12 箪笥の向こう ⑦
「は、初めてじゃないって・・・ここに、他にも日本人がいるんですか? どこに?」
驚いたまま問いかける秋乃に、リリアがにっこりと笑う。
綺麗な人の笑顔は、相手の心も穏やかにする効果があるものだ――と秋乃は初めて知った。
「アキノはタンスから来たのでしょう? それはキリのタンスなのでしょう?」
「そ、そうです・・・」
「そのクロゼットからだったかしら?」
リリアが示す先には、秋乃が出て来たヴァレリーのクロゼットの扉が開いたままになっていた。
まず歩き出したクリフォードに従い、秋乃もリリアに手を引かれベッドから降りてその扉に向かう。
「聞いた話の通りだと、この壁にはタンスが――ほら」
クリフォードは扉を全部開ききってクロゼットに光を入れ、掛けてあった服を隅へ押しやると、そこには本当に秋乃の曾祖母のタンスがあった。
「え・・・っえ――? あれ、だって・・・いつの間に? どうして?!」
クロゼットの奥の壁に、まるで生えているように箪笥が置いてある。
この床に倒れたときは、真っ暗で後ろを気にする余裕もなかったが、最初から秋乃の背中にこの箪笥はあったのだろうか。
触れると、それは馴染みのある感触だった。
金具の錆び具合も、秋乃に見慣れたものに違いない。
ただ、小引出が左側から右側になっていて、3ヶ所出しっぱなしになっている。
その場所は、秋乃がなんとなくでビー玉を入れたあの場所だった。
「まぁ、これがタンスね? 大きな入れ物ね!」
リリアは初めて見た、と箪笥を前にはしゃいでいる。
そこでもう一度秋乃は首を傾げる。
箪笥を知っていたのではないのだろうか――秋乃は矛盾を感じていると、それが顔に出ていたのか苦笑したクリフォードが教えてくれた。
「我々は、見たことがあるわけではないんだ。ただ、ずっと昔から教えられてきたことを、知っているだけだ。この開いたままの部分を押すと――今度はこちらからニホンへの扉が開く、と」
「――?!」
秋乃の驚愕は、このとき一番大きな反応だった。
目を丸くして、クリフォードを見上げる。
「どうした?」
「か・・・帰れる、の?」
「ニホンに? もちろんだよ」
「ほん・・・本当、に?」
しっかりと頷くのを見て、リリアを見ると、綺麗な王妃も同じように頷いた。
それで、秋乃は何かが切れたようにその場に座り込む。
まさに電池が切れたように、へたり込んだのだ。
「アキノ? どうしたの?」
心配するリリアの声に、秋乃は声もなく笑ってしまう。
帰れる――それがこんなにも嬉しかったことはない。
不安で不安で仕方なかったのは、名前も解らないような恐怖に圧迫されてたように感じたのは、もう帰れないのでは、という漠然としたものが秋乃のどこかにあったからだ。
それがあっさりと解決して、今手の届くところに自分の安全で平和な場所があると知って、力が抜けるほど安堵したのだ。
「なんだ、帰れる――帰れるんだ、ああもう、びっくりした、本当、びっくりした・・・っあの仕事も終わってないし、部屋も片付けてないし、ああもう、本当、びっくりした!」
安堵すると、同じことしか言えなくなる。
秋乃はただ、この混乱全てがびっくりした、だけの事件に収まると解って繰り返した。
その秋乃の手を床から取ったリリアは、綺麗な顔に少し憂いを浮かべていた。
「アキノ、帰れるのだけれど――すぐに帰ってしまうの? 少しくらいここにいてちょうだい? 私、貴方に会って聞きたいことがたくさんあるの」
「えーはいはい。何でも、いくらでも答えますよー」
秋乃はここにきて、初めて笑顔になった。
すぐ手を伸ばすところにどこでもドアのような扉があるのなら、いっそこのファンタジーを楽しんでしまえ、という余裕が出て来たのだ。
目の前にいるのは夢に見ていたお姫様だ。
実際には王妃様らしいが、見た目にはお姫様に違いない。
そのお姫様は、輝くような笑顔になった。
こんな眩しい人を初めて見た――と秋乃は目を眇める。
「アキノは、なんだかカオル姫に似ているわ。もしかして、ヒナコ様に繋がる方なのかしら――?」
もう驚きつくした、と思っていた秋乃は、再度驚いた。
ヒナコ――雛子は、曾祖母の名前だった。