22 婚約者 ②
「本当に襲うわけないだろう」
再びお腹を抱えるように笑い始めたクリフォードと上品に鈴の音が鳴るように笑うリリアを横目に、ヴァレリーは忌々しそうに秋乃を睨んだ。
「・・・っそんなこと、今だから言えることでしょ!」
不機嫌な顔はまだ改められず、やはりこの男のディフォルトはこの顔なのだ、と秋乃は確信しながらもう一度反射で答えた。
確かに、昔から知っている二人がこんなにも楽しそうな顔で笑っているのだから、ヴァレリーが強姦魔というのは不自然なことなのだろう。
さらにこんなに笑われてしまって可哀想な気もしないでもない。
だからといって、秋乃が昨日押し倒された事実が消えてなくなるわけではないのだ。
カンチョウ――間諜、と改めて言葉の意味を理解して、秋乃は不機嫌な男を睨みつける。
「間諜なら調べるって言ってたし」
「そもそも、俺の部屋に勝手に入っていたのはお前だろう。問い質して何が悪い」
確かに、突然クロゼットから得体の知れない女が現れたら訝しむのが当然だろう。
でもそれでも、不審者だと思うなら警察呼ぶとか牢屋に入れるとか――秋乃は本当にそんなことをされたら怖くて本当に泣き出していたかもしれないという事実を飲み込んで、ヴァレリーを見上げた。
それをじろりと人睨みで見下ろされて、思わず足が回れ右しそうになる。
ここで怯んでなるものか――必死で耐えたのは、これまでひとりで生きてきて仕事で偉そうな男性上司などに何度も刃向ってきた自信のお蔭だ。
ふっ陰険な経理部長の厭味ったらしいお小言に比べればこんなもの――そう思ったが一段と強く睨まれ、とっさに目を伏せる。
ううう、経理部長はこんなにしっかりした体格じゃない――秋乃にだって投げ飛ばされそうな貧弱な男と、目の前の男は180度違うところに立っている。
昨日の押さえつけられた力を思い出すと、背中がひどく冷たくなる。
誰だって、女なら、あんな風に力で抑えられたら、怖いし嫌だ――秋乃は思い出して震えそうになる身体をぎゅうっと手を握りしめてどうにか耐える。
「ヴァレリー、女性に対してそんな顔をしては怖がらせるだけよ。それにいくら婚約者でも、アキノを傷つけることは私が許さないわ」
怯えた秋乃に気付いたのか、リリアは一歩前に出てヴァレリーの強い目を遮ってくれる。
秋乃は優しくて強いお姫様に感動し、キラキラとした存在に一気に傾倒しそうになる。
「誰が婚約者だ」
ヴァレリーは低い声で訂正を入れながら、それでも睨むことに飽きたのか秋乃から視線を外した。
秋乃は何かの重圧から逃れられたように息を吐いたが、横を向いた不機嫌なヴァレリーにふと状況を考えてみる。
自分の部屋の、しかもクロゼットから、突然得体の知れない人間が出てきたらそりゃ警戒するわよね。しかも近衛司令官とか言ってるし、この人。たぶん、すっごく身分の高い人だし、そもそも何故か最初っから両手を広げて歓迎している国王夫妻の対応を見ていると、ちょっと警戒心なさすぎじゃないですかーって私でも注意したくなるな。自衛ってことを考えない上司を持つと部下ってどこでも苦労するのよね。
秋乃はそんな人いるわー、と自分を含め会社勤めの苦労を思い出していると、ヴァレリーの不機嫌さもなんとなく理解できた。
「・・・あの」
秋乃はリリアの後ろから改めてヴァレリーを見上げ、躊躇いながら口を開いた。
怖くなかった、なんて言えないけど、でも改めて同じ状況になってもこの人が私を襲うようには思えないのよね――秋乃はこの不機嫌さからして、と想像する。
「突然クロゼットに出ちゃったのは、私もよく解らないことでしたけど、驚かせてしまったのは謝ります。すみませんでした」
ちゃんと頭を下げると、ヴァレリーは秋乃をもう一度見下し、解ればいい、と言った。
解ればいい?――秋乃は顔を上げながら聞こえた言葉を頭の中で反芻する。
何その上から目線! そりゃ失礼なことしたかもしれないけどそれはお互い様でしょ――頭を上げきった瞬間、秋乃の中の一度は収めた怒りがもう一度頭を擡げた。
怯えたことなど忘れたように、最上級の笑顔でヴァレリーに向かう。
「以後気を付けます。私はこの世界のことはよく解りませんが、突然現れた女性を押し倒す慣習があるなんて本当に怖いところですね」
態度を改めずじろりと睨み下ろしたヴァレリーと目があった瞬間、戦いのゴングがどこかで鳴るのが聞こえた。
「――どうして子供に見えるような貧相な女をわざわざ襲わなきゃならないんだ」
「女と解った瞬間にベッドに押し倒したのはそちらだったと思いますが――?」
「正式に押し倒されたければもっと恰好を改めて来い」
「改めて貴方に押し倒されるくらいなら私は一生この恰好でいます」
ひきつったような笑みと、口端を上げるだけの皮肉な笑み。
お互いの間で散るのは火花だけだ。
その二人を見て、リリアは状況を理解していないのかそれとも思考回路が普通と違うのか、にっこり笑って自分の夫を見上げた。
「まぁ、とても仲良くなったのね。でも、いくら婚約者でもこんな明るいうちから寝室の話をするのは――二人きりのときにしてほしいわ」
当てられちゃった、と頬を染めるリリアに、そうだね、と同じ笑顔で返す国王。
今の会話のどこをどう聞いたらそんな解釈になるの――秋乃は目の前にいるのはもしかして言葉が通じる宇宙人か、とその姿を疑ってしまった。
そして何より、この目の前の男がどうしてそんなものになるのか――秋乃は「婚約者」という言葉の意味を改めて聞きたくなった。




