34 チョコレートと忘年会 ①
土曜日に休日出勤し、ホテルとの打合せをした後で流れをまとめるために秋乃たちはこれからの打合せを兼ねて少し高めの食事をした。
もちろん部長からポケットマネーをせしめたのだ。
これからの忙しさを思うと、少しくらい高い食事をしても罰は当たらないだろう――筑波と赤松と3人で舌を満足させた。
その帰り、秋乃はデパートに寄ってお気に入りの店のチョコレートを買った。
これは、向こうへのお土産だ。
向こうへ行くと、なし崩しで衣食住の世話になる気がする。かといって、ホテル代のようにお金を払うのも違う気がする――そもそも通貨が一緒じゃないと思われる――だから、手ぶらで行くよりは何か喜んでもらえるものを考えて、秋乃の好きなものにしたのだった。
日曜の午後、二度寝までたっぷりと寛いでから、秋乃はちゃんと服を着替えてメイクをして箪笥に向かった。
アイボリーのパンツにVネックのカットソー。それからざっくりと編み込まれたカーディガン。
外の気温を考えると寒い恰好だが、向こうの気温は春のようだったのでこれで充分のはずだ。
仕事終りの疲れた顔ではなく、きっちりと化粧をして、手土産を持って秋乃は箪笥に手をかけ、一息に押した。
「――うわっ」
構えていても、やはり身体が壁に沈む感覚は慣れない。
これに慣れる日が来るの?――そう思いながら、慣れるまできっと何度も通ってしまうことを秋乃は知っている。
チョコレートの入った紙袋が、向こう側の床にどさりとぶつかる様に落ちた。もちろん自分も膝から崩れて落ちた。
「うう、ここにクッションおいておくべき・・・?」
秋乃は膝が平らになった気がすると手で撫でながら顔を上げると、クロゼットのドアは少しだけ開いていて向こうからの明りが差し込んでいた。
立ち上ってそっと開けようとしたが、まるで自動ドアのように扉は向こうへ開かれる。
部屋の中に立っていたのは、ヴァレリーではない。
ここはヴァレリーの執務室だったはず――そう思いながら初めてみる男がそこにいた。
癖のある赤毛は顎のラインまであって、前髪とも横髪とも区別付かない全部を後頭部に集めて結んでいる。短く届かない部分が表情に掛っていた。目鼻立ちは整っていて、秋乃を見ていた目が一度驚いて、それからにっこりと笑った。
か、かわいい――どう見ても同年代か少し年上の男なのだが、笑った顔はこちらの警戒心をなくすような顔だ。
「――アキノ様ですね」
「あ・・・はい?」
初対面のはずなのに、問いかけるでもなく名前を呼ばれて秋乃が首を傾げてしまった。
「どうぞ、王妃殿下が首を長くしてお待ちです」
「はい?」
クロゼットから出てくるように手を差し伸べられるが、エスコートされることに慣れてない日本人がいきなり手を取れるはずもない。
秋乃がその手とにこやかな顔を見比べていると、不機嫌な声が割って入った。
「アイアス、仕事に戻れ」
この部屋の主であるヴァレリーが見間違えようもない不機嫌な顔でそこに立っていた。
アイアスと呼ばれた男はにこやかなまま、ヴァレリーに答える。
「隊長、俺の仕事は今の報告で終わりです。夜勤上がりなんでもう今日はあがりです」
「なら早く帰って休め」
「忙しい隊長に代わって、アキノ様を王妃殿下のもとにお連れするくらいは出来ますよー」
最後は楽しそうに笑いながら秋乃を振り向いたアイアスは、この不機嫌な男が怖くないみたいだ。
秋乃はそれでもどうしていいのか解らず不機嫌な男とにこやかな男を見比べて、途方に暮れた。
ここが自分のテリトリーなら、会社であれ生まれ育った場所であれ、自分が判断出来るならここまで戸惑わないのだが、この世界で秋乃が異質だ。
思うように振舞って、それが誰かの不利益に――とくに愛らしいリリア王妃の立場が悪くなるようなことは避けたい。そう思うと素直にどちらの手も結構ですとは言いにくい。
目の前の二人を見て、秋乃は最初からやり直したいと切実に思った。
なんてゆうか、突然てゆうか行きあたりばったりっていうか、そう、なし崩し――この状態が自分でも落ち着かなくて、秋乃は自分が社会人として、大人としてどうするべきなのか、迷ってしまうのだ。
そもそも、異世界トリップなんていうものが、突然な現実であることは確かだ。
秋乃は自分が小説の中のような、不思議な場所にいることを改めて感じて、そうして自分を保つために、目の前の相手に頭を下げることにした。
「初めまして、アキノ・ハヤマと言います」
「・・・初めてお目にかかります、近衛第三部隊団長アイアス・フォンダードです」
アイアスは一瞬驚いた顔をして、しかしすぐに面白そうに目を細めて騎士の礼なのだろう、右の拳を握って胸に当てて、腰を折った。
さすがは軍人さんっていうか、格好が綺麗――秋乃はその姿に見惚れながらも、不思議な言葉を聞いたと首を傾げた。
「団長? 部隊なのに、団長なんですか?」
「言われてみると不思議ですねぇ。でも慣習と言いますか、昔からなので気にしたこともないですねぇ」
でもさっき、ヴァレリーを隊長って呼んだ。司令官なのに――しかし突っ込むことはない。この世界の理を、秋乃が気にしても仕方のないことなのだ。
ただ、不機嫌な男よりも絶えず笑みを浮かべる初対面の男に、愛想が良いからといってすぐに心を許せるほど秋乃も素直ではない。
そもそもこの人は、秋乃のことをどこまで知っているのか――秋乃はどうしたらいいのか考えて、判断はここで一番上の人間に任せることにした。
「王妃さまに会いに来たんですけど、お会いできますか?」
眉間に皺を寄せて、やっぱりこれがデフォルトですと言わんばかりに不機嫌なヴァレリーを見上げると、少し頷いて返される。
「ああ、案内するから少し待て――」
「隊長、僕がお連れします」
割って入ったアイアスを、ヴァレリーは不機嫌なまま睨み付ける。
部下なんだろうけど、そんなに睨んで大丈夫なの――秋乃が少し心配になるくらいヴァレリーは不機嫌だ。
毎日こんなに機嫌が悪くて、この男は人生大変だなと他人事ながら溜め息を心の中で吐いた。
ヴァレリーは不機嫌なまま少し考えて、仕方ないかと言うように頷いた瞬間、この執務室のちゃんとした扉がノックされた。
「王妃殿下付き、侍女のシエラです」
扉の向こうから聞こえたかわいらしい声に、秋乃は目を輝かせる。
愛らしいメイドさんの姿を思い出すと同時に、この場の助けが入った、と思ったのだ。




