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週末☆トリップ  作者: 秋野真珠
第一部
34/56

33 夢の確認 ②



無言で見降ろされ、秋乃はどうしようかと戸惑った。

秋乃に謝る意味がないことを知り、なのに謝ったことを怒っている気がする。

ヴァレリーが正しい。この場を誤魔化そうとした秋乃が間違っている。

そのうちに、諦めてくれたのは向こうだった。

「――立て。いつまで座っているつもりだ」

諦めたというより、呆れた声だったが、秋乃は従うことにした。

自分にしても、いつまでも床に座っていたいわけではない。

それからクロゼットのドアを大きく広げてヴァレリーが部屋へ入る様に促してくれることに少し驚いた。

早く帰れとか言われると思ってた――秋乃は部屋に踏み出す前に足を止めて扉を開けて待つヴァレリーを見上げる。

秋乃より、頭ひとつは高い。秋乃の伸長は163センチだ。高いとは言わないが低いとも言えない。これにヒールを履くと、たいていの男と並ぶほどの高さになる。

しかしヴァレリーなら決して追い抜くことにはならないだろう。

「入らないのか」

いつまでも立ち尽くしている秋乃に、ヴァレリーが訝しんだように見つめてくる。

それは不機嫌な顔ではなかった。

秋乃は初めて普通の顔を見た気がすると驚いて、目を瞬かせてヴァレリーを見返す。

「なんだ」

「あ・・・いえ、なんでもないです」

問われて、普通の顔に驚いただけですとも返せず視線を外して部屋へ踏み込む。

秋乃はいつもの仕事帰りのパンツスーツで、つま先はストッキングの先だ。ヴァレリーはそれに気付いて視線を落とした。

「どうして靴を履いてない」

「え、あ」

そういえば前回もそうだったとヴァレリーは疑問に思ったのかもしれない。

ヴァレリーの足元は踏まれたら痛そうな網上げのブーツだ。麻で編まれたようなズボンにベルト、半袖のシャツは優しい素材には見えない。そして腰の太いベルトには、今はなにもかかっていないがきっとあそこに長剣が入るのでは――と思うような輪がある。

この人は軍人さんなんだ――秋乃は改めてその事実に気付いた。

「この箪笥の向こうは私の部屋だからです――ええと、日本では、部屋の中では靴を脱ぐ習慣になってるので」

説明の途中でヴァレリーが意味が解らないというような目をしたので、途中で切り替える。

「何故」

「なぜって言われても・・・そういうものなんです」

「意味もなく靴を脱いで、有事のときはどうする」

有事って何かあったらってことよね――秋乃は言われたことを考えて、どうするんだろう、と改めて考えた。

地震とか、災害とか、確かに裸足じゃまずいよねえ――考えながら、それでも靴を履いたまま部屋に入ろうとは思わない。

そういえばどうして、と考えながら、まだヴァレリーから見つめられていることを思い出した。

「――次までに、意味を調べておきます」

「調べないと解らないことが習慣なのか?」

おかしな国だ、とヴァレリーが笑った。

笑った――秋乃は自分の表情筋が固まったことに気付いた。

不機嫌な顔がディフォルトだと思っていた。それ以外出来ない顔だと思っていた。

普通の顔も想像出来なかったし、ましてやこの男は笑うなんてことはないのだろうとまで思っていたのだ。

その顔の変化に、驚きすぎて秋乃は固まってしまったのだ。

驚いた秋乃に、ヴァレリーは理解出来なかったようだ。

「なんだ」

「なんだって・・・あの、いえ、なんでもないです」

「そんな顔をしておいてなんでもないと? 言う気がないのなら呆けた顔をするな」

呆けた顔?

秋乃は無表情に近い顔に戻ったヴァレリーに、一気に沸点が上がった。

さっきの笑った顔はきっと秋乃の見間違いに違いない。

「これが地顔です!」

「おかしな顔だな。ニホン人はそういうものなのか」

「――ッ」

くそう、ああ言えばこう言う! こんな男大嫌いだ!――秋乃はポンポンと言い返されることに上手く反論出来なくて、ますます顔を顰める。

きっと、子供みたいに怒った顔になっているだろうと思っていても、そのままヴァレリーを睨みつけることが止められない。

いったいどうして、この男は秋乃を怒らせることを言うのだろう――思いながら、そういえば押し付けられようとしている婚約者なのだった、と思い出す。

ヴァレリーにしてみれば、突然現れた雛子の血縁だからという理由で婚約者にさせられた秋乃を気に入るはずもない。

降って湧いたような秋乃を暖かく受け入れるリリアやクリフォードが不思議なのであって、ヴァレリーにすると目障りな相手でしかないはずだ。

「――帰ります」

「待て」

踏み出した一歩を翻してクロゼットに向き直ると、背中に引きとめる声がかかる。

どうして止めるの――睨みながら振り返ると、思ったよりもヴァレリーの身体が近くにあって慌てて身体を離す。

「な・・・んですか」

「こんな時間だから王妃殿下は呼べないが、部屋は用意する。というより、どうして毎回こんな時間なんだ」

そういえば前回はもっと遅かったかも――秋乃は時間を思い出しながら、少し離れたヴァレリーを見上げた。

「仕事から帰ってきたらこの時間なんです――部屋はいいです。もう帰らなきゃ」

明日も仕事で、もう休んで眠りたい。

なんだか一気に疲れが増した気がする。秋乃はじりじりとクロゼットの中に入ろうとするのだが、ヴァレリーの顔は眉間に皺を寄せたいつもの顔だ。

「こんな時間まで仕事? いや、仕事はいいが、ならどうして来た」

どうして――秋乃は最初の質問に返ったことに気付いた。

しかしその答えを、素直に言う気になれない。どうやって誤魔化そうか考えているのに、ヴァレリーの視線はそれを許さないほど強く秋乃を見ている。

不機嫌な顔で、圧力までかけられて、秋乃は逃げ場がないことを知る。

それでも視線を合わせていることが出来ず、顔を背けながらしぶしぶ口を開いた。

「・・・夢じゃないって、確かめたかったから」

「夢?」

意味が解らない、とヴァレリーの声が言っている。

秋乃は解れ! と理不尽にも腹を立てながら、怒鳴り返すことも出来ず言葉をつらつらと繋げる。

ここは夢の国だ。

どこかに違う世界があるのかもしれないなんて夢想していたのは子供のときだけで、今は想像もしていなかった。まさかおばあちゃまとそんな繋がりのある場所があるなんてことも、人生において想定外だ。

そんな世界に一度は足を踏み入れたものの、あっさり現実に帰ってしまってから、本当にあったのかどうか不安にもなった。

もし夢だったら。箪笥はただの箪笥で、秋乃の現実逃避だったとしたら。

一度だけの夢を見させて、それはあまりに酷い仕打ちだ。きっと秋乃は夢を見る前より落ち込んでしまうだろう。

ならいっそ夢なんて見させなければ良かったのに――そう愚痴にもなるような途中で、ヴァレリーが止めた。

「――解った。もういい」

もういいってなんだ――秋乃は説明を求めたくせに、途中で切るなと怒りたい。

拗ねたような気持ちのままヴァレリーを睨むと、腰のベルトに付いていた飾りを外した。

「持って帰れ」

モッテカエレ?

秋乃は差しだされたそれを、理解できず見つめる。

「うちの家紋が彫ってある。そちらにはない模様だろう」

確かに、花と葉が絡み合った模様が彫り込まれている金属はバックルのようで、後ろに止め具が付いているようだ。

これを持っていれば、ここが夢じゃない証になる。

秋乃はそう理解したものの、差しだされたものを上手く理解出来なくて戸惑った。

ううん、理解出来ないのは、この人がそんなことをしたからだ――秋乃はバックルとヴァレリーを何度も見つめて、差しだされた手が引かれることのないのを確かめて、ゆっくりと手を広げた。

その上に乗った重りは、確かに現実だった。

「早く帰れ」

秋乃に飾りが移動したとたん、ヴァレリーの低い声が響く。

こんなものを渡しながら、帰れと言い放つ男の思考が解らない。

「帰ります!」

言われなくても――秋乃は冷たい飾りを握りしめながら、すぐにヴァレリーに背を向けてクロゼットの中の箪笥に手を伸ばした。

そのまま一気に小引き出しを押し込んで、向こう側へ倒れ込む。

箪笥を押し込むように身体は沈み込むのだが、気付けば目の前に硬いものはなく、床にどさりと座り込んでいる秋乃だけがいた。

「いたた・・・てか、毎回こんなふうなの?」

秋乃は見慣れた部屋に座り込みながら、また膝を打ったと手で擦る。

そうしてその手に、行くときはなかった金属のバックルがあることに気付いて、夢じゃないんだと見つめた。

不思議な模様だ。

そして、不思議な男だ。

常に怒っていると思っていたのに、表情は動くものだったらしい。

秋乃が目障りなはずなのに、こうして証にとバックルをくれる。

理解不能。

秋乃はヴァレリーという男を、そう判断した。

そうして考えることを止めて、疲れた身体を思い出し明日の仕事のために眠ることにしたのだった。




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