表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/7

五章 蒼空の眠り姫

基本はコメディなのですが、アクションやコメディ要素の一環として、血を見るような描写もあります。苦手な方はご遠慮ください。


 俺の実家――地下都市M四〇へ向けて、春菜先生が運転する、不整地走行用の六輪作業車が爆走していく。

 緩やかな草原の丘とはいえ、しかし整地された道路ではない。時速百キロを超すスピードで走れば、そりゃ車体は鬼のようにバウンドを繰り返すってもんだ。

「あのっ! 先生! もちょっと優しく急いで欲しいっていうかっ!」

 食堂で春菜先生に作ってもらった豪快なオニギリにかぶりつきながら、俺は一先ずそう懇願してみる。

 つか、俺が齧りつくオニギリは俺の血で真っ赤なんだが、これは誰かに殴られたとかじゃなく、春菜先生の運転がいかに――ええと、そう、『スサマジイ』のかって事を示している。

 とはいえ、口ん中を三ヶ所ほどと、舌先を少し噛み切ってる程度で済んでるのは奇跡に近い。

「なんどすかっ?」

 風に散らされた長い黒髪と、切羽詰っているが故ゆえの、ひどく血走った両眼。なによりその必死の形相。俺はそれを見て、

「いや、いいっス」

 その一言しか言えなかった。

「黎くん! キミの遺跡、どこら辺どしたっけっ? うぐっ!」

 俺にそんな事を訊いた直後、春菜先生がスジ目になって沈黙した。

 と、口の端から赤いものが一筋流れて、彼女の頬に一文字を描いていく。

 ……噛んだな。

 どこをどう噛んだのかは、敢えて訊くまい。

「いや、もうすぐそこ、ほら、俺達の接近感知して、あそこにもうエレベーターゲートが見えてます」

 俺が指差す方向に、俺が地下都市を出てきた時に使ったエレベーターゲートが、その円柱状の姿を晒している。そこまでは、もう百メートルも無いハズだ。

「了解どすっ!」

 春菜先生はそう言うと、更にスピードを上げ、豪快にゲートの真横に横づけした。


「ようこそ春菜先生。バカ息子がお世話になってます」

 俺達がエレベータに駆け込むと、ケージの降下と同時に、ウズメが耳に聞こえる音声で、そんな挨拶をした。

 一方の春菜先生は、慌てたように口元をハンカチで拭うと、乱れた髪や服装を手早く正し、深々と頭を下げる。

「これはご丁寧に。黎九郎くんのクラス担任、春菜・フォン・ヴァンシュタインと申します……て、あら?」

 顔を上げて開口一番、何かに気付いたように、春菜先生が俺の顔を見詰める。その頬は、こころなしか赤らんでいる気がした。

「ええと……その、息子……て言わはった気が……ひょっとして、黎くんのお母様?」

 そんな春菜先生の言葉に、俺は途端にそれに気付く。

 ……ああ、そうだった。春菜先生って俺の婚約者って事になってんだ。

 で、婚約相手である俺を『息子』と呼んでる何者かがいるという状況。春菜先生にしてみれば、青天(せいてん)霹靂(へきれき)、ってヤツに違いない。

「黎九郎、早くお母さん紹介してよ。ねぇねぇ」

 そんな俺達の複雑な心境を知ってるハズなんだが、いや、それだからか。ウズメは嬉々としてそんな事を言った。

「ええと……この声の正体は、ここの管理AI兼、俺のサポートAI兼、人格は俺の母親で、名前はウズメです」

「あらまっ」

 さすがに驚いたと見えて、春菜先生は目を丸くして、口元を両手の指先で覆った。そしてその貌が、徐々に真紅に染まっていく。

「そ、その、やはりお母様でしたかっ! ウチ、い、いえ、私、ちょっとしたなりゆきで、黎くん……黎九郎さんと、その、こ、婚約してしまいまして……ご、ご挨拶にはいずれお伺いするつもりではいたのですけれども……」

「あらあら、しっかりした方ねぇ、黎九郎。お母さん安心できるわ……春菜先生? これからも末永く息子のことよろしくお願いしますね?」

「は、はい! それはもちろん!」

「良かったわねぇ、黎九郎? お母さん、こんな美人の娘ができて嬉しいわぁ」

「ああそうかい。そりゃ良かった」

 ウズメの言葉に、俺はそれしか返せない。だいたい吸血鬼の嫁さんなんて末永すぎだし、娘ってオイ。オリジナルのお袋よりもずっと年上なんデスよ? それに――

 俺は春菜先生を一瞥してみた。

 頬を真っ赤に染め上げて、よほど緊張しているのか、視線が泳ぎまくっている。

 うん、多分、これは不慮の事故って類だ。あまりの事に春菜先生、ここに来た目的がすっかり頭から飛んでるカンジだし。

 つか、俺の母親は、当事者の一人である俺の意志とかはどうでもいいのか。

 ……まぁ、あのヴラド公の事だ。絶対に撤回なんかしないんだろうし、いずれはその意に従って、結婚しなきゃなんないんだろう。

 でも――

「……あれ、どしたの黎九郎? 嬉しくない?」

 俺の真顔をカメラで捉えたのだろう。ウズメがそんな風に訊いてくる。

「仕方ない思いますわ、お母様。黎くん、今回の一件やと、被害者みたいなものどすから……ウチみたいな子持ちの年上とやなんて……」

 どこかさみしげに微笑む春菜先生。確かに、俺だって被害者だとは思ってる。

 でも、春菜先生がどうの、っていうのとはちょっと違うんだ。

 俺は真顔で傍らの春菜先生を見詰めると口を開いた。

「俺、別に春菜先生がイヤな訳じゃないっスよ? ただちょっと、婚約者とか結婚とか、そんな事いきなり言われても全然ピンと来ないし、それに俺……リーユン、アイツが……」

 思考と、そして気持ちの整理がつかない。

 春菜先生は好きだ。笑顔はカワイイし、気持ちも優しいし、しっかり者だし、別に年上とかだって関係ない。つか、数百歳の歳の差なんてむしろピンと来ないし、見た目だけなら、たった数歳年上ってくらいにしか感じない。

 結婚しろって最高権力者が言うなら、別に俺には不満はないんだ。

 だけど――

 不意に俺の脳裏に、あの晩に見たリーユンの笑顔が映る。

 思った通り、いや、俺の想像よりも可愛いと思えたあの笑顔。でも、同時にそれ以上に悲しいと思ってしまった笑顔。あんな笑顔が見たかった訳じゃないんだ俺は。だから。

「俺……アイツの本当の笑顔、まだ見てないから……」

「……あら、結婚前からもう浮気の告白?」

「いや、せっかく気持ちが纏まってきたんだから、変なこと言うなかーちゃん」

 俺の決意に余計な水を差してくれる俺の母親。

 と、不意に春菜先生が俺の手を握った。

「ウチの旦那になる以上、ウチは浮気は一切許しませんえ?」

 そう言って俺を睨む春菜先生。

 だがその直後、彼女は優しく、柔らかく微笑んだ。

「そやけどウチ、母親として、リーユンの交際相手には黎くんがええて、思てましたんえ? ……そやから黎くん、ウチの娘、お願いできますか?」

『……は? どゆこと?』

 一瞬間を置いて、俺とウズメ、親子でハモっていた。

 そんな様子に、春菜先生はクスリと笑う。

「全ては、黎くんとリーユンが帰ってきたら、いう事で」


    ◆ ◆ ◆


 ウズメに誘われた、この地下都市のコントロールルーム。

 俺と春菜先生は、室内中央の大型ホログラムスクリーンに映し出された映像で、現在進行している状況の説明を受けていた。

 ホログラムは三つ。一つは現在この地域へ――正確には学園都市に向かって飛行している物体を、地下都市の外部カメラが捉えたリアルタイム映像。

 もう一つは、昨夜学園都市を飛び立った、リーユンが操縦していると思われる一人乗りライトプレーンの録画映像。

 そして最後には、飛行物体を解析した、いま現在知りうる限りの情報。

 物体は全長三〇〇メートル、全幅一三三メートル、全高一六二メートルという巨大なものだ。

 まるでマッコウクジラの尾ビレを切り落としたかのような形状をしているその胴体の下部には、左右九対、計十八本の、オールみたいな棒状の可動式装置がついている。

 そして、前面やや下方に見える直系二〇メートルの孔と、全体を覆う、三メートルくらいの長さの針のような構造物。

「……武則天(ぶそくてん)?」

 俺は、その物体の横腹にデカデカと描かれている三文字――の漢字をそう読んだ。

 それはまるで、巨大な筆の名人が一息に書き上げたような見事な字体だ。

「……これが……」

 不意に春菜先生の顔色が、青ざめたものに変わった。

「あら、先生知ってらっしゃるの?」

 そんなウズメの問いに、春菜先生が小さく頷く。

「リーユンを見つけた遺跡で、ツヴァイハーの情報と一緒に発見されたものの中に、極秘扱いで何重ものセキュリティをかけられていたデータがあったんどす……その解析は未だに進んでへんのどすけど、その名前と……『HH専用殲滅兵器』いう事だけは……」

「……なるほどね。C一八関連の古い資料と合致するわ。ハイ・ヒューマン計画と連動する、超弩級移動要塞建造計画。一応先生には断っておきますけど、当時は魔物に対して使うという発想はなくてですね……って、おんなじ事か」

 言い訳じみた事を言いかけたウズメ。だが、その気持ちは俺にも解る気がした。

 ハイ・ヒューマンとして覚醒してから、様々な情報が次々と俺の中に蓄積されている。

 旧人類が、再び地上世界を得る前提で想定していた事。

 それは、一つは荒廃した地上を、衰弱しきった人類に替わって切り拓いていく存在が必要になるだろうということと、もしかすると、人類が地下に潜っている間に、『他の知的生命体が地上を占拠してしまう』可能性。

 それはなにも、魔物というファンタジーな存在を前提としていた訳ではない。むしろ、『異星からの来訪者』に対するものだったという訳だ。

 つまり、俺やリーユンといったハイ・ヒューマンが人類に背負わされたものとして、『人類のため』に人類の敵と戦い、全ての脅威を排除して、人類を地上に導くという責務があるわけだ。

 だからこそ、旧人類よりも強靭で戦闘能力が高く、各種兵器や工作機械などを使いこなすため、生まれながらに各種の機器とリンクできる『マンマシンシステム』の能力を与えられている。

「つまり、俺もリーユンも、人間たちの都合のいい道具として生み出されたってワケだ」

 滑稽な真実に、俺は思わず苦笑する。人類のためにと生み出された俺達は、地上に出たその時には、すでに目的を失っていたという訳だ。

「黎くん……」

 俺の呟きに、春菜先生が悲しげな貌を見せた。

「生まれてこない方が良かった? 黎九郎」

 ふと、ウズメがそう問いかけてくる。

「どっちにしたってね、あたしも、お父さんやお祖父ちゃんも、人類に対してはもう諦めてたの。でも、それでもあたしは黎九郎を産みたかったし、お父さんもお祖父ちゃんも、アンタを精一杯愛したわ。自分たちの生きた証を残したかったって事もあるけど……でも、純粋にアンタが可愛かったのよ。人類の道具じゃなくて、あたし達のたった一人の息子であるアンタがね」

 そこまで聞いたとき、俺は、不意に視界が歪んでいる事に気づいた。

 AIであるハズの、ウズメの想いや思い出が、俺の中に流れこんでくる。

 難産の末に俺を産んで、消耗しきっているはずなのに、産まれたばかりの俺に満面の笑みを向けてくれたウズメ。

 だが出産が災いし、体力が戻らないままに合併症を引き起こして、その数日後に母さんは死んでしまった。

 俺の成長を見られない無念と、俺という息子を得たという誇りと、そして、なにものにも代え難い、母となった喜びを胸にして。

 死の直前に、この地下都市の量子コンピュータに分身を残した母さんは、それ以降『管理AI』として、俺をずっと見守ってきてくれたのだ。

 知らず、俺の頬を温かいものが駆け下りていく。

「あ、あれ……? やべ、俺、メッチャ恥ずいじゃん。ちょっ……先生、見ないでくれます?」

 気恥ずかしくて、俺は狼狽し、慌ててしまう。

 そんな俺は、直後に柔らかな春菜先生の胸に抱き締められていた。

 不覚にも、俺はたったそれだけの事で、感情を押し止める事ができなくなってしまった。

「うあ……ぐぅ……親父……じっちゃん……母さん……」

 止めようとしても、どうしても止まらない。

 そんな俺を、胸元が濡れていくのも構わずに、春菜先生は優しく抱き締めてくれる。

「ウチじゃ代わりにならへんかも知れませんけど。……そやけどお母様の気持ち……ウチにもよう分かります……それが、親いうもんどすから」

 俺の頭を撫で付ける、柔らかで優しい手。

 暫し、俺は身動きもできずにその感触を味わった。

「泣かせといてなんだけど、そろそろ泣き止みなさい黎九郎。リーユンちゃん、迎えに行くんでしょ?」

 少しのあいだ涙を流すと、不意にウズメの声が聞こえた。

「ありがと……先生」

 俺は先生の胸から離れ、袖口で頬を拭う。

 ウズメの言葉通り、もう泣いてるヒマは無い。俺は、親父やお袋、それにじっちゃんの意志を継ぐ者として、強さを身につけなきゃならないから。

 ここから先は、親父の遺言通りに、俺こそが人類の歴史を紡いでいかなくちゃならないから。

「ウズメ! じゃあ、アレを使うんだな?」

 俺はウズメにそう問うた。

 今の俺には翼が要る。リーユンが待つ、あの空の高みにまで飛ぶために。

「そうね、現状でリーユンちゃんの所まで辿り着くには、アレを使うしかない。だけどその前に黎九郎、一つ答えなさい。アンタの答によっては、アレを破棄しなければならない」

 ウズメの言葉に、俺は一瞬息を呑んだ。それは、俺が間違えればリーユンも、学園都市も、そこに住んでるあの楽しい連中までも、みんな俺の傍からいなくなるという事を示している。

 でも、だからって、俺がウズメの気に入りそうな答を選んで言っても意味が無い。

 質問を聞いてもいないうちからビビってたら、リーユンを助けるなんてできるワケがない。

「この質問の正答を言えたなら、それはそのまま黎九郎がこの地下都市の全権を掌握するという事になる。だから、この地下都市の管理AIとして、なによりアンタの母親として、アンタを見極めなきゃならないの」

「分かってるよ。いいからなんでも訊いてくれ。俺は、母さんたちの自慢の息子なんだろ?」

 俺が悪戯っぽく笑ってみせると、IEDの中で、ウズメは苦笑して見せた。

「自慢の、は余計だけどね」

「ほっとけ」

「……じゃあね、もしアンタが力を得て、リーユンちゃんを助け出せたなら、手元に残ったその力、アンタはどうするの? 何に使うの?」

 ウズメの質問の答は、俺もまだ知らないブラックボックスを開ける鍵だ。

 その箱に入ってる力がどんなものか――その詳細を、俺はまだ知らない。だがそれでも力は力に過ぎない。神でもなければ悪魔でも無い、俺が使う俺の力だ。

 だから俺は、口を開いた。この数週間暮らしただけで俺が得た、掛け替えのない連中の顔を思い浮かべながら。

「んなもん決まってる。俺が力を使うのは、俺が満足するためだ」

「不十分。じゃあ、満足する――黎九郎が満たされるのは、どんな時?」

「かーちゃん知ってるか? 俺にはさ、友達って言える連中ができたんだぜ? そいつらと楽しく生きてくんだ。それから、もっと多くの楽しい連中に会いたいんだ俺は! だから、今の地上をぶっ壊されちゃ困るんだよ!」

 リーユンは――俺の知ってるリーユンは、ツヴァイハーである自分を嫌ってた。

 春菜先生が大切で、学園長も大好きで、自分が誤解されるのも構わずに、周囲の連中を傷つけないように気遣ってた。

 そんなリーユンを操ってるのは、きっと人類の呪いに違いない。

 だから、俺は更に続ける。

「周りが魔物ばっかだろうが関係ねぇ。自滅したアホな人類の遺志なんざ知ったことか! 俺は俺の大好きな今の地上を護る! もちろんリーユンも含めてな!」

 俺の言葉の後、ただ沈黙だけが、この室内を満たしていた。

 ……やべ、今の俺、かなりイタいヤツだと思われてたりとか……?

 俺は口元を引きつらせて、傍らに立つ春菜先生に横目で視線を送った。

 が、先生は俺の視線の先で、瞳を潤ませながら全身を震わせている。

「えーと……ウズメ……かーちゃん?」

 恐る恐る、そう呼びかけてみる。

 すると、一つだけ、深く大きなため息が聞こえた。

 実体も無いのにため息たぁどういう了見だ? かーちゃん。

「……これまた、アタマの悪い答ね~」

 続いたのは、そんなセリフ。

 IEDの中のウズメもまた、実に情け無さそうな貌をして俺を見詰めている。

 ……うあ~、まさかこの期に及んで、ダ、ダメ出しっ?

 一瞬、調子に乗った事を悔やむ。どうやら本格的にイタい子スか? 俺。

「……でもま、アンタのお祖父ちゃんやお父さんも、そんなノリだけの人だったし……」

「ノリだけって……それヒドいだろ、かーちゃん」

 つっても、否定出来ないとこが恐ろしいんだが。

 俺が口元を引きつらせると、ウズメが微笑んでみせた。

「ギリギリ、合格って事にしてあげる。さ、奥に行きなさい。ついさっきロールアウトしたばかりの、タケミナカタが待ってるわよ」

 ウズメの言葉と同時に、コントロールルームの壁面の一角が、音もなくスライドして開いていく。その先には、俺にとって未知だったエリアへと向かう通路があった。

 通路が姿を現すと同時に、俺の中に封印されていたブラックボックスの中身――『タケミナカタ』の各種データが流れ込んでくる。

 俺は今、この瞬間に、この地下都市の主として認められたという訳だ。

「あの……お母様? ウチ、黎くん見送ってもよろしおすか?」

 俺が通路に足を向けると、

「あら、じゃあそうしていただけます?」

 そんなウズメの返答と同時に、春菜先生が俺の傍に駆け寄ってきた。

 だが、気配だけを感じつつ、俺は振り返らずに通路へと飛び込む。そう長い通路ではない。俺と春菜先生は、すぐさまその部屋――タケミナカタの格納庫に到着した。

「あらあら、おっきな五月人形さんどすなぁ……」

 目の前に鎮座する『ソレ』を見て、春菜先生が感嘆の声を上げる。

「五月人形ッスか、コレ……」

 あまりに呑気な一言に、俺は思わず苦笑を誘われた。

 見上げれば、天井が見えないほどに高さのある円筒形の部屋。

 視線を下げれば、部屋の中央に延びる通路の下には、階下フロアの床面が見え、そこには所狭しと、目の前の鎧武者のような人型デバイス『タケミナカタ』のパーツが置かれている。

 TS―00と左肩に書かれた、十メートル級人型デバイス。

 猛禽類――いや、もっと言えばトリケラトプスという大昔の恐竜に似た頭部と、背中と腰に一対ずつ、幾つかの関節を持った細長いアームが付いている。翼もなく大空を舞うための超光速加速装置『ルー・システム』だ。

 全体的にマッシブな――それこそ鎧武者のような印象を受けるのは、ウズメが『戦闘仕様』として、全身に追加装甲を装着したせいだ。

 そして、その傍らに置かれた長砲身のリニアランチャー。

 別にリーユンと戦争をする気はないが、あのデカブツの中からリーユンを引っ張り出してやる為に、それは必要なものだと思えた。

 タケミナカタの胸部には開口部があり、そこには人一人が乗り込めるスペースと、一人用のシートが鎮座している。有人無人、どちらでも使用可能な汎用機械だが、いま俺は、コイツを『翼』として使用する。そのための仕様にウズメがしておいてくれたという訳だ。

 俺は春菜先生と共に、部屋の中央を通ってタケミナカタの胸部まで伸びている通路を進む。

「じゃあ行ってくるよ、春菜先生。リーユンは俺が必ず連れ帰るから、先生はさっきの部屋でウズメと一緒に見守ってて」

 穏やかに微笑んで、春菜先生は頷いた。

 俺はタケミナカタに乗り込むため、その胸部ハッチに向き直る。と、

「黎くん」

 そんな、俺を呼ぶ声が聞こえ、

 振り返った俺の頬に、

 そっと、春菜先生が口付けをした。

 そしてすぐに離れると、恥ずかしそうに頬を染めて悪戯っぽく俺を見詰める。

「リーユンの手前、ほっぺまでにしときますけど……ウチ、許嫁とか抜きにして、黎くんのこと大好きどすから。そやから……必ず、リーユンと一緒に戻ってきて下さい」

「あ、えっと……は、はい」

 左の頬に残る、春菜先生の唇の感覚。

 俺は自分の頬が熱を帯びていくのを感じながら、シートに座ってハッチを閉じた。

 微かな高周波を発しながら、タケミナカタが待機状態から完全起動する。

 べつに操作は難しくない。俺の脳と完全リンクしているこの機体は、俺のもう一つの身体として機能する。カメラを始め、タケミナカタの外部センサーが感知した全ては、まるで俺の肉体が感じたことのように脳内で処理される。もっとも、痛覚ばかりは除外されるが。

 だから、俺の視界とIEDはタケミナカタの物と連動し、巨人の視界として春菜先生の姿を捉えていた。

(ウズメ、出るからゲート開けてくれ)

(了解。いってらっしゃい黎九郎。気を付けてね)

 ウズメのそんな言葉と春菜先生に見送られ、俺の新たな身体――タケミナカタはゆっくりと浮き上がる。

 そして頭上のハッチが開いた瞬間、俺は地下都市から大空へと一瞬にして移動した。


    ◆ ◆ ◆


 遥か彼方まで広がりゆく蒼穹。遠く霞む夏の雲と、撫でて過ぎ行く強い風。

 その只中に、目指す武則天の姿が在った。

 形状はウズメがホログラフで見せた通り。だが、実物はそれよりも異様な存在感と威圧感を伴っている。

「リーユン! リーユン応えてくれ! 俺の声が聞こえてないのかっ?」

 武則天の前方五千メートルで、俺は無線、光信号、外部スピーカーと、あらゆる手段で呼びかけた。

「リーユン俺だ! 黎九郎だ! そんな物騒なもんから出てこいよ! 一緒に帰ろうぜ? な?」

 必死に呼びかけるが返答がない。そうしている内に、武則天はほどなく様子を変えた。前面に大きく開口した――文字通りに巨大な口のような大孔。そこに、黒い球体が現出したのだ。

(黎九郎! 気を付けて! 高エネルギー粒子を集積してるわ! この反応は――)

 開口部奥に現出した漆黒の球体は、見る間にその大きさを増し、それは大孔――エネルギー兵器の砲口を満たしていく。

(――HEEP(ヒープ)キャノン! 退避しなさい黎九郎!)

 ウズメの叫びが脳裏に響く。だが、俺には分かっていた。武則天が狙うもの、それは俺ではなく、あの学園都市に他ならない。

(ウズメ! 座標を転送する! 亜空間ゲート生成!)

 俺は瞬時にビームが到達するであろう地点の座標をウズメに送る。HEEPキャノンとは、光速の二千分の一程度まで加速された高エネルギー粒子ビームだ。破壊力は口径に比例し、武則天のものであれば、数発で学園都市全域を焼き尽くすことが出来るはずだ。だが、まだ三百キロメートルほど距離のある現状なら、俺がウズメに指示したもので防ぐことが出来る。

 学園都市の近くに現れた、円盤状の『亜空間ゲート』。それは、その入口側に到達したものを、空間を歪めて出口側の同様のゲートより射出する為のものだ。

 だから――

 その時、遥か上空で、ビームの淡いオレンジ色の光が、宇宙空間に放出されるのが見えた。

(ウズメ! 再チャージまでの時間を計測して、発射に合わせて学園都市を防御してくれ!)

(了解!)

 そうウズメが返答した時だった。

 不意に、俺のIEDにリーユンの顔が映った。

 ……マズいな。

 俺は彼女の貌を見て、焦りを覚えた。

 見慣れない、身体のラインを強調するかのような耐Gスーツに身を包み、あのメガネを外したその顔。紛れもないリーユンのその顔が、虚ろな眼差しと相まって、どこか無機的な機械のように見える。

「黎九郎……私の邪魔しないで……魔物は……滅ぼさなきゃならないの……人類の為に……」

 まるで、誰かに『言わされている』かのような、辿々しい物言い。それが、リーユンの全てを表している気がした。

(ウズメ! どういう事だよこれっ? リーユン、マインドコントロール受けてるんじゃないのかっ?)

 焦りの滲む俺の問いに、しかしウズメは冷静だ。

(ちょっと違うわね。その状態がハイ・ヒューマンの本来の姿なのよ、黎九郎。むしろ、ハイ・ヒューマン計画から逸脱してるのは、アンタの方なの。人類が、『自分たちより優れた種』に、手綱を付けないと思う?)

(手綱ってなんだよ!)

 冷徹なウズメの口調。それに対する憤りが喉元まで出かける。だが――

 俺は、ここまで俺の中に入ってきた地下都市の情報を知っている。

 ハイ・ヒューマン計画は、文字通り人類の高位種を創造する計画だった。遺伝子的に旧人類と互換を持つハイ・ヒューマンは、誰か一人でも人類が生き残れば、その誰かと交配するという使命も帯びていた。だから、本来は『自我』を持たないようにされていたのだ。

 俺も……製造された地下都市が違ってたなら、リーユンみたいになってたって事か……。

(何としてでも、リーユンちゃんを助けなさい、黎九郎。あの子を、私たち旧人類の過ちにしないで……お願い)

 悲痛なウズメの告白に、俺は歯噛みした。今この世界に生きている誰もが、こんな事を望んじゃいないのに、どうしてこうなってしまったのか。

「リーユン! 目を覚ませよ! 俺の声が聞こえてるんだろっ?」

 再びHEEPキャノンのチャージが始まる。漆黒の球体が砲口に形成されていく。

「……不思議だ……お前は吸血鬼との戦闘を行い、プランBの最後の要素を補完してくれた。だが、高位人類の雄性体のお前が何故、その一方でマインドコントロールから逸脱している?」

 そう告げるリーユンの口調は、もはや彼女のものではなかった。

「……誰だお前……?」

「我らが娘、麗雲(リーユン)十一号の生みの親だよ。今はC一八の管理AIとして記憶が残るのみだがね」

(やれやれ、みんな考えることは同じなんだね)

 溜息と共に、ウズメが呆れたような声で言う。

(仕方ない、黎九郎。武則天のコントロールエリアがおよそ特定できたから、あとは――)

(ああ、分かった)

 ウズメの言葉を全て聞く前に、俺は携行してきたリニアランチャーを構えた。

 魔物として敵対したアーウェルにすら感じなかった憤りを、いま俺はコイツ――リーユンの親だと名乗るヤツに対して感じている。

 IEDに、武則天の頂上部の一部分が、オレンジ色のラインで強調される。

 ここからは――

「行くぜ! リーユンは力づくで貰ってく!」

「そう来るというなら、消去するまでだ。異端者め」

 刹那、俺――タケミナカタ目がけて武則天の上部リニアガン全てが砲口を向ける。

 HEEPキャノンとは別種の、少質量実体弾を亜光速まで加速して発射する兵器。発射されれば回避するヒマはない。そんな兵器が、一斉に弾丸を発射した。

 タケミナカタに殺到する砲弾。一、二発程度ならリアクティヴアーマーで受け止められるだろう。が、そんな生易しい数ではない。

 しかし次の瞬間、タケミナカタはそれよりも速く、遥か高みに移動した。

「……いけね、まだ慣れないな。勢い余って宇宙に出ちまった」

 俺の視線の先に、それまで巨大に見えていた武則天が、今はまるで米粒よりも小さく見える。

 俺は再びタケミナカタを地上へと向けた。

 TS―00。この汎用人型デバイスは、光速の六十四倍まで瞬時に加速する事ができる。だから、どんな兵器もこの機械の巨人には通用しない。その移動を第三者が見たならば、まるで瞬間移動でもしている様に見えることだろう。

「さて……」

 リニアランチャーの射程距離にまで接近し、俺は改めて武則天を見る。

 巨大なその体躯は分厚い装甲部材に覆われ、刺のようなリニアガンが無数に立ち並んでいる。

 それでも、タケミナカタの総力を集めれば、装甲の一部を穿つ事は出来るかも知れない。

 俺はリニアランチャーのトリガーを絞った。

 刹那、亜光速に加速された形成炸薬弾(けいせいさくやくだん)が飛翔し、武則天の装甲表面で爆発した。

 だが、その爆風は、まるで氷の上を滑るかのように、装甲表面に広がり消えていく。

 十センチメートルの装甲を貫徹(かんてつ)できるハズの爆発力。しかしそれは、武則天に全く通用してはいなかった。

 ……やっぱりな。

 今の爆発で判明したのは、武則天の装甲が特殊なものであるという事だ。

(リィアーマーね。大型ジェネレーターを積んでるなら、当然の選択だけど)

 ウズメの言葉に、俺もまた頷く。

 装甲表面のアーマーチップに大電流を流し、硬度を飛躍的に上げ、爆発にも耐性を持たせる技術だ。つまりはリニアランチャーの弾速でも、形成炸薬弾の爆発でも傷ひとつ付かないという事。それはすなわち、タケミナカタの武装は何も通用しないという事を示している。

「……ま、そんなとこじゃないかと思ってたけどな」

 俺は頬を一掻きすると、コックピットのハッチを開け放った。

 再度タケミナカタを襲う無数の砲弾。それらをすべて避けると、俺は武則天に再接近した。

「短い間だったけど、世話になったな、タケミナカタ」

 俺はコックピットから武則天の装甲上に降り立つと、振り返ってその姿を目に焼き付けた。

 俺はタケミナカタを遠隔操作にして、その巨体に命じる。成層圏へと昇れ、と。

 そんな俺の視界に、再びリーユンが――いや、その中で彼女を操っているヤツが姿を見せた。

 実に気に入らない。そいつは笑ってやがるんだ。リーユンに似つかわしくない、邪な貌で。まるで、もうすでに勝利を手にしたかのように。

「単身降り立ち、さて、それでどうする? 確かにそこにいれば、むしろこちらからは手を出せないが」

「慌てるんじゃねぇ。覚悟しやがれ」

 俺もまた、武則天の装甲上で思い切り不敵な笑顔を作ってやった。

「俺は東郷黎九郎! よくわかんねーけど日本人だぜ! で、日本人なら十八番ってのがあるんだよ!」

 俺は右手を高く上げ、虚空を指し示した。

 うん、実は一度やってみたかった。技名叫んで攻撃すんの。

「食らえ! タケミナカタ――カミカゼアタック!」

 その瞬間、成層圏に上げたタケミナカタが、瞬時に最高速度――光速の六十四倍に達し、武則天に激突した。

 轟音、

 振動、

 衝撃波。

 俺の身体が浮き上がり、虚空に投げ出される。

「ごはっ!」

 が、辛うじて目前のリニアガンの砲身に激突して助かった。

 あっぶね、ナメてたぜ。

 背筋に冷たいものを感じながら、しかし俺は背後を振り返って口元を歪めた。

 目論見通り、さすがのリィアーマーでも、超光速の飛翔物体を防ぐことは出来なかった様だ。

 タケミナカタが激突したその場所は、まるでクレーターのように、大きく深く抉り取られていた。その一部は武則天の巨体を貫通し、無数の破片が地上にまで穴を穿っている。

(あ~あ~……貴重な超光速加速デバイスが、たった数分で粉々にぃ……)

 脳裏で、ウズメの嘆きが響いた。

 泣くなかーちゃん。俺に預けた時点で、こうなることは分かってただろ?

「は、コメントもナシかよ。さすがにビビったみてーだな!」

 俺は、リーユンの中にいる『ヤツ』に向けて言い放つ。

 これで状況を一つ覆した。あとは俺がクレーター内部へ乗り込んでハッキングを強行するだけだ。好き勝手やってくれたツケを支払わせてやる。


    ◆ ◆ ◆


 地下都市の暗いコントロール・ルームの中で、春菜・フォン・ヴァンシュタインは、悲痛な面持ちで状況を見守っていた。

 ホログラムスクリーンに映し出されているのは、いま現在、タケミナカタが送ってくる映像だ。

「リーユン……黎くん……」

 それは、まるで神に対する祈りの所作。春菜は胸元で手を固く組み、固唾を飲んで様子を見詰めていた。

「……先生?」

 不意に、ウズメが呼びかけてくる。

「はっ、はいっ?」

 弾かれたように目を開ける春菜の正面に、ホログラムで形成された一人の乙女の姿が在った。彼女は、それまで会話をしていた黎九郎の母――ウズメの声と連動して表情を変えていく。

 ショートカットで、シャツとジーンズを穿いたラフな姿。気取ったところなど少しもない。

 しかしそうであっても、その面差しは慈愛に満ち溢れているように、春菜には思えた。

「娘さん……リーユンちゃんが心配?」

 からかうような笑顔で、乙女――ウズメは問いかけてくる。

 だが、春菜もまた彼女の顔を一目見て、笑顔を向けた。自信に満ちた、母親の貌で。

「もちろんどす。あの子は――リーユンは、ウチの命どすから」

「あら奇遇、実はあたしも黎九郎がそうなのよね~」

「気ぃ合いますなぁ」

 クスクスと、笑い合う。が、刹那に春菜は貌を曇らせた。

「そやけど……ウチ、自分が怖い……」

 どこか遠くを見詰めるように、焦点の合わない眼差しで虚空を見詰める。

「リーユンが戻ってきてくれるんやったら……学園都市なんてどないなってもええて……どっかで、そう考えてる自分がいるんどす……」

 そんな春菜の言葉に、ウズメが苦笑を浮かべる。

「あら、またまた奇遇。実はあたしも、黎九郎が覚醒する直前に、死んで周囲の人の美しい思い出になるか、生きて周囲に迷惑かけまくるか、選択迫ったんですよ」

「は……はぁ」

 実は、の後に続いたウズメの言葉に、春菜は呆気に取られた。

「そしたらあの子、「生きて後悔してやる」って言って……あたし、死ぬほど嬉しかったのよね。その場にいた先生方、皆殺しにされる可能性が高かったのに……まぁ、バカ親ですよ」

「れっ、黎くんはそないなことしません! 親のあなたがそんな事でどないしはりますの!」

 思わず、春菜はウズメを睨みつけていた。

 が、そんな春菜の態度を待っていたかのように、ウズメが快活な笑顔を見せる。

「先生、いい人ね……て、いい吸血鬼か。あなたには感謝してるんですよ? 黎九郎が罪を――ううん、あなた方を殺して、心に傷を負う事を止めてくださったから。だから――」

 不意に言葉を区切ったウズメ。その先が、春菜は気にかかった。

「ね、先生、リーユンちゃんと黎九郎、どっちが大事?」

 突然の質問に、春菜は目を丸くした。年甲斐もなく、頬が熱くなってくる。

 春菜にとって黎九郎は、初めて本気で心惹(こころひ)かれた存在なのだ。

「そ、その……リーユンは、ウチがこのお腹で育てた子どすし……一番なんは変わりませんけど……そやけど、ウチ、男の子……いうか、男はん好きんなったんも、実は初めてで……まだ未婚どすし……その……」

 もじもじと、胸元で両手の指先を絡める春菜。

 そんな春菜の様子に、今度はウズメが糸目で口を開く。

「……まさか先生……リーユンちゃん産んだの、帝王切開だったりとか……?」

「初産どしたし、ウチ吸血鬼やし、通常分娩やと、あの子にどないな影響出るか予想付かへんどしたさかいに……いややわ、ウチお腹痛めたて、大見得切ってしもて……」

 奇妙な沈黙が、一頻りこの場を満たす。

「え~……じゃあ……先生って、実質……?」

「ま、まぁその、そういう事……どすなぁ……」

 春菜とウズメ、双方共に、頬を染めて糸目を向けた。

 再び、奇妙な沈黙が流れ出す。

 と――

「こりゃ大変だわ、黎九郎。春菜先生とリーユンちゃん、二人の乙女に挟まれて」

「あ~、どないしょ~……ウチ、黎くん初めてのヒトなんやわぁ~、言われるまで気付かへんかったわぁ~……」

 他人に言われるまで完全に失念していた事実に気付き、春菜は満面を上気させて、所在なく室内をウロウロし始める。

「あ~、いや先生? 落ち着いて? いまそんな事してる時じゃないでしょ?」

 耳に届いたウズメの言葉に、春菜が視線を戻すと、そこには苦笑を見せるウズメの貌が在る。

「え~、重ね重ね、ほんまにお見苦しいところを……」

「いえいえ」

 二人、同時に頭を垂れた。

「で、先生。実はね~、黎九郎には言わなかったんだけど、ちょっと旗色悪いのよね」

 ふと大真面目な顔つきになったウズメの様子に、春菜は思わず息を呑んだ。

 武則天の前面に搭載されている大量破壊兵器『HEEPキャノン』。高エネルギー粒子を集積し、加速して発射する、いわゆる『ビーム兵器』だが、現在それを防御している亜空間転移ゲートの生成には、莫大なエネルギーを消費するという。

 武則天のエネルギー残量が不明であり、かつゲートの消費エネルギー量は概算でHEEPキャノン一発分をはるかに超えている現状では、戦闘が長引けばそれだけ不利になる。

「最悪の場合、学園都市が壊滅した上で、リーユンちゃんも黎九郎も生存は望めない。でも、できるだけあの子達には、未来を掴み取る時間を作ってあげたいの。良くも悪くも、あの子たちは人類の血を受け継ぐ者だから。だから、先生……一つだけお願いしてもいいですか?」

 ウズメの真摯な眼差しに、春菜は頷く以外の選択肢を見つけられなかった。


    ◆ ◆ ◆


(黎九郎急ぎなさい! ゲートはあと一回しか生成できない! リアクターがもうもたないわ!)

 タケミナカタが武則天に穿った大穴。そこに降り立った俺の脳裏に、切迫した声が響く。

(ウズメ! 次のHEEPキャノンの発射タイミングはいつだっ?)

(三十秒後! その次はその二分後よ!)

 ゲート生成はあと一回。俺に残された時間は二分二十九秒という訳だ。

 俺は、砲台基部が在ったその場所に手を伸ばす。そこにはリニアガンを操作していた端末の配線が剥き出しになっていた。ここから中央のメインコンピュータにハッキングを仕掛ける。

 勝負は一瞬。ちょっとでもモタつけば、ハッキングルートを遮断されて終わりとなる。

 俺は、配線を掴んだ。

 刹那、俺の脳裏に1と0の羅列が高速で走り始める。何千万行という文字列が、たった一瞬で現れては消えていく。

(やめて! もうやめて黎九郎! せめてキミだけは傷つけたくないの!)

 文字列の奥から、リーユンの叫びが聞こえた。とても悲しみに満ちた、聞くだけで胸を抉られるかのような叫び。

(私、もうダメだよ! もう戻れないの! ツヴァイハーとして覚醒して、もう、私の意志は意味を持たないから、だからっ!)

 なおも続く悲痛な叫び。だが、俺はむしろその声を聞いて安堵した。

 その声は、言葉は、明らかにリーユンのものだ。彼女の心はまだ存在する。

 程なく俺の中に、武則天の全てのデータが流れ込んできた。

 リアクター部、各砲台のコントロールルート、エネルギー残量や、どこから飛来してきたのかまで。もちろん、コックピットの位置さえも。

「さぁて、開けゴマ、ってとこかな。ゴマってのがなんだか解んねーけど」

 俺がそう呟くと同時に、武則天の前部装甲の上部が、まるでクジラの口のように上下に開いた。そしてその奥に、コックピットのハッチが在る。俺は、砲台を飛び移りながらそこへと向かった。

 エアロックになっているハッチまでは、ものの数秒で辿り着いた。が、それと同時に再びリーユンの声が響いた。

(お願いよ黎九郎! これ以上私を苦しめないで! このまま、魔物を一掃させてよ!)

 悲痛な叫び。それは変わらない。

 しかし、俺はそのセリフを聞いて違和感を感じた。

「……この野郎……」

 怒りが、憎しみが、俺の奥底から湧き出てくる。

 紛れもないリーユンの声で吐き出されたその言葉が、むしろ俺の怒りを誘っていた。

 こんなセリフをリーユンは言わない。

 何よりも、

 誰よりも、

 周りの奴らが好きだったからこそ、リーユンは今まで苦しんで耐えてきた。

 傷付けないように、どんな言葉を吐きかけられても。

「出てこいごるああぁぁぁ!」

 俺はハッチを開けた。

 パシュ! と、気密が破られる音と共に、ただ一人、棺桶のように狭いその場所のシートに、リーユンは座っていた。

 俺は息を呑んだ。

 全身を包み、しかしその優美な身体の線の浮き上がる、水色のスーツ。

 だがそれは、まるで拘束衣のように幾本ものコードで武則天と繋がっている。

 いや、それだけではない。

 首と、そして両の手足に(かせ)のような金属製の()が取り付けられている。

 ぎり、と、知らず俺の奥歯が鳴った。

 虚ろな双眸。

 全身には力がなく、まるでそれは生きながらにして死んでいるような気がした。

 そんなリーユンが、不意に俺を見上げる。

 輝きを失った双眸に、じわりと溜まっていくものがあった。

 それは見る間に大きくなり、(せき)を切って頬を伝い落ちていく。

 微かに口が開き、俺は通信ではない彼女の生の声を、しっかりと耳で聞いた。

「……殺して……れい……く……ろ」

 俺には分かった。

 それはリーユンが、全身の力を振り絞って俺に伝えた紛れもない自分の意志だ。

 俺は堪らなくなり、そのままリーユンを抱き締めた。

「帰ろうぜ、リーユン。もう、こんな所から出るんだ。お前の居場所はこんな寂しいところじゃないだろ」

「れい……く、ろ……わた、し……」

 何かに抗いながら、途切れ途切れに呟くリーユン。

 刹那――

「あぐっ……」

 不意に伸びたリーユンの両手が、俺の首を絞め上げた。

 そして彼女は泣き濡れたまま口を開くと、まるで何者かに乗り移られているかのように、男の声色で言葉を発した。

「異端者め……お前は危険だ。なぜマインドコントロールが利いていない? なぜこちらの介入を許さない? 危険な存在だ……だから、排除させてもらう」

 ぎりぎりと、俺の首を絞め上げるリーユンの細い手。

 俺よりもずっと華奢なその手を、しかし俺は振りほどくことが出来ない。

 みし、と、頸骨が軋んだ。

 視界がぼやけ、意識が薄れる。それは同時に、二つの危機を連れてきた。

「高エネルギー素粒子集積開始……」

 コックピット内で、サンプリング音声がそれを告げる。

「バレルフィールド内、素粒子加速開始……」

 一旦は俺が掌握した武則天のコントロール権だったが、それが次々とリーユンに奪われていく。

 そして、

「HEEPキャノン、照射開始」

 コックピットの前方で、光が弾けた。

(ウズメ! 防御!)

(やってるわ! けど! もうこれが最後よ! それと――)

 ウズメの言葉の続きを、俺は理解していた。もう一つの危機のことだ。

 それは、ついに武則天が学園都市の上空に到達したという事。これで、機体下部のリニアガンでも、効率的に都市の破壊が可能となった。

「各砲台、斉射開始」

 コックピット内のアナウンスが、無慈悲に告げた。

 ぼやける視界の中で、俺は武則天下部のカメラが捉えた様子を見る。

 逃げ惑う魔物達の様子が、そこには映っていた。

 リニアガンの集中砲火で基部を破壊され、倒壊していく高層ビル。

 一番最初に俺が世話になった病院まで、無差別に攻撃の対象とされている。

「や、めろ……ちくしょ……なんで、だよ……」

 首を絞められていることすら忘れてしまうほどの惨劇。

 俺が好きになった場所が、俺が好きになった連中が、俺が好きになった者の手で悲惨な目に遭っている。

 俺は微動だにしないリーユンの手首を握り締め、彼女の双眸を真正面から見詰めた。

「起きろリーユン! お前、このままでいいのかよ! リーユン!」

 幾度も彼女の名を呼ぶ。

 が、虚ろな眼差しは変わらず、彼女の代わりに俺に答えるのは、あの忌々しい声だった。

「高位人類としての役割を忘れた貴様に、リーユンを責める資格はない。何より、貴様とあの吸血鬼の一戦こそが、リーユンの覚醒を促す最後の鍵だったのだからな」

 リーユンの口からこぼれる男の声。俺はその内容に、言葉を失ってしまった。

「リーユンの胚を完成させた後、C一八の人類は滅んだ。だが、ありがたい事に、地上を跋扈していた化物の雌性体が、リーユンを胎内で育ててくれたという訳だ。しかも自らの敵対者となるリスクを承知でな」

『声』は続ける。

 リーユンの覚醒条件とは、まず一つはリーユンが母体となれる年齢まで成長すること。

 二つ目に、リーユンと対になる人類、またはハイ・ヒューマンの雄性体の出現。

 三つ目が、人類以外の知的生命体の、人類に対する脅威性の分析。

 つまり、魔物が人類にとって取るに足らない存在であれば問題なかったのだが、しかしそれは、俺とアーウェルの一戦が『現実』を浮き彫りにしてしまったということだ。

「ありがとう、リーユンの覚醒を促したという一点では、我々は貴様に感謝している」

 嬉々として俺の首を絞めながら、そう『声』は言った。

 そして、

「高エネルギー素粒子集積開始……」

 無情にも、再びHEEPキャノンの発射シークェンスが始まった。


    ◆ ◆ ◆


 王の間と呼ばれる豪華な内装の一室で、ヴラド・フォン・ヴァンシュタインは外を眺めていた。

 学園都市の中心に(そび)え立つ巨大樹『イルミンスール』。その幹をくり抜いて城とし、この居室はその中でも最上階に位置する。

 この階の高さは、地上四百メートルもあるだろうか。

 未だ成長の止まっていない霊樹ゆえに、年々この居室も微かにだが高さを増している。

 室の窓からは、今この学園都市を襲っている『災厄』の様子が一望できる。

 ただの植物とでも思われているものか、イルミンスール自体は、まだ攻撃対象にはなっていない様子だが、それもいつまでの事かは分からない。

 ヴラドは車椅子の上で、何かを呟く。

 と、後ろに控えていた壮年の侍従が、隙のない所作で、予め用意していたトレーを差し出した。トレーには一枚の皿があり、その上には真紅に照り輝く何かの肉が載っている。

 侍従はその肉をフォークで刺すと、それをヴラドの口元に運んだ。

 数回咀嚼(そしゃく)し、ごくり、と、喉を鳴らす。刹那、ヴラドは車椅子から立ち上がった。

「まったく、あの小僧め。この儂に手間をかけさせるか……」

 侍従に背を向けたままで、ヴラドは手も触れずに窓を開けた。

 強い風が駆けこんで、室内の調度品を揺らしていく。

「行ってらっしゃいまし」

 (うやうや)しく侍従が一礼すると、ヴラドは浮き上がり、滑るような動きで窓から飛び出して行った。

 若々しく雄々しく、そして禍々(まがまが)しいかつての姿で。


    ◆ ◆ ◆


「リー、ユン……た、のむ……リーユ……ン……」

『声』が告げた事実に、俺はもはや、リーユンの名を呼ぶ事だけしかできなくなっていた。

 今回の惨劇を呼んだのは、リーユンじゃなかった。もしも俺が地上に出ていなければ、リーユンが苦しむことも、ハイ・ヒューマンとして魔物の敵対者となる事もなかったのだ。

 俺が、俺こそが、リーユンを変えてしまった。

 重苦しいその事実が、俺から思考能力を奪い去ってしまっていた。

「バレルフィールド内、素粒子加速開始……」

 次々と、無感情に進んでいく発射シークェンス。これが発射されたなら、一体どれだけの被害が出るだろうか。

 いや、物理的な被害だけじゃない。俺はここにきて、別な被害を想定している。

 それは、これが発射されれば、『リーユンの居場所』が完全に消失してしまうという事。

 決定的に魔物達の敵と見なされ、例えここを生き抜いたとしても、魔物と人類――いや、魔物とリーユンとの果てしない戦争に発展してしまう。

 ……せめて……ちょっとした隙でもあれば……。

 今、武則天はリーユンの能力とC一八のバックアップにより、俺から殆どの権限を取り返している。せめてリーユンの気がそれれば、あるいは逆転できるかも知れないのに。

 だが、そんな微かな望みは――

「HEEPキャノン、照射開始」

――あっさりと消失した。

 再度の閃光がコックピット内を明るく照らす。

 霞む視界が、今度は歪んでいく。

 ……ちくしょう、俺は……なにやってんだよ俺は!

 自分の不甲斐なさに、情けなさに、涙が滲んだ。

 その時だった。

「小僧! 何をしておる!」

 閃光の向こうから、大気を震わせて声が響いた。

 それに弾かれるように、俺は背後を返り見やる。

 次第に減衰していくビーム。それが消えたとき、俺は、そこに信じられないものを見た。

「さっさと何とかせんかぁ! 小僧おおおっ! モタモタしておると、この儂がそのガラクタごと消し去ってくれるぞ!」

 俺は、思わずスジ目になった。アンタいったいナニやったんスか今!

 俺の目の前に居るのは、昨日のアーウェルとの一戦で暴走した時に、一瞬だけ見た若いヴラド公だ。

 いったい何が起こったというのか。いや、現実をそのまま説明するなら、ヴラド公はなんらかの方法で粒子ビームを『かき消した』のだ。

 そして、不意にそれに気付く。

『ヤツ』までもがあまりに驚いたのだろう。俺の首を縛めるリーユンの手が緩んでいた。

 今だ!

 俺はもう一度ハッキングを始めた。再び、武則天の中の勢力図が塗り変わっていく。

 それと同時に、今度は春菜先生とウズメの姿が、ホログラムとしてコックピットに出現した。

「リーユン! 戻ってきなさいリーユン! ウチ――お母はん、待ってるから!」

「黎九郎! さっきハッキングした時に、なんであたしを呼ばないの!」

 俺の中に、様々な情報が流れ込んでくる。

 ハッキングしきれていないリニアガンが咆哮し、オレンジ色の砲弾が学園へと飛翔する。

 だが、それを身の丈以上もある鉄棒で打ち返すヤツがいる。

 天を衝く側頭部の角。ミノのヤツだとすぐに気づいた。

 その少し離れた場所で、超高圧の水流を幾本も発射して、砲弾を迎撃している優美な長い姿がある。

 羅魅亜・ル=クレールに他ならない。

 そんな二人の間を跳ね回り、ついに直撃を受けて五体が飛散したヤツもいる。

 三角帽子のアイツだが、まぁ、これは見なかったことにしよう。

 俺の首には、まだリーユンの手が添えられている。だが、その手には既に力はなかった。

「ははっ……楽しいな、リーユン」

 俺の居場所は、もうあの学園都市にしか無い。そして、リーユンもまた。

「ごめん、ごめんね、黎九郎。私、だけど……」

 リーユンの双眸から、再び煌き落ちていく二筋の涙。

「戻りたい、戻りたいよ、みんなの所に……お母さんの所に……」

 胸の内を紡ぎながら、しかし、リーユンを呪縛して離さない存在がある。

 抗うリーユンの意志をねじ曲げ、再び俺の首を絞めにかかるあの存在。

 武則天を掌握しても、リーユンまでを掌握できない。特殊な通信プロトコルを使っているC一八のコントロールをハッキングするのは容易ではない。

 なら。

 俺は武則天に残されたデータから、C一八の座標と構造を脳裏に描いた。

 地下都市C一八の全てを司る中枢部が、その最下層にある。

「……あのさ、母さん」

 俺は、管理AIではなく、自身の母親としてウズメを呼んだ。

「分かってる。アンタの思うようにしなさい。それがあたしの意志でもあるんだから」

「全部お見通しってワケだ……だったらさ、最後にこれだけ……」

 俺は、ほんの少しの間だけ、両目を閉じた。

 IEDに表示される、ウズメとの思い出がそこにある。

 俺は再び目を見開き、そんな彼女に――お袋に向けて、口を開いた。

「俺を産んでくれて、ありがとう」

 笑ってみせた俺の目の前で、ウズメもまたホログラムの姿を、その顔を微笑みで包んだ。

「元気でね。病気なんかするんじゃないわよ? これからは、あたしのバックアップはないんだからね? あと、あと……まぁ、いいか。それじゃね、黎九郎……」

 言って、ホログラムは俺の額にキスをした。

 触れることのない、ただ形だけのキス。でもそこには、確かに母の温もりがある気がした。

 最後にもう一度、目の前で微笑んで、ウズメは姿を消した。

 俺はすぐさま武則天を操り、今度は自分の意思でHEEPキャノンの発射シークェンスを始める。


 高エネルギー素粒子集積開始。


「……なにを……する気だ……」

 不意に、リーユンの顔が泣き濡れたままで疑念の色に染まっていく。


 バレルフィールド内、素粒子加速開始。


「……まさか貴様……やめろ!」

 そこまで進んで、『奴ら』はようやく気づいたようだった。

「ああ、そのまさかだと思うぜ?」


 武則天の前面に、最後のゲートが出現した。

 その先に見えるのは、地上の密林。

 C一八と呼ばれる地下都市を、真上から見下ろしているという訳だ。

「もう消えろ、愚者の亡霊。地上はもう、お前たち人類の世界じゃないんだよ」


 HEEPキャノン、照射開始。


 その時、学園都市の遥か西方で、一筋の光の柱が立ち昇った。

 学園都市のどこにいても見えたであろうその光。

 C一八の中央を穿ち、中枢を貫き、巨大な縦孔を大地に残したそれは、同時に一人の少女を呪縛から解き放った。

 俺の首に添えられていた両手が、次第に俺の胴に下がっていく。

「……ごめんなさい」

 俺の胸に顔を埋めながら、リーユンは開口一番にそう言った。

 安堵から、俺もまた力が抜けかける。

 だが、まだあと一つだけ、やらなければならない事もあった。

「リーユンは悪くない。それでも謝りたいなら、相手は俺じゃない。それに、それはまだ先だ」

 言って、俺はリーユンの両肩に手を添えて、彼女の顔を見据えた。

 涙に濡れたリーユンの顔。可愛らしいその顔に微笑みを宿してくれないものかと思ったが、まぁ、ここはまだ我慢だ。

 俺は武則天を学園都市北方の海へと向けた。

 海上に着水させ、その上でこの大量破壊兵器を自壊させる。本当なら海溝の真上まで持って行きたいところだが、武則天にはその余裕は残されていないようだ。

「黎九郎は……怒ってないの?」

 不意に、気まずそうに、リーユンがそんな問いを投げてきた。

「なんで?」

 彼女の質問の意味が分からない。リーユンはただ操られただけだ。

 昨日のアーウェル戦で俺も体験した、あの、自分を失くしてしまったかの様な感覚。

 春菜先生を春菜先生と認識できず、俺は、自分の奥底から湧き上がる別な意志に支配され、彼女を始めとした観衆全てを皆殺しにしようと考えた。

 それが、ウズメやじっちゃん達が懸念していた事だったのだろう。多分それは、俺やリーユンの遺伝子に組み込まれた本能だ。

 だがそれでも、眠りを我慢するように、食欲を抑えこむように、自身の精神力で抑制できる。それこそが、お袋たちが俺に期待した『成長』に他ならない。

 そんな事を、リーユンも言っているのかと思った。

 しかし、

「黎九郎、私……私ね……? キミが、お母さんと結婚するって……ヴラド公の言葉を聞いて……私、その瞬間、悲しくなって……辛くって、切なくて……キミが嫌で、お母さんも嫌で、私、こんなだから……だから私……操られてたのは本当。でも、どこからどこまでが操られてたのか、私よく解らないの……」

 俺は、リーユンの言葉に何も返すことができなくなった。

 ヴラド公の言葉で、俺はいいとしても母親である春菜先生まで嫌いになるとか、どういう心理状態なのかが良く分からない。

 でも、そうだとしても、その事をリーユンは隠さずに告げた。全ては『声』に支配されて行ったことだと、そう嘘をつく事だってできたハズなのに。

 それはきっと――いや、その事で、自分を許せないと思っているからだ。

 女の子の心理は、俺には良く分からない。けれど、その一点だけは理解できた。

 ……まぁ、嫌われてたってのは軽く……つか、けっこうショックだったりしてるけど。

 でも、だからこそ真実を告げたリーユンに、俺も自分の素直な気持ちを告げようと思う。

「ええと……わりぃ。俺さ、嫌われてても気付いてないとか、かな~り鈍いんだけど……まぁ、いや、ヘンタイだしな、俺……しょうがないっちゃあしょうがないんだけど……」

 ヘンタイとか、自分で言ってて胸が痛てぇ。

「で、でもさ、俺――俺もハイ・ヒューマンだったし、人類滅びちゃってるし、俺とお前、世界にたった二人だし、周りは賑やかで寂しくないんだけど寂しいっつーか、だから、その……できれば、お前に傍に居て欲しいんだけど……」

 言ってて、俺の声は後半うわずっていた。

 どうしてだ?

 どうして、こんなに心臓バクバクしてんだ俺?

 顔が熱い。

 全身が震えてる。

 なんだか情けなくて、メチャクチャ居心地悪いのに、でも、それでも俺は、リーユンから視線を外せなかった。

 たぶんハタから見たら、泣いてる女の子睨むようにガン見してんだろうな~、とか思ってみたり。……ヘンタイ? それってやっぱヘンタイっスか?

 リーユンは、しばし無言だった。無言で、彼女もまた俺の視線を正面から受け止めていた。

 やがて、彼女が口を開いた。

 同時に、柔らかく――そして、俺が待っていたその表情を見せてくれる。

 うれしそうな、それでいて恥ずかしそうな笑顔。

 そんな貌で、彼女は言った。


――ごめんね――


 刹那、俺の中から魂が抜けた気がした。

 ごめんね。

 ゴメンネ。

 御免ね。

 それは拒絶。

 しかも、この上もなく可愛い笑顔で。

「そ、そうだよな……俺、ヘンタイだもんな……」

 真っ白な灰になった俺は、それだけを言うしかできなかった。だが、

「あ、ち、違う、違うよ……私、私も黎九郎と一緒にいたいの! でも……だけど……」

 言い終える前に、リーユンの身体がシートに固定された。

 刹那、コックピット内に声が響く。


「青臭い一幕をありがとうよ、小僧。だがリーユンは渡さん。お前にも、魔物共にも。このままここで、武則天と運命を共にする」


 何度も聞いた、

 聞きあきた、

 もう聞きたくもない声だ。

「……てめぇ……」

 このコックピットに入ったとき、俺はリーユンの着るスーツが、まるで拘束衣であるかの様な印象を受けた。

 そして、実は全権を掌握したハズの武則天に、ただ一点だけ未知の領域がある事も認識していた。

 それがこのコックピットだ。本来なら武則天の全てを管制するここだけが、しかし奇妙な事に、全てのルートからの干渉を遮断して独立している。

 だが、それこそが、リーユンを創ったヤツらがリーユンをどう見ていたかの答でもある気がした。ここは、リーユンに力を与える場所であると同時に、リーユンの牢獄でもあり、そしてリーユンの棺でもあるという訳だ。

 麗雲十一号とは、奴らにとってただの手駒に過ぎない。そういう事だろう。将棋で取られた駒を、相手に使わせない様にするために、最後の仕掛けをコックピットに施していたのだ。

 武則天の巨体が、ほどなく海上に達する。俺は徐々に高度を下げ、ゆっくりと着水した。

 軽いショックが俺とリーユンを包み、潮の匂いが鼻孔をくすぐる。

「んっ、んっ……あ~、あ~……」

 俺は喉の調子を整え、再びリーユンの顔を見据えた。

「えっと、じゃあさ、俺の傍にいてくれる、っていう答でいいのかな?」

 俺はさっきのリーユンの言葉を噛み締めながら、そう訊いてみる。

「傍に……キミの傍にいたいよ! でも、この服も脱げないし、手足の枷も外せない。私の力じゃ、ここから出られないの! だから、黎九郎、私を置いて……」

 全てを言い終える前に、俺はリーユンを抱き締めた。

 そして、彼女の耳元に一言を囁くと立ち上がった。

「賢明だな、逃げるがいい。もう、貴様と見えることも無いだろう」

 負け惜しみでもなく、捨て台詞でもない。無機的な、感情のない『声』。

 俺は、自身の腹に両手を当てた。

 既に武則天の自壊は始まっている。破損で不可能な部位もあるが、各結合部がパージを始めている。そう遠くなく、このコックピットも海に沈む。

 俺は、小さく口を開き、目一杯に息を吸い込んだ。

 これで、全てのカタがつく。

 自らの過ちで地上世界に住めなくなった人類。その責任を、俺達は負わされた。

 だが、さんざん好き勝手やって、責任だけ押し付けるなんて、あまりに身勝手じゃないか?

 だから、人類なんて関係の無いところで、俺は生きてやるんだ。リーユンや春菜先生、それに、あのバカで恐ろしくて、そして楽しい連中と一緒に。

 俺はリーユンに合図を送る。リーユンもまた、口を開いた。

 超極低音――インフラソニック――が、その狭い室内を満たす。

 アーウェルに食らわせたものよりも、数倍振幅の大きい――つまりは破壊エネルギーの強い振動が、コックピットの組成をグズグズに壊していく。

 その一方で、リーユンは俺のものに波長を合わせて自身の肉体に振動を作り出し、自分へのダメージを相殺している。

 だから、ただコックピット内の物体だけが、その影響を受けていた。

 やがて――

 リーユンの首と、そして両手足の枷が砕け散った。

「黎九郎!」

 リーユンが縛めを解いて立ち上がった時、俺はさすがに力尽きてしまった。

 ハイ・ヒューマンだって、連日の死闘はさすがにしんどいっつーの。

 俺を抱きとめてくれたリーユンと、そして俺の身体が、冷たい海に投げ出される。

 ふと思ったのは、どうやって帰ろうかって事と、どうやら、インフラソニックの影響で、俺とリーユンが真っ裸になってんじゃないかって事だ。

 まぁ、そりゃそうか。着てる服だけ助かるなんて、ご都合主義も甚だしい。

 波間に浮かびながら、俺とリーユンは互いを抱き締めていた。

 腕の中にあるのは、今にも壊れそうなほどに華奢で柔らかな女の子の身体。

 人でも魔物でもない、この世界でたった一人だけの俺の同族、リーユン・エルフ。

 二人分の温もりが、互いを温めている気がした。

 改めてそう意識すると、俺は急に気恥ずかしくなってくる。

 だから、彼女の耳元に、誤魔化すように囁いた。

「その……どうやって、帰ろうな?」

「そこまで考えてなかったの?」

 少しだけ身体を離し、楽しげに微笑みながら、リーユンが言う。

 俺が見たかったものが、今ここにある。

 というのに、俺は思わず視線を外してしまっていた。

 気恥ずかしい!

 メッチャ気恥ずかしい!

 なんなんだろうこの気持は?

「そ、その……どんだけ沖に出たか、憶えてねぇなぁ」

 そう言いながらリーユンの顔をチラ見すると――

「え、えっと……五十キロくらいだったら、キミを引っ張って泳げるよ?」

――彼女もまた、どこか所在無さげに視線を外してしまった。

「あ、じゃ、じゃあ、そうしてもらうかな。体力回復したら、その後は俺が引っ張ってやるからさ」

「うん」

 もう一度リーユンは微笑み、そそくさと俺の手を引いて泳ぎ始めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ