43 王宮探検と婚約者 ⑥
「女性の相手は部下に押し付ける隊長が自らご一緒しているんだから、これはそうとうな方に違いない。と、すでに王宮に広まっていますよ」
間違いではないですよね、とアイアスの笑顔が苛立つ。
間違いないとかそうとうな方とかそれは婚約者って前提であって、しかもその婚約者は本人同士の意思を無視したものであって――秋乃はこの状況を予想していたであろう王さまを思い出しさらなる殺意を抱く。
この国で一番偉いんだろうけどそんなことくらいで人の人生決めていいと思ってんの――秋乃は握りこぶしを作ってそびえ立つお城を睨みつけると、隣から低い声が聞こえた。
「・・・お前、なにか不遜なことを考えていないか」
「あんたも同罪よっ」
秋乃はぐるんと首を返して隣を睨みつけた。
「なにがだ」
「そんな噂されるって――解ってたんでしょう?! 解ってて引き受けたのね?! くっそう陛下め! このまま踊らされてなるものか! リリーのお願いを聞いても絶対教えてあげないから!」
「お前は、陛下に対して」
「あんたも! 嫌なら嫌って言えばいいじゃないですか! 予想出来てたんでしょう? こんな噂になるって、だから落ち着いてるんでしょう!」
「お前も落ち着け」
「落ち着いてます!」
まったく落ち着いてない。
秋乃も解っている。かぁっとなった怒りが全身を巡り、半分以上テンパっているのだと解っている。しかし何度言っても自分の意見を無視されることが秋乃には我慢ならないのだ。
仕事で起こる理不尽なものならある程度緩和出来るスキルを身につけている。それなりに我慢出来る忍耐も持っている。
だが自分の身に掛る、秋乃自身のことについて自分の意思が通らないことが許せないのだ。
秋乃は両手を握りしめて、興奮した勢いを肩で何度か呼吸を繰り返し、隣から冷静に見下ろされることでゆっくりと落ち着きを取り戻した。
「はぁ・・・もう、すみませんでした。迷惑掛ってるのはお互い様ですよね」
ヴァレリーに怒っても仕方がない。秋乃は取り乱したことに謝る。
ヴァレリーはそれをただ受け取ってくれたのか、何も言わない。ただ、その場で留まって笑みを崩さなかったアイアスが口を開いた。
「隊長に利用されてるだけだと思いますがねぇ」
「アイアス、仕事に戻れ」
利用? その意味を考えて首を傾げる前に、厳しい声が飛んでアイアスは緩慢な動作ながらぴっちりとした礼を取って庭の奥へ消えた。
怖いくらいの声を出した男は隣に留まったままで、秋乃は眉根を寄せて見上げる。
不機嫌な顔なんて、見慣れてしまえばこっちのものだ。
「利用ってなんですか」
「お前が気にすることではない」
「でも、私が利用されてるんですよね? リーさんに? 何を?」
「・・・その、呼び名は改めないのか」
「改めて欲しいなら何に利用したのか教えてください」
ヴァレリーが手を促して、歩けと勧める。しかし誤魔化されないと秋乃は踏みとどまった。
そして隣から、小さく息を吐く声が聞こえた。
「・・・歩きながら話す」
話してくれるんだ。
秋乃はこの男が折れたことに驚いた。
きっと、不機嫌なまま誤魔化してしまうか無視されてしまうだろうと思っていたからだ。
秋乃も頷いて、ドレスの裾を踏まないようにゆっくり足を踏み出した。
「俺は結婚する気がない」
「・・・はあ」
公館と言われる場所はリリアたちが住む後宮に比べるとシンプルな雰囲気だった。あくまで、後宮に比べると、だ。
通路も部屋に続く扉も秋乃の会社の内装と比べると豪華すぎるくらいだ。
医務室や官吏の休憩室だとか食堂だとか、下女や給仕しか入れない調理場には近づくなとか、この先が各部の執務室だとか、お偉いさんの執務室だとか、とりあえず説明を受けたが秋乃に一度で覚えられるものではなかった。
ただ、迷わずヴァレリーの部屋までは辿りつくことが出来るようになるので精いっぱいだ。
入ってはいけない場所を覚えて、帰り道だけ知っていれば、あとは追々、と秋乃は考えた。ヴァレリーもそれに気付いているようだが、詳しく覚えろという態度でもないのは、この案内が絶対に必要かと言われると、必要でないというほうへ傾くのを知っているからだろう。
広い通路を歩いていると、すれ違う官吏や侍女、騎士姿の人にも頭を下げられる。
ヴァレリーは当然のことかもしれないが、秋乃は落ち着かない。顔も知らない相手に礼をされる身分になった覚えはないからだ。
むず痒さを感じていると、ヴァレリーが小さな声で話し始めた。
利用したことを教えてくれる気になったらしいが、意味が解らない。
ヴァレリーが結婚しないことが秋乃に何の関係があるというのだ。むしろそれなら婚約者だと言われることを全力で否定して欲しい。
「陛下や家の者は俺の意思を知っているが、周囲はそう思わないようで――いろいろとうるさく押し付けてくるものもいるんだ」
「はぁ・・・そうですか」
モテそうな顔ですもんね。機嫌が悪くなければ。あと、地位も高いんでしたっけ――秋乃が適当な返事をすると、目を細めて見下ろされる。
睨まれたって、話の内容の意味が解らない秋乃には通用しない。
ヴァレリーは秋乃を睨むことを諦めたのか、視線を戻した。
「そこへ、婚約者が現れた」
「・・・はい?」
「しかも、結婚したくないと言い、普段は姿が見えない女だ」
「・・・はいい?」
「陛下が認めていることも大きいな。それで他の誰かを推してくるようなものはいないだろう」
「・・・・っりよ、うっした、のね?!」
じわじわと秋乃はヴァレリーの言っていることを理解した。
そして、理解して、混乱して、声が詰まった。
驚きと呆れと怒りの混ざった複雑な顔で睨みつけたが、ヴァレリーに効果はないようだ。
平然と受け止める。
秋乃は、利用されたのだ。この男に。
結婚する気がないのに、次々に舞い込む縁談から逃れるために、秋乃の存在を利用したのだ。
「誰か相手がいるのか」
「――いませんけど!」
たとえば秋乃が、結婚しているとか、誰かと付き合っているとか、そんな事実があったなら、受け入れられる問題ではないが、仕事に生きてきた秋乃は誰かと付き合うことすら考えることを止めていた。
それでもその事実を教えることが悔しいと、怒りを声に乗せて返す。
「なら構わないだろう。どうせ名前だけだ」
「な、名前だけって」
「なにかがあるわけじゃない。そうだろう」
婚約者という存在だけ。名前だけ。それだけだ。
秋乃はきっと、ヴァレリーにしても都合のよい相手なのだ。
王さまという存在が認めて、王妃さまとう存在が喜んで推していて、そしてたまにしか現れない女。
秋乃に被害があるわけではないのは解っている。しかしそれでも、素直に良いですよと貸し出せるものでもないはずだ。
なのにヴァレリーは、確かめるように強い目で秋乃を見る。睨んでいるわけではない。ただ強く、秋乃の頭の中を覗きこまれているような目だ。
その目に、秋乃は負けた。同じように見ることが出来ない。
視線を彷徨わせた後で、俯いた。
「・・・そうですけど」
「今までと何かが変わるわけでもない。ここへ来たときは、お前の待遇は保障されている。今更誰の婚約者だと言われようと、気にするものでもないだろう」
気にするものです!
秋乃はそう思ったが、声にはならなかった。
気にしたら、ひとりでその気になっているみたいだからだ。
婚約者というのは名前だけで、事実はどこにもない――それを知っているのに、ひとりでうろたえていることが恥ずかしくなってくる。
ヴァレリーにその気がないのだから、秋乃にもその気はないのだ。
突然で驚いたけれど、これまでの付き合いの何かが変わるわけではない。
上手く思考はまとまらないままだけれど、頷かないのもおかしくなる気がして、秋乃はもう一度頷いた。
名ばかりの婚約者が、何をするわけでもないのだ。
そう振り切ることを決めて、秋乃はいつの間にかヴァレリーの部屋の前まで来ていたことに気付いた。
「・・・部屋に入るんですか?」
何をしに、と秋乃は思ったのだが、ここが案内のゴール地点だったようだ。
ヴァレリーは扉を開けて中に秋乃を促す。
「昼食を用意する。入れ」
「さっきの食堂で食べるのだと思ってた」
「お前、陛下や王妃殿下と食事を取れる女が、あの場所で食事が出来ると思っているのか?」
「王妃さまや陛下はそんなこと気になさらない方だと思ってました」
とってもとっても馬鹿にしてくれてありがとう――秋乃はにっこり笑って嫌味を返したが、ヴァレリーは受けることも否定することもなくただ流した。
そうゆう、態度が、嫌! ――こんな人と名ばかりでも婚約者であることが、秋乃はこの世界で唯一の嫌なことだと改めて思った。




