第一章 幻影の少女
第一章 幻影の少女
「達也、お前好みの女は年下か、それとも同い年か?」
半年ぶりに会った叔父の、最初の一声がこれであった。
時刻は、昼過ぎ。
叔父の執務室で、達也は直立不動の体勢。窓から差し込む光に、達也は目を細める。
端正な顔立ちの青年だ。
しかし、美男子というには抵抗がある。顔立ちは整っているも、人生の辛苦を味わった老人の如く、老成した瞳。
とにかく雰囲気全体に、影のある男だった。
対するのは、達也の叔父、剛。
年は四十を越えるが、見た目にも若々しく恰幅のいい男だ。口髭を蓄え、眼光は鋭いものの、口元に浮かべるシニカルな笑みがこの人物の魅力を増している。
剛は、机の上で頬杖を付いて達也を見ている。
「質問の意図が分かりかねます……磯崎殿」
達也は抑揚の無い声で告げると、剛は傷ついたような表情を作る。が、目は笑っている。
「おいおい、二人の時は叔父さんと呼んでくれ」
「では、叔父さん。わざわざ自分を、遠く離れた所から呼び寄せたのは女の好みを聞き出す為ですか?」
剛はわざとらしく、両手を広げる。
「うむ……女気の無いお前が心配でな」
達也はため息を吐く。
「自分も、今年で二十三になります。いい大人を捕まえて、面白くない冗談は止めてください」
「む……」
眉を寄せる剛。そんな剛を見ても達也は、笑ったりはしなかった。
一見すると、おちゃらけた叔父だが組織の長としての冷厳さを、持っている事を達也は知っていた。
「相変わらず、の堅物だな。ま、いい」
剛は立ち上がり、ソファに向かって顎をしゃくった。座れという意味だろう。
剛が座るのに続いて、対面に達也も腰を下ろす。
「鬼狩りに戻る気は無いのか?」
剛はさして、期待した様子も無く、達也に言った。
鬼狩り――
名前の通り、前線で命を張って鬼を狩る者質の、総称だ。
「その気は……ありません」
達也が頭を振りと、それを予想していたのか剛は続ける。
「いずれにせよ、お前のような若者に資料整理という黴の生えた仕事に何時までも従事させる訳にはいかん」
達也が何か言いかけるのを、剛は鋭い目で止める。剛は反論を許さぬように、厳しい口調で告げた。
「鉄に出向しろ」
「……?」
叔父の予想だにしない、言葉に達也は内心首を傾げる。剛は補足するように、説明を続ける。
「鉄の、鬼狩り部隊のサポートだ。最近、鉄のほうは、人員不足らしくてこちらに泣き付いてきおった」
何とも、解せない理由だ。
しかし、疑問があろうと自分は、“鋼”という組織に属する身だ。上からの命令には従わなければならない。
「分かりました。で、何時出向です?」
「明日だ」
打てば響くように、剛は返事する。
「明日?」
思わず耳を疑うように、達也は聞き返してしまう。剛は、しごく真面目な表情で肯く。
「当面、衣食住の面倒は鉄の、長である時坂が見てくれる。粗相はするなよ」
普段、滅多に驚かない達也。顔には出さないまでも、これには驚く。
「自分が、当主のお膝元で、ですか……」
剛はこの時、相好を崩す。
「時坂には娘が二人いる。一七歳と、お前と同じ年の二十三才の娘。美人姉妹だそうだ」
剛は我が事のように、ニヤニヤと笑う。
「どっちか、一人モノにしてこい。これは、上司としての至上命令だ」
この時、初めて達也は苦笑する。
「先ほど、粗相はするなと言われたのは何です?」
「フン、女をこます事など粗相の内には入らん。……ちゃんと、責任が取れれば」
果たして、叔父の言葉が単なる冗談か、何かしらの思惑があっての事なのか達也には分からない。
練磨の剛に、若造の達也が叶う筈も無い。
「……分かりました。娘をこます……のは出来そうもありませんが、サポート役はできるでしょう。早速準備に入ります」
立ち上がる達也。
「ウム。気をつけてな……」
剛も立ち上がり、達也の肩を叩いた。剛の顔に浮かぶのは、一人の甥を心配する叔父の表情だった。
ドアが閉まる。
達也が出ていったのを見て、剛は懐ころから携帯電話を取り出す。操作して、電話番号を呼び出し、耳に当てる。
数回のコール音と共に、相手に繋がる。
「俺だ」
『……名前を名乗れよ』
電話越しに、呆れたような響きが聞こえる。
『ま、いい。で、どうした?』
「先程、奴を送り出した。明日そちらに着く」
『そうか。彼を、後方支援のサポート役に回していいんだな? 腕利きの鬼狩りと聞いていたが』
剛は嘆息した。
「ああ、奴は最強の鬼狩りさ。が、今のあいつは腑抜けと化した。前線に出しても、犬死にするだけだ」
言葉は辛辣だが、剛の表情はどこか痛々しく、その才を惜しんでいた。
『相変わらず、身内には厳しいな』
「ああ、だから奴を頼む。このまま腐らせるには、あの才能は惜しい」
『……しかし、何故私に頼む。お前が面倒見てやればいいでは無いか? 彼の事をよく知っているのはお前だろう』
「分かっておらんな。男が変わるのは女だ。お前のとこの、娘達には期待している」
少しの間。
『……お前は……我が娘を人柱にする算段であったか』
呆れたような声。
悪びれた様子も無く、むしろふてぶてしい笑みを剛は浮かべた。
「フン、娘の一人や二人ガタガタ言うな。むしろ、光栄に思え。娘一人で鋼に貢献できるのだからな」
『まったく、何で商売敵である、鋼に貢献せねばならん』
「細かい事を言うな。禿げるぞ」
剛は豪快に笑う。そして、真剣な表情になり、真摯な口調で相手に告げる。
「いずれにせよ、奴の事はよろしく頼む。これは、鋼の幹部としてでは無く、達也の叔父としての我が侭だ。そして、お前を悪友と見込んでな……」
笑い口調で、相手は答える。
『悪友はお前だ……。が、頼まれてやろう。私が力になる限りは。一つ貸しだぞ』
「すまん」
電話が切れた。
剛は立ち上がり、窓の外を眺める。剛の目は外の景色を見てはいなかった。
「修羅の血を忘れるな、達也」
呟いた剛の目は、鋭利な刃物のように鋭かった。
時坂邸
清々しい朝だ。
何時もと変わらない、朝食時に父の時坂弦はぽつりと言った。
「今日から、居候が来る」
まるで、今日は天気がいい――そんな世間話を切り出すような口調で、思わず佳織は聞き流しそうになった。
対面にいる姉の、詩織を見ると、こちらは驚いたように父に目を向けている。
腰まで伸ばした、艶やかな髪。理知的な瞳。メリハリの付いた体つき。しっとりと落ち着いた、美貌の女だ。
同性である自分が見ても、姉の美しさはため息が出るほど美しい。
「居候、どうして急に?」
佳織は、父と詩織を交互に見やる。
髪は詩織と同じように、腰まで伸ばした少女だ。年は、今年で十七歳になる。顔つきは、姉とは似ているものの雰囲気が異なる。
可憐な容貌だ。体つきは細く、凹凸が少ない。だがそれが、女を感じさせず妖精めいた神秘さとなって現れていた。
小首を傾げる佳織を、父の弦は目を細めて見る。慈愛に満ちた眼差しだ。
今時珍しい、袴姿だ。しかし、普段から着慣れているのか実に様になっている。泰然と落ち着いている。
「仕事の関係でな。私の監督下で、彼を面倒見る」
「……彼?」
詩織は、訝しそうに眉を寄せる。
「ああ、家に来るのは青年だ。確か詩織と同い年だ。良い話相手になるだろう」
眉を寄せ、不機嫌そうな詩織とは対称的に弦は、のほほんと笑っていた。
「お父様」
詩織は、手に持っていたパンを皿に戻し、静かな口調で弦の目を見据える。平淡な口調は、実は詩織が怒っている証拠だ。
「ん、どうした?」
弦は、何も知らないかのように、美味そうにパンを頬張っていた。
詩織は、ちらりと佳織のほうを見て、
「年頃の娘がいるのに、若い男を居候させるのはおかしいです」
「む? それはどういうことだ」
真顔で聞き返す弦に、詩織は目を細める。
詩織は微笑む。だが、その目は笑っていなかった。
(こ、恐い……)
怒りのオーラをバックにした、姉の顔を直視できず佳織は目を伏せた。
「本気で言っておられるのですか? もし、そうなら私達この家を出て行きます。どうぞ、お父様は仲良く、その男性と暮らしてください」
「フム……」
詩織の恫喝にも、弦は動じた様子も無く右手で顎をさする。
「つまり、同じ屋根の下に若い男がいるのは拙いと、お前は言いたいのだな。なら、離れに彼を住ませよう」
一瞬、言葉に詰まる詩織。
「問題無かろう? その代わりといっては何だが、食事の時だけ彼を同席させる。いいな?」
弦は反論を許さぬかのように、ぴしゃりと言いきった。
流石だ。
佳織は内心、父の運びに舌を巻いた。最初から、その男性を離れに住ませるつもりだったのだろう。だが、最初にそれを言っては男嫌いの姉に反対される恐れがある。
そこで、最初にこの家に居候させると言って、猛烈に反対する姉に妥協する形として、その男性を離れに住ませる事を了承させる。それとなく、家長の威厳を使いながら。
無理矢理押し通せば、反感が募る。剛柔を巧みに使い分けた、弦の勝利であった。
「……分かりました」
頭の良い詩織だ。
見事にしてやられたのを、理解したのだろう。それでも、ここでごねる程詩織は子供では無い。分別を弁え、自分の誤りや敗北を素直に受け入れるだけの器量はあった。
不承不承といった感で詩織は肯く。
自分から見て完璧な姉。しかし、そんな姉でも他者にやり込められる姿を見ると、どこか安心し、嬉しかった。微笑ましい気分になってくる。
そんな佳織を、詩織は睨む。
「佳織、手が止まっているわよ」
「はーい」
答えながら、佳織はここに来るという男性の事が気になった。
「お父様、ここに来られる人のお名前は?」
「神郷達也だ。悪友の甥でな、会うのは五年ぶりになるか……」
どこか、弦は遠い目をする。
詩織は、興味無さそうに食事に専念している。
「初めて会ったのは、正月だった。彼には妹がいて、兄妹二人で楽しそうに話していた。仲の良い、兄妹というのが印象に残ったな」
次に、弦は頭を振った。
「だが、その一年後に妹さんが亡くなってな。葬式に私も参加したが、ひどく彼の姿は小さく見えたよ」
弦は、詩織と佳織を見る。
「できるだけ、彼の前では妹さんの話しはしないでやってくれ。彼が自発的に話し始めん限りはな……」
「きっと、寂しい思いをしているでしょうね」
佳織はぽつりと呟く。
詩織は無反応で、無言でコーヒーカップを口に運んでいた。この時、佳織がその男性に抱いた印象は――淋しやがりな人。
「どのようなお方か、楽しみですね」
笑みを浮かべながら、佳織は窓から差し込む陽の光を眺めた。
「良く来た」
初めて会うというのに、親しい親戚に会ったかのように友好的な表情を時坂弦は浮かべていた。
夕暮れ時。時坂邸の玄関で、二人は対面していた。
袴を着た、人の良さそうな笑みを浮かべているが、鉄という組織のトップに立つ人物だ。人がいいだけで、トップに立てるほど鉄は甘くない筈だ。この時坂弦という人物については、詳しくは知らない。
凡庸ならざる人物であることは確かだろう。
「お世話になります」
達也は、粛々とした表情を作り深々と頭を下げる。
時坂弦が自分の生権与奪を握っている。機嫌を損ねないよう、慎重な対応が求められる。
「ま、立ち話もなんだ。入りたまえ」
時坂弦に案内されるまま、達也は奥へと進んでいく。
この邸宅、外から見ても立派だったが中も、立派だ。高価な調度品や家具が見られ、部屋の数も見当つかない程、広い。
リビングに通される。
「座りたまえ」
時坂弦に指示されるまま、テーブル前の椅子に腰掛ける。
「娘が二人いるんだが、今は出かけている。もう少ししたら帰ってくるので、その時紹介しよう。それから新郷君、君には離れに住んでもらう。多少不自由な思いをするかもしれんが、我慢してくれ。ま、その分その建物に住むのは君一人だから、気兼ねなく自分の家だと思ってくれ」
時坂弦は親しげに笑いながら、色々な事を達也に教える。
達也は厳粛な表情のまま、時坂弦の言葉に耳を傾ける。
しばらくすると、ドアの外から複数の足音が聞こえてくる。そして、話し声。
「帰ってきたようだ」
時坂弦が、言った瞬間ドアが開き、二人の娘が入ってきた。
スーツを颯爽と着込んだ、達也と同じ年くらいの女。もう一人は、高校生だろうか、ブレザーを着た少女。顔立ちは二人とも似通い、共に美しい容貌だ。
姉と思しき女は達也のほうに一瞥もくれない。まるで路傍の石であるかのように、存在を認識しながらも注意を払わない、そんな感じだ。
妹と思われる少女のほうは、達也に気づいて驚いたような顔をする。
「・・・・・・・・・・・・!?」
達也は、少女の方を見て息が止まった。
達也の脳裏に、浮かぶのは、今は亡き妹の姿。目の前の少女と、生前生きていた妹の姿がだぶる。
が、それはすぐに脳裏から消えた。
「紹介しよう、私の娘達だ。姉の詩織と妹の佳織だ」
達也は立ち上がる。
「新郷達也だ。しばらく、厄介になる。迷惑をかけないよう努力するので、これから宜しく頼む」
別に緊張した様子や、気負った様子も無く淡々と告げる達也。そんな達也を前に、二人の姉妹の反応はそれぞれ違ったものだった。
姉の詩織のほうは、腕を組みこちらを値踏みするような目で見ている。間違っても、友好的な態度には見えない。優秀な猟師が、これから狙う獲物の弱点を探し出そうとするかのように、油断無く達也を見据えている。
一方妹の佳織は、最初は驚いたように目を見開いていたが、柔らかい微笑を浮べて
「時坂佳織と申します。こちらこそ、宜しくお願いします」
深々と達也に向かって頭を下げる。
そんな佳織を神妙な面持ちで、見下ろす達也。妹に似た、佳織を前にするとどこか落ち着かなくなる。表面上は平静を装っているが。
無反応な達也を、気分を害したと思ったのか不安そうな目で見上げる佳織。
その仕草。似ていた。妹に。
顔立ちが妹に似ているのでは無い。雰囲気が、とにかく酷似していた。
「ああ、頼む」
達也は内心の動揺を隠すかのように、殊更平淡な口調で言った。
「始めまして」
区切るようにして、言葉を発する詩織。腕を組んだまま、挑発的な目で達也を見据えている。
雌豹のような鋭さが、感じられる。只の、勝気で男勝りな女では無い。抜き身の、剣の鋭さのような凄味。
(この女、現役の鬼狩りか)
詩織の立ち位置、姿勢、体のバランス、鍛えられた戦士の匂いがする。
「私の名前は詩織。最初に言っておくけど、貴方と馴れ合うつもりは毛頭無い。佳織を含めて、妙な事をしたら只ではおかない」
静かな恫喝。
敵意――とはいかないまでも、警戒心と懐疑、不快感を剥き出しの詩織に、達也は不思議と心が静まっていく。この時、達也が詩織に抱いた感情。
それは好感だった。
悪感情とはいえ、ストレートにそれをぶつけて来る詩織のほうが、達也には分かり易かった。他の二人、佳織と時坂弦に比べればずっと。何より、かつて自分と同じだった鬼狩り、という事が親近感を抱かせる。
達也は知らず知らずの内に、笑っていた。佳織が、非友好的な態度を取る姉を嗜めるように、詩織の袖を引っ張っていたが達也はそれを制した。
「フッ、妙な事か。異な事を言う」
怪訝そうな顔をする詩織。達也の対応がおそらく、予想外な事だったのだろう。
普通、恫喝を受ければ二通りの反応がある。
恐怖か、あるいは怒り。屈服か敵対。
達也の反応はその二つとも違った。
「馴れ合う――俺も、互いに甘えきった関係など望んではおらん。そして、時坂、貴様の言う妙な事とは性的な干渉を意味しているのだろう?」
達也は笑みを深くしながら、右手で自分の顎を掴む。
余裕の態度を見せる達也を、詩織は眉を寄せて鋭い眼で睨み付ける。達也と詩織、二人を不安そうな目で見ている佳織。
対照的に、二人のやりとりを興味深そうに、腰を下ろしたまま見ている時坂弦。
「安心しろ。俺は合意無しに、セックスするのは好きでないし二十歳未満の女と寝たりはせん」
そこで、達也は言葉を置いて、極めてわざとらしい仕草で右手の親指を立てた。
「貴様とは意見が合う。案外俺達は気が合うかもしれんな。時坂」
果たして、詩織の反応はというと。
「・・・・・・ケンカを売っているのかしら」
底冷えのする声で、詩織が告げる。
何とも、分かり易い奴だ。達也は、内心苦笑する。佳織と、時坂弦の手前もある。そろそろ幕引きとするか。
「まさか、単に交友を深めたいだけだ。別に馴れ合うつもりは無いが、どうせならギスギスした関係は持ちたくない」
達也は、時坂弦のほうを見やる。事態の収拾にはキーマンを上手く使うのが、コツだ。
「時坂殿、夕食のほう私もご相伴させてもらっても宜しいですか?」
時坂弦は、どこか楽しそうに答える。
「ああ、無論だ。これから先、できるだけ私達と一緒に、食事を共にするのがここでのルールだ」
不機嫌そうな詩織に、達也は笑う。
「ま、食事でもしながら交友を深めようでは無いか。そうでしょう、時坂殿?」
「ウムウム。良い話相手に成りそうじゃないか、詩織?」
嬉しそうに言う時坂弦に、詩織はとても嫌そうな顔をした。
佳織は一人、詩織と達也を見て不思議そうな表情をしていた。
テーブルには豪勢な食事が並んでいる。 達也の歓迎の意味合いが込められているのだろう。
食事の準備は、全て家政婦が行っていた。
料理は手の込んだモノで、美食家でもない達也の口でも十分に美味いと感じられた。
「所で、自分は明日から“仕事”のほうに周るのでしょうか?」
達也は一旦、ナイフとフォークを置いて時坂弦に、視線を向ける。
達也の言う仕事とは、鬼狩りのサポートである。仕事という言葉で、意味を濁したのは果たして、佳織や詩織の前で話してもいいのかという、配慮からだ。
しかし、時坂弦は別段隠し立てするつもりはないようだ。
「そうだな……明日から、兎のサポート役に回ってもらうか」
兎――言葉どおりの意味では無い。鉄でも、鬼狩りは多くいる。
鉄では、鬼狩りは単独では無く班単位で構成される。人数は、五人から十人。
兎というのは、班の名前を指す。
「鉄でも、兎は優秀なチームと聞きます。自分如きに、精鋭チームのサポートという大役を与えていただき光栄です」
言葉とは裏腹に、達也の態度はさして光栄そうでは無かった。達也自身、本心から出た言葉では無い。
与えられた仕事について、満足不満足も無い。ただ、命じられたからにはやる。今の達也は、それだけだ。
そんな達也に詩織が鋭い目を投げつける。次いで、父親のほうに顔を向ける。
「我々に、もうサポート役は要りません。これは、どういう事です、お父様!?」
「……ほう、時坂は兎のメンバーだったか。これから、頼む」
達也の言葉を無視して、詩織は時坂弦に詰め寄る。
「どういう事です!」
和やかな食事の雰囲気は、完全に消えた。心配そうな顔で、佳織が皆を見ている。
が、男達は至って落ちついていた。
「どうも、こうもない。神郷君には兎のサポートに周る。これは規定事項だ」
やんわりと、だが強固な意志を持って時坂弦は言った。
悔しそうに眉を寄せる詩織に、達也は追い討ちをかけるように言葉を続ける。
「安心しろ。足を引っ張らん程度に、サポートしてやる。時坂が心置きなく戦えるようにな」
バン!!
激しい音に、詩織を除く全員の動きが止まった。詩織が立ち上がり、テーブルを強く叩いたのだ。親の仇を見るかのように、達也を睨み付ける。
「減らず口を……! 馴れ合うつもりは無いと言った筈よ」
達也は苦笑した。
そんな達也の態度が勘に触るのか、詩織のこめかみが震える。
「もちろん、馴れ合うつもりは無い。が、ちゃんと義務は果たさねばならん。ただ、その遂行の為には、貴様とも意志の疎通を図らねばならん。どうだ、違うか?」
この時、詩織が浮かべた表情。
笑顔だった。ぞっとするほど冷たい笑み。目元はまったく笑っていない。
「そうね。私とした事が、そんな事も分からないなんて」
「分かってくれて、俺も嬉しい」
達也は食事を再開する。
「神郷」
この時、初めて詩織が達也を呼んだ。
詩織は笑顔のまま言った。
「私はあなたを認めない。口が達者なのは理解したけど、口先だけなら私はあなたを真っ先に切り捨てる。力無き者に、同じ戦場に立って欲しくない。そして、背中を任せなれない。私を含めて、掛け替えのない者達に傷付けようものなら、全精力を持ってあなたの存在を否定する」
そこに込められたのは本物の殺気。まるで、檻の中で獰猛な熊を前にした気分だ。
(女にしておくのは、惜しいな。そして、よくここまで嫌われたものだ)
達也は内心で呟き、厳粛な表情を作る。
「ああ、理解した」