初対面の第一声が自分もよちよちして欲しいでした
ここは、剣と魔法のファンタジー世界ザダ。
そんな世界に生きる十九歳の乙女レリーゼは、海と山が近いそれなりに大きな町で個人治癒師をしていた。
治癒魔法に適性のある人間は比較的少なく、本来であれば引く手あまたな存在であるのだが、こと彼女に限ってはそうはならなかった。
魔力の放出回路が極端に細く、小さな傷を治すのがやっとといった能力の低さであったからだ。
そのため、正式な治療院に勤めることが出来ず、あちらこちらと放浪した結果、景気が良く余所者も珍しくないポロッコの町に腰を落ち着けた。
ごく軽度な怪我や病が対象でも、生活に余裕があれば念のためといって、彼女のような者にも需要が生じる。
それでも、自力で採取・調合した薬もどきを併用し効果を上乗せすることで何とか働いているのが現状だった。
町で暮らし始めてからまだ一年も経ってはいないが、レリーゼが女性であることで同じ女性や子供の安心を得られやすく、また彼女自身の人当たりの良さから常連となった顧客もおり、今ではそこそこ安定した収入を得ている。
食べるのに困るほど貧してはいないが、さりとて贅沢が可能なほど稼いでもいない、といった具合だ。
さて、ある日の早朝、レリーゼがいつものように山へ薬草の採取をしに行った時のこと。
魔物の生息する地へ女性一人でとは、いかにも危険なようだが、外部へ放出する回路が細いだけで、彼女の保有する魔力量は平均を少し上回っている。
ゆえに、自身の体内で発動する魔法、とりわけ身体強化については得意分野であり、戦闘はともかく、逃げるだけなら鳥にも負けぬ自信があった。
そんなわけで、彼女は単身いくつかの群生地を順に巡っていく。
そこから、背中のカゴの半分以上が埋まった辺りで、一匹の小動物が彼女の前に姿を現した。
重さが十キロ近くありそうな、どっしりとした灰毛の山猫だ。
「あら、あなた。また来たの?」
レリーゼが気付いて声を掛けると、猫は尻尾をぴんと立てて小走りで寄ってくる。
以前、足裏に刺さった棘を抜き、魔法で傷を癒してやってからというもの、こうして気まぐれに甘えてくるようになったのだ。
しっかり構うまで頭突きをしつつ付きまとったり、肩に飛び乗ってきたりするので、この猫が現れた際は、いったん集中して撫でてやることにしている。
その間の周囲への警戒は山猫自身がしてくれるため、魔物に不意打ちを受けるような危険もない。
ちょうど座れそうな形に湾曲して生えた木があったので、その幹に腰を下ろして膝の上に猫を誘う。
すると、猫はたちまち彼女の揃えた腿の上へ飛び乗って、こんもりと身を伏せた。
まだ触れてもいないというのに、すでにゴロゴロと機嫌よく喉を鳴らしている。
「ふふ。可愛い子ちゃんでしゅねぇ」
周囲に誰もいない環境で、懐いてくる小動物を相手にうっかり赤ちゃん言葉になってしまうのは、人類の性として仕方のないことだった。
レリーゼは慈愛深く微笑み、左手の指先で喉を掻くように触れつつ、右手の平を首元から尾の付け根まで滑らせる。
動物に関する知識があるわけではなく、山猫本人の反応を見ながら撫でていたら自然とこの形にたどり着いていた。
「よちよち。いい子、いい子」
独り言をこぼしながら、治癒魔法を発動させる。
通常は必要な効果を意識して掛けるものだが、漠然と行使すれば、怪我以外にも内臓不調の改善や体力回復などなど広く浅く能力が発揮されるのだ。
採取の日は、帰宅後も薬草の処理に追われて治癒師としての勤めはないので、ここで少しばかり魔力を消耗したとしても特に問題はない……というのが、彼女の言い分である。
別段、誰に迷惑をかけるわけでも、禁じられているわけでもないが、無駄打ちを避けるべきという界隈の傾向から、真面目なレリーゼは罪悪感を禁じ得なかった。
とはいえ、猫の可愛さに抗えるものではないので、悪いと思いつつも毎回やっていた。
「あっ、猫ちゃん」
いつもならば十五分ばかり居座ってくれる山猫だが、この日はまだ五分も経過していないというのに、ふとある一点に視線を向けたかと思うと、さっさと木々の合間に姿を消してしまう。
魔物の接近ではない。
その場合、毛を逆立て牙を剥いて威嚇するのをレリーゼは知っている。
では、いったい何が、と猫の見ていた方向へ首を振り……瞬間、鳥肌を立てた。
三本ほど先の木の横に、一人の男が立っている。
存在に気が付くとほぼ同時、彼はおぼつかない足取りで、けれど、真っすぐに彼女を目指して歩いてきた。
ただちに逃げるべきか迷って、直後に特徴的な装いが目に入る。
男は、幼い頃に誰もが一度は憧れる、特級魔術師の証である金刺繍入りの豪奢な緋色のマントを身に着けていた。
ちなみに、身の内に宿る魔力をそのまま放って使えるのが魔法使い、そこから研鑽を積んで、魔力の形や性質に変化をもたらせる者が魔術師だ。
後者を名乗るためには、世界基準の認定試験を乗り越え免状を貰う必要がある。
魔力量、知識量、技術力、最低限の倫理観、全てが揃わなければ魔術師にはなれない。
更に、特級と冠することが可能なのは、ごく最上層の真の実力者のみ。
畑違いとはいえ、公認治癒師にすら至れぬレリーゼとは、その身分に天と地よりも高い隔たりがあった。
そんな男が何の用で、と未だ木に座したままの彼女が固まっていると、やがてほんの一メートルほどの距離まで到達した男……青年が、かすれ声で、とんでもない呟きを落としてくる。
「……じ、自分も、よちよち、して欲しい」
レリーゼは絶句した。
改めて、全力で逃げるべきかと追考した。
しかし、その選択肢は間もなく消滅する。
彼の瞳には光がなく、あまりにも意識朦朧といった様子だったからだ。
治癒師としての経験から、過度な疲労の状態が見て取れた。
とても正気とは思えない。
拒絶すれば、今にも儚くなってしまいそうな、危機的状況にあると察してしまった。
だから、彼女は断れなかった。
交際相手の一人もいればまた答えは違ったのかもしれないが、幸か不幸か未だそちら方面の縁には恵まれていない。
治癒師として行き過ぎた自己犠牲だと自覚しつつも、弱り切った命を前に決意は止められなかった。
そして、レリーゼは、男から視線を逸らさず、両の細腕をゆっくりと広げて、覚悟と共に、告げる。
「……どうぞ」
返答はない。
が、当人の了承を得て、青年は崩れるように膝をつき、腕は力なく地面に垂らして、頭部だけを俯せに柔らかい膝上に乗せた。
彼女は迷いながらも、男の後頭部と肩先に手を添える。
次いで、両方を静かに撫でさすり、望む言葉を唱えた。
「……いい子、いい子。
こんなに疲れるまで、いっぱい頑張ったのね。
あなたはとっても頑張り屋さんの、立派で、素敵な、えらい子ね」
同時に、疲労の回復を重点とした治癒魔法を発動させる。
始めて一分も経つ頃には、青年は声も漏らさず泣いていた。
あぁ、限界までくたびれ切った人間の反応だと、レリーゼは理由を知らずながら深い同情の念を覚える。
「よしよし。いい子、いい子ね」
さしもの彼女も、猫相手のように赤ちゃんしゃべりで語りかけることまでは憚られた。
その内に、抱える頭部が明白に重みを増して、彼が眠りに落ちてしまった事実を悟る。
無論、起こしはしない。
心身の修復に必須だからだ。
邪魔をしてしまわないよう彼女は口を噤み、万一の用心に獣除けの香水を撒いて、追加で虫除けの草を焚く。
どちらも安いものではないが、ここが使い時だと確信していた。
そうして、再び空いた手を青年の後頭部に戻して、ゆるりと撫で始める。
そんな自身の行為が治療の一環なのか、ごく個人的な憐憫の情によるものなのか、レリーゼには分からなかった。
~~~~~~~~~~
「あの、申し訳ありません。
そろそろ起きていただけると、大変ありがたいのですが」
約三時間ほど経ってから、彼女は青年を目覚めさせるべく肩を揺さぶった。
周辺が夜の闇に包まれるよりも前に、下山を果たしたかったからだ。
太陽のある日中に比べて気温がかなり下がるし、魔物も獣も虫も基本的には夜行性が多い。
彼が負担のかかる体勢で寝てしまい、痛み軽減のために治癒魔法を断続的にかけ続けていたせいか、レリーゼの顔には少々の疲れが見える。
ちなみに、身体強化魔法に長けた彼女であれば、成人男性一人を抱えて町まで戻ることは容易かったが、彼の名誉や誇りが傷つく可能性を考えて、最終手段と置いていた。
ちょうど眠りの波が浅瀬にあったのか、青年は瞼を震わせ、ほどなくして起床する。
「……ん……んん?」
「もし、魔術師様、お目覚めになりましたか?
お体に痛みなどはございませんか?」
「…………………………は?」
完全に覚醒するまで少々ぼんやりとした様子だったが、状況を把握してからは早かった。
彼は真顔で妙な冷や汗を垂らしながら、いつの間にか細い胴に回していた両腕を慎重に解いて、中腰のままジリジリと後退する。
「眠る以前の記憶は、どこまで思い出せますか」
「っま、待って欲しい。少し考えたい」
「はい。ごゆっくりどうぞ」
彼女の問いに肩を跳ねさせた男は、片膝を地に着けた状態で右手を制止のために突き出し、左手で顔の半分を覆った。
数秒、無言の時が流れて、やがて、制止の手が引き戻され、顔の全面が隠される。
そこから徐々に俯いて、自身の立てた膝に触れた辺りで、その内側から小さく声を飛ばした。
「……どこまでが現実で、どこまでが夢か、判別がつかない。
お、恐ろしいが、確認させて欲しい。
自分は……自分は、あなたに破廉恥な頼みごとをしなかっただろうか?」
レリーゼ個人としては否定して安心させてやりたい感情もあったが、当人の疲労がどれほどの危険水域にあったのか、しっかり自覚を促すためにも真実を語るべきであるとの結論に落ち着く。
とはいえ、いたたまれぬ気持ちもあるため、彼女は青年から視線を外して、遠慮がちに答えを唇に乗せた。
「ええと、はれんち、かどうかは個人の定義で異なるかと思われますが……直前まで構っていた猫に対するものと同様の行為を求められはしました」
「ぐぅ……っ」
途端、羞恥と後悔に喉を震わせる男。
「い、いや、まだ、まだだ」
しかし、なお崖際から逃れようと、もはや悪あがきに近い質問を重ねてくる。
「よ、よもや、あなたは、ソレを叶えなどしなかった……はずだな?
そうだな、まさか、見ず知らずの男のおかしな頼みを、そんな、軽々しく受け入れるなんて、あるはずが……」
「承諾させていただきました。
非公認の弱小個人勢とはいえ、一人の治癒師として必要な行いであると判断したためです」
「っあぁああぁ終わった」
彼の顔面はついに膝からも崩れ落ち、地面に埋まった。
そんな青年の後頭部に向け、あえて彼女は強い口調で告げる。
「終わっていません、魔術師様。
あなたのお体が疲労困憊で、意識が混濁するほど危険な状態にあった、というだけの話です。
先ほどの休息で僅かばかり回復しただけで、今もまだ健康を取り戻したわけではありません。
重々、ご自愛ください」
レリーゼの説明を聞いているのか、いないのか、男は沈黙を保ったまま動かない。
そこから、彼女が十秒ほど様子をうかがっていると、未だ無言ではあるが、ようやく彼は自身の体をノロノロと起こし始めた。
一度、胡坐の状態になり、そこから右の片膝を立てて、同じ側の腕を乗せる。
視線は上げず、少し前の地面をただ眺めていた。
「自愛……自愛か」
こぼれ落ちる男の声は、投げやりな色に染まっている。
「出来るものなら、やっている」
「魔術師様……?」
言葉の聞き取りにくさもあるが、何より雲の上の実力者を見下ろす気になれず、レリーゼも木から離れ地面に両膝をつき、彼と同程度の視線の高さまで腰を落とした。
すると、それに気付いた青年がゆっくりと顔を上げ、正面の彼女に淀んだ瞳を向ける。
「しょせんは孤児上がりだと侮られ、日々貴族連中からくだらない依頼が大量に舞い込んで来て、ろくに休む暇もない。
体は疲れきっているのに、夜、眠ろうとしても寝付けないまま朝が来る。
食欲がなく、無理に何かしら腹に入れれば吐き戻す。
治療院で体力だけでも回復させようとしたが、なぜか己の魔力が反発して効果がない。
で、あなたはこれ以上、自分にどうしろと言うんだ」
「……そんな」
特級魔術師の想像だにせぬ酷い現実に、レリーゼは顔を青ざめさせた。
過労死の瀬戸際にある命を寸でのところで助けられたと思っていたのに、それが自己満足に過ぎない焼け石に水の行為であったと、まざまざと突きつけられてしまったのだ。
今日の休息でほんの僅か延命はされただろうが、死神はまだ彼の隣に立ち続けている。
けれど、仕方がない、とは、諦めようとは、彼女は思わなかった。
そこで手を離せる人間なのであれば、薬師や医師に弟子入りしてまで、己のろくな効果もない治癒魔法で生きていこうなどとはしなかっただろう。
「あの、とりあえず、もう一度だけ治癒魔法を掛けてみても良いですか」
「え?」
レリーゼからの急な提案に、青年は瞼を瞬かせる。
「今しがた眠っていたことに関しては、単純に限界を超えての気絶であり、不眠が治ったとは考えにくいです。
一方で、魔術師様に行使させていただいた私の魔法について、反発を受けた様には感じられませんでした。
意識が無かったから、というのが可能性としては最も高いですが、もしかしたら、私の力があまりに微弱で反応するまでもないと捨て置かれたのやも、と思いまして。
ですので、無礼かとは存じますが、今一度、試させていただきたく」
ぐいと顔を寄せて、彼女は燃える瞳で男を見つめた。
その真剣さにたじろぎつつも、彼は曖昧に首を縦に振る。
「あぁ、まぁ。治癒を試してもらう分には、特に問題はないが……」
特級魔術師という立場を考えれば少々軽率だが、内容的に損のある申し出ではないし、そもそも害意があるなら寝ている隙を狙っていただろうと考え、受け入れたのだ。
「では、さっそく失礼しまして」
レリーゼの行動は早かった。
青年が身構えるよりも前に、彼女は片膝に乗った右腕の半ばに指先を添えており、彼がその事実に気が付いた時にはもう、魔法は使用された後だった。
「どうですか?」
「あ……いや、確かに、反発はない、な」
「ですよね?」
「しかし、効果の方も実感としてはあまり……」
「そこは仕様です」
女の躊躇のなさに慄きつつも、律儀に答えを返す特級魔術師。
「で、あれば、どうかお願いします。
治癒魔法は重ね掛けも可能ですので、ぜひ、定期的に私の元へ通っていただけましたらと……。
重ねる回数を試算するに、ある程度のまとまった時間が必要かとは思われますが、何もしないより確実にマシになるはずです」
「ええと」
「っあ、申し遅れました。
私は山近くのポロッコの東下区で個人治癒業を営んでおります、レリーゼという者でございます。
生まれつき魔力の放出回路が細く、まともに公認も得られぬ非才の身ではありますが、治癒師としての矜持を忘れた日はございません。
もちろん、魔術師様の名誉をお守りするためにも、本件に関して一切の他言はせぬとお約束いたします。
いかがでしょう。どうか、治癒に通ってはいただけませんでしょうか」
通え、などと迫っているが、この男が特に近所に住んでいるわけではないとレリーゼは察していた。
ただし、彼ら魔術師は、とりわけ特級ともなれば、難しい転移の魔法を軽々使って、日夜、世界中を飛び回り活躍している、という事実を知っている。
魔力の使い過ぎによる症状ではないので、それを行わせることに躊躇いはなかった。
彼女の怒濤の営業行為に、青年は気圧されるばかりだ。
その瞳には、ただただ熱意だけが込められ、よくある上位者へ媚びるような甘い色はない。
彼は、それが不思議だった。
「ひとつ、伺いたいのだが……」
「はい、如何様にも」
「あなたは……レリーゼ殿は、初対面の男を相手に、なぜ、そこまで必死になれる?」
「え?」
起こった事実だけを述べるなら、唐突に現れて頭のおかしい望みを押し付けてきただけの異性に過ぎないだろう。
嫌悪こそすれ、女性が親身になる要素などどこにもない。
「もし、自分が特級魔術師であることで、何らかの見返りを期待しているのなら、申し訳ないが……」
「っあ、それはないです」
彼自身、違うのだろうなと考えながら発した言葉は、大方の予想通り、即座に本人によって否定された。
逆に、誤解されていると思ってしまったレリーゼは、慌てた様子で両手を振りつつ弁明に唇を開く。
「身分に関係なく、ここで放っておいたら、後々まで、あの人はまだ生きているのか、もっと出来ることがあったのではないかと、何かにつけ気もそぞろになるという、ごく個人的な理由からお願いしている次第でして。
弱小治癒師の私が役に立てるかもしれない数少ない盤面で、それを見逃すなんて、あまりに心苦し過ぎます。
なんなら、私の一方的な押し付けということで、治療費だって無償でも構いませんし」
「いや、流石に無償は良くない。
いかに腕が劣ろうと、希少な魔法を使う者がその能力を安売りしてはいけない。
ソレはあなた個人の問題に留まらず、他の治癒師にも迷惑が掛かる愚行だ」
ついの勢いでまろび出たであろう彼女の提案に対し、同じく魔法を扱う者としての苦言が反射で放たれていた。
普段であれば、彼も初対面の女性を相手にここまで語りはしなかっただろうが、今は脳も疲れて歯止めが効かない状態だ。
彼本人も気が付いて、口が過ぎたと、今しがたの己の所業に軽く眉を寄せる。
一方、生真面目なレリーゼは男の急な説教を不快と受け取るどころか、背を丸め、浅慮を深く反省している様子であった。
「っうぅ。魔術師様の御高説、ごもっともです。
大変、申し訳ありませんでした」
こう素直に頭を下げられれば、彼も自身の罪を黙って流すわけにはいかない。
「ん、いや……こちらこそ、偉そうにすまなかった。
よく考えれば、依頼主が貴族とはいえ、割に合わぬ仕事を日常的に請け負っている自分が言えた立場ではなかった」
「あー……」
頭の中で、確かに、と納得してしまい、彼女は次の言葉を紡げずにいる。
両者の間に気まずい空気が流れていた。
そんな居心地の悪さを払拭するように、青年は後頭部を掻きながら、ひとつの結論を告げる。
「……まぁ、うん。そうだな。
自分とて、早々な死を望むものではない。
良ければ、治癒を頼もう」
心身が限界に近いのは真実であるし、所感として彼女に裏があるようには見えず、そもそも深く思考をすることが億劫で、彼は偶然に遭遇した細く頼りない藁を掴んでいた。
「っはい! はい、もちろんです!
いつでも訪ねていらして下さい!」
青年の了承を得て、レリーゼは両のこぶしを握り満面の笑みを浮かべる。
これで人を助けられるという、純粋な安堵と喜びだ。
そんな彼女につれらるように、彼も僅かに唇を緩めた。
「あぁ、世話になる。
今更だが、自分は共都トドロアの特級魔術師で、ジノン・ナザウィズという。
ナザウィズは特級へ到った際に付けられた家名で慣れぬので、ジノンの方で呼んでくれ」
「ジノン様ですね」
そこから少し互いの情報を共有する流れとなり、レリーゼは猫の話や山に入った目的を語り、一方で、ジノンが新種の魔物の目撃情報を元に単独で調査へ訪れていたことを知る。
また、ここで、転移の目印となる彼固有の印の刻まれた薄い石板を渡され、急に現れても問題のない場所に設置するよう頼まれもした。
「ちなみに、体調がほぼ限界に近い現状を考えますと、しばらくは毎日通っていただくのが望ましいのですが」
「いや、さすがにソレは……」
「やはり、厳しいですか。
寝台で眠れぬ夜を過ごす代わりに、こちらに来ていただいたりは?」
「あー。可能か否かで言えば、可能だろうがな」
一瞬、大胆な誘いかとも考えた青年だったが、女の真剣な顔が目に入れば、他意のない発言だと嫌でも理解する。
「仮にそうしたとして、レリーゼ殿はいつ寝るのだ」
「一晩丸ごと治癒を続けようという話ではありませんから。
多少、就寝が遅くなる程度なら問題にならないかと。
治療院と違って個人勢ですし、時間に融通は利きますので」
「……そも、若い女性が夜分に男と会おうなど、外聞も悪ければ貞操も危うい真似だと理解しているのか」
レリーゼは、すっかり夜間に彼を迎え入れるつもりになっているようだった。
あまりに無防備すぎて、つい無駄な節介を焼いてしまうジノンであるが、彼女は警戒するどころか白けた半目で呆れた声を返してくる。
「そういった忠告は、もっと体力を取り戻してからでお願いします。
こうして長々と話しているだけでも、実際のところ、疲労感は増しているのではありませんか」
「むっ」
治癒師の指摘は鋭く、青年は二の句を告げられずに小さく唸った。
その隙を狙うように、レリーゼは自身の両手の平を合わせて、強引に決定を言い渡す。
「ということで、今夜からでも明日からでも構いませんので、きっちり通っていらして下さいね」
「……治癒魔法使いの頑固さには敵わんな」
彼の口から零れ落ちたため息は、誰に拾われることもなく、山の地面に転がり、消失した。
~~~~~~~~~~
そして、次の日の深夜近く。
「……ここは、診療所には見えないが。
もしや、レリーゼ殿の個人宅ではないのか」
石板を頼りに転移してきたジノンが、周囲の様子を確認して、眉間に皺を寄せた。
そこは、シンプルなデザインのテーブルやタンスやベッドがまとめて収まった、生活感あふれる一室だった。
部屋に一ヶ所だけある出入口は開いており、その先には、小さなキッチンと玄関、おそらくトイレであろう扉が見える。
「はい。私が借りている賃貸のお部屋です。
弱小個人勢が診療所なんて贅沢なもの所有しているわけありませんからね。
普段、お仕事をする時は、薬箱と幟を背負って街を練り歩いていますよ」
レリーゼは邪気のない笑みで、青年にとって頭の痛くなるような事実を羅列した。
半ば諦めつつも、彼は最後の抵抗として、質問を投げかける。
「その……まさかとは思うが、この部屋で治療を行うつもりだろうか」
「もちろん、そうです。
粗末な場所で申し訳ないですけれど、誰にも露見しないようにと考えると、他では、ちょっと」
間髪入れぬ肯定。
特級魔術師は、目を閉じて深く息を吸い、そして、飲み込んだ。
「それは………………いや、事情は把握した。
あなたの献身に感謝する」
「えぇ? そんな大げさな」
彼女の軽率さについて言ってやりたいことは山とあったが、可能な範囲で便宜を図ろうとした結果であり、己は世話になる身である、として自制したジノンである。
しかし、彼の真の試練は、ここから更に先に存在した。
「……レリーゼ殿。今、なんと?」
治癒師からとある打診を受けて、まず、青年は己の耳と正気を疑った。
疲れからの幻聴に違いないと、そう信じたかったからだ。
が、現実は常に無情である。
「膝枕の状態で治癒を試してみませんか、と申しました。
先の日は気絶と判じましたが、同じ状況を再現して、もしも、また入眠に到れるようなら、それに越したことはないでしょう?」
「あなたの貞操観念はどうなっているんだ」
「私の膝ごとき、人様の命と天秤にかけるものではございません」
「使命感が強すぎる」
ついに自制の防波堤が決壊した男の嘆きは、レリーゼの矜持によって、完膚なきまでに跳ね除けられた。
結局、彼女の押しの強さに逆らえず、ジノンは乙女の柔らかな太腿に頭部を乗せた状態でベッドに寝転がるという、酷く退廃的な行為に身を沈める破目に陥ってしまう。
「よしよし。いい子、いい子」
「とんだ辱めだ」
「我慢して下さい、ジノン様。
私だって、恥ずかしいんですよ」
「うぐっ」
治療の一環で何も感じていないのかと思いきや、薄っすらと頬を赤らめ恥じらうレリーゼ。
そんな彼女の姿に、己の内から怒りにも似た謎の感情が爆発的に湧いて、けれど、青年は強く奥歯を噛むことで必死に耐え過ごした。
「ほら、目を閉じて。集中して」
一時、逸らしていた視線を彼のもとへ戻して、レリーゼは常識外の治癒行為を再開させる。
こんな状況で眠れるわけがあるか、と不満の止まらぬジノンだったが、瞼で視界を塞ぎ、優しく落ち着いた囁きに耳を傾けていれば、やがて、ゆっくりと彼の意識は遠のいていった。
そして、三時間後。
「よく眠っていらっしゃいましたね」
直前の記憶と寸分違わぬ、女治癒師を下から見上げる構図を目で確認した特級魔術師は、片手で己の顔面を覆って、低く唸る。
「いっそ、眠れない方が僥倖だった」
そこそこ回復はしているが、それこそが彼の正直な感想であった。
効果有りとなれば、彼女が継続を迫らぬわけがない。
こんなものは新手の拷問だ、とジノンは思った。
「ジノン様。そんなこと、おっしゃらず。
少しスッキリしたところで、薬草粥はいかがですか。
無理にとは申しませんが、一口だけでも召し上がっていただけると、私も安心します」
「……そうか。分かった、いただこう。
レリーゼ殿、何から何まですまない」
「いえ、こちらが勝手にやっていることですから」
苦い表情で青年が上半身を起こせば、レリーゼは特に余韻もなく立ち上がり、足早に台所へと向かう。
彼女が準備を終えるまでの数分の間、彼はただただ所在なさげにベッドに腰かけ続けていた。
薬草粥は、三口まで食べられたらしい。
~~~~~~~~~~
それから、半月後。
「レリーゼ殿、本日も世話になる」
「いらっしゃいませ、ジノン様。
連日しっかり通っていただけて、こちらとしても、大変ありがたい限りです」
「色々と情けないが、治癒を受ける前と後では、コンディションに明白な差がある。
業務を支障なく回すためにも、もう通わぬという選択肢はなくなってしまった」
ジノンは諦めの境地に達していた。
年若い男女であるからして、時と共に二人の距離が縮まったのかといえば、そうでもない。
互いに、治癒師とその患者としての意識を強く持ちすぎているためだ。
そもそも、守秘義務の多い仕事で、プライベートのほとんどない忙しい日々を送っている二人なので、世間話で盛り上がるといったことも難しかった。
「あの、差し出がましいようですが……休暇を取ったり、誰かに依頼を代わってもらったり、そもそも重要でない案件を断ったりは出来ない話なのでしょうか。
現状が変わらぬ限り、完治も難しいですし」
「軋轢を恐れぬのであれば、不可能ではない。
一応、特級魔術師は貴族とまた別の独立した特別階級として扱われる者だからな」
「でしたら」
「が、前にも言ったとおり自分は元々孤児で、同じ魔術師も依頼者も基本は貴族だ。
自分には上手く立ち回るだけの器用さがなく、無理に我を通せば、次は完全に干される流れとなるだろう。
そうなれば、特級の免状とて、ただの紙切れだ」
「そんな……」
「あなたが気に病むことではない」
ただし、両者が必要だと判断した事案については、少々やり過ぎと思われるような内容でも遂行し、また、割合すんなりと受け入れる傾向にある。
先ほどの、レリーゼの踏み込んだ質問もそうだ。
相手によっては咎められたかもしれないが、ジノンは彼女が単なる興味本位や親切心ではなく、治療方針を立てる上で聞いておくべきこととして口にしたのだと、そう理解したからこそ素直に答えを返した。
また更に一ヶ月後には、今度は逆に、彼からの重い贈り物を、レリーゼが受け取っている。
「レリーゼ殿、これを」
「ネックレス?」
「あなたへの悪意や脅威に反応して、不可視の盾が自動生成される魔宝具だ。
魔力が切れても、補充をすれば何度でも使える。
人目につかない服の下にでも着けておいてくれ」
「ええっ!? そんな高価な物、貰えませんよ!」
「遠慮されては困るな。
レリーゼ殿を失えば、自分も唯一の回復の術を失ってしまう。
我々はある意味、一蓮托生の身なのだ」
「あ……なるほど」
仮に全く同じ物を店で買おうと思えば、一千万はくだらない超のつく高級品だ。
特級魔術師の技術力を惜しみなく使用された一品、しかも、再利用が可能という点が値段を跳ね上げている。
しかし、その価値を正確に理解していながら、レリーゼは頷いた。
そんな上等な品とも比較にならない、もっと尊い至宝たる、ジノンという才ある存在を守るために、だ。
「そういった事情であれば、ありがたく頂戴いたします」
「ああ、助かる」
「これは、ジノン様が作られたんですか?」
「ネックレスは魔鉱入りの既製品から選んだものだが、術を込めたのは自分だな」
「ですよねぇ。
こんな高度な条件術式を組めるだなんて、改めて敬服してしまいます」
まあ、ジノンの側からすれば、通常の治癒行使費しか払わせてくれない頑固者に、何とか受け取ってもらえそうな品を考えた結果に過ぎなかったが。
むしろ、最上層の魔術師の命を救った謝礼金としては安い方だろう。
「……いつまでも眺めていないで、装着して欲しいのだが」
「あっ。申し訳ありません、つい魔術への興味が勝ってしまって」
照れ気味に笑って、彼女は慣れた手つきでネックレスを身に着けた。
「えっと、いかがでしょう」
「それは、どういう意味の問いだろうか。
機能についてなら、正常に稼働している。
似合っているか否かを聞きたいのなら、特に違和感はない、としか答えられない。
生まれてこの方、美的面のセンスを磨く機会には恵まれなかったものでな」
「……ごめんなさい。
ジノン様に、そんなことを言わせたかったわけではないんです」
「気にするな。ただ事実を述べただけだ」
目指す者は多いが、世界中を探しても特級と認められた魔術師は百人もいないとされている。
出会いが出会いなだけにレリーゼも気負いなく接していたが、彼は本来とんでもなく立派な、緋色のマントを羽織るに相応しい男性なのだ。
孤児の立場から駆け昇ったとすれば、その道の険しさは目を覆うほどだっただろう。
「よしよし。
ジノン様はとっても頑張り屋さんのいい子ですね」
「ん、何やら常より情感がこもっているような」
「あなたがどれほど大変な努力を重ねて来たのか、どんな過酷な世界に生きているのか、その片鱗をようやく肌で実感したものですから」
「……そういうものか」
二人の表面的な関係性こそ変わらないが、半年も経つ頃には、ジノンは身体のみならず、精神面でも改善を見せ始めるようになっていた。
「まだ重いものは厳しいが、少しずつ私生活の方でも食欲が戻って来ているようだ。
睡眠に関しても、治癒の後ならば意識が落ちる時間も僅かながら増している。
どちらもレリーゼ殿の献身のお陰だ、深く感謝する」
「まあっ。それは良うございました」
彼の報告に、己が事のように大袈裟に喜ぶレリーゼ。
こうして人が元気を取り戻していく瞬間に立ち会うのが、彼女の何よりの生きがいなのだ。
そんなお人好しの女治癒師に、ジノンは呆れた視線を向ける。
「つくづくレリーゼ殿に優れた放出回路がなくて良かった」
「え?」
「あなたのような人は、能力が高ければ高いほど、全てを救おうと日々身を削る無茶を繰り返し、早々に壊れてしまっていただろうからな」
「ええ? まさか、買い被りですよ」
「どうだか」
実際のところ、彼の言い分の方が正しかった。
レリーゼの、人を救いたいという欲は、深淵に届かんとするほど根深い。
たった数年で薬師としても医師としても一人前以上の腕前に至れてしまったほどに。
仮に大規模な災害現場に居合わせたとして、トリアージの優先順位を誤ることは決してないが、それでも限界以上に多くを治そうとしてしまうのが彼女という人間だ。
また、これは余談で誰も知らない事実だが、ただ公認を受けただけのそこらの治癒師より、レリーゼに頼んだ方が予後を考えれば良い結果となる場合すらあった。
本人が思い込みで治癒魔法に固執してさえいなければ、薬術と医術のハイブリッド女医として、とっくに名を馳せ治療所のひとつも建っていただろう。
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夜の特別診療が続いている間も、彼女は当然ながら、日中の治癒業務をこなしている。
さすがに開始時間はズラしているが、一応、生活がかかっているし、何より好きでやっていることなので、とにかく休むという選択肢はなかった。
内に、また薬草を採取する必要性が出て、レリーゼは単独、山へと向かう。
もはや勝手知ったる……と思いきや、その日の空気は何かが違った。
即座に帰宅すべきか迷ったが、薬が出来なければ仕事にもならないため、せめて最低限の量だけでもと、彼女は足を先へ進めていく。
しかし、やはりレリーゼは、そこで踵を返すべきであった。
彼女の目的地である正にその場所に、一体の凶悪な魔物が隠れ潜んでいたのだから。
ギギギ、と低い獣の鳴き声がして、次の瞬間、太い木の幹の一部が消失する。
破壊されたのではない。
まるで最初からそこに何も存在しなかったかのように、虚空へと飲まれてしまったのだ。
レリーゼは、耳慣れぬ音を聞きつけた時点で逃げに回ったが、どうしてか、走っても走っても、いつの間にやら体が後方に引き戻されて、この場を離れられずにいた。
魔法であるのは間違いないが、彼女の知識に思い当たる能力はひとつもなかった。
冷や汗を流しながら元凶らしき生物を振り返れば、群生する草花の中心に、兎サイズの黒いネズミが鎮座している。
ネズミは、大きな赤い瞳をギラつかせながら、真っ直ぐにレリーゼを見つめていた。
そして、おそらく、彼女は遊ばれていた。
敢えて、魔法を乱雑に放って、獲物が恐怖に怯える様を愉しんでいるのだ。
距離を取ろうとしても、それだけは許さないらしく、能力を使って同じ地点に連れ戻される。
その気になれば、いつでも殺せるのだと、そう証明するかのように。
「ジノン様……っ」
レリーゼは服越しにネックレスを掴んで、現れるわけもない男の名に縋った。
直後、いよいよネズミの魔法が彼女を目掛けて飛んで来る。
が、ソレはレリーゼの数十センチほど手前で、破裂音と共に雲散霧消した。
ジノンの魔宝具が持ち主の危機を察知し、不可視の盾が発動したのだ。
失敗を悟って憤慨したのか、ネズミは鳴き声を大きくして、更に魔法を連発させる。
その全てを盾はしっかりと受け止めてくれたが、それも結局、魔力切れが起きるまでの遅延行為でしかない。
放出回路の細い彼女では、充填にも短くない時を要してしまう。
そう。今、この時、この場に、逆転の目はなかった。
いよいよ死を覚悟するしかないかと、思考を止め瞼を下ろしかけた、刹那……レリーゼの視界に鮮やかな緋色が映る。
「無事か、レリーゼ殿」
「ジノン……様?」
特級魔術師ジノン・ナザウィズが、すぐ目の前に、彼女を庇うようにして、立っていた。
「えっ、ジノン様!? どうしてここに!?」
彼はネズミを視界に捉えながら、丸みのある半透明のバリアで二人の周辺を覆う。
と、同時に、背後から飛んできた疑問の声に答えを返した。
「渡した魔宝具の魔力が急速甚大に失われた際、自分へ知らせが飛ぶよう組み込んでいた」
レリーゼにとって初耳の機能である。
しかし、彼女が気になったのは、そこではない。
「け、けれど、お仕事があったのでは」
そう。青年は毎夜、重度の疲労状態で訪れるほど、昼日中は忙殺されているはずなのだ。
命の瀬戸際にありながら、レリーゼは己の身よりジノンの心配をしていた。
彼女の場違いな言葉に、彼は長めのため息をひとつ落としてから、語る。
「レリーゼ殿の安否ほど重要な務めではない」
「え」
「それに、多少の遅れ程度、今ならどうとでもなる。
あなたの世話になっているお陰でな」
「っジノン様……」
予想外のセリフを受けて、レリーゼの胸中に熱い感情が広がった。
彼女は、両手を祈る形に握り込み、潤む瞳で彼の後頭部を見つめている。
「例の、半年以前に報告のあった新種の魔物、か?
嫌がらせの偽造情報かと思っていたが、まさか本当に実在していたとは。
ふむ。見るに、新たな種族ではなく、魔鼠の突然変異体だな」
ジノンは会話を切り上げ、件のネズミを注意深く観察しているようだった。
「コレはまさか……空間消失魔法?
そうか、それで探知から逃れていたのか。
厄介だな」
独り言を零すのは、常日頃から単独行動ばかり取らされている影響であろうか。
「とはいえ、対処法はいくらでもある」
次の瞬間、彼の体から多様な色の光の玉が滝の如く飛び出して、ネズミに襲い掛かっていく。
ネズミは対抗に自らの魔法を放つも、カラフルな光の津波を消し去り切れず、やがて、甲高い断末魔と共に押し潰された。
「うん……討伐完了。
レリーゼ殿、もう安全だ」
治癒師のレリーゼが手も足も出なかった魔物をあっさりと倒してみせた魔術師の男は、そう告げて、彼女の方へと向き直る。
「それで、怪我などはなかったか?」
「っあ、ありがとうございます、大丈夫です。
ジノン様、本当に本当に助かりました」
涙ぐんで感謝する女へ、ジノンは居心地悪そうに側頭を掻いてから、小さく頷いてみせた。
「いや、無事なら良い。
そうだ、ついでに魔宝具の魔力を満たしておこう。
こっちに貸してくれ」
「は、はい」
彼女は要請されるままネックレスを外して、差し出された彼の右手の上にそっと乗せる。
それから五秒もかけずに作業を終えた魔術師は、魔宝具を返却してから、姿勢を正し、改まった様子でレリーゼへ言の葉を紡いだ。
「あー、レリーゼ殿」
「はい」
「今この様な場で告げるのも何だが……。
あなたさえ良ければ、自分と共に暮らさないか」
「えっ…………ええッ!?」
あまりに想定外かつ唐突な男の主張に、彼女は思わず目を剥き跳び上がった。
もう半年以上、ほとんど毎日のように会ってこそいたが、二人の仲は友人レベルにすら達していないのだ。
驚くなという方が無理な話である。
「自分はレリーゼ殿を守りたいと思っている。
他の誰でもない、この手で。
これは、合理性や損得価値の問題ではなく、個人的な情としてだ。
あなたを愛おしいと、自分はそう感じている」
「そ、えっ……ジノン様?
えっ、だって、今までそんな素振り、全然……っ」
これが誂いでないのは彼の表情より一目瞭然で、だからこそ、レリーゼは困惑の極地にあった。
眉尻を下げる彼女に、ジノンは自嘲にも似た笑みを向ける。
「あの様な特殊な方法で治療を行っていて、ついでに、それなりの地位も力もある異性の客から一方的に恋情を向けられたとて、ただ恐ろしいだけだろう。
あなたは強情だから、仮に恐怖を抱いた相手でも己を律して治癒を継続しそうで、ここまでとても表には出せなかった」
「そんなっ、私、人の好意を恐ろしいだなんて……」
言い募ろうとするレリーゼを、自身の唇に人差し指を添えることで止めて、彼は続けた。
「あなたの高潔な在り方は大変好ましいが、同時に、悪意ある人間につけこまれ傷付けられはしないかと、とても不安になる。
レリーゼ殿はそのまま何も変わらなくていいから、どうか自分に守らせてはくれないだろうか」
そこまで告げて、ジノンは己の抱く愛情を伝えるかのように、ゆっくりと瞼を細めた。
彼の深い優しさを湛えた瞳を直視して、レリーゼの頬が急速に熱を持つ。
「うぅっ……は、反則です……っ」
「はんそく?」
見ていられないのか、見せられないのか、彼女は両手で顔を隠し俯いて、華奢な喉から震える声を溢れさせた。
「私の危機に颯爽と現れて、助けてくれて、頼りがいのある格好良い姿を見せられた後に、こんな真っ直ぐな告白……。
ただでさえ、努力家で優しくて可愛くて、すごく素敵で立派な男性なのに、ズルい、ズルいですっ」
「何やら、過分に褒められているな」
治癒師からの思わぬ反撃を受けて、魔術師の目尻にも朱色が浮かんだ。
「わ、私だって、頑張っているのに報われないでいるジノン様を、守りたくて幸せにしてあげたくて……私の膝で眠っているあなたを見ていると無性に愛おしくなって、顔中にキスを贈りたくなるのを、いつも必死に我慢していたんですよっ」
「えっ」
そして、超特大爆弾を投下するレリーゼ。
直後、両者の肌の赤色面積が増したのは、語るまでもない。
しばらく気恥ずかしさに固まっていた二人だが、数十秒後、草木が風に遊ばれる音に紛れて、ジノンがぽつりと呟いた。
「…………次からは、ぜひ実行してくれ」
「………………そうします」
今度こそ正気のまま口にした男の破廉恥な望みは、女の使命感も何もない純粋な欲望によって承諾される。
治癒師も魔術師も、案外似通ったムッツリ助平勢なのだった……。
「その、レリーゼ殿。
触れても構わないだろうか、治癒に関係なくとも」
ジノンが軽く両腕を広げて懇願すれば、レリーゼは微笑み、その内側にそっと身を寄せる。
「いくらでも。あなたの望む時、望む通りに」
「いや、それは受け入れ過ぎだ」
「ふふ。そう言って下さるジノン様だから良いのですよ」
ここまで、彼らはただ己の信ずる道を独り、我武者羅に駆け生きてきた。
しかし、今、愛する者を得た二人は、ついに安らぎを知る。
止まり木で休むことを覚えた鳥たちは、きっと、更に高く遠い空を飛んで行けるようになったのだろう。
互いに支え合いながら、どこまでも、どこまでも。
「ねえ、ジノン様。
共に暮らすのであれば、新居は他国で探してみませんか?」
「何故だ。レリーゼ殿はポロッコの町で上手くやっているのだろう」
「せっかくの機会ですから……もっと特級魔術師を大事にしてくれる場所に移り住みたいんです。
私は、この体ひとつさえあれば、案外どこでも生きていけますし」
「また、あなたは自身を蔑ろにして」
「違います。
……愛しい人が職場で嫌がらせに合っていて、怒らないパートナーなんていないでしょう?
だからって、殴り込みになんて行けませんし」
「っえ。ああ。そ、そういう……。
いや、確かに逆の立場なら、自分も黙ってはいられないか」
「二人で長く幸せに生きるためにも、ぜひ、ご一考下さい」
「……そうだな。調べておこう」
おしまい。




