28 あけた日常 ①
ピ――とFAXが届いた音が響いた。
日常業務にある営業部のフロアでは気に留めることのないほどの雑音だ。
各机から鳴る電話の音、それに対応する声、書類を扱う音、話し合う声――秋乃は週末を終えて、いつもと変わらない日々に戻った。
いろんな音を聞きながら、それを雑音と判断し、自分の仕事に没頭する。
それが出来てこそこの営業部では仕事が出来るということになる。
2年も経てば、秋乃もその雑音の一部に慣れたものだ。
「羽山さん、お願いしてた書類の資料なんだけど、今FAXが来たんだ。確認してくれる?」
スーツを着た同僚に言われ、自分の机でパソコンに向かっていた秋乃は肩越しに振り返り、
「メールじゃないんですか?」
「ああ、うん。向こうも相手先からFAXを貰ったみたいでね。それをそのまま――」
チッと舌打ちしたのは、無意識だ。
資料は細かな字で、FAXになれば読み取りにくい場合が多い。しかもFAXのFAXともなれば、解読不可能なものも出てきておかしくない。
それの確認すら忙しいときには手間なのだ。
「・・・機嫌悪いね?」
狼狽えた声を隠さず同僚が心配してくる。
しまった、さすがに舌打ちはないな――秋乃は自分の狭量に溜め息を吐きながら、改めて椅子ごと振り返る。
「すみません。少しイライラしてました。気を付けます」
「いや、舌打ちしたくなるのも解るし、申し訳ないなとも思うからいいけど。なんかあった?」
「別に――」
気にしないでください、と言いかけて、不機嫌な顔をしていて気にするなもなにもないだろうと秋乃自身呆れる。
忙しいとはいえ、同僚にやつあたりするってどうなの――秋乃は少し気持ちを落ち着けた。
そもそも、イライラしていたのはプライベートのことで、仕事には関係がない。
「週末、エアコンをつけっぱなしにして出かけてしまってたんです」
「ああ・・・」
同僚の男はそのどうしようもない遣り切れなさを理解してくれたのか、溜め息と一緒に苦笑した。
「そりゃどうしようもないな――まぁ今度、憂さ晴らしに飲み会開くか。愚痴聞くよ」
「愚痴言うよ、の間違いじゃないんですか?」
椅子に座ったまま、下から覗き込むように口元を緩めると、明るく同僚も笑う。
「ははは、そうとも言うかもなぁ」
営業部は社内で一番戦友と思える人間が多くなる場所だ。
外回りで忙しい営業回りをしている者を支える事務を受けるものも、同じチームとなって進む。
だからこそ自然と仲が良くなるのだ。
しかしなあなあになるのではなく、適度な緊張感もある。秋乃はここの空気が気に入っていた。
忙しいとはいえ、この仕事が好きだ。
仕事をした、やりきる、やりきった、と思える瞬間が好きだ。
「まぁ年末に忘年会もあるしねぇ」
「そうですよねぇ・・・」
どしようもない愚痴を今から言いそうな溜め息を同時に吐いてしまい、そしてどうしようもないだろうと諦め、秋乃は背を伸ばす。
「とりあえず、目の前の仕事から片づけましょう。FAXください」
「はい、頼むね」
資料を受け取って、秋乃は机に向き直る。
仕事に没頭する中で、どこかで非日常だった週末を思い出していた。
あの、夢だったのではと思うような、今まで読んできた本の世界のお話のような、週末。
お姫様みたいな王妃様に出会った。
王子様みたいな王様に出会った。
騙されているんじゃないかと思うけれど、いつの間にか決まっていた婚約者なんてものにも出会った。
そして、知らなかった曾祖母の過去に触れた――秋乃はセピア色に褪せた曾祖母の記憶を、必死で思い出そうとした。
しかしなにしろ、曾祖母が生きていたのは秋乃が10歳になるころまでで、すでに20年近く前のことだ。
秋乃も成長して、いろんなことを学び知った。
曾祖母の話してくれた物語は忘れてはいないが、覚えきれてもいない。
穏やかな物語のようで、現実を知れば曾祖母の生きていた時代を思えば、幸せばかりではなかったはずだ。
その中で、いったい曾祖母は、どうやってあんなにも穏やかに話せるようになったのだろう。
秋乃は不思議に思いながらも、優しそうで強く厳しかった曾祖母を思い出し、おばあちゃまらしいかも――とも思っていた。
そして、液晶画面を見つめながら自然と目を据わらせる。
でもそれにしたって、勝手に婚約者を決めるとかそんな話、聞いたことはないけどね――秋乃は勝手すぎる展開に怒りを漲らせてもいた。




