35 チョコレートと忘年会 ②
シエラは時間を見つけてはヴァレリーの部屋を訪れているらしかった。
秋乃が現れていないか、リリアに言われて確かめていたのだ。
ちょうど秋乃がその場にいたことで、その姿を見たシエラは全身で喜びを表していますと言わんばかりに嬉しそうに笑った。
ああもう、ぎゅーってしたい!
秋乃がそう思うほど可愛い侍女は、態度は立派な侍女だった。
「アキノ様、お待ちしておりました」
美しく前で手を揃えて腰をきっちり45度に折った礼をするシエラに、秋乃は躊躇いなく近付いた。
「お疲れではありませんか? お部屋もご用意が整っております。お休みになられますか?」
前回、疲れていた秋乃を労わってくれたのはシエラだ。目の下に浮いたクマを見ていたシエラは、今日は余所行きに整えた秋乃の姿に心配そうに疲労を探す。
そんな気遣いが嬉しくて、秋乃は笑った。
「大丈夫! 今日はしっかり寝てきたからね。リリーに会いに来たんだ。会えるかな?」
秋乃の笑顔にシエラも微笑み、もちろんですと頷く。
「妃殿下はずっと、アキノ様をお待ちしておりました」
促されて部屋から出ようとすると、クロゼットの傍にいたアイアスが近付いて、
「お送りしますよ」
と笑った。
シエラがいるからいいんじゃないのか――秋乃は思ったが、ここにどんな常識があるのか解らない以上口出しは出来ない。
シエラが答えるのを大人しく待つと、シエラは秋乃に向けたのとは違うキリっとした表情でアイアスを見上げる。
「外に侍従を待たせておりますので」
つまりそれは結構ですってことだ。
秋乃はそんなにきっぱりと断ると思わなかったので、少し驚いた。
「侍従より僕のほうが強いよー」
「案内に強さは関係ございません」
そもそも、この城内で騎士の警護が必要なのは王と王妃、そして位の高い貴族らしい。秋乃はもちろんその中に入ってはいないが、今は日中で城の中に普通の警備が存在する。
目立つように警護に騎士を立てる必要はない。
それでなくても目立つと自覚している秋乃としては、シエラの意見に賛成だ。
肩を竦めてシエラの言葉に引きさがるしかなかったアイアスだが、そんな仕草も似合うのは異世界効果かこの人が良い容姿をしているからか、と秋乃は考えながら、それを跳ねのけて勝ったシエラが上だと思った。
ドアを出ると、そこにシエラの言った通り侍従と呼ばれる人がいた。
シエラの恰好を侍女のお仕着せだとすると、彼の姿は侍従のそれだ。シンプルな長衣は学ランの裾が伸びたようだ。ただ、学ランよりも凝ったデザインが施されている。
秋乃を見て、気を付けのまま頭を下げる彼に、それぞれの役目によって礼の仕方が違うのだと秋乃は教えてもらった。
リリアの部屋に着くと、寛いでいたリリアがソファから勢いよく立ちあがって秋乃を迎えた。
本当に飛び出さんばかりの勢いで、秋乃は歓迎されていると少しほっとする。
「アキノ!」
「お邪魔します」
喜びをいっぱいに見せるリリアの表情は泣き出しそうにもなっていた。
「嬉しい! 待っても待っても会えないから、もしかしたら夢だったのではないかと思っていたの・・・」
まさかリリアも同じように感じたとは。
秋乃は同じ不安を持ったことに少し笑ってしまった。
「私も、ちょっと不安になってました。夢じゃなくて良かったです」
「アキノ、普通に話してちょうだい。アキノは私の大事なお友達でお客様なの。壁をつくられるのは嫌だわ」
秋乃の手を取って隣に座らせて、本当に悲しいと目を伏せるリリアに、秋乃はすぐに白旗を上げた。
しかしこの部屋はリリアの部屋で、私室であるのだろうが、侍女の数も多いし護衛の騎士も揃っている。秋乃は少し戸惑いながら、申し訳なく頷いた。
「ええと・・・じゃあ、リリーの部屋でだけ、でも良かったら」
リリアはそれが何より嬉しいと言わんばかりににっこりと微笑む顔は、世界中で一番のお姫様そのものだった。
「アキノ、ずっとどうしていたの? お仕事が忙しかったのかしら? アキノがイッシュウカン後って言ってたから待っていたのだけど、イッシュウカン後がいつなのか、私ったら聞くのを忘れていて」
本当に不安だったと言うリリアに、秋乃も失敗した、と思い出す。
地球で一週間後は一週間後だが、きっとこの世界は日の巡りが違うはずだ。何しろ、すでに季節が違うのだから。
「ああ・・・! ごめん、ごめんね。日本じゃ、一週間っていうのは7日のことなの。仕事によってサイクルが違うこともあるけど、私は5日仕事をして2日休みがあるの。合わせて7日ね。だから休日が7日後なの」
「まあ、そうだったのね。じゃあ、次も7日後ね? 長い気もするけど、待っているわ」
華が綻ぶように笑うリリアに、秋乃はそもそもこの相手こそ休日などない職業なのではないだろうかと思った。
何しろ、王妃殿下と呼ばれる存在なのだ。
王さまに休みなどないだろう。同じように、王妃さまにも休みはない。
大変だろうなぁ――秋乃の心配など、烏滸がましいものなのかもしれないが、それでも秋乃の存在で喜んでくれるお姫様を心配しないでいられるはずもない。
「じゃあ、明日もお休みね? 明日も一緒に居られるのね?」
「あ、ごめん、今週は忙しくて――明日はもう仕事なの。今日中に帰らないと・・・あ、ごめんなさい。ほんとに」
輝いていた笑顔が、秋乃の言葉でまさに萎んでいくように陰るのを、秋乃は本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
いったいどうしたら、この美しい人が笑顔になるのか、秋乃は誰か助けて欲しいと部屋を見渡して見るが、礼儀正しい侍女たちは秋乃とリリアを見守っているだけだし、入り口に立っている騎士は銅像のようだ。
シエラに視線を送っても、申し訳なさそうなものとぶつかるだけで、秋乃はおろおろとしてしまう。
「あの、また休みのたびに来るね? 私がここで何が出来るってわけじゃないけど、リリーの話し相手とかにならいくらでもなるから」
落ち込まないで、と励ます秋乃に、リリアはぱあっと顔を明るくして上げた。
「そうだわ!」
元気になったのかと思ったが、リリアは何かを思いついたようだ。
「ヴァレリーと結婚すればいいのよ!」
「・・・はい?」
「婚約なんて言ってないで、早く結婚しちゃうの! そうしたら秋乃はもう働かなくてもいいし、ずっとここに住んでいられるでしょう?!」
なんて名案だろうとうっとりするリリアに、秋乃は一瞬何を言われているのか解らなくて止まってしまう。
「とっても素敵だわ! ねぇ秋乃、結婚式のドレスは私に選ばせて!」
「いやいやいや! 待って待ってリリー! 落ち着いて!」
目をキラキラとさせる笑顔は最初に秋乃を見つけたときと変わりがない。本当に嬉しそうで楽しそうで、その顔が曇ってないことは秋乃としても喜ばしいことだが、その内容は秋乃には受け入れられないものだ。
「しません! あの人と結婚はしません!」
「どうして? とってもお似合いよ?」
「そういう問題ではなく!」
秋乃とヴァレリーがお似合いとは、やはりリリアの目はちょっと曇っているのかもしれない。
秋乃は常に不機嫌な顔をしている男を思い出し、顔を顰めて横に振る。
「そもそも婚約者とか私はまだ認めてないし、向こうだって迷惑でしょう? 普通に考えても、ほぼ初対面の人と結婚とかもあり得ない」
「そうかしら?」
不思議そうに首を傾げられて、秋乃はよく読んだ小説を思い出す。
貴族の結婚とか、そうか、お見合い相手とほぼ初対面で結婚とかが普通か――世界観の違いに秋乃は今更気付いた。
「私はそれに、この世界の人間じゃないのよ?」
「だから、ヴァレリーと結婚すればいいのよ。忙しいお仕事だって、しなくていいの。ずっと一緒に居られるわ」
華のように笑うリリアに、秋乃は背中がひやりとした。
どうしたらいいのか、解ってもらえるのか、自分の考えが理解できない相手に、何を言えばいいのか解らず苦笑するしかない。
「・・・リリー、私は、好きで仕事をしているの。忙しいって言う理由で、辞めたいと思ったことはないの。働ける限り、ずっと働いていたいの」
それは婚約者がいようといまいと変わらないものだ。
今までだって、付き合っている相手がいても秋乃の考えに変化はない。仕事は結婚までの暇つぶしではない。むしろこの年になると、仕事優先で生きていきたいと思うくらいだ。
結婚したいと思う相手が出来たとしても、きっと仕事を辞めないでいられるよう、頑張るはずだ。
冷静な声で、しかし子供に言って聞かせるような声になった秋乃に、リリアは今気付いたように浮かれていたものをすべて萎ませた。
「・・・ごめんなさい」
はっきりと落ち込まれると、こんなに居心地の悪いものはない。
今度は秋乃のほうが慌てた。
「あー、いや、ううん。リリーは私を心配してくれたんだよね? ありがとう。でも、私よりリリーの仕事のほうが大変でしょう? 私がリリーの息抜きに慣れるなら、休みのたびに来るから。あ、と、そうそう、お土産持ってきたんだよ、私の好きなもので申し訳ないけど、美味しいチョコレートなの」
秋乃はそこで思い出したように持っていた紙袋を見せる。
世界的に有名なロゴが入った袋だが、こっちでは何が入っているか解らないだろう。
お茶を淹れてもらって、一緒に食べようと中の包装を取ろうとすると、どこからか現れた手がそれを奪った。
「なに?!」
驚いて見上げると、ソファの後ろからヴァレリーが立っていて、上から秋乃の持っていた小さな箱を取り上げていた。
いったいこの人は、いつの間に入ってきていつそこに立ったの――もしかして近衛司令官って忍者か、と秋乃が驚いていると、不機嫌で冷ややかな視線がひたりと降りてくる。
「こんな得体の知れないものを、妃殿下に触れさせられるわけにはいかない」
「え、得体の知れないって、チョコレートですけど」
「どうだか」
この世界にチョコレートってあるんだっけ? 秋乃は考えながらも、見下ろしながら見下している男の冷たいものに怒りが込み上げてくる。
つまり、私が毒でも盛っているって言いたいのね?――秋乃はそんな風に疑われたことに感情が高ぶるが、目の前のリリアが心配そうで、そして申し訳ない顔で秋乃を見つめている。
ああ、そうか。
秋乃はそれで理解した。
リリアはこれを、食べるわけにはいかないのだ。
秋乃が持参したものを、手にすることは出来ないのだ。
それはリリアが王妃さまだからで、その身が誰より守られているべきもので、いくらリリアが秋乃と砕けて接してくれようとも、守らなければならないラインがある。
それが、ここだ。
王さまや王妃さまが口にするものは、毒見役がいるに決まっている。
そうして、大勢並ぶ侍女の数と、決して動かない護衛の騎士。
彼らはひとりとして、飾り物ではないのだ。
秋乃は浮かれて膨れていた風船が、弾けて割れるのではなく、空気が抜けて萎んでいく感じがした。
浮かれていたのはリリアではない。
小説の中だけだと思っていた、夢のような異世界。王さまと王妃さまがいて、騎士やメイドさんが溢れて、心ときめくような世界。
そんなことが目の前に広がって、まるで物語の中にいるようだと浮かれていたのは秋乃だ。
現実を知って冷静でいたような気持ちでいて、まったく現実だなんて思っていなかった。
口にするもの、手に触れるもの、すべてに緊張が強いられて、自由でいてまったく自由ではない王族の生活。
自分は安全だなんて思っているのは秋乃本人だけで、周りから見ると秋乃の存在はどこより異質で警戒すべきものでしかない。
カオル姫と、曾祖母である雛子の血縁というだけで秋乃は素晴らしいほどの高待遇だが、それもその事実を証拠づけるものなど何一つとして存在しないのだ。
秋乃は胸の中に、納まりきらないもやもやとしたものが渦巻いているのを知っていたが、それを表に出すほど子供でもない。
深く息を吐き出して、精いっぱいに笑顔を作った。
「ごめんなさい、リリー、次から気を付けるね――それは、そちらで処分してください」
それからまだチョコレートを持ったままの男を見上げて続ける。
不機嫌な顔に変化はなかったけれど、その顔を今更気にしても仕方がない。
「アキノ」
「一緒にお茶をするのはいいの? シエラにまた、美味しいお茶を淹れてもらいたいな」
「ええ・・・お願い」
リリアは翳りのある笑みを浮かべて、壁際の侍女たちに合図を送った。
それから決まっている動作で王妃さまのためのお茶の用意がなされた。
ああ、王妃さまって、本当大変。
秋乃は用意されたお茶請けも美味しい、と笑いながら、リリアとのお茶会を楽しんだ。
リリアは思い出したように、秋乃にいろんな質問をして(主に秋乃の生活についてだ)この世界のいろんなことを教えてくれた。
それだけで、穏やかな時間はすぐに過ぎて行ってしまった。




