ殺しながら、軽く手を振って出て行った。


「お休みなさい、達也さん」


 扉が閉じられる。


 途端に、部屋は静かになった。佳織は、それがどこか物寂しく感じられた。佳織は、詩織とあまり、話をしない。詩織は、あまり話し掛けてくる事が無い。姉の意識は、自分を妹として見ていないからだ。母親が亡くなって、姉が母親代わりになろうとしているのは、分かっていた。


 その時から、詩織と佳織は普通の姉妹関係では無くなった。


「姉様、何か飲み物でも入れましょうか?」


 立ち上がる佳織。が、詩織は無言で頭を振って、対面の席に着く。


「佳織」


 やおら、真剣な眼差しで見つめてくる。


「あまり、あの男に心を許してはいけないわ」


 姉の言葉に、佳織は一抹の失望感を感じた。姉も、達也に憎まれ口を叩いていても認めていると思ったからだ。詩織が本当に、その人物を嫌っていれば徹底的に無視するか、排除するかのどちらか。


「どうして、姉様? 達也さんは、とてもいい人よ」


「いい人か・・・・・・」


 この時詩織が浮べた表情。怒りと、哀れみが混じっていた。


「アレ(・・)はそんな玉じゃない。といっても、誠実を装ったジゴロでもない。徹底的なリアリスト、羊の皮を被った狼よりも性質の悪いモノ。女を食い物にする、最低な男とは違うのは確か。でも、ある意味その最低な男達よりも、もっと危険なのが新郷達也という男」


詩織は、最後にもう一度『あの男に不用意に近づいては駄目』と繰り返して言った。


押し付けがましい詩織の言葉に、佳織は不条理を感じた。


「達也さんを、そんな風に言うのは良くないと思う」


佳織の反論に、詩織は驚いたように目を開く。


「どうして、そこまで達也さんを貶めるの? 今までの姉様は、人をそこまで悪しきざまに言わなかったのに」


「佳織、あの男を誤解しているわ」


詩織は苛立ったように、語気を強める。疲労感も漂わせ、いつもより気が立っているのもあるかもしれない。


「達也さんの事をよく知っている訳でもないのに、悪く言うのは良くないです!」


「知っているわよ」


詩織は、一転して冷ややかな声を出す。


「あなたよりはね」


「…………!」


この時初めて、佳織は姉に対して怒りと悲しみを感じた。


「私の事を、悪く言うのは構いません。でも、達也さんの事を貶めるのはやめて姉様」


言葉の最後は、涙声になった。


今まで感じた事の無い、怒りと悲しみで涙が流れれていたのが、テーブルに落ちた滴でやっと分かった。


「おやすみなさい、姉様」


姉の顔も見ずに、佳織はリビングを後にした。詩織は、無言であった。




一週間後。


達也の事で口論となって以来、佳織との仲がややぎこちないものになった。口論となった翌日に、佳織は謝りに来た。だが、それでも完全に佳織の態度は軟化していなかった。それに、佳織の達也への応対を見れば分かる事だった。


 佳織が自分との会話が減った分、達也といる時間が増えているように見えた。よく、佳織が楽しそうに達也に語りかけているのを見かける。こんな楽しそうな佳織を見たことが無かった。


 良くも悪くも、女は男によって変わる。その見本が今の佳織と言える。以前より、明るくなり達也の前では身だしなみを気にしている。佳織が達也を異性として、気にしているのが分かった。


詩織と佳織、両者のぎこちない関係は達也や父は気づいていない様子だ。そこら辺は、男は鈍い。


この男がいなければ。達也の存在は、今までの姉妹関係を崩す要素として大きくなっていく。


この状況を、好転させる事を思いつかぬまま詩織は、再び鬼狩りへと向う。




鬼の出現地へと向う途中。


10tトラックの中で、ブリーフィングが行われていた。


兎の指揮官である、川岸が指揮棒を片手に地図を指している。詩織を含む、狼達が椅子に腰を下ろして聞いている。


「目的地は、山奥の廃校だ。三階建ての、木造校舎。周囲に、民家や建物は無い」


川岸は、手際良く状況を説明し突入の段取りを決めていく。


「バトルフィールドは、広いようで意外と狭い。建物内での戦闘で、視界は狭いので各自僚友との連携には十分に注意しろ。質問はあるか?」


詩織の隣に座る、戸田が右手を上げる。


「木造校舎なら、いっそ火を放って鬼達を炙り出したほうが早いと思うが」


ため口であったが、川岸は怒る様子も無く淡々と答える。


「周りは雑木林だ。そこに火が燃え移る危険がある。下手をすれば、こちらに害が及ぶ」


即答したという事は、そうした考えもプランの一つとしてあったのだろう。


「他には?」


川岸は周りを見渡す。


無言。


「よし、各自装備の最終点検を行え。いつものように、今回も巧く行こう」


ウッス、応、ハイ、各員バラバラの返事をするも、その士気は高かった。


「この年になって学校に出向くとはな。ガキが出来て、授業参観にも早いが」


戸田が、呟くと前にいる痩身の男、葛城が笑う。


「フン、素行不良のお前が学校に行く姿は滑稽だな」


「ほざけっ!」


悪態を付く戸田。


「戸田君、遠足で持っていって良いオヤツは三百円までだ」


別の狼が、銃の点検を行いながら言った。


「ハハハ! あった、あった。律義に守っていた奴なんぞ俺の周りにはいなかったが」


それぞれ、談笑する狼達。


緊張感が無く、だらけているといった空気では無い。実力に裏打ちされた自信が、彼らにあった。


「どうした、時坂? 顔が暗いぜ」


戸田が、心配そうな顔で見てくる。戸田は、一見ふざけた男に見えるが、その実仲間思いだ。そこの所も分かって、指揮官の川岸からも信頼が厚い。


「大丈夫、問題ないわ」


が、今の詩織にはその気遣いが鬱陶しく感じられた。詩織とて、感情のもつれを戦場に持ち込むつもりは無い。だが、あの一件以来色々と考えさせられる事があった。


いずれにせよ達也と佳織、両者との人間関係、新たに考え直さなければならない。


達也の言葉が思い出される。


『佳織はお前のモノでは無い。今なお佳織の庇護者たらん事を自分に化す、貴様が俺には哀れな道化にしか見えない』


私は、何を望むのか?


佳織の幸せ。


自分自身の事など、興味は無かった。鬼狩りとして生きるのも、間接的に佳織を守る為でもある。詩織の家柄は代々、優秀な鬼狩りを輩出してきた。大抵、姉妹や兄弟がいる場合、皆が鬼狩りになる事は少ない。


鬼狩りになれば、死亡率が高い。兄弟全員が、死亡すれば血が残せなくなる。そうした保険もあって、姉妹、兄弟が二人の場合はどちらかが鬼狩りとなるのが常だ。詩織は、迷う事無く自分が鬼狩りとなって、佳織には死線に立たせたくなかった。


(佳織、貴方は何を望むの? あの男が……欲しいのかしら)


佳織には、もっと善良な男が相応しいと思う。死臭とは無縁の男。平凡という人生など有り得ないし、月並みな幸せというのも無い。


だが、暴力とは無縁である事は幸せなことだ。どっぷりと、戦いに浸っている詩織だからこそ、断言できる。世間一般でいう、女の幸せ。


愛する男の元で、子を成し家庭を守る。そうした、女の幸せ等詩織は望んでなどいなかったし、叶わぬ願いだと分かっていた。だからこそ、その分佳織には自分には得られぬ、女としての幸せを謳歌してほしかった。


だが、こうした思いは佳織にとってはいらぬモノだったようだ。


(人生とはまま為らぬものね……)


「そろそろ現場に到着だ」


詩織の思考を遮るように、川岸の声が車内に響く。


「ウース。野郎ども、楽しいピクニックの時間だ。鬼の食べ残しは厳禁だぞ」


戸田は、アサルトライフルを壁に撃つ真似をしながら、気負いのない声で告げる。


詩織を含めて、ここにいる一同には油断は無い。


高度に訓練され、実戦に出れば一個の機械のように彼らは動き、鬼達を狩り立てる。悪態を付く事はあっても、彼らは互いを信頼し、プライドと自信を持っていた。


(今は考えるのをよそう)


詩織は、頭を振って一同に続いて降車した。




「どうだ、奴等の動向は?」


川岸が、ノートパソコンを持った葛城に尋ねる。葛城は、液晶画面を川岸に見せる。


「二体です。互いの距離は離れています」


 縮小した地図上に、赤い光点が二つ。


「よし、建物を取り囲むように結界を張れ。正門と裏門、二手に分かれて突入する」


 結界。


 こればかりは、現代の科学技術を持ってしても不可能だ。結界を張るのは昔ながらの方法、特異能力者、真狼によって特殊な力場を発生させて物理的な壁を作る。


 結界の担当は詩織では無い。結界を張るのには、それほど真狼としての技能を要求されないので、そこそこの力をもった真狼が担当となる。


「各員、配置に付け」


 川岸の言葉に、詩織は所定の場所へと走る。


 が、その中でひどく嫌な気がした。


 背中をちりちりと火で炙られているような、感覚。こちらを油断無く伺っているような気配。詩織は辺りを見渡す。グランドは、所々に雑草が生い茂っている。


 付近に、廃校以外の建物は無い。周りは丘陵が広がっている。詩織の本能が激しく警鐘を鳴らしていた。


 ここは危険! 近寄るな!


 だが、下がる訳にはいかない。詩織は一層、周りへの注意を高めて歩を進める。


 時刻は午後六時。


 まだ明るいが、そろそろ夜の帳が下りてくる。できれば、暗くならない内に始末したい。それが全員の共通した思い。テキパキと準備を進めて行く。


『全員配置についたな?』


 川岸の声がヘッドセットから聞こえてくる。


『こちら熊。配置良し』


『こちら鹿、上に同じく』


『兎。配置につきました』


 次々と返事が帰ってくる。


『よし、突入しろ』


 建物内では、二人一組で行動する。詩織は、戸田とペアを組んで廃校内を進んでいく。


 人気も無く、薄暗く老朽化した学校はある意味、それだけで不気味だ。更に、その奥では鬼が潜んでいるのだ。陰鬱な気持ちのならないよう、気を張り詰めながら、詩織は全周囲に気を配る。


 戸田も、死角となる後ろを詩織の背に向けるようにして、銃口を油断無く構えている。普段軽口が多い戸田も、この時ばかりは寡黙だ。鬼の聴音能力は高く、無意味に音を発して自分絶ちの位置を曝け出すのは避けたい。


『こちら鹿。今は三階の廊下を進んでいる。教室内に鬼の姿は無し』


『こちら熊。現在四階。鬼の足跡がある。足跡から、複数と断定できる。四階の探索が終われば屋上に向かう』


 ヘッドセットから、次々と情報が入ってくる。詩織は、ひどく時間が長く感じられた。しかし、腕時計を見ると、突入からまだ三分しか経っていない。


(何、この感じ?)


 空気が重い。まるで、水の中を貼っているかのように、体の動きが遅く感じられる。


 その時。


『こちら、鹿! それらしい影が見えた。場所は別館三階の、男子便所だ』


 緊迫した声が聞こえる。次いで、激しい銃撃の音がヘッドセッドからでは無く、生の音として詩織の耳に飛び込んでくる。


『どうした!?』


 川岸の問いにも、鬼と遭遇したらしい狼から応答の返事が無い。


『何だこいつは!?』


 練磨の狼が、動揺した叫び。


『どうした! 状況を知らせろ』


『こいつは・・・・・・!? 何だこれは!!』


『クソッ! は、早い!!』


『な、し、しまっ・・・・・・!!』


 切迫した声が唐突に途切れ、雑音と何かを踏みしめる音と共に一切の、音が消えた。


 詩織は戸田と、顔を見合わせる。戸田は、別人のように峻厳な面持ちで辺りを警戒しつつ詩織に頷く。


『こちら、兎。現場に向かう』


『待て! 熊が、一番その場所に近い。熊に今向かわせる。それと、予備待機させていた犬を投入する。犬と合流するまで、やつらに近づくな!』


『こちら、熊』


重々しい沈黙と共に、抑揚のない声が聞こえる。


『鹿がやられた。遠目で、確認していないがおそらく全員死亡』


 戸田は舌打ち。苛立ったように、口を開く。おそらく、川岸に自分達も現場に向かわせるよう、意見するつもりだろう。その戸田を、詩織は手を上げて押しとどめる。


 静かに。


 詩織は右人差し指を、自分の唇に当てて窓に目を向ける。一階渡り廊下。そこには、案山子が立っていた。不似合いな光景だ。


案山子。


 以前から、誰かが悪戯で置いたものだろうか? だが、古びた感じは無い。詩織の中で不吉な予感がどんどん広がっていく。


 一体、誰が? 何のために? 


 鬼がそんなことをする筈も無い。


「どうする? 定石通り考えるなら、あれは囮か。それとも、罠が仕掛けてあるか」


 戸田が銃口を、案山子に向けながら尋ねてくる。


 あの案山子がもし、こちらの目を引き付ける為だったとしたら・・・・・・? その手法はあまりに人間臭い。鬼も、ある程度の知性はある。動物で例えるなら、犬と猿の間くらい。


 だからこそ、道具を使って陽動をするなど考えられない。


「!!!」


 濃厚な殺気。


「戸田!」


 廊下の向こうから、巨大な影が踊り出た。どこに潜んでいたのか、考える間も無くそいつはこちらに疾走してくる。


「ちぃっ!!」


 戸田は舌打ちしながら、アサルトライフルを影に向けてフルオートで発砲。


「こちら、兎! ニエ、一体と遭遇」


 詩織は報告しつつ、我が目を疑った。それは、普段見慣れた鬼では無かった。


 では、人間か?


 違う。


 全長、三メートルを超える人間など存在しない。額に角など有り得ない。


「鎧を装備しているのか!?」


 アサルトライフルの轟音にも負けぬ程の、叫びを戸田が上げる。


 そいつはまるで、中世の騎士の如く全身を鎧で纏っていた。生身の部分は、顔だけ。顔を見なければ、アニメにでも出てくるロボットに見える。


「くっ! 銃弾を弾き返してやがる!!」


 戸田が放つ銃弾は正確に、フルメタルで固めた鬼に集中しているが乾いた音を立てて、火花を散らすのみ。鬼は、右手を上げて剥き出しの顔を庇うようにしてこちらに突進してくる。


「対戦車砲を用意するべきだったか!!」


 戸田は舌打ちしつつ、ベルトにぶら下げている手榴弾に手を伸ばす。


「待って!」


 詩織は戸田の体を掴んで、咄嗟に左手の教室にドアごと飛び込む。その刹那、二人がいた空間を暴風が走った。


「後ろだと!?」


 戸田は、信じられないような顔で叫びつつも、すぐにアサルトライフルを構える。


(一体が陽動、気を取られている内に、もう一体が後ろに回り込む。おかしいわ!)


 鬼は連携プレイが不得手だ。中には、連携としかけてくる鬼もあるがそれにしても、毛の生えたようなもの。だが、この鬼は違う。


 鬼も続いて、教室に入ってくる。


 キュィィィィィーーン。


 鬼と正面で向かい合う。その際に、モーター音が鬼から聞こえた。


「サイボーグ鬼かよ・・・・・・」


 戸田は、警戒しながら鬼と距離を取る。熱くは無いはずだが額から、汗が止め処も無く出ていた。鬼は、こちらの動きを見て油断無く身構えつつ攻撃は、仕掛けてこない。


 ドガン!!


「しまっ・・・・・・!!」


 轟音と共に、グランドに面する窓が割れてそこから鬼が飛び込んできた。飛び込む勢いをそのままに、戸田に飛び掛かって腕を振り下ろす。


 だが、寸前の所で戸田はバックステップを踏んでかわす。


「せぃぃっ!!」


 詩織は、日本刀を抜き放ち戸田に攻撃を仕掛けた鬼に向かって、渾身の一撃を振り下ろす。名刀誉れ高い、日本刀とて鋼鉄を斬る事は叶わない。しかし、霊力を込められた一撃は鋼鉄をも切り裂く凶器と成り得る。


 キィィィーーン!!


「!?」


 詩織の一撃を、鋼鉄の鬼は受け止めた。鬼の篭手の部分から、仕込まれていた剣が飛び出て、詩織の日本刀を受け止めている。


(手強い!!)


 詩織の背を、戦慄が駆け抜ける。


「応答しろ! 見たことの無い鬼と交戦中! 至急応援を寄越せ!」


 戸田が叫びつつ、アサルトライフルを発砲。その狙いは、詩織を誤射する事無く、鬼を捉え続けているがまったく効果は見られない。


「クソッたれが! 司令部から応答が無い! 他の連中とも連絡が付かん!」


 容易ならざる事態、という言葉さえ生ぬるい状況。


 そんな中でも、詩織はパニックに陥る事無く冷静だった。恐怖はあった。だが、連綿と受け継いできた鬼狩りとしての血が、詩織を突き動かす。


「私が、退路を確保する。戸田は一旦、引いて」


 詩織は日本刀を逆手に構えて、鬼との距離を測る。


「・・・・・・!! 済まん!」


 戸田は何かを言いかける。戸田の気性を考えれば、仲間を置いて自分だけ下がるのは論外だ。が、今の状況下では戸田の持つアサルトライフルでは敵を倒さない。


 言い換えれば、役立たずでもある。また周りの状況も掴めない現在。一旦体勢を整える為に引くのが、最善だった。そして、二人揃って今の鬼たちに後ろを見せるのは自殺行為だった。


 決断を決めると戸田は早かった。豆鉄砲と化したアサルトライフルを、その場に捨てると窓ガラスを割って外に飛び込んだ。戸田が逃げきれるのを確認する間も無く、詩織は鋼鉄の鎧を纏った鬼に果敢に攻め込む。


「せいっ!!」


 戸田を追う素振りを見せた鬼だが、詩織の攻勢に対応を追われる。もう一体の鬼が、詩織の後ろへと回りこんでくる。詩織は、右へ左へと自分の位置を動かす事で、常に死角を移動させる。


 それは運動量の増加を意味し、体力を消耗させる。鬼も積極的に詩織に攻撃を仕掛けて来ない。消極的という訳では無い。こちらの動きをじっくりと見据えて、時折攻撃を仕掛けては神経を消耗させる。


 隙を伺っているのが分かる。


 焦燥が募って行く。目の前の、鎧を纏う鬼は強かった。パワー、スピードに関しては以前の鬼達とあまり変わらない。だが、戦闘の運びが抜群に巧かった。


 今までの鬼は、力任せの素人だとすれば、目の前の鬼は高度な訓練を受けたプロの格闘家。その開きは、天と地ほどある。


(しかし、何故!?)


 これほどの力を持った鬼二体。しかも、高度に連携を取れた動き。その力を持ってすれば、詩織一人を殺傷するのは何時でもできる筈だ。まるで、二体の鬼は詩織を疲れさせるのが、目的であるかのようだった。


 まさか!?


 詩織の脳裏に一つの考えが浮かぶ。


(私を捕縛するつもり!?)


 詩織に致命傷を与えず、じわじわと体力を削っていく鬼。その不可解な行動は、自分を捕縛する――そう考えれば辻褄が合う。


 何の為に?


 それは分からない。だが、今できるのはあらゆる材料を生かして、生き抜く事だ。何としても、ここを脱出する。鬼たちは自分に致命傷を加えられない、という前提条件があればそれは脱出できる確率は上がる。


「私は・・・・・・死なない!」


 独白すると、詩織は残りの体力を振り絞って走り出す。そして、先ほど戸田が割った窓から身を踊りだす。


 地上まで、ほぼ五メートル。着地と同時に、走る。後ろから、窓の割れる音が聞こえる。


 鬼も追ってきたのだろう。不意を付いて、稼いだ距離も鬼の驚異的な跳躍力を前に、一瞬でそのアドバンテージが崩れる。詩織の前に、鬼が立ち塞がる。後ろにも、一体。


 前後の鬼が、進み出て詩織との距離を縮めてくる。


 どう、切り抜けるか!?


 極限にまで神経を尖らせる詩織。


 その瞬間――異変が起きた。


「ぐぅぅぅ・・・・・・!」


 前方の鬼が、唸り声を上げる。


 威嚇か?


 が、それは無意味だ。既に交戦状態に入った今、威嚇などしても全く意味が無い。どこか、鬼の表情は苦しげに見えた。


「?」


 罠であろうか。


 詩織は、油断無く構えを崩さない


 十秒か、それとも一分か。不気味な、沈黙。


 ユラリ。


 唐突に鬼が動く。


 詩織に攻撃を仕掛ける気配は無い。鬼たちは、すり足で詩織と距離を取り、脱兎の如く引いた。


「!?」


 呆然とする間も無く、鎧を纏った鬼達は詩織の視界から消えうせた。


 周囲を見渡す。


 何時の間にか、夕日は沈み夜の闇が辺りを包み込んでいる。その中に、鬼の気配や姿は感じられない。


 砂を踏む音。


 ハッ、と振り返るとそこに立っていたのは額から血を流している、戸田。戸田の表情は冴えない。


「奴ら、撤退したようだ」


「撤退・・・・・・?」


 戸田は無言で頷く。


「こいつを見て見ろ」


 戸田は顎をしゃくって、雑草が生えたグランドを横切るように歩き出す。向った先は、正門をすぐ出た先に止めてある黒いバン。これは、レーダーや無線機を搭載し詩織達をバックアップする、車両の一つだ。


 バンは交通事故にでもあったかのように、無残に拉げて全ての窓ガラスが割れている。鼻に付く、濃厚な血の臭い。


 車内を覗き込むと、かつての仲間が物言わぬ躯と化していた。恐怖に顔を引き攣らせて、胸に大きな穴が空いていた。


「これだけじゃない。他の車両もやられている」


 戸田は押し殺したような声で、仲間の目を閉じてやる。


「私達を、廃校に誘い込んでその隙に、後方に忍び込んで狐たちを殺害。指揮系統や情報を分断化したと・・・・・・?」


 詩織は信じられないように、呟いた。


「まるで、人間のような狡猾さだ。くそが!」


 戸田は、廃車となった車のボンネットに拳を叩き付ける。


 乾いた音が、辺りに響く。


 詩織は、後ろで纏めていた髪をほどいて、空を見上げる。地上での、血に塗れた戦いなど知らぬかのように、満天の星空が広がっていた。


「生き残っている人間は?」


「俺達を含めて、四人。生き残った奴らは怪我を負っている」


「隊長は?」


 戸田は渋面の顔を作って、顔を横に振った。


「本部との連絡は取ったの?」


「ああ。ヘリをこちらに回して貰う」


「そう・・・・・・」


 詩織は、あの新しい鬼について考える。奴らは一体何物なのか? あの統制された動きは何なのか?


 そして、何故自分を捕らえようとしたのか? 他のメンバーはあっさりと殺害したのに、何故自分だけ?


 何より、あの有利な状況をあっさりと捨てて撤退したのは何故か?


 じっと考え込む詩織を、戸田は何か異質な物を見るかのように見ていた。


「時坂・・・・・・お前は恐ろしい奴だ」


「? 何か言った?」


 考えに没頭していた詩織は、戸田の言葉は耳に入らなかった。


「いや、何でもない。仲間を見てくる」


 戸田は疲れたように、頭を振って小走りに仲間の元へと向かう。


 その瞬間――


 ゴオォォォォォン!!!


 凄まじい轟音と共に、爆発、炎上。


 その爆風は、詩織の髪を揺らす。


 廃校は火の海と化した。


「何・・・・・・だと?」


 戸田は、目の前の光景が信じられないように、呆然自失となる。廃校の中には、怪我を負った僚友達がいたのだ。


 詩織は、ひどく醒めた目で炎上する廃校を見る。爆発音は一つでは無かった。爆弾を複数に分けて、配置。それを連鎖的に爆発させて、廃校を炎の海と化した。


 少なくともこれは、鬼の仕業では無い。行ったのは、人間。それも、高度な技術を持ったプロ集団か。鬼を背後で操る人間。


 邪悪とされる鬼を、それを上回る邪悪な心を持った人間が鬼を傀儡と化す。詩織は震えた。


 恐怖、憎悪、嫌悪。あらゆる負の感情を、まだ見ぬ敵に抱いた。


炎の光が、怒りに身を焦がす詩織の顔を照らし出す。そんな詩織は、神話の世界に出てくる戦女神のようだった。




 時は少し遡る。


「敵、侵攻を始めました。数は、十五」


「“カドラフ”“ベルダ”“イオーネ”“アレックス”起動シークエンス開始」


「同じく“クルフ”“サザール”“ベイウルフ”“グスタフ”起動シークエンス開始」


「エネルギー充填率、三十、四十、五十、六十・・・・・・百、完了」


「ケーブル切断。重装甲体、装着」


 そこは、指令所だった。


 十数人のオペレーター達がそれぞれ、端末に着いている。一段高い場所に、指揮官席があり全体を俯瞰できる。指揮官席に座るのは、若い女だった。


 金髪碧眼、それこそモデル雑誌の表紙から抜け出たような美貌の女だ。軍服のスーツを着て高級女性将校として、凛とした風格を漂わせている。


 軍服――階級証は付いているが、国籍を示す物は付いていないし彼女が着ているのは、全ての国に当てはまらない軍服だ。


 シェリー=ルクセンベルグ。


 ヨーロッパの経済、政治に多大な影響力を持つアルメキアの女性幹部だ。アルメキアは国では無い。軍人や軍隊を持てる筈もないが、圧倒的な財力を背景に小国の軍隊を歯牙にもかけないほどの強力な戦闘集団を持っていた。


 そうした戦闘集団を組織する上では、軍隊の論理や用語を使ったほうが効率的なので、軍隊の性質を持っていた。軍隊では無いが、軍隊の性質を持つ傭兵集団である。ここではシェリーは、中佐として指揮官を拝命していた。


「件の姫君は来ている?」


 シェリーの問いに、女性オペレーターの一人が答える。


「はい。正門への突入チームに混じっています」


 シェリーは無言で頷く。準備は万端。後は、命令を出すだけ。


作戦区域となる場所は、人里離れた廃校。ここ、発令所はそこから五百キロ離れた場所にあるが、中継ポイントをリレーしてリアルタイムに情報が入ってくる。


「全てのファング、出撃準備OKです!」


「作戦開始」


 シェリーは淡々と、命令を下す。


 遠隔操作により廃校内に隠してあったコンテナが開いて“ファング”がぞくぞくと出て外界に姿を晒している頃だ。


 ファング。


 日本では、鬼と呼ばれる存在。別次元で生まれて、次元の歪によりこの世界に呪われた姿を持つ禍々しい物体。アルメキアでは、この鬼を殲滅するような真似をしなかった。


 鬼を捕縛し、最高水準のテクノロジーを駆使して支配化に置く事に成功していた。その成果を得るまでには、かなりの苦労を強いられたようだがシェリーには関係無い。


 ファングは、恐るべき戦闘力を秘めていた。シュミレーションでは、市街戦を想定してファング一体で世界最新鋭の、米戦車エイブラムM1を撃破できると出ていた。遮蔽物の多い戦場では、まさに最強の存在と言わしめる。


 だが、実の所シェリーはそれほどファングには期待していなかった。カタログスペックだけで、実際の能力は違うものだ。特に稼働率の低さは、頭の痛い種だ。


 廃校内に仕掛けられた幾つもの隠しカメラから、戦場の詳細な映像が送られてくる。映画やテレビのように、演出や編集、が無いリアルな映像。そこに映るのは淡々と、ファング達が人を殺す様が浮かんでいる。


「流石は、ファング。見事としかいいようがないですな」


 シェリーの後ろから、倣岸な口調が聞こえてくる。声の主は、映像画面の近くまで歩き、不遜な笑みを浮かべながら、シェリーを見上げる。


 本人は、不遜な笑みが他者、異性に魅力的に映ると信じて疑っていないようで、シェリーや女性オペレータには、この笑みを欠かせない。


 同性に向けるのは、侮蔑の笑みと使い分ける


監察官、リスキー。


 年は三十代半ば。真鍮の眼鏡をかけ、金髪の髪はオールバック。体を鍛えているのか、肩幅が広く胸板は厚い。自他共に認める、白人至上主義。


 自己顕示欲が強く、どう見ても性格に問題あるこの男が何故監察官に選ばれたのか、シェリーにとって謎であった。が、問題なのはこの男がいざとなれば自分を罷免できる権限を持ち得ることであった。


 作戦遂行の最大の障害がこのリスキーという、困った自己中心的白人至上主義自惚れ屋であった。


「確かにファングの力は大したものです。用兵家としても、このように強力な駒を使えるのは嬉しい限りですね」


 下手に出れば、増長する。上手に出れば、反感を買い監察官の権限を乱用されかれない。適当に話を合わせて、それとない媚態を見せていい気にさせておく。シェリーにとって、作戦の遂行よりもリスキーの扱いのほうが難しかった。


「オオカミの数は四人に減少」


「姫君のご様子は?」


 姫君――真狼と呼ばれる凄腕の鬼狩り、時坂詩織の事だ。姫君こと、詩織の捕獲こそが本作戦の要である。


「現在“グスタフ”と“ベルダ”が挟みこんで、ターゲットに消耗を強いています」


 シェリーの手元にあるノートパソコンにも、その姿が映像として映し出されている。前後、ファングによって挟まれてかなり体力を消耗している姿が見てとれた。


「!?」


 シェリーは、目を瞠る。詩織の目は死んでいなかった。危機的状況にありながら、その目は生きる意思に満ち溢れていた。あるいは、危機的状況だからこそ生への執着心を燃やしている、というべきか。


 更に、こちらが自分を捕らえようと攻撃を控えているのを、見て取って大胆な動きで逃走を始める。


「イオーネ、アレックスも援護に向かわせて」


 シェリーはノートパソコンに映る、時計を見る。既にファング起動から、五分が過ぎている。


(拙いわね・・・・・・予想外に時間を食いすぎている)


 ファングの性能は段ちに優れている。だが、致命的な欠点を持っていた。それは、継戦能力の低さだ。


「グスタフ、拒絶反応が出ています!」


 オペレーターが緊張した声を出す。それを皮切りに、手元のモニタにも各ファングの体調を示す、円グラフにイエローゾーンが出始めている。


 早い。


 ファングの技術者達は二十分の間、活動できると言っていた。が、五分経過でもうイエローゾーン。持って、あと五分か。


「戦闘続行。詩織の捕縛を最優先」


「イオーネ、アレックスも拒絶反応が出始めました!」


(現場に実戦部隊を配置しなかったのは、失敗ね)


 シェリーはもしもの為に、戦闘訓練を受けたプロの陸戦隊員を配置しようとしたが『ファングがあれば、歩兵等無用』とリスキーの横槍でご破算となった。


「中佐このまま続けては、ファング達が失われる恐れがある」


 傲慢なリスキーの言葉。シェリーは湧き上がる不快感を押し殺し、厳粛な表情を作る。


「詩織の捕縛は、元老より最優先事項として与えられています。万難を排してでも、行わねば」


「馬鹿な事を! ファング一体、幾らかかると思っている!!」


 不遜な口調は消え、激昂し発情した猿のように顔を赤くしている。


「二千万ドル、F-15ストライクイーグルの半額以下です。二千万×八=一億六千ドルという少額な出費で私達は“降神者”を手に入れる事ができるのです。ファングは所詮、手段でしかありません。どうか、冷静な御判断を」


 諭すように、シェリーは言ったがリスキーには通じないようだ。


「黙れ! ファングの監督責任はこの私にある。貴様の無能ぶりに、むざむざファングを失ってなるものか! 今すぐ撤退命令を出せ! さもなくば査問会にかけてやるぞ」


 紳士の仮面をかなぐり捨てて、血走った形相でリスキーはシェリーを睨んでいる。


 まるで、駄々をこねるガキだ。無力なガキなら問題無いが、目の前の大きなガキは大きな権限を有しているのが大問題だ。


(仕方ない・・・・・・Dプランに切り替えるか)


 シェリーは内心でため息を吐く。


 周りで、オペレーター達が息を殺して窺っているのが分かる。


「分かりました。これは私の失敗。直ちに、ファングを帰還させます」


 シェリーはオペレーターの一人に頷く。


「直ちに撤収」


「は、はい!」


 この時、若い女性オペレーターの瞳に浮かぶのは戸惑いと、軽蔑。周りから見れば、シェリーの態度は一々監察官の顔色を窺う、弱腰の指揮官と映っているだろう。


 だが、現在何が何でも現状の、指揮官としての座を降りる訳にはいかなかった。何より、この事態さえもシェリーは予想して既に次の手を、打っていた。


(結局最後に頼るのは、人間か・・・・・・)


 もっとも、一番厄介なのが同じく人間であるが。


「証拠を隠滅。詩織は、爆発中心点から離れている?」


「はい。しかし廃校内には、負傷したオオカミが三人」


 シェリーはあっさりと告げる。今さら人の命を奪う事に、慙愧の念を浮かべるほどシェリーの手は綺麗では無い。


「構わない、点火して」


「了解」


 その瞬間、廃校内を映し出したモニタは全て消えた。


 


 




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