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二章 吸血貴公子と美少女の楽園

基本はコメディなのですが、アクションやコメディ要素の一環として、血を見るような描写もあります。苦手な方はご遠慮ください。

 俺が学校に通い始めてから、早くも一週間が経った。

 季節は初夏で、ますます陽射しも強くなっている、というのに。

「はい、今日の授業はここまでどす。みなさん、復習忘れずにしてきてください」

 陽光射し込む教室の、しかも思いっきり日向になっている窓際で、春菜先生は授業の最後を笑顔で締めた。

「あ~……今更なんだけどさ、春菜先生って、日光浴びても大丈夫なんだ?」

 後ろの席に寄りかかりながら、俺は羅魅亜にそんな事を訊いてみる。と、

「ケケッ、オマエ、ソンナコトもシラナイんでゲスか」

 俺の右隣で、ナチュラルボーンキラー・ウメハラコージが口を挟んでくる。

 まぁ、俺も慣れたもので、コイツは既に針金で拘束し、机の上に転がしてあるワケなんだが。

「おう、知らねぇ」

 こんな状況でも挑発気味な口調で話せるコイツには敬意を表するが、俺はそう返しつつ、シャーペンの先でウメハラの額をつついてみる。

「アウチッ! オマエ、オボエテロでゲス!」

「憶えてようが忘れてようが、どうせ襲ってくんだろオマエ」

 ちくっ!

「アウチッ!」

 ちくっ!

「アウチッ!」

 ちくっ!

「アウチッ!」

 取り敢えずひと頻り憂さを晴らすと、俺は再び口を開く。

「で、やっぱ真祖の血ってヤツだからなのか?」

 そんな質問に、今度は羅魅亜が答えてくれた。

「そうですわね。吸血鬼の下僕、なりそこないのノスフェラトゥは陽光で灰燼(かいじん)()してしまうそうですけれど。真祖の系譜なら、陽光の下でも活動できますわ。先生きれい好きですし、シャワーも平気な様子ですから、流水を渡れない、という事も無いでしょうね。十字架とかニンニクなんて、もちろんながら論外ですけれど」

「あ~……んじゃ、データベースに記載されてる弱点は、全部ガセって事かぁ」

 俺は、ウズメから送ってもらった吸血鬼に関するデータを脳裏で閲覧しながら、羅魅亜の話とすり合わせをしている訳だ。

「まぁ、人間が知ってる弱点が何かしんねーけどよ、でも春菜先生、鏡には映らないぜ? あと、寝る時には棺桶(かんおけ)に入るって言ってたな」

「へ~、やっぱその方が落ち着くのかな?」

 ミノの補足に俺は苦笑する。

 データベースの記述では、吸血鬼の分類は死者に近い。棺桶ってのはその象徴らしいが。

「どうなのでしょうね? 春菜先生、桐製(きりせい)の棺桶は悪い虫がつかなくていい、とかおっしゃって、通販で買ってらしたみたいですけれど」

 ……タンスかよ。

「ま、吸血鬼は夜魔(やま)の類だかんな。日が沈んでから本調子が出るってのは本当だ。って、まさかお前、春菜先生になんかする気じゃねぇだろうな?」

「まぁ、そうなんですの?」

 ミノの言葉に反応し、不意に羅魅亜が不機嫌そうに俺の耳を引っ張る。

「欲求不満なら、ワタクシにおっしゃって? いつでもル=クレール家にお迎えいたしますことよ?」

「何言ってんだお前。ちげーよ、春菜先生じゃなくってだなぁ……」

 羅魅亜の指を耳から外しながら、俺は先日のアーウェルの顔を思い出していた。思い過ごしならいいが、なんとなく、というか確実に、俺はアイツには気に入られていない気がする。

 という訳で、変なちょっかいかけられた時の用心をしたいワケだ。

「つか、お迎えってどーゆーコトよ?」

 俺はスジ目で羅魅亜を見る。と、彼女は両頬に手を当てて、照れたような笑顔を見せた。

「もちろん、婿養子(むこようし)としてお迎えするのですわ」

「遠慮します!」

 即答する俺。すみませんが、蛇腹は生理的に受け付けませんので。

「黎さん、そんな照れなくてもよろしくてよ?」

 照れてないし。ゼッタイ分かってて言ってるよな? 羅魅亜のヤツ。

 そんな事を考えていると、ふと俺はリーユンの視線に気付いた。

 もう昼で、飯を食うにはアイツと一緒である必要がある。なぜか知らんが、俺はアイツに財布の紐を握られているのだ。つか、まぁ、その財布も俺のもんじゃないから仕方ないんだけど。

「じゃ、俺カフェテリア行ってくるわ。お前らどうする?」

「リーユン・エルフが一緒なら、ワタクシは遠慮しますわ」

「あ~、オレもパス。メシがマズくなる」

 嫌われてんなぁ、リーユン……。

 二人の、そんないつも通りの返答に俺は苦笑した。

「ケケッ! アッシはベントウくうでゲス」

「安心しろ、お前はハナから数に入っちゃいない」

 俺はウメハラにスジ目で即答した。魔物の各血族の食事はそれぞれに特色があるが、中でもウメハラが何を食うのかは一番知りたくない。

 気にならない、ってワケじゃない。でも、純粋に『知りたくない』のだ。もっと言うなら、実際にこの目で『食ってるところを見たくない』。そういう事だ。

「さて……じゃ、また後でな」

 そう言って俺が席から立ち上がると、

「ああ、黎九郎、メシ食い終わったら、次の時間は体育だからよ、分かってるな?」

 言って、不意にミノが肩を組んできた。

――なんだよ?――

 ミノの視線に含みを感じ、俺は小声で訊いてみる。

――早く戻って来いよ? オマエにゃ洗礼が待ってっからよ――

――リンチでもされんのか? 俺――

――バッカ、テメェみてぇな野郎泣かしたって面白くねぇだろうが。大人の階段登るんだよ。言っとくが、リーユンには言うなよ? 男ならな――

――あ~、なんだか良く解らんが、分かった――

 俺がそう告げると、ミノはようやく俺を解放した。


    ◆ ◆ ◆


 カフェテリアの雑踏の中で、俺は飯を食いながら、リーユンと話をしていた。

 一方のリーユンは、相変わらずグラスの赤い液体を飲んでいる。

 最近解ってきた事だが、女の子という生き物は、俺たち男より小食だ。まぁ、春菜先生の娘であるリーユンと俺の食事を単純には比較できないが、周囲で飯食ってる奴らを見てもそう思う。

「よくそんなんで足りるよな、お前」

「……毎日言ってる……」

 俺の言葉が気に入らないのか、ストローから口を離し、リーユンが不満そうに呟く。とはいえ、口調こそ不満そうだが、相変わらず無表情だ。

「いやぁ、俺だったら絶対腹減るなぁ、と思ってさ。ところで俺、この先もずっとお前と一緒じゃなきゃメシ食えないの?」

「さぁ? お母さ……春菜先生の指示だから。私には分からないけど……やっぱり、嫌?」

 あれ?

 一瞬、本当に一瞬のことだったが、俺はリーユンのその変化を見逃さなかった。

 彼女の貌が、微かに曇ったのだ。

 それは、ここのところ一緒に昼飯を食っていた俺だから、気付いた事だったかも知れない。

――やっぱり嫌?――

 リーユンは確かにそう言った。俺が――いや、俺も、羅魅亜やミノと同じように自分を見ている、と、そう思っているんだろう。

 別に、俺は他の連中と違ってリーユンは嫌いじゃない。カタブツなのは知ってるし、春菜先生とは違って表情に乏しいのも分かってる。

 むしろ逆に、どういう訳かは分からないが、リーユンは一緒にいて落ち着けるヤツだとすら思っている。まぁ、羅魅亜やミノにとっては、その逆なんだろうが。

 だが、そんな思いとは裏腹に、ふと俺は、意地悪な質問をしたくなった。あの病室からこれまでで、リーユンの俺を見る目がどう変わっているのか知りたくなったのだ。

「そういうお前こそ、いくら春菜先生の指示だからって、嫌じゃないのかよ。ヘンタイなんだろ? 俺」

 ヘンタイ。自分で言ってて胸が痛ぇ。

 しかし、それ以上にリーユンの変化を期待している自分がいる。

 すると、ふとリーユンは目を伏せ、喧騒(けんそう)の中で微かに口を開いた。

「……嫌……よ……」

 それを耳にして、俺は苦笑した。そして、この言葉を言わなきゃならない気がした。

「お前さ、クラスの奴らから誤解されてると思うぜ? カタブツなのはしゃーないけど……もっと、なんつーかこう、色々話したらどうよ?」

 刹那、ガタン! と椅子を鳴らして勢い良く立ち上がり、リーユンは俺を睨みつけた。

「そんな事知ってるわ! でも私はこれでいいの! 今が一番いいのよ! 知ったようなこと言わないで! 私のこと、なんにも知らないくせに!」

「あ~、いや、その……」

 唖然とする俺を残し、リーユンは足早に立ち去って行く。

「あ~……また地雷踏んじまったのか……」

 俺は軽口を叩く自分の口を引っ張ってみる。

 でも、今日の会話で何か収穫があったとするなら、確かにあの時、探知スキルをアクティヴにして、俺の耳は聞いたのだ。リーユンの呟きを。


――嫌じゃないよ――


    ◆ ◆ ◆


「オラ、ぼぇ~っとしてねぇで、早く運動着に着替えやがれ」

 そう言いながら、ごり、と音を立て、ミノが俺の頭を鉄下駄で踏んだ。

「ってぇなバカヤロー! 人の頭蓋骨にミゾ作ってそこにナニ流し込みてぇんだよコラ!」

「やかましい! 団体行動を乱すヤローは許されねぇんだよ! なぁウメハラ?」

 言って、ミノがウメハラを肩に乗せる。つか、キミたち実はナカヨシでしたか?

 しかしどうでもいいが、何着ても規格に満たねぇんだな、この殺人妖精は。

 俺はウメハラの風体をスジ目で見ながらそう思った。制服もブカブカだが、運動着であるポロシャツ一枚で足元まですっぽり隠れるウメハラは、ある意味で究極のエコかも知れない。

 それに引き換え、ミノは全身の筋肉でシャツと半ズボンがピッチピチだ。ヤケにセクシーだなオイ。見たくねーけど。

 と、不意にウメハラの視線と俺の視線が合った。

 やんのかコノヤロー。

 危機感から俺が身構えると、ニヤリ、と、ウメハラがいつもとは質の違う邪悪な笑みを浮かべた。

 つか、質が違うだけで、邪悪なのはいつもと変わらないし、キモいのも普段に輪をかけてるワケなんだが。

 まぁ、他に表現を探すとするなら、スケベ臭い? って辺りが適当か。

 で、気が付けば、ミノまでがにんまりとした笑みを口元に浮かべている。

 まさか俺、間違った大人の階段登らされるんじゃねーだろうな?

 思わず、冷たいものが背筋を駆け下りていく。

 こんな時には三十六計。えすけーぷ・つー・安全地帯って方向で考えてみようかね。

「え~っと、じゃあ俺、先にグラウンド出てっから」

 言って、そそくさと背を向けたとき、

「ふっふっふ、黎九郎クン、観念するんだな。オマエを逃がすつもりはねぇ」

 そう言って、ミノが俺を羽交い締めにした。

「うわぁ! や~めぇ~ろぉ~! 俺にそんな趣味はねぇんだよ!」

「バッカおめ~、そういうヤツほどハマるんだよこういうコトはよ!」

「キキキキッ! そのトオリでゲスヨ!」

 正に魔物! 俺の自由を完全掌握したミノと、奇怪な笑声を発するウメハラ。

 俺の言う事なんぞ、もはや聞く耳持っちゃいねぇ! ああ、俺の青春よサヨウナラ! じっちゃん、俺はどうやらアブノーマルな世界に連れていかれるそうデスよ!

「うわ~ん! ば~か~や~ろぉ~~っ!」

 叫びも虚しく、俺は他のクラスメートに見送られ、人気のない場所に連行されたのだった。


    ◆ ◆ ◆


 そこは体育館とグラウンドの間にある、簡素だが、それでも校舎に合わせた堅牢な造りの長屋じみた建物の一角――その陰だった。

 で、周囲に人気は無いのだが、それはあくまでも、建物の外の話。

「え~……なんだよココ?」

 取り敢えず、貞操の危機が杞憂(きゆう)だったことを悟り、俺は傍らで壁に耳をくっつけている大小両極端な二人の魔物にそう訊いてみる。と、

「シッ! フヨウイにコエだすんじゃネーでゲスよ!」

 これまでに見せたこともないような、いつもの殺意とは異なる鬼気迫る表情で俺を睨み上げてくるクソ妖精。

 それから、

「この壁の向こうにはなぁ、パラダイスが存在すんだよ。分かるか? 英語で言うところの楽園ってヤツだぜ?」

 そんなワケワカンナイ事を小声でのたくるバカ牛。

 つか、お前が(しゃべ)ってんのは一体ナニ語なんだよ?

「あ~……一体、これから何が始まるんデスか?」

 先の展開が読めないままに、俺は二人にそう訊ねてみた。

 すると、不意にウメハラが、ご自慢の三角帽子の下からビデオカメラを取り出した。

 しかもそれは、この学園都市で最新のハイパーデフィニション規格のヤツだ。高いんだよね、コレ。このあいだ街の電器屋で見たよ。つか、なにげに金持ちなのかお前は?

 いやまて、そんな事はどうでもいい。それ以前に、今こいつカメラをどっから出した? 初対面の時に血で汚れた帽子は、今は改めて純白のきれいな物になっているワケだが。

 ゴクリ、と、俺は生唾(なまつば)を飲み込んで、ウメハラの帽子に手を伸ばした。まさかとは思うが、その帽子の裏側が異次元と繋がってたりしないだろうか、なんて淡い期待を込めて。

 だが刹那、ヤツの得物(えもの)である鋭利な手斧が(きら)めいて、刃の軌跡を俺の指先に残した。

「サワルんじゃねーでゲスよ、このゲスヤロウ!」

 今にも噛み付きそうな勢いで俺を威嚇するウメハラ。ああ、指が落ちなくて良かったよホント。そう思ってしまうほど、マジでチビりそうだったんデスが。

 だが、ミノが顎先で指示すると、ウメハラは頷き、俺にそのビデオカメラを手渡した。

「ソウサはワカルでゲスね?」

「ああ、まぁ、分かるけど」

「じゃあ、俺がここのドア蹴破ったら、直後に回せ。一、二の三、だぜ」

 ミノのセリフに、俺はもう既に引き返せないところまで来ていることを感じた。何をするかは今もって不明だが。

「じゃあ、アッシがウチカギをコワシたら、ケヤブるでゲス」

 手斧の刃が鈍い光を発するなか、ウメハラがドアの前で身構える。その時だった。

「羅魅亜、胸おっきくなったね~っ!」

「当然ですわ。幼少時から、その為の努力をしてまいりましたもの」

 キャッキャウフフと、微かではあるが、このドアの向こうから楽しげな声が聞こえた。

「あ~、え~、そういう事な?」

 つまりミノとウメハラは、『覗き』というイベントを青春の一ページに加えたいのだろう。

 まぁ、正直俺も興味はあるが。

 しかしそれだけに確認しておかなければならない事もある。それはこの行動がNGかどうかという部分だ。取り敢えず、春菜先生に血を吸われるのだけは二度とゴメンだからな。

「でもいいのか? 俺、春菜先生とリーユンの胸触ったら、メッチャ怒られたぞ?」

 そんな何気ない一言を言ったとき、ミノとウメハラの纏う雰囲気が変わった。

 それはまるで、地獄の底から湧き出てくる、不浄な何かの化身であるかのような。

「ナニいいいぃっ? テメェ、春菜先生が、密かにこの学園のアイドルだって知ってての狼藉なんだろうな? 羨ましい! 揉んだのか? あの巨ぬー揉んだんだなっ?」

 俺の襟首を掴んで引き寄せ、ミノがそう問うてくる。サングラスの向こう側で、その目が血走っている気がした。

 そして、俺はミノの問いに、思わずあの感触を思い出してしまう。ひたすらに柔らかく、心地良い感触。自然と鼻の下がのびていく。

「う~ん……揉んだ」

 無意識に俺がそう呟くと、二人の雰囲気が更に変わった。今度は真っ白な灰になった、どこかのボクサーの様だ。

 だがしかし、それも一瞬の事。直後には、モノクロだったキャラが熱い――もとい、暑苦しい色を纏う。そして、闇よりもなお(くら)く、(よこしま)な情念までも。

「ユルサネェ……ユルサネェでゲスよ」

 背景に暗黒を纏って凄んでくるウメハラ。

 その傍で、ミノが俺の胸ぐらを掴んだまま、無表情で口を開いた。

「悪いが作戦変更だ、死んでこい黎九郎。一、二の――」

「三!」

「キェーッ!」

 気合――もとい、奇声と共にドア鍵を一閃するウメハラと同時に、

 バゴン!

 ミノが直後にドアを蹴破り、

()けぇ! 黎九郎!」

「うおわぁっ?」

 俺はその中に放りこまれ、その床に這いつくばった。

 で、直後にドアが閉められる。

「えっ? えっ? なにっ?」

「やだ! ちょっとあれ、このあいだ転入してきたアイツじゃないっ?」

 え~っと……。

 混乱しつつ顔を上げた俺の耳に届くは、高い声質の、どう考えても女の子達の声。

 でもって俺の視線の先には、着替え途中の女子の姿がある。

 体育の授業は隣のクラスと二クラス合同で行われるワケだが、それと等しい人数がこの部屋には居た。それはつまり、ここが女子の更衣室であるという事を示しているワケで。

 俺の姿を見て、涙を滲ませている獣耳の子。

 唖然として俺を見ている、両腕が翼になってる子。

 例の『腐女子』は状況が分かってるんだかなんなんだか、マイペースにあ~う~言ってるし。

 で――

『きゃあああああっ!』

 一瞬の間を置いて、大音量の悲鳴が室内を満たした。

「あ~、いや、すまんが俺にも状況が……」

 取り敢えず言い訳をしてみる。

 つか、女の子とはいえ、どいつもこいつも俺なんか瞬殺できちゃう魔物たちだ。多分、ここで殺されても、きっと事故死あつかいだよね?

 そんな風に死を覚悟した時だ。

「……サイテー……」

 不意に、悲鳴に混じって聞き慣れた声が聞こえた。

 見ると、その先には下着姿のリーユンが、胸元を腕で隠して俺を見下ろしている。

「もう、言って下さいましたら、下着姿の一つくらい、いつでもお見せできますのに……」

 否定的なご意見が多い中で、容認するセリフを吐くヤツがいる。もちろん、そんな事を言ってくれるのは、いいカンジに頬を染めた羅魅亜お嬢様だ。

 人間型のコで着替え終わってるコは、シャツにブルマーという風体なのだが、蛇腹である羅魅亜だけは、他のコのブルマーと同色の布を腰(?)に巻いている。

 まぁアレだ、羅魅亜にゃ悪いが、運動着ってより腹巻にしか見えん。

「え、なになに? このコ、例の人間の生き残り? カワイイかも~!」

 羅魅亜に続くのは、頭がヤギのコだ。ちなみに下半身もヤギで、上半身だけが人間のそれ。

 そんなヤツが、俺の顔を見て舌なめずりをしている。

 う~ん、どっちかっつーと、俺の方が被害者になりかねん状況な気がするんだが。

「……やっぱりヘンタイ」

 ……ざっくり。

 更に重ねられたリーユンの一言が、俺の胸に突き刺さる。

「いや、これはだな、ミノとウメハラにハメられたっつーか。断じて俺の意志ではないぞ?」

「……右手のそれ、説得力無いんだけど」

 まるで汚物でも見るかのような眼差しで、リーユンがビデオカメラを見ている。

 うん、いや、ごもっともなご意見ありがとう!

「いや、これはだな。これもウメハラが……」

「あら、ワタクシは撮られても構いませんわよ? 何一つ恥じるところなどありませんもの。それに……黎さんなら、どんな事でも許せます。……きゃ~っ! 言ってしまいましたわぁ~っ!」

 なんかこう、一人だけテンション上がってる羅魅亜は置いといて、他の連中の視線が痛い。

「え~、いや、邪魔したな。じゃあ俺はこれで」

 もはや、言い訳している余裕など無い。もうすでに、事態はリアルに『死活問題』に発展している。

 取り敢えず、ミノとウメハラは後で一発食らわせるとして、早急にここから脱出しなくては命が危ない。

「アディオス!」

 俺は爽やかに左手を挙げて挨拶を残すと、ドアノブに手をかけた。で、引いてみる。

「……あれ?」

 ドアは、外から何者かによって固定されているかのように固く閉ざされている。

 というか、これは確実に何者かが閉ざしているんだろう。もっと言えば、それはあの牛力野郎に違いあるまい。

 だから俺は、ヤツを絶対ユッケにしてやると心に誓った。

 暗雲立ち込める室内で、味方は恐らく羅魅亜とヤギっ子のみ。

 リーユンはと言えば、さすがにいつもの無表情ではいられないようで、明確に俺を睨んでいる。まぁ、さっき怒らせた分もあるんだろうな~、とは思うんだけど。

「ちっくしょーミノ! テメェあ~け~ろ~こ~らぁ~っ!」

 ガチャガチャと音を立ててドアを揺すってみるが、一向に開く気配がない。

 で、女子たちの方をチラ見すると、リーユン含めた殆どが俺を睨みつけてるとか。

 オイオイオイ、キバ剥いて唸ってるコまでいるぞ? うわ~、かじられたら痛そ~だなぁ。

――ヘンタイヘンタイヘンタイヘンタイ――

 彼女たちの視線が、明確にそんなセリフを代弁している。

「は、はは……もちょっとだけ待っててね?」

 笑顔を引きつらせながら、しかし視界が歪んでいく。

 やべぇ、ちっくしょー泣けてきた。気分どん底だぜ。ミノとウメハラ、絶対ぶん殴ってやる。

 そう心に誓いつつ、追い詰められた俺は、ついにウズメを呼び出すことにした。

(ウズメ~、ALSパック送ってくれぇ~)

(あらら、どしたの? ピンチ?)

(ピンチ以外に使いどころ無いだろ~、ALSなんてよ~)

(はいはい)

 早速ウズメがALSスキルパックを送ってくれた。と同時に額の生体端末へのインストールが始まる。

 ALSとは、アンチ・リミット・システムの略。

 人間の身体には、無意識的に『全力』を抑制する制御機能が生まれながらに備わっている。

 それは、全力を出し続ければ筋繊維や骨が断裂、崩壊してしまうからだ。だから生命の危機が訪れた時などに、脳内麻薬の影響で、普段は封印されている『全力』を解放する瞬間がある。

 平たく言えば、『火事場の馬鹿力』ってヤツの事。

 ALSは、それを人体に影響の出ない範囲で制御し、ポイントポイントで封印を解く。と、そういうシステムだ。戦闘ならば殴る瞬間とか、移動するなら蹴り足が地面を蹴る一瞬。そういったタイミングで『全力』を解放してくれる。

 だから俺は、

(ALSインストール完了)

 そのメッセージが脳裏に現れたと同時に、

「じゃ、じゃあ改めて、アディオス!」

 そう挨拶を残し、ドアノブを握って身構えた。

 多分『全力』を解放したなら、外に居るミノごとドアを開ける事ができるだろう。

 問題は、ドアを開けてミノを引っ張り込んだ時に、ヤツの巨体が入り口を塞いでしまわないかどうかだが、もうこうなりゃヤケだ。

 詰まったら詰まったで、ちょっと高い場所にある明かり取りの窓を突き破って逃げるまでのこと。詰まって動けないミノが俺の代わりにボコられてくれるだろう。

「うおらああぁっ! 開けええぇぇぇっ!」

 俺は、瞬間的に全力を解放し、ドアノブを引いた。

 だが。

「おごああぁぁぁぁっ?」

 刹那、何の抵抗もなくドアが開き、ノブとは逆側の蝶番がはじけ飛んで、俺の体ごと後方に吹っ飛んだ。俺は思わず後頭部を強打し、一瞬意識が飛びそうになる。

「きゃあっ? 黎さんっ?」

 ニョロニョロと、ぬる~い動きで羅魅亜が近づいてきて、俺の上半身を起こしてくれる。

 そんな俺の視線の先には、入り口を塞ぐようにして立つ長身の人影が在った。

「ほほう、外で牛肉と座敷ワラシが踏ん張っていたから、何事かと思ってみればそういう事か。やはり人類というものは、滅んだ方が良かったのかも知れんな」

 その人物――アーウェルは、俺を見下ろし――いや、『見下し』、大袈裟に溜息をついた。

『きゃ~っ! アーウェル様~~っ!』

 刹那、やたらとムダに黄色い声が室内を満たす。

 つか、オイ、アーウェルと俺で、なんでこんなに扱いが違うんスか?

 で、一方のアーウェルは、歓声に対し、片手を軽く掲げて爽やかな笑みを浮かべている。

 いやちょっと待て? 女の子的には許せちゃう展開なの? コレ。

 俺への視線とアーウェルへの視線を見比べながら、そんな事を考えていると、

「アーウェル卿、今はまだ着替えの最中です、この部屋から出てください」

 そう言ったのは、誰でもないリーユンだ。

 彼女は一歩あゆみ出て、アーウェルの顔を真正面から見据えている。だが、俺の時とは違って、その貌はいつもの無表情だった。

 しかし、リーユンを見たアーウェルは、その貌にどこか憎悪を滲ませて彼女を睨んだ。

「……フン、春菜の娘か。リーユン・エルフだったな。遺跡から発掘されたツヴァイハーが……我らの敵が何故、我らの仲間であるかのように生活している?」

 ……え?

 アーウェルの言葉に、俺は唖然とした。

 あれ? だって、リーユンって春菜先生の娘じゃ……? 遺跡、って、俺んちみたいな地下都市の事だよな? そっから発掘したって事は……ツヴァイハーって一体?

 俺は、その言葉を発したアーウェルよりも、リーユンの顔に視線を送った。

 その時だ。

 彼女の貌を見て、

 俺の、俺の胸が、

 苦しくなった。

 今にも泣きそうに下唇を噛み締めて、リーユンは(うつむ)いている。

 あの怒りの貌以外では初めて見るリーユンの表情。

 でも正直言って、リーユンのこんな貌は見たくなかった。

「あ……リーユ……ン……?」

 俺は、どう声を掛けていいのか分からない。

 あの学園長室で聞いた、三人の会話。『ツヴァイハー』という存在に対する恐れは、それを否定していない学園長や春菜先生にも見受けられたものだ。

 ツヴァイハーが何なのかは、それを創った人類の一員である俺にも良く分からない。

 だがもし、本当に魔物達の驚異となる存在なのだとしたら、周囲はリーユンを放っておかないだろう。

「……出ていって……黎九郎……お願い……」

 搾り出すかのような、リーユンの微かな声が耳に届いた。

「黎さん? ここは、リーユンの言う通りにしてくださいませ」

 どうしていいのか分からない俺に、不意に羅魅亜がそんな声をかけた。俺が羅魅亜の顔を見ると、彼女もまた困惑している様子だ。

 それはそうかも知れない。今まで気に入らないと思っていたリーユンが、初めて彼女にこんな貌を見せたのだとしたら、困惑して当たり前だ。

 羅魅亜は俺に苦笑を見せると、アーウェルを睨みつけた。

「アーウェル卿? 委員長の言うとおりですわよ。殿方は御退室下さいまし」

 羅魅亜の物言いが気に食わなかったと見えて、アーウェルもまた羅魅亜を睨む。

「ほう、ツヴァイハーの肩を持つのですか、ル=クレール家の御令嬢は。酔狂な事だ」

 丁寧でありつつも、どこか小馬鹿にしているような物言い。そんなアーウェルの言葉に促される様に、部屋の空気が変わっていく。

「羅魅亜! 言い過ぎよ!」

「そうよ、アーウェル様に謝りなさいよ!」

「前々から、リーユン嫌いだったんだよね、あたし。それなら納得いくわ」

 次々と、羅魅亜とリーユンに投げかけられる無慈悲な言葉。

 だが次の瞬間、羅魅亜の額から、俺は確かにその音を聞いた。

 ぷちっ……。

 あれ? え? ぷち、って?

「お黙り! 貴女たち、まさかこのワタクシと一戦交えるおつもり? よろしくてよ? 我が魔術をもって、全力でお相手してさしあげますわ!」

 刹那、どこから生み出されたものか、羅魅亜の周囲に幾つもの火球と水柱が生まれ出でた。

 うっわぁ~……。

 俺は思わず血の気が失せるのを感じた。

 羅魅亜の顔を見ると、そこにはいつもの柔和な美少女は片鱗も見当たらず、代わりに、鬼女という形容こそがしっくりとくる貌がある。

 にやりと笑った口元に、ぼんやりとした鈍い光が灯っている双眸。

 こう見えて、羅魅亜は魔物たちの中でも相当に力があるのだろう。対する女の子達の中には、この姿を見ただけで頬を濡らし、戦意を喪失している者が多い。

 だが、不意にリーユンが羅魅亜と他の女子の間に立った。

「やめて羅魅亜・ル=クレール! それにみんなも! 黎九郎! 早く出ていって!」

「あ、ああ……」

「こ、こら、私に触れるな、この下等生物めが」

 リーユンの剣幕に気圧されながら、俺はドサクサ紛れにアーウェルを手で押して、一緒に退出する事にした。

 去り際、俺は羅魅亜に向けて一言を残した。「ありがとな、羅魅亜」と。

 そんな俺の言葉に、羅魅亜は頬を微かに染めて、いつもの美少女に戻っていた。

 外に出ると、俺は壁際にもたれかかって昏倒(こんとう)しているバカ牛とクソ妖精を発見した。

 おおかたアーウェルの仕業なんだろう。今のうちに憂さを晴らしてやろうとも思ったが、ひとまずはアーウェルが先だ。ヤツには訊きたいことがある。

 しかし、ヤツを問い質す事ができる程には、俺の傍から危機が去った訳ではなかったのだ。

「覗き、楽しゅうおしたか?」

 不意に俺とアーウェル、二人の背後からかけられた、聞き慣れた穏やかな声があった。

「はっ! い、いえ! 別段、これといって面白いことなど何もっ!」

「ふ、あのような小娘どもに、この私が心動かされる事など無い……さ……」

 俺は死を覚悟しつつ、

 アーウェルは余裕たっぷりに、

 春菜先生の居る真後ろに振り返る。

 が、それぞれ同時に、その先に在る春菜先生の貌を見てフリーズした。

 コレか? コレが吸血鬼の魔力ってヤツ?

 そうも思ったが、アーウェルも同様なので、あ、違うんだコレ、とか思ってみたり。


 体育の授業開始を告げるチャイムが鳴り響く中、それ以上に高らかに、それぞれに二発ずつ、計四発の往復ビンタの音が校庭に鳴り響いた。


    ◆ ◆ ◆


 ザン! と靴音をたて、二クラスの男子生徒は二チームに別れて対峙した。

 午後一の体育の授業内容。それは紳士のスポルツ『ラグビー』だそうだ。

 とはいえそれは男子だけの話で、女子はそれを眺めてのチアリーディングとか。

 うん、それはいい。女の子たちの声援を受けながらの授業ってのも悪くないと思うんだ。

 ……まぁ、リーユンはさっきの一件以来、視線を送っても目を合わせてくれないんだけども。

 その一方、アーウェルはと言えば、グラウンドの外周付近で、猫系獣人の女性体育教師と何やら話し込んでいる。

 ついさっき春菜先生に頬を張られた俺とアーウェルだったが、さすがは吸血鬼。俺の頬はまだ手形が残ってて、じんじん疼いてるっていうのに、ヤツの頬は既に元通りになっている。

 ちなみに、アーウェルの影響力はさすがに大したもののようで、俺達男子を指導する、黒いジャージに身を包んだ骸骨――つか、死神みたいな体育教師に指示をして、授業内容をラグビーにしてしまった。

「いいか~オマエら~、今日は~、この学園に多大な出資をしてくださっている~、アーウェル・ブルームフィールド伯爵がぁ~、ご見学にぃ~、来ていらっしゃる~」

 カタカタと骨を鳴らし、不思議と間延びした口調で、白骨教師がそんな事を言う。

 つか、声はどこからどうやって出してんだよ?

「……ん~? オマエかぁ~、人間のぉ~、転入生というのはぁ~」

 不意に、教師の双眸の奥に灯る、赤い光が俺を見据えた。

「は、はぁ、そうスけど……」

 俺は愛想笑いを引きつらせて、そう返答してみる。

「オマエの事はぁ~、娘のふみから~、聞いてるぞぉ~? なかなか~、やるらしいなぁ~? 一緒の授業でもぉ~、大丈夫かぁ~?」

「あ、まぁ、多分大丈夫なんじゃないスかね?」

 そう適当に返しつつ、俺は傍らの――つか、足元に居るウメハラをつまみ上げた。

――おいウメハラ、ふみって誰だよ?――

 反撃できないように首根っこをつまみ上げ、俺はウメハラの耳元に問いかけを送る。

――ケケッ! シラネーでゲスか? オマエのワリとチカクにスワッテる、ゾンビのアイツでゲス。チナミにゾンビのサイシュウケイタイが、スケルトンでゲスよ――

 ああ、なるほどね――

 その説明で、俺は全てを理解した気がした。

――あの腐女子ちゃんのお父さんかぁ。

 教室であ~う~言ってるあの腐った女の子(?)の身内だって言うワケだ。

 まぁ、どうやって繁殖してるの? とか、肉が落ちたらどうやって動くの? とか、そもそもアンデッドで親子関係ってどういう事なの? とか疑問は色々あるが、敢えて訊くまい。

 ちなみに、このお父さんの様子を見る限りでは、肉が落ちた方が知性が向上するようだ。

 ……うん、どういう事よソレ?

「ではぁ~、始めるぞぉ~、整列番号~奇数チームとぉ~、偶数チームでぇ~、対戦するぞぉ~、な~らべ~」

 教師の間延びした口調にそろそろイラっとしてきたとき、俺はふとそれに気付いた。

 俺の整列番号は九番、奇数チームだ。

 で、だね。

「ケケッ、オマエとオナじチームなんてイヤんなるでゲス」

 チームメイト、整列番号一番のウメハラが、そんなナメた口を利く。

 つか、それはこっちのセリフだ大バカヤロー!

 で、同じく十一番のデュラはん。

 ガタイは悪くないんだが、うん、俺が視線を投げて、直後にそれを避けてるあたり、十中八九使い物にならん。というか、そもそも常に自分の首を抱えてる時点で、下手にパスしたらボールと首を間違えないかが心配だ。

 その上、隣のクラスの連中はまだよく知らないし、チームワークなんかハナから期待しちゃいない。

 というのに。

「よう、黎九郎。楽しみだなぁ、オマエがどれだけやれんのか、こういうのも悪くねぇ」

 一方で、クラス一の巨漢が敵チームにいるとか。どんなワナなんだよ?

「悪いがな、勝たせてもらうぜ牛野郎。さっき秘密兵器ダウンロードしたかんな。パワーはともかく、スピードじゃ負けやしねぇ」

 ミノのサングラスの奥の瞳を睨みつけながら、俺はそんなハッタリをかましてみる。

 いや、ALSがある以上、まったく根拠のないハッタリでもない。が、人類の叡智がどれだけ魔物に通用するかは未知数だ。その上で、もう一つ懸念もある。

 向こうチーム、獣人系が多いなぁ……。

 俺はスジ目で観察し、思わず生唾を飲み込んだ。

 魔物の中でも獣人は割と人口比の多い血族だそうで、一口に獣人と言っても様々な亜種がいる。

 厳密に言えばミノもまたそのカテゴリらしいし、広義ではハルピュイアとかの鳥系や、羅魅亜みたいな蛇身系も含むんだとか。

 無論、ワーウルフやその他、犬猫系の連中なんかは言うまでもない。細分化しなきゃ、この学園の六割弱くらいが獣人系だと言っても過言じゃないというワケだ。

 で、改めて俺は自分のチームを見てみる。

 まぁ、ウメハラはしょうがないとしても、つか、単純に奇数偶数の整列順なら俺にはどうしようもないワケなんだが、なんでか知らんが、俺のチームはちっちゃい妖精系やアンデッド、はたまたウィル・オー・ウィスプとか、人型ですらないヤツらが多い。

 つか、ウィスプって日本で言うところの人魂みたいなのじゃなかったっけ? 物理干渉能力ないのに、どうやってボール持つんだよ?

 いや、そもそも体育に参加してる意味が分かんねぇし。

 まぁいい。考えたってしょーがねぇ。なるようにしかならん。

「んん~、ではぁ~、は~じめぇ~!」

 気の抜けるそんな合図とホイッスルで、試合は始まった。

 どうでもいいんだけど、骨のくせに笛吹けるとか、どんだけ器用なんスか先生?


    ◆ ◆ ◆


 後半戦に突入し、俺はカオスのまっただ中にいた。

 うん、これは既にラグビーじゃない。

 前半はグダグダ。

 ラグビーのルールを知らないヤツもいる。

 しまいにゃ、ボール咥えて四ツ足で走ってくヤツとかね。

 いやまぁ、そこまでは目を(つむ)ってもいいっちゃいいんだ。この惨状に比べれば、些細(ささい)な事としかオモエナイ。

 これ、ラグビーだよ? サバイバルゲームじゃないよ? サドンデスでもなけりゃ、デッド・オア・アライヴでもないんだよ。

 まぁ、『しあい』ってんならそうかもね。

 ズバリ、こ・ろ・し・あ・い、なんデスけど。

 そう、さすがは魔物の体育授業だけに、半ば本気の殺し合いなんデスよ。戦略もなにもあったもんじゃないし、ボールをキープしてるヤツは、例外なく敵に殺到されて血を見ている。

 で、ここで俺の懸念(けねん)が現実となり、チームの脆弱(ぜいじゃく)さがモロ浮き彫りになってるというワケだ。

 俺もまぁ、チームメイト狙ってる獣人の後頭部にケリ入れたりとかして、三人ほど血祭りにあげてやったが、それでも戦力比は差がついていく一方だった。

 とはいえALSも通用してるし、ひとまず俺自身はそれほど危機を感じてないワケなんだが。

「キエエェェェェっ! シネでゲスううぅぅっ!」

「やかましい! テメェが死ね!」

 俺は手斧を振りかざして飛び掛ってきたウメハラを、渾身(こんしん)の回し蹴りでぶっ飛ばした。

 顔面中央にカウンターで入った踵。まさにクリーンヒットしたその一撃が、ヤツを真昼の星に変えた。

 ……とまぁ、うん、こんなカンジでチームメイトに伏兵が居たり、

「ゲハハハハ! ボールより面白ぇぜこの首はよおおおぉぉぉ!」

「うわ~ん! ボクの首返してよおおおぉぉ!」

 案の定、ボールと間違えられて、というか、むしろ悪意たっぷりに取り上げられたデュラはんの首が、いつの間にかボールに取って替わってるとか。

 身体がボール(兼生首)につられて右往左往してるんだが、まぁ、あれはあれでいいのかも知れん、なんて思ってみたり。つか、首と身体、本体どっちなの?

 けどまぁ、少なくとも、試合開始直後にあっさり撃墜されたピクシーとか、ハナからボールも持てないウィスプなんかよりは確実に役に立ってる気がする。気の毒ではあるが。

 ちなみに、俺のチームでワリと多い白骨くんとゾンビくん達は、骨はバラバラに散らばってるし、ゾンビはそもそもやる気がないという体たらくだ。コイツらもまぁ、何のために体育の授業に出てるんだか理解不能な連中ではある。

 で、一方で肝心の点差としては、実は5―5のイーブンだったりして。

 うん、ぶっちゃけみんな、殺し合いがしたかったんだネ!

 と、阿鼻叫喚(あびきょうかん)の地獄――じゃなくて、体育の授業が続く中で、俺はふとそれに気付いた。

「きゃ~っ! 黎さ~ん! がんばってぇ~~っ!」

 テンション上がりまくりの羅魅亜が、他に何人かの女の子と俺を応援してくれている。

 ちなみに女子の授業はチアリーディングなので、何やら曲芸じみた応援だ。そしてそのメンバーの中には、意外なことにリーユンの姿もあった。

「機嫌、直してくれたのかな……」

 俺は小さく呟いて、彼女たちに軽く手を振って見せる。

 すると、どうしてかリーユンが、どこか罰が悪そうに視線を外してしまった。

 なんだ……?

 訝しく思った俺は、しかしリーユンの態度の正体にすぐに気付いた。

「……あの野郎、また……」

 俺の視線の先、リーユンの傍らにアーウェルが立っている。俺は意識を集中した。

 リーユン達と俺との距離は、約四十メートルほどだろうか。さすがに周囲の怒号と悲鳴と歓声が邪魔をして、会話内容まではクリーンに聞き取れない。

 だが、微かに動くアーウェルの口元から、俺は探知スキルを駆使して会話内容を抽出した。

「ツヴァイハーよ。お前は何が目的なのだ? 春菜は母親面をして、お前を大切に扱っている様だが……だからといって、慕うのは無意味だぞ」

 アーウェルの問いに、しかしリーユンは無言だった。

 が、問い詰められている本人の代わりに、不機嫌そうな表情で羅魅亜が口を開く。

「アーウェル卿、貴方もしつこい方ですわね。ツヴァイハーが脅威とおっしゃいますけれども、どのような根拠がありまして?」

「これはル=クレール家の御令嬢。意外でしたな、気高き家柄の貴女が、このような人類の落とし子に肩入れするとは。まさかとは思いますが、友人関係でしたかな?」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、アーウェルは羅魅亜を挑発するように言葉を紡ぐ。

 しかし、それが分かっているのだろうか。羅魅亜はむしろ嘲笑を浮かべてアーウェルを見据えた。

「リーユンごとき、わたくしの相手にはならない、と申し上げているのですわ。むしろアーウェル卿、貴方のその恐れ様こそ滑稽に見えますわよ?」

「……フン、この小娘を恐れている訳ではない。貴女は何も分かっていない。真に恐ろしいのは、覚醒後に出てくる何かですよ」

「……何か?」

 アーウェルの言葉に、羅魅亜が訝しげな表情を浮かべた。

「さて、詳細は、むしろあの少年の方が詳しいかも知れない。とぼけた顔をしているが、人間など信用できるものか。……御令嬢、貴女も騙されて涙を呑む事になりませぬように」

 胸に手を当て、うやうやしく一礼するアーウェル。

 そんな彼の仕草を一瞥し、羅魅亜が俺に視線を投げてくる。それはまるで、「そんな事ありませんわよね?」と、問いかけているかのようだった。

 俺の額に、思わず青筋が浮いた。ったく、アーウェルの野郎、イイカゲンな事ベラベラのたくりやがって。

 羅魅亜はいいヤツだ。別に彼女の望み通りに婿養子になる気なんざサラサラ無いが、普通に友情を構築するのには申し分ない。それに――

 俺は、リーユンに視線を移す。

 刹那、俺の胸の奥が痛んだ気がした。

 リーユンは、眉根を寄せていた。微かに下唇を噛み、何かに耐えるように俯いて。

「お~い、東郷~、どこ行くんだぁ~、授業は~、まだ続いてるぞぉ~」

 背後から、体育教師のそんな声が届く。だが、俺は既に、アーウェルに一言言ってやらないと気が済まなくなっていた。

 リーユンだけじゃない。羅魅亜にまでワケ分かんない事言いやがってあの野郎。

 俺は、今のこの物騒で平穏な日常が気に入ってるんだ。そこには当然リーユンと羅魅亜も含まれてる。

 と、そんな俺の様子に気づいたか、いつの間にか、アーウェルがじっと俺を見ているのに気付いた。しかも、その視線には何かうすら寒いものを載せて。

「レイクロー! そっちイッタでゲスよ!」

 刹那、背後から何かが飛来する気配と、星になったはずの殺人妖精の声が耳に届いた。

 胸中で舌打ちをすると、俺は向き直り、ボールとなったデュラはんの首をキャッチする。ひとまずアーウェルに一言いうのはおあずけだ。

 まぁ、それはいいとしても。

 俺は、思わず反射的にキャッチしたそれを、まじまじと見詰めた。

 相変わらずというか、当然の反応というか、結構イケメンなんじゃないかと思われるその首の視線が、俺の視線を避けるように横へと流れていく。

 しかし、う~ん、実質生首なワケだし、正直な感想としては、やっぱキモいなコレ。

「うおらああぁぁぁっ! 黎九郎! 行くぞごるあああぁぁぁっ!」

 俺がデュラはんの首にスジ目で気を取られていると、地響きを立てて爆走してくるデカブツの姿が在った。鋭利な頭の角を正確にこちらにむけて突進してくるあたり、()る気満々デスね?

 そしてもう一人。

「ケケケケケッ! イマでゲスヨオオオオッ!」

 なかなかナイスタイミングで遠くから飛び跳ねてくるクソ妖精の姿も見える。

 だからオマエ、チームメイトがどういうものか理解してないだろ?

 まぁ、ALSがある以上、かわす程度ならいつでも出来るし、慌てることもない。

 両者の到達タイミングが同時だってのも探知スキルで測ったし、つか、お前らって組ませるとロクなことしないね?

 ま、いいけどさ。同時攻撃は危ないって事、身を持って教えてやろう。

 俺はデュラはんの生首を直上に高く放り投げると身構えた。

「うおらあああぁぁぁぁっ!」

「キエエエエエェェェェッ!」

 直後、俺の身に迫る角と斧。

 それに対する俺の対処は簡単だ。振り下ろされる斧を側面から叩き、その軌道をミノのドタマに向けさせる。

 体重の軽いウメハラはそれに引かれてミノ――もっと言えば、ミノの角を前に無防備な身体を晒すことになるだろう。

 あとはまぁ、知った事じゃない。コイツらなら死なないだろうし。

 しかし、それは俺が手斧を弾く直前の事だった。

「アギョッ?」

 奇妙な悲鳴と共に弾けたのは、『ウメハラの頭』だったのだ。

 まるで浜辺でメッタ打ちにされたスイカの様に、ウメハラの『中身』が周囲に飛び散る。

 だが、それだけではこの状況は終わらなかった。俺が当初の予定を一瞬で変更し、()け反ってミノの角をかわしたと同時に、ミノのサングラスまでもが砕け散ったのだ。

 仰け反り、バック転でミノの突進を避けた俺は、その直後に戦意を喪失してしまった。

「ぶふっ!」

 俺が目にしたのは、他でもないミノの素顔。

 ああ、いや、うん、可能性としては考えてはいたよ。人前で絶対に外さないサングラスの奥。そこに隠された可能性を。

「ドナドナ! ドナドナっスかミノさん!」

 俺は腹を抱えて笑い転げながら、可愛らしいその無垢な瞳を堪能していた。

 次から次からこみ上げる笑いを、俺は止めることができない。横隔膜が激しく振動し、たまらず地面を叩いて笑いころげる。

 だが。

「……おい黎九郎、テメェ逃げた方がいいぜ?」

 ぽつり、と、ミノがそんな事を言った気がした。

 気が付けばミノは、地面に散らばったウメハラの、真っ赤な『カケラ』を見詰めて震えている。

 こんなのは日常茶飯事だろうに。どうせウメハラの事だ、次の授業には問題なく出てくるだろう。

 だってのに、キレかかってるんだかなんなんだか、ミノは何かを堪えているようだ。

「おい、一応言っとくけど、今の攻撃俺じゃねーぞ?」

 そう言葉にしてみて、俺は改めておかしいと思った。うん、確かに今のは俺じゃない。

 まるで何かが飛来してウメハラの頭を砕き、同時にミノのサングラスを粉砕したのだ。

 それは多分、飛礫(ひれき)の類。誰かが小石を高速で飛ばしたのだろう。それが、俺の探知スキルが導いた結論だ。

 とはいえ、それはあるいは俺を狙ってのものだったかも知れず、俺は改めて背筋に冷たいものを感じてしまう。そして、俺は小石が飛来した方向を見やった。

 ソイツ――アーウェル・ブルームフィールド伯爵は、まるで俺に見せつけるかのように、視線の先で掌に残った小石を足元に落としてみせた。

 その口元には微かな嘲笑が乗り、しかし、それが直接俺へ送ったものではないと直後に感じさせる。

 そう、この一連の行動は、あくまでリーユン――ツヴァイハーと目される彼女へのものだったのだ。俺への嫌がらせが、リーユンに与える影響を考慮しての。

 だが、そんな事を考える余裕が有ったのはそこまでだった。

 その時、俺は背筋に冷たいものを感じたからだ。

「ヴォルオオオオオオオォォォッ!」

 それはまるで、大気を弾き飛ばすかのような咆哮。

 気が付けば、ラグビーをしていた男子生徒は、全てグラウンドの周囲に退避している。

 残っているのは試合中に散らばった白骨共と、ウメハラの暫定的な死体だけ。

「……って、ウッソ」

 俺は思わずスジ目になり、ただそれを見上げていた。

 自然と冷や汗が浮き上がり、頬を伝って顎先から滴り落ちていく。

 俺の目前には、軽く数倍以上の体格に膨れ上がったミノの姿が在った。

 頭部は完全に雄牛のそれ。たいしたもんで、どういう素材かは知らないが、体操服の上下は伸びるにいいだけ伸びて、辛うじて大胸筋と腰回りを隠している。

 身の丈が十メートルを超えたその巨躯は、伝説のミノタウロスそのままだ。こういうの、『変身した』ってよりは『本性を表した』って表現した方がより適切なんだろう。

「黎九郎!」

「黎さん!」

 俺の名を呼ぶ二つの声と、

『逃げてぇ~~~っ!』

 重なりあった警告が耳に届いた。

 言われなくてもそうするって!

 そう思った直後――

「ヴォルアアアァァァァッ!」

――咆哮(ほうこう)と同時に巨大な拳が俺を襲った。

 ALSが働き、俺は一瞬で十数メートル後方に跳ねる。

 デカきゃいいってもんじゃないだろ、スピードが無くなるから――

 な、と頭の中で続けるはずだったのが、しかし、俺にはそこまで考える余裕すら無かった。

「うおわあっ?」

 巨大な拳が再度俺を襲い、俺はそれをいなしつつ、その腕の上に駆け上った。鈍牛ってカンジの見た目なのに、スピードまで増してるとか、一体どんなパワーアップなんだよ?

 だがそれでも弱点はあるだろう。俺の見立てでは頭部、それも、鍛えようもない側頭部だ。

 もっと言えば耳の辺り。三半規管の在るそこに強い衝撃を与えれば、一時的にでも麻痺させられるハズ。まぁ、人間とか、当たり前の動物と同じ身体構造なら、だけど。

 そして案の定、俺に拳撃をかわされたミノは、体勢を崩して大きな隙が出来ていた。

 いくらスピードがあろうと、崩した体勢を立て直すのには時間が要る。

「もらったああぁぁぁっ!」

 俺はミノの肩口まで駆け上がると、その勢いで回し蹴りを放った。

 ALSの働きで音速まで加速された踵がミノの側頭部を襲う。

 が、

「……え?」

 直後、何が起こったのか。理解するまで俺は数秒を要した。

 俺の身体は、虚空を舞っていた。

 錐揉(きりも)みしながら、俺の身体は今、地面から数十メートルの高さに在る。

「……そうか……角……」

 俺は、混乱のさなかに思い出した。踵がヒットする直前に、ミノの角が俺の身体を真上に弾いたのだ。

 いや、角だけの力でこうなった訳じゃない。回し蹴りによる強烈な円運動の勢いが合わさった結果の現状という訳だ。

「……やべ、マジ死ぬかも、俺」

 俺は思わず口元を引きつらせた。

 身体をひねって錐揉み状態を制御し、なんとか体勢を整えた俺は、眼下に待っているミノの角を改めて見詰めた。

 雄々しく天を衝く鋭利な双角が、俺の落下を待っている。あんなぶっといツノがこの身体を貫いて、生きていられる自信は俺にはない。

 それに、なんとか角をかわせたとしても、直後に拳を喰らったり、あのデカい掌に握りこまれて潰されれば、もっと悲惨なことになる。

 つまり、地に足の着いていない俺は、『詰み』状態ってワケだ。

 上昇する物理エネルギーを使い果たし、身体が落下を始めると、俺は半ば無意識にリーユンを見ている自分に気が付いた。

 俺の視線の先で、リーユンは顔を(あお)くし、唖然として目を見張っていた。

 それはまるで、ごく普通の女の子が――いや、ごく普通の女の子がどういうものか知らないが、とにかく唖然とするその貌が、やけにリーユンを普通の女の子として見せている気がした。

「あ~あ……笑わせてみたかったなぁ……」

 思い残した事はたくさんある筈なのに、どうしてか、呟きとして口からこぼれ落ちたのは、そんな気の利かない一言だけ。

 魔物社会で暮らすと決めた以上、どこかでこうなる覚悟はしていた。でも、こんなに早く、しかもリーユンの笑顔を見る前に、その瞬間が訪れてしまうとは。

 春菜先生や羅魅亜とか、クラスの女の子の笑顔は大体見た。なんか、いいもんだな~って思ってたりもした。だからそれだけに、なんか悔しい気がするんだ。

 とはいえ、こうなっちまったもんはしょうがない。人類もおおかた滅びたみたいだし、リーユンも、俺とは違う何かみたいだしな。謎が解けないままにオサラバってのも後味が悪いが、現状を覆せる要素は何も無い。

 刻一刻と迫る鋭利な角を見詰めながら、俺は覚悟を決めた。

 あ~、アレ刺さったら痛そうだなぁ~……。

 な~んて間抜けな感想を抱いたその時――まるで転移してきたかのような速さで、その人影がミノの傍らに立った。

 そして次の瞬間には、手に持った注射器の針をミノの身体に刺していた。

「ヴォルアアアァァァァッ!」

 再びの咆哮。あんなちっさな針の注射でも痛かったのか、ミノがその人物相手に暴れ始める。

 相手を認識しているのかも疑わしいが、しかし暴風の様に両腕を振り回すミノの攻撃を、その人――春菜先生は余裕でかわしていた。

 やがて――

「……あ、止まった」

 俺はミノを見て、思わずそう呟いていた。

 つぶらな瞳が虚空を見つめ、口元にはだらしなく涎を垂らし始めたと思うと、ミノの身体が急速に元のサイズに戻っていったのだ。

 そして、そんな様子を唖然として見ていた俺は――

「ゴフゥっ?」

――力なく丸まったミノの背中に顔面から激突し、首の辺りから「グキ」というイヤな音が聞こえたのだった。


    ◆ ◆ ◆


 ムチウチ全治三週間。

 そう診断され、俺は学校の保健室――というよりも、医務室とさえ言える医療施設でベッドに寝かされていた。

「よう、おめー、よく生きてたな?」

 不意に耳に届いた声に促され、右隣に視線を送ると、隣のベッドには、同様にミノが寝かされている。

「いや、マジで死ぬかと思った。オマエ、春菜先生に何注射されたんだよ?」

 言いたいことは山ほどあるが、ひとまず俺は、ミノにそんな事を訊いてみた。

「まぁ、聞かぬが花、ってヤツだぜ。……しばらく隔離されるらしいけどな」

「……うん、分かった。聞かないでおく。つか、聞きたくない」

 ミノの言葉に、俺は即答した。そして強く思うのだ。

 しばらく、牛丼は食う気にならないだろう、と。

「で、なにオマエ、赤色見ると暴走するワケ?」

 俺は先刻見たミノの様子を思い出しながら、そう訊いてみる。

 サングラスが砕け、ウメハラが流した血を直に見てコイツは暴走した。

 あの状況から、どう考えてもそうとしか思えない。

「シラナカッタんでゲスか。ケケケケッ。ミノオはアカいろニガテなんでゲスよ」

 左隣のベッドで包帯だらけになっているウメハラの言葉に、俺は思わずその一言を口走る。

「……まるっきり牛じゃねぇかよ……」

「ほっとけバカヤロー……」

 男泣きに泣きながら、ミノがそう返してくる。

 うん、多分、これで色々ミノの評価が下がるんだろうね、ご愁傷さま!

 とか、そんな事を思いつつ、俺は容赦ない春菜先生の行動に、ありがたみと同時に恐怖を覚えていた。

 俺の記憶にある春菜先生は、終始いつもの笑顔だったような気がするんだ、確か。

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