7 箪笥の向こう ②
「・・・それは俺が訊いている」
「人に尋ねる前に自分で名乗るのが礼儀でしょ」
低い声の機嫌は良いとは言えないように聞こえたが、秋乃自身も混乱していてそれを気遣う余裕などない。
思わず反射で言い返したのだが、相手の気配がはっきりと怒りを見せたのに身体を竦ませた。
顔はよく見えないままだが、相手の態度というのは目の前にしていればなんとなくわかるものだ。
この男は、決して機嫌が良くない――そう思った瞬間、次に何が来るのか解らず身構えてしまったのだが、その身体を腕を掴まれて一気に引き上げられた。
「――っ?!」
驚いている間に、秋乃の身体は明かりの中に引きだされた。
明かりに目が慣れたとはいえ、さらに明るいところに引き出されて一瞬目が眩む。
驚いたまま腰が抜けたのか、やはり立てなくて今度は絨毯の上に座り込んで、秋乃は自分を引っ張り出した男を見上げた。
部屋の中では、男の顔ははっきりと見えた。
髪の色はこげ茶色で、明かりに透かすと赤色に見える。目はひたりと秋乃を見下ろし、決して優しい視線ではない。その色は髪と同じ色にも見える。口は真一文字に閉じられ、鼻は顔の真ん中ですっきりと通っているが、整った顔というより、強面の顔、という印象だ。
それはシャツの下から見えるがっしりとした体つきにもよるのだろう。
麻で編まれたようなシャツに、スラックスというより頑丈なズボンは色あせたジーンズにも見える。腰には太いベルトがしてあって、足元は編み上げられたブーツで、おしゃれというより実用性を感じるものにしか見えない。
「間諜が俺の部屋に来て俺の素性を訊くか」
男の顔が嗤った。
まさに、嘲笑、という言葉通りに、頬をゆがめるだけの笑みをしたのだ。
秋乃はその笑みを受けながら、本当に誰だろう、と考える。
隣人はこんな人間だっただろうか、そもそも、日本人に見えないんですが――秋乃の思考はまだグルグルとしていたが、男がいきなり膝を付いて視線を同じにしてきて、身体が揺れるほど硬直した。
その手が秋乃の顎を掴んで、まっすぐに自分に向ける。
「どこかで見た顔に――・・・お前、子供じゃなく、女か?」
男の顔はまじまじと秋乃の顔を見て、それから今気付いたようにその身体を見た。
それまで混乱と困惑でグルグルしていた秋乃は、その一言で何かが一気に弾けた。
つまり、男の手を手荒く跳ね除けて、叫んだ。
「産まれてこのかた女以外になったことはないわよ!」
はっきりと秋乃の声を聞いた男の顔が、また嗤った。
今度は嘲笑などではなく、人の悪さをはっきりと見せる、どこか暗さを感じさせるもので、秋乃はとっさに逃げたくなった。
これは、何か危険だ――と本能が察知したようだが、男の手はそれよりも早かった。
「その髪で、女と言い張るほうがおかしい。女の諜報なら受け入れてやらんこともない。隅々まで調べてもらって結構だ」
もう一度秋乃の手を取り、一気に引き上げた。
宙に浮いたような感覚にびっくりした秋乃は、実際に床に足が付いていないのに驚愕した。
引き上げた男の腕が、秋乃の足を掬い抱き上げているのだ。
「なに・・・っ?!」
驚いていると、男は数歩歩いただけで部屋にあったベッドに辿り着き、その上に秋乃の身体を落とした。
それからもう一度明かりが逆光になるくらい秋乃に覆いかぶさって、低い声で囁く。
「もちろん――お前の身体も隅々まで調べてやる」