序章 はじめましては親子連れ
基本はコメディなのですが、アクションやコメディ要素の一環として、血を見るような描写もあります。苦手な方はご遠慮ください。
味気のない、白いエレベーターホール。
地下都市M四〇と地上とをつなぐその場所に、俺はたたずんでいた。
いや、まぁね。
永い地球の歴史の中で、こういうケースも多々あったさ。俺は恐竜じゃないけどね。
でも、実際にこうなってみると、恐竜の気持ちがわかる気がするんだ。
え~、先日、親父が死にました。
お袋が早くに死んで、これまで祖父と一緒に俺を育ててくれた良い親父だったんですがね。
で、それによって俺は、この地下都市で唯一の人間となったワケなんですけれども。
まぁ、成人病の総合デパートみたいな親父でしたからね。
って、とりあえずいいか、それは。
ところがね、運命のいたずらっつーかなんつーか。
親父が死にかけてるその時に、ようやく地上の環境が千年ぶりに良くなったらしくてね。
親父は最期に、「お前はこれから、人類の歴史を背負って生きて行くのだ!」
とかね、なにげに重た~い運命背負わされた俺なんですが……。
うん、いやまぁ、それはいいんだけれども、やっぱ一人じゃ寂しいでしょ?
幸い地下都市は世界中に点在してるから、俺みたいな生き残りも他にいるんじゃないかと。
ぶっちゃけ、地上を探検したいワケなんだよ俺は。
穴居人じゃあるめーし、もう地下暮らしは飽き飽きだ!
ってワケで。
「じゃ、行ってくるぜウズメ!」
俺は、この地下都市の管理AIに宣言すると、地上へのエレベーターに飛び込んだ。
「気を付けてね~! カワイイお嫁さん連れてくるのよ~?」
人類滅亡まで、あと『俺の寿命が尽きるまで』かも知れないのに、AIが呑気な声を出す。
まぁ確かに、プラナリアじゃねーんだから、俺一人じゃ人増えないんだけどさ。
とか考えてると、俺は不意に、自分に根本的に欠落しているものがある事を思い出した。
――そういや俺、嫁さんとか以前に、女って見たことないんだよね――
◆ ◆ ◆
チン、と静かな音がして、外への扉が左右に開かれていく。
刹那、まぶしいくらいの光が目に飛び込んできて、一瞬、俺の視界をホワイトアウトさせる。
白い視界の中、やがておぼろげに風景が浮かび上がった時、
「……これが……地上……」
俺は、そんな言葉しか呟くことが出来なかった。
一千年間、人類が夢見続けてきた地上の世界が今、俺を包んでいる。
そこは光あふれる世界。
柱の様に地上に飛び出したエレベーターゲートの周囲には、ただ広大な草原が広がっていた。
遠くには、青く霞んだ山々の稜線。
それより近くには、穏やかな風にくすぐられて、静かに葉擦れの音を奏でる森林が見える。
思い切り空気を吸い込んだ。
草原を渡り、草の匂いをいっぱいに含んだ清涼な大気が胸を満たす。
何億回と循環を繰り返した、カビ臭い地下の空気とは明らかに違う心地良さが、身体の隅々に染み込んでいく。
ざぁ、と、草原に一際大きく波を立てて、風が駆け抜けて行った。
「わはっ……マジかよ……」
ただ信じられなくて、俺は思わず笑っていた。
「イィィ~ヤホオオゥ! 地上だぜバッカヤロオオ! じっちゃんやオヤジにも見せてやりたかったなぁ! なんでもうちょっと生きてられなかったんだよ! ば~かば~か!」
叫びながら、俺はその場に倒れ込み、柔らかな草の匂いを目一杯に吸い込んだ。
と、そんな時。
ふと陽光を遮って、俺に影を落とすものがあった。
一瞬にして緊張が走る。
地上世界。
それはつまり、地下都市の管理下から離れた世界だ。それから、人類が支配していた一千年前とは大きく異なる世界でもある。どんな危険が待ち受けているとも限らない。
しかしながら俺は、その危機を乗り越えるための様々な教育を施されてきた。親父や、じっちゃんの手によって。
影が差した反対の方向に俺は飛び退く。まずは退避。それから状況の確認。
しかし『それ』を見て、俺は息を呑んだ。
まるで時が止まったかのように心を呪縛する、優美な二つの人影。
そんな存在が、俺の目の前にはあったから。
どちらも、風になびく長い黒髪を後ろで束ねた姿。
一人は背が高い。俺の背丈よりも少しだけ高いようだ。
もう一人は、それよりは低い。多分俺よりも。
美しい、と思ってしまったからだろうか。
警戒を解くことは出来ないが、それでも俺は、危機感が和らいでいくのを感じていた。
二人は華奢で、とても俺より強そうには見えない。
何より、『二人』――そう、目の前に居るのは、俺と同じ姿形をした人類なのだ。
二人はよほどびっくりしたのか、似通った大きな眼差しを目一杯に見開いて、俺を見つめている。と、
『に、人間~~っ?』
二人同時に、そう叫んだ。
「あ、え? うん、人間だけど、つか、あんたたちダレ……?」
俺に対し、まるで警戒心を持っていないように見える二人。
俺もまた、それに倣うように警戒を解くと、一歩近づいてみた。
実は、一目見た時から、俺には非常に気になっている事がある。
甲高い声質と、華奢な体躯。それから、優美に整った顔立ち。二人共に眼差しは端がやや上がって、ひょっとすると兄弟なのかもと思えるくらいに似ている。
しかし、背の高い方は眉の端が優しげに垂れ下がり、もう一人は短い眉の端が、気が強そうに上がっていた。
なんだか良くは分からないが、多分これが『美形』ってヤツなんだろう。
服装も、背の高い方はタスキ掛けの和服――というか、袴姿。
もう一人は、白いシャツに茶色のカーゴパンツという出で立ち。
それぞれに、似合ってるっちゃ似合ってる。
だが、だがな? そんなこたぁどうでもいい。俺が気になってるのは、俺にないものをこの二人が持ってる、って事だ。
まさか、な。
ふとした疑念が脳裏をよぎる。疑念の通りだとするなら、俺が生まれて初めて見る存在だ。しかし、『ソレ』の大きさが、むしろ疑念を否定しているかの様に思えた。
……それにしちゃ、デカ過ぎないか? 特に袴の方。
俺が、じっちゃんの挿絵付き文献を見て知ってるのは、こんなにデカくないんだ。
だったら……そうか、千年もの間、各地下都市で相互通信が不可能だったからな。独自の文化が形成されててもおかしくないハズだ。歴史は繰り返すとも言うし、袴姿なのも、この人らにとっては『今時の流行り』なのかも知れん。
そう考えると、『ソレ』がファッションの一種である可能性もある。ならばここは。
俺は覚悟を決めた。これはもう、こうして確かめるしかあるまい。
俺は二人に歩み寄り、右手は袴のヤツに、左手はシャツのヤツにそれぞれ伸ばした。
二人はと言えば、俺の手を唖然として見ている。なんて警戒心のないヤツらなんだ。
いや、これはもう、お互いに紛う事なき人類だという証拠ではないのか?
そして、
……ふに。
俺の両手は、『ソレ』を手に取った。
ふにふにふに。
ふにふにふにふにふに。
おお、柔らかい! 暖かいし……これは何だ? 未知の感触だ。それに、この両掌の中央に当たる、やや固い突起は何だろう?
風船の吹き込み口か? 他の地下都市じゃ、やっぱこういうのを胸元に入れとくのが流行ってんのか? しかし、ただの風船じゃないな。重量がありすぎる。特に右の袴の方。
ふにふにふにふにふにふに。
なおも揉み続ける。そうしていると、なんだか脈拍が上がってきた気がする。
なんだろう、この未知の気分は? まるで、DNAの二重螺旋に刻み込まれてでもいるかのような、この本能から湧き上がってくるような気分は?
「う~む……地上世界は謎だらけだな……」
思わずそう呟いた時、俺はそれに気付いた。左の方、シャツのヤツは俺を、まるで鷹の様な無感情な眼差しで見つめている。冷静だが、なんか怖いな。
一方で、袴の方はといえば、プルプルと、小刻みな震えが胸の球体から伝わってくる。
何事かと思ってその顔を見ると。
「……あれ? 真っ赤になって震えてるとか……もしかして、風邪でも引いてる?」
風邪は辛い。うん、本当に辛いんだアレ。まぁ、俺はもうガキじゃないから、風邪なんか引かなくなったけどな。
うんうん、と自分で納得していたその時だった。
「きっ……」
き?
袴のヤツのまなじりが滲んで、
「きゃああああ~~~~~っ?」
鼓膜を破るかのような、甲高い叫び声が響いた。
「あ、え? どした? なんなの?」
袴のヤツが跳びすさり、その刹那、
「ごふぉっ?」
俺のミゾオチに、鋭い蹴りが突き刺さった。
「いやあああ~~~~っ? いきなり何すんねんあほ~~~~っ!」
「ぐぶっ?」
くの字になった俺に、続く容赦のないアッパー。俺の身体が天高く舞い上がる。
スゲェ、スゲェぜコイツ。俺より華奢な体格で、よくこんな芸当ができるもんだ。うんうん、人間、見た目で判断しちゃイケナイって事デスね?
「死にさらせ~~~~っ! こんチカぁ~ン!」
「ほにょ~~っ?」
落ちてきた俺は、回し蹴りによって今度は横方向に吹っ飛ばされた。なんか怒ってるみたいだけど、なんかやったんかな? 俺。
そんな事を思ったが、なんだか良く分からない。でも一つだけ確実に言える事はある。
俺、マジ死にそうッス。ダメージハンパないよ? マジで。一撃一撃が、メッチャ重いんだよ。こりゃもう、地下都市に舞い戻って、医療ポッドに三日三晩コースかナ~……。
取り敢えず、吹っ飛ばされた先で受身を取ろう、と、そう思った時。
え?
そこには、俺の感覚を遥かに超えたスピードで、先回りしたその人の顔が在った。
受身を取ることも出来ず、俺は首を鷲掴みにされて、高々と掲げられた。
まさか……人間じゃ……ない……?
このとき既に、そう考えたのは遅すぎたのかも知れない。なにせ目の前の華奢な存在は、俺の身体をたった左腕一本で吊っているのだ。
「あの……お、れ……なん、か……気にさわ、る、ような事……した……?」
苦しい息の中で、そう問うてみる。
「なんか……て、この……ほんまに……」
眼下にある、俺を見上げる秀麗な顔。怒りのためか、その顔が真紅に染まり、その双眸もまた血の色に染まっていく。
そして、優美なその唇が開かれたとき、俺は先程の推察が当たっていた事を悟った。
「……血ぃ吸うたろかぁ?」
俺を縛める左手が、まるでその唇に俺を捧げるかのように降りていく。
目一杯に開かれた唇の奥。そこには、上下二対の鋭い牙が在った。
「ん……」
「あ、ぐ……」
吐息がかかったと思った直後、俺は思わず呻いた。
ぶつり、と、不快な感触が俺の首筋の皮膚を貫く。
コクリ……。
コクリ……。
コクリ……。
耳に届く、穏やかに喉を鳴らす音。
首筋から、俺の『カケラ』が吸い出され、色白の喉の奥に滑り落ちていく。
だが、そんな感慨を抱いたときには、俺は首筋の痛みを感じなくなっていた。
いや、不快な感覚は一切感じない。むしろ、奇妙な心地良ささえも感じ始めていたのだ。
意識が、遠のいていく。
やがて、俺の意識が闇に落ちる頃――
「お母さん! もうやめて! 死んじゃうよその人っ!」
――そんな声が、聞こえた気がした。