25 婚約者 ⑤
ないないないないよ!
秋乃は短い髪が乱れるのも気にせず――気にならず、頭をぶんぶんと振る。
「ちょっと待って! そんなこと勝手に決められても困ります!」
そもそも、婚約者以前に、この世界のことを秋乃はまったく知らずにいたのだ。
百歩譲って、曾祖母の寝物語が真実だったとしよう。叶わぬ恋がそこにあったとしよう。
だからといって、どうしてそれを叶えるために自分に突然婚約者が出来なければならないのか――しかも始終不機嫌な男の。
不機嫌な男の不機嫌な理由に思い当っても、笑顔の国王夫妻に秋乃は混乱する。
「でも、ヒナコ様の想いも叶えてあげたいでしょう――?」
いや、そういうことでなくて!
婚約者が自分でなければ、もろ手を挙げて同意するシチュエイションだ――秋乃は背中に冷たいものが下がるのを感じる。
「ほら、ヴァレリーももっと嬉しそうな顔をしろよ。そんな顔だからアキノが怯えるんだ」
いや、その人のデフォルトは不機嫌な顔でしょう!
じつは笑顔も出来るんです、と言われても想像つかないし返って怖い気もするからやめてほしい、と秋乃は願った。
秋乃はだんまりを決め込んだ男を見上げ、必死になった。
「ちょっと、ねぇ! 黙ってないではっきり言ってください! 貴方も嫌でしょう? 困ってるんでしょう?」
だから不機嫌な顔なのだろう。
おそらく、この場所で秋乃と同じ思いなのはこの男だけだ、と秋乃は縋りつくように迫る。
ヴァレリーはじろり、と秋乃を見下し、ため息のような息を吐いた。
「確かに困っている。そもそも、そんな昔の勝手な言いつけなど大人しく守る必要性を感じない」
「そ、そうですよ! いくらおばあちゃまの願いがそこにあっても、私にだって好みってものがあります!」
そりゃ国王さまのような王子様が婚約者です、と言われればちょっと考えるかもしれないが――秋乃は強面の男は自分の好みでも理想でもない、とはっきり告げる。
そして、視線を合わせたヴァレリーの目が、笑っていないのに嗤ったのが見えた。
背中が寒くなったのを自覚するまえに、ヴァレリーが口を開く。
「確かに、カオル姫のような女性なら考えないでもないが――お前のその恰好はニホンでの普通の恰好なのか? 本当に女として生活しているのか?」
かっちーーーん。
今、再び何かのゴングが鳴りました。
秋乃は張り付けたような笑顔を顔に浮かべて、婚約者だという男を睨み返す。
「かおる姫の時代と今はまったく違うので。現代日本は女も戦って生きるものなんです。綺麗な恰好をして守られてるだけの相手は少なくとも私の周りにはいません」
「戦争でもしているのか? その細腕でいったい何を守って戦うというんだ?」
「プライドを守って戦ってますが? 女だってだけで見下す男どもを見下すのが最近快感になってしまって」
うふふふふ。
あはははは。
空耳のように乾いた笑い声が聞こえる。
不機嫌な笑顔は、秋乃を冷静に怒らせるにはもってこいのものだった。
「打ち解けているみたい」
「そうだね」
ちょっとそこの国王夫妻!
いったいどうしてこの会話を聞いていて、そんな感想が出る?――秋乃は宇宙人を見る目つきになって、ため息を吐いた。
同じように、ヴァレリーも息を吐いた。
それに気付いてもう一度視線を合わせるが、秋乃はしっかり目が合う前にぷい、と顔を横に向けた。
って、子供か私は――秋乃は自分の大人げない仕草に呆れながら、それでも顔を直そうとは思わなかった。
まったく違う世界に行ってみたいな、と思わなかったことがなかったわけではない。
もう大人になって、そんなことになったら困る、と常識も身に付いた。
しかしながら、現実に自分の世界に帰れる手段があり、ちょっと遊びに来る感覚でいられる夢見た世界が本当にある――秋乃はそのことに、胸をときめかせなかったわけではない。
しかし、このおまけは想定外だ。
おばあちゃま、本当にこんなことを望んで、私に呪文を教えてくれたの――秋乃は大好きだった曾祖母の想いが解らなくなり、もう一度ため息を吐いた。




