モブ悪役令嬢はヒロインではなく大好きな推しを虐めようと思います〜その瞳と揺れる片袖、300年の祈り〜
「さあ、行こうか」
封印の箱から強いエネルギーが爆発するように激しく吹き出している。憎悪や悪意、人間の強い負の感情を撒き散らして、今、魔王が復活する。
その強風に、はためく黒いマントと揺れる片袖。ひとつに括られた艶やかな黒髪をたなびかせ、ひとつしかない赤い瞳を細めた彼が、私に向かって手を差しのべた。
今こそ。今まで頑張って来た成果を見せる時だ。大丈夫、怖くない。
だって私には、片眼、片腕を失っても尚揺るがない。
大好きな彼、レオン様がいるのだから。
***
「これ……!! あの、ゲーム!! 『ふたりで見上げる黎明の空』の舞台……!! シルバーベル学園じゃん……っっ!!!」
突然頭の中に、前世らしき記憶がすごい勢いで蘇った。
私は、ステファニア•ピシャール、近しい人は「ファニー」と呼ぶ。母はいないが、少し弱めな印象の父と、心配性の兄に大事にされながら育ち。14歳になった今、貴族が通う学園、シルバーベル学園の門に足を踏み入れた所だった。
学園の校舎を見上げ、見覚えのある光景に。ここで生きて来た私ではない記憶が、突然、頭の中で渦を巻くように蘇って来た。
『ふたりで見上げる黎明の空』
当時大人気の乙女ゲームで、勉強、運動、魔法のパラメータを上げながら、攻略対象者と仲を深めていくゲームだ。
公にはされていないが、この世界には封じられた魔王がいて「封印珠」を持つ、王家、ロイボルト公爵家、クヴァント侯爵家が代々封印珠を継承し、封印を重ねがけしてきた。王宮の魔導省が予言の魔術を使い聖女を探し、時代ごとに魔王へ備えを行って来たが、封印から300年後に魔王復活が予言されている。
ちなみに、あと3年ほどで、その300年だ。
平民から聖女に選ばれたヒロインは、このシルバーベル学園で光の魔法を学び、ゆくゆくは攻略対象者と復活した魔王に対峙する。
攻略対象者は、封印珠を継承して来た家柄の3人。
第三王子リーンハルト•イーストン。
騎士の家系の侯爵家嫡男、カイル•クヴァント。
ずば抜けた頭脳を持つ1歳年下の公爵家次男、ヨルン•ロイボルト。
そして、前世の最推し。
3人のルートをクリアした後に解放される、隠しルート。
天才的な魔術の腕を持つ、侯爵家嫡男、レオン•ロースウェル。
封印珠を持つ3人の攻略対象者のルートは、それぞれのに合わせたパラメータを上げてイベントをこなしつつ、そこそこの難易度で楽しくクリアできるのだが、隠しルートのレオン様だけはストーリーの重さが段違いだった。
ゲームの途中、封印の洞窟で魔王の封印の綻びを直すイベントがあるのだが、レオン様は封印珠を持たないので、その強い魔力で力技的に封じ込める。その際、ヒロインを庇いながら、代償として左眼と左腕を失うのだ。
レオン様を攻略して、最後、ふたりで魔王と対峙するシーン。
その強風に、はためく黒いマント、揺れる片袖。ひとつに括られた艶やかな黒髪をたなびかせ、ひとつしかない赤い瞳を細めた彼が、私に向かって手を差しのべる。
「さあ、行こうか。君の聖女の力と、俺の魔術があれば、魔王など恐るるに値しない。魔術を使うのも、君を護るのも。この片腕で、十分だ」
私達、レオン様のファンは、レオン様への公式の仕打ちに涙しながらも、改めてレオン様の幸せを祈り、推し続けることを誓ったものだった。
改めて、その舞台。シルバーベル学園の校舎を見上げる。
現在の私の立ち位置は、ヒロインではない。
私、ステファニア•ピシャールの立ち位置は。
レオン様ルートの、悪役令嬢だ。
レオン様ルートに入ったヒロインにちまちま嫌がらせをする、レオン様にも相手をされない、モブ悪役令嬢だ。
幸か不幸か、今はゲームが始まる一年前。
取り急ぎ、学園に通いつつ、遠目にレオン様を見つめて推しパワーをいただきながら、レオン様対策を考える事にした。
まずは、記憶と情報を整理するために、ノートにこと細かくゲームの内容を書き出してみる。
まず、現状の私の能力は。
勉強の成績は普通で、頑張っても上位に入る事は難しいと思う。
運動神経は、そんなに、良くない。
魔術は、生まれつきの魔力が微々たるものなので、逆立ちしても大した魔術は出来ない。
でも、お兄様が、封印珠を受け継ぐロイボルト公爵家の嫡男、攻略対象者ヨルンのお兄様と親しい友人だ。封印珠は貴重というほどではなくポロポロ作れるらしいので、封印珠はお兄様づてで手に入るかもしれない。
魔王復活に関しては。
ヒロインと攻略対象者が、聖女の力と攻略対象者の力で何とかしてくれる事だろう。
勉強も運動も平均の、魔力が微々たる私はお呼びではない。
それなら、私の目的は、ただひとつ。
ヒロインがレオン様ルートに行ってしまったら、レオン様は左眼と左腕を失ってしまう。
それなら私は、ヒロインがレオン様ルートに行かないよう、全力を持って邪魔しよう。
悪役令嬢役の私がヒロインを虐めたら、レオン様との恋が盛り上がってしまうかもしれない。それなら。
レオン様がヒロインと対峙したタイミングで、レオン様本人に嫌がらせをして、気を逸らすしかない。
私はモブの悪役令嬢なので、間違ってもレオン様とどうにかなるつもりはないし、自分の立場はわきまえている。
一番大事なのは、レオン様に嫌われても。レオン様の眼と腕を、全力でお守りする事だ。
「お父様! お兄様!!」
バンっと、屋敷の執務室の扉を開けた。
この部屋では、お父様とお兄様がいつもふたりで執務をしている。
我が家は、ピシャール伯爵家。王都から近い土地に領地をいただき、交通の便も良く、商業が盛んな領地だ。
家風的には質素を好むが、領地運営的には裕福な方である。
大きな音を立てて開いた扉に、お父様もお兄様もびっくりした顔をしてこちらを見た。
お父様は優しくて弱そうに見えるが、信頼され顔も広く、やる時にはやる人だ。
お兄様は人柄も良く、ずば抜けた才能は無いが父を助けてよく領地を治め、その堅実さに周囲の評価も中々高い。
お父様の髪色は青に近い紫色。
お兄様は紺色の長い髪を、三つ編みにして垂らしている。
私の髪はお父様に似て、青に近い紫だ。
3人でお揃いのピンクラベンダーの瞳を持つ、仲の良い似たもの家族だ。
「どうしたんだ、ファニー。びっくりしたじゃないか」
「学園が始まって疲れちゃったかな。おやつでも食べるかい?」
「お父様! おやつは食べたいです! でもその前に、お父様とお兄様に色々お願いがあります!」
お父様とお兄様がキョトンとしている。
「私、学園でやりたい事が出来たんです。ちょっと乙女の秘密なので、卒業までは内緒なんですが……やりたい事を達成するまで、婚約者を持たなくても良いでしょうか? もしかしたら、行き遅れになって、結婚できないかも、しれませんが……」
貴族の結婚は、義務であるのは分かっている。
でも学園生活中は、ヒロインのレオン様ルートの阻止に全力を費やしたいのだ。
「いいよ、いいよ。ファニーの好きにするといい。うちは何処の家と繋がる必要もないからね」
「僕が嫡男だから、婚姻の申入れもあると思うし……まだ、無いけど……ファニーは、結婚しなくても、ずっとここにいればいいよ」
「それは、流石に……お兄様が結婚したら、お嫁さんに申し訳無いので……」
「それじゃあ、領地に離れもあるし。好きな所に住んで、好きな生き方をすればいいよ」
うちのお父様とお兄様の、懐が深すぎる……!!
調子に乗って、もうひとつお願いを追加する。こっちはとても、心苦しいんだけど……
「もうひとつ、お願いがありまして……私、学園で、ある目的のために。侯爵様のご令息に、度々ちょっかいをかける必要がありまして……家に、迷惑を、かけるかも……あと、私の評判とかが悪くなって、迷惑かけたら、ごめんなさい……」
レオン様ルートを阻止する為に、侯爵家のご令息のレオン様に嫌がらせをする。
私が嫌われるのも、評判が落ちるのも。レオン様の眼と腕には変えられないが、堅実に生きて来たお父様とお兄様、家の評判を落とすのは心苦しい。
申し訳なくなって、下を向いてもじもじしてると、お兄様が側に来て、優しく頭をなでてくれる。
「構わないよ。ちょっとやそっとで揺らぐ我が家ではないし、ファニーにとって、大切な事なんだろう?」
「なあに、任せなさい。その為に繋いできた縁が沢山あるからね。脅すも、ゆするも、何でもできるさ」
「陰謀か……楽しそうだな……」
お父様とお兄様が、何だか物騒なことを言い始めた。
ふたりの評判は、善良で、堅実……じゃ、なかったっけ……?
取り敢えず、一旦考えることを棚上げしておいた。
そんなこんなでゲームスタートの準備をしながら、あっと言う間に1年が過ぎて、私は学園の2年生となった。
ヒロインが2年生として、年下の攻略対象者ヨルンが1年生として入学してくるはずで、ドキドキしながらゲームスタートの日を迎える。
学園のクラス分けは成績順で、レオン様と第三王子が一番上のクラス、私は真ん中のクラス。騎士の家系のカイルとヒロインは、一番下のクラスになるはずだ。
去年もレオン様とはクラスが違ったので、レオン様と第三王子は、遠目でチラリとしかお見かけしていない。
私はモブの悪役令嬢。ちゃんと自分の立場はわきまえている。
しかし、今年は。
レオン様をお守りする為、頑張って悪役令嬢をするのだ。
ゲームの毎日の日課として、ヒロインが校門に入り攻略対象者と挨拶をするイベントがある。ここでまず、コツコツと好感度を上げるのだ。
校門に、ピンク色のふわふわの髪、可愛らしい顔立ち、キョロキョロと周りを見ている女の子が現れる。ヒロインだ。
サッと周囲を確認すると、左側には金色の髪をした第三王子、右側にはひとつに括った黒髪を揺らす、レオン様。
艶やかな黒髪をたなびかせ、均整の取れた体躯に、人を寄せ付けないような雰囲気を醸し出す無表情。まだ少年ぽさを残したその身体には、膨大な魔力を内包している。
推しに見惚れるのは、また後で!
今の私には、レオン様を守る使命がある!!
ピンク色のヒロインよりも先に全力で走り出し、レオン様に体当たりする。
ぶつかられたレオン様は少しよろけたが、私は盛大に転んでカバンの中身を地面にぶちまけた。
「すいません……!! 前をよく見ていなくて!! お怪我はありませんか……!??」
みっともなく顔を擦りむているのは私の方だが、それはそれとして、ぶつかったレオン様に謝罪する。
レオン様は少し怪訝な顔をした後「問題ない」とポツリと言い置いて、ひとりで教室へ向かって行った。
周りを見渡しても、もうヒロインのピンク色は見当たらないので、朝の挨拶イベント、阻止成功だ。
お昼になると、中庭でヒロインと出会う日課がある。
隅のベンチでひとり、お昼ご飯を食べているヒロインと攻略対象者が知り合い、距離を縮めるのだ。
配置は、右側には騎士の家系カイル、左側に年下のヨルン。噴水の近くには、レオン様だ。何で攻略対象者は中庭に集合するのか。
私はレオン様の方に向かって走り出す。驚いたレオン様が少し身を引いたので、少しだけ接触したあと私はバランスを崩して噴水に突っ込んだ。
バシャーンッと大きな音を立てて、私ひとり噴水でずぶ濡れになる。
「君……、大丈夫か……?」
「はい! 大丈夫です、ありがとうございます! あ、制服に水が飛んで濡らしてしまいましたか……!!? 申し訳ありません……!!」
「……大丈夫だ……」
朝に続き、理解できないものを見るような目をして、レオン様は校舎に入った。
噴水の中でずぶ濡れている私は、中庭でも注目を浴びているが、取り急ぎヒロインとレオン様の接触は免れた。
こんな調子で、放課後のお勉強教えるイベントも身を張って目を逸らさせることで出会いを阻止し、レオン様のヒロインへの好感度は上がらずに済んだはずだ。私への好感度は下がったと思うが。
「お兄様ー。陰謀、得意なんです? 私も、教えてもらった方がいいかも……陰謀……」
「ファニーには無理だと思うけど」
「ですよねー……」
空回りな突進イベントを繰り返し、日に日に怪我も増えていく。
生傷が絶えない……! 鍛錬をしている騎士のようだ……!! 全力で転んでいるだけだが。
1年生の頃は、可も不可も無い目立たない生徒だったが、日々レオン様にイノシシのように突進しては派手に転ぶ私の評判は、徐々に下がって行った。
レオン様の表情も、一日いちにち、厳しくなっていく。
侯爵家ご令息の彼に迷惑をかけないようにと、上級生女子や高位貴族の女子からも注意を受けるようになってきた。
それでも。ヒロインがレオン様ルートに入らないように。
出来る限り、ふたりが出会う機会が減るように。
道化を演じ続けた。
***
その強風に、はためく黒いマント、揺れる片袖。ひとつに括られた艶やかな黒髪をたなびかせ、ひとつしかない赤い瞳を細めた彼が、手を差しのべる。
「さあ、行こうか。聖女の力と、俺の魔術があれば、魔王など恐るに値しない。魔術を使うのも、護るのも。この片腕で、十分だ」
***
汗だくで、ベッドから跳ね起きる。
ゲームでは、レオン様ルートのクライマックスのシーン。
左眼には黒い眼帯、マントの隙間で揺れる片袖。
私が頑張らなければ。
来年には、あのお姿になっているのだ。
ちょっとだけ出た涙を、袖で拭った。
春から夏になり、学園主催の舞踏会が開かれる時期になった。シルバーベル学園は、14歳〜16歳の3学年。卒業したら成人の仲間入りなので、その前に学園で舞踏会の予行練習をして慣れておこうという取り組みだ。
皆それぞれに着飾り、学年を超えて食べたり話したり踊ったりする。
平民のヒロインは王家から送られたドレスを着て、攻略対象者と仲を深めるイベントだ。
私もドレスを着て舞踏会に参加するし、レオン様の舞踏会用の貴重なお姿も見る事が出来る。
しかし、私は。レオン様の眼と腕を守る為。ヒロインとの時間を取らせない為。レオン様の前で大騒ぎして、台無しにしなければならないのだ。
学園の天井の高いホール。煌びやかに飾りつけられ、楽団の演奏による音楽が流れている。
学園長の挨拶が終わり、生徒達がそれぞれに舞踏会を楽しみ始めた。
テーブルには、スモークされた魚やハム、チーズが挟まれたサンドイッチや、上品なソースがかかった薄く切られたステーキ、鶏肉とキノコのクリーム煮、フルーツ等豪華な料理が並ぶ。
音楽に合わせて踊ったり料理を楽しんだりと、人が思い思いにバラけたところで、私はレオン先輩を追いかけた。
レオン様が、艶やかな長い黒髪を揺らしながら歩く先には。ピンク色のふわふわの髪。
私は、ブドウジュースを両手に持ち、レオン様の方へ急ぐ。
「……あっ……!!」
カシャーンとグラスが割れる高い音がホールに響く。
ドレスの裾を踏んで体勢を崩して転んだ私は、レオン様の服にも、私の服にも。しっかりと、赤いブドウジュースを染み込ませている。
「申し訳ありません……っっ!!」
流石に、舞踏会でレオン様のお召し物を真っ赤に汚すのは、あまりにもあまりすぎる。
分かってはいても、困惑したレオン様のお顔を見る事はできなかった。
「ステファニア嬢」
レオン様に初めて名前を呼ばれ、左手首を掴まれる。
転んだ時に、割れたグラスの破片に触ったのか、手のひらが切れて血が流れていた。
「だ、大丈夫です……!! 申し訳、ありませんでした……!!」
居た堪れなくなって、レオン様の顔を見る事なく、その場から逃げ出した。
ホールの外は日が落ちて薄暗くなり、ランプが周囲を仄かに照らしていた。
「もう……、本当、やだ……、あと半年…………」
切れた手には適当にハンカチを巻いて、外のベンチでため息を吐く。
ゲームは2年生の間、1年間でルートが完全に決まるから、あと半年ほどの我慢だ。
むしろ、毎日毎日迷惑をかけて、舞踏会もお召し物を台無しにして。我慢をさせているのはレオン様の方だ。
しばらく脱力しながら自己嫌悪していると、向こうの壁を曲がった方から話し声が聞こえた気がした。
気になって、そっと覗き込んでみると、そこには艶やかな流れる黒髪と、ピンク色のふわふわの髪。
レオン様と、ヒロインだった。
「ファニー、最近疲れてるんじゃないか?」
「お兄様、ありがとう。今が踏ん張り時だから、もうちょっと頑張らせて。あ、お願いしたものは手に入れられた?」
「封印珠なら、ユリウスからもらっておいたよ。はい、これ」
小箱を渡されて、開けてみると、虹色の小さな丸い石がいくつか入っていた。
お兄様の友人に、封印珠を扱うロイボルト公爵家、攻略対象者ヨルンのお兄様がいるので、譲り受けてくれたのだ。
「ファニーの『乙女の秘密』、今は聞かないけど、危ない事や、無理はしちゃダメだよ」
「うん。ありがとう、お兄様……」
優しいお兄様に頭をなでられて、もう少し、頑張ろうと思った。
舞踏会でブドウジュースかけてまでレオン様にもご迷惑をかけたのに、ヒロインとレオン様の時間を止められなかった。
毎日のことだし、学園での妨害もそろそろ無理がある。
よくよく考えたのだが、レオン様が片眼と片腕を失うのは、封印の洞窟イベントだ。
第三王子、カイル、ヨルンの、封印珠を持つ3人が行けば、綻んだ魔王の封印を封印珠で修復する事が出来るのだが、封印珠を持たないレオン様が行ったからあの悲劇が起きたのだ。
それならば、レオン様が封印の洞窟に行く前に私が行って、封印の綻びを修復しちゃえばいい。洞窟の場所は、分かっているのだ。
荷物をカバンに詰め込んで、学園がお休みの日の朝、封印の洞窟に向かった。
封印の洞窟は、学園からそんなに遠くはない。
王都の森の奥にあり、地面から飛び出た小さな岩の魔法陣を正しい手順で解除しないと、入り口が現れないようになっている。
ゲームで何度もやり込んでいるので、すんなりと解除をし、ゴゴゴ……と地鳴りと共に現れた洞窟の入り口に足を踏み入れる。
ゴツゴツした岩壁の暗い洞窟に入り、ランプの灯りひとつを頼りに、先へ先へと歩みを進めた。魔王が復活しない限り、魔獣とかモンスターとかが出てこない設定で助かった。
しばらく歩いて足が痛くなって来た頃、封印の間に辿り着く。
一番奥の小部屋のような空間。
小さな祭壇のような所に魔法陣が描かれ、淡く光を発している。
どこの封印が綻んでいるのか私では分からないが、とりあえず封印珠をカバンから取り出そうと中を探ると、壁を震わせるように声が響いた。
『……タスケテ…………!!』
ピシっと足元に大きな亀裂が入ったかと思ったら足元が崩れ始め、あっという間に闇に飲み込まれた。
***
「魔王の封印が……っ!! 綻んでいるのか……っっ」
封印の洞窟の中に、魔王の声が響き渡る。
耳を塞ぎたくなるようなその音は、叫びなのか、言語なのか、判別がつかない。
足元に亀裂が走り、そこから激しい負のエネルギーが吹きあげる。
まだ、私の光の魔法では、全く太刀打ちできるものではなかった。
「魔王が……!! 復活するのか……ッ!!? そうは、させない…………ッ!!!」
レオン様が、足元の亀裂に、魔法陣に。もの凄い量の魔力を注ぐ。
左手で直接魔法陣に干渉し、早口で高度な魔術を重ね始めた。
「レオン様……っっ!!」
それは、いけない。
その、魔術はいけない。
身を犠牲にして、魔を封印する魔術だ。
「……ぐっ、ゥ……っっ」
魔王のエネルギーと力比べをするように、レオン様が魔力を注ぎ込む。
レオン様の左腕や片眼から、血が吹き出した。
「レオン様……っっ!!!」
周囲が強い光に包まれた。
まるで、レオン様の魔力に、包まれたように。
***
「……う…………」
身体の下に、固くて冷たい地面の感触がする。
ゆっくりと瞼を開けると、向こうが薄らと青白く光っている。
周囲が暗すぎて、自分が怪我をしているのか、どこが痛いのかイマイチ分からないが、腕に力を入れて、ゆっくりと体を起こす。
『気がついた……?』
何処からか、声が聞こえる。
周囲を見渡しても、岩壁の閉鎖空間で誰もいない。
ここにあるのは、ボンヤリと発光してる魔法陣と、その上にある黒い艶やかな、金の装飾を施された小さな箱だ。
「日本語……? 誰……?」
『私は、今で言うなら魔王よ。目の前の小箱に封印されているの。300年前は、聖女だったわ』
「魔王で、聖女……?」
私は、小箱を見つめた。
『自我があるうちは何もしないわ。私はレイカ、貴方のお名前は? 久々に日本語でお話しできるのは嬉しいわ』
「ステファニア…ファニーだよ」
『ファニー! 可愛いお名前ね!』
黒い小箱、もといレイカと話を続ける。
「レイカ、この状況、どうなってるの?」
『日本語がわかるファニーなら、全部ぜんぶ、お話し出来るわ。そして、私を助けてくれる……?』
そして、レイカから聞いた話は、とんでもないものだった。
日本で女子大生をしていたレイカは、突如異世界に聖女として呼び出されて。
『親身になってくれた天才魔術師が、闇落ちしちゃったのよね』
「天才魔術師が、闇落ち……?」
『良いひとだったの。頭が良くて、日本語も理解して覚えてくれたわ。魔力も高くて、魔術に通じている人だったの。世界が荒れて、私が生贄にされそうになった時、あの人が闇落ちしたの』
「聖女を生贄……300年前は、ヤバい世界だったんだね」
『本当に災難だったわ。でも、あのひとが怒ってくれて、闇落ちして、生贄にするくらいなら聖女の力を反転して魔王にするって』
そして天才魔術師は、聖女の生贄を強行しようとした王政に追い詰められて闇落ちし、己の身を代償にした、300年後に聖女が魔王として復活するような反転魔術を行使したらしい。
封印珠を使わなければ、即、魔王降臨。
封印珠を使えば、300年後に魔王降臨。
『封印珠を使っても、300年経てば私の自我は消えて、魔王として降臨するんですって。多分、来年よね……』
「今、こうやってお話しできてるのに、来年にはどうやっても魔王になるの……? 『助けて』って言ってたけど、私に出来る事はある……?」
『封印が解けかけた時には、いつも助けを求めていたのだけれど。闇落ちした彼に、この世界の言語を封じられちゃったのよ。誰も私の言葉を、理解してくれなかった』
だから、日本語なのか。
『この、私が封じられている箱の裏に、解放の言葉があるの。もしも、そんな奇跡が起こせるものなら、やってみろって』
そっと、箱の裏面を見てみたら。日本語で小さく言葉が綴られていた。
「私、その言葉、わかるよ。言葉にするだけで良いのなら、今読んであげるけど。他には、お話ししたい事、ある?」
『じゃあ、もう少しだけ。ファニーは、今辛いことになっていない?』
「私は、そんな生贄とか大丈夫だよ。レイカが魔王になる過程で、大好きなひとが大怪我しそうだったから、先に止めに来たの」
『そうなのね。そのひとは、貴方のことが好きなの?』
「ううん。彼に大怪我して欲しくなくて、片眼と片腕、無くして欲しくなくて。私、いっぱい嫌なことしちゃったから、嫌われてるんじゃないかな。でも、阻止できたから満足だよ」
『そう。ファニー、頑張ったのね』
「うん、そうだね……ちょっと、頑張ったかな」
ふたりで、クスクス笑い合う。
『ありがとう、楽しかったわ。それじゃあ、私。そろそろ行くわね』
「私も楽しかった。ありがとう、レイカ。解放の言葉、読み上げるけど。一言も漏らさず、しっかりと聞いてね。多分、魔術師さんから、レイカへの最後のことば」
『…………!』
「んん……っ! じゃあ、いくね。『レイカへ。こんなかたちになってしまって、ごめんね。ずっとあいしてる』」
フワッと光が舞い、魔術師のローブを着ている男の姿が見えた気がした。
『麗花。こんな形でしか君を守れなくて、ごめんね。ずっと、愛してる』
『ばあか。本当に、ばか……。私も、大好きだったよ……』
魔術師のローブの隣に、白いヒラヒラとした衣姿の女の子も、見えた気がした。
『ファニー、ありがとう。貴方の恋も、叶いますように……』
一瞬だけ、光がふわっと身体を包む。
目も開けられないくらいの光に周囲が包まれ、レイカと小箱は消えていった。
消えていく光を見つめながら、勉強したこの国の歴史を思い出していた。
300年くらい前はとても自然災害が多かった時期で、生贄を捧げる文化もあったそうだ。
魔王も現れ、封印され、3家に代々封印珠が継承される。
魔王対策に、魔導省の予言の魔術で「国の中から」聖女が選ばれるようになったのも、この頃くらいからだったか。
多分あちこち歴史の改竄が行われているのだろうから、よくは分からないが。
「レイカ……恋のおまじないもいいけど、多分、私、ここから出られないよ……?」
光も消えて真っ暗な狭い空間に、ちょっとだけ絶望してみる。
ここは、封印の洞窟で。最奥の封印の魔法陣の場所から、足元が崩れて。その、崩れた随分下のほうだと思うのだ。
今日、封印の洞窟に行く事は誰にも言っていないし、そもそも封印の洞窟自体、封印珠を継承している3家しか知らないのだ。
その、最奥の。崩れて落ちた、狭い空間。
「はあ……、絶望的…………」
ちょっと面白くなって、声に出して笑ってみた。
私の微々たる魔力で、小さな光を一粒、浮かせてみる。
私の状況は絶望的だけど、レオン様とこの世界の状況としては、これ以上ないくらい大成功だ。
レオン様は、片眼も片腕も失わずに済んだし、魔王はこの世界からいなくなった。理不尽に呼び出されて封じられていたレイカは、魔王から解放された。
「ふふっ、レイカ。さっきお別れしたばかりだけど、すぐ会いにいけちゃうかも。やっと会えた彼氏さんとイチャイチャしてるの、邪魔しちゃうかもしれないけど、怒らないでね……」
骨は折れてないと思うけど、身体はあちこち痛い気がする。
喉も乾いたし、お腹も空いた。
「やれる事何もないし。寝ちゃおっかな……」
上着を脱いで畳んで寝転がり、枕がわりにして目を閉じた。
***
負のエネルギーが渦巻いていた先ほどから一転、爽やかな風が吹き抜ける。
学園で練習を積み重ねてきた光の魔法は確実に魔王を削り、封印珠を継承してきた3家に、300年分の魔王対策を共有してもらい。今、脅威は跡形もなく消え去った。
風に揺られた前髪の隙間から、眼帯が見え隠れする。
たなびく艶やかな黒髪に、揺れるマントと左の片袖。
片方の赤い瞳を優しげに細め、手を差し出しながら。
綺麗な笑顔でレオン様が言った。
「さあ、帰ろうか」
***
「おい、おい……!! 大丈夫か……!?」
肩を小さく揺らされて、ぼんやりと意識が覚醒する。
大好きなひとの、声が、する……?
「おい、生きてるか……? 怪我は……?」
「……れおん、さま……??」
レオン様の夢を見ていた気がするけど、夢の続きか。
良い夢だ……
「ステファニア嬢!」
バチっと目が覚めた。
ここは、レイカが封印されていたそのままの場所で、でも周囲はとても明るい。
目の前にレオン様がいる気がするけど、本物のレオン様なら、レオン様の魔法だろうか。
「レオン、様…………??」
「質問は後だ。俺も、後で聞きたい事がある。まずは、怪我はあるか? 毒や、魔法や、呪いは?」
「怪我は……分からないけど、多分折れては無いと……毒とかも無くて……」
「そうか。それならこのまま、上に行くぞ」
「上……きゃああぁぁぁ……っっ」
レオン様に抱き上げられて、そのまま風の魔術で浮かび上がった。
「ファニー、まずは謝っておくね。ファニーの行方を探す為に『乙女の秘密』暴いちゃった……ごめんね!!」
「おとめのひみつ……」
「ファニーの、机の上にあった……ノート……」
「………………!!! えええぇぇぇぇ……っっっ!!?」
封印の洞窟には、レオン様の他に、お父様とお兄様も来ていた。お兄様におんぶされながら、事の経緯を説明された。
「ファニーが帰って来なくて、どこに行ったのかも分からなくて。ファニーの部屋に行ったら、ノートがあったから中を見せてもらったんだ」
あのノートには……っっ!!
あの、ノートには……っっ!!
ゲームの、記憶の、全てが!! 書いてあるのだが……っっ!!!
どうして迎えに来てくれたのかを、理解した。
ノートには、封印の洞窟の場所も、詳しく書いてある。
「そうしたら、レオンくんの事が沢山書いてあったから、レオンくんにファニーの事を知らないか、聞きに行ったんだ」
「……ま、まさか……、レオン様…………?」
「ああ、ノート。見せてもらった」
ぎゃああぁぁぁ……っっ!!!
レオン様の事ばかり、書いてあるノートなのに……っっ!!!
逃げて隠れて、埋まるしか無い……!!!
実際には、お兄様におんぶされていて逃げられないので、チーンと広い背中に顔を埋める。
「あれは、本当なのか……?」
背中に埋めた顔を少しだけ上げて、チラッとレオン様を見る。
「聖女と話をして、一緒に封印の洞窟に行く事になったら、封印の代償に、片眼と片腕を失っていたと言うことか。確かにそういう状況になったら、迷わずそれを選ぶだろう」
ふたつの赤い瞳が、私を見つめる。
「ステファニア嬢は、そうならないように。ずっと、行動していてくれたのか……?」
はい、とも、いいえ、とも答えられない。
それはそうなんだけれども。何も知らないレオン様には、とても迷惑をかけたのだ。
「毎日、傷だらけになって。水に濡れた事も、酷く汚れた事も、少なくなかったはずだ。あの行動は、俺の為だったのか……?」
美しい、大好きな赤い瞳から目を逸らして、お兄様の背中に顔を埋める。
「……レオン様が、ご無事で、良かったです……」
何とか、言葉を絞り出した。
***
シルバーベル学園の2年生になってから、女の子がぶつかって来るようになった。
青紫の髪を持ち、ピンクパープルの瞳の子だ。
俺がぶつかられた衝撃以上に、いつも派手に転んでいる。掌や膝や、時には顔が。擦りむけて血が滲んでいる事も珍しくは無い。
噴水の中に倒れて全身濡れている事もあるし、服が派手に汚れてしまう事もある。
この、黒い髪と赤い目に嫌悪を抱き、嫌がらせをしているつもりだろうか。それにしては、彼女自身への被害の方が遥かに大きかったし、その必死の表情が頭から離れなかった。
学園の舞踏会が終わった頃。
彼女の家族が、帰って来ない彼女を探して俺を訪ねて来た。
差し出されノートには、信じられない事が書いてあった。
平民から選ばれたという、聖女について。
封印珠を継承している3家の、同級生と後輩について。
そして、そのほとんどは、俺のことについて。
俺と聖女が関わることにより、予想される未来。
阻止する為の計画。毎日の行動のひとつひとつ。
全てが覚えのあることで。
「レオン様が大怪我をしないように」
「レオン様をお守りできるように」
何度も綴られた、その言葉。
どうして彼女が、その細くて小さい身ひとつで、俺を守ろうとしてくれるのか。
それを、知りたいと、思った。
***
私の家、ピシャール伯爵家に帰り着くと、まずお父様とお兄様、着いて来たレオン様に、事の経緯をノートも含めて、全て話すこととなった。
魔王とレイカと彼の魔術師と、300年前の出来事もだ。
レイカの事を話すには、前世の事も、日本の事も、隠す事は出来なかった。
「ファニー……。最初から話してくれていたら、協力は惜しまなかったのに」
「毎日傷を増やしていくファニーを見て、どれだけ心配したと思う?」
前世の話を信じてくれて、心配までしてくれる。優しくて頼りになる、お父様とお兄様。
「ステファニア嬢。状況的に難しかっただろうが、俺も、相談して欲しかった」
レオン様まで、そんな事を言う。
ゲーム終盤の、片眼、片腕のレオン様では無い。
美しい、赤いふたつの瞳と、逞しい両腕がある。何も失っていないレオン様だ。
封印の洞窟での緊張が解けたのと、皆の気持ちが嬉しいのと。レオン様を守れた安堵で、涙が溢れて止まらない。
お父様とお兄様に撫でられながら抱きしめられて、いつの間にか眠りについた。
私はあれから、2、3日。学園を休んでから、登校し始めた。
レオン様はもう安全なので、私が頑張る必要は無い。
ヒロインと話して攻略されても、レオン様に降りかかる厄災はもう無いのだ。
それなのに。
その日から、レオン様が毎日のように、私に近づいて来るようになった。
もう、レオン様の身は安全だから、心配は無いと言っても。
私はもう、ご迷惑をかけませんからと伝えても。
「ステファニア嬢が無茶をしないか、心配だから」
「ステファニア嬢のニホンの記憶やニホンの言葉に、興味が尽きないから」
元々、私は前世から。
レオン様が大好きなのだ。
そんな事を言われて近づいて来られたら、対策のしようがない。
「レオン様!! 女子に、そういう事を言うと、勘違いしますよ!! ご自分の顔の良さを、自覚してください……っっ!!!」
レオン様は。艶やかな、長い黒髪をたなびかせて。赤い両目を優しげに細めて。
綺麗な笑顔で、手を差し出した。
「ステファニア嬢。勘違いしないように、君には言葉を尽くすよう努力する。君が嫌で無いのなら、側にいさせてくれないか。これからは、俺が君を守りたい」
晴れ渡った青い空から「恋のおまじないは効いたかしら」と、声が聞こえたような気がした。




