44 リリアの悩みごと ①
用意された昼食はヴァレリーのいつもの食事のようだった。
つまり近衛隊の、騎士の食事だ。
野菜と肉を煮込んだスープと、具だくさんのサンドイッチ、それからマッシュポテト付のサラダ。秋乃は一緒の部屋に居る男の存在を気にしないでいるほど、どれも美味しいといただいた。
高貴な方とのコース料理も美味しくないわけではないが、秋乃は庶民である。畏まらない食事が嬉しくないはずもない。
ただ、秋乃が一人前を食べている間に、ヴァレリーはその倍は食べたと思う。いつの間に頼んだのかは解らないが、給仕の人がワゴンに乗せて昼食を持ってきたときは、誰がこんなに食べるんだと思った量は綺麗に片付いていた。
お腹がいっぱいになると、ヴァレリーは仕事に戻った。自分の机に向かって書類を捲り、羽根の付いたペンを動かしていた。同じ部屋にいながら放置された秋乃は、その羽根の動きを見ながらどうしたらいいの、と眉根を寄せていると、ドアがノックされてシエラが現れた。
「失礼します。アキノ様をお迎えに上がりました」
「ああ」
ヴァレリーは一言答えただけだ。
昼食を終えるとシエラが来ることは決定事項だったようだ。案内は午前中で終わりらしい。それは決められていたのなら、教えて欲しかったと秋乃は憮然とするが、仕事から目を逸らさないヴァレリーに文句を言っても仕方がないと諦める。
「どうもありがとうございました」
まったく感情が篭ってない声だな――秋乃は自分でそう思いながらも、一礼してシエラと一緒に部屋を出る。
「東の庭へ入られましたか? いかがでした?」
シエラは楽しかったですか、と笑顔を向けてくるのだが、秋乃は即答出来なかった。
確かに、庭は綺麗だった。桜も梅も、綺麗だ。曾祖母たちがここに居た事実を教えてくれるものでもあり、貴重なものでもある。
騎士の務めとかなんとかで、腕を組んで歩いたことも、庭で綺麗なお嬢さんに値踏みされたことも、普段にはないことで面白い体験だったとも思う。
しかし、決定的にされてしまった秋乃の立場だけは、いただけないのだ。
ヴァレリーの婚約者ということが周知にされた。
王さまと不機嫌な男に、良いようにされてしまった事実を知り、秋乃は憮然となるのだ。
「・・・綺麗だったわ」
結果、その一言が感想となる。
秋乃の言葉を疑わず、にこにことしたシエラに、婚約者としての秋乃がどれほど知られているのか聞いてみたい気もしたが、藪をつついて何かが出てきそうで、口を噤んだ。
知らぬが仏って言葉もあることだし、うん。ここは無視しよう。無視だ――この世界には遊びに来ているのだ、深く追求しない、ということを秋乃は心に決めて、シエラと一緒に覚え始めた部屋までの道を歩くのだった。
日が傾く頃にリリアの侍女が呼びに来るまで、秋乃はパッチワークの続きをしていた。ひとりで出歩くにはまだ王宮は迷路に近い。
端切れを縫い合わせていく作業を、シエラが興味深そうに見ている。こういうものはないのかなぁと思っていると、リリアの手が空いたのか、秋乃は王妃さまの部屋へ案内された。
「アキノ! ごめんなさい、随分待ったでしょう?」
にこやかなリリアがまさに手を広げて迎えてくれる。
秋乃にしてみれば、仕事の時間は仕事をするというのは社会人として当然だと思っているので、自分の都合でそれを止めて遊んでもらおうとは端から思っていない。
「いろいろしていると、時間がたつのはあっという間なので大丈夫です」
むしろ秋乃と会うために仕事をせかしてしまったのではと恐縮しそうだ。
秋乃を居心地の良いソファへと誘うリリアは、目を輝かせて笑う。
「あら。そうよね。ヴァレリーととっても仲睦まじく過ごしたのよね。ふふふ、女性が苦手だっていうヴァレリーの建前もこれでなくなったかもしれないわ」
「・・・はい?」
秋乃は目を丸くした。
仲睦まじく――というのは、二人で庭などを歩いたことに違いない。しかし、ただ案内されただけである。腕を組んでいたのも、秋乃の転倒防止である。その事実を知っているから、リリアの言葉は素直に受け入れられないものだった。
そしてずっと仕事をしていたはずのリリアがどうして午前中の秋乃たちのことを知っているのか、情報の早さにも驚く。きっと見かけただれかから噂のように聞いて、侍女からそれが伝わったのだろうが、それにしても広がるのが早すぎる。
暇なの? この王宮の人って、実は暇なの?――秋乃は呆れ半分で喜ぶリリアを見るが、キラキラした王妃さまは一向に気にしない。
「あのヴァレリーも、婚約者には優しいのね」
「あー、あの、それは・・・」
正確には事実ではない。
秋乃は名前を利用されているだけだということを、リリアに伝えようとしたがこの部屋には二人きりではない。シエラもいるし、王妃付きともなれば侍女がずらりと壁にならんでいるしドア付近には騎士もいる。
秋乃は開いた口で視線を彷徨わせて、そのまま閉じた。
「どうしたの?」
「いえ・・・」
「なにかあった?」
そうではない。ただ、名前だけの婚約者であると、リリア以外にも知られると利用されることに我慢した意味がなくなる。
「ヴァレリーがなにかして?」
「いえ、リーさんは別に」
してないわけではないが、ここで答えることでもない。
しかし、リリアは秋乃の言葉に目を輝かせた。そんな顔をするなんて、何が良かったのだろうと少し引くほどリリアは嬉しそうだ。
「まあ! それはヴァレリーの愛称なの? アキノが考えたの?」
「あ・・・」
言われてから秋乃はヴァレリーを呼びやすい名前で呼んだことに気付いた。気付いたが、どうしようもない。
リリアはとっても嬉しそうだが、呼び捨てにするわけにもいかず、呼びにくい名前の上に敬称まで付けるのも落ち着かない。
「ヴァレリーは愛称で呼ばれるのが嫌いなのよ。なのにアキノには許したのね・・・素晴らしいわ」
「ええ?」
やっぱり嫌だったのだろうか、ならそうはっきり言えばいいのに――秋乃は感情が思わず顔に出て眉根を寄せたが、リリアは嬉しそうだ。
「ヴァレリーは小さな頃、エリーと呼ばれていたの。7つの頃かしら、女の子みたいで嫌だって言って、それから愛称で呼ばれるのを嫌がっていたのよ」
「・・・はあ」
ヴァレリーでエリー。
秋乃はあの不機嫌な顔でそんな名前で呼ばれているところを想像して、一瞬遅れて顔が歪んだ。笑ってしまえば良かったのだが、自分も似た名前で呼んでしまったことに少しだけ悪く思えて踏みとどまった。
しかし微妙な顔をしていただろう。リリアは面白そうに笑っている。
まぁリリアが笑ってるならいいか――秋乃は深く考えないままにこにことして返し、そしてここにいることを思い出した。
「それで王妃さま、何か私に用があるんじゃなかったでしたっけ? 相談事、とか?」
こんなににこやかで、誰からも好かれる王妃さまに悩みとか、相談されるとかまさかねと思いながら冗談交じりに秋乃は口にしたのだが、その瞬間リリアの表情ははっきりと変化した。
「・・・そうね」
声のトーンさえかなり下がっている。その顔に笑みなどない。
真面目な顔よりも深刻で、本当に辛さが溢れているようで秋乃も慌てた。
「な、なにが、いったいあったんですか?」
「・・・その前に、みんな、外へ出てちょうだい」
リリアは秋乃に言う前に、部屋に必ず存在する侍女や騎士たちに向けて指示する。
「それは」
さすがに秋乃と二人きりというのは難しいのだろう。
しかしリリアの表情は真剣で、逆らうことは許されないものだった。
「せめて、私だけでも」
言い募ったのは、リリアに長く仕えている侍女のようで、年かさの女性だ。それでもリリアは首を横へ振った。
「少しの間だけよ。お願い」
控えていた騎士も複雑な顔をしていたが、最終的には全員リリアに従った。
そして、この広い王妃さまの部屋には、リリアと秋乃だけになったのだ。
沈んだ顔のリリアに、秋乃は小さく息をのむ。
いったいなにを言われるのか、緊張して心臓の音が良く聞こえるくらいだった。
「アキノ――教えてほしいの」
「はい」
「子供を作る方法って、ないかしら?」
「・・・はい?」
リリアの声は真剣で、顔は深刻そのものだ。
しかし聞こえた声に、言葉の内容に、秋乃は一瞬考えて、そして間横へ首を傾げた。
コドモヲツクルホウホウ――頭の中で何度繰り返しても、その意味はひとつしか見当たらない。
それは、私に聞くことですか?
秋乃は年下の王妃さまの悩みに、ぽかんとしてしまったのだった。




