第八話『禍福』
転じるのは、白か、黒か
大か、小か
兄か、妹か____
__
学園内高等部普通科教室内____
「____強くなりたい?」
雨の降る6月初旬。
水無月と呼ばれるこの月は、水の無かった田んぼに水を注ぎ入れる頃である事から、水張月等とも呼ばれる水の月であると、いつの日か泉波さんが教えてくれた。その名の通り、まだ雨の日は少ないものの、やはりこの月は水を感じさせる。そんな今日は、ザーザーと大粒の雫が窓を叩く、大雨の日だった。
一日の授業が全て終了した放課後、雨音が響く教室で、目の前に座る弥子君は首を傾げてそう言った。
普通科の教室まで僕を迎えに来てくれた狼君と弥子君は、二人の訪問に騒めくクラスメイト達を他所にズカズカと僕の前に腰掛けた。二人とは病室であんなに重い話をしたのにも関わらず、少しも気まずくなる事は無く、あの日からも毎日のように顔を合わせていた。
机に腰掛けて心底意味の分からなさそうな顔をした弥子君に、僕は一拍置いて口を開いた。
「う、うん……、僕も狼君や弥子君みたいに強くなりたいんだ」
「僕は二人みたいに強い力はないけど……」と、尻すぼみになる僕に、同じく机に腰掛けた狼君が僕を見る。
「最近は派手な攻撃も食らってねぇし、一人で妖も祓えてんだから大丈夫じゃね?」
窓を叩く大粒の雨が、僕達の元へと大量の湿気を運んで来ているというのに、狼君の銀色を滲ませた白髪は相変わらずサラサラと指通りが良さそうだ。狼君が言ったように、確かに最近は無傷では無いものの、妖から重症を負わされる事もなく、一人で妖を祓えるようになっていた。
でもそうは言っても、少しでも気を抜けば危うく妖に致命傷を負わされそうになる事なんて少なくなくて、自分の身は自分で守れるようにはなってきたけれど、それが強くなっているのかどうかは怪しかった。
「それは、そうなんだけど……。僕も、二人みたいに誰かを守れるくらい強くなりたいんだ」
ちらりと騒がしい廊下の方を見ると、長い廊下に出来た湿気の水滴を利用して廊下を滑って遊ぶ数人のクラスメイトの姿が映る。そこには助走をつけて滑る悠太君の姿もあって、どうやら身体はすっかり回復して元気そうだった。
ふと此方を見た悠太君とぱちりと目が合うと、悠太君が僕を手招きして廊下へと誘うが、僕はそれに苦笑いで断りの返事をして視線を戻した。それを見て納得したような顔をした弥子君が、「うーん…」と顎に手を当てる。
「それだと、やっぱり実戦を積むのが一番効果的かな」
「それって御役目の事?」
問い掛けた僕に肯定するように頷いた弥子君が、座っていた机の上から腰を上げる。そういえば教室に来てから二人共当然のように机に座ってるけど、椅子あるんだけど……。
「御役目の命は個人に届くけど、それに着いて行くのは自由なんだよ。だから俺達も回道の御役目に着いて行ってる訳だし。
回道も色んな人の御役目に着いて行ってみたらどうかな」
「自分以外の御役目に…?」
予想外の提案に、僕は少しだけ目を見開く。ザーザーと窓を打ち付ける雨粒は相変わらず騒がしくて、それに比例するように教室内の音も大きくなっていく。僕の机の上に手を付いたことで、弥子君の長い黒髪がサラリと肩から流れる。
「実際に目で見て学べる事は多いんだよ、それが高い階級になればなるほどね」
「……それじゃあ、二人の御役目に着いてくのは?」
「俺達のは駄ー目」
「えぇ……」
即答で断った弥子君は、言葉に反して楽し気な笑顔を浮かべている。困惑する僕を他所に、弥子君は肩から流れ落ちた髪の毛を耳にかける。その仕草がとても色っぽくて、普段から二人共とても大人びているけれど、弥子君は特に色気があるように思う。
「奥墨さんとかいいんじゃないかな。あの人自由人だけど、色々教えてくれるとは思うよ」
「玄雲さん……、確かに色々教えてくれそうかも」
確かに、前にもこの世界のことで色々分からない事を沢山教えてくれたし、玄雲さんの御役目で学べる事は多そうだ。
そんな僕の顔を見た弥子君は、机の上に置いていた手をするりと移動させて、横にかけてある僕の鞄を手に取った。
「とにかく、この学園の色んな人と知り合って、色んな御役目に着いて行ってみるといいよ」
「わっ」
僕の鞄を肩にかけた弥子君が、優しく僕を引っ張り上げて手を引く。ちらりと騒がしい廊下へと目をやると、いつの間に混ざっていたのか、狼君は悠太君達と共に楽しそうに廊下で滑って騒いでいる。彼等は本当に絵に書いたような男子高校生だなと、どこか俯瞰的に僕は思った。
「狼ー、帰るよ」
僕は弥子君に手を引かれるがまま、雨音が響く教室を出た。
__
学園内某所____
心なしか、先程よりも雨脚の強まった道を僕達は傘を差して歩く。地面の凹みに出来た水溜まりを踏めば、冷たい水が跳ねてズボンの裾を濡らした。ぐちゅぐちゅと濡れる裾が、冷たく肌に染み込んで気持ちが悪い。思わず顰めてしまう顔を上げて、僕は前を歩く二人を見た。
「うわ、この水溜まりやべぇ」
「ちょ、馬鹿!」
前を歩く狼君と弥子君は、この大雨の中傘を差しながらお互いに雨をかけあっている。小学生の子供の遊びのように、お互いに大きな水溜まりを見つけては大きく踏んで派手な水飛沫を散らしあう。
そういえば、これは最近気付いた事なのだけれど、この二人は意外と子供っぽいところが多い。かなりの悪戯好きだし、自由奔放で、普段こそとても大人びて見えるけど、こういった時はかなり精神年齢が低くなるような気がする。現に狼君は先程、廊下で小学生がするような遊びをするクラスメイト達の輪にいつの間にか混ざっていたし、あんなにも色っぽく見えた弥子君だって、今目の前で狼君と水溜まりをかけあってはしゃいでいる。
僕は少し呆れるような気持ちもありつつ、そんな二人の事が好きなのだけれど。そんな二人を見ていたら、何だか自分の濡れた裾も悪くない気がしてきた。
僕は少しばかり軽くなった気持ちに少し口角を上げて、傘を揺らして歩いた。
「……ん?」
視界の端に小さく映った違和感に、僕は進んだ足を数歩戻た。足を止めて傘を斜めにずらして見下ろすと、道の端に綺麗に植えられた植木の横で、小さく丸まっている黒いもの。
____いや、小さな女の子……?
「君、大丈夫?」
僕の声に、ゆっくりと此方を見上げる女の子。こんな大雨の中傘も差さず、膝を抱えて小さくしゃがみ込んでいる女の子に、僕はそっと傘を差した。
一体いつからここでそうしていたのか、鎖骨辺りまでの髪の毛は雨でぐっしょりと濡れて重たそうにしていて、濡れたせいで薄灰色の髪の毛が黒っぽい色に変わってしまっている。小さな背中をすっぽりと覆うように背負ったピンク色のランドセルから、おそらくこの子は初等部に通う小学生なのだろう。
雨の降る空に浮かんだ雲のように、どんよりとした黒い瞳が僕を映す。
「……傘、壊れちゃったの」
「え…」
女の子の足元を見てみると、親骨の折れた傘が転がっている。どうやらこの子は、傘が壊れてびしょ濡れになってしまったようだった。ただでさえ背丈の小さな女の子が、視界の悪い雨の中道の端で小さくしゃがみ込んでいたから誰も気付かなかったんだろう。びしょ濡れになってしまった女の子に、僕はさらに傘を傾けた。
「寮まで送って行くよ、何処か分かる?」
「兄さんのとこに行きたいの」
「お兄さんがいるの?」
「うん、とっても優しいんだよ!」
色とりどりの紫陽花のようにころころと変わる女の子の表情は、子供の無邪気さそのもので、素直に可愛らしいと思った。そんな満面の笑みを浮かべる女の子の表情からは、お兄さんが大好きなのが伝わってくる。
「じゃあ、そのお兄さんのところに行こう。お兄さんの場所は分かる?」
「うん、兄さんはいつも大学棟にいるの」
「大学棟……」
女の子の歳から、お兄さんというのは中学生くらいの男の子かと勝手に想像してたから驚いた。おそらくこの子は、お兄さんが大学棟にいるという知っているけど、其処への行き方まではまだ分からないんだろうな。この広すぎる学園は、僕だってまだ迷子になってしまうくらいなのだから、小学生が分からなくて当然だ。
「よし、じゃあ大学棟まで一緒に行こう。
あ…そうだ。君の名前は何て言うの…?」
「小福、初等部4年生の9歳」
両手を使って9を示す小学生らしい無邪気な自己紹介に、僕は思わず笑みが零れた。僕が手を差し出すと、小福ちゃんはそれをぎゅっと握って僕の隣に立った。僕は空いた手で壊れた小福ちゃんの傘を掴むと、そんな僕を見上げて、小福ちゃんは人懐っこい笑顔を浮かべている。
すると、僕が足を止めた事に気付いた狼君と弥子君がぞろぞろと僕達の元へと戻って来た。
「何してんだ?回道」
「この子、傘が壊れちゃったみたいで……。お兄さんがいるみたいだから、そこまで送って行って来るね」
「あれ、君は確か転堂さんの……」
「知ってる人?」
見覚えがあるような口振りで小福ちゃんを見下ろした弥子君と狼君は顔を見合せる。そして二人は少し考えるような素振りをした後、僕に言う。
「いや、知ってるのはその子のお兄さんの方」
「兄貴の場所なら分かるから俺等も一緒に行くわ」
そう言って二人は優しく小福ちゃんを見下ろした。
不思議そうな顔をして首を傾げた小福ちゃんと、同じく僕も首を傾げて二人の後を追いかけた。僕の手をぎゅっと握る小さな体が、これ以上冷たい雨に濡れて仕舞わないように、僕は傘を傾けて自分の右肩を大きく濡らして歩いた。
__
学園内大学棟教育学部____
ザーザーと雨音が響く教育学部は、大学棟なだけあって高等部の敷地より広く、放課後に浮き足立った生徒達が騒めいていた。
そんな中を高等部の制服を着た僕達と、ランドセルを背負った小福ちゃんが歩けば、視線を集めるのは当然で、特に雨でびしょ濡れのまま歩く小福ちゃんには終始不思議そうな視線が突き刺さっていた。
それでも、ここ教育学部では小福ちゃんの事を知っている人が多いようで。
「あれ、小福ちゃん。今日もお兄ちゃんのところ?」
「うん」
「ちょっと、小福ちゃんびしょ濡れじゃない!誰かタオルー!」
「大丈夫だよ、兄さんに拭いてもらうから」
「おー小福ちゃん、お兄ちゃんならまだ演習室にいるよ」
「ありがとう」
と、すれ違う学生達は度々小福ちゃんに声をかけていた。びしょ濡れの小福ちゃんが歩く度に出来る小さな水溜まりを、教育学部の生徒達は慣れた手付きで拭いている。
僕達と一緒にいる時と比べて安心した笑顔で顔を綻ばせている小福ちゃんの様子から、きっと小福ちゃんはお兄さんに会うために、よく此処を訪れているんだろう。
「____あ!」
突然指を差して、何かを見つけたかのように小福ちゃんは僕の手を離して駆け出して行く。小福ちゃんはペタペタと裸足の足音を鳴らしながら、第2演習室と書かれた扉を開けた。
「____兄さん!」
小福ちゃんのあとを追いかけて教室の中を覗くと、そこには一目散に椅子に座る男の人へと抱き着く小福ちゃんの姿。
そして____
「うぉっ!?…どうした小福」
突然抱き着いた小福ちゃんに驚きながらも、蹌踉めく事もなく受け止めた彼が、小福ちゃんのお兄さんなのだろうか。小福ちゃんと同じ薄灰色でふわっと癖のある髪の毛は、マッシュのツーブロックに綺麗に切り揃えられている。同じくどんよりとした黒い瞳は大きく見開かれ、驚いたように小福ちゃんを見ている。二人のそのそっくりな見た目は、誰に言われなくても二人が兄妹である事を証明していた。
そんな彼等の横には、見覚えのある真っ黒な和服姿の玄雲さんもいて。
「おいおい、小福ちゃんびしょ濡れじゃねェか」
「あー!玄雲!」
「冷たっ……小福、傘はどうしたんだよ?」
「傘壊れた」
「あー、また壊れたのか……って、小福一人でここまで来たのか?」
「ううん、あのお兄さん達が連れて来てくれた」
僕達の方を指差した小福ちゃんにつられて、彼等は扉にいる僕達を見た。
すると先程まで小福ちゃんに向けていた優し気な雰囲気は何処へやら、怪訝そうに眉を顰めて僕達を見ている。
「高専寺と狐塚と……、誰だお前」
「回道じゃねェか、久しぶりだな」
僕達に笑顔で手を振る玄雲さんに、「なんだお前、彼奴知ってんのか」と問い掛ける彼は、随分玄雲さんと親しい仲の様だった。そんな僕達を教室の中へと手招きした玄雲さんにつられて、僕達は彼等の元へと近付いた。
「回道 廻、四月に編入して来た不死身の能力者。お前さんも知ってンだろ?」
「いや知らねぇ…………聞いた事もねぇわ」
「幸大は本当に小福ちゃんの事ばっかりだなァ」
興味無さそうに答える彼に、玄雲さんは呆れた様に笑った。そんな彼に僕はおずおずと口を開く。
「えっと、あの……初めまして。……偶然小福ちゃんに会って、お兄さんのとこまで行くって言ってたので一緒に……。それでその、これ…壊れた小福ちゃんの傘です…」
「あぁ、助かったわ。さんきゅ」
そう言って傘用のビニール袋に入れた小福ちゃんの傘を机に置けば、彼は少しだけ表情を和らげて、膝に乗った小福ちゃんの頭を撫でて僕達にお礼を言った。それに僕が慌てて首を振ると、彼は小福ちゃんを腕に抱えたまま席を立つと、ロッカーを開けて大きめのタオルを取り出した。
「ほら、これで体拭けよ」
「あ、ありがとうございます……」
一枚のタオルを僕に押し付けると、彼は顎で僕の濡れた右肩をさした。僕はタオルを有難く受け取って、濡れた右肩や右手を拭く。
ちらりと前を見ると、身体を拭くためにランドセルを下ろそうとする小福ちゃんが、きちんと締まっていなかったのかその中身を全て床に出してしまっていた。
しかし、彼は何ら動じる事もなく一つ一つ丁寧に拾い上げて、わしゃわしゃとタオルに包み込みながら小福ちゃんの全身を拭いている。その光景はまさしく兄と妹のものだった。
「高専寺と狐塚もさんきゅな、よくやった」
「相変わらずですね転堂さん」
「つーかまじそっくりっすね、妹」
まじまじと小福ちゃんを見る狼君と弥子君は、どうやら彼と知り合いのようだった。「勝手に見んな、減る」とタオルで小福ちゃんを隠した彼が、不機嫌そうに狼君達を睨む。
彼等の様子を見つめる僕の横に、ふらりと玄雲さんがやって来る。
「面白ェだろ、彼奴」
「玄雲さん……」
「彼奴ァ転堂 幸大、教育学部の三年で、あの小さいのが妹の転堂 小福」
「ほんと、そっくりですね」
そう言った僕に、玄雲さんはケラケラと面白そうに笑った。
「玄雲さんは、転堂さんとお友達なんですか?」
「あァ、幸大とは高等部から同じ学部でな……同級生なんでィ」
「……同級生?」
玄雲さんの答えに、僕は首を傾げる。
確か僕の記憶では、玄雲さんは医学部の一年生のはずだ……。教育学部の三年生だという転堂さんと同級生と言うのは、一体どういう事なのだろう。
「確か、玄雲さんは大学棟の一年生じゃ……」
「おう、俺ァ今二留中だかンな」
「えっ」
衝撃の事実に、僕は素直に驚きを声に出した。そんな僕を、玄雲さんはまたしてもケラケラと笑った。
「だから俺ァ今21の歳だな」
「21歳……」
確かに玄雲さんは、初めて会った時から僕よりも歳上な雰囲気があった。二留中なのには驚いたけど、それと同時に納得もした。
「玄雲さん、高等部では教育学科だったんですね」
「いや、俺と幸大も体育科。だから高専寺は俺達の後輩なんでェ」
「なるほど、それで……」
狼君達との繋がりが見えてきて、僕は納得して頷いた。
僕と玄雲さんが話していると、何処にあったのかドライヤーで髪の毛を乾かされ、新しい服に着替えた小福ちゃんが僕の元へと駆け寄ってきた。
「お兄さん、連れて来てくれてありがとう」
「どういたしまして」
「お兄さんの名前、なんて言うの?」
「僕は回道 廻。小福ちゃん、風邪引かないと良いね」
そう言って、すっかりと乾いてふわふわした頭を撫でると小福ちゃんは嬉しそうに目を細めた。雨に濡れて黒っぽく変わっていた髪色も、綺麗に乾かされて元通りの薄灰色の髪色を取り戻している。鎖骨まであった髪の毛は、乾いたことでくるりと癖を取り戻してふわふわと肩の長さで丸まっている。
撫でていた手をそっと離すと、小福ちゃんは黒い瞳を煌めかせながら僕を見上げて____
「小福、廻のこと好き!」
「えっ」
ガシャーンッという音に目を向けると、そこには机に置いてあったであろうグラスを落とした転堂さんがいて。
「お前……」
足元で抱っこしてと手を広げてくる小福ちゃんと僕の元にふらりとやって来る。そして、転堂さんは冷や汗を頬に伝わせる僕の目と鼻の先で足を止めると。
「______殺すぞ」
「ひえ」
カッと血走った目を見開いた。思わず声が出た僕に、玄雲さんが「まァ落ち着きなせェ」と転堂さんの頭に手刀を落とす。たらりと冷や汗を流す僕に、玄雲さんは笑いながら転堂さんを指差した。
「悪いな回道、此奴ァかなりのシスコンでな」
……………………でしょうね。
「……あぁ、はい」
小福ちゃんの肩を揺らして「選ぶにしてもセンスねぇぞ小福!」と騒いでいる転堂さんを見れば、彼がシスコンであるのなんて容易く分かる。
……ていうか失礼だなこの人。
そんな僕達を見て、当然狼君と弥子君は肩を震わせて笑っているわけで。「もー笑い事じゃないよ……」と僕が狼君達に零すと、小福ちゃんは狼君達を見上げてまたもや目を輝かせた。
「小福、お兄さん達の事も知らない。二人は兄さんの友達?」
「おい小福、知らねぇ奴と喋んじゃねぇ」
「俺は高専寺 狼、小福ちゃんの兄さんのオトモダチ」
「俺は狐塚 弥子、よろしくね小福ちゃん」
「勝手によろしくすんじゃねぇ」
野次を飛ばし続ける転堂さんには慣れっこのようで、少しも気に留めない小福ちゃんは覚えたての言葉を覚えるかのように、小さく二人の名前を繰り返した。そして胸の前で拳を小さく握ると、嬉しそうに二人を見上げて。
「兄さんの友達……じゃあ狼と弥子は、小福とも友達ね!」
「おー、まかせろ」
「待て小福……!兄さんは認めねぇぞ!!」
「シスコン過ぎると嫌われますよ」
真剣な顔をして言う転堂さんに、狼君はお腹を抱えて笑って、弥子君はニコリと綺麗な笑顔を浮かべた。
初めましての人が嬉しいのか、小福ちゃんはキャッキャッと楽しそうにはしゃいでいる。そんな小福ちゃんを抱き抱える幸大さんはまさにお兄さんそのもので、僕はそんな様子が何だかとても微笑ましかった。
「____っと、そろそろ俺行くから玄雲、小福の事頼んだぞ」
暫くして、何かを思い出したかのようにそう言った転堂さんは、椅子にかけてあった麦色のカーディガンを羽織る。首を傾げる小福ちゃんと同じように僕も首を傾げた。
「何処か行くんですか?」
「あ……?御役目だ、御役目」
「!」
転堂さんはそう言うと、窓の外に降る大粒の雨を見つめて舌打ちを零した。
今から御役目に行くという転堂さんに、僕は小さく反応する。ちらりと弥子君を見ると、目が合った弥子君は僕の背中を押すように小さく頷いて微笑んだ。その頷きに押されるように、僕は背を向ける転堂さんへと声をかける。
「っあの、転堂さん!その御役目、僕も着いて行っても良いですか…?」
「はあ?」
心底意味が分からないという顔をしながら、転堂さんが僕を振り返った。
「色んな人の祓い方を、見て学びたくて……」
「なんで俺なんだよ、他にもいんだろ」
眉間に皺を寄せた転堂さんが僕を見る。その顔はどう見ても面倒だと書かれていて、やっぱり無理かと肩を落とす。
すると、玄雲さんが僕の肩をポンポンと軽く叩いて何やら意味ありげに口角を上げた。
「まァいいじゃねェか幸大、どうせ一人じゃねンだし」
「……?」
宥めるように言った玄雲さんの言葉の意図が読み取れなくて、僕は横に立つ玄雲さんを見上げた。玄雲さんはしゃがみ込んで小福ちゃんに目線を合わせると、優しく頭に手を乗せてその顔を覗き込んだ。
「小福ちゃんだって一緒に御役目行きてェよなァ?」
「巫山戯んな玄雲、んな危ねぇとこに小福連れてく訳ねぇだろ」
「兄さん、小福も一緒に御役目行きたい!!」
「分かった」
えぇ………………………………。
あれだけ嫌がっていたのに、小福ちゃんが一声言うだけで転堂さんはあっさりと頷いた。そんな転堂さんのシスコンぶりに僕は少しばかり引いてしまう。あっさりと承諾した転堂さんに小福ちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべると、後ろで立ち尽くしている僕の手を引いて。
「兄さん、廻も一緒に行く!」
「いや、でも、小福……っ」
「兄さん、お願い」
「分かった」
何なんだこの兄妹………………。
「やったね、廻」と無邪気に笑う小福ちゃんに、僕は頬を引き攣らせて「そ、そうだね…」と同じように笑った。不本意そうに眉を顰める転堂さんが、「お前、絶対小福の手離すんじゃねぇぞ」と僕に釘を刺してくる。そんな転堂さんに僕は「はい……」と小さく返事を返すと、してやった顔の玄雲さんが悪戯に笑みを浮かべていた。
一つ大きな溜息を吐いた転堂さんが、「ほら、行くぞ」と僕達に声を掛ける。僕は小さな小福ちゃんの手をしっかりと握って、そのあとを追いかけた。
「……何してんだ玄雲、お前も来いや」
「はいはい」
肩を竦めた玄雲さんが、慣れた様子でいつもの番傘を手に取る。僕が不思議そうに転堂さんを見ると、彼は顔を傾けて心底僕を見下したように言う。
「用心棒、お前に小福は任せらんねぇからな」
「あ、はい……」
ケッと吐き捨てるように言った転堂さんは、どうやら僕を全然信用していないらしい。
「おい、お前等はどうすんだ?」
と、どれだけ悪態をつこうが兄貴肌の転堂さんは、騒がしい僕達を他所に、沢山の絵本に囲まれたスペースで自室のように寛ぎながらスマホを触っていた狼君と弥子君に声をかけた。教育学部の演習室で、大きく胡座をかいてスマホを触る狼君と弥子君はかなり図太い神経をしていると思う。顔を上げた二人は、ひらひらと力無さげに手を振った。
「いや〜雨だるいっすわ、俺濡れたくないですし」
「あ?」
「俺達此処で留守番してますね、回道の事お願いします」
「帰れや」
__いや、二人ともさっきまで外でびちゃびちゃ遊んでたよね??
ころころ変わる天気予報のように、手のひら返しでそう言った狼君と弥子君は僕達に向かってひらひらと手を振った。水溜まりで遊んだ次は、今度はスマホゲームに夢中な様で、二人はすぐ画面に視線を落としていた。
そんな二人の図々しい様子に、転堂さんは肩を大きく上下させながら大袈裟に溜息をついた。
「生意気な後輩持つと大変だなァ」
「うっせ」
ニヤニヤしながら肩にのしかかった玄雲さんを、転堂さんはうざそうに押し退けた。また一つ舌打ちを零した転堂さんが御役目へと歩き出すと、僕もそれを追うように着いて行く。
「俺も雨は嫌いなんだがな………」
玄雲さんの横を通り過ぎた時、何か聞こえたような気がして振り返る。
「何か、言いましたか……?」
「いや?なんも」
いつも通りの笑顔を浮かべて歩き出した玄雲さんに首を傾げるけど、「廻、はやく!」と手を引く小福ちゃんつられて、僕も早足に演習室を後にした。
__
都内某所 私立大学キャンパス内____
転堂さんの御役目で僕達がやって来たのは、都内の私立大学だった。どうやら此処は美術系の大学のようで、平日の今日は夕方であってもキャンパス内にはパラパラと人の姿があった。
「なんか小せェな」
「学園がでかすぎんだよ」
くるりと辺りを見渡した玄雲さんが言ったように、学園の大きさに慣れてしまったのか、ちゃんと大きいはずのキャンパスが何だか小さく見えた。これから御役目だと言うのに、外に出たのが嬉しいのか僕と手を繋ぐ小福ちゃんはとても楽しそうだ。
僕はふと、手に持ったままの傘を見つめる。
そういえば、雨止んでる____
運が良い事に、僕達が外に出た時ザーザーと降り注いでいた雨は止み、ここに来るまで持ってきた傘を使う事はなかった。空には、どんよりと黒い雲がかかっているものの先程までの大雨が嘘かのように、すっかりと雨音は止んでいた。
「で、回道は御役目から何を学ぼうとしてンだ?」
本館とは少し離れたところにある、12号館の中へと入ったところで、玄雲さんが僕に問い掛けてきた。私服の転堂さんはともかく、和服姿の玄雲さんや制服の僕、小学生の小福ちゃんはこのキャンパス内ではあまりにも異質で、僕達は好奇の目に晒されていた。ただ幸運にもまだ教員に見つかる事はなく、僕達は順調に歩みを進めていた。
「えっと……僕、誰かを守れるくらいに、強くなりたくて。それで弥子君に相談したら、色んな人の御役目を見て、そこから学ぶのはどうかって……」
「狐塚らしいな」
そう納得した様に玄雲さんは頷いた。そんな玄雲さんの様子に、僕はおずおずと聞いてみる。
「……あの、ずっと気になってたんですけど。妖はどうして人を襲うんですか?」
「はあ?お前そんな事も知らねぇのか」
ずんずんと前を突き進んでいた転堂さんが顔を歪めて僕に振り返った。おどおどとする僕を見て、玄雲さんが宥めるように「まァ、回道は編入生だかンな」と転堂さんに笑いかける。そうして僕に向き直った玄雲さんが、足を進めながらもいつかの日と同じように丁寧に説明してくれる。
「それがアイツ等の本能だからな」
「本能……?」
「俺達人間が本能で子孫を残そうとするのと同じように、妖も本能で人を襲おうとするんでェ」
「どうして、それが本能に……」
そう言った僕に玄雲さんは怪しげに口角を上げると、スっと横を指差して僕はその指を辿る。玄雲さんが指差した方には、何やら口論になっている様子の女子生徒二人の姿があった。
「妖は人の負の感情から産まれる。その感情は様々だが、その全てが人が人に対して抱いた悪意の感情だ。
つまり、人が人に対する悪意から産まれた妖には、人は傷付けるものなンだっていう潜在意識……本能が深く刻み込まれてンだ。だからヤツ等は、自我を持った途端に人を無差別に襲うようになるンでェ」
「人が、人に対して抱いた悪意……」
何やら喧嘩をしているのか顔を歪めて口論している様子の二人は、会話こそ聞こえはしないけどその様子だけでもお互いに悪意を抱いて言葉を放っているのが分かる。丁度いい具体的をあげた玄雲さんの説明はとても分かりやすかった。
場所は階段に差し掛かり、僕は小さな小福ちゃんの手を握りながら脚を上げた。上を歩く二人を見上げると、玄雲さんの持つ番傘が目に入る。
あ、そういえば____
「玄雲さんの、その番傘って祓具ですよね」
「あァ」
後ろから問い掛けた僕に、玄雲さんは顔だけ僕の方に向けて頷いた。それがどうかしたのか、と言いたげな視線に僕は番傘を指差す。
「番傘を使って、どうやって祓うんですか?」
僕の問い掛けの意図に気付いた玄雲さんは笑って番傘を撫でて見せた。
「俺の異能力は覚えてるか?」
「えっと……確か影を操る能力、ですよね」
「おう」
初めての御役目の日、目の前で見た玄雲さんの能力はとにかく真っ黒で、確かそれは影を自由に操って術を組んでいるのだと言っていた。
「俺の能力「陰影術」には、「陰術」と「影術」の二種類があってな。それぞれ術に使うかげの種類が違うんでェ」
「かげの種類、ですか……?」
玄雲さんの言っている意味が分からなくて、僕は首を傾げる。僕と玄雲さんが話している最中、小福ちゃんはぴょこぴょこと階段を跳ねながら登っていて、前を行く転堂さんが時折心配そうに振り返っている。そんな兄妹を横目に、僕は玄雲さんと話を続けた。
「かげにはな、大きく分けて影と陰の二種類があって。
「影術」に使うのが、一般的に使われる、光が当たることによって出来る形の事を指す「影」の方で。「陰術」に使うのが、光が当たらない場所の事を指す「陰」だ」
「分かるか?」と僕に問い掛けた玄雲さんに、僕は「うーん……」と首を捻った。その言葉の違いは分かりそうで分からないような感じで、僕には少し難しかったのだ。そんな僕の様子に、玄雲さんは「まァ分からねェよな」と可笑しそうに笑った。
「とにかくこの二種類のかげのうち、光が当たらない場所の事を指す「陰」の方を使う「陰術」を組むときに、この番傘が必要になるんでェ」
玄雲さんはそう言うと、「あーそうだな……」と自分の足元に出来た影を指差した。
「例えば光が当たってできる形を指す「影」の方の術は、自分の影とか、こういう色ンな所にある影を使ってすぐに術が組めるンだが……。この前回道と行った御役目の時みてェな場所の場合だと、影はあっても光が当たらない場所の方の「陰」は中々ねンだよ」
なんとなく、玄雲さんの言う形の方の影が、自分の影や窓から射し込む光や電気の明かりによって出来る影の事なのだと理解出来た。あの時の御役目では、妖によって辺り一帯が更地のようにされてしまったから、光が当たって出来る影はあっても光が当たらない場所の陰はなかったのだろう。
「そう言う時に、番傘がいるんでェ。
これを差した時に、傘の裏側は光が当たンねェからその場所は陰になンだ。だから番傘は、陰を生み出すための補助道具みてェなもンだな」
「な、なるほど……」
思っていたよりも情報量が多くて難しい話に、僕は何となく理解出来た頭で頷いた。目の前でヘラヘラと笑う玄雲さんは、このかげの違いを理解して能力を使っているのだから、僕はそんな玄雲さんを改めて尊敬した。
それにしても、祓具は直接妖を祓うための武器とばかり思っていたけど、こんな使い方も出来るなんて。
「……やっぱり、玄雲さんは凄いですね」
しみじみと、感心するように僕は呟いた。そんな僕の言葉にぱちりと目を瞬かせた玄雲さんは、ニヤリと悪戯に笑う。
「俺なんかより幸大の方が凄ェぜ。何せコイツは、SS級の能力者だかンな」
…………え。
「____SS級!!?」
突然大声を上げた僕に、転堂さんが五月蝿いと言わんばかりに怪訝そうに振り返った。でもそんな事よりも、僕は転堂さんかSS級だという事実に驚きを隠せない。SS級は数少ない階級だと聞かされていたのに、稲見先生以外にも、こんな近くにSS級の能力者がいたなんて驚きだった。
そんな僕の驚いた顔に、玄雲さんはクツクツと喉を鳴らして笑っている。
「SS級って……、転堂さんそんなに強いんですね」
「別にSS級だからって強くねぇよ」
「そ、そうなんですか……?」
感心の気持ちを言葉にする僕に、転堂さんは眉を顰めてそうはっきりと答えた。僕達は階段を登りきって廊下に立つと、少しキョロキョロと辺りを見渡した転堂さんが歩き出すままに、その後ろを着いて行く。
「いや、幸大は強ェぜ?寧ろ強過ぎるくらいにな…………、なァ小福ちゃん」
「うん!兄さんはすごく強いよ!」
「小福……」
それは謙遜だったのかは分からないけど、自身の強さを否定した転堂さんに玄雲さんは可笑しそうに笑い掛け、小福ちゃんは紫陽花のように色を付けて笑った。無邪気な笑顔でそう言った小福ちゃんに、転堂さんが心なしか目をうるっとさせたように見えたのは僕の気の所為だろうか。
それにしても、二人にそこまで強いと言われるSS級の能力は、一体何なんだろう?
「あの……転堂さんの能力って、一体__ぶっ」
下を向いていた顔を上げて前を歩く転堂さんへと問い掛けると、急に立ち止まった転堂さんの背中へと勢い良く顔がぶつかった。立ち止まった転堂さんはぶつかった僕に謝るも事無く、何やら考え事をしているようで。僕はそっと問いかけようとしたけれど、転堂さんが口を開く方が早かった。
「……………………迷った」
「えっ」
転堂さんは背を向けたまま、静かに一言呟いた。僕の聞き間違いだろうか。確かに転堂さんは、大学に来てからずっとキョロキョロとはしていたけれど、まさか迷っていたなんて……。
「なんでェ幸大、また迷ったのかィ?」
「うっせ」
「兄さん、小福あっちだと思う」
「ああ、そうだな」
同じく足を止めた玄雲さんが呆れた顔で転堂さんに言った。またって事は、転堂さんが迷う事は良くある事なのだろうか。自信満々な顔で右の廊下を指差す小福ちゃん。そんな小福ちゃんの頭を、少し眉を下げた転堂さんは痛いほど優しい瞳をして撫でた。
「あのっ……どうしますか?」
「別にどうもしねぇよ、どーせすぐ見つかるからな」
「?」
戸惑う僕に淡々とそう返した転堂さんは、疎らに残る学生達へと目を向けた。
此処12号館は美術を専攻する学生達の学びの場なのか、この館一帯が絵の具の匂いで溢れている。教室の窓から見える室内は、学生達が描いたであろう肖像画等が沢山置いてあって、その全てが思わず覗き込んでしまう程の綺麗な画ばかりだった。
そんな美術学生達をジッと見る転堂さんは、たまたま僕達の前を通りかかった一人の女子生徒に声をかけた。
「すみません、ちょっと聞きたいんすけど」
「はい?」
転堂さんの声に振り返った彼女は、肩上の髪の毛を揺らした。
「この大学で妙な噂とか、聞きませんでした?」
「妙な噂…?」
「はい、確かこの12号館だったと思うんすけど……」
その問い掛けに、彼女は顎に手をやって少し考える素振りを見せた。そんな彼女の腕や手には所々絵の具が付着していて、それが彼女の存在をより際立たせているようだった。
程なくして、何か思い当たることがあったのか、彼女は転堂さんを見て口を開いた。
「……あぁ、「呪いの美大生」の話ですか?」
「それです」
「呪いの美大生」と口にした彼女に、転堂さんは軽く頷いて肯定の意を示した。一方で僕は、初めて耳にするその言葉に小さく首を傾げる。
「それがどうかしたの?」
「俺達その噂の事調べてて此処まで来たんすけど、ちょっと迷ってて……。そこまで案内してくれないすか?」
どうやら道案内を頼もうとしていたらしい転堂さんは、彼女にそう頼んだ。僕は何か引っかかりのような違和感を感じるけど、それが何なのかが分からない。
そんな転堂さんに、彼女は何やら考える素振りを見せ、僕達の方をちらりと見た。
そして____
「良いですよ、こっちです」
彼女は右側の廊下を差して、僕達を手招いた。
__
同時刻 学園内大学棟教育学部第2演習室__
回道達が出て行った第2演習室には、高専寺と狐塚の二人がタッタッとスマホを触る音が静かに響いている。
気を遣わない二人の仲だからか、その空間には会話は無くお互いが静かにスマホを触る音だけがあった。
「それでさ、この前廃人と何話してたの?」
静寂を切るように、狐塚が問い掛けた。
「…………別に、なんも」
「相変わらず嘘が下手だね、狼は」
高専寺の返事を予想していたかのように、狐塚はスマホに目を落としたまま呆れたように笑った。そんな狐塚に、やや不満そうに眉を顰めた高専寺が小さく溜息をつく。
「お前も気付いてんだろ、回道の能力の事」
同じくスマホに目を落としたままそう言った高専寺に、狐塚はまた一つ小さな笑みを零した。
「まあね。この前の仲平の身体を見て確信したよ」
そう言って狐塚はスマホから顔を上げた。それに合わせて、高専寺もスマホから指を離して顔を上げる。
「あの時、どう見ても仲平の身体は心臓が動くような状態じゃなかった。仮に心臓が動いていたとしても、呼吸が止まった状態からかなり時間が経っていたし、心臓が動いたままの状態で廃人に診てもらうのなんて絶対に不可能だ」
一つ一つの状況を思い出して言う狐塚に、肯定するように高専寺はその瞳を見つめる。その二人の表情には雨にはしゃいでいた幼い雰囲気はどこにもなく、酷く大人びた瞳が妖しく光っていた。
「あの辺り一帯は回道の血で溢れてた。それは仲平にも例外じゃなくて、仲平の体にも大量に回道の血が零れ落ちてたよ」
「……あぁ、仲平の心臓が動いていたのには回道の血が関係してるはずだ」
確信を持った高専寺の声が室内に木霊する。そんな大人びた二人の声は、まるで冷たい冷水のようで。
「つまり回道は、ただ不死身なだけの能力者じゃねぇってことだ___」
妖しく光った二人の瞳には、なんの感情も感じられなかった。
__
「それで、どうして噂なんかを?」
後ろを歩く僕達に、彼女は振り返ることなく問い掛けた。そんな問い掛けに、転堂さんは玄雲さんの裾を引いて指を差す。
「俺達二人、大学で心霊現象についての研究をしてるんすけど。ここ最近、この大学内で噂になってる「呪いの美大生」について興味があって…………、な?」
「あァ」
さらりと息を吐くかのように嘘をつらつらと並べた転堂さんに、同意を求められた玄雲さんはニコリと笑って肯定した。嘘を付くのに何の抵抗も見られない二人の言葉は、彼女を信じさせるには十分なようだった。
「この子は俺の妹で、此奴は…………まぁ、後輩です。興味があるみたいなんで連れて来ました」
ポンポンと優しく小福ちゃんの頭を撫でたのに対して、転堂さんは不自然な間を挟んで僕を後輩と言った。そこにはおそらく……いや絶対に私情が挟まれている。
ちらりと僕達に視線を向けた彼女は、納得した様子で前へと視線を戻した。
「それじゃあ「呪いの美大生」については、詳しく知ってるの?」
「……いや、あんまり。良かったら詳しく教えてもらえないすかね」
僕達に背を向けたままの彼女へと、転堂さんが問い掛ける。ペタペタと歩みを進める度に、どんどん学生の姿は少なくなって行く。それは「呪いの美大生」の噂が関係しているのだろうか。
「……1ヶ月程前のことです。この大学に通う一人の女子生徒がいつも通り、画を描いていました。その女子生徒はとても優秀で、彼女が描く画はいつも何らかの賞を受賞していました」
僕達の足音が鳴り響く中、淡々と静かに彼女は語り始めた。どこか冷たさを含むその声のせいか、僕の背中はどんどん冷たくなっていく。
「そんなある日、彼女はこの12号館の一室で不審な死を遂げました。教室の床に画を描くように、身体を筆のようにして引き摺られて、自身の真っ赤な血に染め上げられて__」
ゾクリと、反射的に背筋が凍り付いた。依然として此方を振り向かない彼女のその姿勢が、より恐怖を引き立たせているようで。小さく僕の手を握る力を強めた小福ちゃんに、僕はぎゅっと力を込めて握り返した。
「それからというもの、此処12号館では度々死傷者が出るようになったの。そのどれもが不審なものばかりで、たとえ奇跡的に助かったとしても重症を負って……。
そうして囁かれるようになったの、この12号館は呪われている。此処で画を描くと死ぬ。あの子の血で染まっていたものは、きっと呪いの画だったんだ、って」
ピタリと、彼女が足を止める。それに合わせて足を止めた僕達をちらりと横目で確認すると、スっと前に見える教室を指差した。
なんだろう、何か違和感があるような……。
「あそこが、その教室です」
立ち入り禁止と書かれた黄色と黒のテープで阻まれたその教室は、あまりにも静かで異様な雰囲気だった。いつの間にか人気は全く無く、おそらく学生の誰もがこの教室を避けているのだろう。
僕達は彼女を追い越すと、テープを無視してぞろぞろとその教室へと近付いた。ごくりと唾を飲んで窓から覗き込んでみると、中には何も無く、ただ静かな空間が広がっているだけだった。
「何もねぇな」
「血の一つや二つでもこびり付いてらァ盛り上がったのにな」
「いや怖いこと言わないでくださいよ……」
「小福もみたい」
怖い事をさらりと言う玄雲さんにビクリと肩が跳ねた僕に、玄雲さんは悪戯に口角を上げた。
僕の胸の高さにある窓は、小さな小福ちゃんには見えないみたいで、下から腕を広げて自分も見たいと僕にお願いしてくる小福ちゃんをそっと抱き抱えた。小さな子を抱き抱えるのは初めてで、思ったよりもちゃんとある重さに驚いた。小さく声を漏らした僕を目敏く見付けた転堂さんに、鋭く睨まれる。抱えた小福ちゃんは興味津々に窓に手をついて教室の中を見渡していて、何とも幼いその表情がとても可愛らしくて、僕はつい頬が緩んだ。
不思議と、さっきまで怖いと思っていたこの空間が、玄雲さんと転堂さんと小福ちゃんがいる事で恐怖は無くなっていた。それはつい頬が緩むほどで____。
「__影術「影画」」
突如、バサバサッと翼の様な音がしたかと思うと何かがぶつかるような音が響いて、足元が大きく揺れた。咄嗟に抱き上げていた小福ちゃんを隠すように庇うと、僕達を守るように前に立った二人を見上げる。
「なっ、何が……」
「っと、危ねェな」
「助かったわ玄雲。……あとお前も、よくやった」
小福ちゃんを庇った僕を、転堂さんは横目に見てそう言った。転堂さんの隣でふーっと息を吐いた玄雲さんは、トントンと閉じたままの番傘で肩を叩く。
時折影が落ちる床に天井を見上げると、そこにはバサバサと音を立てて飛ぶ真っ黒な鴉の影が浮かんでいる。さっき聞こえた言葉から、おそらくこの鴉は玄雲さんの能力なのだろう。肩を叩いていた玄雲さんが、番傘を下げてトンっと足元の影を叩くと、天井に浮かんでいた鴉の影は吸い込まれるようにして足元の影に戻って行った。
「____何で分かったの?」
聞き覚えのある淡々とした声に、ゾクリと背筋が凍る。
前に立つ二人に遮られるようにして聞こえた声に、僕は小福ちゃんを背に隠しながら立ち上がった。
そこにはやはり、僕達を此処まで案内してくれた彼女の姿があった。
「ねえ、何で分かったの?私、どこか変なところありましたか?」
相変わらず淡々とした声で僕達に問い掛ける彼女の姿は、どこからどう見ても人にしか見えない。ただ先程までとは違って隠すことのない殺気を見に纏わせた彼女は、僕が見たって分かるほど妖の姿だった。
カタッと人形のように首を傾けて僕達を見る彼女。普通の女子大生にしか見えなかったから、全然気付かなかった。ただ微かに、何か違和感のようなものを覚えていたくらいで……。
____違和感?
「あ?顔だよ顔、お前の顔には感情が無さ過ぎんだよ」
____そうだ。彼女と会ってから、ずっと何か違和感があった。
姿も、声も、仕草だって、どう見たって人間だったのに。
でもただ一つだけ、彼女の顔にはいつだって感情がなかった。転堂さんが言うように、声にはちゃんと感情が乗っているのに、全く感情が見えないその顔が、僕達にずっと違和感を覚えさせていた。それはその違和感の正体に気付かせない程で。
「人の顔にはな、どんだけ僅かでも感情が出んだよ。感情が出にくい奴は、周りに違和感を覚えさせる……。
でもお前からは何も感じなかった。その全く違和感を感じさせねぇお前の顔は、逆に違和感でしかねぇんだよ」
鼻で笑って見下したように言い捨てた転堂さんに、彼女__妖は傾けていた首を元の位置に戻した。
「そう、やっぱり人間は難しいね」
「あーあとそれだ。その敬語とタメ語が使い分けれてねぇのも」
確かに、転堂さんに言われるまで気付かなかったけど、妖の話し方はテキトーで、いつもバラバラな話し方だった。
それにしても、僕は彼女が妖だったなんて全然気付かなかったのに、すぐに気付いた玄雲さんと転堂さんはずっと彼女を警戒していたのだろう。教室を見るのに夢中になる僕達を、静かに背後から狙った妖に即座に反応した玄雲さんが、あの影の鴉を能力で出して庇ってくれたのだ。
僕と比べるにも値しないその力の差は、僕に自然と感嘆の息を吐き出させた。
思わずぼーっとしてしまった僕は、妖を祓うため慌てて背中に背負った祓具を取り出した。
「回道、ちゃんと見てな」
「え………。でも玄雲さん、転堂さん一人じゃ……」
僕の肩に手を置いて、動きを制した玄雲さんを見上げる。確かに転堂さんはSS級の能力者で、きっととてつもなく強いのだろうけれど、SS級の能力者が担う御役目ということは、この妖も間違いなく強くて。驚く程自然に人の姿を成している様子から、この妖はおそらくS級以上。それなら、例え弱くても僕達三人で相手した方が良いに決まってる。
「だってよ幸大、心配されてらァ」
「あ゙ぁ?巫山戯んな、すぐ終わるわ」
「っでも、この妖ってS級以上ですよね」
「たかがS級如きに俺が時間使うわけねぇだろ、お前は黙って小福見てろ」
「……いや見んなや」と、僕に訳の分からない釘刺した転堂さんは僕を見下ろした。僕達の目の前にいるのはS級の妖だと言うのに、平然と背を向けて僕を睨み付ける転堂さんは何も動じていない。
ふんっと鼻を鳴らした転堂さんは、くるりと僕に背を向けて妖に向き直った。
「まァ見てな、回道。アイツ強ェから」
「……はい」
「小福ちゃんも見るかィ?」
「見る!兄さんの能力、綺麗で大好きなの」
小福ちゃんの声に、前を向く転堂さんが小さく微笑んだ気がする。
あれ、そういえば転堂さんの能力って何なんだろう__
そう思った瞬間、辺りは眩しい光に包まれる。思わず目を細めて見れば、その美しく黄色に光る光の正体は転堂さんのようで。体全体に美しい光を纏った転堂さんは、妖に向かってまるでそっと手を差し伸べるように手をかざす。
そして____
「幸福理論術「清福」____」
その瞬間、妖の心臓の辺りにポゥっと一粒の小さな光が浮かび上がった。
その光は次第に身体全体を覆うように広がっていき、やがて妖の身体は眩い光に包み込まれた。目を凝らしてよく見てみると、その光はどうやら小さな花のような形をしていて。その小さな光の花が、一面の花畑のようにして広がっている。
その綺麗な光の花にはしゃぐ小福ちゃんの隣で、僕はそのあまりの美しさに息を飲んだ。
そして、妖を包み込んだ光はより一層その眩しさを増した。思わずグッと目を細めた時、輝く光の隙間から見えた妖の瞳に、キラリと光る涙のようなものが見えた気がした。
でも、それを確かめようとする時には、優しく溶けるようにして、もう既に光の花は消えていた____。
「き、消えた……?」
そう、消えたのだ。光に包み込まれた妖が、その光と一緒に溶けるようにして跡形もなく消えていったのだ。
戸惑う僕の元へ、すっかり光のなくなった転堂さんが戻ってくる。
「おい、終わったから帰んぞ」
「さっきのって、祓ったんですか……?」
「当たり前だろ」
何言ってんだと言わんばかりに転堂さんは顔を歪めた。全く理解が追い付かない僕の隣に「確かお前さん、前に狐塚に妖の祓い方について教えられてたよな」と玄雲さんがやって来る。僕はその言葉に小さく頷くと、玄雲さんはその真っ黒な番傘で自分の肩を叩いた。
「妖の祓い方にはな、限られた能力者しか出来ねェ祓い方があるンでェ」
「限られた能力者、ですか?」
「お前さんも知ってる通り、妖を祓うには目を潰すしかねェ。俺達が普段やってる祓い方は、外側から目を潰して祓うやり方だ。
だがそれに対して、幸大達限られた能力者がやる祓い方は、その目を内側から潰して祓うやり方なんでェ」
目を内側から潰す、とは一体どういう事なのだろう。僕達が外側から目を潰すというのは、何となくだけど、体の外からの攻撃で潰しているという事なのだろうけど。内側から目を潰す祓い方ってどういう意味なんだろう。
「内側から祓うって、どういう事ですか?」
「あーアレだ、成仏ってヤツだな」
「成仏……?」
成仏というのは、幽霊なんかの未練を断ち切って現世から解放するっていう、あの成仏の事だろうか。
「妖は元々、人間の負の感情から生まれたモンだ。だからその根源であり目である負の感情を、内側から断ち切ってやれば成仏っつー形で綺麗に消えてくンだ」
「あ、だからあの妖は……」
今までで見た事のない祓い方で消えていった妖の姿に納得する。確かにあの消え方は、成仏したという表現がぴったりなような気がする。あの時見えた酷く安心したように伏せられた安らかな眼は、綺麗な涙を流していて、それはきっとあの妖が生み出された根源である負の感情が断ち切られたからなのだろう。
ぼーっと妖が消えた場所を見つめていると、隣から玄雲さんの声がかかる。
「ただ、内側から祓う事が出来ンのは限られた能力を持つヤツだけだかンな……、俺達には出来ねェ」
「その、限られた能力っていうのは、何なんですか?」
僕は玄雲さんの方を振り向いて、その瞳を見て問いかけた。そんな僕に玄雲さんはスっと長い指を持ってくると、僕の心臓の辺りをトンと突いた。
「____精神系の能力だ」
精神系の能力…………?
あまりピンとこない言葉に、僕は首を傾げる。そんな僕の顔を見て、玄雲さんは喉を鳴らして笑った。
「俺達の能力は、妖の外側__身体に直接働きかける能力だが。それに対して精神系の能力者は、外側じゃなく内側__精神に直接働きかける能力を持ってンだ」
玄雲さんの言葉に、僕は小福ちゃんを抱き上げて窓の外を眺めなら話をする転堂さんを見る。確かに僕達の祓い方とは違って、あの妖を祓った転堂さんの能力は妖の身体に傷一つ付けてはいなかった。
「だが、俺達みてェな能力者が同じ事をやろうとしても、妖の根源に触れば簡単に觸っちまって穢になっちまう。だから内側から祓えンのは、根源への触れ方を知ってる精神系の能力を持つ能力者だけなんでェ」
「なるほど……」
「まァ、精神系の能力者はあんまいねェから、内側から祓えるヤツは少ねンだけどな」
玄雲さんの言うように、僕の知っている能力者の中に精神系の能力者はいない。消えるように祓われた妖の様子を思い出すと、きっと妖にとって内側から祓われる方が幸せなのではないだろうかと、僕は思った。
「つまり転堂さんは、精神系の能力者なんですよね……。一体、どんな異能力なんですか?」
僕の問い掛けに、玄雲さんは転堂さん達の方を見た。それにつられて僕も視線を移すと、僕の声が届いていたのか、此方を見ていた転堂さんと目が合った。
「幸大の異能力は「幸福」。その名の通りその身にありとあらゆる福を呼び込む、福を司る能力でェ」
「福を、司る能力……」
そのあまりにも膨大過ぎる能力に、その内容を上手く想像する事が出来ない。ただ、あの優しい黄色の光に包まれた転堂さんの姿は、まるで幸福に包み込まれているようで。それはなんて、綺麗な能力なのだろうか。
いまいち理解が出来ていないのが伝わったのか、僕を見た玄雲さんは窓を指差した。
「雨、止んでンだろ?」
そう言われてハッとした。
そういえば、朝からあんなにもザーザーと降り注いでいた雨が、転堂さんが外に出た瞬間止んだのだ。それを知っていたからなのか、転堂さんは傘なんか最初から持っていなかった。
「幸大の能力は、自身にあらゆる福を呼び込むからな。雨はどんだけ降ってても止むし、くじなんか引けば必ず当たる……、だから妖の居場所なんか、探さなくても運良く行き着けンだ」
「す、すごい……!!」
「福の神みてェだよな」
「うっせ、そんな大層な能力じゃねぇわ」
悪戯に笑って言った玄雲さんに、転堂さんは顔を歪めて否定する。そして抱き抱えていた小福ちゃんを、割れ物を扱うかのようにしてそっと床に降ろすと、壁に寄りかかって腕を組んだ。
「つーか高専寺も狐塚も、俺がいんだから雨とか関係ねぇだろ。分かりやすい嘘付きやがって」
「なんでェ、可愛い後輩じゃねェか」
「どこが可愛いんだよ」
転堂さんと話している時の玄雲さんは、創一郎君の時とは違って少し幼げな笑顔を浮かべる事が多くて、きっとこれが友達といる時の玄雲さんの顔なんだろうな。目の前で仲良さげに話す二人を見ていると、なんだか僕まで笑顔になってしまう。
ついつい顔が緩んだ僕に気付いた転堂さんが、僕を見て眉間に皺を寄せる。
「何笑ってんだお前」
「いっいや、何でも……。
あ……そういえば、転堂さんの妹って事は小福ちゃんも「幸福」の能力者なんですか?」
話を逸らすために聞いた問い掛けに、転堂さんは不思議そうに僕達を見上げる小福ちゃんの頭を優しく撫でて見せた。
「いや、小福には能力が殆ど覚醒しなかったから、小福は普通の人間とあんま変わんねぇんだよ」
「そうなんですね」
「折角今代の転堂家は、福の年だったのになァ」
「福の年?」
頭の後ろに手を当てながら、小福ちゃんを見て玄雲さんはそう呟いた。聞き返した僕に視線を移すと、玄雲さんは未だ眉間に皺を寄せたままの転堂さんを指差して。
「転堂家の異能力は「幸福」だけじゃなくて、その対になる「厄災」の二つの異能力を持った一族なんでェ。その名の通り、「厄災」の能力は自身にありとあらゆる厄を呼び込む、呪いを司る能力だ。そンでその能力の厄介な点が、自身に呼び込む膨大な呪いの力によって、やがては死んじまうんでィ」
「死ぬって、どうして…」
「膨大な呪いを呼び込み続けちまう事で、身体が耐えきれなくなンだ。だから、厄災に押し潰されて死んじまう」
「そんな……」
そんな酷い話があっていいのだろうか。だって、何も悪い事なんかしていないのに、「厄災」の能力が覚醒してしまったばかりに、理不尽に呼び込まれる厄災に殺されてしまうだなんて。そんなの、あんまりだ。
「転堂家の能力者は、産まれてきた子供が覚醒するまでどっちなのかは分かンねェ。だが産まれた子供の能力が分かれば、次に子供が出来ても同じ母胎からは同じ能力を持つ子供しか産まれねェからすぐ能力が分かるンでィ」
その玄雲さんの説明に、やっとさっき玄雲さんが言った言葉の意味が分かる。
「幸大が「幸福」の能力を持って産まれたから、今代は小福ちゃんも福の力を持った、福の年なのにな」
「いいんだよ小福は。んなもん無くても、小福は俺が幸せにするからな」
「そうだねィ」
「玄雲、その傘見せて」と両手を出してお願いする小福ちゃんは、いつだって子供らしく無邪気で可愛らしい。たとえ福の力が殆ど無くたって、人を自然と笑顔にさせてみせる小福ちゃんは、僕には福そのものに見えるから。
「____っし、帰るか」
ふわふわと触り心地の良さそうな髪の毛を揺らす小福ちゃんの頭を、転堂さんは優しく撫でてそう言った。
__
「廻、早く!早く!」
「待ってよ小福ちゃん……っ」
無事に御役目を終え、僕達は揃って12号館を後にした。興奮気味な小福ちゃんに手を引かれて、僕は駆け足でその小さな背中に着いて行く。その小さな手には乾いた絵の具が付いていて、いつの間に付いたのか。きっと運悪く乾いていない絵の具を触ってしまったのだろう。
はしゃぐ小福ちゃんは、時折足を絡ませては転けそうになる。それでも、何かを僕に見せたいようで。
「見て!虹!!」
「わ……本当だ」
すっかりと雨の上がった空には、橋をかけるように淡い虹がかかっていた。虹なんか何度も見た事あるのに、今日見る虹が今までで1番綺麗に見えた。
そんな虹を見て、僕は後ろにいる二人を振り向いた。
「本当に、運が良いですね」
そう言って笑った僕の言葉に、玄雲さんは悪戯な顔で笑って、転堂さんはケッと吐き捨てるように視線を逸らした。そんなチグハグな二人の様子がなんだか可笑しくて、僕はまた一つ笑いを零した。
そんな僕達に混ざりたかったのか、小福ちゃんは僕に向かって両手を広げ、お得意の抱っこポーズをする。そのお願い通り抱き上げてみせると、小福ちゃんは満足そうな笑みを浮かべた。
「それにしても小福ちゃん、えらく回道に懐いてンな……。小福ちゃん、なんか気に入ってるとこでもあンのかィ?」
不思議そうに僕達を見た玄雲さんが、少し屈みながら小福ちゃんへと視線を合わせた。問い掛けられた小福ちゃんは、柔らかそうな頬を緩めて嬉しそうに笑って。
「廻、傘持ってきてくれたの」
「傘?」
「小福の壊れた傘ね、あれ兄さんにもらった大事な傘なの。壊れてたのに、廻が持ってきてくれたの、すごく嬉しかったから」
その言葉に、雨の中小福ちゃんを見付けた時の事を思い出す。確かに僕はあの時、小福ちゃんの壊れた傘を持って歩いた。小福ちゃんがずっと傘を握っていたから、この傘はとても大事な物なんじゃないかと思って。
「小福の大事なもの、廻も大事にしてくれたの。だから小福は廻の事好きなの!」
まるで、雨露に濡れることでより生き生きと宝石のように輝く紫陽花のように。雨の日を鮮やかに彩る紫陽花のように、小福ちゃんは色鮮やかに笑って見せた。
その笑顔は小さな福と呼ぶにぴったりで____
「ありがとう小福ちゃん。僕も、小福ちゃんの事が好きだよ」
そう言って微笑めば、腕の中の小福ちゃんはその黒い瞳を細めて嬉しそうにはにかんだ。その笑顔が嬉しくて、僕の胸はじんわりと暖かくなった。
「____おい、それは違ぇだろ」
「ごっごめんなさいぃ」
後ろからヌッと現れた転堂さんは、幸福の能力者とは思えない程の負のオーラを纏っている。
すっかり忘れてた……、シスコンの存在を。
怯えながら謝る僕に、小福ちゃんは楽しそうに声を上げて笑っている。
「ほら小福、ちゃんと自分で歩け」
「はーい」
転堂さんの言葉に素直に僕の腕から降りた小福ちゃんは、流れるように転堂さんの元へと駆けて行き、手を繋いで歩いた。そんな仲良く手を繋いで歩く兄妹の様子に、僕は兄弟という存在が少し羨ましくなった。
二人の姿を後ろから見つめていると、くるりと転堂さんが振り向いた。
「……回道、傘さんきゅな」
「!」
初めて呼ばれた僕の名前に、なんだか僕の存在を認めてもらえたような気がして嬉しくなる。
「いえ、こちらこそありがとうございました。幸大さんの御役目、勉強になりました」
「……そーかよ」
ハッとやはり鼻で笑ってそう言った幸大さんに、僕は思わず笑みが零れる。そうして僕達は、無事に御役目を終えた。
雨上がり、僅かな雨の匂いを含ませて。空を彩る淡い虹の下、僕達は学園へと歩いた。
それは、黒か、白か
大か、小か
兄か、妹か
幸か、福か________
第八話『禍福』-完-




