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一章 こんにちは、ボク人間です

基本はコメディなのですが、アクションやコメディ要素の一環として、血を見るような描写もあります。苦手な方はご遠慮ください。

 白い光が(まぶた)の奥を照らしてくる。

 じわりと顔が熱くなってきて、俺は瞼を開けた。

 上体を起こし、窓際に置いてある鏡を見る。

 そこには、気だるげな眼差しの、人畜無害(じんちくむがい)の化身みたいなヤツが映っている。

 額の黒い菱形は、別にインド人を気取ってるワケじゃなくて、脳内に生体端末をインプラントしてある証だ。

 東郷黎九郎(とうごうれいくろう)。十七歳。地下都市M四〇唯一の生き残り。つか、まぁ、俺の事なんだけれども。

 俺は乱れた黒髪を撫で付け、いつものように後ろに流すと室内を見回した。

 そこは白い部屋だった。医務室を想わせるが、しかしあの地下都市の医務室よりは、ずっとシャレた感じがする。

 花瓶やテーブル、純白のカーテンを始め、視界の中に在る調度品は言うに及ばず、いま俺が横になっているベッドさえも地味なものではなく、きちんとデザインされたものだ。

「ここ……どこだよ……」

 まだぼんやりとする脳裏の中に生まれ落ちた言葉を呟いてみる。と、

「あら、目ぇ()めはったんどすか?」

 そんな言葉と共に、ベッドを囲むカーテンが開かれ、裏からその人が現れた。

 素直な黒髪を大きな紫のリボンでポニーテールにしたその人は、出逢(であ)ったときと同じような衣装に身を包んで、俺の(そば)に置かれた椅子に腰掛けた。

 そして、その後ろにもう一人、あの時に一緒にいた人物も姿を見せる。

 あの時は印象に残らなかったが、腰までの長さの漆黒の三つ編みを揺らし、鳶色のブレザーと、それと同色で膝丈のフレアスカートという格好だ。何より、あの時は掛けていなかった、フレームの太い楕円形のメガネが今は印象的だ。

 だがそれでも、あの時に出逢った人物の一人に間違いはない。

 そんな二人の姿を見て、俺はようやく確信できた。と同時に自嘲的な笑いが込み上げてくる。

「ははっ……女……だったのかぁ……」

 まぁね、そんな可能性も、一応頭の片隅にはあったよ。

 でも、俺が知ってる『女』ってのは、じっちゃんの持ってた文献の絵の中にしか居なくて、その中の彼女たちには、いま目の前にあるような、立派な胸は付いてなかったんだ。

 俺の知識の源泉――頼みの綱のデータベースは、地下都市の管理コンピュータの経年劣化によって記憶領域が減少していき、本当に必要なデータだけを残していった結果、旧世代の姿を写した画像などはもう残っていない。

 つまり、じっちゃんや親父に育てられた俺が『生きている女』を見たのは、あの時が初めてだったというワケだ。

「あの、ひょっとして……女いうもんを見たこと無かったんどすか?」

 不意に、袴姿の彼女が不思議そうに訊いてくる。

 後ろの少女に『お母さん』と呼ばれていた彼女は、しかし精々が二十代前半――ヘタをするとまだ十代と言っても通用しそうな顔立ちをしている。

「まぁね」

 俺がそう返すと、袴姿の彼女は困ったように微笑んだ。

「そやったら、しょうがありませんなぁ。もう二度と、あんなんしたらあきませんえ?」

 柔らかな微笑みと、それに負けないくらいに穏やかな物腰。

 だが、俺はあの時の事を思い出して口元を引きつらせた。

 目の前に居るのは、その見た目から想像できるような生やさしい存在じゃない。

 生唾を飲み込んで彼女の顔を見詰めると、俺の意図が分かったのか、彼女もまた笑顔を引きつらせた。

「あの、俺、悪気があってやった訳じゃ……」

 そう言いかけたとき、不意にブレザーの子が口を開いた。まるで無感情な眼差しで、俺を見据えて。

「ヘンタイ……って言うんでしょ? アナタみたいなの」

 沈黙が、室内を満たす。

 袴の女性も、笑顔を引きつらせたままでフリーズしている。

 なんだろう?

 なんなんだろう?

 ヘンタイ? 何それオイシイの?

 つか、初めて他人の口から聞くその言葉が、どうして俺の胸をこんなにもエグるの?

(ウズメ!)

 たまらなくなって、俺は地下都市の管理AI『ウズメ』を呼んでみた。

 彼女はオヤジたち亡き後、俺のサポートをしてくれる、唯一の身内と呼べる存在だ。

(はいは~い! どうしたの? 黎九郎。なんか大変な事でも起こった?)

 生体端末を通じて、脳裏にウズメの脳天気な声が響く。しかしその呑気さも、今の俺には役に立たない。

(ヘヘヘ、ヘンタイってなんスかっ?)

 混乱を極める思考の只中で、俺は辛うじてそう訊いてみる。

(は~い、データ転送するわね~?)

 言って、ウズメは辞書ソフトのデータをまるごと転送してきやがった。


 へんたい(変態)とは

 イ、姿形をかえること。また、変わったあとの姿形。

 ロ、正常ではない状態。

 ハ、変態性欲の略称。


 イ、は違う。俺の形は変わってない。

 ロ、も違う。ビョーキとかじゃないよ? 俺。

 だったら残るは――

「ヘヘ、ヘンタイですか俺はっ?」

 (あご)を落とすようにして大口を開け、俺はスジ目で少女を見上げた。

 目の前で、相変わらず無感情なままに少女が小さく(うなず)く。

「うん、胸揉んでたから。特にお母さんの、ねっちりねっちり。初対面なのに」

「リ、リーユンちゃ~ん……」

 苦笑と共に呟く袴の女性。そんな彼女とふと目が合うと、彼女は俺の視線から隠すかのように、その立派な胸を両腕で抱いた。

「ヘ、ヘンタイですかっ? 俺っ?」

「そ、そやねぇ……あの手つきはちょっと……」

 (ひか)え目な物言い。だがそれは、少女の言葉を否定しているものではない。

「……ヘンタイ」

「ぐふぅっ!」

 少女の最後の追い打ちが、俺のグラスハートにヒットした。

「ち、チクショーうるせ~っ! 女初めて見たって言ってんだろ!」

「……ヘンタイの上に逆ギレなんて、サイテー……」

 まるで、取るに足らないちっぽけな存在でも見下しているかのような、少女の冷徹な眼差し。

 その瞬間、俺は真っ白に燃え尽きていた。

「あらあら、案外繊細なコやねぇ……」

「お母さん、そろそろ学校行かないと、遅れるよ?」

「うん、ウチまだこのコと話していきますよって……リーユンはどないします?」

「……お母さんが心配だから、一緒にいるよ」

 燃え尽きた俺の傍らで、勝手に日常会話を進めていく母娘。

 つかナニか? 俺は危険人物デスか?

 と、不意に袴の女性が俺に向き直った。

「さて、そろそろ戻ってきておくれやす? そやないと、自己紹介できませんよってに」

「え~……東郷、黎九郎っす……ヘンタイデス……うおぅ! うおぅ! うおぅ!」

 ヘンタイの四文字を噛み締めながら、俺の双眸がしょっぱい体液を滝のように流し始める。

 うん、しょっぺぇ! しょっぺぇよ親父! じっちゃん! どうして俺は、こんな羞恥(しゅうち)プレイを強要されてるんデスかっ?

「あ~、泣かへん泣かへん、ウチは春菜(はるな)言います。春菜・フォン・ヴァンシュタインどす。それからこっちの子は、ウチの娘のリーユン。キミも知っての通り、これでもウチ、吸血鬼の末裔なんどすえ?」

――吸血鬼の末裔(まつえい)なんどすえ――

 彼女の言葉尻で、俺は瞬時に素に戻った。ベッドから跳び退き、着地と同時に半身に構える。

 そうだ、そうだったんだ。目の前の女性は、俺達人類とは根本から違う存在。

(ウズメ! 吸血鬼のデータ! 同時に戦闘スキルパックダウンロード!)

 脳裏でそう命令すると同時に、俺の脳裏に各種データが送られてくる。

 刹那、イマイチ良く分からない吸血鬼という存在の、その詳細が俺の中に送られてくる。

 太陽や十字架、流れる水、ニンニクという弱点。だがそれらの項目は当てにならない。

 文献によって違うそんな内容ではなく、本当に確かな事は、やはり俺が経験した事だ。驚異的な身体能力と、そして、血を吸うというその特殊な能力。

 だが――

 どこか(さみ)しげに、春菜は微笑んでみせた。

「先日は、ごめんなさい」

 言って、春菜は(こうべ)()れる。俺は思わず唖然としてしまった。

 ひとしきり頭を下げた彼女がその顔を上げると、そこには当惑が浮かんでいた。

「ウチ、その……急にあないな事されて、動転してしもて……堪忍(かんにん)……してもらえへんどすやろか?」

 一度視線を外し、その上で遠慮がちにちらちらと俺の顔色を(うかが)う春菜の様子に、俺はいつの間にか警戒を解いてしまっていた。

 彼女の様子を見ていると、不意に俺の方こそが悪かったのだと思えてくる。

「あ、いや、えっと……俺の方こそ……その、ごめんなさい……」

 (ほほ)()きながら、そう言って俺が謝ると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「おあいこ……やね?」

「あ……そ、そうなるのかな……」

 どう考えても、色々と受けたダメージは俺の方がデカい気がするが、ひとまずここは無視しておく事にする。なにげに和やかな雰囲気だが、俺はまだ確かめていないことがある事に気付いたから。

 今のところ敵意や殺気は感じない。だが、相手の目的も分からないのだ。

「えっと……な、何が目的なんだ? 俺をどうする気だ?」

「黎九郎くん……黎くん、って呼んでもええ?」

「……へ? あ、まぁ、別に構わないけど……」

 緊張感のキの字もない、おっとりとした春菜の言葉に気を()がれながら、そう返事をすると、彼女は不意に真摯(しんし)な眼差しを俺に向けた。

「黎くん、お父はんとお祖父はん亡うなってはるんやね? もし黎くん一人ぼっちやって、もし良かったら……ウチらと暮らしませんか? もちろん、強制するつもりはありません。遺跡に戻りたかったら、それも自由どす。……どうどすやろか?」

 言葉尻で、俺の反応を覗うように上目遣いをする彼女。その愛嬌のある眼差しを受け止めながら、俺は、

「あ……べ、別に、構わない……けど……」

 そう、答えてしまっていた。

「ほんま? 嬉しいわぁ、ほなさっそく、転入の手続きせなあかんね~」

 顔の横で手を組みながら微笑む彼女。どうしても何かを企んでいる様には思えない。

 とまぁ、それは一先ず置いといて。しかし俺は、彼女の言葉に不可解な点を見つけた。

「は? 転入? って?」

「はい、ウチ学校の先生してますのえ? 黎くんにも、学校でお勉強してもらいますさかいに。せやからウチの事は、『春菜先生』て呼んでくれはると、嬉しいわぁ~」

「……は、はぁ、春菜……先生……っスか……」

 意図しない方向に話が進んでいく中、俺が唖然としていると、彼女――春菜先生は立ち上がって俺の手を取った。

「ほな、今日は制服買いに行ってぇ、あ、あと、寮に入ってもらいますさかいに、生活雑貨も買いに行かなねぇ。あとあと~……」

「教科書と筆記用具も必要だよ、お母さん」

 考え込む『春菜先生』に、(かたわ)らに立つリーユンが合いの手を入れてくる。

「うんうん、そやね~。……ほな黎くん、行きましょか」

 俺の手を引いて歩き出し、病室を出る春菜先生。どうしてか、彼女は実に嬉しそうだ。

「い、いやその、春菜先生?」

「うんうん、学校にお休みの連絡入れなね~」

 俺の言葉尻(ことばじり)(とら)え、微笑みを向けてくる春菜先生。つか、そんな事言ってないから俺。

 と、不意に廊下の先の扉を開き、俺と春菜先生、それにリーユンの三人が外に出た時、


 思わず、俺は息を飲んだ。


 ごう、と強い風が入り口から吹きこんでくる。そこはまるで、空中庭園ではないのかと思ってしまうような場所だった。

 見上げれば、輝く蒼穹(そうきゅう)がどこまでも広がり、植物の緑がそこかしこに床面を(いろど)っている。だがそれでも、その空間が人工物には違いない。そこは明らかに、近代的な高層建築の屋上だ。

「買い物の前に、見てもらわなあかんかなぁ思いまして」

 蒼穹の下、春菜先生が俺とリーユンの手を引いて、フェンスの間際まで歩いて行く。

 ビル風が駆け上ってきて、春菜先生の長いポニーテールと、リーユンのお下げ髪を持ち上げた。

 虹色の光沢を持つ、二人分の長く(つや)やかな黒髪が優美に舞う。

 だが、その姿に見とれてしまったのもほんの束の間に過ぎなかった。それ以上に俺の目を奪う光景が、フェンスの向こうにはあったから。

 広大な平野を埋めるかのように、遥か向こうに見える海の間際から、近代建築の群が整然と街を形成している。巨大都市と形容できる規模の市街地だ。

 そして、恐らくはその市街地のど真ん中。街路が集まるその中央に、データベースですら見たことのない、ビルの高さを遥かに超える、異様に巨大な一本の樹がある。

 それは八方に枝葉を延ばし、まるで、その根本に在る何か大切な物を、風雨や陽光から護っているかのように思えた。

「これは……いったい誰が……それに、あんなバカデカい樹……」

 自問にほど近い俺の呟き。この風景が、風化した千年以上も昔の都市のものであったなら、俺は納得したかも知れない。だが、いま目の前に広がる光景は、そんなものではない事は明らかだ。

 植物の緑をふんだんに配置した、見事なまでの都市設計。どの建物も近代的で、洗練されたデザインでありながら、どこか人間的な温かみを感じさせる。

 幾重にも描かれた同心円の街路と、八方に延びていく大通。

 シンメトリーを基本とした幾何学的な美しさの中に、あの巨大樹を始めとした、所々それを裏切るフラクタルな荘厳(そうごん)さをも内包している。

 知らず、俺は自身の口元が驚愕で歪んでいることに気付いた。

 そんな俺の驚きを見てか、言葉数の少ないリーユンが、不意に俺の顔を横目で見詰めた。だが、俺と視線が合うと、まるで何かを誤魔化すかのように視線を戻し、淡々とした口調で話し始めるのだった。

「あの大樹は『霊樹イルミンスール』。あの樹の土台と幹は、最高権力者ヴラド・フォン・ヴァンシュタイン公の居城になってるの」

「……あ、そ、そうなんだ……」

 リーユンの解説を聞いたところで、ヴラドっつーのが何モンなのかもワカラナイ。最高権力者って、市長みたいなもんだろうか? それとも大統領とか総理大臣みたいなもん?

 つか俺は、あの異常なまでにデカい樹の正体を知りたかったんだが。

 当惑する俺の顔を一瞥して、今度は春菜先生が俺の視線をフェンスの向こうへと促すと、彼女もまた、どこか誇らしげに口を開いた。

「この街――ここは、ウチら魔物が百年を費やして造った、魔物達の学園都市。それから、今日から黎くんが暮らす街どす。名を、アルカディア――て、言います」

「……アル……カディア……」

 その名は、データベースで検索する事もなく俺も知っている。古い文献に残る、理想郷を意味する名だ。

「よろしゅう、黎くん。これからの毎日は、キミにとっても、きっと楽しなるて思いますえ?」

 伸ばされた手にふと気付き、俺はその優美で華奢な手を取った。

 俺は、今の地上の事を何一つ知らない。なんか、成り行きで流されてるみたいな展開だけど、でも、この都市で暮らしていくうちに、きっと、他の人類の事も分かるだろう。

 不安はある。でもこの都市を見て、俺は確信したんだ。

 もう既にこの地上は、人類になり代わって魔物が支配する世界なんだって。

「だと、いいスけどね……」

 春菜先生の真意が何かは分からないけれど、俺はひとまず、この人を信じてみようと思った。

 何故かと言えば、それは――

「ううん、絶対そうなりますえっ!」

 そう言って微笑う春菜先生。出逢ってからこれまで、この人の微笑みに、俺は嘘を感じない。それに彼女の娘リーユンも、無表情で何考えてるのかよく分かんないけど、初対面で俺をかばってくれたりもしたし、きっといいヤツなんだろうと思う。


――だから俺は、


 今この瞬間に、


 この、『魔物達の学園都市』の住人になった。


    ◆ ◆ ◆


 ガラリ、と引き戸を開けて、春菜先生が一足先に教室へと入っていく。

 うあ~……緊張すんなぁ、チクショウ。

 俺もまた、一拍遅れでその後に続いた。

 教室内は、すり鉢を扇状に三分の一カットにした様な形状で、今俺が立つ場所は黒板の前、つまり教壇の上だ。つか、どーでもいーが、なんでこんなに静まり返ってんの?

 とかなんとか考えていると。

 ざわ……ざわ……。

 ケケケケ……。

 ヒソヒソヒソヒソ……。

 モニュモニュモニュ……。

 なんだか、教室に怪しげなな空気が満ちていく。

 うん、ざわざわ、は分かる。笑い声っぽいのも魔物たちって事で許せるし、ヒソヒソしてんのも当然といえば当然だろう。

 だが。だがな?

「モニュモニュってなんだよ……? って! うおわぁっ?」

 俺はそれに気付いて思わず叫んだ。俺の右手に、ナニかがむしゃぶりついている!

 女の子? らしい制服とスカート。真っ赤な長い髪はボサボサ、頭には犬かなんかっぽい耳。で、ソイツと目が合うと、

「がるっ!」

 なんだか可愛らしい唸り声を上げて、ソイツは、

 ガッシャ~~~ン!

 教室の窓ガラスを突き破って逃げて行った。

「あっ! 待ちなさい! ……もう、久しぶりに登校した思たら……ほんまにもぅ……」

 なんだか分からないが、うん、多分問題児らしい。が、しかしだな。

「あ~あ~……」

 俺の右手はヨダレでベトベト。どうすんだよコレ? つか、学校生活開始早々コレデスカ?

 だが、傍らの春菜先生は慣れたもので、少しも動じている様子がない。まぁ、当たり前っちゃあ当たり前か。

「はいはい、静かにしてください? 今日から新しいお友達が増えますよって、皆さん、仲良うしはってな? さ、黎くん、自己紹介お願いします」

 春菜先生に促され、俺は改めて教室を見回す。

 うわ~……マジ、人じゃねぇのがいっぱいいる……。

 思わず、俺はスジ目になった。一言で言えば、百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)っつーかね。夜じゃねーんだけど。

 なんか、首を机に置いてる首無しのナニか。彼(?)の首と目が合うと、即座に身体がその首を回し、そっぽを向かせてしまう。つか、その後で首の視線がこっちチラ見してんスけど……もしかして、人見知りってヤツ?

 あとは、さっきの赤毛とは違う系統のケモノ耳付いてるヤツとか、骸骨っぽいのもいるなぁ……うわぁ、腐ってんのもいるし……オイオイ、ハエたかってんぞオマエ……大丈夫か? つか、「う~あ~」うめき声みたいの出してるケド、勉強して頭ん中入んのかよ?

 で、それから。

「……あ」

 俺はそのコを見て、思わず短い声を漏らした。

 リーユン……だっけ? おんなじクラスなのか……なんか、ガン見されてるんデスが。

 例の無感情な鋭い眼差しで、俺を見つめている春菜先生の娘。

 って、娘っつーか、妹にしか見えんのだがなぁ……まぁ、吸血鬼って長生きらしいから、別に不自然じゃないのか。春菜先生も、三百歳超えてるとか言ってたし。

 まぁいいか、と、俺は腹をくくった。

「えっと、俺、東郷黎九郎。魔物じゃないんだけどね~……まぁその、食べないでクダサイ」

 ちょっとテレながら、笑顔と共に挨拶してみる。

 と、一番奥の席で、笑顔で手を振っている女の子がいる事に気付いた。穏やかな顔立ちの、なかなかカワイイ子だ。なんとなく、他の連中にはない『気品』? ってヤツも感じられる。

 瞳孔が縦長なのと、ウェーブがかかったロングヘアのその色が、光合成してそうな緑色だというのは、まぁ無視しようか。つか、なんかもう驚き慣れた。

「はい、ほな黎くん、あの緑の髪の女の子の前の席が、キミの席どす。さっそく席に着いて下さい」

「りょ~かいッス」

 春菜先生に促され、俺はその席に向けて一歩を踏み出した。と、その時、

「あきゃ~~~っ!」

 奇妙な叫び声と共に、何かが飛び掛ってきた。

「シネシネシネシネシネシネえええぇぇぇぇぇっ!」

 真っ白い三角帽子を被った子供みたいな大きさの何かは、俺のすぐ目の前で一生懸命に手斧を振り回している。

「え~と……俺、オマエになんかしたか?」

 シネとか言ってるし、一発ぶん殴ってやりたいとは思ったが、春菜先生の例もある。なんか知らないうちに不手際をやらかしたのかも知れない、と、そうも思った。

 つか、なんでコイツ器用に空中で静止してんだ?

 なんて思ってよく見ると、ソイツの片足が春菜先生の右手に鷲掴みにされている。

「ウメちゃん? そ~ゆ~んは、学校の外で、て、何度も言うてるやないの?」

 穏やかに言った刹那、相変わらず狂ったように頭と斧を振り回しているソイツを、先生は――


 ぱちゅん!


 ひいいいぃぃぃ!

 俺はその光景を見て、思わず胸中で悲鳴を上げた。春菜先生は俺の目の前で、ソイツを顔面から黒板に叩きつけたのだ。

 うわあ、黒板が赤板になっとるぅ~!

「えっと……大丈夫か? オマエ……」

 一応、声を掛けてみる。が、当然ながら返事はない。ただのしかばねのようだ。

 すると、

「ああ、こんなんいつもの事どすから……あ、せやったら『コレ』もついでに持って行ってくれはりますか? このコの席、黎くんの右隣どすさかいに」

 ぺり、と、かるぅ~い音を立ててソイツを黒板から引き剥がし、はい、と、逆さ吊りにして渡してくる春菜先生。

 俺は『ソレ』を受け取り、

「コレをどうしろと……つか、なんですコイツ? 俺、コイツになんかしちゃったのかなぁ」

 そう問うてみると、

「彼はレッドキャップのウメハラコージくんどす。まぁ、一族の掟で、一人前になる為に他人の血でその白い帽子を真っ赤に染めなあかんとかで……堪忍したっておくれやす。こんなんするの、ウチのクラスやと、このコだけどすさかいに」

 そんな答が返ってきた。

「いや、つか、自分の血で帽子染まってんじゃねぇかよ……」

 春菜先生の一撃で、どんな顔をしているのか良く判らなくなっている。だらりと逆さ吊りにしたおかげで、綺麗な純白の三角帽子が、じわじわと小汚い赤色に染まっていってるし。

 まぁ取り敢えず、一つ確実な事が言えるとするなら、迷惑なヤツだという事だけは分かった。

(あ~……ウズメ、探知スキルパックと、オート回避スキルパック頼むわ。戦闘スキルパックは、ひとまず消しとく)

(了解。さっそく送るわね)

 俺はウズメから、この状況に合いそうなスキルパックを転送してもらい、席へと向かった。ついでにヨダレで汚れた右手も、ウメハラの制服で拭いておく。

 席は、教室の形状に合わせて緩やかに曲線を描いている。材質はオーク材で、椅子も、後ろの席の前面に跳ね上げ式のものが付属している。

 よく見れば、ワリと近くに例の腐ってるヤツもいる。良く考えられているもので、彼女(?)の後ろには天井から吸気ダクトが延びていて、腐臭を外に排出している様子だ。

 うん、たぶん間違いない。彼女が千年以上前に生息していたという、伝説の『腐女子』って種族なんだろう。どう見ても腐ってるからな。

 対応は間違っちゃいないがなぁ……どこツッコんでいいのか分かんねぇよ。

 俺は再びスジ目になりながら、ウメハラを机の上に放り出すと、通路に隣接した俺の席に着いた。

 ウメハラは、その体躯には大きすぎて、ほぼ全身を覆っているブレザーから、手足が生えているかのような風体だ。その手足が時々ビクンと痙攣(けいれん)するのだが、その様子がまたキモい。

 まぁ、レッドキャップが何かは知らないが、幾つかのピアスを通したトンガリ耳から察すると、妖精かなんかの類なんだろう。春菜先生の口調からも、こんな事は日常茶飯事みたいだし、特に心配することもあるまい。

 そう結論づけた時、不意に、俺の肩をつついてくるヤツがいる。

 後ろを振り向くと、そこには例の緑髪の美少女がいた。

 俺を見るなり、彼女は柔らかな微笑みを浮かべる。

「ワタクシ、羅魅亜(らみあ)・ル=クレールと申します。どうぞよろしく。……ワタクシも、お名前のほうの黎様、とお呼びしてもよろしくて?」

「様、て……」

 呼ばれ慣れない敬称に、俺は総毛立った。

「どう呼んでもいいけど、『様』だけはなんとかして……」

「では、黎さん、で、よろしいかしら?」

「あ、まぁ、いいけどさ……羅魅亜さん、だっけ?」

「ああん、もう、羅魅亜と呼び捨ててくださいまし。ワタクシとあなた様の仲でございましょう?」

 顔の横で両手を組み、眉根を寄せて微笑む羅魅亜。

 オイちょっとマテ。初対面だってのに、どんな仲だってんだ?

 なんかこう、不思議世界に引きずり込まれそうな予感を覚えながら、笑顔を引きつらせていると、

「ククッ、よせよせ黎九郎。それ以上相手にすんな。絡まれんぜ?」

 俺の左隣、窓際の席から、そんな野太い声が聞こえた。

 うお、やっぱデケェなぁ。

 改めてソイツを見て、思わずそんな感慨が漏れる。

 いやまぁ、自己紹介ん時に視界に入ってはいたが、いろいろな事情で見て見ぬふりをしていた訳だ。

 というのも、まずはソイツの格好。この学校の制服じゃない。どっちかと言えば、じっちゃんの持ってた古文献の絵で見た、『ガクラン』とかいう詰襟(つめえり)の服によく似ている。

 で、その服を羽織るように着て、ムダにボロボロの学生帽を被り、眼差しはサングラスの奥に格納されている。つか、それだけでも学生なのか怪しいのに、素足に鉄下駄(てつげた)履いてるってどういう事なの? バカなの?

 とはいえ、馬でもなければ鹿でもなく、多分コイツは牛系の何かなんだろう。牛っぽく緩やかに弧を描く角が、天に向かって頭の両側面から生えてるから。

 まぁ、この角はなんかカッコイイけどな。じっちゃんの持ってた文献に出てくる『ナントカ超人』っぽくて。

 ……いや、ワザワザ超えるまでもなく、人じゃないんだけどさ。

「えっと……誰くん?」

「ちょっと箕面(みのお)さん? どういう意味ですのっ?」

 苦笑を見せる牛男――箕面の近くに移動して、羅魅亜が机を叩く。彼女は本気で怒っているようだ。

「別にぃ~? 言葉通りだぜ? なんせオマエ……」

「あ~あ~、ケンカはやめてくれ。俺は気にしないから」

 空気に耐え切れず、立ち上がりながらに俺がそう言うと、箕面が苦笑してみせた。

 刹那。

「まぁ、黎さんたら……っ! なんて気遣いのできる方なんですのっ?」

 感激したように瞳を潤ませて、羅魅亜が振り返る。そして、彼女は俺の周囲をグルグルと回り始めた。

「はは……羅魅亜、身軽なんだなぁ……って!」

 それに気付いたとき、俺は初めて箕面の言葉に納得した。うん、確かに絡まれてる。物理的に、羅魅亜の蛇みたいな長い胴体で。

「くすっ……愛しいお方。もう離しませんことよ?」

 ウインクと共に、軽くキスを投げてくる羅魅亜。ブレザーと共に穿いているスカートに、一体なんの意味があるというのか。

「いや、頼むから放してください……」

 男泣きしながら俺は懇願してみた。と、そんな時。

「そこまでにしなさい? もう一限目が始まるわ」

 不意に、そう言って傍で羅魅亜を(にら)みつけた者がいた。いつの間にやらホームルームが終わっていたようで、気が付くと春菜先生の姿も無い。

 羅魅亜もまた、その相手に不機嫌な眼差しを向ける。

「なんですの? リーユン・エルフ。邪魔しないで下さいまし」

「学級委員長としては、クラスメイトに真面目に授業を受けさせる義務があるのよ。あなただって知ってるでしょう? 羅魅亜・ル=クレール」

「……フン。春菜先生の娘だからって、調子に乗って……」

 面白くなさそうに言い捨てて、そっぽを向く羅魅亜。しかし、あくまでも俺を放す気は無い様子だ。

 すると、そんな羅魅亜の態度を見たからか、リーユンは俺に視線を向けて口を開いた。

「黎九郎、羅魅亜の胸なら触ってもいいわよ」

 俺の意表をつく、そんな一言が耳に届く。

「あ、え? いいの?」

(散々ヘンタイとか言ってたクセに……人によってはオッケーだったりしちゃうってコトか?)

 訝しみながら、俺は傍らの羅魅亜の胸に触ってみる。

――ふに。

 うん、確かにコイツは女らしい。春菜先生ほどじゃないが、なかなかの触り心地だ。しかしまぁ、なんだろうね? この、本能を直撃する柔らかさは。

 すると、

「きゃっ!」

 思わず、といった様子で羅魅亜は後ずさり、俺を解放したのだった。

「……分かった? こういうヤツなのよ黎九郎は。だから、あんまり悪ふざけしないで。普段『ぼえ~っ』としてても、いつ凶暴化するか分からないわよ?」

 相変わらず淡々と、そしてクールにリーユンが言葉を発する。

 ようやく分かってきたことだが、リーユンは、特に俺だけを睨んでいるという訳でもない様だ。ただ、感情を見せないその眼差しが、無機的な冷たさを感じさせているだけの話。

 その証拠に、羅魅亜を見据える時の眼差しも、俺を見るときと変わらない。

 つか、なに俺? ひょっとして珍獣扱い?

 リーユンのあんまりな物言いに、俺は胸中で男泣きを始めた。

「……無垢な方なんですのね。分かりましたわ、性急な誘惑はやめておきます。けれど……リーユン、貴女の言葉に従う訳ではありませんことよ?」

「どっちでもいいわ。もう授業が始まるから……黎九郎も、あんまり騒がないで」

 最後にじっと俺の顔を見詰めて、リーユンは自分の席――入口側、前から三番目の席へと戻っていった。

「……フン」

 不愉快そうに鼻を鳴らし、羅魅亜もまた、自分の席へと戻って行く。

「……相変わらず愛嬌(あいきょう)のねぇ女だなぁ、アイツ……」

 ふと、箕面の呟きが耳に届いた。

「前からあんななのか? リーユンて」

 苦笑している箕面にそう問うてみる。

「まぁな、誰にでもあんな感じだ。……っと、まだ名乗ってなかったな。俺は箕面雄太郎(みのおゆうたろう)だ」

「んじゃ、ミノって呼ぶぜ?」

 ニカっと快活に笑って見せる箕面に、俺も笑顔を返した。

「……出来れば、下の名前で呼んでくんねーか?」

「なんで? 美味そうでいいじゃん」

「だからだよ。頼むからカジんなよ? ただでさえ、そういう奴がこのクラスにいんだからよ」

 ウンザリ、といった様子で眉間にシワを寄せるミノに、羅魅亜が口を挟む。

「ふふっ、さっきちょっと来てましたわね? 何せ、不登校児やら問題児の多いクラスですもの、ここは」

「あ~……そうなんだ~……へぇ~……」

 あのコがミノの天敵なワケな。

 ここに来て早々、俺の右手を口に入れてモニュモニュしてた女の子の顔を俺は思い出した。確かに改めて教室内を見回すと、空いている席が幾つか見える。

 で、そんなクラスに『俺』ってワケだ。

 まぁ間違いなく、先日の一件が尾を引いているものと推測される。

 ……だからさ、俺ヘンタイじゃないよ?


    ◆ ◆ ◆


 四時限目は歴史の授業。担当は春菜先生だ。

 教室に入ってくるなり、俺の姿を見てにっこりと微笑む春菜先生。その笑顔が俺の緊張を解いてくれる。

 出逢った時はまぁ、それこそ吸血鬼――の『鬼』の部分を嫌というほど味わわせてくれた彼女ではあるが、そんな本質をおくびにも見せないその笑顔は、あの出来事が夢か何かだったのではないかと思わせる。つっても、現実なんだけどね?

 そんな春菜先生の授業は、俺に気を使ってか、『人類の歴史の終り』からの一千年間、魔物達がどう発展してきたかの要点を抜き出して教えてくれた。

 一千年前、西暦で言うと二十一世紀の末。俺の祖先である人類は、自らの過ちの結果である荒廃した地上を捨てた。

 温暖化ガスの影響で、天災の起こり続ける最悪の環境。

 加えて発生した地軸移動(ポールシフト)による気候の大変動。

 百億を超えた世界人口は、しかしそれをピークとして年々激減していく。

 そんな、それこそ天変地異とさえ言える状況下でも、人という種は愚かだった。

 『比較的安全に住める環境』を手に入れる為に、軍事国家が戦争を始めたのだ。それはやがて、人類の終末と言える状況をもたらしていく。

 結果、まだ余裕のあるうちに、核戦争を想定して建設した地下都市に於いて、『選ばれた少数の人間』だけが、その命脈と運命を預ける事となったワケだ。

 そんな、人間の居なくなった地上に出てきた者達――それが、永く人類と関わりを持たず、あるいは人類に紛れて細々と命脈を保ってきた『魔物』だったという事。

 そして、ようやくここからが、春菜先生の授業の内容になる。

「最後の人類が地上からいなくなった年を魔暦(まれき)元年として、第一次血族間紛争が起こったのは、魔暦何年、どの地域においてどすか? 羅魅亜ちゃん」

 春菜先生の言葉を受けて、羅魅亜が席を立つ。

「はい、西ヨーロッパ地域、魔暦三〇七年ですわ」

「はい、正解どす。では次、三度の紛争後、吸血鬼を調停者とし、全ての魔物に対話を呼びかけた人物の名は? はい、デュラはん、答えてください」

 ああ、アイツ、デュラはんっつーのかぁ。

 例の首無し、つか、人見知りの生首が、離れた胴体に首を持ち上げられて立ち上がる。

「ええと……セイレーン、の、女王……ローレライ三十八世……に、よる……呼びかけ……です……」

 オドオドとした態度と蚊の鳴くような声で、デュラはんは答えた。

 つか、『デュラはん』は愛称という認識でいいのか?

 ……まぁ、それはどうでもいいが、アイツの態度見てると、イライラしてくんのは俺だけ?

 とか思って左隣を見てみると。


 ごっ、

 ごっ、

 ごっ、

 ごっ――


 鉄下駄が、床板をムダにリズミカルに鳴らしている。

 で、ミノの額には青筋が浮いてたり。

 ああ、俺だけじゃね~んだ。

 どこか、魔物に対する親近感と共に、安心感が俺を包んでいく。

 次いで、今度は右を見てみる。

 シネシネシネシネシネシネ……。

 手斧の刃で器用に机を彫って落書きしている、ちんまいのがそこに居る。

 と、不意にヤツが振り向き、俺と視線が合った。

 え~っと……。

 まるで無人のハイウェイを爆走していくかのような勢いで、幾つもの冷や汗が額や背中を駆け下りていく。

 ウメハラの眼差しは、黒目に輝きがまるで無い。

 まぁ、贔屓目に見ても『なんか大切なモノ』を幾つか失っちゃってるみたいな虚無的な眼差しだ。で、口元だけはニマっと笑っているから、なおさらキモい。

「ケケッ、オマエ、ナカナカヤルでゲスな~……」

 口を開けると、上下にギザギザの歯が見えるんだが、噛み合わせどーなってんの? コイツ。

 つか、「ゲス」ってなんだよ「ゲス」ってよ。『下衆』って事か? 確かにオマエはそうかも知れんが。

 とか思ってると、不意にヤツの目に怪しい光がともった。

 あ、殺気が……。

「シャーッ!」

 直後に飛び掛ってくるウメハラ。オート回避スキルが発動し、ヤツの攻撃軌道上から俺の頭部が勝手に動く。

 で、ヤツはそのまま手斧を振りかざしてミノの席までぶっ飛んでいった。うん、オート回避スキルパック、結構使えるな。

 直後、

 がっつ!

 ミノがウメハラの頭を帽子ごと鷲掴みにすると、

 ぷちゅっ――

「あ~あ~あ~……」

 俺はその光景を見て、思わずそんな声を漏らした。顔から血の気が引いていく。

 頭を握り潰されて、だら~んと垂れ下がったウメハラの身体。再度ザクロになった頭から流れ出た赤いものが、今度は制服を染め上げていく。

「黎九郎~、ちゃんとウメハラ見とけよオメー」

 ん、とか言って、ミノが俺にウメハラを差し出してくる。

 ん、じゃねーよ、返すなそんなモン。

「つか、俺がワリぃのかよっ?」

 俺は嫌々ウメハラを受け取りながら、不条理なその一言に抗議した。

「こら、そこ! ちゃんと授業聞いてはるんどすかっ?」

 不意に春菜先生のお叱りが飛んだ。いや、少なくとも今のは俺は悪くないと思うぞ?

「くすっ……災難ですわね? 黎さん」

 背後から、羅魅亜の声が耳に届く。

「そう思うんだったら、コイツなんとかしてくれよ……」

 そう呟きながらも、背後を振り向いた時、俺は視線の先にあるソレを見てほくそ笑んだ。

「羅魅亜、ソレ取ってくれ」

「はい? これですの? ワタクシの持ち物ではありませんことよ?」

「いいんだよ。持ち主には後で俺から謝っておくし、代わりも持ってくるから」

 俺はソレ――壁の衣装掛けに掛かっていた針金製のハンガーを受け取ると、早速それを解いて一本の針金にした。でもってそれを使って、ウメハラの両手足を背中で拘束する。

 結果、窮屈(きゅうくつ)そうなエビ反り状態になってしまったが、まぁいいだろう。コイツなら、エコノミークラス症候群(しょうこうぐん)も関係あるまい。

「なんか、ムゴい事になってますわね~」

 拘束したウメハラを机の上に放り投げると、羅魅亜の苦い笑い声が耳に届いた。

「では、現在の体制になって、はや三百年が経ちますが、魔物社会の実質的な盟主となった吸血鬼の真祖、ヴラド・フォン・ヴァンシュタイン公が、その昔ワラキアで呼ばれていた名前と、その意味を答えてください。はい、リーユンちゃん」

「はい」

 お、今度はリーユンか。

 俺が視線を送ると、その先ではリーユンが、無駄のない動作で立ち上がる。

 ……おや?

 不意に、俺に一瞥(いちべつ)をくれるリーユン。そうしてから、彼女は口を開いた。

「ヴラディスラウス・ドラクリヤ。意味は竜公の息子ヴラドです」

 淀みなく、迷いなく発せられるリーユンの答。それを聞きながら、俺は一つ気付いた事があった。

 リーユンの苗字はエルフ。だが、その母親であるという春菜先生は――

「なぁミノ、春菜先生、フォン・ヴァンシュタインって苗字だったよな?」

「ミノ言うな。……ああそうだよ。春菜先生は、真祖ヴラド公の曾孫だそうだ」

「ですわ。あんな、のほほんとして見えますけれども」

 ミノの言葉に追随して、羅魅亜が言う。

「ふぅん……なにげにスゲェんだな、先生……」

 俺も一応、データベースで吸血鬼を調べてはみた。吸血鬼の中でも、一際大きな力を持つ『真祖』という存在。真祖を本物の吸血鬼とするなら、その他は皆まがい物だ。

 そしてワラキアのヴラドとは、つまり竜公ヴラド二世の息子、ヴラド三世の事だ。

 彼はまた、ツェペシュ――串刺し公とも呼ばれ、自国に侵攻してきたイスラム教徒を容赦なく串刺しにして、街道の両脇に並べて見せしめとし、敵軍の恐怖を(あお)った領主に他ならない。

 だが、彼は決して暴君ではなかった。外敵に対しては無慈悲に徹底した虐殺を行った彼は、しかし地元ではむしろ、外敵を退けた英雄の扱いでもあるからだ。

 彼はその後の運命に(もてあそ)ばれ、最愛の者を失い、神を呪って吸血鬼になったという話だが。

 まぁ、そういう伝説……なんだけどさ? なんとなく、胡散臭(うさんくさ)いんだよな。

 俺はそんな事を思った。『吸血鬼になった』のなら、元は人間だってことだ。

 でも、それ以降に別な『真祖』は(ほとん)ど出ていない。真祖になる方法があるのなら、真祖の家系がもっと多くたっておかしくないだろうに。

 となれば、これは俺の仮説だが、彼は『ワラキアで吸血鬼になった』んじゃなく、『元々吸血鬼だった彼が、ワラキアを治めていた』んじゃないのか? だとするなら、領民に慕われていたというヴラド三世は、ワラキアでは人間と上手くやってたって事で。

 そんな事を考えていると、

「はい、正解どす。ほな、時間も迫ってますけど最後に人類代表、黎くん」

 いきなり当てられて、俺は焦った。

「は、はいっ?」

 奇妙なトーンで返事をして立ち上がる俺。

「黎くんは、人類が衰退した原因は、何やと考えてはりますか?」

 不意な質問。だがそれに対する答を、俺は既に持っている。それは、じっちゃんに繰り返し教えられた事だ。愚かな人類の教訓として。

「欲……だと思います。際限のない、果てしない欲が地上を荒廃(こうはい)させ、結果、人類を衰退(すいたい)させた。俺はそう教えられましたし、その通りだと思ってます」

「そうどすか……ほな黎くん? もう一つ、キミは……もしキミが、魔物を地上から一掃出来る力を持ってはったら、どないしはります?」

「……へ?」

 続いた質問に、俺は面食らった。

 質問の意味が分からない。仮に一掃すると答えたなら、俺は即座に魔物達の敵だ。そんな答を言えるはずもない。だが、真摯(しんし)な春菜先生の眼差しが、俺にいいかげんな答を許さない。

「あの……」

 言いかけて、俺は口ごもる。

 一掃なんてしないと言えば、それで済む話ではある。でも、これはそんな単純な問いかけじゃない様な気がした。

 そう、『どうして一掃しないのか』という理由を、春菜先生は求めているんだと思う。

 すると、俺の困惑を見たからか、くすっ、と、不意に春菜先生が笑った。

「答えへんでもよろしゅおすえ? 答は黎くんの胸の中にあれば、それで。……では、今日の授業はここまでとします。次は魔暦五一七年、第三次血族間紛争と現体制への移行について」

 教卓の上で資料を(そろ)え、春菜先生は教室を出て行く。それと同時にチャイムが鳴り響いた。

 俺の中にナゾナゾじみた言葉を残し、こうして、俺にとって初めてとなる、春菜先生の授業は終わった。


    ◆ ◆ ◆


 春菜先生の姿が消えると、不意に羅魅亜が尻尾の先でウメハラを(はる)彼方(かなた)に跳ね除け、俺の右隣に腰(?)を降ろした。

「黎さんて、お優しいんですのね?」

 腰から下、美しく照り輝く深緑の(うろこ)を誇らしげになでつけながら、羅魅亜がそんな事を言う。

「あ?」

 一瞬意味が分からずに、そんな間抜けな声を出すと、羅魅亜は微かに頬を染めた。

「ワタクシたち魔物に、気を遣ってらしたのでしょ? 先程の反応は」

「ああ……アレね。別に俺、魔物に恨みとかあるワケじゃないし。一掃するとか滅ぼすとか、その理由もないしなぁ……」

「正直な方なんですのね……ワタクシたちの事、気に入って頂けまして?」

 続いた問いに、俺は一つ頬を掻いた。

 穏やかに微笑む羅魅亜は綺麗な顔立ちだと思うが、長い蛇腹はちょっと……だし、そもそも、同年代の連中とこうして過ごすこと自体が、俺にとっては未知の経験なのだ。

 それに、どうして魔物が旧世界の人類に忌み嫌われたのかも、コイツらを見ているとイマイチピンと来ない。……一部例外を除いて、ではあるが。

「……よくわかんね。まぁ、でも嫌いじゃない……かな」

「良かった……」

 何の気なしに俺が本心を告げると、羅魅亜は嬉しそうに胸をなで下ろした。

 その仕草で、つい俺は、先刻に経験した彼女の胸の柔らかさを思い出してしまった。

 何故か、頬が熱くなってくる。

「では、もうお昼の時間ですわ。黎さんは、昼食はお弁当ですの? それともカフェテリア? ご迷惑でなければ、御一緒してもよろしくて?」

 頬を染めて、控え目に訊いてくる羅魅亜。すると、

「よう、オレもいいか? ちょっとオマエに訊きてぇこともあるしよ」

 ミノまでもがそんな事を言い出す。

 だが傍らでは、羅魅亜がそれを聞いて不機嫌そうに頬を膨らませた。

「いやまぁ、いいけど。カフェテリアって食堂のことか? つっても俺、金持ってねぇぞ? ……そういや、弁当とかももらってねぇな……どうすんだ? 俺」

 ふと基本的なことが欠落している事に気づき、俺は困惑した。そして、一度それを意識してしまうと、なんだか無性に腹が減ってくる。

 だが、そこに現れたのは意外な助け舟だった。

「黎九郎、お昼行くわよ。それから、午後はひと通り校内を案内してあげるから」

 不意に傍らに立ち、そう言ったのはリーユンだ。

 刹那、それを見た羅魅亜が、まるで取られまいとするかの様に、俺の右腕に抱きついてくる。

「なんですの? リーユン・エルフ。黎さんは、ワタクシと先約がありましてよ?」

 いや、別に約束した訳じゃないだろ。

「そうだぜ? 俺と羅魅亜とコイツで、飯食うんだ」

「ちょっと箕面さんっ? 勝手に決めないで下さいましっ! 黎さんは、ワタクシと二人きりでお昼を取りますのっ!」

「羅魅亜・ル=クレール、それに、箕面雄太郎」

 羅魅亜とミノが火花を散らし始めたその時、不意にリーユンが威圧のこもった口調で二人の名を呼んだ。

「な、なんですの……?」

「な、なんだよ……?」

 半ば気圧されるかのように、二人がリーユンに視線を向ける。

「黎九郎は学園長とも会わなきゃいけないし、今日はこれから忙しいの。お昼を一緒にするのは、また今度にして」

「むぅ~っ!」

 ぷっくりと頬を膨らませる羅魅亜と、

「……ヘイヘイ、分かったよ委員長」

 苦笑を浮かべて立ち上がるミノ。

「フン、たかだか学級委員長が、どうしてそんなに権限があると言うのです。あなたなんて、大っきらい」

 ふい、とそっぽを向いて、羅魅亜は俺を手放した。正直、助かった気もするが。

「悪いな二人とも、そういうワケだから」

 俺は二人に苦笑を置いて、リーユンの後を追って教室を出た。


    ◆ ◆ ◆


 人混みの中から、俺は教えられた通りにメニューを買って、リーユンが待つ席に着いた。

 二人がけのその席は窓際で、校舎の中庭が一望できる場所だ。その場所に、俺はリーユンと差し向かいに座った。

 俺が買ったメニューはサラダ付きの牛丼。ミノを思い浮かべながら美味しくいただこうと思う。つか、これの原材料、本当に牛なんだろうな?

 そんな事を思いながらリーユンを見ると、彼女の所には食い物が無い事に気付いた。その代わりに、彼女はグラス一杯の赤い液体をストローで飲んでいる。

 ああそうか、リーユンて、春菜先生の娘だったよな。

 赤い液体が何かは、()えて()くまい。

 そう思いつつ、俺は箸を進める。まずは丼を左手に持ち! 一気に!

 とまぁアレだ。丼物の醍醐味(だいごみ)は、こう、掻っ込むようにして食うことだろう。

 一気に頬張り、一気に噛んで一気に飲み込む。

「……よく噛んで食べた方がいいわよ」

 即座に耳に届くリーユンの忠告。予想通りの反応ありがとう!

「さっさと食って、さっさと案内してもらわねぇとな。ところでリーユンは、それ一杯で足りんのか?」

 何の気なしにそう訊くと――

 ……なんだ?

――ふと、リーユンが微かに視線を泳がせた。

「い、いいの。これだけで足りるから……」

 リーユンにしては珍しく、どこか動揺した様子を見せる。まぁ、いいけどな。


「あ~、食った食った。それなりに美味かったな」

 数分後、飯を食い終わった俺は、一息ついて丼をテーブルの上に置いた。

「胃とか、そのうちおかしくするから……」

 俺の食い方が気に入らなかったと見えて、リーユンがぽつりとそんな事を言う。

「じゃあ、行きましょう」

 言って立ち上がりかけたリーユンの手を、俺は掴んだ。

「……なに?」

 訝しげな視線を投げてくる彼女に、俺は口を開く。

「まだ昼休みだろ? ゆっくりしようぜ。色々訊きたいこともあるしさ。どうせ、俺の面倒見るように言われてるんだろ?」

 おそらくは、春菜先生からの指示に違いあるまい。

 幸か不幸か偶然か、はたまた奇跡か運命か。とにかく、コイツは俺が生まれて初めて出逢った女性の一人だ。できれば友好的にいきたいものだが、俺は今ひとつコイツが良く分からない。

 まぁ、女全般が、俺には良く分からないんだけれども。

 俺の言葉に、しかし相変わらずの無表情でリーユンは再び席に着いた。

「さっきと言ってること矛盾してるけど……何が訊きたいの?」

 あの無感情な眼差しで痛いところを突き、その上で淡々とそう訊いてくるリーユン。

 母娘だってのに、いつもニコニコしてる春菜先生とは全然違う雰囲気を、コイツは常に纏っている。それが俺には理解出来ない。

「なぁ、春菜先生とお前、親子なんだよな? その辺のこと聞いてもいいか?」

 これでも相手は女の子だ。じっちゃんにも、女の子に会うことがあったら優しくしてやれ、って言われてたし、一応気を遣いながら訊いてみた。

 まぁ、優しくするってのが、具体的にどうすりゃいいのか良く解らんのだが。

「別に構わないけど……言いたくない事は言わないけど、それでいいなら」

 言いたくない事とか、あるワケか……まぁ、そりゃあるよな。親父やじっちゃんでさえ、俺に秘密にしてた事とかあったし。

「ああ、それでいい。じゃあさ、さっそく……お前、春菜先生と苗字が違うのはなんで? 父方の姓だったりとか?」

 リーユンの答に、俺は少々興味がある。

 データベースで検索してみたら、『エルフ』とは妖精を意味する言葉らしい。容姿端麗(ようしたんれい)な姿らしいから、確かにリーユンがそれでも違和感は無い。まぁ、耳は(とが)ってないんだけども。

 しかしその一方で、母親の春菜先生は吸血鬼だ。なんだかどうにもチグハグな感じがする。

 だが、俺の質問の刹那に、リーユンはその眼差しを微かに伏せた。

「お母さ……春菜先生、結婚したことないから……私は、違うから……」

 うわぁ……地雷踏んじまったか。

 急激に、俺の胸中に罪悪感が満ちてくる。

 結婚したことない? つまりはシングルマザー? じゃあ父親分かんないとか? なんだか良く解らんが、あの春菜先生の『覗いてはイケナイ過去』を覗いてしまった気がする。

 あ、でも……。

 ふと、俺はもう一つの可能性に気づいた。

「で、でもさ、アレだよな、よ、養子? と……か……」

 言葉尻で、俺はリーユンが微かにかぶりを振ったのを見てしまった。

 うおお……リカバリー不可能っ?

 踏んだ地雷の爆発で、俺の思考力が低下していく。

 だが、そんな俺の様子を見てか、今度はリーユンが口を開いた。

「黎九郎は……お母さんのこと憶えてる……? 家族……もう誰も居ないんだよね……?」

 無表情なまま、しかし口調に微かな遠慮を載せて訊いてくるリーユン。

 彼女のその問いに、刹那、俺は思わず眉間にシワを寄せた。

「……そういや俺、お袋の顔知らね~んだよな……物心付いたときには居なかったし、写真も残ってなかったし……」

「そう……寂しかったりは、しない?」

「え? あ、ああ、そうだな……でも、母親代わりのヤツはいるぞ? 地下都市の管理AIで、ウズメっつってさ。なんか妙に人間臭いんだよソイツ。叱ったり慰めてくれたりとか、そんな事もしてくれたから、まぁ、俺にとっては名前も知らないお袋より、よっぽどお袋っぽいかな」

「……そう。いいわね……」

 目を伏せて、窓の外を見やるリーユンの仕草に、俺は苦笑するしかなかった。当然の疑問が湧いてきて、それを口にせずにはいられない。

「いいわねって、なんだ……あれか? 実は春菜先生と、うまくいってないのか……?」

 だが、俺の問いかけに、リーユンはかぶりを振って、改めて俺を見据えた。

「お母さんは……優しいよ。だけど……むしろ私が……」

 そう言って、リーユンはまたも言葉をなくしたように目を伏せる。

 なんか、コイツも色々あるんだな……魔物っても、俺ら人間と変わんないじゃん。

「なんか知んないケドさ、悩みあるなら、ちゃんと春菜先生と話してみろよ。じっちゃんの受け売りだけど、対話って大切だと思うぜ? 雄弁は銀の価値だかんな」

「沈黙は金……」

 ぽつり、と、リーユンが俺の言葉の端を掴む。だが、それは間違いだ。

「違うぜリーユン。沈黙は金、雄弁は銀。確かにそうだけど、その言葉が作られた時代には、金と銀の価値は逆だったんだ」

 そうウンチクをたれると、不意にリーユンが驚いたように目を丸くした。

「……黎九郎って……まるっきりバカじゃなかったのね……」

「……オイコラ」

 思わず、俺は自分の額に青筋が浮いたのを感じた。俺がリーユンにどんな目で見られていたのか、これでまた一つ判明した気がする。

 ヘンタイでバカ。つまりはそういう事だ。

「でも……ありがと。そうね、話……してみる」

 気のせいか、その一瞬、俺はリーユンの面差しが穏やかなものになった気がした。


    ◆ ◆ ◆


「じゃあ、あの突き当たりが学園長室だから……ごめんね黎九郎」

「ああ、気にすんなよ。ガキじゃないんだから、場所さえ分かればいいさ」

 小一時間学園内を案内され、校舎二階の一角で、俺とリーユンはそう言葉を交わして別れた。

 学級委員長であるところのリーユンは、途中ですれ違った化学教師に六時限目の授業準備を手伝うように言われ、これから実験室へと向かうのだ。

 ごめんね……か。

 結局、リーユンは俺を案内している間じゅう、一度もニコリとも笑わなかった。終始仏頂面で、愛嬌のカケラもない。が、それでも最後の言葉には、彼女の性格が滲み出ていた気もする。

 多分、彼女は極度に不器用なんだろう。それに、どこか周囲に遠慮しているような、そんな雰囲気も感じた。

 せっかくカワイイ顔立ちをしてるのに、春菜先生や羅魅亜みたいにもっと笑えばいいのに、とも思うが、まぁ、それが出来てれば苦労は無いんだろうな。

「……うん、そうだな……」

 曲がり角でリーユンの姿が消えると、俺はふと、一つ他愛のないことを思いついた。このままなんとなく学園生活を送っているのも悪くないけど、何か目標を持つのも悪くない。

 それは、リーユンを笑わせてみよう、という事。

 なんでもいい、とにかく笑いだ。微笑みでもよし、爆笑でもよし、失笑は……まぁ、それでもいいか。笑顔を見られたら、それで俺の勝ちだ。

 なんて事を、考えた。

「さて……」

 俺は廊下の奥――学園長室へと足を向けた。一歩一歩近づく度に、なんとなく緊張してくる。

 学園長の名はクリストフ・フォン・ヴァンシュタイン。吸血鬼の王・ヴラド公の息子の一人で、春菜先生の祖父に当たる人だという。それはつまり、彼もまた真祖の系譜(けいふ)だという事だ。

 春菜先生は、キレた時以外は穏やかな人だけど……学園長って、どうなのかな。

 俺は、彼の姿を想像する。春菜先生を見る限り、吸血鬼はどんなに年老いても若々しい様子だ。多分、学園長もそうなんだろう。

 きっと、俺よりもちょっとばかり年上に見える容貌で、眼光鋭くて、ニヤリと笑って牙を見せたりとか、高圧的なカンジだったらヤダな~、とか。

「うう……デュラはんじゃね~んだから、人見知りとかねーハズなんだけどな、俺……」

 分厚い木製の扉の前に立ち、俺はノックを躊躇(ちゅうちょ)する。

 そんな時だった。

「お話になりませんな、クリストフ公! 春菜、キミもだ! ツヴァイハーとは、我々にとって危険な存在なのだろう? なぜ、そんな存在を容認している!」

 あ~……なんか、モメてんのか。

 俺は、意識を集中した。

 今朝ウズメに送ってもらった探知スキルが活性化し、五感が鋭くなる。こうして意識を集中すれば、それまで受動的だった探知スキルは、能動的に働き始める。

 室内に気配は三人分。そのうちの一人は女性。二人は学園長と春菜先生だとして、声を荒らげているもう一人は、俺の知らない人物だ。

「まだ研究中だよ、アーウェル伯。未だに答は出ていないし、ツヴァイハーが本当に危険な存在なのかも分からない。せっかくの人類の遺産だ。慎重に取り扱わねばなるまいよ」

「……困った方ですな、クリストフ公。遺跡に残っていたデータなら、私の財団の研究者も手に入れているのですよ。残念ながらツヴァイハーそのものまでは手に入らなかったが、ツヴァイハーが何を期待されて創り出されたものか、その目的は把握している。生き残った人類の尖兵となり、地上の脅威を一掃する存在だとね」

 ツヴァイハー……って、知らねえな……なんなんだ?

(……おい、ウズメ)

 俺は疑問の答を得るために、ウズメを呼んだ。

(なぁに? 黎九郎)

(ツヴァイハーって、なんだ? うちの地下都市でもそんなの造ってたのか? どうも、兵器かなんかっぽいんだけど)

 そんな疑問を投げた刹那、

《不正な操作により重大なエラーを確認しました。システム、三十秒後に再起動します》

 ウズメの声ではない、無機質なサンプリング音声が俺の脳裏を満たした。

「うお……エラー吐きやがった……つか、不正な操作ってなんだよ? 俺なんにもしてねーぞ? ユーザーに責任転嫁しやがって、クソメーカーめ」

 とか、千年前のOSメーカーに悪態をついてみるが、意味のないのは承知している。親父やじっちゃんがそうしていたから、ガキの頃から染み付いた、一種のクセみたいなものだ。

 だが、そんな俺の呟きが届いたものか、

「誰かねっ?」

 バン! と勢い良くドアが開いた。

 その先にいたのは、両眼に殺気にも似た気迫を宿した、テイルコート姿で長身痩躯(そうく)の秀麗な若い男だった。

 中世のヨーロッパ貴族に似た装い。服から覗く顔や手足は生を感じさせない白さを宿し、少しウェーブのかかった見事な金色の髪は、背中辺りで一括りにされている。

 春菜先生が滲ませるものと同質の気品を宿す彼は、しかし、一方で春菜先生とは全く異質な雰囲気――つまり『威圧感』を(まと)ってもいる。

「あ、え~と~……呼ばれたから、来てみたんスけど……お邪魔でしたか? お邪魔でしたね? それじゃ……」

 言って(きびす)を返した俺の奥襟が、誰かの手によってつまみ上げられる。

「いらっしゃい、黎くん。ようこそ学園長室へ」

 笑顔で俺を猫のように吊り上げている春菜先生は、刹那、傍らの美青年を睨んだ。

「さ、アーウェル、これからウチらは大切な話がありますよって、もう出て行ってください」

 だがしかし、青年――アーウェルはまるで春菜先生の言葉など耳に届いていないかのように、俺の顔を見据えた。

 ゾクリ、と、俺の背筋を冷たいものが駆け下りていく。

 無機的な、まるで、取るに足らない路傍の石でも見据えるような眼差し。

 だが、同じ無機的な眼差しだとしても、彼のものはリーユンのものともまた違う。リーユンもロボットみたいではあるが、あくまで無害な感じがするから。

 しかし彼の場合は、それこそ命と路傍の石を同列に考えている者の眼差しだと、そんな風に思えた。

「は、はは……ども」

 強大なプレッシャーのただ中で、俺は人畜無害をアピールする為に精一杯微笑んで見せる。

 なんとなく感じるのは、このアーウェルが本気になれば、春菜先生ですら敵わないだろうという事。彼がその気なら、俺はとっくに殺されているだろう。

「額にあるのはBSSとかいう生体端末か……そんな物で強化しなければならないとは、純粋な人間なのだな。……まぁいいだろう。精々、短い人生を生きるがいい。もう、純粋な人類はお前しか残っていないのだから」

「アーウェル!」

 踵を返して立ち去っていくアーウェル。その背に向けて、春菜先生の声が虚しく響いた。

 春菜先生、俺に気を使ってくれたんだなぁ。なんていい吸血鬼なんだ。

 なんていう感慨が胸を満たす。だけど同時に、俺は切羽詰まってたりもして。

「あの……先生、苦しいんデスけど……」

 今の俺の状態を例えて言うと、タロットカードの十二番だ。

 まぁ、逆さ吊りじゃないだけまだマシなんだけどさ。

「あ、か、堪忍な? 黎くん!」

 苦笑を俺に向けて、春菜先生は俺をようやく床に下ろしてくれた。

 そんな俺の目の前で、一人の初老の男が豪奢(ごうしゃ)な事務机の向こうで立ち上がる。

 え……まさか、このオッサンが……?

 俺は彼の姿を見て、一瞬唖然とした。

 まずは貫禄たっぷりの、まるっとした体型。

 顔の輪郭も福々しくて、頭髪に至っては、シルバーのそれを、何かでムチャにこすり落としたんじゃないかってくらいに薄い。

 顔立ちもまた、それらの容姿に違和感なく、好々爺(こうこうや)といった笑顔を載せている。

 刹那、俺が先程まで抱いていたイメージが崩れ落ちていった。これならまだ、さっきのアーウェルとかいう野郎の方が、想像してたイメージに近いってもんだ。

「え~……あれ? 吸血鬼……なんですよね?」

 俺は、こちらに向けて伸ばされた友好的な彼の手を握りながら、そんな疑問をぶつけてみた。

「そうだよぉ? ほら」

 言って、学園長は、ニッ、と口を小さく開く。

 うん、確かに吸血鬼の証であるところの、ご立派な牙が見えマスね。

「まぁまぁ、アーウェル伯の事は気にせんでくれ。彼はなんていうか……プライドが高くてね。人類史研究の面白さより、血族の尊厳の方が大事らしい」

「……はぁ、まぁ、そんな感じッスね……いやまぁ、気にはしてないスけど……」

 俺が知ってる範囲の身内で、大勢の人間と暮らしたことがある経験を持っていたのはじっちゃんだけだ。そのじっちゃんは、俺に『他人との生活の難しさ』を教えてくれた人でもある。

 大勢と暮らせば、気に入らない者も出てくるし、トラブルも発生する。我慢することも覚えなくてはならないし、根気強く対話を繰り返す必要も出てくる。

 言葉なしには人は解り合えない。そして、相手にも自分と等しく心があるという事。それを忘れてしまったなら、争いを止める事も出来なくなる。

――全てを許せとは言わん。拳をもって立ち向かわねばならん理不尽もある。だが、傷付き倒れ、戦意を失くした相手には、もう一度言葉をかけてやれ――

 それは、死の少し前に、じっちゃんが俺に残した言葉だった。

 もっとも、この学園の中で拳で立ち向かったら、倒れんのは間違いなく俺の方だけどな。

「あ、あの、そのどすな……黎くん……さっきの、その……」

 学園長と、一頻り握手を交わして手を離した時、不意にどこか言い辛そうな様子で春菜先生が口を開いた。

 俺は、彼女が何を言いたいのかがすぐに分かった。

――もう、純粋な人類はお前しか残っていないのだから――

 先程の、アーウェルの言葉が脳裏によみがえる。

「う~ん……軽くショックっちゃあショックなんですけどね~……まぁ、滅びちゃったもんは仕方ないんじゃないスか? 俺一人残ってるからって、クローンばっか造ったってしょうがないし。つか、俺がヤだしな、それ……」

 俺の分身が増えて、眼の届かないところで何かやらかしたら、俺が疑われちまう。

「はっはっは、若いのに達観(たっかん)してるんだねぇ、キミは。いや、アーウェル伯はああ言ったが、世界には未発掘の遺跡がまだ幾つかあるし、人類滅亡の『可能性がある』という段階に過ぎないんだよ。……それに、発掘した遺跡の調査も全て終わってる訳でもないしね。我々にとっては未知のセキュリティもあるし、私みたいな不死者でも、危険な場所は幾つもある。できればキミに――」

「ああ、いいっスよ? つっても、俺に手伝えるのは、俺が育った地下都市だけですけどね。その代わり、条件もありますけど」

 俺は、目の前の『学園都市の実力者』と交渉する事にした。

 実は、地下都市の各設備はもう寿命の近いものが多い。俺をバックアップしてくれているウズメを始めとした、管理AIのプログラムデータが入っているクラウドの設備もそうだし、エネルギーを賄っているジェネレータやら何やら、そういったインフラ関係の設備もそうだ。大幅なメンテナンスが必要な時期に突入しているという訳である。

 そしてそこに、この学園都市で使われている技術の出番がある。

 まだ若干、地下都市のものと比べれば遅れている技術力だが、それでも充分にメンテナンスできるレベルにあると俺は思う。

 俺は春菜先生を一瞥すると、再び学園長を真正面から見据えた。

「条件は二つ。一つは、地下都市のメンテナンスに協力してください。あそこは俺の実家で、生まれ故郷です。俺が生きてるうちは、失いたくない」

「もちろんだよ。で、もう一つは何かね?」

 穏やかに微笑みながら、学園長は了解してくれた。

 俺は、次の条件を学園長ではなく、春菜先生に向けた。

 学園長を信用しない訳じゃない。でも、この部屋でついさっき会ったばかりの学園長よりも、もっとその人柄を知っている、信用できる人物がいる。

「地下都市から得られた技術を悪用しないこと。もしも争いの火種にされる事があったら、ソフトウェア、ハードウェア関係なしに、俺は全力をもって全ての技術を消去します」

 俺の物言いに、春菜先生は少し驚いたように目を見張った。

 が、それも一瞬のこと。彼女はすぐにいつもの微笑みを浮かべ、頷いてくれた。

「約束しますえ。ウチらを信用してください。もうこれ以上、アーウェルの介入は許しませんよってに」

 ああ、対立してるワケね。

 俺はそこまでの意味を含めたつもりもなかったのだが、春菜先生の口からは、そんな答が返ってきた。そしてそれを聞くと、訊きたいこともできてしまうというもので。

「あの……ちなみに、あのアーウェルさん? ……って人は、一体……」

 俺の問いに、今度は学園長が口を開く。

「ああ、私の妹の孫でね、春菜の婚約者だ。私の父のヴラド公は、次代の跡継ぎにと考えている様だが、まぁ吸血鬼はいいとしても、あんな性格で、他の血族からは賛否両論がある。カリスマ性はあるからシンパも多いがね。正直、扱いにくい」

「え~……んじゃ、春菜先生の遠縁で、婚約者って事は……」

 なんだろう、それ以上考えようとすると、途端に思考が鈍ってくる。なんでか知らんが、軽くショックを受けている自分がいたりして。

「ウチは認めてませんけど。曽祖父様(ひいおじいさま)が勝手に決めはって、えらい迷惑どす」

 今にも蒸気を出しそうな勢いで、不機嫌そうに口をへの字に曲げる春菜先生。そんな彼女が、ふと俺の顔を見て悪戯っぽく微笑む。

「そやわぁ、ウチ、黎くんに胸触られましたさかい、もうお嫁に行けへん、て事にしよかなぁ」

「……え?」

 やべぇ、なんか雲行きが怪しくないか? つか、あれってそういうNG行為なワケ? 俺、リーユンのも触ってるし、羅魅亜のも触ったぞ?

 俺の額を、一筋冷たいものが駆け下りていく。

「黎くん、ウチのこと、責任とってお嫁はんにしてくれはりますか?」

 柔らかく、可愛らしく微笑む春菜先生。だってのに、その笑顔が怖い。

「……ええ~……あ、いや、春菜先生の事は好きだけど、俺ほら、まだ学生だし、年下だし、リーユンがいうところの『ぼえ~っ』としたヤツだし、ヘ、ヘンタイ……デスし……」

「あら嬉し、ウチも黎くん好きどすえ? 大学含めて五、六年くらいは待ちますし、ウチより年上なんて、吸血鬼と一部の血族しか居はらへんし、黎くんのぼえ~っとしたとこもカワイイ思てますえ? ヘンタイなんは、まぁ、ご愛嬌いうことで」

 全肯定スか! うを~、イカン、断るネタが思いつかねぇ! つか、ヘンタイの部分は否定してくれることを期待してたんデスけどね!

 とかなんとか、大脳皮質をフル回転させる傍らで、断る理由を探してる自分がよく解らなくなってくる。と同時に、知恵熱らしきものが出たのか、急に視界がぐるぐると回り始めた。

「う~ん……」

 意識できたのは尻餅をついた感覚まで。それ以降は、自分がどんな体勢になってるのかもよく判らなくなった。ただ一つ、背中に何か柔らかい感触を覚えた。

「あらら……ほんまに面白いわぁ、でも、かわいっ!」

「こら春菜、冗談が過ぎるぞ」

「お祖父様かて、笑って見てはったやないの……せやけどほんまに、いっそ黎くんが許婚やったら良かったのに……せめて、アーウェルにこのコの何分の一かでも優しさいうもんがあれば……」

「リーユンの一件が知れてしまったからな。アーウェルも、それで頑なになってる部分があるんだろう。根は悪い男じゃないはずなんだがね」

 意識が遠退いていく傍らで、そんな会話が耳に届いた。

 そして最後に、先生の一言が聞こえた気がした。


――黎くんが、ツヴァイハーやったら良かったのに――

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