40 王宮探検と婚約者 ③
視線を合わさない秋乃に諦めたのか、ヴァレリーは時間を無駄にするつもりもないらしい。
「用意が出来ているなら行くぞ」
「――はい」
休むこともなく、ヴァレリーに外を示され秋乃は立ち上った。
ドアを出ようとして、シエラが「いってらっしゃいませ」と頭を下げたことに驚く。
「・・・えっシエラは来ないの?!」
「はい。申し訳ありません、私は別の仕事を仰せつかっておりまして」
他の侍女もいない。
ちなみにヴァレリーはひとりで現れたので他にいない。
秋乃は驚きとともに、落胆して少し怒りも覚えた。
要所だけこの人に案内してもらってその辺はシエラでもいいよって言ってすぐ帰って貰うつもりだったのに――秋乃は自分の目論見が崩れたことを知った。
そして、それが誰の支持なのかも解って顔を顰める。
王さまと王妃さまの仕業に違いないのだ。
王妃さまは婚約者だとかいうふざけた関係に夢見て煽っている。王さまは王妃さまから相談される秋乃が憎らしいに違いない。
くそう、やりすぎだよ二人とも!――秋乃はここにはいない相手を睨みつけながら、しぶしぶヴァレリーに従うのだった。
「どこに行くんですか?」
一歩前を歩くヴァレリーに、秋乃は早足で付いていきながら聞いた。
部屋を出てから階段を下りて、しかし行先が秋乃に解るはずもない。
「庭からだ。王妃殿下の希望で東庭は回ることにしている。そのあと公館だ。後宮はお前が入れない場所もあるから誰かが伴わないと歩けないと思え。公館は一部を除いて歩けるようにしておけと陛下からの通達があった」
ヴァレリーは一度足を止めて、秋乃の姿を上から下まで眺めた。
「――その格好なら、まぁ大丈夫だろう」
まあ? まあ大丈夫ってどういう意味?――秋乃は顔を盛大に顰めた。それからヴァレリーが差し出した右手に視線を落とす。
「・・・なんですか?」
「解らないのか?」
「解りません」
「その格好に慣れていないんだろう」
「こんなドレス、着たの初めてなもので」
「歩くのが遅い」
すみませんね! とろくて!――はっきりと言われて、秋乃は背の高い男を睨みつける。そしてそれがこの手に何の関係があるのだ。そう考えて、まさか、と目を見開く。
「その調子だといつか転ぶだろう」
やはり、掴まれと言っているのだ。
秋乃は身体を引く勢いで断った。
「結構です! ゆっくり歩いてくれればいいだけの話でしょう?!」
「転ぶのはお前の勝手だが、騎士が傍にいてそんな不名誉なことをさせると思うのか」
不名誉ってなに! ――秋乃は突っ込みたい勢いだけはあるのに、上手く声が出ないことに動揺した。
ヴァレリーは真面目だ。
真面目に、秋乃が転ぶことを良しとしないのだ。それが異世界の女でも、ぽっと出てきた得体のしれない女でも。迷惑極まりない婚約者であっても。
上からじっと見つめられて、ヴァレリーは待っている。
秋乃が躊躇っている手を出すのを待っている。
秋乃は低く唸りながら、ゆっくりと左手をその手に掛けた。
「そうじゃない」
手摺を持つように手を掛けたのだが、違うと言われて内側から絡ませられた。
そうかもって思ったけどこんなこと慣れない女が簡単に腕を組めるわけないでしょ――秋乃は心の中で盛大に罵りながら、不満さをいっぱいにした顔で絡まった腕を見た。
「嫌なのか、慣れていないのか、どっちだ」
秋乃が不満であることは、顔を見れば解る。ヴァレリーはさっきよりも少しだけ速度を落として歩き始める。躓かないようにスカートの裾を蹴るようにしてそれに合わせながら、秋乃は不満の顔から憮然としたものに変わった。
「慣れてないから嫌なの。てゆうか、私の国じゃ女性をエスコートする男性なんて稀だから。他の国ではそうじゃないところもあるけど、少なくとも私の周りにはいない・・・てゆうか、おばあちゃま――ヒナコ様とかかおる姫とかの時代には、もっといなかったと思うけど」
秋乃は曾祖母の生きた時代を思い出し、曾祖母も恋に落ちた相手にこんな風に手を差し伸べられたらどうしたのだろうと考える。
ええと、でもきっと、恥ずかしがりながら、手を取ってるといいな――物語的にも、面白いと秋乃は思う。
ヴァレリーは前を見ながら、少し考えたようだ。
「カオル姫がどうしていたかはよく知らないが・・・ヒナコ様が、とても厳しい方だったとは聞いている」
「厳しい?」
「詳しくは知らないが、羽目を外したカオル姫を、床にセイザさせて説教をしたと――セイザがよく解らないが、上から怒ったということだろうと・・・なんだ」
ヴァレリーが途中で訊いてきたのは、秋乃が笑うことを堪えていたからだ。
しかし堪えきれなかった。
「っあははは! 正座で説教って! さすがおばあちゃま」
「・・・笑うところなのか?」
ヴァレリーは盛大に顔を顰めた。
眉根を寄せて、秋乃が笑ったことを咎めているようだ。だが笑わずにいられない。秋乃は自分の中に居る曾祖母と、この世界で過ごしたことのあるヒナコ様はやはり同一人物なのだと実感した。
曾祖母は厳しい人だった。甘やかしてしまった秋乃の母を教訓にしたのか、秋乃を厳しく躾けた。不満に思ったことはない。それが秋乃にとって大事なことだったし、曾祖母の愛情を深く感じていたからだ。
悪戯をしたり、間違ったことをしてしまったときには、いつも正座で嗜められたものだ。
曾祖母は正座が苦ではなかった。秋乃は子供だからか、いつまでたっても慣れなかった。そういえばしばらく正座もしていない――秋乃は目じりに浮かんだ涙を指で掬いながら、いつの間にか庭まで来ていたことを知った。
目の前に広がるのはとても美しい緑の景色だ。
ヴァレリーは見慣れているのか、回廊から出て芝生の上を歩いたときも笑う秋乃を見下している。
正座の意味を教えろってことかな――秋乃はその不機嫌なような視線を受け止めながら、怖くないことにも気付いた。
「正座っていうのは、足を折って座ることです。慣れないと上手く座れないし、ずっと座っていると痺れるし・・・ここでは試せないけど」
「こんなところで座るつもりか」
「だから座らないって言ってるでしょ」
呆れたような声に反射で答えた。
いくら秋乃でも、外で正座は出来ない。しかもドレスを着ているときに。
後で部屋で教えてあげようかな――そう思ったが、正座をしているヴァレリーを想像すると思わず笑ってしまう。上手く座れなくて倒れてしまうところまで考えて、吹き出してしまった。
「なんだ」
秋乃が笑っている意味を知ったわけではないだろうが、何かに気付いたのかもしれない。冷ややかな視線を向けれるが、秋乃の顔は緩んだままだ。
「別に、なんでも」
「それが別にという顔か」
「そうですお気になさらず」
そう答えて、秋乃はこんな会話は二回目のような気がした。
しかし一度目より、心が軽い。
それは秋乃が笑っているからかもしれない。相手の男が不機嫌なのは、いつものことだ。
不機嫌な顔も、慣れるってことかな――秋乃はこの男の周囲の人間が普通に接しているのは、同じように慣れているからかもしれないと思った。
つまり秋乃も、慣れたということだ。この数回会っただけの男に。
自分が意外に順応性が高いことに、秋乃は驚きながら新鮮で、そしてそんな自分が嫌じゃないと感じながら、ヴァレリーの手を取ったまま庭を歩いた。




